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Web誌友会 板/2
2017
:
復興G
:2013/06/15(土) 08:57:06 ID:AB6RqYXc
私は、この誌友会の目的は、『生命の實相』をテキストとして真理――宗教的真理にうがち入ろうということだと思っています。
ここで「組織運動と信仰生活」というのは、外面的な手段・方法論ではなく、内面的な魂の問題として捉え、考えるべきテーマだと思っています。
『生命の實相』第6巻の冒頭に、
≪「生長の家」が人類に告げんとするところは、人間の実相のなかにすでにすべてのものが備わっている、外に求むるよりも内に求めよということであります。≫
今朝の新聞に、幻冬舎の本の広告で
「神様にほめられる行き方」―上へ上へと伸びるより、奥へ奥へと歩みなさい―
というのが目にとまりました。
外なるものは内なるものの展開ですから、まず「外」より「内」に向かうのが信仰姿勢でしょう。特に、このweb誌友会板では。
日本の実相顕現は、外なる愛国書の著作権など、あまり関係ないと思います。
その気になれば、いくらでも谷口雅春先生の愛国書を読むことは可能です。
著作権問題などについては、別の板でやってほしいと思います。
2018
:
復興G
:2013/06/15(土) 09:31:46 ID:AB6RqYXc
私が「聖胎長養」という言葉に注目したのは、ある日の日経新聞「交遊抄」欄を読んで、でした。
東京高裁長官の吉戒修一氏が、「交遊抄」で、四天王寺大学客員教授の中島尚志から聞いた言葉として、
≪「聖胎(しょうたい)長養」。こんな言葉を、会合の席で中島さんから教わった。悟りを得た後も修行に努め、さらに悟りを育てるという意味だそうだ。人は誰でも自分の中に良い物を持っている。軸をぶらさず、それを大切に育てることが大事なのだと、自分なりに納得している≫
と書いておられました。
その「良い物」とは、深く宗教的に言えば、「久遠の今」なる神であり仏である。――そう思います。
それをぶらさず、大切に育てることが大事だと、あらためて不退転の決意を固めました。
ありがとうございます。
2019
:
復興G
:2013/06/15(土) 09:44:55 ID:AB6RqYXc
司会者「訊け」管理人殿。
このweb誌友会、いつまでも際限なくだらだらと続けるのではなく、期限を切って一旦終了することにしたらいかがでしょうか。
2020
:
復興G
:2013/06/15(土) 12:52:03 ID:AB6RqYXc
>>2013
で私は何も靖国殿からの回答をもとめてはいません。
ただ<「靖国見真会」参加者様と、「谷口雅春先生を学ぶ会」の上に、大いなる神様の祝福と御導きが天降り、光の進軍をされますことを祈ります。>
と言っているだけであります。ありがとうございます。
2021
:
「訊け」管理人
:2013/06/15(土) 15:08:48 ID:???
>>復興Gさま
>>誌友会ご参加各位
了解致しました。それでは、
>>2000
につづきまして再度、誌友会の「終了」をここに宣言致します。誠にありがとうございました。
なお真摯な求道者の方は、ぜひ、いろいろなご投稿をお寄せくださいませ。会は終了致しましたが、今回のテーマは相当に重いもので、ありました。後日いろいろな意見が登場することは、有り得ましょう。その際は、会終了に関わりなくご投稿の方を、宜しくお願い致します。
それでは、特に長時間のご指導を賜りました復興Gさまに対しまして、感謝の意を再度表明致します。次回もぜひ、宜しくお願い致します。ありがとうございました。
拜
2022
:
「訊け」管理人
:2013/06/15(土) 16:05:17 ID:???
※
>>2000
にて会の終了ですが、宣言しておりませんでした。ご参加各位には大変ご迷惑をおかけ致しました。
ワードで作成した際、後半部分を転写忘れを起して仕舞ったと思われます。申し訳ありませんでした。
拜
2023
:
トキ
:2013/06/15(土) 16:43:51 ID:s/IUt0Nk
復興G様、ご多忙の中、貴重な御時間を誌友会のために提供して下さり、後進の指導に当たられた事に
深く感謝申し上げます。多くの信徒にとって、励みと指針になったと確信します。
司会を努めて下さった「訊け」管理人 様、お忙しい中、司会をして下さり、深く感謝申し上げます。
たいへん盛り上がった会になりました。
投稿して下さった参加者の皆様、心から感謝申し上げます。皆様のおかげで、実りのある内容になりました。
厚く御礼を申しあげます。
閲覧者様、ご覧下さり、ありがとうございました。心から御礼を申しあげます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2024
:
復興G
:2013/06/15(土) 16:50:21 ID:AB6RqYXc
>>2021
・
>>2022
:「訊け」管理人様
いやあ、本当に長時間にわたり、司会ごくろうさまでした。
>>2000
で、簡潔にして完璧なまとめをしていただき、ありがとうございました。
そこで回の終了宣言をされてなかったのは、転写忘れのミスだったのですね。了解しました。
ありがとうございました。
なお、「後夜祭」は自由に、ということになりますね。
しかし、長文の重い文章がたくさん掲示されたので、皆さま、消化に時間をかけて頂いた方がよろしいでしょう。
一休さんじゃないけれど、「一休み一休み」ですね。
ありがとうございました。
>>2015
訊けさんの投稿は、後夜祭での投稿なら、別に問題はないと思います。失礼しました。
2025
:
復興G
:2013/06/15(土) 16:59:26 ID:AB6RqYXc
トキ様
ユタカ様
ご参加下さいました皆々様
閲覧下さいました皆々様
本当に、本当にありがとうございました。
私が一番勉強させて頂いたと、心から感謝申し上げます。
さあ、これからが新しい出発です。
「光明一元」の実相地に立って、永遠の喜びの前進をいたしましょう!
皆々様の上に、神の無限の祝福――無限の智慧、愛、生命のさきはえを受けて、
限りない光の前進がなされますように、神様の大いなるお導きをお祈りいたします。
ありがとうございました。
合掌
2026
:
復興G
:2013/06/16(日) 00:38:02 ID:AB6RqYXc
皆さま、ありがとうございます。
第14回web誌友会は、6月7日(金)に、a hope様が開会の祈りの言葉として、聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉
と、それから
聖経「続真理の吟唱」より 〈如意宝珠を神より授かる祈り〉
を謹写掲示してくださって始まったのでした。
先ほど、司会者「訊け」管理人様から「終了宣言」はしていただきましたが、「閉会の祈り」をしていませんでした。
誌友会は必ず祈りに始まって祈りに終わることになっていますので、これから閉会の祈りの言葉を掲示させて頂きます。
○
生きとし生けるものを生かし給える御祖神 元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし 生長の家の大神守りませ。
生長の家の大神様 ありがとうございます。ありがとうございます。
第14回web誌友会を、大神様の御導きにより、最高の真理の奥殿に導かれ終了することができましたことを感謝申し上げます。ありがとうございます。ありがとうございます。
私たちは、大神様のお導きにより、次のことをはっきりと自覚させていただきました。
≪我々の運動の根拠となるもの、それは生命、実在だけであり、一瞬一瞬に久遠と無限を生きることである。
今此処の一点に、宇宙と天皇と日本と世界と久遠とを生きることである。
人が生きるとは、絶対が生きることであり、絶対が生きるとは実相独在を生きるということであり、実相独在をもち続けることが生命の純粋持続ということである。この他には、光明というものはなく、光明化運動というものはなく、創造というものはない。けだし、実在以外は「無」であるからである。
私達一人一人が実在そのものであり、神そのものである。このことを教えられている私達にはもはや後退ということはあり得ない。金剛不壊の実在の巨歩があるのみである。私達が実相であり、金剛不壊であり、巨歩そのものであるから。そして、祈りそのもの、神想観そのものの生きて歩む姿としての人類光明化運動が今、此処に立っているのである。それが、今ここに「住吉大神の全身全霊として生きる」ということなのである。≫
○
新たに生まれるための祈り
われ今、合掌、天地四方を礼拝して、天地一切のものに感謝し奉る。古き天と地と四方一切のものは過ぎ去り、役目を果たし終りぬ。
ここにわれ住吉大神に導かれて龍官海に入り、龍宮城の“神癒の社(やしろ)”に入り、大神の御前に坐して大神を礼拝し奉る。大神、右の手をあげてその掌もてわが全身を撫下(ぶか)し給いて霊をもって我を浄め給う。
古き現象界の人類意識の妄想ことごとく浄められて、わが実相完全のすがたここに顕われたり。
今より後、一切の悩みあることなく、苦しみあることなく、病いあることなく、老衰あることなく、貧しさあることなく、悲しみあることなく、憂いあることなし。
久遠不滅の生命われに宿れり、常住健康、歓喜無限の生命なり。
われ住吉大神の御禊(みそぎ)を受けて霊によって潔められ、霊によって復活のいのちを受けしことを、大神に感謝し奉る。
今後、われ現象界に帰還したる後も、永遠にこの自覚をもちて生活せんことを大神に誓い奉る。ありがとうございます。
(『如意自在の生活365章』21〜22頁より)
住吉大神様 web誌友会を正しく導き給い、参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給いしことを感謝申し上げます。ありがとうございます。ありがとうございます。
2027
:
復興G
:2013/06/16(日) 00:39:23 ID:AB6RqYXc
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
ありがとうございます。ありがとうございます。
2028
:
ユタカ
:2013/06/16(日) 01:15:44 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
心配しておりました、お祈りを有難うございました。
まだ、全部は読んでいませんが、「久遠の今を生きる」修行を究極まで行った場合はそれは、動的信仰へと移行していくのでは?と思います。
その動的運動が諸団体の動きに繋がっていくと思うのですが・・・ 教団で「久遠の今」を自覚して自分を喜べたら次にどういう行動をしますか? 総裁の独演講習会以外は30人以上の会合がもてなくて憂国の戦いが出来ますか・?
静的工夫ができたら、次は動的工夫に移ると第8巻の観行編に書かれてあります。
あと、次に童子さんのブログから転載したものを貼り付けます。 現状の日本を憂いて心ある政治家を応援しているのは、学ぶ会などの諸団体です。
雅宣総裁は民主党を育てたいとブログに書かれていましたが、訊け氏はなぜか創始者谷口雅春先生と思想は一致するとおしゃるので分かりません。
2029
:
ユタカ
:2013/06/16(日) 01:18:29 ID:R1D4Jmeg
>>童子さんのブログから
>>肉体民主主義
谷口雅春先生に率いられる 『人類光明化』 運動は、発祥の当初から、この岩波文化人的類型とは決定的な質と次元の相異があり、民族の伝統をふまえて全人類的普遍性・世界性を目指したのである。
それは昭和6年の 『大調和の神示』 にある 『皇恩に感謝せよ』 の一語に端的に示されている。 谷口先生において、皇室への忠誠は人為の所産でなく、じつに神の道であり、建国以来の国民の中心たる精神であった。 国民はこの独自性を奉じてのみ全人類的な永遠と普遍につながり得るとされるのである。
政治結社 生政連の成立に先立つ一年近く前、すなわち昭和38年頃だった。 東京飛田給練成道場で研修会があり、私は一時間ほど前座を勤めることになっていた。 いつもの総裁の御部屋でお茶をいただきながら、時間のくるまで御話を伺った。
そのとき、私は初めて先生の直接の御話の中に 『肉体民主主義』 という言葉を聞いた。 いままで誰も言ったことのない、誰も聞いたことのない言葉なので、私は異常な緊張を覚えた。
『民主』 というときの 『民』 が、煎じ詰めると肉体人間にすぎない。肉体的要求を言い張ることが個人の自由であり権利だという思想をそのままにして民主主義を金科玉条にする今の日本の病根の最深部にメスを入れての御発想であった。
欲望の塊りは、断じて個性であることはできない。 『個性というものは、いわばシンフォニーにおける演奏者のようなものだ。 バイオリンはバイオリン独自の音色、ピアノはピアノ独自の音色、クラリネットはクラリネット独自の音色を十全に発揮して、それらの個性が一大調和を成すのであって、全てがひとしく同じ欲望の対立的騒音を出すのでは、オーケストラの調和は成立しない』 『各自が勝手次第な要求を言い張って、ただ不協和な騒音を立てているだけで。 こんな情況をつづけていたら、日本はやがて共産化する。 コンダクターという中心がどこにもないからだ』
こう言って先生は、しばらく憮然として沈黙された。 私はそのときの先生の沈黙を忘れることができない。
ややあって、 『田中君、やはり政治結社を作ろう。 作って運動を開始しないと、間に合わなくなる』
政治結社のことは、それより二年も前から出ていたが、まだ踏み切れない状態だった。 現憲法が憲法の名に価しないこと、優生保護法の不条理なことについての烈々たる先生の御批判もつづいているときであった。
ただ、私においては、あの飛田給での先生の憂国の御言葉を聞いたとき、自分は先生の悲願である日本の政治姿勢を正すためには、やりかけた自分の学問的な仕事などは中断しても、粉骨砕身して悔ゆることなし、と腹をきめたのであった。
田中忠雄 著 『雄峯一膳飯』 より
2030
:
ユタカ
:2013/06/16(日) 01:26:11 ID:R1D4Jmeg
谷口雅春先生が昭和38年にすでに 「もう間に合わなくなる」 とおっしゃって・・・
今、昭和が終わって何年たったの? それで、裁判だなんだのとスッタモンダして・・・
そんなことやってる場合か??? 日本人性根の腐れ具合を見よ! 私も骨抜きにされているワイ!!
