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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

552義春:2011/11/01(火) 22:06:15 ID:iu5Ar./Q
>>551
琴音様
そうですか、なんていうか、もうちょい書き方もあるのじゃなかったかとか
考えていたところだったのでした。ホント、気配りが足らなくて申し訳ありません。

553琴音:2011/11/03(木) 14:01:21 ID:twTE1PTc
義春様

 ほかのスレでは大荒れのようですね。
 キジョ板のような様相で…心痛お察しします。
 正直、私のような初心者には、
 ちょっとひいてしまいますね。
 
 暫くは私もロムることにします。

554義春:2011/11/03(木) 14:10:27 ID:SjZg29/2
>>553
琴音様
真に申し訳ありません。訊けさあと私を貶めた者には相応の事をしております。暫しお待ち下さいませ。ホントにごめんなさいね。

555うのはな:2011/11/04(金) 02:32:35 ID:iM0b0bt6

> 偽うのは遠隔操作されている悲劇のヒロインなのです。

 わたしみたいに矛盾点のある、騒音おばさんの絵まで描かれている者が
 いうのも変ですが、悪ありが虚説になるとか、大調和の神示だとか、
 そんな論を熱心に話す人が、遠隔操作だとか、本流工作員とかの話を
 面白そうにやってるというのも、なんか変じゃないですか・

556うのはな:2011/11/04(金) 02:38:24 ID:iM0b0bt6

 というか、本流の人達が総裁代理人だとか圧力だとかというと、
 私が代理人なら本流なんて相手にしないとなるように、
 本流の人達が、ここを操作するとか、潰したがってるときけば、
 やはり、相手にするわけがない、という感想が出て来ると思うけど。

 虚説はあるんじゃないか。それと悪ありとの距離感はありそうだが。

557うのはな:2011/11/04(金) 09:41:07 ID:iM0b0bt6

> 『訊け』さんブログの3日のコメント欄には、ROM者さんという方が
 ある女性から被害を受けました。といって、「訊け」さんをはげましている。
 わたしも思わず「訊け」氏の迷惑も顧みずコメントしてしまった。

 なぜか怖ろしくなったのだ。
 昔、ある掲示板で、信者じゃなくて読者だという人から、被害者意識は何の
 生長にもならないとか、大調和の神示を出して説法し、書くならこうですと
 文章添削され、ピントがはずれたことばかりいう人の波動と似ている、と
 思って。
 内省しよう、もっと深く。

558ぼるぼ:2011/11/07(月) 08:50:31 ID:OwZNnQEQ
相場とか政治は必ず過剰反応するのである。現象世界が波動であるという特質が顕著に現れる。
マスコミ、最近ではネット記事の影響力が大きい、がこの波動を煽るので、衆生はさらに付和雷同混迷して暴走する。
騒乱状態の中で、冷静な判断をし、正しい方向に導くことが本物の宗教者である。

今回のドジョウ内閣が参加しようとするTPP問題についても騒々しい論争が繰り広げられている。

昨日は、CH桜と超人大陸のYouTubeを見た。長時間視聴するのは苦痛なので、休み休み、飲んだり喰ったりしながら眺めていた。

ch桜・経済討論;http://www.youtube.com/watch?v=buBpYJO3Vro&feature=youtube_gdata

超人大陸・島田晴雄:http://www.choujintairiku.com/shimada3.html

人類社会は地球規模になったので、もはやどんな国でも鎖国することはできない。
かと言って、完全自由貿易をするほど十分な信頼関係やコミュニケーションが整ってもいない。
過渡期であるから、政治的調整が必要である。それで、議論百出し、騒々しいのである。

人間知は迷い、争い、苦しむのみ。

信仰とは、人間知を否定しないで、そのまま360度、観の転換をすることで、安心を得ることである。
悟ればたちまちこの世は光明楽土となり、如意自在な生活が実現するのである。

559初心者:2011/11/07(月) 09:18:27 ID:hogyfr1M
ぼるぼ知は、人間知の何倍の偉さなの?

560神の子さん:2011/11/07(月) 11:30:34 ID:odX3izAU
>ぼるぼ さま

>>558

>人類社会は地球規模になったので、もはやどんな国でも鎖国することはできない。
かと言って、完全自由貿易をするほど十分な信頼関係や
コミュニケーションが整ってもいない。
過渡期であるから、政治的調整が必要である。それで、議論百出し、騒々しいのである。


 一杯、呑みながら、研究してくださったのですね。
そうなんですよ。いま、過渡期なのですよ。
ですから、おもしろいのです。
素晴らしい叡智で、日本の国造りをしてゆきましょう。
初心者様は、第三の道として、持論をもっていると思います。
完全自由貿易するにあらず、鎖国するにあらず、叡智をもって、政治的調整をし、
新たな国造りをする、第三の道を!!

561役行者:2011/11/07(月) 11:31:39 ID:odX3izAU
上記レス!
役行者です。

562ぼるぼ:2011/11/09(水) 18:30:29 ID:M0AaoEgg
>149志恩さん

突然ですが、「伊勢愛国練成会」ダイジェストで、村上正邦さんが昔の思い出話を聞きました。

その中でチラっと「最近亡くなった大狭さん」とか。

7月に生存していて、10月には亡くなっている、ということは、8月か9月に死亡したと思われる。

一度も会ったことがない人でしたが、ご冥福を祈ります。

同じ時代を生きてきた人たちが次々に亡くなって行く一方、残された連中の頼りなさが目立つ今日この頃である。

563志恩:2011/11/09(水) 22:39:28 ID:psrFh/ZU
ぼるぼ 様

大狭(おっぱ)さんのこと、教えて下さって、ありがとうございました。(大狭儷三さん)
そうでしたか。最近,亡くなられたとは、ごくごく最近まで、8月か9月までは生きていらしたのですね。
知ってる方々とおわかれする機会が多くなりましたね。
昔の出来事が、走馬灯のように浮かんでいます。私もご冥福を祈らせていただきます。

村上正邦さんの「伊勢愛国練成会」ダイジェストのお話は、まだ拝聴していませんでした。
ありがとうございました。

564うのはな:2011/11/10(木) 00:04:45 ID:iM0b0bt6
新宗教の時代  

 一九八十年代も中盤に入って、すでに世紀末も間近、その彼方には新しい
二十一世紀の姿さえちらつき始めている。そこで、おのずと未来へと思いは
誘われがちなのだが、この頃わが念頭に去来してやまぬ一つの予感について語りたい。
これから到来するのは、新・宗教時代で、いわばソフトな宗教がわれわれの生活の中軸として
大きく浮かび上がってくるのではあるまいか。

「新・宗教」という奇妙な言い方をわざわざしてみたのは、「新興宗教」が続々登場するという意味ではなく、
むしろ広い意味での宗教的な時代が、今後到来するだろうといいたいのである。
熱っぽい新型宗教の活躍よりは、むしろ穏やかな形で、いわば物やわらかな宗教が主役を演ずるだろう。
「ソフトな宗教」といいたい所以である。
現代はどう見ても宗教的時代とはいいかねる。むしろアンチ宗教の時代、宗教の退却、衰退期とみなすべきではないか、
と反問されるに違いない。たしかにその通りで、大方の既成宗教には、もはやかつての権威も、そして活力も見出しがたい。
かつての惰性でなんとなく続いているだけの話で、聖職者たちの間にも世俗の波が滔々と浸透している。

現在、激烈な宗教批判が影をひそめたというのも、つまりは「敵」と相手どるだけの圧力も厚みも消えうせたせいに違いない。
いや、長期的にふり返るなら、十九世紀がすでに宗教の後退が目立った時代、主導権が宗教から道徳に移りかけた時期と
見なされるべきだろう。當時の世界の先進国といえば、まずビィクトリア朝のイギリスであるが、紳士の対面や市民の勤め
など、日常の振る舞いを中心とするモラルが、もっとも強力な規制を発揮していた。
ビィクトリア朝的な「偽善」ということがよく言い立てられたのは、つまりは道徳がいかに重んぜられていたかを裏側から証立てたものであり、
わが国の明治も、これに儒教的道徳がミックスされた、ほぼモラル優位の時代に属する。

『神道のこころ』 佐伯彰一 著  日本教文社

565神の子さん:2011/11/10(木) 23:06:44 ID:Q0k8TAks
生長の家と学ぶ会とも一般会員は誌友会で交流しあえばいい。誌友会なら日本教文社版だろうと光明思想社版でも垣根は無い。

いがみ合いは総裁と幹部だけでいい、一般の信徒は谷口雅春先生を崇拝してることに違いなし。

566役行者:2011/11/11(金) 00:47:20 ID:YEUC93mw
わかる、わかる!
いよいよ、登場しましたね。

 私は貴男に、恩があるんです。
 何の恩?とは野暮ですよ。
 大いに、語り合いたい御仁です。 
 TPPとか、いろいろと、語り合いましょうぞ!!

567さくら:2011/11/11(金) 07:38:12 ID:ArY2Dbdo
神の子さま、ありがとうございます。

>生長の家と学ぶ会とも一般会員は誌友会で交流しあえばいい。
誌友会なら日本教文社版だろうと光明思想社版でも垣根は無い。

いがみ合いは総裁と幹部だけでいい、一般の信徒は谷口雅春先生を崇拝してることに違いなし。

ほんと、信徒のことを考えたら、そのとおりですよ。
生命の實相が信徒の信仰の中に残っていくことこそが、
大切であると、考えています。

568トキ:2011/11/11(金) 18:52:15 ID:LVFKIZfw
>>567

神の子様

 ご投稿、ありがとうございます。投稿の内容は、一般信徒の普通の感情だと思います。

 別に教団に義理がある訳ではないし、あんまり勝手な事をあれこれ言うのなら、「それなら、辞める」と
言う人は出て来るでしょう。また、本流復活派の独善的な言動にも嫌気がさす人も多いと思います。

 ここは、紛争の両方の当時者とも冷静に考えて欲しいと思います。

合掌 ありがとうございます

569トキ:2011/11/11(金) 18:53:27 ID:LVFKIZfw
 神の子様、さくら様、ごめんなさい。番号間違いました。

570山ちゃん1952:2011/11/11(金) 19:34:20 ID:j9d8d.Aw
トキ様
貴方は一般の人と違います。給与を生長の家から頂いておられます。
だから敢えて厳しく言います。

>別に教団に義理がある訳ではないし、あんまり勝手な事をあれこれ言うのなら、
「それなら、辞める」と言う人は出て来るでしょう。また、本流復活派の独善的
な言動にも嫌気がさす人も多いと思います。<

神の子様とトキ様の内容はまったく本流復活派(これもおかしい)の人とは関係
ありません。トキ様の発言ではすべての人が本流復活派が独善的な言動であるような
ことを書いている。それはやはり言ってはいけないことであります。
トキ様はあまりにもそういう言葉が多い。だから反論されるのであります。
私でも生長の家の奉職されておられる人がすべて「雅宣」氏の考えに同調されているかと
いえば、そうではない。本当に憂いておられる人が多いのは知っております。
だから、私は雅宣総裁の独善的な考えを赦さないのであって、それを支持する人
は悲しいかな仕方がありません。ただ公人ですので総裁は批判されても仕方がないのであります。

 私は雅春先生がある書物に「先生でも間違っていたら指摘して批判してはいけない
のでしょうか」ということが書いていたのですが
その答えは「もし間違っているならば指摘して批判する気持ちはわかります。」
ただそこに、憎しみや憎悪があれば駄目です。誠の愛を持って「正しく」指標する
のが真の行いである。
誠にそうなんです。
相手を威圧するような態度や私はなんでも知っているんだというような態度はいけません。
ただ、トキ様はあまりにも謝るので、謝るのであれば言わないほうがいい。
互いに憎しみ合ってはいけないし、尊敬するようにしなければなりません。どんな
意見が違っても「真の愛」を捧げなければいけません。

571ぼるぼ:2011/11/11(金) 20:48:45 ID:M0AaoEgg
神はすべてのすべてであります。知恵というのはそのほんの一側面の徳性に過ぎないのであります。なので、なんでも知恵で理解しようとしても無理なのです。

ふと見てしまった昨日の夜にNHKで爆笑問題の番組( http://topicsnow.blog72.fc2.com/blog-entry-3249.html ) で古武道の甲野善紀さんが紹介されていましたが、人間の能力は総合的に使うべきであるということが示唆されていてとても有益でしたので、ここにも紹介します。

参考Youtube:なんば歩き :http://www.youtube.com/watch?v=DC66NZj8pJ4

掲示板は専ら言葉(文字)という不自由な媒体を使って心のふれあいをしようとするものでありますから、不自由に感じて、物足りないのであります。

572トキ:2011/11/11(金) 21:47:15 ID:LVFKIZfw
山ちゃん1952様

 御丁寧な御教示に深く感謝申し上げます。>>568の投稿は>>565の投稿を受けての感想でしたから、
ご指摘には、少し驚いたのが率直な感想でございます。

>>565の神の子様のご投稿に関して、「幹部」は常識的に解釈すると、教義の「幹部」ではなく、広い意味で
紛争の当時者に向けての発言だと思われます。なぜなら、教団内部では総裁と現役幹部との対立は公式には存在
していないからです。現在、総裁や教団と対立しているのは、教団の元幹部の人達です。そうすると、名称は
どうあるべきかはともかく、この件は「本流復活派」を名乗る人達に関係する話題でもあると判断が出来ると考え
ております。

 次に、>>565のご投稿は、「一般の信徒」の態度をテーマにしています。私は、三下ではありますが、現役
の一般の信徒ですから、最近の組織会員の反応は熟知しております。その上で申し上げるなら、一般の組織会員
は、広い意味での「本流復活派」の内情には知識はありません。ただ、本流掲示板上、「平成彦左衛門」様の名称で
煽動をしていますが、教化部や信徒宅へ送られる怪文書を見て憤激をしているのは事実です。私個人は、本流復活
派の中にも多くのいくつものグループが存在し、その中には、尊敬もできるし信頼も出来る人がいるのは知ってい
ますが、周囲の一般の信徒の反応は、あの通りで違いはありません。

 で、私の主張と言えるのは、「ここは、紛争の両方の当時者とも冷静に考えて欲しいと思います。」という
部分であります。この部分へのご批判なりご意見なら反応はできるのですが、それ以外の部分は、私が見聞した
信徒のありのままの反応であります。その点については、もし表現に誤解を生む部分があったとしたら、お詫び
と訂正をするつもりはありますが、威圧するとか、高みにいるとか言われても、率直に申しまして、困ってしま
います。

