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Web誌友会 板/2
2117
:
志恩
:2013/06/25(火) 06:54:51 ID:.QY5jUA6
雅宣総裁の、立ち位置〜
①副総裁先生(当時の、雅宣先生)は、
数年前の代表者会議の結語において、「この運動方針も 物質であるから現象であるということが出来るのでる」と言われているのである。
②その後、全国教修会においてはハッキリと「人類光明化運動は現象であります」と言われているのであり、、、
--------
恵吾先生の立ち位置〜
自然の自然なるものとは神である。自然から学ぶとは神から学ぶということにほかならないのである。
自然から学ぶということは、神である自分から自分を学ぶということでなければならないのである。
それが自然の自然なることなのである。
------------------------------------------
「自然から学ぼう」、1つとりましても、
雅宣総裁は、現象である。と捉え、
恵吾先生は、自然から学ぶとは、神から学ぶということ、と捉え、
現象を立ち位置にされて、出発されている雅宣総裁と、
実相を立ち位置にされている恵吾先生と、がいらっしゃると思います。
ですから、
恵吾先生をご存じない方々に、恵吾先生のお言葉をお伝えするとき、恵吾先生の言葉の裏を読めとおっしゃられても、
恵吾先生の生き方を知らない場合、言葉通りにしか、受け取れませんから、真意は伝わりにくいと存じます。
2118
:
復興G
:2013/06/25(火) 07:11:19 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
榎 本 恵 吾
六 (1日1文ずつ謹写掲示。cf.
>>2084
)
合掌
さまざまな説き方の一つの試みとして、ここに『無神』という冊子を別便にてお送りいたします。
(後注参照)
これは私が宇治に転勤して参りまして少したったころ、練成をしながら、その興奮状態の中で書きとめておいたものでした。どうせ興奮状態の中で書かれたものだから、その内に整理をして、語調も整えてと想って、想いのままに綴っておいたものでした。
ところが、後になって、いざ整理をしようと想いますと、どうしてもそのままでしかあり得ないような気がして来たのでありました。それで句切り句切りを独立させたように、詩のような姿にして並べることにしたのでした。
「無我」という言葉は非常に人間にとって憧れざるを得ない中身を示しているように想えるのであります。人間は何故「無我」にあこがれるか。それは元の神が「無我」であり給うから、そこから生まれ出でた人間も「無我」に憧れざるを得ないのではないか。人間のレベルで言えば「無我」ということになるが、神のレベルでは「無神」ということであります。
生長の家の教え自体も自分を消していると想われるのであります。
例えば、聖歌『生長の家の歌』にしても、生長の家という言葉は、ただ題名にあるだけでありまして、ご存じのように、一番はキリスト教讃歌、二番は仏教讃歌、三番は古事記讃歌、四番はこれら三つが素晴らしいとなっている万教帰一讃歌となっており、生長の家という言葉は一つもないのでありまして、ただただ万教(即ち万物)を讃え、拝むのが生長の家であることが示されていると拝察されるのであります。
『生命の實相』という書物にしてからが、その中に「物質無し」と書かれているのでありまして、本自体が「私は無いのです」とみずから消えているという、そこに無我の聖なる輝きのみがあって、それ故に、この書物は聖典と呼ばれているとも想われて来るのであります。
さて、「人類光明化運動指針」の第九条
「生長の家大神―総裁・副総裁―御教」
という、この中には、大聖師谷口雅春先生は姿を消しておられるのであります。この指針が出来た時、これを承認なされたのは当の、谷口雅春先生でありますから、先生ははじめから、このように消え給うことの承認であったと拝察されるのでありましてまことに聖なるきわみでありまして、まことに「大聖」なる師という中身をもって「大聖師」とお呼び申し上げざるを得ないのであります。
ご存じのように『無門関』の第一則の「趙州狗子」の公案の中に、「仏に逢いては仏を殺し、師に逢いては師を殺し……」という一節が出てまいりますが、ある時の神想観の中にニコヤカに観じられた尊師谷口雅春先生は、
「あのね。生長の家では仏に逢いては仏を殺し、師に逢いては師を殺す、などという血生臭いことはしないんだよ。私は無いんだよ」
と師みずから消えておられたのであります。ここに、生長の家は、教団自体がみずから消えて、澄み切っていて、まことに、「生長の家は感謝の教え」であると言える姿がそこに拝せられるのである。澄み切りの教え即ち感謝、礼拝の教えということだと想うのであります。再拝三拝合掌 (1998.7.6)
(注。『無神』 という冊子の内容は、「榎本恵吾記念館」 サイト
http://homepage2.nifty.com/hanabira/
の 「文書館 Ⅱ」 に公開されていますので、ご覧ください)
2119
:
復興G
:2013/06/25(火) 10:35:37 ID:AB6RqYXc
ユタカ様
こんにちは様
志恩様
榎本先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』(五)に関してのご質問・コメントなど、ありがとうございました。
ご質問はまことに真剣な切実な課題であると思います。
まず、ユタカ様のご質問 (1) について。
>>1
、「大自然讃歌、観世音讃歌」などのお経の存在はどうとらえるのでしょうか?などは『現象なし』とすると、二つの経?も神様から与えられたる素晴らしいお経?ということでよろしいのでしょうか?<<
――『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは、「神様から与えられたる素晴らしいお経」ではないと思います。
それは、雅宣総裁ご自身が、「私の書いた者は私が書いたのであって、神が書いたものではないから、“聖典”とは呼ぶな」という意味のことを言われており、このたび経本型にして出版されている詩の本も、当然のことながら“聖経”ではありません。
それは、総裁が
≪生長の家の詩としては、谷口雅春先生の『生命の實相』第20巻(頭注版)聖詩篇に「生きた生命」や「光明の国」「夢を描け」など十数篇が「生長の家の歌」として収録されている。その筆頭は、現在「甘露の法雨」と呼ばれている有名な長編詩だ。これの後篇が「天使の言葉」であり、これらは生長の家の真理を凝縮した「聖経」として取り扱われている。私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義−−例えば自然と人間との関係など−−について補強を試みている。読者諸賢からの感想をお待ちしている。≫
と、「唐松模様」に書かれている通りであります。
そして、私自身この『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』を読んでみての感想は――
聖経『甘露の法雨』には
万物はこれ神の心、
万物はこれ神のコトバ、
すべてはこれ霊、
すべてはこれ心、
物質にて成るもの一つもなし。
物質はただ心の影、
影を見て実在と見るものはこれ迷。
汝ら心して迷に捉わるること勿れ。
神は遍在する実質且つ創造主なるが故に
善のみ唯一の力、
善のみ唯一の生命、
善のみ唯一の実在、
されば善ならざる力は決して在ることなし、
善ならざる生命も決して在ることなし、
善ならざる実在も亦決して在ることなし、
善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。
すべて真実の実在は、
神と神より出でたる物のみなり。
神は完全にして、
神の作りたまいしすべての物も完全なり。
と、「完全なる神」 のみ実在であると書かれているのに対して、「讃歌」なる詩は現象をありとする方から書かれていて、立ち位置がちがい、聖経とは全然ちがうものだと思います。文法的にも、文語的な表現に口語的表現が混入していて不統一で、おかしいです。
それで私は、「讃歌」なる“新経”は読みません、そんなものを読む時間があったら聖経『甘露の法雨』を誦みます、と言ってそうしていますが、しかし、教区の行事(たとえば教区練成会など)で「讃歌」一斉読誦というプログラムが組まれていると、普通の方は読まないということは難しいでしょうね。
これは、大きな公案です。
今、すぐには、「こうするのが正しい」という答えが見つかりません。考えて行きたいと思います。
<つづく>
2120
:
志恩
:2013/06/25(火) 11:11:59 ID:.QY5jUA6
生長の家ブログより
発行/日本教文社発売
大自然讃歌 谷口雅宣著 定価1500円(税込) 生長の家発行/日本教文社発売
●自然と人間との一体感を深めるために!
生物互いに生かし合っている自然界を讃嘆し、〝自然即我〟の実相に目覚めしめる
【 長編詩を 日常の読誦に適した【経本】として刊行。】
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
※讃歌の前後に「自然と人間の大調和を観ずる祈り」(谷口雅宣)と「水と森の歌」(谷口清超作詞)を掲載。
-------------
詩だといいながら、経本として出版し、
「毎日 読誦するように」、雅宣総裁が、全組織に総裁として命じておられます。
全国の練成会では、「新しいお経」として、雅宣先生作の 2冊のお経 とも、読誦する時間が組み込まれたプログラムが設定されてます、
詩なら、なんで、信徒が、日々、読誦する必要があるのでしょうか。
雅宣総裁の、言ってることと、やってることが、ちぐはぐだと、思われませんか?
2121
:
復興G
:2013/06/25(火) 11:31:00 ID:AB6RqYXc
<つづき>
ユタカさんのご質問の(2)について。
>>2
、榎本先生の仰ることは素晴らしいですが、本当に素晴らしすぎるほどお見事なのは分かりますが、生命の実相が買えない教区で困っている人に『無い!!』って・・・・本当に無い!!・・・・現実に現象宇宙を消した状態みたいじゃないですか・? <<
――これも、本当に大きな課題ですね。
「光明思想社版を使えばいい」 のですが、教団では、「それは反教団の運動をしている側に資金を与えることになるから、使ってはいけない」 と言っているようです。
私たち古くからの信徒はすでに『生命の實相』などの聖典を持っていますから、ありがたいことです。
しかし、新しく御教えに触れた方たちが、教団内で『生命の實相』も聖経『甘露の法雨』も買えないとなれば、由々しき問題です。
それなら「学ぶ会」に行けば良い、とは思いません。
なぜなら、真の「生長の家」は「一つ」であると信ずるからです。
「二つ」とか「三つ」とか、「対峙」したり「三つどもえ」で争っている「生長の家」などというのは、皆ニセモノであると言わざるを得ないのではないでしょうか。
真の「生長の家」は、いま地上から姿を消していると言わざるを得ないのかも知れません。
『生命の實相』 「初版のまえ書き」 に
≪『生長の家』に発表される思想のインスピレーションの根元が本当の生長の家本部であって、それは神界すなわち「実相の世界」にある。かりにその地上的執務の中心を生長の家本部と名づけ……≫
と書かれている、その『生長の家』というタイトルの月刊誌もなくなっている今、本当の生長の家本部は神界すなわち「実相の世界」にのみあり、地上からは消えた状態なのかも知れないと思われます。
でも、私たちは今、『生命の實相』の本を手にすることができます。光明思想社版もあるし、中古本を amazon で取り寄せることもできます。
『生命の實相』全読運動だ、読め、読めと、かつては掛け声をかけられたこともあったが、今は逆に『生命の實相』はテキストにするな、と言われるような時代になって、入手が困難になった。そのようなときこそ、『生命の實相』のありがたみが魂にしみる時なのではないか。
ですから、今をチャンスとして、『生命の實相』をしっかりと学びなおし、真の生長の家を復活復興させていきましょう。それが、私たちの使命であると思います。
ありがとうございます。
2122
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 11:36:58 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、みなさま
復興Gさま、聖経との立ち位置の違いなどを教えて下さり誠に有難うございます。
違いがハッキリいたしました。
先ほど、歯医者のベッドの上でハッと気づきました。
榎本先生の 「現象なし」 「無我」 ということ。
『現象なし』 『無我』
これを生活に生きるとは・・・・
私なりに答えを出してそのようにこれからは、生きてまいります。
『現象なし』 『無我』= ハイ!! 有難うございます。
以上が私の内なる答えです。
ハイ(喜んで)ありがとうございます。
ハイ 『有難うございます』 四方八方拝み倒します。
ハイ、ありがとうございます。
徳久先生の 大バカになれ!!= ハイ、ありがとうございます。
簡単な事がとても難しいのですね。 和解の鍵もここだと思いました。
これは、あくまでも、ユタカの私見でございます。
ユタカは、今から、これ一本で生活出来るよう心がけます。
教化部長 新経を読んでください。
ユタカ ハイ、ありがとうございます。(行事終了後、聖経をあげる)
こうやって、行動したらどうなるのかなぁ??? やってみる。
2123
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 11:48:48 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
>ですから、今をチャンスとして、『生命の實相』をしっかりと学びなおし、真の生長の家を復活復興させていきましょう。それが、私たちの使命であると思います。
ありがとうございます。
ハイ、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。
この世の中から絶対に「聖経」も「生命の実相」も消えません!!
本物は残る、闇は消える 最後の審判の神示にありますものね。
眼に見えるものは嘘。真実でない、永遠に教団に聖経も聖典も残って代々伝わって行くのが本物で真実なら、
何も、あわて騒ぐ事もなく、淡々として、新経を読んだらいいなぁ って思います。
ニセモノはやがて消えるべき運命、それにとらわれ、相手にしないで、教化部長、本部と今を調和して生きて、実相の『信徒が全員和解して、みんなで、ニコニコしながら聖経をあげている 』真実を観じて
その真実を観て、持ち場持ち場で日々を力一杯生きよう!!!
これが、榎本先生からユタカが学んだ事です。
復興Gさま、ありがとうございます。 簡単でムズカシイそして深い学びをしたような気がします。
ありがとうございます。
2124
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 11:56:42 ID:R1D4Jmeg
榎本先生からユタカが学んだ極意
『 ハイ ありがとうございます 』 『 ハイ ありがとうございます 』 『 拝 有難うございます 』
『 ハイ ありがとうございます 』 『 ハイ ありがとうございます 』 『 拝 有難うございます 』
『 ハイ ありがとうございます 』 『 ハイ ありがとうございます 』 『 拝 有難うございます 』
2125
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 12:05:54 ID:R1D4Jmeg
現象は無い、自分も無い。
何がある?! 実相がある。 じゃ、現実をどう生きていけばいいの?