2031
:
ユタカ
:2013/06/16(日) 01:28:51 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま・・・
あくまでも、私はまだ、全文読んでいないまま発言しています・・・
2032
:
ユタカ
:2013/06/16(日) 07:21:10 ID:R1D4Jmeg
>>◆『選挙戦を終りて 更に聖胎長養のため
宗教に専念せん』◆
と題して
≪ 政治の一面は権力争闘であるから、そして権力は数の獲得によって得られる。従って政治に重点をおくとき、そうなるのは無理もないことなのである。鳩山一郎氏が生長の家に熱心で、総理大臣であった頃、私は立候補を思い立ったことがあったが、鳩山薫夫人が「先生のような宗教家はいつまでも清らかでおってほしい。政界へ出てはいけない。政界ほど複雑できたない処はないから」といって止めて下さった。それで私は政界へ出ることをそのとき思い止まったのであった。
今、私は今度の参院戦で勝利を得て、勝に乗じて尚進んで政治戦に盡くすべきか、暫く退いて宗教の純粋圏に止まるべきかについて考えをめぐらすとき、“今暫く退いて宗教の純粋圏のサークルをもっと大きくすることに力を盡くすべきだ”と思わずにはいられないのである。≫
と、昭和43年10月号の『明窓浄机』にお書きになっているのであります。
私は、今、この「聖胎長養」に専念する時であると考えます。
<つづく>
この場合は【 参議院 で 勝利した 】後の、< 目的を持った > さらに次に 躍進、進軍するための聖体長養でしょう・・・・どう考えても・・・・
現在、生政連もなく、勝利した参議院議員もない今に、「聖体長養」の言葉に甘えて巨体がひっくり返って起き上がれないように思います。
また、尊師の言葉を都合のいいように利用して、
生長の家に「学校」が立たない、光明化運動が「進まない」訳がこういうような所に見えてきた気がします。
尊師の晩年には尊師は親しい人にはこうもらしていたそうです。
生長の家の運動が消極的になってしまったことを憂い、尊師に当時の運動が生長の家をダメにすると危機感を抱いた大者信徒が公邸に参上して訴えましたところ、
「今は組織が大きくなって色々な決定は理事会で決定しているから、もう、僕の意思は通らないんだよう。。」
と嘆いていたと、その方の娘さんから、直接聞きました。復興Gさま、私は現況の教団に榎本先生の
お話は合わないと思いますし、今頃「聖体長養」を持ち出す時期と違うと思いますが、いかがでしょうか?
また、二葉美代様の辞世の手紙はありとあらゆる運動、特に、、、平成何年だったか、当時の白鳩誌12月号の純子総裁のご皇室に対する発言に対しては、烈火のごとくにお怒りになり、その月の「普及誌は配布しないでよい」と、ご指導なさり、純子総裁には、「もっと、勉強なさってください!」と内容の濃い手紙を送られました。 返事は全く来なかったようです。
二葉先生は実相世界に常に波長を合わせ、ご愛行も沢山して、現象界をしっかり見すえて、地に足をつけたしっかりとした運動をされつくしましたように思いました。
そのような現象の運動をやりきった後の、亡くなる寸前にベッドの上で書かれた、運動をある意味で成し遂げた先生のお手紙でしょう。
最後の 【 天壌無窮の弥栄を 生命をかけて 護れ継ぐ人 】 と言う二葉美代先生の辞世の句に先生の気持ちが溢れていると懐かしく思います。
本部の秋の功労者慰霊祭の際、息子さんが遺族代表で壇上でご挨拶をなさった際に、この美代先生の 辞世の句 を同じ壇上にいた雅宣総裁の方へ、クルっと向いて読み上げたそうです。
ちなみに、功労者の遺族を大勢本部が招待してわざわざ来てもらっているにもかかわらず、 終了してのお帰り頂く際に、玄関の門は閉められ、通用口から出されて帰らされた事もあわせて言わせて頂きます。
光明で完全円満なはずの、本部のこのような不行届き はどこから 来るのでしょうか??? 実相がそこにあることを本当に自覚して喜ぶということは容易な事ではないような気がします。
2033
:
ユタカ
:2013/06/16(日) 07:32:54 ID:R1D4Jmeg
自己主張のための再投稿
>この場合は【 参議院 で 勝利した 】後の、< 目的を持った > さらに次に 躍進、進軍するための聖体長養でしょう・・・・どう考えても・・・・
現在、生政連もなく、勝利した参議院議員もない今に、「聖体長養」の言葉に甘えて巨体がひっくり返って起き上がれないように思います。
また、尊師の言葉を都合のいいように利用して、
生長の家に「学校」が立たない、光明化運動が「進まない」訳がこういうような所に見えてきた気がします。
尊師の晩年には尊師は親しい人にはこうもらしていたそうです。
生長の家の運動が消極的になってしまったことを憂い、尊師に当時の運動が生長の家をダメにすると危機感を抱いた大者信徒が公邸に参上して訴えましたところ、
「今は組織が大きくなって色々な決定は理事会で決定しているから、もう、僕の意思は通らないんだよう。。」
と嘆いていたと、その方の娘さんから、直接聞きました。復興Gさま、私は現況の教団に榎本先生の
お話は合わないと思いますし、今頃「聖体長養」を持ち出す時期と違うと思いますが、いかがでしょうか?
また、二葉美代様の辞世の手紙はありとあらゆる運動、特に、、、平成何年だったか、当時の白鳩誌12月号の純子総裁のご皇室に対する発言に対しては、烈火のごとくにお怒りになり、その月の「普及誌は配布しないでよい」と、ご指導なさり、純子総裁には、「もっと、勉強なさってください!」と内容の濃い手紙を送られました。 返事は全く来なかったようです。
二葉先生は実相世界に常に波長を合わせ、ご愛行も沢山して、現象界をしっかり見すえて、地に足をつけたしっかりとした運動をされつくしましたように思いました。
そのような現象の運動をやりきった後の、亡くなる寸前にベッドの上で書かれた、運動をある意味で成し遂げた先生のお手紙でしょう。
最後の 【 天壌無窮の弥栄を 生命をかけて 護れ継ぐ人 】 と言う二葉美代先生の辞世の句に先生の気持ちが溢れていると懐かしく思います。
本部の秋の功労者慰霊祭の際、息子さんが遺族代表で壇上でご挨拶をなさった際に、この美代先生の 辞世の句 を同じ壇上にいた雅宣総裁の方へ、クルっと向いて読み上げたそうです。
ちなみに、功労者の遺族を大勢本部が招待してわざわざ来てもらっているにもかかわらず、 終了してのお帰り頂く際に、玄関の門は閉められ、通用口から出されて帰らされた事もあわせて言わせて頂きます。
光明で完全円満なはずの、本部のこのような不行届き はどこから 来るのでしょうか??? 実相がそこにあることを本当に自覚して喜ぶということは容易な事ではないような気がします。
2034
:
復興G
:2013/06/16(日) 20:32:23 ID:AB6RqYXc
ユタカ様
投稿、ありがとうございました。
今日はリアルの誌友会がありました。
午後からだったんですが、午前中はその準備作業に没頭していて、ここを見る余裕はありませんでした。
帰ってきて食事をして、今、見ています。
さて、ユタカさんは、「久遠の今」というのがまったくわかっておられないようですね。
>>2028
に、
>>「久遠の今を生きる」修行を究極まで行った場合はそれは、動的信仰へと移行していくのでは?と思います。<<
と書かれていますが、<「久遠の今を生きる」修行を究極まで行ってから動的信仰へと移行していく>なんて、とんでもない、全然違います。
「久遠の今を生きる」のは「上求菩提」の修行ではなく、「下化衆生」の菩提心を行ずるときの出発点と言えましょうか。
>>静的工夫ができたら、次は動的工夫に移ると第8巻の観行編に書かれてあります。<<
――違うでしょう、逆ではありませんか。第8巻の「はしがき」には、次のように書かれています。
≪すなわち「生活篇」においては、人間の円満完全なる実相を生活上の実践において、動的工夫の内にそれを実現する道を説いたのであった。しかし単に動的工夫だけでは、ともすれば浮き世の現象的同様に左右されて、深く“実相”の内部に沈潜することができないうらみがある。こにさらに静的工夫によって、あたかも潜水夫が海の底ふかく沈んで貴い真珠を採取して帰るように、深く人間の“実相”に沈潜して、人間の貴い内部にある“実相”――すなわち本来円満完全にして無限知・無限愛・無限力量なるものを現実にまで獲得してこなければならない理由があるのである。≫
と。
「生活篇」の動的工夫は誰にもわかりやすく、やさしいのです。しかし、その基礎に実相の自覚がない「動的工夫」では、まちがうおそれがあるのです。
神――実相を出発点にしないで、現象から出発した動的信仰では、
≪各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。≫
と、このたびのテキスト『生命の實相』第3巻にも(p.94)あったではありませんか。
>>2030
>>谷口雅春先生が昭和38年にすでに 「もう間に合わなくなる」 とおっしゃって・・・
今、昭和が終わって何年たったの?<<
――昭和38年当時は、天皇崇拝の愛国者などというのは極めて少数で、暴力革命を志向する左翼勢力が圧倒的だった。だから今立たなければ「もう間に合わなくなる」とという状況だったのです。しかし今は、状況は全く一変しています。
>>今、昭和が終わって何年たったの?<<
というのは、こちらがユタカさんに申し上げたい言葉です。
>>2032
>>復興Gさま、私は現況の教団に榎本先生のお話は合わないと思いますし、今頃「聖体長養」を持ち出す時期と違うと思いますが、いかがでしょうか? <<
――私は、今こそ現況の教団に榎本先生のお話は、この時のために用意されていたのかと思われるほど、ぴったりのお話だと感じています。
「聖体長養」ではありません、「聖“胎”長養」です。
ユタカさんは、「聖胎(しょうたい)長養」がどういう意味を持っているのか、わかっていますか?