 ご指摘の通り、教団内部にもいろいろな考えの人がいるように、広義の「本流復活派」と言われる人達の間に
も、様々な考え方や立場の人もいます。しかし、現実に裁判で係争中という場面を考えるならば、教団とか
本流復活派という名称でひとくくりする事は、社会通念上、普通に行われていると解釈をしております。
 実際、本流掲示板を拝見しても、広く「教団」と表現している文章は珍しくありません。

 その上で、申し上げるなら、例えば、神奈川教区のH講師のような「分派行動は親殺しと同じ大罪」という
考えは私は持っていません。再三、いわゆる本流復活派の主張には理解できる部分もあるし、尊敬できる部分
もある、と申し上げています。もし、当該主張で、本流復活派の主張を全く否定したように解釈ができる部分
があったとしてら、それは私の表現に至らなかった部分があるのであり、お詫びと訂正をさせていただきたい
と思います。

 以上、先達へのご返答としては、失礼な部分がありますが、ご容赦下さい。

 今後の益々のご活躍を心からお祈り申し上げます。

573HONNE:2011/11/11(金) 22:28:55 ID:jtmmmlXY
 H講師の「分派行動は親殺しと同じ大罪」発言ですが、彼には「何故、分派
行動が起きるのか」という思考に欠けているのではないかと思います。私自身
も教団の方針に疑問を抱き始め、環境問題に偏重していることを確証するまで
数年間の時間を要しました。ネットでも見ない限り情報など手に入れることは
できませんし、本当に教団には誤りはないのかという、いわば否定的なものの
見方をしなければ、実態などわかるはずはないのです。組織内にいるの者が、
自らの組織を否定的に見ること、ましてや生長の家の人にとっては難しいこと
なのでしょうね。

574山ちゃん1952:2011/11/12(土) 07:51:40 ID:j9d8d.Aw
トキ様
御鄭重な御意見ありがとうございます。
やはり、主張する時は団体を批判するのはよくない、誰の文章かを鮮明にしてこ
こが疑問に思うとされた方がいいです。
本流復活には現役の本部講師の方もおられます。もちろん職員もおられますので
全てを否定するような言動は避けたほうがいい。
とりわけ”今の生長の家”に義憤を其々持っています。トキ様でも実際おかしいと
思ってこの掲示板を作られた。

ただ総裁の立位置が異なるだけです。批評する時は慎重に行なった方が賢明です。

神奈川の講師にはあまり興味ありません。ブログでも何をいいたいのかわから
ないからです。実際の雅春先生を見ている私は恥ずかしくてあのような
言葉を書き込みできません。

575山ちゃん1952:2011/11/12(土) 07:59:19 ID:j9d8d.Aw
トキ様
それと怪文書のようなことをするのはいけません。
ああいうことを行なうのは再三言います、よくありません。
私はトキ様の言われるような煽動であると思っています。
正統に「生長の家」を語るほうがいいのです。
一般会員が嫌になりますので、そんな人に罪はないので止めて欲しい。
ただ、そのように思っている人も多いのです。だから一絡げでは考えないように
しています。

576山ちゃん1952:2011/11/12(土) 08:10:22 ID:j9d8d.Aw
トキ様
>現在、総裁や教団と対立しているのは、教団の元幹部の人達です。<

この文章は間違っております。対立など双方しておりません。批判をしているだけ
です。対立は現総裁により持ち込まれたものであります。(裁判の件)
また現幹部で多くの人は7割程は総裁を批判しております、それが実際の対立となって
いないだけでこの裁判で一部は雪崩的に崩壊するでしょう。
それとトキ様は和解といいながら”対立”を助長するようなことを言うのですか?

それぞれが真剣に生長の家を考えているという視点がないのが不思議である。
ただ生長の家の歴史や文化を知らないだけであり、社会のル−ルを知らないだけである。

577HONNE:2011/11/12(土) 09:58:12 ID:jtmmmlXY
 生長の家の人って本当に「人が良い」って思います。そして、「中心帰一」って
言葉に弱い。かたちだけの「中心帰一」にとらわれて思考停止になってしまって、
自分の頭では何も考えなくなってしまう。
 神の子の自覚とは、自己責任の自覚でもあるそうです。分派発生の原因は、すべて
教団にあるのです。言葉はキツイですが、ある方の横暴的(わがまま)行動をゆるしてきたのは、
「人が良い」生長の家の人々です。

578神の子さん:2011/11/12(土) 14:05:25 ID:Kevr5W5w
いい人が多い 特に白鳩の婆さん連中は総裁の笑顔を見るのが喜びで講習会を楽しみにしている。

故に講習会の推進活動は終わらない。また総裁も白鳩とは上手く付き合っているように思う。

579神の子さん:2011/11/12(土) 14:14:14 ID:Kevr5W5w
そしてすべてが白鳩会になっていくでしょう。すでにSEICHO−NO−IEのシンボルは「太陽に緑十字」で無く「白い鳩」です。

相愛会は白鳩の旦那が集まる夫の会へ ヤングミセス中心の青年会へ

580トキ:2011/11/12(土) 17:00:01 ID:NxYbCAJI
山ちゃん1952様

 お返事が遅れて申し訳ありませんでした。原宿教団の用事で、バタバタしておりました。
すみませんです。

 先ず、有益なご指摘を頂戴した点には深く感謝申し上げます。元本部職員様もそうですが、
いわゆる本流復活派の中にもいろいろな人がいて、尊敬ができる人もたくさんいるのを知る
ことができたのは収穫でした。

 少し時間がないので、あまり長い文章がかけませんが、総裁の責任は勿論ですが、教団
のあり方なども含めて、議論をする必要はあると考えています。それを考えると、生長の家
の歴史も勉強する必要はあると思います。

 その意味で、今後ともご教示のほど、お願いします。

合掌 ありがとうございます

581役行者:2011/11/13(日) 06:34:35 ID:YEUC93mw

 >577: HONNEさま
 
  >生長の家の人って本当に「人が良い」って思 います。そして、「中心帰一」って 言葉に弱い。かたちだけの「中心帰一」にとら われて思考停止になってしまって 自分の頭では何も考えなくなってしまう 神の子の自覚とは、自己責任の自覚でもある そうです。分派発生の原因は、すべて 教団にあるのです。言葉はキツイですが、ある 方の横暴的(わがまま)行動をゆるしてきたの は 人が良い」生長の家の人々です<

 このことを生長の家では、一切者の自覚といいます。助言、ありがとうございます。


>578: 神の子さん

 >いい人が多い 特に白鳩の婆さん連中は総裁の 笑顔を見るのが喜びで講習会を楽しみにしてい る 故に講習会の推進活動は終わらない。また総裁 も白鳩とは上手く付き合っているように思う<

 初代総裁のご夫人!輝子先生が、初代白鳩会総裁になります。
 生長の家においては、もち ろん雅春先生もカリスマだが、輝子先生も勝るとも劣らずのカリスマだったと聴いております。
 いま現在、白鳩会総裁・三代目を襲名されたのが、純子先生です。
 他宗教で謂われている婦人会とはワケが違います!

>579: 神の子さん

 > そしてすべてが白鳩会になっていくでしょう 。すでにSEICHO−NO−IEのシンボルは 太陽に緑十字」で無く「白い鳩」です 相愛会は白鳩の旦那が集まる夫の会へ ヤング ミセス中心の青年会へ <

 結構、生長の家の内情を知っておられますね。
 しかしどうでしょう、一般的にも、宗教には女性が多いものです。

582ぼるぼ:2011/11/15(火) 18:13:45 ID:M0AaoEgg
人間知は、この世界がいつ始まり、いつ終わるかを知らない。

なので、混沌から始まったとして、このまま永遠に続けばいいと思っている。

神話の書き出しは、古事記でも、封神演義でも、「初めに混沌があった」という文句である。

出口王仁三郎の霊界物語もまだ半分以上混沌とした表現の域にある。

雅春先生という聡明な霊能に恵まれた覚者が現れて、通常の平易な言葉で真理が説かれ、生長の家という文化が日本に根付いた。

生長の家は実相世界に本部がある。現象世界には一時、谷口雅春総裁、輝子奥様が白鳩会総裁という形で顕現したことがあったが今はその形骸を残すのみである。

真理とはなにか、人間は神である、知恵においても、愛においても、生命においても、供給においても、歓びにおいても、調和においても、無限であり、その無限の徳性を今ここに具現しているのが人間である、ということである。

真理を知ったら、真理を実証して生活する。これを生長の家人という。

人類は皆生長の家人となるとよい、という願いによって行動することを、人類光明化運動という。

生長の家人が集まれば教団となるが、その必要がなければ、各自で自由に菩薩として現世に留まって衆生救済に邁進すればよい。

583初心者:2011/11/16(水) 09:54:15 ID:X1fDhvjY
ニーチェは、混沌は今もある、といってますけど。

その混沌に、人間は、「力への意思」を働かせることで、自分に都合のよい
現実世界をつくり出していると、たしかこんなことをいってましたよね。

ほるぼさまも、混沌のなかにあって、都合のよい現実をつくっておいでのようで
ありますね。

抽象的な文言ばかりでなく、もっと具体的なこと、書けません?
人類光明化とは、ただ願えばよいというのではなく、具体的には何をどうすること
なのか、そんなことも書いていただけません?

すべての人類が、ぼるぼさまのようになることが、人類光明化なのでしょうか。
それは、かなりこまったことではないでしょうか。混沌はたしかに続くとは
おもいますが。

584神の子さん:2011/11/19(土) 19:43:25 ID:Kevr5W5w
11月30日の東京高裁判決が迫ってきたためか、最近いかがわしい書き込み文が急増し、そのほとんどの内容は要するに「『生長の家社会事業団』は総裁先生と和解すべきだ。信徒が迷惑している。」あるいは「教団を潰してはいけない。職員の生活も考えるべきだ。何とかしてください。」というような内容ばかりで


トキよ聞いてくれ


生長の家本流掲示板は情報操作をしてるぞ 信徒の一部の声だけを載せているが、今の体制存続を望む声もあるのだ。

あえて削除するとはな 総裁の批判などできない 同じ狢ではないか

585トキ:2011/11/19(土) 20:34:46 ID:A0nHC/zY
>>584

神の子様

 ご投稿、ありがとうございます。ご指摘の部分は重要であります。

 本流掲示板の管理人様が”いかがわしい”という表現をされた事に驚いています。
本流掲示板の方針は理解はしておりますが、教壇援護派や総裁援護派の考え方もそれなりの論拠がある
考え方です。少なくとも、”傾聴に値する部分はあると思いますが”と書いてから、反論を書くのが筋だと
思います。これでは、反論ができないので封殺した、と思われても仕方がないと思います。

 11月30日が迫り、生長の家教団も揺れていますが、総裁援護派や教団援護派のお考えも、検閲無しに
受け入れますから、どうか、どんどんご投稿をお願いします。もちろん、反対意見も歓迎です。

合掌 ありがとうございます

管理人 敬白

586役行者:2011/11/19(土) 22:36:10 ID:LtEWMsTw
 >神の子 さま

 はじめまして!
 

 >生長の家本流掲示板は情報操作をしてるぞ 。信 徒の一部の声だけを載せているが、今の体制存 続を望む声もあるのだ 。

 あえて削除するとはな 。総裁の批判などできな い。 同じ狢ではないか?<

 お言葉ですが、同じ狢!はちょっといただけない言葉と存じます。私はトキ様に義理立てする必要はないのですが、この掲示板が誕生した当初から書きこみをさせていただいておりますが、いかがわしさは感じたことはありません。どうか、ご安心されてください。

 体制存続だが、総裁には批判する!結構かと存じます。
 他のスレッド、本流対策室では、体制存続を謳い総裁に対しては批判されている大先輩も立ち寄られてます。

 本流宣言掲示板に対し、早くから眉唾と感じられている御仁です。
 本当に、生長の家を愛し、心配されていることが伝わってきます。


 どうぞ、この生長の家の危機を大いに語り合いましょうぞ!

587神の子さん:2011/11/20(日) 09:06:27 ID:Kevr5W5w
>はっきりしておきたいことがあります。「生長の家社会事業団」「光明思想社」悪者説。これを否定しなければならない。恵美子先生が原告に名を連ねている理由を知らしめなければならない。私はここに、貴康先生が3月にわずかな期間だけブログ上に掲載した、貴康先生の裁判での陳述書原稿を掲載させていただき、広く皆様に この問題の本質を理解いただきたいと思います。そして真実が多くの人に伝わり、雅宣総裁体制が自壊することを切に望みます。


雅宣氏の体制を望む者たちから、真実を知らないためかあらぬ中傷が起きている可能性もある。

生長の家信徒はどこか谷口雅春氏の教えにしたがい 紳士的であるのかしれないが、時にはなりふりかまわない行動も必要だろう。

総裁とその取り巻き連中はもはや紳士的対応だけで通じない人種なのである。

社会事業団も苦悩末に一番厳しい判断を下したと考えるのが妥当かもしれない。

盲目的な連中がいまだに多い以上は、関係者は真実をしっかりを伝えるべきである。

588神の子さん:2011/11/20(日) 09:11:39 ID:Kevr5W5w
>体制存続だが、総裁には批判する!結構かと存じます。


ここでは通じるが教団内部では通じない。 独裁体制である以上は批判=追放であるのが現実。100%支持者で野党は認めない。

宗教法人生長の家は読売新聞社と同じである。

589役行者:2011/11/20(日) 11:12:16 ID:rw4.3nZg
 >神の子 さま


>雅宣氏の体制を望む者たちから、真実を知らないためかあらぬ中傷が起きている可能性もある。
生長の家信徒はどこか谷口雅春氏の教えにしたがい 紳士的であるのかしれないが、
時にはなりふりかまわない行動も必要だろう。<


 真実を知らないために中傷が起きているのでなく、
紳士的淑女的であるが故に・・・の方が適切な表現と思う。

 日本の政治においても、ほとんどの国民はある程度真実を知っていることと思われます、ただ、紳士的淑女的であるが故に!の行動は多々見られます。

 同じことが生長の家にもいえるのではないかと思います。


 本流対策室において以前このような内容の投稿をしました。一部掲載。
>650にて
 
 >初心者さまへ

>>ことの発端は、教義の絶対化とイデオロギー化にあります。総裁先生は、教義の絶対化とイデオロギー化を嫌われ、教団からの排除を、おそらく試みてこられたのでありましょう。<<