「拝、ありがとうございます」 だよ。
2126
:
志恩
:2013/06/25(火) 12:25:09 ID:.QY5jUA6
私は、新経を読めと言われても、「ハイありがとうございます」と,言えないな。
ユタカさんみたいに。(笑)
一目散に ジェット機のように 逃げる ね。
2127
:
復興G
:2013/06/25(火) 12:44:55 ID:AB6RqYXc
>>2120
:志恩様。
>>詩だといいながら、経本として出版し、「毎日 読誦するように」、雅宣総裁が、全組織に総裁として命じておられます。<<
というのは、おそらく総裁は「私が命じたことはない」とおっしゃるでしょう。おそらくその通りで、総裁が「毎日読誦するように」と命じられたことはないと思います。
しかし、参議・理事などが、これは「新しいお経」として毎日読むように仕向けようと、運動方針書にも記載するようにした。すなわち「生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動 “自然と共に伸びる運動”実現のための第2次5ヵ年計画第2年度・第3年度 運動のポイント」
(平成24年1月24日 拡大最高首脳者会決定)に
≪1.平和・環境・資源の問題解決への貢献
(4)世界の幹部・信徒は、日常の聖経読誦に加え、『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行い、神・自然・人間の大調和の実現を祈る。≫
とあります。
これは、総裁の承認がなければ「決定」にはなりませんから、結局 志恩様のおっしゃってるような結果になっていると言えましょう。
そういう運動が進められている中で、教団組織に所属しながら
「私は『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行いません」
というのは、とても勇気の要ることです。
でも、谷口雅春先生は、『光明法語』に
七月三日の法語 「ハイ」の無限力
最も重き言葉は最も簡単なる言葉である。それは「ハイ」の一語である。一切の行為は「ハイ」にて動き、一切の事物は「ハイ」の一語にて成就する。汝、使命を感ぜんか、唯「ハイ、ハイ」とのみ言え。然してこれを実行せよ。然らば必ず成就せん。「ハイ」とは決意である。使命に対する決意である。如何なる困難も、吾使命を感ぜんか、「ハイ」の決意にてその困難は斫(き)り拓(ひら)かれ、坦々たる大道となる。「ハイ」は汝を自由ならしめる。「ハイ」は実相その儘である。
七月四日の法語 「否定」の威力
「ハイ」に対立する最も簡単にして最も偉大なる力は、「否!」である。汝病気ならんか、「否!」と断じて言うべし。病いすなわち必ず癒えん。汝に不幸来らんか。「否!」と言うべし。如何なる不幸も汝を傷つける事は出来ない。最も自由なる人は自己の好まざることに対して断じて「否」と言う。かかる人には如何なる不幸も近づく事が出来ない。世界は如何なる「幸福」でも「不幸」でも自由に販売しているところの百貨店だと言える。それを求める貨幣は「決意」である。
とお教えくださっています。
私は、
≪最も自由なる人は自己の好まざることに対して断じて「否」と言う。≫
を貫こうと思います。もちろん、クビを覚悟の上です。
それは、「蟷螂(とうろう)の斧(おの)」かも知れませんが……。
ユタカ様。
>>教化部長 新経を読んでください。
ユタカ ハイ、ありがとうございます。(行事終了後、聖経をあげる)
こうやって、行動したらどうなるのかなぁ??? やってみる。
『 ハイ ありがとうございます 』 『 ハイ ありがとうございます 』 『 拝 有難うございます 』 <<
――すばらしい!
それぞれ、内なる神の声に従って、自由自在に生きることですね。ありがとうございます!
2129
:
みすはなまる
:2013/06/25(火) 13:05:18 ID:???
>>2121
>>しかし、新しく御教えに触れた方たちが、教団内で『生命の實相』も聖経『甘露の法雨』も買え ないとなれば、由々しき問題です。
それなら「学ぶ会」に行けば良い、とは思いません。
なぜなら、真の「生長の家」は「一つ」であると信ずるからです。>>
復興G様はご経歴素晴らしい方と拝察申し上げますが、上記の>2121のご発言に関しては、納得出来ません。
皆様、それぞれ色々な考えがおありでしょうから、復興G様がどのように発言され、どのようなお考えを持たれても構いません。
学ぶ会に所属されている方は、「生長の家の真理がひとつであると信じていない。だから学ぶ会に行ってはいけない」と、誤解される可能性がございます。
復興G様の上記のコメント引用を、教団信徒や本部講師の方が信じてしまうと、「学ぶ会の講演会に参加しただろう」と、咎められ苦しむ信徒の方が、出てくる可能性がございます。
実際に、先日光明掲示板で総本山で奉仕に参加した信徒さんが、総本山の本部講師の方が、学ぶ会の講演会に一回参加したことで、呼び出され咎められた記事を見ました。
実際に私は学ぶ会で救われました。魂の喜びを得ました。ですから申し上げさせていただきました。
2130
:
みすはなまる
:2013/06/25(火) 13:07:58 ID:???
>>2128
は、管理人様、削除をお願いします。御手数おかけいたします。合掌。
2131
:
志恩
:2013/06/25(火) 13:41:53 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様、コメント、ありがとうございます。
復興G様
私も「学ぶ会の全国大会」に参加しましたが、
本来の生長の家らしくて、大変感動しました。
学ぶ会というのは、仮の名前であり、生長の家が本来の教えに戻ったら
学ぶ会という名は、捨ててもいい、と学ぶ会は、言っています。
ですから、あれは、仮の名なのです。
いまの教えには、もともとの教えが ない のですから、生長の家の教えを「学ぶ会」で
学んでも、いいのではないですか?
復興G様のように、学ぶ会が大嫌いな人もいらっしゃいますが、
真理を学ぶのは、それぞれ どこで学んでも自由だと思います。
復興G様のような大物の大先輩が
>>「「学ぶ会」に行けば良い、とは思いません。
なぜなら、真の「生長の家」は「一つ」であると信ずるからです。」>>
とおっしゃったら、裏を返せば、やり放題の教団に味方しているような発言に
受け取れます。
2132
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 13:55:53 ID:R1D4Jmeg
難しいようで簡単。簡単なようで難しい。 『ハイ ありがとうございます』
現象は無い。自分もない。 何がある?! 『実相がある』 じゃ、現実をどう生きていけばいいの???
『 ハイ 有難うございます。 拝 有難うございます。』だよ。
『生長の家』は始めなく終わりなく、永遠にイキイキ生きて生きとおして『あり』続ける実相さ。 不滅、不滅。 本来生、不滅、清浄真無垢なり。
聖経 真理の吟唱
天地一切と和解する祈り
われ今、ここに、神の子として新生し、神に感謝し奉る。 神は普遍的存在にましますのである。
一切を包容し、一切のものの周囲に、また一切のものの内にましまして、一切のものを渾然と一つに融和していたまうのである。
それゆえに、私もまた、神の子として、その渾然たる一つの融和体の中に存在するのである。
それゆえに、私は、天地一切のものと融和し、天地一切のものとの調和の関係にあり、わが働きは、他の天地一切のものを生かす働きとなり、また天地一切のものの動きは、また我を生かす動きとなるのである。
すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。
現象の世界に 如何なる 対立の 関係 があろうとも、 それは 妄想の顕す ところであり、 妄想(大自然讃歌、観世音菩薩讃歌など)は 『やがて 消えるべき 運命 にあるのであるから、
私は それ(新経)を恐れることもないし、 それに愕くこともないのである。
妖雲ぺきぺきと空を覆うことがあっても、 その上には常に蒼空があるのと同じように、
如何に暗澹たる状態(裁判・新経)たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。
心を動ずることがないから、最も適切なる知恵が泉の如く湧き出て暗を消してしまう処置ができるのである。(今のところ神想観実修)
光の進軍に対しては暗は逆らうことも抵抗することも出来ないのである。
事に応じてわが為すところの行為は、神の子として大神の知恵の炬火をとぼして進軍するのであるから、誰もそれを遮ることはできないのである。
神は「暗に対しては光を以って相対せよ」と仰せられているのである。光は進む、暗は消える。
神はわれらに「常に心を明るくもて」と仰せられているのである。 一時といえども、私は、心を曇らすことをしないのである。神は勇気の本源であり、神の子たる私は勇気そのものである。
神の智慧われに来たりて、迅速果敢に適当なる決意と断行をなさしめ給うのである。
ああ、感謝すべきかな、天地万物は、ことごとく神の子として兄弟姉妹であり、われを常に祝福し、われを常に援助し、わが希望を必ず成就せしめ給うのである。
謹写 終わり
ありがとうございます。
2133
:
うのはな
:2013/06/25(火) 13:57:24 ID:QeDx0zg2
でも、「学ぶ会」は昔から教団から目の敵のようにされていますね。
去年、現教団非公式講師の会で、学ぶ会に行った体験談を話してる講師に
出合いましたが、たいてい、「そんなところへ行ってはいけない」ですよ。
教団をやめるやめないは、人それぞれ時期というものがあるだろうし、
退団したからといって、「学ぶ会」「ときみつる会」に行かなくてはならない義務もないでしょうけど
こんなにうさんくさい言われ方をする団体って統一協会以外にないですよ。
おそらくある程度経験のある信徒さんだとか、それなりに機が熟さないとわからないものがあるのかもしれません。
2134
:
復興G
:2013/06/25(火) 14:28:07 ID:AB6RqYXc
みすはなまる様
ほか皆々様
私は、
「学ぶ会」に行けば良い、とは思いません。
しかし、「学ぶ会」に行ってはならない、とも思いません。
今、雅宣総裁と教団も、また「学ぶ会」なども、それぞれ果たすべき役割があって、その役を演じていらっしゃるのでしょう。
それぞれに、立派にお役を果たして頂きたいと思います。私もまた、私の役割を果たしたいと思います。
○
既に天国の饗宴に招かれている
吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。
地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。
尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。
吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。
(谷口雅春先生『幸福を招く365章』117頁〜より)
2135
:
復興G
:2013/06/25(火) 14:52:22 ID:AB6RqYXc
教団組織に属する地方講師でありながら、「私の使命は日本の使命を語ること、憲法復元を訴え続けること」と教化部長に宣言し、「クビにするならクビにしてください」と言って、誌友会で今も常にそれを説き続けているベテラン講師の方がいます(私ではありません)。
その方は、学ぶ会の全国大会や「靖国見真会」にも毎回参加しているけれども、教団から離れて「学ぶ会」に入会はしません、それでもよろしいでしょうかと前原副代表に問いかけ、「それで結構です」と言われて、教団からも学ぶ会からも公認で双方に参加しながら、谷口雅春先生からいただいた地方講師の辞令を大切に、教団から離れることはしない。そういう方もいらっしゃるのです。
それぞれの信念で、内なる神の声に従い、みずからの信ずる道を進まれたらよろしいのではないでしょうか。
2136
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 15:08:06 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
いつもいつも、良い素晴らしいお話を有難うございます。
ユタカも、今日突然に榎本先生の仰ること、内容が理解できた気になっています、自分では。
>2135 の先生も生長の家の真理は一つだ!と思われているから自由に行動をなさっておられるのでしょうね。
世界の宇宙の救世主 谷口雅春先生 万歳!!
2137
:
復興G
:2013/06/25(火) 15:25:08 ID:AB6RqYXc
さて、皆さま。
第14回web誌友会は長引きましたが、6月15日(土)に
>>2021
で司会者の終了宣言、
>>2026
で閉会の祈り、そして
>>2027
世界平和の祈り で閉じました。
その後、後夜祭が続いておりました。
次は第15回web誌友会になりますね。
まだその日程とテキストの範囲を決めていませんでした。
第15回web誌友会の日程として、
7月12日(金)21:30より
7月13日(土)23:30
テキストの範囲は
『生命の實相』第3巻「生命篇上」第1章〜第5章まで全部
というのを提案させて頂きます。
司会は、前回に続き、「訊け」管理人様にお願いできるでしょうか?
「復興Gの講話」というのは無しでよろしいのではないかと思います。いかがでしょうか。
2138
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 15:57:16 ID:R1D4Jmeg
次回のWEB誌友会の予定など、皆様、いかがでしょうか?
a hopeさま、
まさか、こんなに長い後夜祭になるとは・・・・思いませんでした。 予定表がかなりずれてしまったです。
さぁ、、範囲内で自主勉強をいたしましょうぞ! って感じでどうでしょうか?
2139
:
うのはな
:2013/06/25(火) 18:18:10 ID:9BQVgwDU
お邪魔して申し訳ないのですが、以前、ここでうのはなさん司会の話があったとき、
私としては自分の考えをはっきり書いてやる気が無いことを表明したつもりなんですが、
訊け管理人氏から最近、ぼくが司会をやらないあいだは、うのはなさんがやるだろうとか
勝手なことを書かれて迷惑しています。
司会者の件など決定したら、早めに掲示板上でお知らせくださるようにお願いします。
2140
:
a hope
:2013/06/25(火) 18:46:46 ID:edEDolt2
みなさま ありがとうございます。
みなさまのご投稿からたくさんお勉強させていただいています。
内容が、とても深いのでなかなか思うように進みませんが・・・。
わたしは榎本恵吾先生の御文章はたとえ十分理解できなくても、拝読していると気分がどんどん軽くなっていきます。
それは、恵吾先生ご自身が、実相独在をまことに悟られていて、そのお心で御文章を書かれているからではないかと思います。
復興Gさまの毎日の貴重な文章の謹写に心より感謝しています。合掌。
ところで、次回 第15回web誌友会ですが、わたしはその週は特別な用事はないので喜んで参加させていただきます。
わたしは前回と同じように、前半に復興Gさまのご講話を聴かせていただき、
後半部分で訊け管理人さまに司会をお願いするという形のweb誌友会を希望します。
前回、復興Gさまのご講話からみなさまの発言が広がり、後半部分にも活発な意見交換がありとてもお勉強させていただけましたので・・・。
また、訊け管理人さまの素晴らしい司会に、安心して参加することが出来ました。
今回もまた同じようにしていただけたら、とてもうれしいです。
2141
:
a hope
:2013/06/25(火) 18:47:35 ID:edEDolt2
>>2138
ユタカさま
<<範囲内で自主勉強をいたしましょうぞ!>>
了解しました。
聖典「生命の實相」は、同じ場所を繰り返し読むことでさらにのだ深く「真理」が魂に浸み込んでいきますものね!
自主勉強の範囲も、web誌友会の範囲と同じ、
――――
テキストの範囲は
『生命の實相』第3巻「生命篇上」第1章〜第5章まで全部
――――
ですね。
ゆっくり読み直すことができて、うれしいです。
2142
:
a hope
:2013/06/25(火) 18:51:22 ID:edEDolt2
>>2141
訂正
同じ場所を繰り返し読むことでさらにのだ→同じ場所を繰り返し読むことでさらに
2143
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 21:44:59 ID:R1D4Jmeg
訊けさまも一緒にご発言するというルールでどうでしょう?