わかっていれば、今こそ「聖胎長養の時」だということがわかると思いますが。
私は、「聖胎長養」を本気でやらなかったから、
>>(生長の家教団の)巨体がひっくり返って起き上がれないように思います。また、生長の家に「学校」が立たない、光明化運動が「進まない」訳がこういうような所に見えてきた気がします。<<
と、申し上げたいです。
2035
:
復興G
:2013/06/16(日) 20:37:21 ID:AB6RqYXc
>>2034
誤字訂正です。
× 浮き世の現象的[同様]に左右されて
↓
○ 浮き世の現象的[動揺]に左右されて
2036
:
ユタカ
:2013/06/16(日) 21:01:50 ID:R1D4Jmeg
復興G様
聖胎長養 とは、胎とはお腹の胎児の胎だから、内にこもって、長い時間聖なるものを修行すると思います。
間違えていたら、教えてください。
復興Gさまの返信がどうしてそうなるかわかりません。 学校が建たない理由を特に知りたいです。
2037
:
復興G
:2013/06/16(日) 21:17:05 ID:AB6RqYXc
>>2036
:ユタカ様
>>2011
の中ほどの所と、
>>2018
を、まずごらんください。
私は、「久遠の今」に立って、ぶれることなく、無限力を発揮して「下化衆生」の菩提心を行ずることだと思っています。
ありがとうございます。合掌
2038
:
トキ
:2013/06/16(日) 22:24:05 ID:5sD5Sd62
ユタカ 様
谷口雅春先生がある不動産業者から別荘地用の土地を寄付され、学校の建設を企画されたが、
いろいろな事情で断念し、土地も元の所有者に返還されたことがあったようです。昔の神誌に、
その経過を書かれたご文章があったと記憶しています。探してみて、見つかったら掲載します。
2039
:
ユタカ
:2013/06/16(日) 22:26:02 ID:R1D4Jmeg
聖胎長養とは、
禅宗においては、見性を得た身心をさらに長く養い、悟りを育てる悟後の修行を「聖胎長養」という。修行が済み、ある境地を得たといっても、それを真に無碍自在に活用できるようになるがために、容易に世に出ずに、さらに心境を錬ること。人は一度悟ったとしても、慢心しているとすぐ迷妄に陥るからとする。
2040
:
復興G
:2013/06/16(日) 22:35:32 ID:AB6RqYXc
なお言えば、『實相と現象』の「はしがき」(谷口雅春先生最後の絶筆と思われる)に
≪諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
昭和六十年五月二十八日≫
これにお応えするのが「聖胎長養」であると思います。
その「聖胎長養」を、本気で実行していなかったから、現状のような分裂さわぎを引き起こすようなことになった。
それを、教団側は別派が悪いと言い、「本流」は雅宣総裁とその取り巻きが悪いと、お互いに責任をなすりつけ攻撃し合っているような状況だから、
>>(生長の家教団の)巨体がひっくり返って起き上がれないように思います。また、生長の家に「学校」が立たない、光明化運動が「進まない」<<
ということになっているのではないでしょうか。
それは、だれの責任ということではなく、おそらく
「迷いと迷いと相搏(う)って自壊する」 過程で、これから神の国運動の新しい夜明けが始まるのだ、新天新地が開けるのだと私は信じています。
≪まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。(声字即実相の神示)≫
と。だから、≪生命の実相をしっかり握って神に委せ≫ることが、今最も大切なことなのではないでしょうか。
だから、今こそ「中(みなか)」に還って浄まる時であり、「久遠の今」に起つ時であり、「聖胎を長養する」時だ、と思います。
「新天新地の神示」を謹写掲示させて頂きましょう。
○
新天新地の神示
見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。人々よ、眼の蔽いをとれ、われは新しき智慧である。新しき生命である。新しき宇宙である。新しき光明である。
われ臨(きた)って此の世界は既に変貌したのである。既に信ずる者の暗黒は消え、醜悪(しゅうお)は滅し、病いは癒え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。
神秘を見て人々よ、目覚めよ、覚めてわが新しき光に照らして存在の真実を見よ。われは存在の実相を照らし出す完成(ななつ)の燈台に燈(ひ)を点ずるものである。
悲しみに泣き濡れた人々よ。いま眼を上げて吾が光を受けよ。汝の悲しみは喜びに変るであろう。病める者よ、いま病の床より起ちて、わが生命を受けよ。われを拒むな。われを信ぜざる者は已(や)むを得ぬ。われを信ずる者は黙坐してわれを念じ、われに依り頼れ。われ汝等に『神想観』と言う観行を教えたればそれを為せ。われに汲むものは常に新しき力に涸(か)れないであろう。
吾を呼ぶ者のもとに吾れは常にありて、汝らのために汝らの重きくびきを軽からしめる。なんじ一人ならば吾れを念じて吾れとともに二人なりと思え。なじら二人ならば、吾れを念じて吾れと倶(とも)に三人なりと思え。悩める者よ、わが言葉を読めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。そはわれは限りなき大愛であるからである。
汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出ずるに驚くであろう。信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けようがないのである。汝の心の疑いがわが心の波長に合わないからである。
遠くにいて救われている者もあるが、近くにいても救われぬ人もある。仕方のないことであるが不憫である。もっと兄弟たちに、『生長の家』を伝えよ。神の愛は貰い切りではならぬ。頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。『生長の家の神』と仮に呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い。七つの教えとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教えで新しき生命を得るのだ。わが教えはどんな教えをも排斥するような狭い宗教ではない。教えの太宗であるから宗教と言うのである。
(昭和六年五月六日神示)
ありがとうございます。
2041
:
ありがとう
:2013/06/16(日) 23:06:56 ID:???
『聖胎長養』を発表されて すぐに
『憲法の正しい理解』『占領憲法下の日本』及び『生長の家』誌臨時増刊号を出され
《一大頒布運動せよ》の大号令を発せられております。
そのあたりが無視されているのが反本流です
2042
:
ユタカ
:2013/06/16(日) 23:57:38 ID:R1D4Jmeg
復興G様、トキ様、みなさま、
父が木曜日に入院して金曜日に手術したのに、明日退院ということなので、母と迎えに行きますので、しばらく失礼しますが、落ち着いたらまた出てきます。
有難うございます。
2043
:
「訊け」管理人
:2013/06/17(月) 06:11:13 ID:???
>>2042
たいへんな時期のご投稿だったのですね。ありがとうございました。
また、御尊父の快癒を祈念致します。ご安心ください。
拜
2044
:
復興G
:2013/06/17(月) 07:04:50 ID:AB6RqYXc
>>2042
:ユタカ様
合掌。楽しみに待っています。神様の祝福が天降り、ご一家皆さまの完全ご健康とよろこびに満ちたご繁栄を祈念しています。
祈りながらも、私の気持はもう少し書かせて頂くつもりです。ありがとうございます。
2045
:
復興G
:2013/06/17(月) 07:16:33 ID:AB6RqYXc
“発心(ほっしん)正しからざれば万行むなしく施す”という道元のコトバがあります。
私は、出発点を 「久遠の今」 とし、対立がない 「絶対無」 から出発して、「聖胎(しょうたい)長養」 に励みます。
「聖胎」 の意味は――すべての人の内なる神、 「久遠の今」 なる実相地にある 神の構図であると考えています。
その「実相」が「独在」であることを信じて、軸をぶらすことなく、自分を拝み人を拝むみ、永遠なる「上求菩提・下化衆生」の菩提心を行じます。
それが私の、永遠に続く「運動」であります。
谷口雅春先生は、『国のいのち 人のいのち』というご著書の中で、「3 唯物論か唯神実相論か――真理国家建設の原点」と題して、次のようにお書きになっています。
○
≪ “言葉の原点” について
大学生の夏期練成会に、講義ぜんたいの編成の順序の上からわたしに「唯物論か唯神実相論か」という題と、「真理国家建設の原点」という題を与えられた。(中略)
「原点」という語の“点”とは何であろうか、点は長さも広さも厚みもないただ位置を示す語である。しかし、そこに「何か」がなければ、その“位置”に据わる何ものもないから、“位置”そのものもないし、従って“点”もない訳である。“点”というからには、其処に何かがなければならない。点は長さも広さも厚みもないから、其処に位置する何かがあるとすれば、それは長さも広さも厚みもないいわゆる“三次元的存在”ではない。“超次元的な存在”があるということを、“原点”と書いた人も、それを読む人も共に、潜在意識が知っていて、互いの諒解の上に“原点”という文字が書かれ、また読まれているのである。≫
○
――先生は、「真理国家建設の原点」は、超次元的なところにある、とご教示くださっているのであります。それは、時空を超えた 「久遠の今」 にあると、そう申し上げる根拠は、他にもあります。いずれ、それを提示させていただくつもりです。ありがとうございます。
靖国様は、
>>2007
で
>> ああ!!尊師の御教えはどこに行ったのでしょう。《
この教団の現実に対して、どうするのですか…?
それが最も重要なポイントなのです。少なくとも、私の言動のすべての原点は、ここにあります。<<
とおっしゃっていて、運動の原点、出発点とするところが全くちがうのであります。私の出発点は実相地であり、靖国様の出発点(原点)は現象地なのであります。
2046
:
「靖国見真会」参加者
:2013/06/17(月) 15:44:41 ID:0PL7dBUs
「復興G」様へ
》私の出発点は実相地であり、靖国様の出発点(原点)は現象地なのであります。
立ち位置の違いを明らかにしていただき、感謝申し上げます。
しかし、その違いは違いとして、私が危惧するのは、次の一点であります。
》私の出発点は実相地であり
という人が、往々にして、「八ヶ岳教団」の現実に、頬被りしてしまうことであります。
現に、私どもが「八ヶ岳教団」の実態について何かを言うと、「現象なし、実相を直視していればいい」という答えが返ってきます。
「現象なし」という教えが、現実を見ないでいいということに悪用されてはいないか、それを恐れるのです。
「現象なし」でやり過ごしているうちに、谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり、新しい「経本」の読誦は強要され、「ご神像」は踏みにじられ、本部会館は破壊されてしまいます。
「復興G」様も、かかる「八ヶ岳教団」の実態には心を痛めていられると伺っていますが、ただ心を痛めるだけでいいのですか?
「実相地」に立つということは、心を痛めるというだけでいいということなのでしょうか?
心痛む「現象」について、何も働きかけないでいいということなのでしょうか?
「実相地」に立つということと、「八ヶ岳教団」の実態に対してどうするのか、ということとはどういう関係になるのでしょうか?
そこが今一つ判然としません。
「実相地」に立つということは、「八ヶ岳教団」のこの実態の中で、どう生きることなのか、それを具体的にご教示願えれば幸いに存じます。
2047
:
こんにちは
:2013/06/17(月) 21:59:35 ID:ePHqkVHw
復興G様は、その問いにはすでに答えていらっしゃいますよね。何度も何度も。
2048
:
こんにちは
:2013/06/17(月) 22:08:54 ID:ePHqkVHw
この論争は、単純な相違が原因でしょう。
実相独在を絶対的に信頼するのか?
それとも、その立場にこだわらず現実的に対処しようとするのか?
この信念、信条の対立ですから、永遠に分かり合えないと思います。
自分の立場に執着する限りは。
2049
:
ユタカ
:2013/06/17(月) 23:30:02 ID:R1D4Jmeg
こんばんは
退院が延びましたあと、2,3日でするでしょう。(だいたい、早すぎると思った!!) ゆっくり読めていませんが、ざっくりとは読ませていただいています。
復興Gさま、お祈りを有難うございます。 復興Gさまは愛の信仰を生活されていらっしゃいます! 感謝、感激です。ありがとうございます。
復興Gさま、ドンドン書いてください、勉強になりますから。。。 そして、ユタカがまじめに、間違った事を大いばりで返信しますよ。
よろしくお願いします。
2050
:
ユタカ
:2013/06/17(月) 23:31:12 ID:R1D4Jmeg
訊けさんもお祈りを有難うございます。 心より有難うございます。感謝いたします。
2051
:
ユタカ
:2013/06/17(月) 23:33:39 ID:R1D4Jmeg
>「上求菩提・下化衆生」
復興Gさま、上記内容はどこで勉強したらいいですか?