 >当時、生長の家から離れていたのでよく知りませんが、
たぶんことの発端は確かに、その通りだと存じております。<

 >>「和解」とは何か、これをひと言でいえば、総裁先生に、教義の絶対化とイデオロギー化を認めさせる、ということなのですね。総裁先生
が、教義の絶対化とイデオロギー化をお認めにならないかぎり、和解が成立する
ことはないということであります。<<

 >そのお考えは再び申し訳ないのですが、走っちゃっているような、そのような感じ(*゜д゜*) 
何をもって和解とするか!ですから、確かに教義の絶対化とイデオロギー化を
心に潜め和解するのであるなら、そうかもしれません。
 詳しいことは存じ上げませんが、昔、若気の至りでいろいろなことがあったのでしょう。
 しかし、その当時の方は皆様、年を重ねられてきております。その方々が、
未だもって、生長の家のことをご心配されているのだと思うのです。それが正か
否かは別として・・・ということも含め、今後、世界に、日本に、貢献するため
に、生長の家が何をなすべきか?を同じテーブル上で、朝までテレビに
勝るとも劣らないくらい、話し合い、昔のシコリはすっかりと取り除いていかね
ばならぬと思うのです。
 ですから、試案橋さまも、二度と声をかけるなとは、寂しい限りです。
 どうか、もう一度、まずは、同じボード上に、熟慮に、熟慮を重ねてからでも
構わないので、お出ましになっていただけないでしょうか?<


※早速、生長の家の未来を憂い、お出ましになってくださいました。
 

>>総裁先生は、このようにして実現されてきた教義の絶対化、イデオロギー化を憂慮され、その排除を試みてこられたのであります。ここで和
解となれば、それは、教義の絶対化とイデオロギー化の温存を総裁先生に要求し、
それを認めさせるということになるのであります。<<

 >それを避けるために、話し合う必要性があるのではないかと思うのです。<


 と述べさせて頂きました。
 総裁先生は、教義の絶対化とイデオロギー化を嫌われ、それを教団から排除し
た!と初心者さまが述べておられます。そのような経緯を含め、話し合いをすること
が大切だと思うのです。

 それはそうと、貴兄には分かって頂けるかと思います。まず、しなければなら
ぬことは、某カルト団体の猛威を一刻も早く避けることであることを!
 まずそこを解決しなければ、同士の相打ちで、悲しい結果に終わってしまうでしょう。


 >ここでは通じるが教団内部では通じない。 独 裁体制である以上は批判=追放であるのが現 実。100%支持者で野党は認めない 。<

 人間社会である以上、批判をした人に対して、誹謗中傷、妬み、陥れ・・・は少なからず免れることはできないでしょう。
 私もギリギリのライン、背水の陣です。

590役行者:2011/11/20(日) 13:17:45 ID:rw4.3nZg

 >>589
 一部訂正!

 批判をした人に対し て、

     から

 批判をした場合、

にお願いします。

591神の子さん:2011/11/20(日) 23:21:00 ID:Kevr5W5w
ある日突然 「教区は本部の方針で売却しますので○月○日をもって閉鎖します」ってなことも起こるかもしれんな

何が起きても不思議ではない。

592志恩:2011/11/21(月) 00:40:37 ID:psrFh/ZU
このままいけば、じり貧なんですから、資産を売り飛ばしながら、、、、くいつないでいく方法しか無い、というわけですね。充分あり得る事態です。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
「生命の実相」は、雅春先生という人間を通して、神が与えたもうた聖なる霊感の書です。
天来の声が天下って、雅春先生が書きとめられたものです。

高次元の世界の高級霊からわれわれにあたえられたメッセージ集です。
神の生命のこもった作品です。

神以外に 人智では
生命の躍動、感動する、あのような本物の作品は、決して生まれません。

「生命の実相」を理解できない人は、文章の行間を読む事が出来ない人です。
文章のことばに、こだわった人です。そういうひとこそ原理主義者です。

いったい自分とは何なのでしょう。自分だと思っているのは、その
体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。

これから先は、わかりきっているので、書くのは、やめさせて頂きますが、
とにかく、「生命の実相」を理解できるお方が、生長の家のリーダーでなければ、それこそ、じりじりじりじり貧になってしまいます。

どうしても,変えようとされないなら、このままで行くのなら、失礼ながら、生長の家は、その程度の宗教だった、ということになってしまいます。

593役行者:2011/11/21(月) 12:51:02 ID:FHLcX/K.
 
 >神の子 様


>ある日突然 「教区は本部の方針で売却しますので○月○日をもって閉鎖します」
ってなことも起こるかもしれんな

何が起きても不思議ではない。 <

 志恩さまが仰っているよう、
 「このままいけば、じり貧なんですから、資産を売り飛ばしながら
、、、、くいつないでいく方法しか無い、というわけですね。充分あり得る事態
です。」

 まあ、このままいけばそのようになるのは、誰の目から見ても明らかなことと思われます。
 
 ですから、そのようにならないように、この場でまず、話し合うことが大切かと思うのです。

594トキ:2011/11/21(月) 16:14:28 ID:32Sq3iL6
 すみません、風邪で少しばててました。

神の子様の


>ある日突然 「教区は本部の方針で売却しますので○月○日をもって閉鎖します」
ってなことも起こるかもしれんな

何が起きても不思議ではない。 <

という事は、原則としてできないと思います。それは、教化部は、本部とは別個の法人格をもった組織であり、財産も
その教化部の財産という形になっています。教化部と生長の家という宗教法人とは、包括と被包括という関係になって
いますから、活動での命令は出来ても、財産を処分して、本部に上納する、という事は原則として出来ない事になって
います。教化部の財産の処分は、それぞれの教区にいる幹事や評議委員(いる場合)の認可が必要となっているのです。

 ただ、心配なのは、今度の裁判に負けた本部が、「もう生長の家は生命の実相も甘露の法雨も使いません」と言い出した
ら、各地の教化部や練成道場の中には、包括関係からの離脱を宣言するところが出て来るかもしれません。または、信徒が
激減し、教化部の建物を維持できなくなって、やむなく売却し、小さな建物に移る教区が出て来るのもありえます。最近
の本部の人間と話していても、何か、現実から遊離しているというか、何を考えているのか現場の人間から理解できない
言動が散見されます。とんでもない事をしなければよいが・・・・と心配してしまいます。

595神の子さん:2011/11/22(火) 12:33:58 ID:Kevr5W5w
>『雅宣総裁は元々が宗教・信仰の世界に向いている人ではなくて学者・評論家の世界の方が性にあっていると思われる』の後半部分は違うと思います。つまり「学者には向いていない」と私は考えています。なぜなら彼は講習会で「温暖化している証拠として、本来、日本には生息していない南に住む生物が日本でみつかっている」ことを挙げています。直接、声を聞けば、その人が信念から言っているか、そうでないかはわかります。この話をしている彼の声は、本当のことを隠して聴衆を騙そうとしていることに対する気持ちが出てしまっていると私は感じています。事実を隠すのは学者としては許されないことです。地球の気温は上がったり下がったりを繰り返しています。今は約400年前の小氷河期からの回復期ですから、その頃と比べると気温が上がってきているのは事実です。しかし今から一千年前と比べると、まだまだ低いのが事実です。それをIPCCが過去に気温の高い時期がなかったかのようにデータを捏造して、HS(ホッケースティック)曲線を発表したのですが、今ではそのデータ捏造はバレてしまっています。その事実を語らないで、小氷河期とだけ比較して温暖化しているというのは、学者としては不誠実のそしりをまぬがれません。ですから、彼は詐欺師なら向いているでしょうが、学者には向いていないというのが正しい判断だと私は思います。


じゃあ何に向いてるのだろうか?新聞記者も頓挫し 宗教家も駄目 学者としても中途半端である。

彼は恵まれすぎた境遇に生まれたのである。もう少し庶民であればもっと努力し才能を開花させた可能性もある。

少なくも総裁は画才は無いが、写真は上手に撮っている、ハングリーな環境ならカメラマンになるべきだろう。文を書く記者よりも瞬間を捉えるカメラマンこそ天分。

596神の子さん:2011/11/22(火) 12:48:05 ID:Kevr5W5w
>原則としてできないと思います。それは、教化部は、本部とは別個の法人格をもった組織であり、財産も
その教化部の財産という形になっています。教化部と生長の家という宗教法人とは、包括と被包括という関係になって
いますから、活動での命令は出来ても、財産を処分して、本部に上納する、という事は原則として出来ない事になって
います。



原則ではそうですが、もはや雅宣教団ですので何が起きても不思議はありません、過去を知る人には「まさか」があたりまえになっているではありませんか。

もちろん独立採算で充分やっていける大都市の黒字教区は売却に反対できますが、会員が少なく、大口の寄付金納入者が少ない地方はなんらかで本部の支援を受けて、教区の建設費を提供してもらっているとこは

方針に従わざる得ないでしょう。東日本大震災で破壊された福島・茨城は再建が大変です。他も補修やら、建て替えか困難に直面してることです。

597神の子さん:2011/11/22(火) 13:03:29 ID:Kevr5W5w
>教化部の財産の処分は、それぞれの教区にいる幹事や評議委員(いる場合)の認可が必要


総裁の方針に反論するような幹事や評議委員はいるとこは今の事態を真剣に考え総裁の退陣を迫るはずです

しかし現状はイエスマンばかり、会員も減ってるし将来を背負う青年会もいないし、しょうがないな〜と閉鎖も容認へ

やがて白鳩幹部さんの誰々宅の一室が集会する会場になっていくのです。

598トキ:2011/11/22(火) 17:16:13 ID:6pXSsuMw
 うーん、教区の幹部や評議委員が「総裁の退陣」を叫んでも、影響はないでしょうね。
でも、教化部の財産を処分して、本部に上納するような事には事実上もならないと思います。
教区レベルで言えば、教化部長と言えども好き勝手にできる事ばかりではないですから。

 総裁に関しては、悪いところばかりではなくて、優秀な方だと思っています。ただ、歯車
が合わないだけかと思います。その点、話し合いをすれば歯車があうのに・・・・。惜しい
と感じています。

599ぼるぼ:2011/11/22(火) 18:48:36 ID:M0AaoEgg
組織と個人の関係は、人体と細胞の関係と同じである。

自我が滅却できない内は、自分は眼球であり、お前は脳髄であり、彼は胃袋であり、こいつは皮膚に過ぎないとか言って、自他を区別し差別し、悪いところがあれば西洋外科医学のように摘出して除去すれば良いとする。これは迷いであり、苦しみであり、暗黒思想である。

人体には自然療能力があって、外から黴菌が入ってきて具合が悪いなら白血球がやっつけてくれる。様々な抗体を作って、外部からの攻撃に対抗する免疫力を持っているのである。

組織と個人の関係は、正しく人体と細胞の関係であり、組織なくして個人はない。日本国家なくして日本人はない。生長の家教団なくして生長の家信徒もない。

今、組織が病んであるのは、各細胞が自我を滅却しないで、勝手に相手を避難しているからである。

自我を滅却し、自分が人体であり、単なる眼球でも脳髄や手足でなく、人間であるという自覚をもてば病状は消える。

雅宣総裁という脳髄がおかしいからといって、これを摘出すればいいというのは西洋医学的発想であると言う気がする。

600トキ:2011/11/22(火) 19:03:23 ID:6pXSsuMw
>>599

ぼるぼ様

 ご投稿、ありがとうございました。そうですね。確かに谷口雅宣先生のご指導には問題はあります。しかし、だからと言って、谷口雅宣先生
を追放して問題が解決するのか・・・・というのも疑問ですね。生長の家という組織にも確かに問題はありましたし、幹部の言動にも反省すべき
点は多々あったと感じております。

 彼が考えていた事は、たぶん、宗教というものが過去において間違いを犯したのだから、社会から受け入れられる存在であるべきだ、という
事だったと思います。その意味で、生長の家という教団にあった“弊害”を取り除かないといけない、という彼なりの決意はあったと感じます。
ただ、これはご本人も気がついておられないと思いますが、改革を急ぐあまり、彼自身が権力の専横の権化となってしまったと思います。

 吉田國太郎先生が、二階から下に降りるのに、飛び降りたら怪我をするが、遠回りでも階段で降りたら怪我をしない。それと同じで、順番
を守らず、事をせくと怪我をする、と書かれていました。同じ様に、もし、谷口雅宣先生がもっと平易な言葉で、忍耐強く教団の人達に話し
かけたなら、事態はかわっていたと思います。

 同時に、やはり教団の信徒、一人一人の心の持ち方の現れでもあると痛感します。マサノブ総裁を追放しても、また、にたような問題が必ず
生じると思います。やはり、ここは信仰の原点にみんなが戻り、祈り、学ぶべきだと思います。また、教団のあるべき姿も議論をすべきだと
思います。

 たいへん素晴らしいご投稿、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

601神の子さん:2011/11/22(火) 22:07:39 ID:Kevr5W5w
初代 二代目が良すぎたとも言える。だから3代目だけはあまりに凡庸。

明治・大正・昭和まで日本は賢人が次々出ましたが平成になり売国奴か守銭奴ばかり

生長の家だけが例外ではありません日本全体が狂ってきた。大王子製紙・オリンパスを見ても呆れるばかり。

602役行者:2011/11/22(火) 23:52:49 ID:vxC3BWzw
 
 >神の子さま


>明治・大正・昭和まで日本は賢人が次々出まし たが平成になり売国奴か守銭奴ばかり 生長の家だけが例外ではありません日本全体が 狂ってきた。大王子製紙・オリンパスを見ても 呆れるばかり<


 確かに、政治家の2世、3世を見てみても、明らかだ!
 私を含めて、蛍の光、月の光で学んで、血のにじむ努力をされた先達には、まるでかなわない!

 徳川の世が長く続いたのは、三代目家光がそのかなわないことを認め、家康公に降伏し、家光本人の功績をも、家康公に返上するつもりでことにあたったからだと思う。たぶん、三代目というのは、端から見ているより、随分と割の合わない座であるのであろう!
 どんなに努力しても、初代にその功績をもっていかれてしまう・・・きっと孤独との闘いなのでしょう。
 そのようなことをあるエッセイ集から読んだことがある!

603神の子さん:2011/11/23(水) 09:49:25 ID:Kevr5W5w
徳川家光は日光東照宮を豪華に再建し、徳川家康を神として祀った大事業で求心力を諮り、裏では春日局が大奥を支配し難局を乗り切り江戸幕府の磐石を築いたと言える

一方で雅宣氏の森のオフィスはそういう初代を称える事業ではないようだが、春日局的存在の勅使河原氏らが白鳩会を実権支配し大奥の様相だけは出来ている。

大奥は出来ても初代をないがしろにして磐石は厳しい

604役行者:2011/11/23(水) 18:25:56 ID:8oHuo8NM

 神の子さま!