司会だから、発言を控えていて気の毒ですから。。。
2144
:
トキ
:2013/06/25(火) 21:56:32 ID:m45oDcl2
「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
>>1118
でa hope様がご提案されていますが、復興G様が紹介されている榎本恵吾先生や他のご文章は貴重な
もので、続けて拝読したい人も多いとおもいます。
個人的には、専門の掲示板の場所を設定しても、その価値があるとおもいますが、復興G様は
どうお考えでしょうか。
合掌 ありがとうございます
2145
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 22:23:58 ID:R1D4Jmeg
>2144
途中で抜けると通して意味が分からなくなるので、トキさんが毎日コピーして他に移して欲しい。
2146
:
復興G
:2013/06/25(火) 23:21:00 ID:AB6RqYXc
>>2144
:トキ様
ご愛念ありがとうございます。
お返事遅くなりました。
榎本先生のご文章などを掲示する専門の掲示板を設定して頂ければ、こんなありがたいことはありません。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
合掌
2147
:
ユタカ
:2013/06/25(火) 23:45:05 ID:R1D4Jmeg
>>2114
こんにちはさま、
榎本先生は酒乱に近い位ののんべえさんだったのですか?
生長の家酒豪ランキングをつけると どうなりますか?
志恩さま、
ジェット機でなく戦闘機かも知れませんよ。
最近、みんなを見かけないけど、髪の子さんとかどこにいってしまったのかな?
2148
:
ユタカ
:2013/06/26(水) 00:00:00 ID:R1D4Jmeg
>>2117
志恩さま
毎回、フォローを有難うございます。志恩さんがいらしゃると、頭の中が整理できるので大変有難いです。
ありがとうございます、お世話になっています。
2150
:
こんにちは
:2013/06/26(水) 01:23:28 ID:nSg7g3W2
>>2147
ユタカ様
>>榎本先生は酒乱に近い位ののんべえさんだったのですか?
>>生長の家酒豪ランキングをつけると どうなりますか?
このコメントは冗談で言ってるのか本気で言ってるのかよく分かりませんが、まじめに話しますと、私の言ったエピソードは酒豪とか酒乱とかとは関係ありません。
客人が心からのプレゼントとして持ってこられたことに、榎本先生は全身で喜びを表現された、ということです。
それは、榎本先生らしい最高の礼拝であり、愛の表現であったと思います。
普通の大人なら分別ある抑制された行動をとるものですが、榎本先生は喜びを素直に爆発させました。
これは、やろうと思ってできることではない、と思います。
本部講師としての体面とか、常識とか、健康の問題とか、様々なことが頭の中を駆け巡ってしまうものです。
もちろん、榎本先生を良く知る信徒さんからのプレゼントだからこその行動ではあったと思いますが。
榎本先生は、「いのちがけで喜ぶんだ!!」とおっしゃっていたそうです。
講話を拝見していても思うことですが、榎本先生は時として、非常に厳しい表情をされます。
もう恐いくらいの厳しさです。
ここに、私は榎本先生の生き様を見ます。
実相独在に賭ける姿勢がいかほどのものであったか!!を思うのです。
榎本先生は信徒に対して非常にお優しい方でしたが、その裏側にはとんでもない厳しさがあったことを思うのです。
これは、谷口雅春先生にも言えることですね。
榎本先生は、生命の実相拝読も、神想観も、半端ない実践量だったそうです。
きっと、それは義務とか日課ではなく、榎本先生にとって生きることそのものだったのでしょう。
だからこそ、半端ない量を実践し続けられたのでしょうね。
復興G様やユタカ様には申し訳ないのですが、私は榎本先生のお話を読んで素直に「ハイ」とは受け取れないんです。
「ハイ」と受け取ることが、いったい何を意味しているのか?を思うと、とてもとても「ハイ」なんて言えない。
自分のいのちを神様に全部預けてしまえるのか??って。
神様が「この絶壁から飛び降りろ」と言われたら、本当に飛び降りられるのか?って。
でも多分ね、たとえば徳久先生なら、谷口雅春先生がそう言ったら、本当に飛び降りたと思うんですよ。
徳久先生の、谷口雅春先生を絶対的に信頼するお気持ちは、とんでもなく凄かったですから。
そしておそらく、榎本先生もまた、飛び降りたと思うんです。
榎本先生は、そういう方だと思います。
だから、a hope様がおっしゃるように、榎本先生の言葉を読むと心が軽くなるんですよ。
全托されて大安心している者の言葉ですからね。
私には、なかなかマネのできることではありません。
でも、生きるとは、そういうことだと思います。
榎本先生のような方こそ、本当に生きている人なのだと思います。
2151
:
志恩
:2013/06/26(水) 02:37:37 ID:.QY5jUA6
>>2148
:ユタカ様
戦闘機と言ったら、訊けさんです。
2年前のこと、訊けさんは義春さんに「義春、いくぞ!」と声をかけ、義春さんも「よっしゃ」と
答えて、二人揃って戦闘機に乗りこみ、たびたび 本流掲示板の冊越えを試み、その度に、
二人とも、満身創痍になって帰還していたことが、義春さん 亡き今,懐かしく思い出されます。
2152
:
志恩
:2013/06/26(水) 02:41:56 ID:.QY5jUA6
酒乱の人とは、お酒を飲んだあと、暴力を振るったり、暴言を吐いたりする人のことを言います。
お酒を飲んで、楽しくなったり、朗らかになる人は、酒乱とは、言いません。(笑)
2153
:
志恩
:2013/06/26(水) 03:30:19 ID:.QY5jUA6
こんにちは様
復興G様もそうですが、こんにちは様も、榎本恵吾先生と親交がおありになったお方のようですね。
私は、本部に恵吾先生がいらしたころの、まだ幹部候補生でいらしたころの、
まだ お若くて無口でいらしたころの恵吾先生時代しか
知りませんので、宇治へいらしてからの、榎本恵吾先生をよくご存知の方々を、羨ましく思います。
恵吾先生の追悼文集「おわりなくはじめなく」は、恵吾先生のエピソード満載なのですけれど、
金太郎あめのように、どこから切っても 同じである 裏表の無い 信仰の天才、愛すべき人柄でいらした
誰に対しても、ものすごく愛深く誠実でいらした恵吾先生の素顔が偲ばれます。
平成17年7月12日「榎本恵吾先生」は、座亡で逝かれたそうですが、
座亡(座ったまま亡くなる事)で逝くことの出来る人は、余程の悟りの開けた篤い信仰者のみだと聞いた事ありますけれど、
これ1つとりましても、並のお方ではなかった。
ーーーーーーーー
亡くなる当日の事も,宇治のvoiceに書かれてあります。
楠本先生のお話〜
(簡略化して書かせて頂きます)
7月12日、早朝3時半から神癒祈願をされて、4時半からの幽斎殿での神想観の先導をしてくれた。
5時10分からの大拝殿の早朝行事(神想観、聖経読誦)にも、いつもの様に一番前で
元気のよい大きな声を出していた。
9時の全体朝礼の時も一番前に坐っていた。
10時の部長会議にも出席した。
13時の幽斎殿での神想観の先導もした。
すべての行事を果した後、気分が悪くなったので帰宅したのであった。
その時、奥様に連絡があり帰宅、御主人と共に聖経「甘露の法雨」を誦げつづけた。
すると突然倒れた。つまり坐亡だったわけである。高級霊でした。
そして、
20年間、一日も休まず早朝行事に出席されていた。
神癒祈願部長として。毎日、5000人の祈願をしていた。
お通夜にも告別式にも多くの人が参列して中講堂に入れきれず外にも立っていた。
-----------------------
20年間、一日も休まず、皆勤で早朝行事に 出席されていらしたということも、
口先だけでなく、実際に 実践されていらしたことを 物語っているなあと、
榎本先生の生き方に、ほんとうに感動しました。
2154
:
復興G
:2013/06/26(水) 08:06:24 ID:AB6RqYXc
皆さま、ありがとうございます。
榎本恵吾先生を偲び、感謝をこめて、今日も 『神癒の展開としての人類光明化運動』 の謹写掲示をさせていただきます。 合掌
『神癒の展開としての人類光明化運動』
―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
榎 本 恵 吾
七 (1日1文ずつ謹写掲示。cf.
>>2084
)
『聖使命菩薩讃偈』には「己れ未だ度(わた)らざる前(さき)に、一切衆生を度さん」とするものが最上、最尊、甚深微妙(じんじんみみょう)不可思議と讃えられているのである。
しかしながら『生命の實相』の中には、自分が先ず救われなければ、救われたという状態はどのような状態であるかが解らないから他を渡しようがなく、救いようがないのであるということを、「自分に深切であれ」という教えの言葉が引用されて説かれているのである。
また別のところで、あるキリスト教の牧師が “神様と約束した人数を集めることが出来なかったので、神様に申し訳ない” と言って神経衰弱にかかっているのを尊師がお聞きになって、こういう人は、数という外のものによって傷つけられるところのものが自分であると想っているからであり、外が崩れると自分も崩れてしまうような気持になるのであって、その点キリストは、右の頬を打つ者があったら左をも打たせよ、と言われ、十里の公役を強(し)いられたならば二十里を行け、と言われて外の形によって決して傷つくことのない實相の自分というものの自覚があったために、イエスは悩み給わなかったのである。というふうにお説きになっているのである。
このように、自分が救われることが先であるとし、数は外であり、形であり、すなわち現象であるから、それは無いのであるという観方は現在ゆるされるのであろうか、ということである。
即ち、神想観で 「吾れ今五官の世界を去って……」 と言った時、『自分も他人も、光明化運動も去って……』 ということであるとしてよいかどうか、ということである。
五官の世界の説明において 「五官の世界は現象と言って、不完全もあれば完全に近いものもあり、貧乏もあれば金持ちもある。病人もあれば健康な人もある。戦争もあれば平和もある。そして、人類光明化運動の進んでいるところもあれば、遅れているところもある………」 と言ってしまってよいかどうかということである。
『生命の實相』 の全読運動をおしすすめるということは、このように書かれていることを見逃さず、全面的に拝読せよ、ということになっているのだ、ということを銘記すべきである、と想うのである。
また、かつて終戦直後、尊師谷口雅春先生は愛媛県の宇和島にご進講になられた時の話であるが、外を歩いている時、雨が降って来そうだったのでお伴をしていた河野初喜(こうのはつき)さんというご婦人に傘を、家まで取りに行ってもらった。少しして引っ返して来たそのご婦人は傘を持っていないのである。事情をきいてみると、「主人は雨はふらんよ、と言いましたので持って来ませんでした」ということであった。
そのことについて「無病常楽の神示講義」の中で、これでこそ本当の妻の生き方であり、主人に向かってこのご婦人がもしも「あなたより偉い谷口先生がおっしゃっているのだから持っていく」ということになると「お前、どこの奥さんじゃ?」ということになってしまってそれは生長の家ではない、と言われ、本当に愛していたらその人のいうようにしてあげたくなるのであると話されて、ご講習会に奥さんが行こうとしている時、主人は映画を見に行く、と言われたら一緒に行ってあげたくなるのが愛であって、「あなたは映画に行きなさい。私はご講習会に行きます」では、生長の家ではないことになるというお話である。尊師谷口雅春先生のご講義を聴きなさいということは、このようなお示しを素直に聴き入れなさい、ということなのである。(1998.7.7)
2159
:
解説者
:2013/06/26(水) 09:36:26 ID:???
復興G様
学生時代に参加した宇治の大学生練成会で榎本恵吾先生のご指導がありました。
祈り合いの神想観の説明と実修でした。
榎本先生は黒板にニッコリと微笑む太陽の絵を描いて、とてもわかりやすく「現象なし」の教えを説かれました。
参加者の中に足の不自由な女の子がいて、祈り合い神想観が終わったときに、
「私、歩けるような気がする!」と元気いっぱいに歩いたのを目の当たりにしました。
休憩時間中に榎本先生を訪ねて、ノートに太陽やお地蔵さんの絵を描いていただいたこともよい思い出です。
復興G様が謹写してくださった榎本先生のご文章は拝読後すべてワープロソフトに保存しています。
すばらしいご文章を謹写してくださってありがとうございます。
感謝合掌
2160
:
復興G
:2013/06/26(水) 10:55:28 ID:AB6RqYXc
>>2159
:解説者様
>>学生時代に参加した宇治の大学生練成会で榎本恵吾先生のご指導がありました。
祈り合いの神想観の説明と実修でした。
榎本先生は黒板にニッコリと微笑む太陽の絵を描いて、とてもわかりやすく「現象なし」の教えを説かれました。
参加者の中に足の不自由な女の子がいて、祈り合い神想観が終わったときに、
「私、歩けるような気がする!」と元気いっぱいに歩いたのを目の当たりにしました。<<
ほー。・・・そんなことがありましたか。
ありがとうございます。
トキ様、さっそく 「web誌友会参考文献板」 を作って下さり、ありがとうございました。
ありがたく、使わせて頂きます。 感謝 合掌
2161
:
復興G
:2013/06/28(金) 06:48:20 ID:AB6RqYXc
皆さま、おはようございます。
この誌友会板、少し静かになっていますが、次回は
>>2137
で、次のように提案させていただきました。
* * * * *
第15回web誌友会の日程として、
7月12日(金)21:30より
7月13日(土)23:30
テキストの範囲は
『生命の實相』第3巻「生命篇上」第1章〜第5章まで全部
というのを提案させて頂きます。
司会は、前回に続き、「訊け」管理人様にお願いできるでしょうか?