2052
:
ユタカ
:2013/06/18(火) 00:01:27 ID:R1D4Jmeg
あ、っと。。。。
復興Gさま、、、美代先生は常々、『私達は「現象なし」の教えを頂いているのですから、現在の教団でも大丈夫ですね。』
とおっしゃっていました。このことを書き込むのを忘れていました。 今も少ししかかけなくてごめんなさい。 書き方が悪くて意味が通じないかも知れません、また、今度書きます。
2053
:
復興G
:2013/06/18(火) 01:41:34 ID:AB6RqYXc
>>2046
:「靖国見真会」参加者様。
ご投稿、ありがとうございました。
>>「実相地」に立つということは、「八ヶ岳教団」のこの実態の中で、どう生きることなのか、それを具体的にご教示願えれば幸いに存じます。 <<
――このご質問に「具体的に」お答えしたいと思いますが、これは難問なので、すこし周辺のことからアプローチしたいと思います。
私のところに今し方、amazonに今朝「お急ぎ便」で注文した一冊の本が、夜9時ちかくになって届きました。
『国家の命運 安倍政権奇跡のドキュメント』(小川榮太觔著)という本です。
この本のオビに、次のように書いてあります。
≪悪化するデフレ、中国・韓国による領土侵犯、迫り来る国難の数々。
安部政権はぎりぎりで間に合った 奇跡の政権である。
もし民主党政権が続いていたらどうなっていたことか。デフレの膠着と消費増税のダブルパンチによる失業と自殺の急増、国富の海外流出と産業空洞化の更なる進行、国民の完全な自信喪失、そして、尖閣諸島の実効支配を中国に奪われ、アジア太平洋地域の安全保障環境は激変し、日本は、完全に中国の属国となっていたであろう。
安倍政権が大車輪で行ったのは、まず、経済と外交・安全保障という日本の外壁の補修だった。だが、これは「日本及び日本人」の大きな物語を取り戻すための、序章に過ぎない。明日にも始まろうという「国家の命運」を賭けた本当の戦いに備えるための、緊急の現場報告として読んでいただければ幸いだ。(本文より)≫
と。
この本の中身はこれから読むので、まだ読んでいませんが、この「オビ」の文章を読んで、思ったことがあります。
それは、「生長の家の命運」についても、似たようなことがあるのではないか、ということです。
日本は神の国である。もちろん、世界のすべての国は神の国に違いありませんが、特に日本は天之御中主神から始まり「豊葦原の瑞穂の国は是れ吾が子孫の王たるべき地なり」という天壌無窮の御神勅から始まっている国であり、神の構図、中心帰一のすがたを最もよく体現し、皇祖皇宗・護国の神霊、住吉大神が護り導き給う国でありますから、どんな国難に出遭っても奇蹟的にも乗りこえて、八紘一宇の真の世界平和、神の国を地上に実現する核となるべき使命を果たすようになっているのだと、私は信じます。それは、無我無私の天皇陛下が中心にましますからでもあります。
それと同じく、生長の家は神が始められた神の国運動でありますから、現象的にはどのように危機的な状況があらわれようとも、神の護り、高級霊の護りと御導きがあって、必ずその使命は果たされると信じています。
で、今は現象的には教団が分裂状態で、危機的状況にあると見えます。「靖国見真会」参加者様は、
>>「復興G」様も、かかる「八ヶ岳教団」の実態には心を痛めていられると伺っていますが、ただ心を痛めるだけでいいのですか?
「実相地」に立つということは、心を痛めるというだけでいいということなのでしょうか?<<
とおっしゃっていますが、私は決して「ただ心を痛めるだけ」などということはありません。
私は、この日のために、ちゃんと神は榎本恵吾という人に使命を与え、「實相独在」に徹しながら生長の家を混乱から救い、本来の大調和のすがたに還らせる道を用意しておかれたような気がします。
<つづく>
2054
:
復興G
:2013/06/18(火) 01:42:16 ID:AB6RqYXc
<つづき>
榎本恵吾氏自身、『波状光明化への道─内なる神に捧ぐるレポート─』という著書(未公開)のはしがきに、
≪何か時の萌(きざ)しというものを感ずることがある。何か偉大なる時の近づこうとしつつあることを感ずる。それは何であり、どのようなことかは知らない。この“時”と云うものは自我を死に切っている生命には聴くことが出来るのであろう。
この書はその“時”のために必ず必要とされるべきものである。そのときのために自然と準備したくなったのも、既に、その“時”と云うものに導かれていると云うことが出来るかも知れない。このような時のためには色々なものが動き出しており、それは天界、霊界、現界においてそれは起っているであろう。その意味で、もっともっと善きものが現われて、この書が必要でないと云うことが興れば、それは幸いなことである。しかし、必ず時は来たる。≫
と書いておられます。
榎本恵吾氏は、未公開の膨大な文書を遺しておられますが、その一つに 『神癒の展開としての人類光明化運動―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―』 というのがあります。これは、53字×19行×1000頁 すなわち約100万字にもなる膨大な論文ですが、その一部をご披露させていただきます。
○
「神癒」とは如何なるものであるか。「生命の實相の自性円満」を自覚したときに起こるところの「よろこばしき何か」であることを再びここで確認しておきたいのである。
「生長の家人類光明化運動」は、神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、永遠久遠なるものが為し給うているのである。
「生長の家人類光明化運動」のどこにも人間力は要らないのである。
しかも「生長の家人類光明化運動」自体が「私は無いのです」との消え切りの澄み切りなのである。「魚行きて水濁らず」なのである。
「便所に宿る神」ではなく「便所が神なのである」と大聖師のお言葉があった。
「生長の家人類光明化運動」は神が導き給うのではないのである。「生長の家人類光明化運動」が神なのである。
自分というものはどこにも存在しないのである。自分はどこにも要らないのである。自分の要らない運動を聖なる運動といい、神なる運動というのである。
『般苦心経』において、先ずはじめに、観自在菩薩が光明燦然たるお相(すがた)で登場され「五蘊皆空(ごうんかいくう)」と照見され給うのである。照見とは照らし見るということであるから、「五蘊皆空」「現象無し」というこの文字は、観自在菩薩の光りのひろがり、展開としてあるのであって、何もない空々漠々たることではなく、光りなる内実のひろがりなのである。また「現象は無かったのだ!!」というよろこびの輝きのひろがりであると見ることも出来るのである。
「生長の家人類光明化運動」も「私は無いのです」とのみずからの消え切りの、澄み切りの、よろこびなる天照大御神の輝きそのものである、聖の聖なる照り渡りそのものであることを感謝したのである。
それは世界的状況という、現象の必要性、肉の状況にさそわれて出発した運動ではなかったのである。
○
<つづく>
2055
:
復興G
:2013/06/18(火) 01:43:15 ID:AB6RqYXc
<つづき>
――私は、このように榎本恵吾氏のおっしゃるような運動が本当の人類光明化運動であると思っています。私たちが「自分というものはなかったのだ」と悟り、「現象なし。ただ神のみあり、実相独在、神の運動のみあり」として無我の歓喜の運動を自由自在に展開して行けば良いのである。それ以外に真に生きる道はない、と信ずるのです。
私は、そう信じて、リアルの誌友会でも、web誌友会と同様の発言をしています。テキストは『生命の實相』が中心です。『古事記と現代の預言』などを使うこともあります。
相愛会東京第一教区連合会の運動方針書には、
・ 「神様の天降る誌友会」の開催。
・ 『生命の實相』の全巻読破をめざす。
ということが明記されています。
私は、『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは読みません、と言って、まだ読誦したことがありません。
「鎮護国家」=「真の世界平和への道「である。「鎮護国家」なくして究極の世界平和はあり得ない、と叫んでいます。当然、「クビ」を覚悟です。
しかし、不思議なことに、まだクビになっていません。
「靖国見真会」参加者様は、
>>「現象なし」でやり過ごしているうちに、谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり、新しい「経本」の読誦は強要され、「ご神像」は踏みにじられ、本部会館は破壊されてしまいます。<<
と書かれましたが、かなり事実誤認があると思いますね。
「谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり」は誇張宣伝です。一部の聖典が重版保留になっていまして、解除を願っていますが、それは「絶版」ではないと言われているから解除を願っているのです。
「ご神像」は、何も踏みにじられてはいません。山梨へ移転はされましたけど。
新しい「経本」の読誦は、強要されているとは思いません。私は誦まなくてもすんでいます。
「靖国見真会」参加者様。
谷口雅春先生は、「現象なし。ただ神のみ実在する」とのご自覚のもとに、たとえば日教組を遠慮なく口撃されることもありました。現象は影に過ぎず、「ナイ」から無いものを攻撃されることもあったけれども、常に「絶対無」の境地に立っていらっしゃったと思います。
「現象は、ない。」 「自分は、ない。」 に徹したとき、「神しかない」 のだ から、「自分は神だ」 となる。
「“自分”というものはどこにも存在しないのである。“自分”はどこにも要らないのである。“自分”の要らない運動を、聖なる運動といい、神なる運動というのである。」
「妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができるのである。」(天地一切と和解する祈り)
――この道一筋に進んでいきます。
2056
:
復興G
:2013/06/18(火) 02:39:35 ID:AB6RqYXc
>>2047
・
>>2048
:こんにちは様。
応援、ありがとうございます。
こんにちは様のご投稿を見ないで、靖国様にお返事を書いていました。
>>この論争は、単純な相違が原因でしょう。
実相独在を絶対的に信頼するのか?
それとも、その立場にこだわらず現実的に対処しようとするのか?
この信念、信条の対立ですから、永遠に分かり合えないと思います。自分の立場に執着する限りは。 <<
――簡単にはわかり合えないでしょうが、「永遠に」ではないと思っています。
ありがとうございます。
2057
:
復興G
:2013/06/18(火) 02:40:35 ID:AB6RqYXc
>>2049
〜
>>2051
:ユタカ様。
投稿、ありがとうございました。
>>退院が延びました あと、2,3日<<
そうでしたか。ゆっくり休まれて、よく快復されるでしょう。
ユタカさんは何でも気取らず素直に書いてくださるから、うれしく楽しくなります。
>「上求菩提・下化衆生」
復興Gさま、上記内容はどこで勉強したらいいですか? <
上求菩提(じょうぐぼだい)は仏教で悟りを得るため(聖なる求めのため)に修行すること、下化衆生(げけしゅじょう)はすべての人(衆生)に真理を伝え救いを与えること。上求菩提と下化衆生は表裏一体で精進向上の車の両輪のようなもの、とされます。昔、このテーマ(「上求菩提と下化衆生」)で実相研鑽会が行われたことがありました。そのときの谷口雅春先生の御結語がカセットテープになって販売されたのを持っていますが、『實相研鑽』の本には載っていないようですね。
『生命の實相』では第35巻に「下化衆生篇」というのがありますが、これは「哲学の実践」となっていて哲学史が書かれておりちょっと難しく、「下化衆生」の意味については特に書かれていません。
そのうち、「上求菩提と下化衆生」についての谷口雅春先生御結語を、テープ筆写してお伝えできればと思っています。ありがとうございます。
ユタカさんは、二葉美代先生のところで学ばれてたんですね。幸せでしたね。
2058
:
「靖国見真会」参加者
:2013/06/18(火) 13:11:43 ID:0PL7dBUs
「復興G」様へ
私の質問に対して、丁寧に回答いただき、心から感謝申し上げます。
とりわけ、ここには感激いたしました。
》私は、『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは読みません、と言って、まだ読誦したことがありません。
「鎮護国家」=「真の世界平和への道「である。「鎮護国家」なくして究極の世界平和はあり得ない、と叫んでいます。当然、「クビ」を覚悟です。
しかし、不思議なことに、まだクビになっていません。《
クビ覚悟で、信念を貫かれていることに心から敬意を表するものであります。
ただし、この一点だけは、承伏しかねます。
》「靖国見真会」参加者様は、
>>「現象なし」でやり過ごしているうちに、谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり、新しい「経本」の読誦は強要され、「ご神像」は踏みにじられ、本部会館は破壊されてしまいます。<<
と書かれましたが、かなり事実誤認があると思いますね。
「谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり」は誇張宣伝です。一部の聖典が重版保留になっていまして、解除を願っていますが、それは「絶版」ではないと言われているから解除を願っているのです。
「ご神像」は、何も踏みにじられてはいません。山梨へ移転はされましたけど。
新しい「経本」の読誦は、強要されているとは思いません。私は誦まなくてもすんでいます。《
「復興G」様との認識の違いをとやかく言うことは控えますが、新しい「経本」を読誦しなくてはならないようにどんどん現場の信徒は追い込まれていることについては、知っていただきたく思います。
自分一人、その読誦から免れているからと言って、それですむ話しではないと思うのです。
教区の行事に参加したら、プログラムに新しい「経本」の読誦が入っているという現実があるわけです。
それがどうしても嫌だという信徒が一方にはいるのです。
私は、「八ヶ岳教団」のやり方に納得いかない信徒のために、自らの信念に基づいて行動していきたいと思っております。
「復興G」様におかれましては、ますますのご活躍を心から祈念申しあげます。
失礼な物言いの数々、ご寛恕願えれば幸甚です。
2059
:
復興G
:2013/06/18(火) 15:51:24 ID:AB6RqYXc
>>2058
:「靖国見真会」参加者様。
ご丁寧な回答、ありがとうございました。
おっしゃることは、わかりました。
それぞれの場で、祈りつつがんばりましょう。
合掌
2061
:
ユタカ
:2013/06/19(水) 11:08:36 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、2060ですが、まずい表現がありましたら、削除なさってください。
2062
:
復興G
:2013/06/19(水) 14:03:46 ID:AB6RqYXc
>>2060
:ユタカ様
ありがとうございます!!