> 大奥は出来ても初代をないがしろにして磐石は 厳しい<

 貴兄の投稿文、一般論的にマトを得ている。
 三代目というのは、何とも割の合わない役職である。
 いろいろな三代目の在り方が考えられる。

 一つとして、自分のプライドや顕世欲のため、初代を利用するタイプ!

 二つ目は、何も分からず、放蕩三昧!

 ※上記二つはナイガシロタイプ!

 三つ目は、先代の築いた偉業・業績に押しつぶされてしまうタイプ!


 四つ目は、世間、周りに対する状況判断だけは長けていて、初代に無条件に降伏し、何とか、先代の重用した部下にやる気を出させ、世を乗り切る!

 五つ目は、プライドや顕世欲があるため、新しく改革しようにも、先代の重用した部下達に総すかんを喰らい、新時代を睨んだ新しい改革になかなか踏み込んで行けないタイプ!

 六つ目が、先代の功績・偉業を全面的に奉り、先代が重用してきた部下の功績を讃えながら新時代にあった改革を、まるで自分の成した手柄ではないよう存在を極力消し、静かにすんなり盤石の体制を整えてしまうタイプ!
 
 みなさん、どうでしょう。
 三代目の気持ちの爪の垢でも味わってみますか?
 簡単にできますよ!
 自分の功績を全て上司に返上するのです。まったく、自分という存在のカケラも見せずに・・・なかなか難しいことなのです。

605役行者:2011/11/23(水) 18:50:16 ID:8oHuo8NM

 神の子さま!

> 大奥は出来ても初代をないがしろにして磐石は 厳しい<

 もう一点、その・・・盤石なる大奥のことですが・・・幕藩体制における春日局の大奥は数年前、勅使川原先生がアメリカの責任者になると同時に変わりゆき、今は八代将軍・吉宗公により改革された大奥になっているのである。
 同じ大奥でも、時代が違うようである。いま、時の過ぎ行くのは、幕藩体制時より早いのである・・・あしからず・・・

606神の子さん:2011/11/24(木) 14:17:23 ID:Kevr5W5w
勅使河原氏は純子さんよりも影響力がありすぎるから左遷されたのか

今の総裁ならやりかねんな。総裁夫婦より能力がある者 カリスマのある者は

左遷か追放

607神の子さん:2011/11/24(木) 14:23:07 ID:Kevr5W5w
しかし徳川幕府と雅宣教を比較するのはおかしいわな

どっちかと言えば李氏朝鮮王朝のような状態だろう

悪名高き燕山君といったところだ。

608トキ:2011/11/24(木) 19:43:53 ID:vLaTawrU
 この間、友人が携帯電話を買いに行くのに付き合いました。係員の説明では、最近の携帯電話の
場合、基本は通話だけですが、メールをやりたい人はメール機能を、ネットにも活用したい人はネットを、
さらにカメラ機能とか、GPS機能とか、オプションでどんどん機能が増やせるようになっています。横
で聴いていて、こういう組織でも良いと感じました。

 生長の家というのは宗教法人ですから、利用者である信徒にとって基本的な機能は「信仰の場」です。
しかし、ビジネスをしている人は「栄える会」、芸術家の信徒さんには「生長の家芸術家連盟」、教育は
「生長の家教職員会」等があります。つまり、ある種、オプション的な場が準備されていると言えるで
しょう。(昔は政治をやりたい人は「生長の家政治連合」がありました。)

 つまり、生長の家がこれだけ大きくなり、会員が増えると、いろんな人が信徒になっています。私の
回りを見ても、共産党や旧社会党の幹部だった人もいれば、愛国運動でバリバリだった人もいます。
日本人だけではなくて、外国人もいます。こういう状態になると、組織が特定の目的、例えば、特定
の政党への投票を命令したり、電気自動車を買いましょう、と鼓舞する事が受け入れられるとはかぎ
らないと思われます。もちろん、会員同志で、特定の政党への投票を命令したり、環境問題を強調する
のはあり得ると思いますが、組織としての生長の家が命令をするのは限界がある、という事です。
 しかし、多様性を理由に、しばりがなければ、組織としての意味をなしません。
その「しばり」とは、この場合、「信仰」であります。それ以上でも、それ以下でもないのです。

 すると、生長の家という組織が目指すのは、シンプルな信仰としての組織だと思います。
 神想観ができて、真理の勉強会が開けて、同志と交流ができて、無理のない形で布教ができる組織です。
その上で、特定の運動、例えば政治や環境、繁栄や教育を生長の家の視点でしたい人は、できる、という
環境を整える形にするのが理想でしょう。その選択は誰がするか? それは、信徒一人一人がするの
だと思います。

609役行者:2011/11/24(木) 20:39:18 ID:pYouf3JA
 >>607

 神の子さま


  貴兄かもしれぬが、生長の家の状況は今の日本の状況の縮図だ!と仰られた御仁がいます。
 とするなら、徳川幕府と生長の家を比較することに違和感はないと思う。
 ただ、その雅宣教というのがもし存在するなら、本人で一代になってしまうので、徳川幕府とは確かに比較はできないのは確かだ。

 それにしても雅宣教が、朝鮮李王朝時代の燕山君ですか(・_・、)
 燕山君は10代目ですけど、>>604 の三代目の在り方に当てはめると・・・

 二つ目の何も分からず、放蕩三昧!

 でしょう!

 いくら何でもそれはお許しください。

610神の子さん:2011/11/24(木) 21:41:38 ID:Kevr5W5w
燕山君はいろいろ説があって暴君でなく一時は名君だった時代もあったらしいが、優秀な君主ほど伝統よりも改革を志すようで、反対者をことごく失脚や処刑させたようです。

朝鮮の歴史において改革派は支持されず、多くの恨みを買ってしまい最期は手が付けられない事態になり追放され流刑にされたとか。王位は剥奪されたそうな。10代は空位

611役行者:2011/11/24(木) 23:59:33 ID:pYouf3JA

 >朝鮮の歴史において改革派は支持されず、多くの恨 みを買ってしまい最期は手が付けられない事態にな り追放され流刑にされたとか。王位は剥奪されたそ うな。10代は空位<

 何とも、栄枯(えいこ)は移る 世の姿  映さんとてか
  今も尚 ああ荒城の夜半の月!

 いつの時代でも、夜半の月は輝いている!


 荒城の月

 春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし 昔の光 今いずこ

  秋陣営の霜の色
  鳴きゆく雁(かり)の数見せて
 植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ

  今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐

  天上影は 変わらねど
 栄枯(えいこ)は移る 世の姿  映さんとてか
  今も尚 ああ荒城の夜半の月

 なぜか、しみじみ、好きな曲である。
 きっと心の奥に、夜半の月でありたい自分がいるのであろう。

http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata_player&amp;v=PDrcs_XTej0

612さくら:2011/11/25(金) 18:31:00 ID:TmMb1sPA
>608
トキ様

わたしは、信仰や真理の探求、また伝道についても、組織の論理が、当てはまると思っていません。

伝道は、組織的に効率よく多くの人に伝えることを目的とすることではなく、
「目の前の一人」に、信仰による言動から、何が伝わるか問題になります。

組織は、効率を求め、それ自体の維持や保守に、重点がおかれたりします。
また一人一人の良心に基づく行動や自発的信仰の発露は、組織の体制や方針とは、相反する場合が多々、ありえます。
組織に頼る伝道は、「方便」を必要としたり、数の論理に走ったりすることが、考えられます。

極端な言い方をしますが、多くの人に効率良く教えを伝える目的、などというのは、唯物的だとも、思っています。
信仰の世界観とは、矛盾が、あると考えています。


ただ、救済活動としてや創造的活動としての、グループや組織の活動のあり方は、考えられるべきだと思います。

トキ様は、オプション的に各分野の組織化を考えられているようですが、

わたしは、まず第一に、信仰と真理の探求と、
救済的活動のあり方を、
区別して考えるべきだと考えています。



現教団の活動は、救済的活動の一モデルとしての一面、が考えられるとも、わたしは思っています。


現教団が、生命の實相を、手放さざるを得ないという状況は、当事者の諸事情を抜きに考えて、ですね…

もっと大きな流れのなかでは、必然的な出来事としての、ある方向を感じることが、あります。

また、今は、信徒が、現象に一喜一憂せずに、自分の信仰を見つめるチャンスだと、思えます。
自分がどんな選択をして行動するか、考えらる機会があたえられていますし、まずそれが大切だと思います。

トキ様、
わたしの考えは、甘い言葉による、組織破壊の、洗脳ですか?

613トキ:2011/11/25(金) 21:10:40 ID:cxYvfZcs
さくら様

 ご丁寧なご投稿、ありがとうございました。組織と信仰のあり方は、生長の家にとっても重大な
課題だと思います。さくら様も現場の方だと記憶しておりますが、私も教区のヒラ会員ですので、
いろいろと考える事が多いです。

 さて、ご指摘の通り、組織運動と個人の信仰とで矛盾が生じる事は、よくあります。組織の論理
があまりにも全面になると、信仰とは名ばかりの、単なる自己満足に陥る事もその通りだと思います。
 ただ、組織のあり方を考える時に、構成員の個人の意思とは別に、組織自体が守るべき価値はあると
は考えています。

 “卵が先か、鶏が先か”という命題がありますが、生長の家に関して言えば、生長の家という信仰が
あり、生長の家という運動が生まれ、生長の家という組織は、最後に生まれたのです。その意味で、
生長の家という組織は、あくまでも信仰や運動の”道具”であり、中心は信仰であります。そして、
生長の家という信仰においては、甘露の法雨や聖典は、必須のものであり、これなくしては生長の家
という組織自体の存在意義がなくなると言えると思います。

 少し余談になりますが、伊勢神宮に参拝すると、「赤福」という土産が近所で売ってあります。あれ
はもう300年も赤福を売っているのです。まあ、一時、インチキをして、世間様から非難囂々となり
営業を休んだ時期もありました。しかし、「赤福はインチキをしたから、もう赤福餅は売らない」とか「もう
300年も赤福を売って来たから、そろそろ赤福餅を止めて別の物を売り出す」とか赤福という会社が
言い出すとは考えられないのです。やはり、「赤福」という会社は、赤福餅とは切っても切れない
関係にあるので、どんな事があっても、「赤福餅」は死守しているのです。同じ事が、生長の家
にも言えるのだと思います。

 赤福という会社が、赤福餅と切っては切れない関係にあるように、生長の家という信仰は、生命の実相
とは切っても切れない関係にあります。個人の意思や社会の状況がどう変化しても、それを組織が
捨てる事は、組織自体の目的を放棄する事を意味します。組織自体の目的がなくなる事は、もはや
その組織は存在意義がなく、従って解散をすべきである、という論理になります。

 ただし、別の論理としては、新しい聖典や聖経を作って信徒に頒布する、という事はあり得るかも
しれません。トヨタが自動織機をやめて自動車を作って成功したように。しかし、教区の現場の
感覚では、それは猛烈な拒絶反応をもたらすでしょう。それは、教区にとってもそうだが、教団
、総裁そして参議や理事の皆様にもとても悪い結果をもたらします。事実上の”解散宣言”となるで
しょう。これは論理ではなく、感情です。そして、人間は感情の生き物ですから、感情に従って
行動する事になるのです。

 本流復活派は確かに出版権を巡って裁判はしておりますが、教団に聖典や甘露の法雨を使用するな
とは一言も言っていません。日本教文社から出版される本と光明思想社から出る本とで、中味に異同が
なければ、それを使えばよいではないですか。現場の人間から見たら、どこから出た本かで問題
にはしません。生命の実相が使えない、と決めないで、広い心で、光明思想社の本でも認める
度量が必要だと思っています。

 ご返答にならないかもしれませんが、お許し下さい。

合掌 ありがとうございます

614「訊け」管理人:2011/11/26(土) 10:01:53 ID:W9ebvJaY



>トキさん

(さくらマネのテーマを、遮るカタチになるので申し訳ないですが・・・)

 ホント、光明思想社本の件ですが、大賛成ですね。以前申したことの繰り
返しになりますが、「出版社がどこか?」など、信仰の前では些事でしょう。
「裁判した相手の本だぞ!」な意見は当然出るでしょうけども、それは一般
ピーポー(凡人)の発想です。生長の家とすればこれ、そんな発想は恥ずか
しいものではないでしょうか。ですので教団はガンガンに光明思想社本、
「使用すべし」だと思います。内容は開祖のもので間違いないのですから。

 ・・・話は飛びますが、薩摩型の教団首脳ならばどうするのでしょうか?
それを考えてみます。わたしならばこれ、光明思想本をガンガンに、教団内
で拡販しますがね。そして同社売上の教団依存度、これを上げさせておいて
からなにか、もの申すかなあ(笑)同社生命線を制した上で曰く、「おたく
を食わせているのはウチ(教団)だよ?わかる?」と(・・・ああ、不調和
な話だw)「そんな生意気な態度採るなら、ウチはひくよ」「物不足の戦時
中は『生命の實相』、貸出しにしてたんだぜ?(『四十年史』よりw)」
「つまりおたくの本、入ってこなくても全然困らないよ」等々・・・ついで
に「抱き合わせでこれ、おたくで出版してね(『さらに森の奥深くへ行く』
『続・うぐいす餅とバナナ』)」というのもお忘れなく。
(注:ホント、不調和な話だwこれ、普段のオレの仕事ブリだw)

 ・・・まあ端的に申せば、教団はもっと寛容になり、「同社をコントロー
ル下に置けばよいのに」と思いますね。と、申しますか、この程度の制御法
はこれ、教団首脳は考えているとは思いますけれどもね。

<光明思想社の売上が落ちると・・・>

 出版社なんてガンガンに倒産します。街のラーメン屋よりも収益構造、脆
弱です。簡単にコントロール下におかれてしまう業種、それが出版社と云え
るでしょう。同社も現在資金繰りは(我が社同様w)火の車ではないでしょ
うか。経理担当は冗談が通じないくらいにテンパッておられると思います
(恥ずることではありません。今は当たり前の光景です)
 で、そんな資金繰りの時にですね、変な勢力が¥を持って近づいてきたらどうするのか・・・・正義感の塊が100名集まっていましても、資金繰り事情には克てぬのです。簡単に軍門に下るであろう、そう予想します。「そんなことあるかー!」と言われても、信じられません。むしろ、正義漢ほどこう考えます。「倒産したら社員がホームレスになってしまう・・・これはイカン!」と。

