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( ゚д゚ )絵描きとヴィオラのようですミセ*゚ー゚)リ

1 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:23:38 ID:fCDwqofo0

オレンジデー祭参加作品です。

2 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:25:14 ID:fCDwqofo0


人生に名前をつけるとしても、”希望”って言葉は違うと思う。


この世に生を受けて早二十年と少し。
主観的に見れば十二分に長いと思えるその時間の殆どを、僕は”妥協”という非常に響きの悪い言葉で満たしてしまった。

進んだ学校。選んだ進路。日々消費する言葉。毎日歩く道。決めた未来。いつも使う筆とキャンバス。
仕方なく選んだものたちで、今の僕は出来ている。

どれもこれも、昔の自分が思い描いていた理想にはまるで届かないほどに遠い。
かと言って、全てに絶望するには、理想という名の太陽の暖かさが感じられるくらいには近い。
そんな中途半端な位置で、足掻くこともせずただ呆と立っているだけの人生だった。

このひどく情けない生き方はきっとこれからも変わらない。
今日も、明日も、人生最後の日の僕も、ずっとこの形容し難い燻りを抱えながら、全てに納得している振りをして息をするのだろう。
いつの間にか、言い訳と諦めばかりが上手くなってしまった。
とてもじゃないが、こんな人生を称するのに”希望”だなんて綺麗な言葉は選べない。

3 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:26:11 ID:fCDwqofo0

……それでも。

それでも、もし、そんな人生でも何か一つ、こんな僕にも一つ、誇れるものがあるとするのなら。
僕らの人生に名前を、タイトルをつけなきゃいけないとするのなら。

僕らの人生が、一つの絵だとするのなら。
一つの音楽だとするのなら。
一つの物語だとするのなら。


そのタイトルは、そう、きっと―――。

4 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:26:49 ID:fCDwqofo0



( ゚д゚ )絵描きとヴィオラのようですミセ*゚ー゚)リ

5 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:30:05 ID:fCDwqofo0

*

窓から射し込んでくる春の日差しが、トレイの上に置かれたままのスプーンに反射した。
眩しさを感じて動かした視線の先には、「早く食べろ」と催促しているかのように未だ手つかずの日替わり定食が置かれている。
ワンプレートに置かれた唐揚げは、湯気こそ立っていないがその光沢は失われていない。注文して席に座ったのは確か数十分前だと思うのだが、春の陽気というのはどうやら食品にもその活気を分け与えるらしい。

( -д- ;)「………はぁ」

だが、そんな誘惑がなされたところで一向に僕の食指は動かなかった。
再び視線を手元のスマホに移し、液晶画面に表示されている数字を見る。
“65400円”。僕が今持っている総資産である。

来週払わなくてはいけない家賃が5万円。そこから光熱費や水道代、スマホ代などの雑費を引けばギリギリ1万円残るか残らないか。
そこから食費などを捻り出さないといけないのである。なるほど、中々にムリゲーだ。

ふと自分が子供の頃、一ヶ月を1万円でやり過ごすテレビ番組があったなと思いだす。
だがあれはテレビタレントのれっきとした仕事で、何も彼らは好き好んでそんな苦難を受諾していた訳ではない。というかあの番組は確か、1万円を超えたとしても終わるのはあくまで企画だけで、出演者の人生まで終わるなんてことはなかった。

生憎、僕の人生はテレビ番組ではない。僕が1万円で過ごすことに金を払ってくれるスポンサーはいないし、失敗しても笑ってくれる観客や視聴者も存在しない。
頼んだ食事に手もつけないまま、じっとスマホを睨んで溜息をつき、お世辞にも優秀とは言えない脳を回して、また溜息をつく。
いくら息を吐いたところで、表示されている数字は1円たりとも増えてはくれそうになかった。