2063
:
志恩
:2013/06/19(水) 15:30:33 ID:.QY5jUA6
ユタカ様
復興G様の、貴重な新情報、感謝申し上げます。 (๑ˇˇ๑)•*¨*•.¸¸♪
2064
:
ユタカ
:2013/06/19(水) 18:05:35 ID:R1D4Jmeg
志恩さま、 総裁や本部に『物申す!』為の最重要な資格とは、やっぱり、会員であること なのではないでしょうか? 外部にいては、もう何も言えないと思うのですが・・・
トキ様 >2060 を削除してください。余計なこと書いている気がします。
2065
:
トキ
:2013/06/19(水) 18:12:43 ID:Mh/E.L56
別に問題はないと思うのですが、どうしても御希望なら削除します。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2066
:
志恩
:2013/06/19(水) 20:07:20 ID:.QY5jUA6
ユタカ様
>>2064
:ユタカ様は、
[総裁や本部に『物申す!』為の最重要な資格とは、やっぱり、会員であること なのではないでしょうか?
外部にいては、もう何も言えないと思うのですが・・・]
とおっしゃいますが、私は、そうは思いません。
生長の家を辞めて、他宗教の会員になった場合は,生長の家の人間ではなくなったので、
その場合は、生長の家の総裁や教団に、もの申すことの資格は,喪失すると思いますが、
生長の家の教え自体は、辞めてなくて、ゆえあって、聖使命会員や誌友を辞めている人は、もの申す資格があると存じます。
例えば、私は、実家から独立して、結婚し、実家の人間ではなくなり、名前も変わりましたが、
実家とは、心は永遠に繋がっているからです。。、実家のことは、いまでも我が事で、あるからです。
生長の家教団もそうです。
生長の家は、われわれ信徒にとりましては、魂の実家だと思っているのです。
ですから、生長の家の聖使命会員や誌友だった人が、思う所があり、会員や誌友をやめたあとであっても、
実家(生長の家は、魂の実家です)が、とんでもない状態になっていましたら、他人事として、放っては置けないものなんです。
それは、中には、放っておける人もいます。なので、人によりけりですが、、
例えば、教団の会員や誌友をやめて、本流の誌友になっても、
どちらも、同じ生長の家であるのです。
われわれは、本部や教団や、総裁が、、元々の教えと、外れた道にどんどん行ってしまった場合は、立ち返って欲しい旨や、
間違ったことをしている場合は、それは,間違っていると、信徒として、勇気を持って言わなければ、ならないと思っています。
もともとの教えは、個人の問題のみならず、国家の問題も大幅に含んでおりますからね.
ちなみに、私のことを言えば、結論を言えば、私は、まだ聖使命会員です。私は、母がやってくれてた分と自分がやってた分と合わせれば、
50年以上の会員でした。
でした。というのは、私は、雅宣総裁が総裁になってから、聖使命会費
(自分と家族の分)を払うのは、思うところがありまして、やめているからです。
ところが、そのことを、北陸に住む、生長の家に熱心である義兄に言いましたら(これは、前にも言いましたけれど)
それは、まずいと義兄にいわれ。。しかし、私は、今ははらいたくないと理由もいいましたら、それからは、
私の夫と私の分の聖使命会費を、ズ〜〜ッと,義兄が、われわれの代わりに
払い続けてくれているのです。いまでも、そうです。
私は,今の状況では,裁判に使われるので、払うのは,やめて欲しいと義兄に頼んだのですが、聞き入れてもらえませんでした。
義兄は、やはり、払い続けて下さってるそうです。
ですから、私は、義兄のおかげで、いまでも聖使命会員なんです。
2068
:
復興G
:2013/06/19(水) 20:54:49 ID:AB6RqYXc
ユタカ様、志恩様
ご愛念に感謝いたします。
私は、ユタカ様のご希望どおり、削除していただいた方がよろしいと思います。
トキ様、よろしくお願い申し上げます。
合掌
2069
:
トキ
:2013/06/19(水) 20:59:36 ID:Mh/E.L56
ただいま、削除いたしました。遅れてすみませんでした。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2070
:
ユタカ
:2013/06/19(水) 21:13:46 ID:R1D4Jmeg
>義兄は、やはり、払い続けて下さってるそうです。
ですから、私は、義兄のおかげで、いまでも聖使命会員なんです。
なんだか、面倒味の良いお兄さんで良かったですね。 私は総裁に現在の時点で個人で【 総裁や本部 】 に色々な意見を直接言える権利があるのは、<会員>限定と思います。 勿論、例えば自分のブログ、掲示板などでもご自由ですが・・・ 返事をもらえる可能性の高いのは前者の方でしょう。ですが、返事がもらえなくても、外部からの相当な人数の意見があれば、何かが動く可能性も有るかも知れませんね。 元気な志恩さんはおっしゃりたいのですね。。。
私は、何だか復興G様とお勉強をさせて頂いて、少しづつ心が変わってきました。今は復興G様と勉強を続けさせて頂いて、神様と直結したいです。
トキ様 >2060の事は、志恩さんのあとおしで、そのままで・・・お願いします。 復興Gさまは神様に直結していらっしゃるから。と思います。
2071
:
ユタカ
:2013/06/19(水) 21:15:01 ID:R1D4Jmeg
あ、すみません。削除してくださっていてました。すみません。。。。
2073
:
トキ
:2013/06/19(水) 21:57:50 ID:Mh/E.L56
>>2072
猥褻な表現があったので、削除しました。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2074
:
ユタカ
:2013/06/20(木) 06:39:35 ID:R1D4Jmeg
>2072はユタカではありません。
2060の書き込みは自分にしか分からない内容なので削除していただきました、あれは一度復興G先生がきてくれた後の話ですから。。。
2076
:
志恩
:2013/06/20(木) 07:46:18 ID:.QY5jUA6
ユタカ様、
会員のみが、「総裁、本部」に言える権利があるとおっしゃいますが、
その会員とは、組織に属している人、、という意味でしょうけれど、
トキ様もおっしゃってますが、会員に続している人の発言は、極々少数なんです。
総裁や本部に対して、ここがおかしいとか、会員が、言いますと、大方の場合は、書いたご本人に対して、
厳しい締め付けや、出講停止処分や、自らが辞めざるを得なくなることや、
様々なお仕置きが、あちこちで実際あるし、起こっているのだと、いうことをトキ様も、書かれておられます。
ですから、言いたくても、言うに言えない会員さんも 多くおられると存じます。
会員しか言う権利がないとすれば、総裁や本部は、もっともっと、やりたい放題に
なると、思いませんか?会員は、反対意見があるなら、組織を離れろと上から言われるので、
反対意見は、言えないのですから。
会員がいえるのは、ほとんどが、雅宣総裁への中心帰一の言葉だけでしょう。
これですと、教団本部や総裁は、巧妙なやりかたで、巧妙な言い回しで、会員に伝えますので、
雅春先生の愛国書を絶版にしたことや、鎮護国家をはずしたことや、まままた裁判をはじめることに
なったことも、その他のあらゆるあこぎな事実が、闇から闇へ葬られていくだけではありませんか。
ここで、いくらいってみても、総裁や本部は、ぬかに釘だとお思いでしょうが、
ここの掲示板の役割は、総裁や本部に訴えているだけではないのです。
世界中の生長の家の信徒の閲覧者の皆様あてに、情報を提供して、いるのです。
本流の掲示板で、それらの事実を、発表して下さるので、初めて、会員や信徒が
真実を知る事が、出来ていますし,おかしいことは、おかしいと思い、
本来の教えを護ろうという運動も、出て来ているのではないでしょうか.
つまり、もともとの生長の家の教えは、「個人だけで、勉強しておればいい」それは、
大変大事なことでありますが、その状態だけでは、いつのまにか
雅春先生の教えが、この世から消しさられていても、気がつかないのでは、ないでしょうか?
復興G様の昔の一面をユタカ様が、書いて下さいましたので、うれしく存じましたが、
復興G様は、昔は、総裁に手紙を出されたこともあるほど、積極的に行動され、ご老公のような
貴いお役目も、されておられましたのに、今は、そのようなお役目をされている本流を、
厳しく批判されてると捉えられる発言の数々をされていらっしゃる。。。ということは、
きっと、なにか心境の変化がおありになったのかな、、、と、不思議に思っております。
2077
:
志恩
:2013/06/20(木) 07:56:11 ID:.QY5jUA6
発言も、行動の1つだと思っています。
2078
:
志恩
:2013/06/20(木) 08:19:19 ID:.QY5jUA6
ユタカ様は、二葉美代先生をよくご存知のお方でいらしたのですか。
それは、幸運なお方でいらっしゃいますね。
二葉美代先生は、とてもすばらしいお方だということは、昔から有名でしたので、
私も、昔からお名前だけは、存じ上げておりました。
昔からご活躍されておられて、当時も白鳩の努力賞か、功労賞も受けられていたような
うっすらとした記憶がございます。
多分、昔、本部でもお目にかかったことがあるのでしょうけれど、記憶がぼやけていて
思い出せません。
榎本恵吾先生の追悼文集の「はじめなく おわりなく」の中で、
二葉美代先生は、【光のある内に】3冊ボロボロに・・・と題されて、追悼文を
寄稿されておられます。
復興G様も、寄稿されておられます。
お二人とも、榎本恵吾先生とは、かなり親交のおありになった間柄でいらしたのでした。
そうでした、そうでした
榎本恵吾記念館も・・・、これ以上、申し上げるのは、控えさせて頂きます。^^
2079
:
志恩
:2013/06/20(木) 10:34:06 ID:.QY5jUA6
>>2078
: で、 [二葉美代先生は、【光のある内に】3冊ボロボロに・・・と題されて、追悼文を,,,,,,]と書きましたが,
その【光のある内に】という著書とは、先日、復興G様が謹写して下さいましたが、私も、その著書は、持っております。
『光のある内に』は、岡正章先生/榎本恵吾先生著です。とても美しく表現されている深い真理の書です。
>>人々は、なぜ、ハーモニーを愛さずにいられないのであるか。それは、自分自身がハーモニーであるからなのである。
音を組み合わせてハーモニーをつくるという以前に、その一つ一つの音は、すでに本源世界の大調和(大ハーモニー)の世界から発せられて来ているのである。
その本源のいのちが神の子のいのちである。”神の子”とは”ハーモニーの子”ということであったのである。
その本源世界に立って、大宇宙という一大ハーモニーを産み出し、指揮しているのが神の子であったのである。
何という美しいいのちの喜びの体験であろう。
この喜びを語る人の何と美しく輝いていたことか。私はこのような体験を聴きつつ自分のいのちが新しく甦って来るのを憶えるのである。<<
と
2080
:
復興G
:2013/06/20(木) 11:00:30 ID:AB6RqYXc
>>2079
:志恩様。
>>人々は、なぜ、ハーモニーを愛さずにいられないのであるか。それは、自分自身がハーモニーであるからなのである。
音を組み合わせてハーモニーをつくるという以前に、その一つ一つの音は、すでに本源世界の大調和(大ハーモニー)の世界から発せられて来ているのである。
その本源のいのちが神の子のいのちである。”神の子”とは”ハーモニーの子”ということであったのである。
その本源世界に立って、大宇宙という一大ハーモニーを産み出し、指揮しているのが神の子であったのである。
何という美しいいのちの喜びの体験であろう。
この喜びを語る人の何と美しく輝いていたことか。私はこのような体験を聴きつつ自分のいのちが新しく甦って来るのを憶えるのである。<<
よく、すばらしい榎本先生のご文章を謹写してくださいました。
そうです、すべての人は本来神の子、ハーモニーの子であるから、ハーモニーを愛さずにはいられないのですね。
私は、上記のご文章を読んで、本当に魂が打ち震えるようなよろこびを感じます。
そして、今、そのよろこびを、この地上にもっともっと拡げていきたいと、切に切に願い、実践して行こうと決意を新たにしています。
ありがとうございます。
2081
:
ユタカ
:2013/06/20(木) 12:14:01 ID:R1D4Jmeg
志恩さま
>会員しか言う権利がないとすれば、総裁や本部は、もっともっと、やりたい放題に
なると、思いませんか?会員は、反対意見があるなら、組織を離れろと上から言われるので、
反対意見は、言えないのですから。
会員がいえるのは、ほとんどが、雅宣総裁への中心帰一の言葉だけでしょう。
=====
総裁や本部に<直接>物が言えるのは会員だけです。 家族でも同じだと思います、家の中ことは家族しか言える権利がないです志恩さんのところは、家の中のルールに対して隣の家の人がアーダコーダ言って来るとして相手にしますか?
