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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

616さくら:2011/11/26(土) 17:46:39 ID:rtDYpBEY
>613

トキ様

トキ様の、例え話は、いつも分かりやすくて、好きです。
でも、赤福に例えるとは、ユニークですね、笑。

赤福は、商品ですが、
聖典は、なんでしょうか。

わたしの考えは、既存の宗教組織を温存したい方々には、秩序を乱す、
また、今までの宗教のあり方からしたら、実現不可能な考え方なのかもしれませんが、
考えの一つとして、述べてます。

生長の家の組織の目的が、生命の實相の普及にあると考えられていますが、
この組織の目的には、賛同出来ないと考えています。

聖典の普及は、出版社が担うべき方向になるのが、良いと思われます。

また、訊け監督が言っていたような、個人が自発的に、勉強会や、ブログを開設することで、広げることは良いと思います。

聖典による救いや普及を、
宗教組織の論理で活動にすれば、
必ず、同じことが、繰り返されると、感じています。

どんな崇高な目的を掲げる組織でも、
聖典は、組織論理に、組織活動に利用されうるもの、となりえます。

投稿の中で、生命の實相を、聖書に例えられていましたが、
歴史的に聖書が、どれほど利用されてきたかを考えます。


組織の活動があるとすれば、
具体的に社会的な問題に取り組む活動であることが、求められるとおもいます。

聖典による救いを目的とすることではなく、
何が出来るか、具体的に考えられる活動です。

それも、今までの活動の形ではなく、
一人一人が課題に対して、自分には、何が出来るか考え、話し合える自発的組織であればいいと思っています。地域のグループ的なものなら、なお良いと考えています。

度々言いますが、
組織の論理と、
個人の信仰、真理の探求は、矛盾します。
宗教組織の問題は、
それを混同するところから発生したりすることがあると思っています。

組織は、集団的な、思考の枠組みで、運営されるものですが、
信仰や真理の探求には、それらを、超えた世界観があります。
決して組織化されることは、ない世界です。

どのような善良な目的を掲げる組織であっても、同じです。
その目的に、信仰の世界観が、従うことはないとおもいます。


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