 ・・・そうなればこれ、わたしがカルトの親分ならば大喜びの状況です。
「ヒヒヒヒヒ、『生命の實相』のアガリで革命勢力を養う!なんて痛快なん
だ!」と(笑)「ついでに編集権、これを行使して内容を〝なんちゃって〟
なものにシテヤル!」と(笑)キャバ嬢からも、もう親分さんてばホント天才、
とか云われ始めたりすれば、もうこれ、笑い話では済まないですよ。
(いつのまにか雅春先生が「ホニャララ協会を礼賛している」かのような本、
編集で簡単に作っちゃったりして。「和解の倫理」程度のトリックでこれ、
簡単に騙せてしまうのですから軽作業でしょう)

 結論、

「教団は光明思想社をコントロール下におくべし」

(負けたらだけどね)

615HONNE:2011/11/26(土) 14:10:30 ID:jtmmmlXY
和解ということについ、チョイと疑問が浮かんできました。
そもそも、学ぶ会、ときみつる会、光明思想社が発生した背景はなんだったのか。
本来の生長の家とは違う背信的行動をとってきた教団の存在では?
ならば、教団が過去の誤りを認め、懺悔し、新生した時に、すべては元の鞘に収まるのではないか。
でも、こんなことは所詮は夢物語にすぎない。

616さくら:2011/11/26(土) 17:46:39 ID:rtDYpBEY
>613

トキ様

トキ様の、例え話は、いつも分かりやすくて、好きです。
でも、赤福に例えるとは、ユニークですね、笑。

赤福は、商品ですが、
聖典は、なんでしょうか。

わたしの考えは、既存の宗教組織を温存したい方々には、秩序を乱す、
また、今までの宗教のあり方からしたら、実現不可能な考え方なのかもしれませんが、
考えの一つとして、述べてます。

生長の家の組織の目的が、生命の實相の普及にあると考えられていますが、
この組織の目的には、賛同出来ないと考えています。

聖典の普及は、出版社が担うべき方向になるのが、良いと思われます。

また、訊け監督が言っていたような、個人が自発的に、勉強会や、ブログを開設することで、広げることは良いと思います。

聖典による救いや普及を、
宗教組織の論理で活動にすれば、
必ず、同じことが、繰り返されると、感じています。

どんな崇高な目的を掲げる組織でも、
聖典は、組織論理に、組織活動に利用されうるもの、となりえます。

投稿の中で、生命の實相を、聖書に例えられていましたが、
歴史的に聖書が、どれほど利用されてきたかを考えます。


組織の活動があるとすれば、
具体的に社会的な問題に取り組む活動であることが、求められるとおもいます。

聖典による救いを目的とすることではなく、
何が出来るか、具体的に考えられる活動です。

それも、今までの活動の形ではなく、
一人一人が課題に対して、自分には、何が出来るか考え、話し合える自発的組織であればいいと思っています。地域のグループ的なものなら、なお良いと考えています。

度々言いますが、
組織の論理と、
個人の信仰、真理の探求は、矛盾します。
宗教組織の問題は、
それを混同するところから発生したりすることがあると思っています。

組織は、集団的な、思考の枠組みで、運営されるものですが、
信仰や真理の探求には、それらを、超えた世界観があります。
決して組織化されることは、ない世界です。

どのような善良な目的を掲げる組織であっても、同じです。
その目的に、信仰の世界観が、従うことはないとおもいます。

617ぼるぼ:2011/11/26(土) 18:23:05 ID:M0AaoEgg
明治時代の日本人はいかに勇敢であったか。現代人には想像もできないであろう。
旅順での白襷3000名の勇士のことを心に留めていくべきである。

西村眞悟ブログより引用する。

 明日十一月二十六日は、百七年前の明治三十七年(一九〇四年)、三千名の白襷抜刀隊が旅順要塞に突撃し玉砕した日だ。
 世界史的に古今の最難戦となった旅順要塞攻撃において、この日午前八時、第三回総攻撃が発令された。しかし、各師団の攻撃は、ことごとく失敗に終わった。
 ここにおいて乃木希典第三軍司令官は、中村覚歩兵第二旅団長の熱心な意見具申を受け入れ、特別部隊による攻撃を命じる。
 それは夜間、刀と銃剣で敵陣に突入する奇襲であった。
 そこで、乃木軍司令官は、目印の白い襷をかけて整列した三千名の全将兵に、次に通り訓示した。
「・・・国家の安危は、我が攻囲軍の成否によって決せられんとす。予はまさに死地に赴かんとする当隊に対し、嘱望の切なるものあるを禁ぜず。
 諸氏が一死君国に殉ずべきは実に今日にあり。こいねがわくば努力せよ。」
 このあと乃木は、整列する将兵の間を歩き、滂沱の涙を流した。ただ「死んでくれ、死んでくれ」と言った。

 白襷隊三千名は、同日午後六時に行動を開始し、午後九時前より松樹山方面(要塞の東側)の敵陣に突入して激烈な攻撃を開始した。
 そして、敵の大砲、機関銃、小銃、手投弾、地雷により中村隊長以下二千名の死傷者を出して部隊として消滅した。
 
 日露戦争の旅順以外の戦場でのロシア側記録には(確か、黒溝台の激闘か)、突入してくる日本軍兵士は狼より凶暴である、と書いているものがある。
 しかも、この旅順の要塞に刀と銃剣だけで突入した兵士は、もともと生きて還る気のない文字通り剽悍決死の士三千名であった。
 では、ロシア側記録には何と書いてあるのか。
 以下の通りである。
「・・・実に、この精気に強き日本軍が、精気の弱き露西亜軍を屈服せしめたるなり。
 余は敢えて屈服という。されど一九〇五年一月一日の開城を指すにあらず。
 その前年の暮れ、即ち、十一月二十六日における白襷抜刀決死隊の勇敢なる動作こそ、まことに余輩をして精神的屈服を遂げしめる原因なれ。
 ・・・敵味方合して五百余門の砲台は殷々として天地を振わしたりといわんのみ。
 しかもその天地の振動に乗じ、数千の白襷隊は潮のごとく驀進して要塞内に侵入せり。
 総員こぞって密集隊、・・・白襷を血染めにして抜刀の形姿、余らは顔色を変えざるを得ざりき。
 余らはこの瞬間、一種言うべからざる感にうたれぬ。曰く、屈服。」

 以上、岡田幹彦著「乃木希典 高貴なる明治」展転社刊による。この書を是非読まれたし。
 なお、この書一冊で、乃木希典第三軍司令官を愚将とし白襷隊を兵の無意味なと殺とする司馬遼太郎著「坂の上の雲」全巻を価値において遙かに凌駕する。売文家としてのおもしろさは別。

618トキ:2011/11/26(土) 21:40:32 ID:RGUgIDag
女性板 かぴばら様

 ご投稿、ありがとうございます。閲覧者が多いのですが、なかなか投稿者が続かないのがこの板の泣き所です。
うーん、いよいよ、「部室」板、作る必要がでてきたみたいです。(初心者様、ごめんなさい)
 
さくら様

 ご丁寧なご返答に深く感謝申し上げます。さくら様の言われる通り、信仰と組織のあり方は難しいです。
この間、亡くなったスティーブン ジョブズのappleコンピューターのコピーにこんなのがありました。

 “メーカーの論理よりも、ユーザーの感性のほうが、はるかに正しい”

 これは、組織がユーザーの感性を無視する危険性を示唆したものでしょう。

 組織があるから個人の信仰が阻害されるというのは理解できます。ただ、組織がなければ、個人の信仰は守られる
のか、という反対解釈もできないと思います。私は、現在の生長の家の組織にはたくさん改善すべき点があると思い
ますが、しかし今すぐ組織を解散すべきだとまでは思いません。個人のレベルで出来る事には限界があります。例え
ば、練成会を開催したいと思っても、普通に仕事をしている人が、仕事を10日間も休んでどこかに泊まり込むのは
常識的には考えられないです。

 ただ、過去の生長の家は、組織を過大に重視し、現象としての生長の家本部をあたかも神様の代理人のように誤解
をしました。それが暴走すると、多くの個人を傷つけました。その点も軽視できないと感じます。例えば、信徒の
感性は「生命の実相を学びたい」と要求しているのに、「森の中へ行く」を組織が読む事を要求する事は、“正しくない”
と言えるでしょう。

 要するに、組織があることで、弊害もありますが、同時に組織がないとできない事もあります。その中で、組織に
関わる人間は、弊害を最少にし、メリットを最大にする努力が必要になってくるのです。

 金槌は、釘を打てば便利な道具ですが、誰かの頭を殴れば凶器になります。同じ様に、組織も使い方により、
便利な道具にも、凶器にもなりえます。今、我々、信徒が論じるべき事は、生長の家という組織を凶器ではなく、
便利な道具にするためにはどうすれば良いか、という事かと思います。

 以上は私の愚見ですので、笑って見逃してやって下さい。

合掌 ありがとうございます

619「訊け」管理人:2011/11/27(日) 09:37:12 ID:UodBcqiE

>ぼるぼさま

01:29付近よりご視聴ください。
http://www.youtube.com/watch?v=ceAxJY2IJhY&amp;feature=related

620さくら:2011/11/27(日) 09:58:21 ID:rHucuRto
話の焦点を合わせるのは、難しいものがありますですね、

宗教組織のありかたは、一般的な社会的組織とは、役割が違うとわたしは考えているのですね。

難しいのは、宗教組織のあり方を変革することです。

社会的組織の役割ははっきりしています。
宗教組織とは、違うのですね。




宗教的価値観への固執は、他を排除することに、躊躇しない面がありますね。

その根底にあるものは、恐怖だと感じています。

「神において正しい」という立場を取るとき、ときに人の残酷な面を見ます。

621「訊け」管理人:2011/11/27(日) 10:11:12 ID:UodBcqiE

>さくらマネ

 一点だけ簡潔に述べます。「神において正しい」という立場を取るとき、
「ときに人の残酷な面を見ます」には同意します。しかし生長の家の大神
に於いて正しい、そんな立場ならばどうなるでありましょうか。

 やや飛躍した書き方になりますが、生長の家教団の問題はこれ、御教えの
暴走(教えを遵守した結果)ではないように思います。むしろ、曲解+誤読
の放置、これになるのではなかろうかと、そのように思う次第です。

 「では組織をどうするか?」の問題なのですが・・・ここからが私、組織
を知らぬためなんとも答えようがないのですが・・・この点は無責任になり
申し訳ありません。しかし云いたいことは(極端な表現をあえてすれば)、

「生長の家に関して申せば、御教えが暴走する方がよい」

 なんてものになりましょうか。「親を大切に」「国を大切に」「隣人に深切に」
「神と一体し」「恵みに感謝し」・・・等々の御教えです。信徒側が勝手に
解釈せぬ限り、そして曲解+誤読をせぬ限り、この教えは躍動させねばならぬ
と思います。

622「訊け」管理人:2011/11/27(日) 10:19:42 ID:UodBcqiE

補足

 私にたびたびメールをくださる方がおられます。古参信徒の方であり、組織
内でも有名な方のようなのですが、同氏曰く・・・

 「神一元の考えですが・・・生長の家に於いてもこの考え方、実はマイノリティ
なんですよ」


 つまり、この方のおっしゃりたいことは「もっと聖典を読まねばなりませんね」
ということになろうかと思います。御教えが過去、人を審判いたことはないのか
もしれません。審判いたのは聖典の軽視であったかもしれませんね。

 貴女組織考察に於いて、なにか有益になればと思い特に補足致しました。
これからもご投稿を楽しみにしております。

623初心者:2011/11/27(日) 11:38:19 ID:X1fDhvjY
訊けさま

訊けさまは、かねてより、み教えの暴走は存在せず、曲解と誤読があるといわれて
おりますが、では「天皇国日本の実相顕現」は、これまでどのように曲解され誤読され
てきたのでありましょうか。そして正しくは、どのように理解されるべきなのでありま
しょうか。お考えをお聞かせいただきますようお願いいたします。

また「人類光明化」、「地上天国実現」につきましても、ご説明いただきますことを
希望いたします。

624神の子さん:2011/11/27(日) 19:28:47 ID:OwZNnQEQ
>>619訊け殿

映像の紹介感謝。ついでに全編視聴を試みたんですが、途中で、断念しました。

歴史的事実というものは、映画や小説では到底描き切れるものではない。

事実は筆舌に尽くせない規模のドラマを含む。人間の五感というものの捉えうる世界の如何に狭いかを痛感します。

ネットで、不器用に言葉を並べても虚しい。それでも尚、語ろうとするのが人間の業である。

雅春先生の言葉についても同じであって、古来多くの聖人覚者が真理を説いて来たのであって、何も雅春先生だけが真理を説いた訳ではない。

ただ、僕は、雅春先生に最も波長が合っていたので、若い頃の彷徨が生長の家によって終わることが出来たのである。

生長の家は雅春先生が提唱した正しい生活法であって、雅春先生味の酒である。

この味が美味しいと思う者にとってはそのまま救いとなる。

しかし、未経験な子供にいきなり酒を与えても拒否反応を示すのみである。

かって、渕脇講師は、長男に、お前は40歳になるまで生命の実相は読むな、と言ったらしい。

ぼくは飛田給にいたころその息子から聴いた。

宗教は、社会経験を十分積まなければ、その効能もないし、おそらく興味もわかないだろうと思う。

625ぼるぼ:2011/11/27(日) 19:33:03 ID:OwZNnQEQ
失礼

上記624の神の子さんはぼるぼでした。

626「訊け」管理人:2011/11/27(日) 21:56:57 ID:snP.vX5s

>初心者校長殿

 メチャメチャお久しぶりな感じがします。実験の方はいかがでありましょ
う。あたしゃ結構「期待大」な感じでお待ちしてますが、そうそう結果が出
るわけはありません。ですから気長に待っております(笑)・・・で、それ
ではさっそく、お問い合わせの件にお応えします。なお以下は云うまでもな
く、組織を知らぬ信仰五歳児による「一部外者から見た偏見談」的な文章に
なります。事実誤認の箇所などございましたら、ご遠慮なくご指摘くださいませ。
それでは宜しくお願い致します。

