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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

633神の子さん:2011/11/28(月) 20:50:12 ID:Kevr5W5w
>「私がお山(渋谷区神宮前の谷口雅春先生の自宅)を訪ねた時、谷口先生が顔を赤くして出て来られた。谷口先生が顔を赤くされるのは、お酒を飲まれた時か、怒ってをられる時なので、めったにお酒を飲まれない谷口先生が昼間からお酒を飲まれることはあり得ないから、何か怒ってをられるに違ひないと思った私は、早々にお暇しやうとしたら、谷口先生は『話したいことがあるから上げりなさい』といはれ、応接間に通された。谷口先生は、『私は雅宣に皇學館大學に行かせたいと思ってゐるのだが、清超は青山學院大學に進學させたいと言って反対する。君はどう思うか。』と言はれた。」
この方は、この話を涙をこぼされながら、私に語った。これが事實とすれば、谷口雅春先生は、雅宣氏を皇學館大學に進學させて、神道と國史を學んでもらいたかったのである。雅宣氏が雅春先生のご意志通りに、皇學館大學に進學してゐたら、雅宣氏そして生長の家のその後のあり方も違ったものになってゐたであらう。

それは谷口雅宣氏自身が、昨年十二月十七日に行はれた『故 生長の家総裁谷口清超先生追善供養祭』における「偲ぶ言葉」で「父である清超先生から『三代目にならなくてはいけない』と言われたことは一度もないのであります。學校も自由の精神を尊重する青山學院へ入れてもらい、そこの大學を出てから㈱日本教文社へ入りましたが、3年足らずでやめてしまい、アメリカへ留學しました。これは勿論、父が賛成してくれたからです。コロンビア大學という、これまた自由を尊重するリベラルな私立の大學の大學院へ入りましたから、學費も生活費も多くかかりました。それを父が快く出してくれたことで、私は日本國内では得られないであろう数々の貴重な経験をすることができました。そして、そのことが、今日の生長の家の運動を進める上で大いに役立っている−−というより、もっと正確に言えば、それらの経験がなければ、今日の生長の家は『國際平和信仰運動』とは別の方向に進んでいたに違いないのであります。」と述べてゐることによって明らかである。



どうやら谷口雅春氏は孫の世代になり日本国の変貌を見抜いていた可能性があり、孫の教育も指導していた形跡が明らかになった。となると今日の退廃の責任は二代目の清超氏にあるとも言える。 雅宣氏が青学を希望していたとしたら、弟の貴康氏は皇學館へ行かせるべきだが、現実には玉川学園を卒業している。
このあたりからも清超氏は息子の教育に開祖の意は無視したとも言えよう。

貴康氏が皇學館へ入学していれば、前科者にもならず、すんなりと総裁へ就任し生長の家を指導していた可能性もある。


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