「復興Gの講話」というのは無しでよろしいのではないかと思います。いかがでしょうか。
* * * * *
――以上の提案に対して、ユタカ様 ・ a hope 様などから賛意のコメントをいただいており、反対・別提案などはいただいておりませんが、
>>司会は、前回に続き、「訊け」管理人様にお願いできるでしょうか?<<
に対して、まだ「訊け」管理人様からお返事をいただいていません。しかし、できないとも言われていませんので、基本的にはご承諾いただけたものと思っています。が、確認のお返事がほしいです。
>>「復興Gの講話」というのは無しでよろしいのではないかと思います。いかがでしょうか。<<
に対しては、a hope 様から
>>わたしは前回と同じように、前半に復興Gさまのご講話を聴かせていただき、後半部分で訊け管理人さまに司会をお願いするという形のweb誌友会を希望します。
前回、復興Gさまのご講話からみなさまの発言が広がり、後半部分にも活発な意見交換がありとてもお勉強させていただけましたので・・・。
また、訊け管理人さまの素晴らしい司会に、安心して参加することが出来ました。今回もまた同じようにしていただけたら、とてもうれしいです。<<
と、ご希望のコメントを頂戴しました。
で、「講話」というような投稿をするとすれば、上記の
7月12日(金)21:30より
7月13日(土)23:30
の前に、ということになると思います。
7月12日(金)21:30からは「訊け」様の司会で、ということで進めて頂きたいと思います。
なお、ユタカ様主導の「自主勉強会」は、それまでの間に自由にしていただけば、と思います。
<つづく>
2162
:
復興G
:2013/06/28(金) 06:50:05 ID:AB6RqYXc
<つづき>
なお、信仰/体験板の>1112で a hope様が、
>>【a hopeの自主勉強】
「生命の實相」 頭注版 第4巻はしがき〜第1章 『人間は 「肉体」 ではない話』 P23まで拝読しました。
わたしが赤線を引いたところをこの板で紹介させていただきます。
本文P2後ろから5行目〜(まえがき部分)
<<全身全霊をもって、生命の実相につらぬき入るには、この書を頭で読もうとせず、全身全霊で読む、黙読する、朗読する。目で読み、声で読み、声のリズムの中に自分を溶かし込んで読む、そして静かに端座して「神想観」を行じ、行じ終って動き出すとき神(愛)の生活を生きる、かくする時、知恵と愛とのそろった生活が実現するのであります。>>
(所感)
聖典「生命の實相」は、なぜ、聖典と呼ばれるようになったのでしょうか? それは、その書に書かれている言葉が神さまの言葉で、それを病人や悩んでいる人が読むだけで、病気が治ったり、悩みが解決したからだと思います。
ですが、ただ頭で読むだけではそのような奇蹟は起こらないようですね。
ここの部分に、「生命の實相」の拝読の詳しい説明がされていました。
数年前に拝読したときに赤線を引いたのですが、ほとんど忘れていました。
わたしは今まで朗読をしたことがないので、今回してみようかと思います。
<<声のリズムの中に自分を溶かし込んで読む、そして静かに端座して「神想観」を行じ、・・・>>とあります。
なんか、すごく効果がありそうな気がします。<<
と、書いて下さっていました。
『生命の實相』 の拝読は、そのような姿勢、気持でさせていただくと素晴らしいですね。
この誌友会では、「論議」 「論争」 をするよりも、「共感」 「共鳴」 し合って、生活が変わり、体験が出てくるようでありたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
合掌
2163
:
「訊け」管理人
:2013/06/28(金) 23:26:06 ID:???
>>復興Gさま
>>WEB誌友会・参加予定各位
返事が遅れて仕舞いまして、申し訳ありません。さっそく
>>2161
の件に関して、返答致します。
さて、今回の誌友会ですが問題は、7月13日(土)になりましょうか。司会指名を受けました当方ですが、たぶん、同日以下の時間帯は參加不能になると思われます。「それでも構わない」「その間は他の者が、議論を整理する」など、その様な条件であればお受け致します。ですが、「それでは不十分」ということになりましたら、どなた様かに代わって頂きたく思います。
さてその、13日のスケジュールです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<司会が出来ない時間帯>
○ 9:00〜12:00 (少年野球チーム練習)
○ 16:30〜23:00 (夏祭り準備+高校生へ勉強を教えることになっている+飲み会)
※ 司会出来る時間帯は日中、12:00〜16:00までの4時間ほどになりそうです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・さて、繰り返しになりますが「それでも構わない」というご意見でありましたら、司会の方は喜んで拝命致します。ですが、「ちょっとこれでは・・・」がご返答になりましたら今回、司会は別の方に代わって頂きたく思います。
以上、当方の予定をお知らせ致しまして、皆様からのご返信をお待ちすることと致します。
拜
追伸
さて、これは提案です。このWEB誌友会ですが、どうぞ司会をされてください。出来れば「輪番が好ましい」とも、考えます。なぜと申して最も勉強になるのは、この、司会者だと思うからです。
・・・・・まあ、相当に資料を読み込まねばなりません。さらには、議論錯綜の際は「方向を修正せねば」なりません。それは大変ですし、心ない言葉も浴びます。それでもこれ、非常に勉強になります。(保証致します)私だけで独占するのは、申し訳ないくらいです。ですので出来れば、輪番が好ましいと思いますが、いかがでしょう。
2164
:
復興G
:2013/06/29(土) 08:52:30 ID:AB6RqYXc
皆さま
特に web誌友会に熱意ある
ユタカ様、 a hope 様
「訊け」管理人様が
>>2163
のようにおっしゃっていますが、どうしましょう?
2165
:
a hope
:2013/06/29(土) 10:12:12 ID:edEDolt2
>>2163
>>2164
訊け管理人さま 復興Gさま
わたしは、web誌友会の利点は、ある程度時間にとらわれなくていいということだと思っていますが、
やはり、ご講話に関しての講師の先生への質疑応答に関してはある程度時間の区切りがないといけないのではないかと感じています。
ですが、復興Gさまのとてもレベル高いご講話にすぐに反応できる方は少ないのではないかと思います。
前回も、前半の復興Gさまのご講話を拝読して自分の考えをまとめるまでにかなり時間を要しました。
訊け管理人さまが
<<・・・・・まあ、相当に資料を読み込まねばなりません。さらには、議論錯綜の際は「方向を修正せねば」なりません。 >>
とおっしゃっているようなことをすることは、わたしは家庭の仕事もありますし、自分が「ご講話」の内容を理解する事だけでで精一杯ですからとてもできません。
ですから、やはり訊け管理人さまが適任ではないかと思います。
たとえば、前半の部分の司会とご講話などに関しては復興Gさまにお任せして、とりあえず終了という形をとった後、
後半部分に関しては(日時や進行の仕方、内容等)は訊け管理人さまにお任せしたらいいのではないかと思いますがいかがでしょうか?
ユタカさまはどう思われますか?
2166
:
「訊け」管理人
:2013/06/29(土) 12:10:19 ID:???
>>WEB誌友会・参加各位
解りました。それでは以下、私の提案を掲載致します。なお以下提案ですが骨子は、完全に「司会者サイドだけの都合」です。この、私ダケの都合を「優先したもの」という意味です。極論めいたものを提示しますが、目的は「落とし処を探ること」になります。その為の以下掲載文です。
さて、司会である私サイドの都合だけで、今回の誌友会を進めるならば、以下がよいです。それは、
●終了日時を、15日(月・祝日)23:00とする。
というものです。これならばご迷惑ですが、最小限になるのかもしれません。
そして終了日時を上記のとおりとすれば、13〜14日は私が居なくとも、成立すると考えます。15日も時間が取れるか微妙ですが、少なくとも夕刻以降は登場できると思っています。(ちなみに同日15日は、幼稚園児に「ライフジャケットを付け」させて、「海に放り投げる」というイベントがあります。私、メイン人物のひとりに、されてます。逃れられません。で、そのため13〜14日も不測の事態が起りえます。準備のための時間で、「あれ、どうなった?」系の問い合わせが急遽、来るかもしれぬのです・・・いやなにせ、このイベントは「園児を海へ放り投げる」と云うものですからw)
・・・・・話が長くなりますが、上記条件ではいかがでしょうか。まあ無論、これは皆さんから見れば「極論」に映るかもしれぬ、そんな提案だと思います。ただし現状、〝正しい妥協を模索する〟必要を感じております。私サイド〝だけ〟の都合では「こうなります」 ――そんな提案を一度、明確にするのは意味があると感じた次第です。ですので、「本案以外ならば、私は司会しません!」てな性格のものでは、ございません。そこまで偏屈な男ではございませんので、その辺はご理解賜れますよう、宜しくお願い致します。
拜
追伸
なお追記です。
>>2163
掲載の「13日の予定」ですが、司会が可能な時間帯をもうひとつお知らせ致します。
●司会可能な時間
・ 早朝5:00〜8:00までの3時間
・12:00〜16:00までの4時間(既述)
です。よろしくお願い致します。
2167
:
志恩
:2013/06/29(土) 18:20:49 ID:.QY5jUA6
私は、復興G様、トキ様、訊け様、ユタカ様、SAKURA様、ahope様
ほか、参加される皆様のご都合に合わせますので、よろしくお願いします。
13,14,15と3日間もあるのでしたら、
訊け様のご都合のつかない日は、ユタカ様が、ご都合がつけば、なさって下さってもと思いますが。
お二人が、司会者というのは、いかがでしょうか?
ところで、ユタカ様は、最近、おみえになりませんね。
お元気でしょうか。
2168
:
志恩
:2013/06/30(日) 09:13:33 ID:.QY5jUA6
ユタカ様は、沈思黙考に入られたご様子。
今日になっても、お返事、ありませんものね。
訊けさん、3日間もたいへんですが、ご都合のつく時間に、
復興G様をサポートして下さり、司会をなさって下さいますように
お願いします。
2169
:
ユタカ
:2013/06/30(日) 22:15:50 ID:R1D4Jmeg
こんばんは、毎日はでてこれません。失礼しています。
WEB誌友会ですが、復興G様が講話は無しでとおっしゃいます。
では、みんなでどう進んでいきましょうか?? テキストの範囲の中を読み、自分のここは!と思った箇所を貼り付けて
>>2162
復興Gさまのように 所感を貼っていきましょうか??
あまり復興Gさまを頼りすぎてもいけませんので。。。 そして、あとは、訊け氏の楽しい会話で花を咲かせてはいかかでしょうか?・・
皆さん、ドンドン提案してくださいね!!!
よろしくです。
2170
:
志恩
:2013/06/30(日) 23:47:58 ID:.QY5jUA6
ユタカ様
いらしたのね。よかった。
訊けさんが、司会として出て下さる時間帯が、少ないようなので、
訊けさんが来られないとき、ユタカ様のご都合のつくとき
復興G様のフォローを
おねがいできたら、ありがたいのだけれど、と思っていました。
トキ様は、全体を見て下さってますし、ahopeさまや、SAKURAさまも
いらっしゃるから、安心。。
2173
:
a hope
:2013/07/01(月) 10:01:01 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。
訊け管理人さまがお忙しい中、司会を受けて下さりそうでうれしいです。
そして、ユタカさまが登場されてわたしもホッとしました。
また、志恩さまがいつもお話をまとめてくださるのでそれもいつもとてもありがたく感じています。
わたしは、昨日、やっと前回のweb誌友会と後夜祭の部分を拝読し終わりました。
本当に、レベルの高いお話ですごいな〜感動しています。
ここ、トキ掲示板のweb誌友会がこのレベルの高さを保てるのは、
やはり復興Gさまのご指導があるからなのではないかと感じています。
ですが、
>>2169
でユタカさまがおっしゃるように、
いつまでも復興Gさまにたよってばかりでもいけないような気もします。
それでも、わたし個人としては、web誌友会の始めに復興Gさまのご講話が聴きたいです。
今、復興Gさまが毎朝、榎 本 恵 吾先生の「『神癒の展開としての人類光明化運動』
― 「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―」を、web誌友会参考文献板に謹写くださっています。
わたしも毎朝拝読していますが、実相独在を悟っていないわたしには、なかなかすんなり理解するのは難しい内容だと感じています。
たとえば昨日の「十一」の内容は、『運動の目標数』について書かれています。
実際に、昨日は埼玉教区で総裁先生の講習会があったようですが、本流対策板でトンチンカンさまがその参加人数を投稿してくださっていますが、
総裁先生ご自身が、とても数にこだわっている様子がうかがえます。
そして、学ぶ会さまの掲示板を拝見しましても『見真会』や『大会』の度にその参加人数を大きく公開されています。
確かに、参加人数が多ければ「素晴らしい内容だから人が集まったのだろう」と、一般の人は感じるかもしれませんが、
実際のところはどうなのでしょうか?
そこで提案ですが、もし、次回web誌友会の前に復興Gさまがご講話をして頂けるのであれば、
この、榎本恵吾先生の御文章の解説のような形でしていただけるとわたしたちはとてもお勉強になると思いますが、
みなさまいかがでしょうか?
(わたしは別に「十一」の内容でなくてもいいと思っていますが・・・)
2174
:
復興G
:2013/07/01(月) 17:30:21 ID:AB6RqYXc
皆々様
第15回 web誌友会について活発なご意見、ありがとうございます。
結局、「訊け」管理人様が司会を引き受けて下さって、
開始日時は最初の予定通り
●7月12日(金)21:30より で
●終了日時を、15日(月・祝日)23:00とする。
ということで、よろしいわけですね。
それから、私は
>>2137
で
>>「復興Gの講話」 というのは無しでよろしいのではないかと思います<<
と書いていましたが、a hope 様のご希望もありますので、
7月12日(金)の夕方までに、そのようなものを書き込ませて頂きます。
2175
:
トキ
:2013/07/01(月) 18:39:58 ID:aEgZVZqI
復興G様、
ご多忙の中、ご指導を賜ります事を深く感謝申し上げます。
この誌友会は、多くの信徒の貴重な指針になっています。
今回もよろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
2176
:
ユタカ
:2013/07/01(月) 21:41:40 ID:R1D4Jmeg
良かった、良かった。 a hopeさまのおかげです。
私も復興G様のご解説を楽しみにしております!!
全世界も注目だろーーなぁーーー!!
2177
:
ユタカ
:2013/07/01(月) 21:45:10 ID:R1D4Jmeg
すみません、いつもいつも志恩さまに大変お世話になります。いつも暖かく見守ってくださって感謝いたしております。
トキさま始め皆々様、本当に有難うございます。
これからもよろしくお願いいたします。
2178
:
「訊け」管理人
:2013/07/02(火) 06:52:49 ID:???