6 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:31:40 ID:fCDwqofo0

从 ゚∀从「よっ!前、失礼するぜ!」

(`・ω・´)「どうしたミルナ、飯、食べないのか?」

( ゚д゚ )「ん…?」

聞き慣れた声に顔を上げる。
眼前には、食事が乗ったトレーを持って目の前に座る二人の友人の姿があった。

最初に声を掛けてきた赤毛の少女がハイン、心配そうにこちらを見ている青年がシャキン。
同じ美大に通う、クラスメイトの中でも特に親しい二人である。

从 ゚∀从「食堂でそんなしけたツラすんなよ。食わねぇなら貰うぞー?」

( ゚д゚;)「た、食べる食べる!取るなよ!」

ひょいと搔っ攫われそうになった唐揚げを何とか死守し、慌てて口の中に放り込む。
冷めてしまった皮を噛むと、その中からは未だ暖かい肉汁がふわりと広がった。

7 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:32:20 ID:fCDwqofo0

从 ゚∀从「チッ、なんだよ。食うならさっさと食えってのー」

( ゚д゚ )「僕が食べ物を粗末にする訳ないだろ。貴重な栄養源なんだから」

从 ^∀从「まーた出た!どんだけ金欠なんだよお前!」

紅い髪を揺らしながらケラケラと笑うハインを尻目に、さっきまでずっと放置していたサラダを口に運んでいく。
特製のドレッシングが、瑞々しい水分を含んだ野菜によく絡む。大き目にカットされたトマトや刻まれた紫キャベツなども相まって彩りも良い。
これに大きな唐揚げとスープ、ドリンク、そして大盛りの米まで付いて500円というのだから驚きを隠せない。
自分のような貧乏学生にとって、大学食堂というのは実の親よりもありがたい存在なのだ。

(`・ω・´)「…それでミルナ、さっきからずっと何を見てたんだ?俺たちが並んでる時からずっと、スマホと睨めっこしてたが」

ゆっくりとスープを嚥下し終わったシャキンからの質問に咀嚼する口が止まる。
説明するよりも見せた方が早いなと思った僕は、テーブルに伏せていたスマホの画面を二人に見せた。

8 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:33:06 ID:fCDwqofo0

(`・ω・´)「……なんだこれ、小遣いか?」

( -д- )「いや、全財産」

从; ゚∀从「……………ハァ!?」

ハインの甲高い驚嘆の声が食堂中に木霊した。

从; ゚∀从「えっ、全財産って…お前、え!?学費とか、大丈夫なのかよ!?」

さっきに比べればボリュームを落として話す彼女に、僕は力なく首を横に振る。
今は大学二年の三月。来月には晴れてこの大学の三年生になる。
だが、進級というのは何も無条件で出来るものじゃない。単位や成績など、必要な条件は多岐に渡る。
そして僕にとって何より肝要なのは、学費の支払いだった。

美大というのはとにかく金がかかる環境だ。
医学部並みとは言わないが高い学費に、絵を描くのに必要な画材などにかかる費用も馬鹿にならない。かと言ってそこで出費をケチれば満足のいく作品は描けず、結果として困るのは自分だ。
留年などしてしまえばそれこそ目も当てられない。かと言って、学費を払う用の奨学金専用口座には、1円たりとも手を付ける訳にはいかない。

要するに、色々と崖っぷちなのであった。

9 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:34:33 ID:fCDwqofo0

(;`・ω・´)「お前、何に金使ったんだ?というか、普段からあんだけバイトしてんのに何でそこまで…」

( -д-; )「……バ先、なくなってた」

从; ゚∀从
       「「………はぁ?」」
(;`・ω・´)

心地いい高音と低音が全くの同音を同時に奏でた。

( -д- )「…ずっと働いてた個人経営の飲食店、先週出勤したら潰れててさ」

( -д- )「先月と今月の給料、支払われてないんだよね。一応連絡したけど、店長からも全く返事ないし」

淡々と事実を羅列しているだけなのだが、眼前の友人二人はまるで狐につままれた顔をしていた。

10 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:35:53 ID:fCDwqofo0

当然だ。自分も口にしていて出来の悪い法螺話にしか思えない。
しかし、歴とした事実なのである。あれだけ馬車馬のように働かされ、挙句には給料未払いのまま飛ばれる間抜けな大学生などこのご時世に中々見られるものじゃない。

一応、大学の相談センターにも問い合わせたが、そこで聞かれたのは”学費の工面は大丈夫なのか”という一点のみ。
奨学金があるので学費自体は払えると説明するとすぐに興味をなくしたのか、事務員は途端に話を聞いてくれなくなった。
これはこれで別の法律問題に当たるのではないかとも思ったが、もはや怒る気力も食い下がる気もなくし、こうしてスマホと睨めっこをしていたという訳である。

从; ゚∀从「ほ、他のバイトは?お前、色々やってたよな?」

( -д- ;)「単発のやつばっかな。それも、春休みは何処も人気過ぎていきなり入るのは無理でさ」

(;`・ω・´)「……少しくらいなら、貸そうか?」

从; ゚∀从「そ、そうだぜ!ちょっとぐらいなら…お前には借りもあるし!」

( -д゚ )「いや、いいよ。マジでいい。気持ちだけ貰っとく」

友人たちからのありがたい申出に手を上げて断る。
金銭というのは、自分が意識している以上に大事なものだ。
十年来の絆がただ昔の偉い人が印刷されている紙切れ如きで崩壊するなど、別に珍しい話ではない。
それに、気の置けない友人たちに迷惑はかけられない。
そもそもとして、危機管理がなっていなかった自分の過失が原因なのだ。こうして愚痴を聞いてもらえるだけで、自分にとってはありがたい。

