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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

628「訊け」管理人:2011/11/27(日) 21:58:06 ID:snP.vX5s

<参考資料1>

 以前投稿しました駄文を、ここに再度掲載させて頂きます。


308 :「訊け」管理人:2011/08/19(金) 11:51:08 ID:D0Kb5yw.
>初心者さま

>人類光明化は不可能だ。
>地上天国実現は失敗する。
>当時のわたくしは、
>こんな精神状態に
>まで追い込まれておりましたですね。

 当時を知らぬわたしがこんなこと申すのもナンですが、「きっとそうだっ
たんでしょう」ね。いやなんか、榎本先生記述からの類推話になりますが、
まあ・・・会社経営に喩えるならば、かなり強引な訪問販売形式、採用され
ておられなかったかと(当時の愛国運動、ですね)
 また余談かもしれませんが、吉田先生が榎本先生に「日の丸振るより生命
の實相を読め」と申されたのが昭和20年後半だったとか。かつ、その時の
榎本先生の、吉田先生に対する印象は「吉田先生は、古い生長の家の人だ」
だったとか・・・無論後で吉田先生の偉大さに気づく榎本先生だったわけですが。

 運動もよいですがやはり、基本は真理の書を拝読することではないでしょ
うか。(「今は議論している場合ではありません」と、言われそうですがw)

(引用開始)

 現象に立っての努力は空しい。現象と實相と二つの世界に心またがりなが
ら、現象の足りなさを嘆いての努力も空しい。それは恰も、神をいと高きも
のとし、己を醜く低きものとして、神に到る励みを励んで行く愚に等しい。
現象は元々そして今も無いのである。如何様な姿に現れてもをれ、それは無
の一字に尽きるものでしかない。生き切れていない自分も無く、況んや、両
者の間に横たわる溝も本来無いのに、何時しか無いものゝ変転に心拉し去ら
れていた愚かさ。無いものには整ったもなければ、整わないもない。無いも
のは無いのである。如何にともあれ、現象は無いのである。何故此の空しい
ものに、実在の衣装を着せて實相の前へ曝そうとしたのか。総じて現象を捉
えて、どうしたならば、實相の完全なるが如く此処も亦全くありうるであろ
うかと足掻いていた愚かさ。何故こんな解りきったことに足を攫(さら)わ
れようとしていたのであろうか。
 最近神に誠実でありたいとの心強く、實相が開かるれば現象は整うのであ
る、此処がより好く整うことは神が生きて動くことである、整うべきであり
整えるべきである。どうか完全でありたい、神でありたい。この真摯な心の
前での躓(つまず)きであったために躓きを躓きと悟れず、寧ろ尊い一歩前
進であるように考え違いしていたことに気が着いたのである。ことさら深く
落ちる危険が此処にあった。神への誠実という美はしい心を抱いて私は地獄
へ顛落しようとしていたのであった。

『常楽への道』109項

(引用終了)


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