やや余談です。復興Gさまご謹写文 ――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― ですが、今朝も感動しました。
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「生長の家は世界一の教えであるのに、なぜ、○○学会のように集まらないんですか?」
とお尋ねしたのである。幸いに満ちたよろこばしさの雰囲気の中に、尊師は
「今のうちにあのように集める練習をしておいて貰って、そのうちにこちらが話しに行くようになるのです」
と言われたのであった。
全文ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/17
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2179
:
a hope
:2013/07/02(火) 08:31:09 ID:edEDolt2
>>2174
復興Gさま
>> >>「復興Gの講話」 というのは無しでよろしいのではないかと思います<<
と書いていましたが、a hope 様のご希望もありますので、
7月12日(金)の夕方までに、そのようなものを書き込ませて頂きます。 <<
ありがとうございます。合掌。
榎本恵吾先生の――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― をプリントアウトしてゆっくり拝読し直しました。、
そうすると、それ自体が「生長の家の教え」(『生命の實相』)の現代版解説書のように思えてきました。
わたしが今まで疑問に思ってきたことへの回答が、スパッと書かれていて目から鱗が落ちていくようです。
たとえば、「人類光明化運動発進の宣言」についても、それは方便的宣言であり、状況論であるとハッキリ書かれています。
これは、すごい真理に満ちた御文章だと感じています。
毎朝の楽しみがまた一つ増えました。
また、復興Gさまのweb誌友会前の「ご講話」も本当に楽しみです。
復興Gさまのあたたかいご愛念に心より感謝します。
合掌。
2180
:
復興G
:2013/07/04(木) 15:28:35 ID:AB6RqYXc
「参考文献板」 <15> 『神癒の展開としての人類光明化運動』 十一
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/15
に、
>>運動の目標は数によって表現せられているが、それは 「吾が内に神が今ここに、そして天国は今ここにある」 という、宗教的個中の消息の雰囲気とはおのずと様相を異にしている…… << (抜粋)
とありました。
それについて a hope 様が
>>2173
で
>>実際に、昨日は埼玉教区で総裁先生の講習会があったようですが、本流対策板でトンチンカンさまがその参加人数を投稿してくださっていますが、総裁先生ご自身が、とても数にこだわっている様子がうかがえます。
そして、学ぶ会さまの掲示板を拝見しましても『見真会』や『大会』の度にその参加人数を大きく公開されています。
確かに、参加人数が多ければ「素晴らしい内容だから人が集まったのだろう」と、一般の人は感じるかもしれませんが、実際のところはどうなのでしょうか? <<
と、問いかけられました。
それにお答えしたいと思うのですが、ちょうど、この問題に関係の深い一つの投書(手紙のコピー)を保存してあったのが、昔の資料を整理しているうちに偶然に出てきました。そのお手紙をご披露したいと思います。
その投書は、十数年前――多分平成10年頃に出されたものと思われるのですが、日付けが記録してないので、明確ではありません。差出人は 「一地方講師」 としてあるだけで、お名前はわかりません。
宛先は、「生長の家の本部並びに幹部の方々へ」となっていて、本部および全国各教区の教化部長などに送られたもののようです。それは便箋10枚に細かい字でぎっしり書かれている長文のお手紙(コピー)なのですが、一部省略、整理してご披露したいと思います。
* * * * * * *
合掌
私は一地方講師として末席を汚すものでございます。
最近、『生命の實相』第37・38巻を拝読整理する時間を得まして、整理しているうちに、素朴な疑問が様々に湧き上がってきまして、「12月27日」 のご文章
≪――いつまでも他の欠点を見ながら、それを言い現わすこともできないで、常にグジグジ心の中で思い煩っている者は、自分自身を切り虐(さいな)んでいる者であるとともに、相手からも見くびられて尊厳を失墜するものである。≫ とあるご文章に励まされ、勇気を持ってペンを取りました。
その疑問とは、まず「数の運動」及び「美しき日本への想い」についてです。
<< 「量」 より 「質」 の運動を >>
(聖典より)
「11月21日」――仕事ができるばかりが能ではない。長上に対する敬愛と従順とが失われたら価値の大半は失われる。仕事は量であり、敬虔と従順は質である。「質」が「量」より尊ばれるのは当然である。それを逆に「量」を「質」より尊んだのが赤の思想である。日本精神は「量」より「質」を尊ぶのである。
『女性の幸福365章』p.376――愛するとは一体の自覚である。吾等はは父祖の生命から生まれ、父祖の生命を承け継ぐ。父祖との一体感から父祖が築き上げてきたこの日本国を愛するのである。愛国心とは父祖を愛する孝心につながるのである。
「5月30日」――中心帰一理念こそ真統(ほんとう)の日本人の深い感動の根本となっている。楠木正成(くすのき まさしげ)の辞世の語 「七生(しちしょう)報国」 は 「七度(ななたび)生まれ変わって国の恩に報いること」 である。
「7月4日」――故人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。
「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。
(生長の家もその理念を失った時、弱体化するのではないでしょうか)
日本を大いに復興しようと想うならば、日本の理念を復興しなければならない。
* * (投書者が聖典より抜粋 一応ここまで) * *
<つづく>
2181
:
復興G
:2013/07/04(木) 15:29:36 ID:AB6RqYXc
<投書文のつづき>
尊師谷口雅春先生には 「日本の天皇制は日本民族 いや全人類の最大遺産、最高芸術である」 と教えて頂きました。
そのかけがえのない天皇制の存在意義を、私たち生長の家を継ぐ者が将来にかけても皆に伝えていかなかったら、果たしてどうなるでしょうか。日本民族からますます 「愛国心」 を失わしめ、先祖、親への誇りは持てず、その末裔である私たち自身の尊厳性を失墜せしめることになってしまいます。
今よく言われます「国際化」という遠心力の土台たる求心力の 「愛国心」、先祖供養の心、親孝行、そして 「われ神の子なり」 の自覚を少なからず崩していくことになると思います。
(中略)
今の現実は、入会して真剣に道を求めようとすると、教えの勉強を深く繙(ひもと)く事より、愛行重視に傾きすぎて、「数・数」 と 「数」 のお化けに振り回され、幻滅し、重い心を引きずりながら結局組織の兵隊になり、将棋の駒のように追い回されて身も心も磨り減っていく。「数」 で人を裁き、悲しくも一番大事な 「互いの実相を大切に拝み合う美風」 はかなり失くなってしまいました。
全力で献身された方ほど、病気になって倒れたり、ノイローゼになって入院されたり、この喧噪を避けるため人知れず故郷に戻られたり、そして耐えられずに哀しみ怒りを内に秘めながら組織を離れていく人が、かなりの数に上っていると聞きます。昔は決してこうではなかったように思います。
またそのように真剣に教えを求め殉じようとする人と、例えば頼まれた義理で遊び半分に講習会のみに出かける人の重みが、ただの“一人分”として同じであることに大きな疑問を感じます。
本当は真に神の意志による組織であれば、すべての人の個性を尊重し、育んでいく。数を集められる個性も、他の素晴らしい個性も共に大切にされる世界であるはずです。
そして 「数」 に追われるような形式的な中心帰一でなく、「尊師が御心とされた神の御意志、麗しき真なる中心帰一の秩序のもと、すべてを愛し、育み合う世界の実現」 こそ第一に優先されるべきではありますまいか。
谷口雅春先生は、私たち誌友、そして全人類の悦びと幸せを真に願われ、勿体なくも、私たちを 「菩薩」 と拝まれました。その崇高なお姿に接し、私たちは常に襟を正さずにはいられませんでした。(中略)
今は講習会の大量の券の他、数多くの行事出席のため、お金は湯水の如く半強制的に集められ、多くの誌友は苦しんでいます。その多額の浄財は運動のための資金として本当に必要なものなのでしょうか。
(聖典より)
<「12月4日」――真の宗教は生を明らめ生きる道を明らかにし、人間の生活をして真に幸福ならしめるところのものである。真の宗教とは決して教会や寺院で勝手に定めて、それを信者に強制する教条や規則ではないのである。その意味ではかえって職業宗教家より自由思想家、むしろ無宗教家といわれている人に、真の宗教を体得した人があるということができるのである。>
現在の生長の家の指導者たる皆様方は、谷口雅春先生のこの御教えを敬愛し、「光明化運動を力強く推進して行かねば」 との使命感に燃えていらっしゃる点、心より素晴らしく有り難く思います。ただそれをあまり急ぎすぎて、残念ながら大事な点がちょっと忘れられているのではないかと、この一連の尊師の御言葉に接して感じました。
(後略)
* * * * * * *
以上で投書文の紹介をおわります。
上記投書の手紙文が出てきたのは偶然ですが、偶然とは言えない何かがあるような気がしました。運動成果の 「数」 にこだわる問題を取り上げているときにちょうど、ひょっこり出てきたからです。
投書は十数年前のことですが、今でも通ずるものがあるのではないかと思われます。
<つづく>
2182
:
復興G
:2013/07/04(木) 15:30:37 ID:AB6RqYXc
<つづき>
さて、去る6月30日、私は埼玉教区の講習会に一部参加しました。午前中は地元で誌友会があったのでこれに参加し、12時誌友会終了後すぐ西武新宿線の最寄り駅まで自転車を飛ばし、所沢のサブ会場「くすのきホール」に駆けつけましたら、午後1時前に到着できました。
この講習会に誘われたのは、埼玉教区に住むある恩人からで、つぎのようなお手紙をもらっていました。
「今年は<癸巳>まさに変革の年。新しい展開を目指して頑張りたく存じます。今年の埼玉教区最大のイヴェントは講習会でございます。1週間後の7月7日に生長の家本部の落慶式も控えており、大盛況の講習会に致したく存じ、先生にもその一端の担いをお願い致したく、講習会のご案内をさせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。」
――というお手紙で、前回は1枚だったのが2枚の受講券と弁当券が送られていたのです。
そういう幹部の方たちの熱意で、6月30日埼玉教区の講習会は前回比+410人(+5.42%)と伸びたようです。大成功おめでとうございます、と祝福申し上げましょう。
ところで、
>>2173
a hope 様のご質問
>>確かに、参加人数が多ければ 「素晴らしい内容だから人が集まったのだろう」 と、一般の人は感じるかもしれませんが、実際のところはどうなのでしょうか?<<
――について、率直にお答えすると、 “No” だと思います。「素晴らしい内容だから人が集まった」のでは[ない]ということです。
私は、ほぼ断言できます――次回は、きっと減るでしょう、と。
なぜなら、この講習会で総裁のご講話を聴いて救われた、大安心を得たという人は残念ながらほとんどいないと思われるからです。本当に悲しいことですが、それが私の率直な感想です。
それは、本当に泣きたいぐらい悲しいことです。
雅宣総裁には、この信徒の気持ちを分かってほしいです。
ユタカ様は、
>>2121
の私の発言
>>しかし、新しく御教えに触れた方たちが、教団内で 『生命の實相』 も聖経 『甘露の法雨』 も買えないとなれば、由々しき問題です。
それなら 「学ぶ会」 に行けば良い、とは思いません。
なぜなら、真の 「生長の家」 は 「一つ」 であると信ずるからです。<<
というのを読んで、今まで教団から離れていたけれども、教団に復帰して愛行活動をすると決意されたようです。
私は責任を感じています。ユタカさんが教団に復帰して本当に幸せになられるようでなければならない。私にもその責任があると感じているのです。
時あたかも、機関誌『生長の家』の8月号(増頁特別号)が届きました。この全64頁のうち47頁を使って、「対称性の論理を学ぶ」という雅宣総裁の全国幹部研鑽会での講話をまとめた文章が掲載されています。
これを読んで、果たして何人の人が宗教的、霊的向上などを得られるでしょうか。読んでも頭が痛くなるようなご利益(?)が得られるだけでしょう。魂が歓喜し救われるようなご文章ではありません。
講習会での総裁の講話も、同様だと思いました。
私は青年時代から60年以上、生長の家ひとすじに、少し大仰に言えば「命を賭けて」やってきて、こんにち80歳になりました。まだまだこれから自分の本当の人生が始まるのだ、という気持を持っています。しかし限られた今生の人生、一日も無駄に過ごしたくはありません。
<つづきますが、これから行事予定スケジュールが混み合っていますので、つぎはまた来週にお目にかかります。>
2183
:
復興G
:2013/07/04(木) 15:59:30 ID:AB6RqYXc
>>2180
訂正です。
× 「7月4日」――故人は滅しても国家理念は滅びない。
↓
○ 「7月4日」――個人は滅しても国家理念は滅びない。
2184
:
曳馬野
:2013/07/05(金) 00:28:57 ID:vcOZ9g8c
>>2180
「7月4日」――故人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。
七つの光明宣言の「二」に於いて個人の生命、魂の不死を説きながら、国家理念のためにと但し書きの付くのはどうしてでしょうか?
「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。
「国家理念は滅びない」といいながら「久遠無窮の理念が失われた時」とは如何なることでしょうか?
「秘められたる神示」p47、7行目に
「この聖戦に参加する者を常に護らん」とあり、
おなじp132、10行目に
「あの戦争は聖戦だとか皇軍だとか称されたけれども決して聖戦でもなければ」
同じくP133最終行に
「日本は大東亜共栄圏というのを造って経済ブロックをつくり、英米に対して対立的な経済的自給自足圏をつくろうとしたのである」と書かれ
「自然流通の神示」に反する行為が戦争に繋がったと言われている。
生長の家の神の教えに従うとはどうすることだったのでしょうか?雅春先生は「皇軍必勝」と書き軍人に持たせました。
迷いの自壊作用であると知りながら勝つことのありえない戦争を応援したのでしょうか?