それを言いたいのです。 言いたければ、まず、志恩家の家族になってルールに従わなければいけないと思います。そこで、初めて物が言えると思いますよ。
物が言えない時は志恩家を飛び出て独立する。 そういう事だと思います。
志恩家がいくら道を間違えて、近隣から悪口を言われようとも「余計な世話だ!」と突っぱねているのが現教団でしょう。
会員への締め付けはあります。 現に、講習会推進中に、あと3ヶ月で講習会だと言うのに、本部で数のこと言われて頭にきた連合会長があっさりとさっさと辞めたと訊いたことがあります。
私は、無理をして本部の締め付けに従うよりずっと、自分の意見を言ってさっさと生長の家の組織を捨ててしまった方をカッコイイと思います。いわゆる、見切った方です。
そして、次の人材も同じ用に本部の実態が分かるのでしょう。 愛国の事は現教団にはもうほとんど残っていないのが現実で今はエコの時代、青年は肉を食べない、電気代がどうの・・・
青年会は活気もやる気も感じない。これが教団のあとつぎ。。。
志恩さま、トキ様、も 復興G様も 教えの基本が天地一切のものと和解せよ。 という教えですから、神を現すために純粋に取り組んでいらっしゃると、私は尊敬してみていますし、応援しています。
私は、見えるものが現実だと、実相がまだ見えない段階だから、いろいろと善悪をつけた書き込みをしていますが、
復興Gさまは、久遠の今 の立場で一貫して発現なさって、私は少しづつ、生長の家をどう生きるかが見えて来た気がしています。
トキさまに感謝しながら、こちらで勉強会をさらに続けていきたいです、復興Gさまはじめa hopeさま 皆さんのお世話になりながら・・・ です。いかがでしょうか?
2082
:
ユタカ
:2013/06/20(木) 12:20:10 ID:R1D4Jmeg
>志恩家がいくら道を間違えて、近隣から悪口を言われようとも「余計な世話だ!」と突っぱねているのが現教団でしょう。
変な書き方ですね、例え話と現実がゴチャゴチャです。
志恩家がいくら道を間違えて、近隣から悪口を言われようとも「余計な世話だ!」と志恩家は突っぱねるでしょう。そういうことを現教団は行っていると思います。
2083
:
ユタカ
:2013/06/20(木) 12:30:38 ID:R1D4Jmeg
ユタカはハーモニーなど音楽のなどの高尚なことは分かりません。嫌いでないですが、積極的に歌いたいとは思いません。
ただ、素晴らしい音楽から感情は読み取れて、様々な思いは受け取れますが・・・。それだけです。 志恩さまはどうなのですか?
復興G様は、歌っていらっしゃる様子ですね。。。
2084
:
復興G
:2013/06/20(木) 14:22:48 ID:AB6RqYXc
私は、
>>2054
で、
≪『神癒の展開としての人類光明化運動―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―』 というのがあります。これは、53字×19行×1000頁 すなわち約100万字にもなる膨大な論文です≫
という榎本恵吾先生の論文について触れさせて頂きました。
これは、榎本先生が宇治別格本山の神癒祈願部長をされていたとき、平成10年から11年(1998.7.1〜1999.11.29)に、毎日「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」で神想観・神癒祈願をされたあと、この論文を書かれたのだそうです。論文といっても頭で考えた論文ではなく、祈りからほとばしり出た、内なる神の声と言ってもよいものでしょう。これは、大晦日の12月31日にも、元日の1月1日にも、1日も休みなく書かれております。
榎本先生はパソコンは使われず手書きで書かれる。それを職員がパソコンで打ち込み、プリントアウトしたものを、当時本部に設けられていた「光明化運動・21世紀を考える検討委員会」宛に送っておられたようです。
検討委員会では、教化部長・本部役職者・本部講師の人たちから「提言書」を募集していたのですが、「優秀提言の選考と褒賞」の対象としては平成10年6月末で締め切ったので、7月以降に提出された榎本先生の論文は選考の対象とはならなかったようですが、これを読んだ担当者は、非常な感銘を受けたと漏れ承っています。
今、私はそれを保存されていたのをいただき読み返してみて、実に「今」――行き詰まり・分裂状態を呈している(と思われる)生長の家の運動を根本から考え直すために、用意されていた光明化運動論ではないかと、深い感銘を覚えます。
このweb誌友会板は、『生命の實相』をテキストとして生長の家の真理を深く学ぶことを目的にしていますが、この榎本先生のご文章は、『生命の實相』の神髄を理会するためにも、読めば非常に助けとなるものだと思いますので、これから毎日、榎本先生が書かれた1日分ずつをここに謹写掲載させて頂きたいと思います。
よろしいでしょうか。
ありがとうございます。
2085
:
復興G
:2013/06/20(木) 15:00:26 ID:AB6RqYXc
では、最初の第1回分を 謹写掲示させて頂きます。
『神癒の展開としての人類光明化運動』
―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
榎 本 恵 吾
一
生長の家の根本聖典である『生命の實相』には、あの「人類光明化運動発進の宣言」が載せられていないのは何故であるか、ということは、まことに厳かな意味で一考を要することではなかろうか。
さて、そのことはひと先ず別にするとして、『生命の實相』第一巻、本論の冒頭には、高らかに、
生命の實相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。
とうたい上げられているのである。
生長の家人類光明化運動の根本聖典の冒頭において「神癒」について書かれているということは、生長の家人類光明化運動が神癒の展開として発進していることを意味すると同時に、ここには、その神癒とは何であり、如何にしてそれが起こり得るのか、ということが示されていると拝察させて頂くのである。
神癒(メタフィジカル・ヒーリング)とは、生命の實相の自性円満を自覚した時に起こるところの、よろこばしき、明るきなにものか、であるということである。
さて、神癒祈願部というのは尊師によって純粋宗教部門として出発しているのであるが、純粋とは何であろうか。純乎として純なるものとは、神であり、完全なる實在の相であると言わなければならないのである。このことは、神癒の展開としての生長の家人類光明化運動においては、この世界及び人間について、純一に、自性円満なる實相として観じられていなければならないことを意味するのであって、現象処理が大切であるという名のもとに、いくらかでも、實相独在をはなれて、現象を認めた上での人類光明化運動であってはならないことを意味しているのである。
この運動は「今起て!」という啓示によって起った光明化運動であるが、その天の声は、
「無いものは無いのだ。知れ! 實相のみがあるのだ!」という極まった唯神實相の自覚がそこに現成した、そのところが「今」であり、そこに出発が成り立ったのであり、いささかも現象への妥協によってではなかったのであることをはっきりと確認しておかなければならないのである。そのことは唯神實相、實相独在、光明一元であり、救われていないものは一人もいないということであればこそ始まったところの運動であることを意味するのである。
ひるがえって想えば、「人類光明化運動発進の宣言」は、現象世界の状況を認めた上での方便的宣言であると言わなければならないのではないか。こちらの方は、世界が不完全であればこそはじまった運動であるというところに方便的要素があると言うことである。これはつまり状況論であると言わなければならないのである。
一方、『生命の實相』の方は、たとえ、そのような状況が無くなったとしても、それを超えて、神がこの天地を必要性や状況への対処のために創造され給うたのではなく、神はすべてのすべてであり、完全であればこそ、その完全なる相の自己展開として天地創造が行われ、神は今に至るも創造され、生長されつづけているという、その創造としての、久遠の創造のすがたとしての人類光明化運動であることがそこに顕われているといわなければならないのである。
それ故、「人類光明化運動発進の宣言」の方は、苦しみ悲しみがあればこそ起たざるを得なかったという方便的表現であり、『生命の實相』の方は、うれしいからこそ起たざるを得なかった、ということになっているのである。
このことは、世紀を超え、状況を超えた運動のあり様が謳われているということなのである。そこに『生命の實相』が根本聖典であるゆえんがあると拝察されるのである。ここに尊師谷口雅春先生が『生命の實相』に、「発進宣言」を載せられなかったゆえんの一つがあるのではなかろうか、という想いに至らざるを得ないのである。(1998.7.1)
2086
:
志恩
:2013/06/20(木) 21:57:08 ID:.QY5jUA6
>>2081
:ユタカ様
ユタカ様は、教団を「あかの他人の燐家」に例えられたところをみますと、
きっぱりと、教団に見切りを つけられたのですね。
私は、まだ「実家」に例えており、なんとかならないものかと、無意識に考えていたところがございました。
それは、未練が、心の隅に 残っていたのだと ユタカ様のおかげで気づくことが出来ました。
ユタカ様は、雅宣総裁の文章を、うかつに読んだりされたら、体調を崩して、2〜3日、寝込まれるそうで、、
私も、随分前、雅宣総裁の講習会に参加した後、ひどく気分が落ち込み、帰宅後、急性胃炎になり夜中に吐き、
体調を崩しましたので、凝りまして、その時以来、2度と雅宣総裁の講習会へは 行っておりません。
でも、雅宣総裁崇拝者の書き込みを見ますと、心が楽になった人もいて、失礼な言い方をしますが、
だて食う虫も好きずきとは、このことを言うんじゃないかと思ってしまいます。
生長の家は、病気が治るところなのに、元気な人が病気になる「今の教え」って、いったい
なんなんでしょう。
雅春先生の著書を拝読しますと、心がやすらかになり、癒されて ほっとします。
ありがとうございます。
2087
:
復興G
:2013/06/21(金) 10:47:18 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
榎 本 恵 吾
二
二十一世紀を目前にして想うことは、二十二世紀を想うことである。
当面の目前に迫った二十一世紀のことを考えることと並行して、百年をかけて二十二世紀を考えて行くこと、二十二世紀を迎えるための百年として、さまざまな実験的なことを行う百年と考えては如何なものであろうか。
例えば、カトリックの世界公会議では、百年分の方針を決めるのである。百年単位で決定するのである。百年変更しないのである。そのために、たしか、十数年間くらい会議がつづけられるというようなことを読んだことがある。
おそらく、百年かけて次の百年分を考えて行くということになっているのではないだろうか。
さて、人類の歴史は、天動説を経て、地動説となっているが、やがてそれは心動説へと移って行くと想われて来るのであって、歴史の区分も、天動説時代、地動説時代、心動説時代という区分のしかたとなって行くと想われるのである。
宇宙の動きの原因が天から地へとうつり、さらに心の中に近づくにしたがって、人類は遠くに到達するということになって来ているのであって、これは、心の内に宇宙を把握することの反影であると想われるのである。心の中にすべてがあることの反影であると観ることが出来ないであろうか。
さて、吾々は時代を先取りするという観点からすれば次のようなことも浮かび上がって来るのではないか。
つまり、医学が発達するということは如何に簡単に治し得るかということに帰するのであろう。そのことから考えると、神癒祈願に受付で申し込んだだけで治るということがあり、あるいは代理が申し込みに来て、受付で書類を書いて申し込みをするだけで、病気が消えてしまうというようなことが頻々と起きているというようなことになると、医学が如何に発達しても、受付で申し込むだけで治るというような時代は、果たして何百年後のことであるのだろうか。予想もつかないほどのはるか彼方の遠い先のことではないだろうか。そのはるか彼方を先取りしているのが生長の家であるということが出来るのではないかと想われるのであって、それを科学のレベルにおいて如何に説明し得るかということが重要な問題となって来るのである。
さて、生長の家を如何にして新しい人に知らせるかということが根幹のテーマとなって来るのである。ここに「伝わり方の研究」ということが私のテーマとなって来ているのである。
例えば、あの教えは“深い”とか、“崇い”とかというコトバはどのような時に、聴く人、あるいは読む人から、何を、どう受けとめたときに、自然と発せざるを得ないのであるか。
あるいはまた、「ある時から、み教えが自分の心の内に入って来るようになった」というコトバを発する人は、それは如何なる時にその言葉を発せざるを得ないのであるか。どのような時に、入って来るということが起きるのであろうか……等である。
しかし、先ず心におくべきことは、『生命の實相』の奇蹟的説法を永遠に古くなることのなきものとして参考にしなければならないことは、はっきりしているのである。何故ならば、生長の家は谷口雅春先生だけで他の全人類がすべて新しい人であった時に、感動を与え、病気さえ消えてしまうほど深く新しい人々に解せられることのできたすがたが、ここにあるからである。(1998.7.2)
2089
:
復興G
:2013/06/22(土) 07:31:24 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
榎 本 恵 吾
三 (1日1文ずつ謹写掲示。cf.
