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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
639
:
初心者
:2011/11/29(火) 16:30:36 ID:X1fDhvjY
>>631
訊けさま
>ああそのお言葉は・・・名言なのかもしれません。
わたしが感動した『生命の實相』ですけれども、皆がみな、同じ反応にな
るわけではありません。献本したりしまして、そして相手が結構な読書家だ
ったりするのですけれども、そんな彼すらが「?」な顔をしていることがあ
ります。あれは軽いカルチャーショックでしたかね(笑)
このことがすなわち、ロラン・バルトのいう、テキストそれじたいに意味はなく、
テキストの背後に横たわる構造にアクセスすることによって、読み手は、それぞれの
やり方にしたがって意味を生成する、ということであり、『生命の實相』といえども
例外ではないということになるのでありますね。
わたくしがこのようなことを書きますと、「精神言語学」という妙な造語まであてがわれ
て、批判されるのであります。おなじことを述べるにしても、言語学の立場からそれを
述べるのは「禁じ手」とされ、批判の対象となるのでありますね。
べつのスレッドでもふれましたが、雅春先生が、「言葉にしたことがこの世にあらわ
れる」とおっしゃられたとすれば、その言葉は無条件に受け入れられるのでありま
すが、おなじことを、言語学者であるソシュールが述べたといえば、「人間知」として
否定されてしまうのであります。
宗教というものは、まったくやっかいなシロモノでありますね。誰がいったか。これだけ
が問題にされるのであります。
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