本流といわれる人々は何に回帰しようというのでしょうか?50年代に生長の家を指導した人たち、
またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。
2185
:
復興G
:2013/07/05(金) 08:14:12 ID:AB6RqYXc
>>2184
:曳馬野様。
コメントのご投稿、ありがとうございます。
一つずつ、お答えさせていただきます。
≪
>>2180
「7月4日」――個人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。<<
七つの光明宣言の「二」に於いて個人の生命、魂の不死を説きながら、国家理念のためにと但し書きの付くのはどうしてでしょうか? ≫
――七つの光明宣言の「二」には、お説の通り
「二、吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。」
とあります。それと「7月4日」の引用文は、矛盾するでしょうか? 私は、矛盾しないと思いますが――
投書子が引用された 『生命の實相』 第38巻の 「7月4日」 の項は、一部抜粋してあるのですが、その前後のご文章を拝読すると、これは素晴らしい真理のみことばであることがわかる思います。まず、それを謹写させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
七月一日
深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。
思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。
ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。
すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。
思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。
いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。
罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。
元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。
真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。
七月二日
本当の平和はわが心が神に結ばれたときのみに得られるのである。
神さえあれば何も要らない。心に神を持つことは「すべて」を持つことである。神は「すべてのすべて」であるからである。
<つづく>
2186
:
復興G
:2013/07/05(金) 08:14:46 ID:AB6RqYXc
<つづき>
七月三日
われらのすべての経験は、自分の内にある「神」を掘り出す作業である。どんなにそれが失敗したように見えようとも、どんなにそれが深刻であり、悲惨なように見えようとも、それが深刻であり、悲惨であればあるほど、われらの神に通ずる坑道は深く穿(うが)たれてゆきつつあるのである。
深く深く掘り下げてゆくうちには、やがて広々とした世界に出る。そこは、もうなんの悲惨もない、常楽のみの世界なのである。
どんな経験も、苦しい経験も、楽しい経験も、ただ、われわれは神に近づく掘り下げ方だとして喜ばねばならない。
七月四日
宗教とは死なぬ道を教えるものである。不滅の道を教えるものである。
ある場合には、それは「個」と「全体」との関連において。「個」は「全体」とつながっているものなるがゆえに、「個」は滅びたように見えても、「全体」は滅びないから、それにつながる「個」も滅びないというような考え方において。
ある場合には、それは国家理念の立場において。「個人」は滅しても「理念」は滅びないがゆえに、国家理念のために没しきった個人の生命は永遠に滅びないというような考え方において。
わたしは、日本を「久遠無窮」の「理念」の体現として愛したいのである。わたしは限りなく日本の国を愛する。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
さて、今日は午前中から出かけなければならない予定行事がありますので、曳馬野様へのお答えの続きは、夜にさせて頂きます。ありがとうございます。
2187
:
復興G
:2013/07/05(金) 19:35:04 ID:AB6RqYXc
合掌
>>2186
のつづきです。
曳馬野様。
>>2180
投書子の 『生命の實相』 第38巻引用文は、前後を切り捨て縮約してあるために、少し誤解を招くような表現になっていましたが、
>>2186
の全文をお読みいただけば、最初の疑問は氷解されるように思いますが、いかがでしょうか。
「生命は不死」というのは、「肉体が死なない」ということでないのは自明のことです。肉体は死んでも生命は不死である、ということですね。
それで、38巻「7月4日」のところには、
≪ 宗教とは死なぬ道を教えるものである。不滅の道を教えるものである。
ある場合には、それは「個」と「全体」との関連において。「個」は「全体」とつながっているものなるがゆえに、「個」は滅びたように見えても、「全体」は滅びないから、それにつながる「個」も滅びないというような考え方において。
ある場合には、それは国家理念の立場において。「個人」は滅しても「理念」は滅びないがゆえに、国家理念のために没しきった個人の生命は永遠に滅びないというような考え方において。≫
とあって、個生命の不死を説くのにいろいろな説き方がある、ということを言われているのです。またある場合には霊界通信の記録をもって個生命の不死を説かれる場合もあるということでしょう。ですから、それは七つの光明宣言の「二」と何も矛盾しないと思います。
次に、進みます。
≪ >>「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。<<
「国家理念は滅びない」といいながら「久遠無窮の理念が失われた時」とは如何なることでしょうか? ≫
これも、「7月8日」 のことろを抜粋でなく原文全文を謹写しますと――
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
≪ 七月八日
ローマが滅亡したのは、理念または理想に対する献身的態度や、持久の精神、堅忍不抜の精神の衰頽したのによるのである。
ものの尊さも、国の尊さも、今ある形の大きさによるのではない。
理想――理念を失ったものは、すでに内容のない形骸ばかりのものになっているのだから、今はまだ生き生きしていようとも、それはすでに幹から断ち切られた生け花のようなものである。それは時間のたつにしたがって、衰滅枯渇してゆくほかにありようはないのである。
どんなに小さくとも生ける理念を内部に失わないものは、時期が来れば生長するほかはないのである。それは生命の種子であり、機会ごとに伸びるのだ。
西欧文化は、偉大のように見えても、もう理念が失われている。日本も久遠無窮の理念が失われたとき弱体化するのである。理念が本当の「日本」であって、形はその影にすぎない。日本を大いに復興しようと思うならば、「日本」の理念を復興しなければならぬ。≫
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――とあるのであります。
理念は滅びない。しかし、理念は目には見えませんから、現象世界ではその 「滅びない理念」 を忘れて、目に見えるものだけを追い求め、それに振り回されていることがある。そうすると、
「それはすでに幹から断ち切られた生け花のようなものである。それは時間のたつにしたがって、衰滅枯渇してゆくほかにありようはない」
といことになる。
そういう意味だと思います。
<つづきます>
2188
:
復興G
:2013/07/06(土) 09:44:20 ID:AB6RqYXc
<
>>2187
のつづきです>
>>2184
: 曳馬野様。
ご投稿まことにありがとうございます。
おかげさまで、神示講義『秘められたる神示』 を深く読みなおすことができ、その素晴らしさに深い感動を味わっております。うれしさ、ありがたさで一杯であります。ありがとうございます。
曳馬野様ご投稿に
≪ 「秘められたる神示」p.47、7行目に
「この聖戦に参加する者を常に護らん」 とあり、
おなじp.132、10行目に
「あの戦争は聖戦だとか皇軍だとか称されたけれども決して聖戦でもなければ」
同じくP133最終行に
「日本は大東亜共栄圏というのを造って経済ブロックをつくり、英米に対して対立的な経済的自給自足圏をつくろうとしたのである」 と書かれ
「自然流通の神示」 に反する行為が戦争に繋がったと言われている。
生長の家の神の教えに従うとはどうすることだったのでしょうか? 雅春先生は「皇軍必勝」と書き軍人に持たせました。
迷いの自壊作用であると知りながら勝つことのありえない戦争を応援したのでしょうか? ≫
とありました。ありがとうございます。
上記谷口雅春先生のご文章の断片を読みますと、まったく支離滅裂でとんでもない矛盾したことをおっしゃっているように感じられるかも知れません。
しかし、私は 『秘められたる神示』 のご講義を改めて詳しく読み返し、一夜明けた朝、すーっと谷口雅春先生のおっしゃっている意味がわかった気がして、うれしくてたまりません。
キーワードの一つは、たとえば 「ヒノモト」 という言葉です。これは、「霊(ひ)の本(もと)」すなわち対立者のない唯一者であり霊である。現象の国のことではない、ということですね。それは、たとえば 『秘められたる神示』 p.49に
≪「ヒノモトの軍(いくさ)」というのは「実相実現の内部的動力としてのヒカリの摂理の進軍」でありまして、形の上での物質の軍隊のことではないのであります。それが敵味方と対立する力でないのは、此の神示に「唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである」と示されているので明かであります。唯一者には対立はないのであります。「摂理としての内部的動力」が動き出すと、現象界には「迷いと迷いとが相搏(う)って自壊するという形」があらわれて、その自壊作用を通して平和と光明とのみ充満する理想世界が実現するに至るのであります。≫
とあります。
また、<p.47、7行目に 「この聖戦に参加する者を常に護らん」 とあり……> とご指摘いただいたお言葉は、「昭和7年12月11日霊感」 とされているご文章の一節ですが、その前には、つぎのように書かれています。
<つづく>
2189
:
復興G
:2013/07/06(土) 09:45:05 ID:AB6RqYXc
<つづき――「昭和7年12月11日霊感」 とされているご文章>
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「久遠常住の佛に帰依(きえ)するのが生長の家家族の帰依である。久遠常住の佛とは自己の内にある。各自の生命の実相がそれである。生命の実相に順(したが)いて生き、生命の実相に順いて善を行ずる。生命の実相は久遠常住の佛なるが故に生命の実相の発露するところおのずから善となり美となる。善も美も固定したものではない。戦いのうちにも善もあれば美もある。
「怒りの内にも善もあれば美もある。戦いと怒りを否定する境地はなお初歩である。普通の怒りを否定し去ったのちに、尚実相が迷いを消すための戦いと怒りとのあることを知らねばならぬ。それは聖戦であり神の怒りである。神そのものが怒っているのではない。実相が迷いの中を厳かに進軍するとき、その顕れが戦いとなり、神の怒りとなり、天変地妖ともなれば階級争闘ともなるのである。迷いの方から言えば迷いの自壊作用であり、実相の方から言えば実相の勝利である。迷いは『虚』であり、実相は『実』なるが故に、唯勝つほかはないのである。汝らただ恐れず進み行け。汝らの前にわれ常に煙幕となりて蔽わん。汝らよ、戦いの時は来たのだ。此の聖戦に参加する者をわれ常に護らん。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――以上をしっかり拝読しますと、まず出発点が
「久遠常住の佛に帰依(きえ)するのが生長の家家族の帰依である。久遠常住の佛とは自己の内にある。各自の生命の実相がそれである。」
というところなのでありますね。つまり、肉体の自我を「なし」と否定し、霊なる普遍的な我れ、対立を超えた我れの自覚に立って、「実相が迷いの中を厳かに進軍するとき、その顕れが戦いとなり……」ということになる。
それは、
「迷いの方から言えば迷いの自壊作用であり、実相の方から言えば実相の勝利である。迷いは『虚』であり、実相は『実』なるが故に、唯勝つほかはないのである。汝らただ恐れず進み行け。汝らの前にわれ常に煙幕となりて蔽わん。汝らよ、戦いの時は来たのだ。此の聖戦に参加する者をわれ常に護らん。」
とあるのであります。
私はこれを拝読しまして、ハッと気がつきました。
「現象あり」 の立場、現象の側から見れば、大東亜戦争も 「迷いと迷いとが相搏(う)って自壊するという形」 であり「侵略戦争」とも言える。
しかし、「光一元」 の 「実相独在」 の側から言えば、それは光の進軍であり 「聖戦」 と言える。
今も、私たちの生活はある意味 「聖戦」 でなければならない。――私は、そう思いました。
「霊魂進化の神示」 に
≪ 『神の子』 なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。
人間の運命とは 『神の子』 なる人間の実相が現象界に投影する時、時間的空間的に展開するのに、おのずから一定の順序を追うて展開して行くように 大体定められているのを言う。
それは譬えば朝顔の種子(たね)の中には既に 『花』 の因子(たね)が包蔵されているが、それが現象界に 『花』 となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遭い、芽を出し、蔓を出し、蕾を生じ、ついに花を開くと言うように、大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遭うが如く、或は幸福に恵まれ、或は虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。≫
とありますが、これは人類全体の運命についても同様の経過を経て 「神の国」 の種子(理念、構図)が現象界に展開して行きつつあるのだと思われます。
<つづく>
2190
:
復興G
:2013/07/06(土) 09:45:41 ID:AB6RqYXc
<つづき>
その 「神の国」 の種子――「神の構図」 とは、すべての人類が互いに生命の兄弟姉妹として拝み合い生かし合う中心帰一大調和、無限感謝・無限生長の喜びの世界である。それで、
≪ 東洋の使命、その代表者としての日本国の使命は 「霊の使命」 であり、霊は分割し得べからざるものである。分割されたる世界を一つにまとめるのが日本の使命であります。
西洋の分割精神に基く科学文明によって個々別々に分断されている国々を、現象はどのように個々別々に見えているにしても、実相に於ては 「みんな “神の子” であり、互いに兄弟である」 という霊的実相を知らしめるための戦いがヒノモトの戦いなのであります。
大東亜戦争も現象としては明かに 「迷いと迷いとが相搏って自壊する戦い」 であったのに相違ありませんが、その底を流れている摂理としてのヒノモトの心には、「人類は霊的に互いに兄弟であるから有色人種と雖も、平等にその人権をみとめ、有色人種の国々を民族自決によって独立せしめなければならぬ」 という理想が動いていたのでありますから、それが戦争中に 「大東亜民族の解放のための戦い」 だというような標識も出て来たのであり、結果に於て大東亜民族諸国の独立という偉大なる業績を成し遂げたのであります。
日本はその解放戦のために、ひとり十字架を背負って “侵略国” の汚名を着、且つ “敗戦” という磔けにかけられたのでありますが、「八紘一宇」 (世界は一つの家庭) という霊的理想は幾多の自壊作用をつづけつつ、だんだん世界全体の人々の心を動かしつつあり、……唯一つの中心を求める願いは、世界連邦・世界政府などの理想で徐々に形をあらわしつつあるのであります。≫
と、『秘められたる神示』 p.51〜53には書かれています。
その 「神の国」 の実相顕現のためには、根本において 「物質なし、肉体無し。人間は霊である、神の子である、神である」 という自覚に目覚めなければならない。
「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する。「霊」 の世界は 「一つ」 であるから、真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります。そのためには自我を死に切り、己れを無にする必要があります。対立のない「霊」の自覚に立っての「聖戦」を、今日も戦ってまいりたいと思います。それは、己れ自身との戦いであります。
そういう自覚に立った時、曳馬野様ご投稿の、一見矛盾だらけのように取れる谷口雅春先生のご文章の真意がわかって、矛盾はないと、私は理会納得できました。
ありがとうございます。
では、今日のお仕事に行ってまいります。
2191
:
曳馬野
:2013/07/06(土) 18:10:55 ID:vcOZ9g8c
復興Gさんありがとうございます
その 「神の国」 の実相顕現のためには、根本において 「物質なし、肉体無し。人間は霊である、神の子である、神である」 という自覚に目覚めなければならない。
「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する。「霊」 の世界は 「一つ」 であるから、真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります。
そのためには自我を死に切り、己れを無にする必要があります。対立のない「霊」の自覚に立っての「聖戦」を、今日も戦ってまいりたいと思います。それは、己れ自身との戦いであります。
色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。
真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか?
住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう?吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?
【・・・・・自覚に目覚めなければならない・・・・・・・真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります】
これが出来ている人がいるのでしょうか?
【「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する】、この原理を正しく理解実践できる人が八ヶ岳教団とか原宿教団とかという名称で人を指差すでしょうか?
本流と称する人達の中に一人でも居られるのでしょうか?