>>2084
)
来たる世紀は「心の時代」であるとか、「宗教の時代」であるとか言われて久しいが、その心で悩み抜いたのが谷口雅春先生であり、その心を超えたのが尊師であり、生長の家なのである。宗教も心によってあるのであるから、心を超えたということは宗教をも超えたと言えるのである。すべてを超えたのが生長の家なのである。すべてを超えて、はじめのはじめの一つなるものに還ったのが万教帰一ということなのである。万教帰一とは万物帰一ということなのである。一つであることがすべてのすべてであることなのである。
「国際平和信仰運動」ということにおいても、世界が一つである實相なるものの上に立ってのことであり、バラバラなるものを一つにするというのではなく、一つなるもののあらわれ又は展開としての世界平和あるいは世界調和ということであって、明るさと平安なるよろこびがその運動には満ち満ちているのである。
それははじめのはじめが今ここに生きている明るさなのである。
聖書の「ヨハネ伝」の冒頭に「はじめに言葉あり」と書かれているが、「はじめ」とは英語で「Very Beginning」と書かれているのであり、これは「はじめのはじめ」ということであり、一つであることを意味しているのである。
神癒祈願の申込書を前にして祈っていて、この「五千名」の人々の苦しみをいっぺんで消せないものだろうか、いや一度の祈りで全宇宙の苦しみを消せないものだろうか……、と想った時、谷口雅春先生がニコニコとした表情で神想観の中に観じられて、
「それをやったのが私だよ」
「それをやったのが生長の家だよ」
という言葉をたしかに私は聴いたのである。これこそが、はじめにあるコトバであり、はじめに帰ったすがたであると拝察されたのである。そのよろこびに満たされて出発したのが、生長の家人類光明化運動であり、国際平和信仰運動なのである。一つなるもの、完全なるもの、光明なるものとは、このはじめのはじめの意味するものなのである。即ち實相ということである。
谷口雅春先生と縁のある人々は、本によってであろうと、同時代に生まれたというだけでも、縁を得たという魂はすでに、「それをやったのが私だよ。それをやったのが生長の家だよ」ということを知っているのであると想われるのである。このお言葉を私はどれだけ受けとめ得たかということは別として、なぜ私たちは生長の家でなければならなかったのか、ということの根本に、このお言葉の中身をその魂が知っているからなのだ、ということだけは、はっきりとしたことであるのである。生長の家にご縁をいただいているすべての魂に無限の敬意をもって接せずにはいられないのである。
『生命の實相』は永遠のベストセラーであると仰がれるゆえんは、bestなる世界において、bestなる著者が、なベストる読者を拝んで書かれたものであるからなのであって、一冊でもbest sellerベストセラーなのである。
『生命の實相』の本論が「生命の實相の自性円満……」ということからはじまっているということは、「これから生涯にわたって私の書くすべての説法は救うための本ではありません。ただただ祝福礼拝のための本であります」ということの偉大にして荘厳きわまりなき宣言であると言わなければならないのである。bestとbestであればこそ通い合い、通じ合うということが現成しているのである。(伝わり方の研究) (1998.7.3)
2090
:
復興G
:2013/06/22(土) 07:37:10 ID:AB6RqYXc
>>2089
誤記 おわび訂正です。(終わりから2番目の段落)
× なベストる読者を拝んで
○ best なる読者を拝んで
2091
:
a hope
:2013/06/22(土) 10:27:40 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。
ここのところ、忙しくて、なかなか掲示板に向かう時間が取れませんでした。
ご無沙汰している間に、このweb誌友会板にたくさんの書き込みがあり驚いています。
1週間前くらいの記事から、プリントアウトして拝読しています。
素晴らしい真理のお勉強ができることに心から感謝します。
また、ユタカさまご提案の「生命の實相」第4巻も自主勉強も続けています。
また、質問や赤線を引いた所などを紹介させていただくかもしれません。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。
2092
:
神の子さん
:2013/06/22(土) 10:40:30 ID:L3wOjSWM
>>2089
ご自分のホームページを紹介するほうが簡単ではございませぬか?
いくら無料掲示板とはいえ、ビッグデータは今後のインターネットの課題となりつつあります。
2093
:
志恩
:2013/06/22(土) 11:03:22 ID:.QY5jUA6
トキ様
お読みになりました??
>>2092
:の神の子様が、
まるで、ここの掲示板を、ご自分の監視下の掲示板みたいなエラソ〜〜なこと、おっしゃってますけど。
教団も遺産も、その上、今度は、ここの掲示板も オレ様のもの。。みたいな。
あまりね、欲張り過ぎますと、あなた(緑色の神の子さん)、
大きい籠を選んだ舌きりすずめのおばあさんみたいな目にあいますわよ。
>>「ご自分のホームページを紹介するほうが簡単ではございませぬか?」<<
ここのですね、「ございませぬか」って、いう言い回しが、アーサー王っぽいんだよね。
ところで、あなたの部下の、ランスロット君は、最近いらしていませんが、お元気でしょうか?
2094
:
志恩
:2013/06/22(土) 11:15:07 ID:.QY5jUA6
神の子さんではなく、いつものお名前で出られて下さいませ。
2095
:
トキ
:2013/06/22(土) 11:17:58 ID:JSI6eQpM
>>2092
ご投稿には感謝します。
しかし、復興G様のご投稿は全てテキストデータですから、ビッグデータには該当しません。
内容も素晴らしく、多くの人の利益になっています。むしろ、今後の生長の家には絶対に必要な
ものだと考えます。
従って、ご意見には賛成しません。
今後、同種のご意見は別板の運営板でお願いします。
復興G様、これからもご投稿をぜひお願いいたします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2096
:
うのはな
:2013/06/22(土) 11:33:33 ID:buTH5B6I
>>2094
名前:志恩 投稿日: 2013/06/22(土) 11:15:07 ID:.QY5jUA6
神の子さんではなく、いつものお名前で出られて下さいませ。
どのような(誰)の名前だと思いますか?
2097
:
ありがとう
:2013/06/22(土) 12:03:42 ID:???
>>「ご自分のホームページを紹介するほうが簡単ではございませぬか?」<<
そうやって勝手にURLを貼り付ける愚かなブロガ―をよく見かけますが
この掲示板に 文章が掲載されることに価値があるのです。
2098
:
志恩
:2013/06/22(土) 12:08:59 ID:.QY5jUA6
うのはなさま
あのお方です。いくつもの お名 がございます。その1つが、アーサー王です。
ちなみに、アーサー王とランスロット君の、象徴的な間柄を表す動画は、かって、別板に貼ったことがございますけれど、
部屋板へでも、再掲しますか? トキ様、相応しくありませんでしたら、離れ島への移動を、、お願いします。
2099
:
復興G
:2013/06/22(土) 17:10:08 ID:AB6RqYXc
皆さま
ありがとうございます。
私が謹写掲示させて頂いている 榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 というご文章は、本邦初公開、いや地上世界初公開のものであると思います。
もし、どこかのホームページ(ウェブサイト)等に既に公開されているところがありましたら、教えて頂きたく、お願い申し上げます。
2105
:
<削除>
:<削除>
<削除>
2106
:
トキ
:2013/06/22(土) 19:24:51 ID:JSI6eQpM
上の投稿を以下のように訂正します。
Web誌友会/2 板の2100と2101のご投稿は、別板の掲示板・運営/方針 板
へ、管理人の判断で移しました。投稿者様には深くお詫び申し上げます。
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/
続きは、そちらへのご投稿をお願いします。
また、復興G様におかれましては、気にせずに、続きをご投稿をお願い申し上げます。
なお、この板は、web誌友会という特殊な正確の板ですから、復興G様がご投稿中は、
他のご投稿者様は、他の板へのご投稿をお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2107
:
復興G
:2013/06/22(土) 20:49:24 ID:AB6RqYXc
トキ様、ご配慮ありがとうございます。
合掌
2108
:
トキ
:2013/06/22(土) 21:33:56 ID:JSI6eQpM
復興G様
いえいえ、こちらこそ、行き届かず、たいへん申し訳ありませんでした。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2109
:
神の子さん
:2013/06/22(土) 21:56:38 ID:kj2UqabE
現役信徒さん、お疲れ様でごわす
2110
:
復興G
:2013/06/23(日) 06:37:19 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
榎 本 恵 吾
四 (1日1文ずつ謹写掲示。cf.
>>2084
)
さて、今世紀最大の出来事はなんであったか。それは生長の家の出現であり、尊師谷口雅春先生が降誕されたこと、そしてご昇天されたことであると、私たち生長の家信徒は誰しもがうなずけることに違いないのである。
「生長の家の出現は、宇宙はじまって以来の荘厳である!!」
と思わず感嘆した人があったと聴くが、その人は、尊師の全宇宙の救済について、
「それをやったのが私だよ」
「それをやったのが生長の家だよ」
というひびきの中身にふれた人であったのであろうと想われて、うらやましい限りである。
さて、イエス・キリストの十字架上の昇天には色々の意味、解釈があってその違いによって宗派が別れているほどであるときくが、その一つであろうか。イエス・キリストは弟子の前で色々な奇蹟を起こされたのは、弟子たち一人一人の中に、神がましまし、そしてみ業を為し給うのであり、「あなた方一人一人の中に神と神の国があるのである」 と弟子たち一人一人の内なるものを祝福し、拝み給うたのであった。
しかし、弟子たちには、その師であるイエスがみ業をあらわせばあらわすほど、「あれは、イエスだからこそ出来るのである」ということになってしまって、尊敬はするが自分のことではないことになってしまったのであるという。
そこでイエスは、弟子たち(人類を含む)の前から、自分は一度は姿を消す必要がある。そして弟子たちが肉体上の自分(イエス)の方ばかりを向くのではなく、自分の内を向くようにとの願いをもって十字架につき給うたのである、という解釈である。
これによると十字架のお姿そのものが、弟子たちの内なるものへの拝みであり、祝福であり、愛なるものの燦然たる輝きそのものであるということになるのである。
さて、尊師谷口雅春先生は卒然として九十二歳でご昇天あそばされたのであった。そして肉体のお姿を消し給うたのであった。これは、
「私の方ではない、皆様お一人お一人の中ですよ。自分の内を拝みなさい」
との拝みのお姿であったのであると拝察するのである。最後に肉体をお消しになることによって、そのお消しになったそのことが、肉体を捧げるという姿において最大の拝みを成就され給うたのであるということである。
自分の片腕を燃やして世界を明るく照らしたという御仏がいまし給うたという仏教の話があるが、尊師谷口雅春先生は、ご自分の肉体すべてを捧げ、お使いになって、それを消し給うということによって最後の拝みを成就し給うたのである。
それはまことに燦然とした愛なるものの輝きそのものであったのである。そしてそれは今も尚、さらに私たちの中において輝きを増されつづけているのである。
谷口雅宣先生が、そのご昇天の日、山の上に夕日が燦然と輝いているのを、たしか総本山に向かう車の中でごらんになられて、
「尊師はあの山の上にいましたのである」
という感慨をお述べになっておられるのを拝読させて頂いたことがあったが、まことに燦然たるものを尊師谷口雅春先生のご昇天のことの中に確かめられておられたのである、と拝察せずにはいられないのである。
「すべてを為し終えた気がする」
と、尊師谷口雅春先生は 『生命の實相』 を完結せられた時にお述べになっておられるが、その意味は、ただ単に 「私の役目を為し終えた」 というようなある部分としての役目を果たし終えたというようなことでは決してなくて、釈尊が
「かつてすべてのものをして吾れと等しくしたいという願いを起こしたが、その願すでに満足せり」
と宣(の)り給うたことを、尊師谷口雅春先生は全宇宙の一人の病むものなき救済について、
「それをやったのが私だよ」
「それをやったのが生長の家だよ」
という中身をもって宣り給うたのであった。それが唯神實相、實相独在論の威厳であることを銘記しなければと想うのである。(1998.7.4)
○
榎本恵吾先生もまた、自分の肉体すべてを捧げ、使い切って、肉体を捧げるという姿において、
「皆様お一人お一人の中ですよ。自分の内を拝んでください」 という最大の拝みを成就されたと思われます。(復興G)
2111
:
復興G
:2013/06/24(月) 06:44:55 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
榎 本 恵 吾
五 (1日1文ずつ謹写掲示。cf.
