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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
618
:
トキ
:2011/11/26(土) 21:40:32 ID:RGUgIDag
女性板 かぴばら様
ご投稿、ありがとうございます。閲覧者が多いのですが、なかなか投稿者が続かないのがこの板の泣き所です。
うーん、いよいよ、「部室」板、作る必要がでてきたみたいです。(初心者様、ごめんなさい)
さくら様
ご丁寧なご返答に深く感謝申し上げます。さくら様の言われる通り、信仰と組織のあり方は難しいです。
この間、亡くなったスティーブン ジョブズのappleコンピューターのコピーにこんなのがありました。
“メーカーの論理よりも、ユーザーの感性のほうが、はるかに正しい”
これは、組織がユーザーの感性を無視する危険性を示唆したものでしょう。
組織があるから個人の信仰が阻害されるというのは理解できます。ただ、組織がなければ、個人の信仰は守られる
のか、という反対解釈もできないと思います。私は、現在の生長の家の組織にはたくさん改善すべき点があると思い
ますが、しかし今すぐ組織を解散すべきだとまでは思いません。個人のレベルで出来る事には限界があります。例え
ば、練成会を開催したいと思っても、普通に仕事をしている人が、仕事を10日間も休んでどこかに泊まり込むのは
常識的には考えられないです。
ただ、過去の生長の家は、組織を過大に重視し、現象としての生長の家本部をあたかも神様の代理人のように誤解
をしました。それが暴走すると、多くの個人を傷つけました。その点も軽視できないと感じます。例えば、信徒の
感性は「生命の実相を学びたい」と要求しているのに、「森の中へ行く」を組織が読む事を要求する事は、“正しくない”
と言えるでしょう。
要するに、組織があることで、弊害もありますが、同時に組織がないとできない事もあります。その中で、組織に
関わる人間は、弊害を最少にし、メリットを最大にする努力が必要になってくるのです。
金槌は、釘を打てば便利な道具ですが、誰かの頭を殴れば凶器になります。同じ様に、組織も使い方により、
便利な道具にも、凶器にもなりえます。今、我々、信徒が論じるべき事は、生長の家という組織を凶器ではなく、
便利な道具にするためにはどうすれば良いか、という事かと思います。
以上は私の愚見ですので、笑って見逃してやって下さい。
合掌 ありがとうございます
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