今ここに生長の家誌の昭和18年五月号があります。法語というべきものとして生命新体制記というものが書かれ、そこに盤珪禅師のことを取り上げ生長の家と全く同じであると書かれています。
盤珪禅師の不生禅といわれるものは一切の念を浮かべないというものです。そして論文的なものとして「絶対無の日本武道」なるものが説かれ、その最初の文に
【『絶対無』の心境が日本精神であります。苟も心に一塵の『有』がありましても、その『有』に縛られて日本精神本来の自由自在が失われてしまうのであります。・・・・・・・・
斯うでなければならないと条件づけたときに、既に吾々は絶対自由の境地から一歩踏み外したと云うことになります。】と書かれています。その法語五月八日には
【「いさかひはげにやまびこのこだまかやわれしづまればむかふおとなし」これは心学の歌である。『和』と云うのは、我と彼とがひとつであることを体得することである。
向こうが悪いと思い、此方が善いと思っている間は、彼と我とは別のものであると思っているから、『和』が成立せぬのである。】と書かれています。
雅宣先生がどうだこうだという前に、原理主義者といわれる人達は雅春先生を信じるというのであれば、上の雅春先生の言われることを自分の信じる原理主義に則り実践することが
求められるのではありませんか。「復興G」のはんどるは復興を目指す爺さんの謂いでしょうか?実践しない信仰者に対して原理主義の称号は云い得てますね。
復興Gさんが榎本講師の文を紹介されていますが、「光のある内に」をなかなかのものと思い読んだことがあります。
しかしながら、ここに書かれているものを読むにつけ、上の二つの引用文の心境には隔たりがあると感じます。
『其の儘の真理』とは如何なるものとお考えですか?組織運動の中での其の儘の生き方とは?
私も時間の少ない生活をしていますので早いお返事は出来かねますが。
2192
:
復興G
:2013/07/06(土) 21:54:41 ID:AB6RqYXc
曳馬野様
あなたのご投稿は、何をおっしゃりたいのか、さっぱりわかりません。
>>色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。
真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか? 住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう? 吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?<<
まず上記の意味が分かりませんので、わかりやすくご説明下さい。
私は明日は朝からずっと夜遅くまでスケジュールが入っていますので、明後日、月曜日以後にならないと投稿はできませんが……
2193
:
ユタカ
:2013/07/06(土) 22:14:26 ID:R1D4Jmeg
>2190 その 「神の国」 の実相顕現のためには、根本において 「物質なし、肉体無し。人間は霊である、神の子である、神である」 という自覚に目覚めなければならない。
「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する。「霊」 の世界は 「一つ」 であるから、真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります。そのためには自我を死に切り、己れを無にする必要があります。対立のない「霊」の自覚に立っての「聖戦」を、今日も戦ってまいりたいと思います。それは、己れ自身との戦いであります。
そういう自覚に立った時、曳馬野様ご投稿の、一見矛盾だらけのように取れる谷口雅春先生のご文章の真意がわかって、矛盾はないと、私は理会納得できました。
カァーー!! カァっコイイーー!!
復興ジャイアンツの御言葉には、神様が宿っていますね。。。。
本当に惚れ惚れします!!
己との戦いとは全人類共通の課題でありますなぁ。。。
生命の実相第3巻第1章でユタカが線を引いた箇所。
○ (P、99後ろから4L)病気というものはゴムの袋に水をいれておいて、一方を押すと、そこはへこむかわりに他のところがふくれるのと同じで、われわれの心の袋の中に「迷い」の水を入れておくかぎり、押さえてへこましておいても、必ずどこかで、その「迷い」が頭をもたげてきて病気となり不幸となるのです。
○ (P,105 5L) ともかく物質治療医学は病を征服したかといいますと、医学が病を征服していない証拠に医学いよいよさかんにして色々の治療法や医薬が発見または創製せられるのに正比例して病気がますますさかんになっていることであります。もし物質治療医学が真に病気を根治しうるならば、医学の盛んになるにつれて病気がしだいに減ってゆくべきはずでありますのに、病気は減るどころかむしろ殖えているのであります。それなら物質医学は全然病気を直しえないか癒しえないかと言いますとそうではない。実際個々の病気そのものは物質医学の治療法で癒しえているのでありましてこの事実を否定するのは公平ではありません。
2194
:
ユタカ
:2013/07/06(土) 23:45:34 ID:R1D4Jmeg
○ (P,106 7L)「生長の家」では薬物治療法を「迷い」をもって「迷い」を制する治療法だというのであります。病は神が創造らないから本来無い。無いものをあると思うのが「迷い」である。物質は生命でないから治す力がない、治す力のない物質たる医薬に治す力があるように思う、だから『迷い』である。
この二つの「迷い」は、根本は一つの迷いーー「物質に生命あり」との迷いから出発したのでありまして、この一つの「元の迷い」から、人間は肉体と称する物質だと思う「迷い」ができたり、治す力は物質にあると思う「迷い」ができたりしたのであって、この二つの迷いの力が互いに衝突して中和したような状態になる、これが薬物治療その他の物質治療によって病気が一時消滅したように見える理由なのであります。しかし、これでは甲の迷いが乙の迷いによって中和しただけであって、「元の迷い」が真に消滅したのではない。だから中和していた二つの迷いの釣り合いの状態が
破れると、すぐ元の病気が再発して来るか、別の他の病気に姿をかえてあらわれて来るかするのであります。
○ (P120 3L) もっとも医薬もだんだん進歩しまして、ペニシリンのごとき副作用の少ないものも逐次発見されつつありますが、しかも、かかる薬剤ができれば、一時はきいても菌に抵抗力ができてやがてきかなくなります。 だから根本的には心を清めて病気を無くするのが第一であります。
○ (P、128 10L)大体、母体に胎児すなわち生命が宿るということは人工ではとうていできないことーーとうてい人間の計らいではできることではないのでありまして、「生命」のみ「生命」を生み、「生命」のみ「生命」を養い育てることができるのであります。神が母の体内に「生命」の種子を宿し給うたならば、神がそれを養い育て給うのは必然であります。栄養が必要ならば神が母の口より入る食物を通じて必ずそれを与え給う。栄養が胎児にとって必要なときにおいて、その母親の口より食物の入らないようにするような悪阻などを、神が創造り給うはずはないのであります。それだのにここに、人間にこの不自然な悪阻というものが起こるのは、それは人間が、自己の生命が調和の神よりきたれることを自覚せず、一切のものが一つの神(全体を一つの調和ある状態に支配する力)によって支配されていることを自覚せず、個々の生命は別々に勝手に相食み胎児は母の肉体を食し、黴菌も母の肉体を食し、そこに自己の肉体をあたかも「生命」と「生命」とが相食み相戦う戦場であるかのような迷える人間観を抱いているから、その迷いの人間観が客観化して悪阻ともなってくるのであります。
だからわたしはそのご婦人にこの迷いを破るために神想観をなし、「胎内に宿っている胎児は神が宿し給うたものであるから、この胎児の生命は神が養い給うのである。 だから神は必ずこの胎児の生命の生長に必要な栄養は母体の口を通じて与え給うのである。母体が衰弱してしまったならば、せっかくこの胎内に宿っている生命も生長の機会を失ってしまうのであるから、神はけっしてそんな不合理なことをなし給うはずはない。そんな不合理は神から来たのではない。自分の『迷い』が映像を映していたのである。自分は今『迷い』の念を去り、生命は神が養いたまうものであって自分の身を削って養うのではないという真理を知ったから、もう自分の胎内に子供が宿ったということについてなんの恐怖も感じもない。母体も胎児も神の愛深き無限の養い給う力に抱かれてなんの恐れもなく平和である」と心のうちに数回繰り返して黙念して神想観をなさるようになさいとということを手紙で返事を書いてあげたのであります。
すると、そのご婦人からは、私の手紙が到着した日から不思議に吐き気がとまって食物gsたべられるようになり、その付随的功徳としては今まで熱をだしていた別の幼児が、それと同時に解熱したので実に驚いているーーという意味の感謝状を送ってこられたのであります。
○ (P、133 6L) 憎みを放下せよ、病気は治る。憎みを放下しても治らないのは過去の憎みの波動が残っているからである。過去の憎しみの波動を消すにはその反対の波動を心に起こせ愛は憎みの精神波動を中和する。(智慧の言葉より)
2195
:
ユタカ
:2013/07/07(日) 00:28:17 ID:R1D4Jmeg
以下はユタカの妄想を書きます。
曳馬野様の 日本語の意味不明で難解さが 生長の家総裁さんと よく似ていますね。。なんだろう?「指導されていた思いが良いものであれば、」って???50年代って創始者先生がご存命の時代でしょ?意味ワカンナイよネーーーこの文。さらに指導方針に則った真理理解って・・・急に何??宇宙人か?こいつは??どこの惑星人だ??
もしかして、生長の家の総裁と友達?それともまさかの本人?と勘繰るほどだよ。でも、人生の時間がないってことは総裁だったら違うな。いや、もしかして、、、総裁は人知れずまさかの病気で『ガン』とかだったり・・・?? ブログに乗せない夕食は妻が血のしたたる牛肉を大量に料理していたのかもしれない。。。????
どう考えても病気・・・だが、それは有り得ない。残念だけど・・・
WEB誌友会にあわないですね。。削除してください。 はははのは。
酔っ払って、妄想しながらひとりごと・・・・
2196
:
ユタカ
:2013/07/07(日) 00:34:49 ID:R1D4Jmeg
>真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか? 住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう? 吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?<<
更に、もっとワカンナイーー。 詳しく書いてくれたらいいなぁ。。。でも、根本的に生長の家の教えの把握の仕方が自己流なとこがますます総裁そっくり!!!
はははのは。 これも削除してください。
2197
:
ユタカ
:2013/07/07(日) 14:47:37 ID:R1D4Jmeg
3巻第2章 ここは谷口先生と中畑さんと何人かの会話
○ (P、134 2L) 細胞は粘土、心は彫塑家、作品はわれらの肉体である。われらはすべて自己の肉体をいかようにでも作る権利をもった全能者である。ウエルズによれば、人体内の細胞の総数は一千兆以上ある。この驚くべき多数の細胞が「一糸乱れない支配」のもとにいろいろの分業に専心している。この「一糸乱れない支配」は誰がするのであるか、それはわれらの心がするのである。心を切り離すとき、細胞はもういろいろの分業をしなくなる。
一個の細胞を「人間」から切り離して人工培養をした実験によれば、心臓の細胞でも、腎臓の細胞でも、その他人体のどこの細胞でも、生きてはいるけれども、一列一帯に、どれが心臓の細胞だかいっこう区別のつかぬ類型的な働きしか営むことはできないのである。そうすると心臓の細胞が心臓特有の働きをし、腎臓の細胞が腎臓特有の働きをし、その他、人体各所の細胞がおのおの特有の働きをしているのは細胞自身の働きではなく、「我」の心の支配力を受けてのことであることがわかるのである。
わが心は全身の肉体細胞にいかなる働きをさせるかについて絶対の支配権をもっているのである。この心が支配権を捨てる時全身の細胞の働きが乱れる。これを病気というのである。
2198
:
ユタカ
:2013/07/07(日) 17:39:24 ID:R1D4Jmeg
○ (P,142 1L) ところが、神というものはそんなに自分の外にあるのではない、そんなに移り気で怒ったり愛したりしているものではない、 自分というものが神の子である、神の子であるから自分そのものがまた神である。他に神を求めるにおよばない、自分の内の神様を生かすようにすればよいものだという真理を悟るようになってからというものは、頼りにならぬ外の神様を頼りにしてその機嫌の良し悪しに従って、自分の運命がふらふら変化するというようなものではないと解ったから、ソトの神さまを恐れる必要がなくなった。自分のうちの神さまを生かすようにするだけで良い、この自分のうちの神さまと言うものはお供えのしようが悪いとか、お経やのりとのあげようが悪いとかで腹を立てたり復讐をしたりする我執をもった神ではない。どこまでも真ん円い円満完全な朗らかな神性であって、それはその神性をみとめさえすれば、その認めることによって、どれだけでも円満完全に顕れ出るものであることが確実であって、時々のご機嫌によってご利益を与えたり神罰与えたり、いろいろ変わるような不確かなものでないということが明瞭になってきた。
この不確かなものを信じていると心が動揺し恐怖するから、わたしでも恐怖心で病気になっていたが、 確実で不動な正しいものを信じるようになると病気が自然になくなった。
○ (P,143 5L_) 神と言うものは調和であり愛であるから、家のなかに不調和な精神的争いがあっては神というものは顕れぬーー
○ (P,148 7L) 下痢を起こしたまたは熱が出た時はその人の「生命」が迷いを外に駆逐し始めた証拠であります。すなわち迷いに対する真生命の勝利しつつあるシンボルであります。さらにこれを第二義的に申しますと、人間の健康が病気又は黴菌に打ち勝ちそれを駆逐し始めた実証であります。
○ (P,150 後ろ6L) 『生長の家』をお読みになると今まで自分の病気の回復を遅らせていたのは自分の暗い気持ちであったことをお悟りになり、生命の実相をお悟りになって根本から明るい気持ちになられたところが、五年間ゆき悩んでもてあましていられた肋骨カリエスが二、三ヶ月のうちに全治して、もうすぐあとから結婚問題まで持ち上がっている実例があります。
2199
:
ユタカ
:2013/07/07(日) 18:25:00 ID:R1D4Jmeg
○ (P,151 5L) それから、これは大阪で天理教の熱心な布教師をしていられる方の話でありますが、その息子さんが肺結核にかかって幾度も喀血せられた。「天理教の教えを真ぜよ、病気は治る」とお父さんが言われるけれども、そんな不合理な教えは信じられぬといってきかない。大阪のような都会では空気が悪いからというので北陸の海岸の親類の家に養生に帰っていられた。その時、その息子さんの姉の方が雑誌『生長の家』をもっていってあげられた。その方がお読みになると、人間の身体は神さまからの借り物だ、などという天理教は信ぜられないが、人間の身体は仮のもの、実相ではない仮現であるという「生長の家」の教えは合理的だから信じることができるといわれて、引き続き読んでいられるうちに、しだいに自己の生命の実相をお悟りになられて、健康がめきめき回復してきた。そのおとうさんである天理教の先生さんも大学を出られた立派な教育ある方でありますが、天理教を信じないと頑固に言い張った息子が信じることができると言う「生長の家」の教えというものはどんなものかとお知りになりたくなられて、試みに二冊送ってくれといってこられた。ちょうど手元にあった第二集第四号五号をおくってあげると『生長の家』を読むにしたがって、天理教の説かれた真の御教え、真の教祖のみ心というものが一回は一回ごとにハッキリ解るといって立て続けに十二回お読みになって、「これは真に神のことばである。神が書かせてお出でになる言葉だからこそ、こんなに味わいのつきないものがあるのだ」といわれた。一方息子さんのほうでは、『生長の家』をお読みになっているうちに真理が悟れて、天理教の教えに反抗している必要がなくなってきた。父が天理教を信じている、息子がどうしてもそれを信じないとがんばる、その頑張りがあった間は、父と息子の間に精神的葛藤があり、それが病気の治るのを妨げていたのでありますが、その息子さんの心のうちにがんばることも反抗することもいらない、天理教の中にも生きていれば、他の宗教の教えの中にも生きており、同時にまた自分のうちにも、父親の愛のうちにも生きている完全円満玲瓏珠のごとき「生命の実相」を味わわれるようになった時、今まで「天理教を信ぜよ」「信ぜぬ」で互いに和解ができていなかった父と子との間に和解が出来るようになられた。病気がずんずんよくなる、病気などはなんでもありませんが、病気の治ることよりも大切な家庭の中の和解がそこに成立した。
神の教えというものは愛の教え和合の教えであるべきですから、家族の一人が何教を信じたがために、父子互いに相争うようなことになる教えは、その教えそのものが本来いかに良くてもその教えを信じる人おのおのの理解に片寄りがあるからである、この片寄りがとれて、本当の神がわかり、自分の生命の本当の相というものが解ってくると、人間はその生命の実相において一帯であるからひとりでに和合せねばならなくなる。
2200
:
トキ
:2013/07/07(日) 18:36:29 ID:Zbzuk5S2
曳馬野様のご真意は不明ですが、50年代の指導が良ければ、という事で、少し感想を申しあげます。
生長の家の歴史を調べると分かる事ですが、生長の家も全く挫折なく、順調に伸びて来た訳ではなくて、やはり
いろいろと挫折もあり、障害も乗り越えて、今日まで来たのです。先達はその時に、全力で祈り、動かれて、運動
をされてきました。今日、ここまで伸びて来たのは、これは疑いもなく、先達の功績です。これは、素直に認めま
す。
それで、今、生長の家の運動がおかしくなって来ているのは、いろいろな背景はありますが、その最大の責任は、
先達ではなくて、今、現代に生きている生長の家の信徒の吾々でしょう。それを無視して、先達に責任を転嫁する
のは、やはりよくないと思います。
私の縁者の「一白鳩会員」が話しているのは、
『確かに、マサノブさんは問題だが、あの人は、自分は、あれが正しいと思い込んでやっているのですから、
仕方がありません。問題は、周囲の側近や幹部です。マサノブさんの指導が間違っているのを知りながら、
こびへつらい、信徒に間違った指導をしています。これは、ある意味、マサノブさんよりも、はるかにタチが
悪いです。本当の生長の家の信徒なら、無理はしなくてもいいから、出来る事をすべきです。ただし、争いは
反対です。」
(総裁、ならびに本部の皆様、暴言をごめんなさい。高齢者ですから、止めても聞かないのです。)
と言っています。
『他の作と不作をとうな。自分の作と不作を問え」
という禅宗の精神が大事かと思います。
(すみません、考えがまとまらないまま、書きました。)
2201
:
曳馬野
:2013/07/08(月) 05:46:49 ID:vcOZ9g8c
2184での投稿
「本流といわれる人々は何に回帰しようというのでしょうか?50年代に生長の家を指導した人たち、またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。」
2191での投稿
「色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。」
あなたのご投稿は、何をおっしゃりたいのか、さっぱりわかりません。
>>色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。
真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか? 住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう? 吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?<<
まず上記の意味が分かりませんので、わかりやすくご説明下さい。
【・・・・・自覚に目覚めなければならない・・・・・・・真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります】
これが出来ている人がいるのでしょうか?