<雅春先生の把握された〝天皇〟>

 雅春先生申されるところの天皇とは、「實相とイコールの意味である」と
理解している愚生です。天皇即ちスメラミコトとは、〝統べる御言(葉)〟
を意味する次第でありますが、まあ、『古事記と現代の預言』等々の愛国書
を拝読しますにこれ、雅春先生が把握されたスメラミコトとは「實相とイコ
ールの意味である」こう称して間違いなかろうかと。極端な話ですが、『生
命の實相』に登場する〝神〟という言葉をそのまま〝天皇〟に変更しても差
し支えない、それが私見であります。雅春先生は「天皇イコール實相と観て
おられた」というのが、愚生理解ですので天皇国日本とはつまり、

● 唯一の実在であるもの
● 善一元のもの
● (自動顕現性があるもの)

として、話を進めます。

<では、われわれ臣民とは>

 では雅春先生、われわれ臣民をどう定義されておられるでありましょうか?
端的に表現すればずばり、スメラミコトの〝割きはえ〟です。天皇の分化し
た姿が、雅春先生の申されるところの我々〝臣民〟ということになります。
日子(ひこ)日女(ひめ)という表現にて雅春先生は、古事記での記述を基
に我々日本国民を称されておられます。古代では日本人、互いを呼ぶ際にも
「なになにのミコト」と称していたことも傍証に挙げておられます。われわ
れの祖先はそのように、人や事象を神化して観る優秀な民族であったわけで
すが、長文を避けて、特徴を略記するならば、雅春先生の申されるところの
我々臣民とは、

● 天皇の命の分化したもの者
● 神の代理人である者
● 言の葉にて宇宙を浄化する者
● すべての事象を神化して受ける者
● 決して好戦的ではない者
● 悪の存在を認めない者

 と、なりはしないでしょうか・・・こんなまとめ方でたぶん、OKではな
かろうかと思います。そう一人合点しながら進みます。

<では生長の家教団は、御教えを理解していたのか?>

 ・・・このような素晴らしい主張をされた方を〝開祖〟と仰ぐ団体、それ
が生長の家になります。ですので云うまでもないですが、真の生長の家の人
とは、この御教えを体現した人を指すはずであります。雅春先生の把握され
た〝天皇〟を理解し、そして隣人を上記の如く扱う人々、これこそが真の生
長の家の人でありましょう。しかし・・・この掲示板等を眺めるに、疑問符
が浮上する次第なのです。いろいろと得た情報ではこれ、そのような真の生
長の家の人が「暴走した形跡は見られない」というのが私見になります。
 一例を挙げれば、實相の「自動顕現性」・・・これを把握しておらぬと大
変な事態を生みましょう。たとえば、悪い現象が起こってくるのは、「心の
レンズを磨いていないからだ」てな誤認をしますと、「修行が足りぬ!」
「運動が足りぬ!」の〝足りぬ〟が大勢を占めて参ります。しかしこの〝足
りぬ〟の考えとは(一般人には賞賛される生き方とは云え)、生長の家の考
えでは〝ない〟考えになりましょう。つまり、これは御教えが暴走したので
はなく、「曲解+誤読の放置」とみるほうが、すんなり理解できるわたしな
のです。(つづく)

627「訊け」管理人:2011/11/27(日) 21:57:30 ID:snP.vX5s

(つづき)

<さらに詳説しますと・・・>

 われわれをスメラミコトの分け命(割きはえ)と見るのが生長の家です。
しかし・・・われわれをスメラミコトの分化と見る〝はず〟の方々がこれ、
結構安易に人を排除されておられます。この光景は個人的には、結構びっく
りしました。(※)私はホニャララ掲示板という場所にて排除されましたし、
その巻き添えをくらった方まで現れるという始末(貴殿w)であったわけで
すがさて、この事象に関してであります。これらの「排除の論理」ですがこ
れ、これは御教えの暴走と言えるでありましょうか?
 たとえば雅春先生の本に「これこれの場合は排除やむなし」なんて記述が
あれば、まあ、ギリギリではありますが、まだ「暴走」と称される余地もあ
りましょう。しかし上記例は御教えが暴走したのでないことは明らかです。
やはりこれは、御教えの「曲解や誤読のたぐい」、そう称する方が正確なも
のになりはしないでしょうか。

 また別の例では・・・トキさんが以前述べておられた「組織内の問題――
百万部運動」(※)を例にすれば、ここでもこれ、同種の問題が浮上してい
たように感じる記述がございました。(あたかも生長の家が「強引な押し売
り商法の会社」に堕していたかのような・・・)『弟子像』(榎本惠吾著書)
にもトキさんご言及のものと同種の問題が描写されておりましたし、まあ、
そんな描写を拝読するうちに感じたのがこの私見になった次第であります。
つまり、種々の問題とは御教えの「暴走に非ず」なのであり、「曲解+誤読
の放置なり」ではなかろうか?そんな偏見談を抱いている現在の私でありま
す。

 またなにか、お尋ねの件ございましたらご掲載の労をお願い致します。

<註>

※ これは結構びっくりしました。

 またしてもあの掲示板を槍玉に上げてますが理由を述べます・・・本流掲
示板の批判になってしまいますがこれ、恨みツラミから申している訳ではあ
りません。なぜと申してわたし、何度も申すごとく組織部外者であります。
部外者が感じた教団の問題といえば、こんな例しかないのが現状なのです。
再三再四、生長の家の「悪い例」で、同掲示板を登場させますが、個人的経
験談を語る上では(申し訳ないが)この例しか提示できぬためです。

※ 「組織内の問題――百万部運動」

 ただ一言「謝意」を表したい件もございます。わたしなどは昭和4●年生
まれの若造です。しかし当時活動されておられた先輩方はこれ、共産主義の
脅威を目の当たりにされておられたわけであります。この点は要考慮なので
はなかろうかと。
 さらに云えば先輩方はこの、昭和4●年生まれの若造のために献身されて
おられたとも言えるわけです。先輩方の献身なくばわたし、5年前に生長の
家に触れることもなかったのかもしれません。その点には素直に謝意を表し
たいのであります。

628「訊け」管理人:2011/11/27(日) 21:58:06 ID:snP.vX5s

<参考資料1>

 以前投稿しました駄文を、ここに再度掲載させて頂きます。


308 :「訊け」管理人:2011/08/19(金) 11:51:08 ID:D0Kb5yw.
>初心者さま

>人類光明化は不可能だ。
>地上天国実現は失敗する。
>当時のわたくしは、
>こんな精神状態に
>まで追い込まれておりましたですね。

 当時を知らぬわたしがこんなこと申すのもナンですが、「きっとそうだっ
たんでしょう」ね。いやなんか、榎本先生記述からの類推話になりますが、
まあ・・・会社経営に喩えるならば、かなり強引な訪問販売形式、採用され
ておられなかったかと(当時の愛国運動、ですね)
 また余談かもしれませんが、吉田先生が榎本先生に「日の丸振るより生命
の實相を読め」と申されたのが昭和20年後半だったとか。かつ、その時の
榎本先生の、吉田先生に対する印象は「吉田先生は、古い生長の家の人だ」
だったとか・・・無論後で吉田先生の偉大さに気づく榎本先生だったわけですが。

 運動もよいですがやはり、基本は真理の書を拝読することではないでしょ
うか。(「今は議論している場合ではありません」と、言われそうですがw)

(引用開始)

 現象に立っての努力は空しい。現象と實相と二つの世界に心またがりなが
ら、現象の足りなさを嘆いての努力も空しい。それは恰も、神をいと高きも
のとし、己を醜く低きものとして、神に到る励みを励んで行く愚に等しい。
現象は元々そして今も無いのである。如何様な姿に現れてもをれ、それは無
の一字に尽きるものでしかない。生き切れていない自分も無く、況んや、両
者の間に横たわる溝も本来無いのに、何時しか無いものゝ変転に心拉し去ら
れていた愚かさ。無いものには整ったもなければ、整わないもない。無いも
のは無いのである。如何にともあれ、現象は無いのである。何故此の空しい
ものに、実在の衣装を着せて實相の前へ曝そうとしたのか。総じて現象を捉
えて、どうしたならば、實相の完全なるが如く此処も亦全くありうるであろ
うかと足掻いていた愚かさ。何故こんな解りきったことに足を攫(さら)わ
れようとしていたのであろうか。
 最近神に誠実でありたいとの心強く、實相が開かるれば現象は整うのであ
る、此処がより好く整うことは神が生きて動くことである、整うべきであり
整えるべきである。どうか完全でありたい、神でありたい。この真摯な心の
前での躓(つまず)きであったために躓きを躓きと悟れず、寧ろ尊い一歩前
進であるように考え違いしていたことに気が着いたのである。ことさら深く
落ちる危険が此処にあった。神への誠実という美はしい心を抱いて私は地獄
へ顛落しようとしていたのであった。

『常楽への道』109項

(引用終了)

629「訊け」管理人:2011/11/27(日) 21:59:12 ID:snP.vX5s

<参考資料2>
※ 本流掲示板からの挑発を受けた直後の文章です。

398 :「訊け」管理人:2011/08/27(土) 13:52:23 ID:???

 本流掲示板よりどなたもいらっしゃいませんが、ツラツラと私見などを。

 追放派は「教団の現状に即して診れば」とおっしゃいます。しかしその「現
状」とは何なのでしょうか。それを少し考えてみたいと思います。どうしても
わたしには彼らの御主張が「現象のみ」「本来無きもののみ」を扱っているよ
うにしか思えてこないのですけども・・・
 出来るだけ個人経験に即して語りますけれども、この「本来無き現象」を
〝あり〟と観るかぎり、かつて(金融危機当時)の私のごとく「自殺寸前」に
まで追い込まれることにはならぬか危惧する次第です。いくら御教えに触れる
機会を得るとも、「われ弱し」「われ完からず」と嘆ぜざるをえなくなるであろう、そんな意味になりましょうか。まあしかし、この弱さを「現状」というのはまちがいであると思います。以下、『生命の實相』27巻より引用致します。

――――――――――――――――――――――――――――――
 知れ、事実というは実相のみであるのである。だから実相の実在
のみを強調し「弱きものは無し、完からぬもの無し」と、いっさい
の悪を空(くう)じ去って、しかして「一切皆善の実相的事実」のみ
を肯定するとき、われらは現象的事実をも征服しえて、「われらは
弱し、われらは完からず」と現象的事実に征服された弱音を吐く必
要がなくなるのである。
――――――――――――――――――――――――――――――

 わたしの理解した「生長の家」とは、上記御文章にあるが如く「実相皆善」
のみを強調するものです。そして同時に「現象は無なり」と現象的不幸一切を空じ去るものです。さればこそ現実を征服する現実的威力を〝現象界に於いても〟発揮するものが御教えであったはずなのです。「現象あり」と観ずれば――わたしの場合では「金融危機が実在である」と観ずれば、わたしは現象に力を認めるがゆえに、
金融危機を征服することができなかったでしょう。ですから「騙されてもよい
。もう雅春先生の言うことを信じよう!」そのように対処することこそが、正
統の教えであるはずなのです。個人的経験からそう(強く)主張したいとこ
ろではあります。

 ところが追放派の皆様の御主張でありますけれでも、誤読かもしれませんが
、どうしても納得できずにおります。
 かつて雅春先生に対して、「現象も現象として在るのであって、かく本体界
のみを主張し、本体界の完全観念を現象界にも適用せんとするのは、本体界と
現象界とを混同するものである」との、諸宗教家からの非難があったようであ
ります。『親鸞の本心』で拝読しましたけれども、これに対して雅春先生は
「本体界と現象界とを混同するのではない、混同とは現象界を在りと認めての
立場であるが、われらは現象界無しと自覚するがゆえに、無きものは混同する
の恐れなきがゆえに、われらはただ常に本体界の完全性のみを主張するのであ
る。」と御主張されておられます。その結果、本体界(實相)の完全性が
そのまま現象界に投影して、現象界の不幸を征服することができるのでありま
しょう?生長の家では。

「現象は現象としては在るのである」といって現象界を本体界に対立せしめた
り、「本体界の自叙自展が現象界であって、本体界と現象界とは一如である、
そして、現象界は本体界のうちに包摂せられるものである」というような在来
の見方(たとえば倉田百三氏風)を脱しえないような考え方では、とうていそ
れでは、現実人生を支配することができないと確信しますし、なにより「生長
の家の思想とは違うものである」とこの、信仰五歳児の目には映る次第なので
あります。

 この「無神論者」であり、かつ「唯物論者」であった愚生がなぜ、雅春先生
の光明思想に魅了されたのか・・・それは、かく素晴しい現実人生の支配力を
有している力の源が、主として「現象無し」とスカッと断ち切り、実相独在を
明快に主張されておられたからなのであります。ということで本流諸賢との対話の方ですが、期待しております。

630うのはな:2011/11/28(月) 05:45:08 ID:iM0b0bt6
>>629
ということで本流諸賢との対話の方ですが、期待しております。

 内省されたことがありますかと聞くと、内省なんて偽のあなたにしなさいね
だとかいう人に言っても無駄だと思いましたが、、、
試合がどうだでも、何か相手方から反応がありましたか?
そんなひまがあるのに、怒る愛国本流管理人さんには「そんなひまはない」とか
「あなたとは話しても仕方がない」というようなことをいうのかと思います。

631「訊け」管理人:2011/11/28(月) 08:29:34 ID:D0Kb5yw.