>>2084
)
例えば組織の問題であるか何の問題であるとかを問わず、問題そのもの、現象そのものを “無し” として解決しているのが生長の家なのである。
“現象なし” “不完全なし” と全現象宇宙を斬り捨て、全現象を “無し” と完全に現象を処理し終えているのが生長の家なのである。
この完璧なる解決の上に立って人類光明化運動が発進しているのである。それ故、あらゆる問題にあたっては、教えの中そのものに求めよ、ということなのであり、それは充分に用意されてはじまっているということなのである。晴れ渡って進んでいるのが生長の家人類光明化運動なのである。
“現象処埋が大切” という言葉は、針の先ほども現象を相手とし、それを認めての言葉ではないのであって、全現象宇宙を “無し” と消し給い、処理し終えて “こと終われり” なのが生長の家なのである。そしてそこに一点の曇りなき、神そのもの、實在そのものとしての価値創造としての光明化運動が純粋に持続されているのである。それが 「住吉大神宇宙を浄め終りて天照大神出でましぬ」 ということなのである。
ありとしあらゆるものが、今、天照大御神そのものとして拝まれているのが全存在であり、天照大御神が天照大御神しているのが、光明化運動の 「光明」 ということなのである。
「光明とは何か」
それは、はじめのはじめより、ありとしあらゆるものとして、平等に、すでに、今あるところの “よろこばしきさやけさ” ということである。
光りとは神であり、神はすべてのすべてであり、神の外にあるものなしであり給えば、光りははじめからすべてのすべてなのである。その光りなるものの存在には、新しい者も古い者もないのである。
この共通なるもの、しかもはじめからあり、完全なるものがあるということが 「伝わる」 ということの基なのである。
それ故、あまりにも、新しい人とか外の人とかということをクッキリとしすぎて、相対的な運動になっては、勿体ないことになるのである。
「神には、新しい人も、古い人もないのですよ」
「神には、教えの内に居る人も外に居る人もないのですよ」
「もしも神がいるとすれば、『信仰をしたものは生かすが、信仰をしないものは生かさない』 ということは不自然なことで、そんな神に対しては 『何故、神は、平等に信仰をするように生んでおかなかったのか!!』 という不平と裁きしか生まれないのです。生長の家が感謝の教えであるといわれていますが、それは、不平、裁きの起こらない神を発見しましたよ、ということであります」
ということが、表現はその時、その人によって様々に展開されていくのであろうが、説法、表現の基礎になっていると拝察されて来るのである。
あらゆることの前に 「生きとし生けるものを生かし給える御祖神」 と感謝して唱えるようになっていたり、また 『生命の實相』 の冒頭に 「生命の實相の自性円満(そのままでえんまんなこと)」という言葉があり、また谷口清超先生の第一論文である 『文化の本源としての神想観』 の中に、「宗教は要するに、そのまま仏であり、神であることを知らせることである」 という意味のお言葉があるのは、内と外とを分けず、新しいものと古いものとを分けない拝みに立脚していることが、そこに尊師と基を一つにして表現されていると拝察されて来るのである。(1998.7.5)
2112
:
ユタカ
:2013/06/24(月) 23:30:30 ID:R1D4Jmeg
五の質問です。
>例えば組織の問題であるか何の問題であるとかを問わず、問題そのもの、現象そのものを “無し” として解決しているのが生長の家なのである。
“現象なし” “不完全なし” と全現象宇宙を斬り捨て、全現象を “無し” と完全に現象を処理し終えているのが生長の家なのである。
____________
質問いたします。
1、「大自然讃歌、観世音讃歌」などのお経の存在はどうとらえるのでしょうか?などは『現象なし』とすると、二つの経?も神様から与えられたる素晴らしいお経?ということでよろしいのでしょうか?
2、榎本先生の仰ることは素晴らしいですが、本当に素晴らしすぎるほどお見事なのは分かりますが、生命の実相が買えない教区で困っている人に『無い!!』って・・・・本当に無い!!・・・・現実に現象宇宙を消した状態みたいじゃないですか・?
榎本先生の話は、高尚すぎて現実味があるのでしょうか? 混乱期の今には合わなくはないのでしょうか?
よっぽど、修行の立った人しか理解できない気がします。。。
途中でこんなこと書いていいのでしょうか??
ときさま、バランスが悪い時はこれを削除してください。
2113
:
ユタカ
:2013/06/24(月) 23:37:20 ID:R1D4Jmeg
自主勉強に入るタイミングが分からない。
今回の誌友会は終了したのですか? 次回の範囲はどこになるのですか?
次回の範囲の周辺まで自主勉強をした方がいいかな?と思いますが? 先に進みすぎると調和が取れませんようなきがして・・・
いかがでしょうか?
2114
:
こんにちは
:2013/06/25(火) 02:57:15 ID:nSg7g3W2
>>2112
ユタカ様
榎本先生は、上記のことを命がけで実践されていました。
たとえば、ある方がプレゼントとしてお酒を持ってきたとき、榎本先生はその場で、お酒を瓶のままグビグビと飲み干してしまったことがあったそうです。
喜びを全身で表現されたんだと思います。
お酒を仏の慈悲と礼拝されたのでしょう。
私は、「現象なし」に徹する者の姿を見る思いがしました。
復興G様の引用は、言葉として受け取るだけでは何の意味もない、と思います。
その言葉の背後にある、榎本先生の生き様を見ることが大切なのだと思います。
復興G様は、おそらく榎本先生の生き様を、そばで見てこられたのでしょう。
だから、榎本先生の言葉をこれほどまでに愛されるのだと思います。
復興G様にとって榎本先生の言葉は、人生そのものなのでしょう。
2115
:
志恩
:2013/06/25(火) 06:23:16 ID:.QY5jUA6
復興G様
>>2112
:で、ユタカ様が発言された五のこと〜
>例えば組織の問題であるか何の問題であるとかを問わず、問題そのもの、現象そのものを “無し” として解決しているのが生長の家なのである。
“現象なし” “不完全なし” と全現象宇宙を斬り捨て、全現象を “無し” と完全に現象を処理し終えているのが生長の家なのである。
____________
ユタカ様の復興G様への質問
1、「大自然讃歌、観世音讃歌」などのお経の存在はどうとらえるのでしょうか?などは『現象なし』とすると、二つの経?も神様から与えられたる素晴らしいお経?ということでよろしいのでしょうか?
2、榎本先生の仰ることは素晴らしいですが、本当に素晴らしすぎるほどお見事なのは分かりますが、生命の実相が買えない教区で困っている人に『無い!!』って・・・・本当に無い!!・・・・現実に現象宇宙を消した状態みたいじゃないですか・?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私も,上記のユタカ様の質問と同じ疑問を持ちました。
現象なし、不完全なし、と切り捨てるとは、今、生長の家で起きている様々な理不尽な現象で起きている事も、
現象はないのだからと、表れた現象に目をつぶって、見ないようにして、ただ「実相独在」を念じているのが、生長の家だと、おっしゃるのでしょうか?
========================
以下、貼付させて頂きますが、榎本恵吾先生は、「生長の家とは、家庭信仰であると思います」とおっしゃっておられたようです。
ということは、
生長の家の基本とは,
まず、神様、ご先祖様に感謝し、家庭の親兄弟、妻、夫、子供たちに感謝し、仲睦まじくすることが、基本だということだと存じますが、
総裁ご自身が、雅春先生のお気持ちを疎かにして、全ての兄弟と喧嘩し、教団から弟妹たちを、追放している状態が、基本なのですから、
立っている位置が、基本に立っていないのですから、
どうしても、やることなすことが、うまくいかないのではないでしょうか。
それで、ユタカ様の1と2の具体的な問題へのお答えを、教えて頂きたく、よろしくお願い致します。
-----------------------------------------------
生長の家宇治別格本山 VOICEより
>>「神はすべてのすべて 榎本恵吾先生」
大熊 良樹 (京都)
(前略)
昨年末。本山にて、山口職員の結婚披露宴が行われた。その時に榎本先生が贈る言葉として
「私は生長の家とは、家庭信仰であると思います」といわれたことがある。まさにその言葉通りに家族に囲まれ、
共に真理の言葉を響かせながら坐亡された先生であった。2005/8/6>>
2116
:
志恩
:2013/06/25(火) 06:46:39 ID:.QY5jUA6
Web 宇治別格本山E−VOICより
無の門關に坐して〜その4
“無”と言えるすべては無く、その無しも無く〜 【窊】
榎本恵吾
副総裁先生(当時の、雅宣先生)は数年前の代表者会議の結語において、「この運動方針も 物質であるから現象であるということが出来るのでる」と言われているのである。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
運動方針とはそこに書かれていることと、それをもとに展開するすべてが 含まれているのである。
それが現象である。ということは運動方針は“すぎゆかん”ということを表現しているものと拝察されるのである。
現象であるということは“無い”ということなのである。
その後、全国教修会においてはハッキリと「人類光明化運動は現象であります」と言われているのであり、生長の家人類光明化運動を代表しているお方が、
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そのように述べられていることは、
光明化運動自身が“私は無いのである”との、消え切りの、澄み切りの、聖の聖なる鳴りひびきがそこに現成していることを示している、
と拝察されて来るのである。
光明化運動が消え切りの澄み切りであることは、天地一切萬物を最大に受け入れているということを意味しているのである。
最大なるものは神である。
萬物を“無の門関”を通して神として受け入れていることを意味しているのであり、天地萬物への礼拝運動が、生長の家人類光明化運動であるということが言えるのである。
それは、今ここにおいて現成している光明化運動のすがたであるのである。神あるいは時空を超え、自己を超え、すべてのすべてを超えてここに現前し、
厳存ましましているのである。
神は今であり給うのである。神が今であり給うことは、今ここが天国極楽浄土であるということにほかならないのである。
天地一切は光りであり、この運動方針も光りであればそれを発見しているところの、人間もまた神の子であり、神であり、光りであり給うのである。
神であり給うということは、その人はその人ではないということなのである。 その人ならざるその人から運動方針を読み上げているのである。
“私は神である”ということは私は無く、神である。荘厳なる姿そのままが鳴りひびいているのである。
神は一人ですべてのすべてであり給うのであり、“神の外にあるものはなし”であり給うのである。
“今こそ自然から学ぼう”ということは、
自然なることとは如何なることであるかということから 出発しなければならないのである。
自然の自然なるものとは神である。自然から学ぶとは神から学ぶということにほかならないのである.
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
自然の自然なるもの、神から生れ出ているのである。
自然から学ぶということは、神である自分から自分を学ぶということでなければならないのである。
それが自然の自然なることなのである。
その限りない懐かしさと新しさをもって出発して行くことが、「自然から学ぼう」という言葉を生んでいると想われるのである。
それはただ単なる自然の人間に対する効用性の研究ということから出て来るだけの言葉ではないということなのである。
さらに懐しさは愛という聖なるものへと昇華しているものなのである。(以下、略)
216 2005/7/27
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