【「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する】、この原理を正しく理解実践できる人が八ヶ岳教団とか原宿教団とかという名称で人を指差すでしょうか?
本流と称する人達の中に一人でも居られるのでしょうか?
と私は問いかけました。あなたの信念となっているこれらの真理を其の儘に実践できている人がいるのでしょうか?真理を実践すれば結果は現れものですよね。あなたの云われた真理が実践されているのであれば、雅宣先生が如何なる人であれ、実践者の心の影として、本流、八ヶ岳教団などという対立は現れないわけです。
2202
:
曳馬野
:2013/07/08(月) 05:47:52 ID:vcOZ9g8c
真理は正しくとも実践されなければ絵に描いた餅です。真理は正しい真理は正しいとばかり言っているのみで実践が伴わない人を指して原理主義なる言葉が発生したものでしょう。
「本流といわれる人々は何に回帰しようというのでしょうか?50年代に生長の家を指導した人たち、またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。」
との私の意見は、真理の実践あるのみとの指導が40年代後半から徹底されず、自己満足型になっていったとの意味です。宇治別格本山のホームページの歴史の第二章に、親不孝者三人の体験談が載せられています。徹底した実相直視の体験談であります。雅宣先生がという前に先生の実相を徹底的に見、己の心の迷いを取り去るべきでしょう。それが出来ているうえであなたが言われた日の本の霊的進軍として、大東亜戦争と同じ意味合いで本流なる分派活動が起こっていると云うのですか?私はそうは思いません。雅宣先生がどうあれ実相を観て頭を下げていられる人間でありたいです。
周りの人々の実相を観ること能わず、体験の出ない運動になったがゆえに、入龍宮を観念で済ます人が増えたから、我らのみにては力足らず、かくなるうえは竜宮住吉の大神のお出ましを願うほかなしとして、竜宮住吉本宮の建立に至ったものだと思います。
勿論トキさんが言われるように今の自分の影ととらえなければいけません。それは第一で先達の責任であるというつもりはありません。ですから違った生長の家になっていたことでしょうと云ったのです。私が問題とするのは、本流回帰、復興の意味するものが観念論の真理回帰なのか、本来の実践真理への回帰なのかということです。
原理主義種でなく実践主義者であれというのが私の意見です。
2203
:
曳馬野
:2013/07/08(月) 05:56:13 ID:vcOZ9g8c
ユタカさん
>>酔っ払って、妄想しながらひとりごと・・・・
色々言う前に酒がまずい幼子になってくださいね、幼子の如くならずンば神の国に入ること能わず、ですから
2204
:
復興G
:2013/07/08(月) 07:09:55 ID:AB6RqYXc
>>2201
・
>>2202
:曳馬野さん
>>真理は正しくとも実践されなければ絵に描いた餅です。……原理主義種(者?)でなく実践主義者であれというのが私の意見です。 <<
――ならば、あなたもまずそれを実践してください。
>>50
年代に生長の家を指導した人たち、またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。<<
>>この原理を正しく理解実践できる人が八ヶ岳教団とか原宿教団とかという名称で人を指差すでしょうか?
本流と称する人達の中に一人でも居られるのでしょうか? <<
などと現在の状況を他人事のように、すべて他に責任転嫁するようなことを言っていたら、自分自身がその “原理主義者” になっているのではありませんか? 実践せよというなら、まず自分自身が実践しましょう。
2205
:
復興G
:2013/07/08(月) 07:29:40 ID:AB6RqYXc
私は、
>>日の本の霊的進軍として、大東亜戦争と同じ意味合いで本流なる分派活動が起こっている<<
とは思っていませんし、言ってもいません。「真の生長の家は、<一つ>でなければならない」 とのみ言い続けています。
ただ、お互いに他を言うばかりではいけない、それは曳馬野さん、あなたも同じ穴の狢になってるのではないですか、と申し上げたのです。
2206
:
復興G
:2013/07/08(月) 07:37:32 ID:AB6RqYXc
>>2200
:トキ様
>>「他の作と不作を問うな。自分の作と不作を問え」
という禅宗の精神が大事かと思います。<<
――まさに、そこですね。ありがとうございます。
2207
:
復興G
:2013/07/08(月) 11:21:40 ID:AB6RqYXc
ユタカさま、『生命の實相』 の熱心なお勉強、ありがとうございます。
じっくり拝読して、コメントを書きますので、しばらくお待ち下さい。
土日はとてもハードスケジュールだったので(八ヶ岳本部の落慶式に行ったわけではありません。ネット中継も見ていません)、プライベートな雑用もたまってますので、少し時間を下さい。
ありがとうございます。
2208
:
トキ
:2013/07/08(月) 16:11:02 ID:rbsR5MnM
>>2206
ご丁寧なコメント、恐縮いたします。ありがとうございます。
毎日、榎本先生のご文章を拝読しています。現在の状況について、答えがあるような印象を
持っています。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
2209
:
ユタカ
:2013/07/08(月) 20:22:50 ID:R1D4Jmeg
復興G様
ユタカのは抜書きで、何のコメントもしていません。 ただの抜書きです。
ご心配なさいませんようお願い申し上げます。
2210
:
ユタカ
:2013/07/08(月) 20:45:05 ID:R1D4Jmeg
曳馬野様
>色々言う前に酒がまずい幼子になってくださいね、幼子の如くならずンば神の国に入ること能わず、ですから
あ、そ。 じゃ、幼子のごとくに、ハッキリ言うけど・・・
>>2204
>>などと現在の状況を他人事のように、すべて他に責任転嫁するようなことを言っていたら、自分自身がその “原理主義者” になっているのではありませんか? 実践せよというなら、まず自分自身が実践しましょう。<<
上記の内容をよく読もう。復興G様に言われた同じ内容をカルト友達にも教えてやんな! カルト友達=同じ思想のあの人だよ。 真理の自己流解釈者講習会でみんなで笑いをこらえるのが大変なのだ。。。(迷いはレストランのメニューからくるんだろ・・・(笑))
ついでに幼子のよう悪いこというけど・・ 北杜市で誰か亡くなったの? 葬式が森の事務所であったって??
田舎の貧乏な小学校の体育館で何かしてたけど・・・ よく見なかったんだけど、、土葬にした??
チラ見で、解らないけど、脇に積み上げている大きい石で土砂崩れが心配な場所に見えたよ。
それから・・ご神像の説明に。『生命の実相第1巻の巻頭』と言えず、聖書から・・・なんて言っちゃう所が痛いね、自分で失っといて。。
どう?まずい幼子ってこれでいい???
2211
:
志恩
:2013/07/09(火) 00:24:57 ID:.QY5jUA6
曳馬というのは、いわゆる、馬を引く....馬を後退させるという意味で、
戦いに負けた、という意味だとネットに載っていましたが、
そのようなハンドルネームにされたのは、シャレでしょうか?
それとも、偶然でしょうか?
2212
:
志恩
:2013/07/09(火) 00:29:58 ID:.QY5jUA6
別板で、「うなぎ専門店」の名だと、書いておられる人もおられました。
こちらの方かも。
3992 名前:神の子様 投稿日: 2013/07/08(月) 23:23:10
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<曳馬野> (ひくまの) ・・・ 「うなぎ専門店」
http://r.gnavi.co.jp/n974200/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「曳馬野」と名乗る人を見受けますが、この人は「鰻」が大好きなのでしょうか?
「ノーミート」をしているのだが、それで「鰻」に目が向くという人なのでしょうか?
2213
:
神の子さん
:2013/07/09(火) 01:32:53 ID:hEDgi/S2
10 :名無しさん@3周年[]投稿日:2011/02/21(月) 19:31:00.77 ID:le4nTp+5[1/4回]
イスラエルカルトの幕屋
http://zioneocon.blogspot.com/2004/02/75-japanese-march-in-support-of-israel.html
幕屋は日本会議に入ってる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0
幕屋は「つくる会」にエージェントを送り込み支配してるが
「つくる会」の副会長で明星大学教授の高橋史朗という者がある。
高橋史朗:元・反憲学連(生長の家系)活動家。扶桑社発行の『新しい歴史教科書』の監修者。
高橋史朗は生長の家の信者だが、主張内容が統一協会と完全に一致してることで有名でもある
統一協会のフロント組織「東西南北統一運動国民連合」の教職員向けの会合で講師を務め、
国際勝共連合制作のビデオ「性教育過激派の狙い」に出演するなど、統一協会とは切っても切れない関係。
統一協会、幕屋、生長の家、つくる会はズブズブの密接な関係があり
この全部について主張内容が日本会議と全く同じ、公式に(表向きに)発表してる部分だけでも
幕屋、生長と日本会議に二つも入ってる。
簡単に関係をまとめると、以下のようになる
http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/topic/2005/0812-2.gif
ということらしい
2214
:
山本富士子
:2013/07/09(火) 05:24:43 ID:RgtAnGTI
昔、大昔、生長の家の集会で高橋さんの話を
聞いたことがありました。その中に情報収集のため
統一教会(勝共連合??だったか)の学生の集会(合宿??)
に参加したときの体験談を聞いたことが思い出されました。
アメリカに留学中、雅春先生の没収された神示を発見したりと
熱心な生長の家信徒だとばかり、思っていました。
2215
:
復興G
:2013/07/09(火) 15:05:46 ID:AB6RqYXc
合掌
皆さま ありがとうございます。
「web誌友会板」 で第一義の 『生命の實相』 を学ぶことを、粛々と実行してまいりたいと思います。
第15回web誌友会は、『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 (p.97〜p.213) をテキストとして、
今週の金曜日 7月12日(金)夜21:30から 来週
15日(火・<海の日>で休日)夜23:00まで
「訊け」管理人様の司会で行われることになっているわけですね。
そしてその前に 「復興Gの講話」 がほしいというご要望がありますので、それにお応えすべく只今準備勉強中であります。
真理学習の意欲満々であるユタカ様が、すでに
>>2193
>>2194
>>2197
>>2198
>>2199
に、テキストの中で特に 「線を引いた箇所」 を謹写掲示してくださっています。それはだいたい私も特に注目していたところと一致しており、共感、感謝しています。
それで上記ユタカ様の投稿をはじめ『生命の實相』「光明篇上」 に関連して思うことを私の方から申し上げ、皆さまのから忌憚のないご意見・ご質問など積極的なご投稿を期待します。
明日、10日(水)あたりから私の投稿を始めたいと思っております。乞うご期待!
合掌 ありがとうございます。
2216
:
復興G
:2013/07/09(火) 15:09:33 ID:AB6RqYXc
誤記訂正です。
× 『生命の實相』 「光明篇上」
↓
○ 『生命の實相』 「生命篇上」
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