>ぼるぼさま

 おはようございます。うまいことを書こうと思いすぎ、返答が今になりま
した(笑)

>宗教は、社会経験を十分積まなければ、その効能もないし、
>おそらく興味もわかないだろうと思う。

 同意します。私個人がかつて、無神論者でしたのでよく分かります。若い
頃の友人で、宗教入信しているヤツって、(言葉は悪いけど)やはり「ちょ
っとオカシイ」人が多かったわけです。あれを見ていればたぶん、まともな
人ならば「宗教って怖いよなあ」になろうかと。
 ・・・でも一方では不思議に思うわけです。そんなヘンな人々ばかりの宗
教団体なのにもかかわらず、世界を見渡せば宗教って、けっこう大切にされ
ているわけでして・・・そこで若い頃は疑問を持つわけです。「なんで宗教
って、こんなに大切にされているんだ?」と。
宗教が大切な理由・・・この理由も、数々の困難に遭遇せぬことには、了解不能でありましょうね。

>しかし、未経験な子供にいきなり酒を与えても拒否反応を示すのみである。
>かって、渕脇講師は、長男に、お前は40歳になるまで生命の実相は読むな、と言った>らしい。

 ああそのお言葉は・・・名言なのかもしれません。
 わたしが感動した『生命の實相』ですけれども、皆がみな、同じ反応にな
るわけではありません。献本したりしまして、そして相手が結構な読書家だ
ったりするのですけれども、そんな彼すらが「?」な顔をしていることがあ
ります。あれは軽いカルチャーショックでしたかね(笑)
 
 人生経験なしに『生命の實相』を読むとどうなるのか・・・?わたし個人
はこれ、リーマンショック前と後とでは、読み方がだいぶ違ってきておりま
す。当然ながら、同金融危機〝後〟の方が、感動するポイントが増加したよ
うに思っています。で、〝前〟はどうだったかと申せば、「けっこう勝手に
解釈していた(笑)」な部分、ありありなのであります(笑)
 ですのでその、渕脇講師のお言葉ですが、実に的を射てはおられないかと。
少なくともご主張背景はなにか、分かる気がします。

632初心者:2011/11/28(月) 13:26:34 ID:X1fDhvjY
訊けさま

ひとつお尋ねしたいのでありますが、わたくしは、自分から、み教えが暴走している
だとか、『生命の實相』が暴走しているだとかの表現をもちいたことがあったで
しょうか。わたくし自身は、まったく記憶しておりません。わたくしの主張は、シニフィ
アンの暴走であります。適切なシニフィエにピン止めされることのないシニフィアンが
暴走している。このような表現をもちいてきたつもりであります。

「天皇」にしても、「実相」にしても、これらのシニフィアンが、ピン止めされることなく
暴走している。このように申し述べてきたつもりであります。これはつまり、「天皇」と
いう言葉を聞いただけでアドレナリンを分泌させてしまう人々について述べたもの
であり、「天皇」という言葉が「実相」という言葉と結びつくことによって、アドレナリンの
分泌がさらに増大し、そのことによって、たちまちにして自己陶酔の境地へといたり、
「天皇国日本の実相顕現の使命はわれにあり」との高揚感にひたりきってしまう人々
について述べたものであります。

こういう方々が、生長の家にはけっこうおられるのではないかと、このような意味の
ことを、「シニフィアンの暴走」という表現によって述べてみたつもりであります。
これにたいして訊けさまは、「暴走はない」といっておられるのであります。

このあたりのことがらについて、もしもそれが事実であれば、それは曲解でもなければ
誤読でもなく、たんにシニフィアンが暴走しているだけであるとの理解に、わたくしと
しては、いたらざるを得ないのであります。訊けさまとは見解の相違があるように
おもいますので、とりあえず確認しておきたいところであります。

633神の子さん:2011/11/28(月) 20:50:12 ID:Kevr5W5w
>「私がお山(渋谷区神宮前の谷口雅春先生の自宅)を訪ねた時、谷口先生が顔を赤くして出て来られた。谷口先生が顔を赤くされるのは、お酒を飲まれた時か、怒ってをられる時なので、めったにお酒を飲まれない谷口先生が昼間からお酒を飲まれることはあり得ないから、何か怒ってをられるに違ひないと思った私は、早々にお暇しやうとしたら、谷口先生は『話したいことがあるから上げりなさい』といはれ、応接間に通された。谷口先生は、『私は雅宣に皇學館大學に行かせたいと思ってゐるのだが、清超は青山學院大學に進學させたいと言って反対する。君はどう思うか。』と言はれた。」
この方は、この話を涙をこぼされながら、私に語った。これが事實とすれば、谷口雅春先生は、雅宣氏を皇學館大學に進學させて、神道と國史を學んでもらいたかったのである。雅宣氏が雅春先生のご意志通りに、皇學館大學に進學してゐたら、雅宣氏そして生長の家のその後のあり方も違ったものになってゐたであらう。

それは谷口雅宣氏自身が、昨年十二月十七日に行はれた『故 生長の家総裁谷口清超先生追善供養祭』における「偲ぶ言葉」で「父である清超先生から『三代目にならなくてはいけない』と言われたことは一度もないのであります。學校も自由の精神を尊重する青山學院へ入れてもらい、そこの大學を出てから㈱日本教文社へ入りましたが、3年足らずでやめてしまい、アメリカへ留學しました。これは勿論、父が賛成してくれたからです。コロンビア大學という、これまた自由を尊重するリベラルな私立の大學の大學院へ入りましたから、學費も生活費も多くかかりました。それを父が快く出してくれたことで、私は日本國内では得られないであろう数々の貴重な経験をすることができました。そして、そのことが、今日の生長の家の運動を進める上で大いに役立っている−−というより、もっと正確に言えば、それらの経験がなければ、今日の生長の家は『國際平和信仰運動』とは別の方向に進んでいたに違いないのであります。」と述べてゐることによって明らかである。



どうやら谷口雅春氏は孫の世代になり日本国の変貌を見抜いていた可能性があり、孫の教育も指導していた形跡が明らかになった。となると今日の退廃の責任は二代目の清超氏にあるとも言える。 雅宣氏が青学を希望していたとしたら、弟の貴康氏は皇學館へ行かせるべきだが、現実には玉川学園を卒業している。
このあたりからも清超氏は息子の教育に開祖の意は無視したとも言えよう。

貴康氏が皇學館へ入学していれば、前科者にもならず、すんなりと総裁へ就任し生長の家を指導していた可能性もある。

634神の子さん:2011/11/28(月) 22:48:59 ID:GPR9cgQw
おい!
HITOKOTO=ID:Kevr5W5w

大論争掲示板からこっちに来てゴタゴタ評論するな!!

評論はホームグランド゛やればいいんです。場をわきまえろ!

初心者=総裁も困った顔してるよ(大爆笑)

635「訊け」管理人:2011/11/29(火) 08:31:40 ID:D0Kb5yw.

>校長殿

 返信ありがとうございます。さて貴殿がご説明くださった点、信じてもら
えぬかもしれませんが、そこは真意了解しておりました。ではなぜ私が、
「暴走に非ず、放置である」と述べたのか?その理由を記します。

 たしかに貴殿風に表現されればこれ、「シニフィアンの暴走」になりまし
ょう。しかし、貴殿ご主張を把握しておらぬ者が読めばどうなるのか・・・
・長文割愛であっさり結論だけ申しますが、「暴走」と表される限り、なに
か、〝『生命の實相』下手人説〟が力を持ちそうに感じます。雅春先生の御
教えに、なにか欠陥があるような印象を持つ方も現れて参りましょう。

 表現に於いては「これら問題、御教えの暴走ではない。曲解誤読の放置な
り」とされた方が、ベターだと思います。わたしのような度し難き凡夫を相
手にされる場合は「特に」そうでしょう。まあ、見解に相違が生ずることは
予想できますがこれが私見です。・・・まあ私の、取越苦労的な思い込みか
もしれませんが(笑)

追伸

>「天皇」という言葉が「実相」という言葉と結びつくことによって、アドレナリンの
分泌がさらに増大し、そのことによって、たちまちにして自己陶酔の境地へといたり、
「天皇国日本の実相顕現の使命はわれにあり」との高揚感にひたりきってしまう人々
について述べたものであります。<

 たしかにこんな方々は問題です。「天皇陛下ッ!(2秒)バン(1秒)ザ
――――――――――――――――イ!!」系の方々って、結構狭量ですよ
ね(笑)陛下の赤子とか、口では言いながら同胞を平気で差別します。ある
保守系団体でそんな光景を見せられて、ドン引きした経験があります。

 この点ではこれ、こんな方々を「笑いの練習」教材化できるネタ、多々ご
用意しておりますが(笑)

636トキ:2011/11/29(火) 09:42:29 ID:lhJmA6.w
>>634


 おはようございます。ご投稿、ありがとうございます。向こうにも書いたのですが、
こちらにも二重投稿をします。ごめんなさい。

 今朝も、実相円満を義春さんのために唱えてきました。ご協力下さった皆様方、ありがとう
ございました。

 いつの間にか、初心者様は教団に復帰して、総裁になられたのですか。おめでとうございます。
初心者様には申し訳ありませんが、少し笑ってしまいました。

 ちなみに、記憶に間違いがなければ、本流掲示板には、「相棒ファン」氏の書き込みとして、
初心者様が「総裁」、義春さんが60歳の本部講師、「一白鳩会員」が総裁秘書だという話
でした。「訊け」管理人 様は総裁の代理人様でしたね。(笑)
 あ、私は「イソベ理事長」「ヤマオカさん」「日本教文社のナガイさん」と諸説が出て
いて、私もどれが正解かわかりません。

 でも、一応、管理人としては、コメントを出さないと、教団の次の裁判の相手方に
されてはたまらないので、コメントは出します。「初心者=総裁」を裏付ける証拠を管理人
は何も持っていないです、と。個人的にも、ここに総裁がこられるとはにわかには信じられ
ないです。まあ、それに、ここは身元の詮索をするのは野暮という事になっています。

 と、言う事でお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

637「訊け」管理人:2011/11/29(火) 10:09:16 ID:W9ebvJaY

>トキさん

 「反社会勢力との付き合い」これ系統以外のデマならば、笑って済みます。
ですから笑える系のデマならば、OKです。たぶん校長も今頃、ゲラゲラ笑って
いることと思いますが、クールで売っている同氏です。クールに登場された
際には、茶化してあげましょうか(笑)「実はバカ受けしてたでしょ!?」
てな感じで(笑)


追伸

 しかし私は実は・・・初心者校長の代理人だったのかと(笑)ああそれで
彼ら、盛んに私を「代理人!代理人!」と呼んでいたのか(笑)やっと意味が
判明しました。

 第一の妄想が第二の妄想を生む、今回のはそんなパターンの話だったんで
すね。

638ももんが:2011/11/29(火) 11:18:16 ID:XXCuaQns
>>633

神の子様へ

神の子様のレス大変面白く、読ませて、いただきました、ありがとうございます。合掌、拝 。

このレスを読みまして、私が先日見た、雅春先生のテレビ出演の珍しい動画拝見してみまし。雅春先生は『子どもの教育について』お話されていて、この、御文章と真逆のお話されていて、寧ろ、清超先生の方が、その雅春先生が、テレビでお話された、生長の家の教育論に誓い考で、行動されたと思われのです。
雅春先生も人間なんだと、私は、神の子様の御文章から感じんました。


拝聴した内容から、こんなお話でした。


『ある薬屋に、子どもが、産まれて、その子が、たいそう利発だから、親御さんは、一つ大事に育てて、薬科大か医科大に入れて、店を大きくしようと、あるいは、良い跡取りにしようと無理やり、親の思うどうりしてもダメである。毛虫も、やがて、綺麗な蝶になるように、人間もまた、産まれながらの、生命の実相に従ってに本来自由自在の存在なのだから、その子どもの良いところ観て(実相)伸ばして行くのが、生命の教育であります。』
と言うような、ことを言われてました。

神の子様のレス読んで、雅春先生も御家庭では、普通のおじいちゃんで、この話しでは、逆に、清超先生が、より、神様の教えに近い行いをしたと言えます。

私が、生長の家が今日に二つ見えてるのは、我1人、1人に対する、神様から心へメッセージではないでしょうか?
私は、個人的は、そう考え行動して、神様の教えに従ってます。


神の子様、良いお話ありがとうございました。また、色々教え下さい。
神の子様が、幸せで、ありますように、合掌、拝。

639初心者:2011/11/29(火) 16:30:36 ID:X1fDhvjY
>>631
訊けさま

>ああそのお言葉は・・・名言なのかもしれません。
 わたしが感動した『生命の實相』ですけれども、皆がみな、同じ反応にな
るわけではありません。献本したりしまして、そして相手が結構な読書家だ
ったりするのですけれども、そんな彼すらが「?」な顔をしていることがあ
ります。あれは軽いカルチャーショックでしたかね(笑)

このことがすなわち、ロラン・バルトのいう、テキストそれじたいに意味はなく、
テキストの背後に横たわる構造にアクセスすることによって、読み手は、それぞれの
やり方にしたがって意味を生成する、ということであり、『生命の實相』といえども
例外ではないということになるのでありますね。

わたくしがこのようなことを書きますと、「精神言語学」という妙な造語まであてがわれ
て、批判されるのであります。おなじことを述べるにしても、言語学の立場からそれを
述べるのは「禁じ手」とされ、批判の対象となるのでありますね。

べつのスレッドでもふれましたが、雅春先生が、「言葉にしたことがこの世にあらわ
れる」とおっしゃられたとすれば、その言葉は無条件に受け入れられるのでありま
すが、おなじことを、言語学者であるソシュールが述べたといえば、「人間知」として
否定されてしまうのであります。

宗教というものは、まったくやっかいなシロモノでありますね。誰がいったか。これだけ
が問題にされるのであります。

640初心者:2011/11/29(火) 17:23:57 ID:X1fDhvjY
訊けさま

とりあえず実験につきましては、救済に特化していたつもりが、いつの間にやら
真理の追求へと様変わりしてしまったということを告白いたさねばなりません。
真理への誘惑。これに打ち勝つのは並大抵のことではございませんですね。

いずれにしましても、理論を実証するという作業は不可欠であると考えております。

ところで訊けさまのいわれる「天皇国日本の実相顕現」とは「平等観の実現」と理解
してよろしいのでありましょうか。わたくしの理論では、個と全体は等しきものとなり
ます。したがって、個としての運動は存在せず、全体としての運動のみが実在する
のであり、個の運動と見えているものも、じっさいは全体運動の一部であるということ
になるのであります。

わたくしが唱えております「実在宇宙」の性質からして、以上のことが、どうぜんの
ごとき理論的帰結として出てまいります。こうした宇宙観においては、「個」が仮に
全体の運動を離れて勝手な運動をはじめた場合には、全体との不調和が生じ、
勝手な運動を展開する「個」を全体へと引き戻し、調和を取り戻そうとする力が、
必然的に発生することになります。こうした力が「個」におよぶとき、そこに身体症状
その他の病的状態があらわれることになります。

「個」がこの力にしたがわないかぎり、病的状態は、形を変えていつまでも続きます。
「個」が病的状態を脱するには、全体との調和を取り戻すよりほかはないということで
ありますね。訊けさまがいわれる「天皇」とは、「個」を統べるところの「全体性」であり、
「天皇国日本の実相顕現」とは、以上のごときプロセスを経て、「個」が全体との調和
を取り戻すこと、すなわち「平等観の実現(仏教的に表現すればの話でありますが)」
であると理解してよろしいのでありましょうか。

641初心者:2011/11/29(火) 17:37:43 ID:X1fDhvjY
さらに話をつづけます。

「個」をぜんたいの調和へと引き戻そうとする力、これを「実相の自動顕現性」と
見なすことは可能でありましょう。ただしこの力は強制力をもっており、したがわない
「個」は、最終的には破滅へとみちびかれる可能性がないとはいえません。

したがって、この力をもって「実相の自動顕現性」とみなすことはできないでありま
しょう。であれば、訊けさまのいわれる「実相の自動顕現性」とは何かといえば、それ
は、現象的にあらわれた「実在宇宙」を消滅へとみちびく力とみなすべきであると
わたくしは考えます。わたくしが「実相の自動顕現性」を嫌悪いたしますのは、それが
「実在宇宙」を消滅へとみちびく力とみなすがゆえであります。

642初心者:2011/11/29(火) 19:18:50 ID:X1fDhvjY
訊けさま

またさらに話をつづけます。

個が、全体性を離れた運動を開始した。これが問題であります。個の運動がはじ
まったのが、おそらくはダナオイの贈り物、つまりは言語を人類が受け取ったとき
からであります。そしてこの状況を文化的状態と名づけました。

個が全体との調和を保っていた時代、これを自然状態と名づけました。これはまた
共同体感覚が健全に維持されていた時代でもあったのでありましょう。

自然状態を離れ、個として分離された人類は、はたしていかに生きるべきである
のか。これを「否定的なもののもとへの滞留」と表現いたしました。

以上が、これまでこちらの掲示板で述べてきましたことの要約であります。

643「訊け」管理人:2011/11/29(火) 20:59:33 ID:l8v59LII

>校長殿

 これまた壮大なテーマですね(私にとって)

 「実相の自動顕現性」(私の造語)と「個と全の関係性」でありますがこれ、
前者はまだ、「自分の言葉で説明不能」です。ただ、体験談と榎本先生談を
ツラツラ述べることは今後、可能だと思います。そして後者はこれまた・・・
実は以前、復興Gさまにも似たような質問を行ったことがあります。その時
の閣下(復興G様)ご返答は「それは生涯をかけて探究するテーマかも」
というものでありました(ご謙遜だとも感じましたが)。まあつまり、後者
も未だ、自分の言葉で説明することが不能です。

 もう少し上手い言い方を考えてみます。

追伸

 先日述べました「家賃滞納の障碍者夫婦」の件、今、不動産会社と交渉
中です。ここの五歳の息子が、なかなか出来た人間です。ふさぎ込みがち
な母親を、懸命におどけて笑わせようとするのです。そんな彼を見ており
ますと、「彼らをホームレスしてしまうのは、なんか納得いかん!」てな
状況です。と、いうことで、もう少し上手い言い方を考えて投稿致します。

644初心者:2011/11/29(火) 21:44:13 ID:X1fDhvjY
訊けさま

勝手に話をつづけさせていただきます。

アールノド・ミンデルによれば、全体性を離れた「個」を全体性へと引き戻す力、
これを、デイヴッド・ボームが提唱したパイロット波、あるいはガイド波と呼ばれる
「誘導波」とみなすことができるようであります。パイロット波、ガイド波とは、「逆影響」
によって飼いならすべき「うちなる龍」ということになります。

ところで、訊けさまがいわれる「天皇」は、ヒンドゥー教で説くところの、宇宙の全体性
を象徴するブラフマンと重ね合わせることができそうでありますね。そして臣民とは、
ブラフマンのあらわれであるアートマンとみなすことができそうであります。そして、
「天皇国日本の実相顕現」とは、すべての人々をブラフマンのあらわれであるアートマ
ンとして認めるということになるのでありましょうか(ヒンドゥー教にかんしましては
詳細を存じておりませんので、事実誤認があるやもしれません)。

いずれにしましても画期的な解釈であろうかと存じます。こうした解釈は過去になされ
ていたのでありましょうか。もしもなされていたとするなら、シニフィアンの暴走は防ぐ
ことができていたにちがいありません。

645初心者:2011/11/29(火) 21:47:19 ID:X1fDhvjY
アールノド・ミンデルは、アーノルド・ミンデルと自動訂正して
お読みください。

646さくら訂正。:2011/11/29(火) 21:57:45 ID:TRz6/ppE
アールノド・ミンデル

微笑。

→アーノルド・ミンデル。

どうでもよくありません、ね。

647「訊け」管理人:2011/11/30(水) 06:09:07 ID:D0Kb5yw.

 おはようございます。松平健を誤って、「ケツダイラマン」と発音する人は大
歓迎の「訊け」管理人です。さて校長殿、校長だけに絶好調じゃないですか。
朝から上手いこと言えた自分を誉めてやりたくなりますが、これから全文をプリアウ
して拝読します。

 いつも相手してくださりありがとうございます。

追伸

 しかしホント、いろいろご存知ですね。すげー

648「訊け」管理人:2011/11/30(水) 09:54:52 ID:W9ebvJaY

>校長殿

 こんにちは。さっきまで、保険会社の担当と話しをしていた「訊け」管理
人です。校長殿より頂戴したぶらふまん、あーとまん・・・咀嚼しながら保
険の説明受けてましたら、その保険クンの携帯が鳴りまして、しかも着信音
が「レイラ」だったりしまして、思わずびっくりしたという・・・「校長ッ
!!!なんでココに!?」・・・(中略)・・・さて本題へ入ります。
 これから外出するのですが、思いついたことを、思いついた時につぶやい
ておきます。そこで以下文章ですが、「いやホント、もしもそうなら嬉しい
なあ」なお話しになろうかと・・・


――――――――――――――――――――――――――――――――
ところで、訊けさまがいわれる「天皇」は、ヒンドゥー教で説くところ
の、宇宙の全体性を象徴するブラフマンと重ね合わせることができそう
でありますね。そして臣民とは、ブラフマンのあらわれであるアートマ
ンとみなすことができそうであります。そして、「天皇国日本の実相顕
現」とは、すべての人々をブラフマンのあらわれであるアートマンとし
て認めるということになるのでありましょうか(ヒンドゥー教にかんし
ましては詳細を存じておりませんので、事実誤認があるやもしれません)
――――――――――――――――――――――――――――――――

 うろ覚えで恐縮なんですが、以前校長殿がその件(ブラフマン+アートマ
ン)を話題に挙げられた際の話を致します。
 あの話題を最初聞いたとき、わたしが感じたのは上記貴殿と同様の感想で
した。(「天皇国日本の実相顕現」とは、すべての人々をブラフマンのあら
われであるアートマンとして認めるということになるのでありましょうか、
の部分です)
 しかしあの時、こうも感じた記憶があります。それは・・・「この、初心
者さいないま云われるところの〝ブラフマン〟だが、これは『善一元の源』を意味
するのか?」「もしも『善一元の源』を意味するならばこれ、初心者さまと
雅春先生、一致するのではないか?」「でもこれ、『善一元の源』を意味し
て〝いない〟気がする」と。

 これから過去の貴殿ご投稿文章など、再度確認してみます(今、どこか見
当たらなくて不明です)

――――――――――――――――――――――――――――――――
いずれにしましても画期的な解釈であろうかと存じます。こうした解
釈は過去になされていたのでありましょうか。もしもなされていたと
するなら、シニフィアンの暴走は防ぐことができていたにちがいあり
ません。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 念のため申しておきます。あれは我流解釈なのではなく、雅春先生のご主
張そのものであります。まあ、愚生駄文くらい直接的に(誤読余地ありあり
に)まとめてはおられぬとは申せ雅春先生、愛国書を通じてあのようなご主
張をされておられる、そう自信を持って言い切ることは出来ます。ここにた
とえ、吉田國太郎先生がおられても私、自信を持って貴殿に申した内容を申
し述べることができます。
 要するに貴殿が「画期的」と申された解釈は、雅春先生のそれになります。

 そして貴殿が「シニフィアンの暴走は防ぐことができていたにちがいあり
ません。 」とお感じになられたならば、それは慶事です。わたしにはまだ、
どんな思考経路を経て貴殿がその結論に達されたのか不明ですが、とにかく
嬉しいです。

 まとめます。
 貴殿申されるところのブラフマンですが、これが「善一元の源」を意味す
る限りはこれ、貴殿と雅春先生のご主張は、「一致する」と言えようかと感
じます。

 ・・・それでは外出します。

649初心者:2011/11/30(水) 11:37:45 ID:X1fDhvjY
訊けさま

お出かけ中のところ、失礼いたします。

わたくしは、過去に、ヒンドゥー教に言及したこともなければ、ブラフマンに
言及したこともないと記憶しております。ですが、「善一元」ということでは、
訊けさまとも、そして訊けさまが想定しておられる雅春先生のお考えとも
不一致であるのはたしかであろうかと存じます。

まずは「善とは何か」の問題があります。自己にとって都合のよいことが善
であるとするなら、こうした考え方はとうてい受け入れることができません。
訊けさまがいわれる「善」とは、はたして何を意味するのか、まずはそれを
明示していただくことが肝要であるという気がいたします。

それと、「悪があってもよいではないか」というのが、わたくしの基本とする
考え方でもあります。善も悪もあわせて味わいつくす。これが人生の醍醐味
ではないかと、このように考える次第であります。

だまし絵の大家、エッシャーに、『サークルリミットⅣ』という木版画があります。
以下のリンクにその図柄が示されております。

http://pab-picasso.seesaa.net/article/46645951.html

『サークルリミットⅣ』は、『天使と悪魔』の別名で呼ばれております。天使と悪魔は
表裏一体の関係にあり、天使だけが単独で存在することもできなければ、悪魔だけが
存在することもない、ということを『サークルリミットⅣ』は示しているように感じます。

悪だけをみれば悪だけがみえる。善のみをみようとすれば善のみがみえてくる。
『サークルリミットⅣ』をみるかぎり、悪魔が存在しなければ、天使も存在すること
はできません。同様に、悪が存在しなければ善も存在しない、ということがいえる
でありましょう。「善一元」とは善のみをみている状態でありますが、その善は悪に
よって支えられているということを『サークルリミットⅣ』は示してくれているように
おもいます。

ちなみに、『サークルリミットⅣ』は、宇宙空間を平面に書き写したものでもある
ようです。わたくしは、この分野にかんしましてもド素人でありまして、詳しいこと
は存じておりませんが、宇宙を外部からながめるかぎりにおいては、正の宇宙
定数(あるいは正の曲率?)をもつとされるド・ジッター空間らしき空間として
認識されるようでありますが、宇宙の内部に閉じ込められた人間には、それが負の
曲率をもつとされる反ド・ジッター空間らしき空間として認識されるようであります
(このあたりのからくりは、わたくしにはさっぱりわかりません)。

わたくしたちが閉じ込められた、反ド・ジッター空間らしき宇宙空間を平面として描け
ば『サークルリミットⅣ』となるのであります。エッシャーがどのようにして、このような
奇妙な着想を得たのかは不明でありますが、宇宙は、天使と悪魔が、つまりは善と悪
とが存在することで成り立っているということを、『サークルリミットⅣ』をとおして
エッシャーは描いてみせたのではないかと、わたくしのような凡夫は、ついついこの
ように考えてしまうのであります。

650「訊け」出先です:2011/11/30(水) 13:29:28 ID:4E37e.LA

>校長殿

 アートマンとブラフマンですがたしか校長が。、、、と記憶しております。
しかしご本人から自信満々に否定されましたので、おそらくわたしの記憶違いです。

 同用語(アーとブラフ)はこれ、わたしが初めて触れたのは苫米地英人という方の著書に
於いてでありました。ひょっとすると、ですが、「校長のこの発言は(苫米地氏曰くの)ブラフマ
ンのことかな?」と考えただけかもしれません。
 そしていつの間にか、苫米地用語を「貴殿がおっしゃった」と記憶しただけかもwああ、すみませ
んでした。(なにか役さんと義春とのやり取りの中で、そう感じた記憶がありました)

651初心者:2011/11/30(水) 15:05:31 ID:X1fDhvjY
訊けさま

>念のため申しておきます。あれは我流解釈なのではなく、雅春先生のご主
張そのものであります。まあ、愚生駄文くらい直接的に(誤読余地ありあり
に)まとめてはおられぬとは申せ雅春先生、愛国書を通じてあのようなご主
張をされておられる、そう自信を持って言い切ることは出来ます。ここにた
とえ、吉田國太郎先生がおられても私、自信を持って貴殿に申した内容を申
し述べることができます。
要するに貴殿が「画期的」と申された解釈は、雅春先生のそれになります。
そして貴殿が「シニフィアンの暴走は防ぐことができていたにちがいあり
ません。 」とお感じになられたならば、それは慶事です。わたしにはまだ、
どんな思考経路を経て貴殿がその結論に達されたのか不明ですが、とにかく
嬉しいです。

雅春先生が、「天皇国日本の実相顕現」についてどのように説いておられたのかは
存じておりませんが、訊けさまが簡潔かつ明瞭に要約なされましたのは、画期的な
出来事であろうかと存じます。

これまではどうであったかというと、訊けさまがいわれる曲解や誤読の域にも達しては
おらず、「わからない」というのが実情であったようにおもいます。そのために、「彼らは
生長の家が何をなそうとしているのかを知らない。しかし彼らは生長の家をやって
いる」ことから、シニフィアンを暴走させるよりほかに「天皇国日本の実相顕現」を表現
する手段を持てなくなっていたのであります。シニフィアンを暴走させることで、それ
はつまり言葉の響きに酔うことで脳内物質を分泌させることでもあったのですが、そう
することで、かろうじて「天皇国日本の実相顕現」をリアルに実感できていたというの
が、これまでの実態ではなかったかと考えます。

シニフィアンの暴走を防ぎ、教義の絶対化、イデオロギー化を抑制するには、生長の
家は何をなそうとしているのかを、具体的な言葉として簡潔明瞭に語ることが求め
られているのであります。少なくとも訊けさまは、その画期的な先鞭をつけられたと
わたくしは理解しております。

これまでのところ、天皇国日本の実相顕現、人類光明化、地上天国実現の、おそらく
は生長の家がこれまで掲げてきたであろう、実現すべき3つの活動目標について、
具体的な言葉で言及なされたのは、訊けさまだけであります。ほかの方々は、いまだ
何も言及なさってはおられないというのが実情であります。

おそらくこれからも、いかなる言及もなされないままに、和解の交渉だけが進められ、
すべてがうやむやにされてしまうことでありましょう。訊けさまの勇気をほかの方々に
も発揮していただきたいものであります。訊けさまのご発言が、これからどのよう評価
されていくのか、それを見守ることにいたします。


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