11 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:36:50 ID:fCDwqofo0

从; ゚∀从「で、でもよ…実際どうすんだよ」

( -д゚ )「ん……まぁ、すぐに別のバイト探すよ」

(;`・ω・´)「そんな余裕あるのか?3年からはカリキュラムも増えるらしいぞ」

从; ゚∀从「そ、そうだよ。給料だってそんなすぐポンと支払われる訳じゃないだろうし…」

友人からの忠告に漫然と動かしていた食事の手が止まる。
世間的な美大生のイメージというのは知らないが、少なくともうちの学生は結構忙しい。
3年からは実技の授業も増える上に、コンペ用の作品造りにかける時間も必要となる。
何より、就職活動に向けてのポートフォリオは絶対に手を抜けない。ここを失敗すれば就活がより本格的になる4年で挽回するのはかなり難しいと先輩から何度も聞かされていた。

12 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:38:24 ID:fCDwqofo0

( -д- )「…大丈夫だよ。今までだって何だかんだ何とかなってきたし」

すっかり空になった皿の前で手を合わせる。
自分なんかが就活などに気を遣う必要が本当にあるのかと問われれば確かに疑問だが、出来るだけ周りと同じように、普通の学生のように生きようと決めたのも自分だ。
慣れた手付きで鞄から薬を取り出し、残しておいた水と共に流し込む。
いつの間にか、この一連の動作にも随分と手慣れたものだ。

(`・ω・´)「お、花粉症の薬か。大変だよな、特にこの時期は」

シャキンがやや大げさに頷く。そういえば、前にそんな説明をしていたんだった。

从 ゚∀从「あれ、お前ら二人ともだっけ?可哀そうになー」

(`・ω・´)「上から目線やめろ。全く、この学校に文句を言うとしたら緑が多すぎることだな。花粉症には辛すぎる」

( ゚д゚ )「山の上だから仕方ないけどな」

( ´W`)「同感だね。あとはバスの本数も増やしてくれるとありがたい」

从 ゚∀从「あーそれは分かるっすねー」

(`・ω・´)「………うん?」

何か強烈な違和感を覚えてさっと左を見る。
確かにさっきまで空席だった筈の隣には、いつの間にか、自分たちの恩師である”シラヒーゲ教授”が優雅にコーヒーを飲んで座っていた。

13 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:39:03 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「せ、先生!?いつから!?」

( ´W`)「君が食堂に似つかわしくない顔をしながら唐揚げを頬張っていた時からだね」

( ´W`)「ミルナ君、ああいう顔をしながら食事をするものじゃない。いくら春休み中で周りに人が少ないといってもね」

( ゚д゚ ;)「は、はい……以後気を付けます…」

形だけの返事でもとりあえず納得はしてくれたのか、「よろしい」とだけ言って再びコーヒーを口にする先生。
御年60を超えるとは思えないほどに真直ぐな背筋と、皺一つない上品なグレーのスーツを纏ったその姿はとてもじゃないが美大の教授とは思えない。
こう見えて芸術の界隈では非常に名の知れた方ではあるらしいのだが、威圧感があるのかないのか、フレンドリーなのかそうでないのか、イマイチ掴み所がない人だ。

14 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:39:52 ID:fCDwqofo0

( ´W`)「…それでミルナ君。バイトを探しているんだっけ」

( ゚д゚ ;)「え?は、はい…本当にずっと話聞いてたんですね…」

( ´W`)「君、コミュニケーションには自信がある方かね?」

( ゚д゚ ;)「へ?」

いまいち意図が読めない質問に間抜けな返答が飛び出る。
どちらかと言えば、人との交流には自信がない方だ。

昔から、他人によく避けられる方の人間だった。
無駄に高くなった身長に、威圧感があるらしい二つの瞳。
少なくとも初対面で良い反応を貰えたことは一度もない。進学と共に京都に引っ越してきたばかりの頃は、関西の血気盛んな若者たちに「睨みつけられた」と身に覚えのない突っかかりをよく受けたものだ。
一人称を”僕”にしたり、少しでも穏やかな言葉を選んで話したりと自分なりに工夫はしているが、効果があった試しは今までの人生であまりない。

( ゚д゚ ;)「……ま、まぁ、苦手ではない、ですかね」

だが、ここで馬鹿正直に「苦手だ」と言うのは憚れた。
バイトを探すと言っても、働いてすぐに給料がもらえる訳ではない。少なくとも来月の家賃の引き落とし日までにはそれなりの金が必要なのだ。
教授からの紹介となれば何か問題があってもすぐ大学側に相談できるし、なにより金銭に困っている自分に紹介してくれるのであれば賃金も相当なものだろう。
困窮で頭の回転が早まったのか、瞬時にそこまで考えた僕は気が引けるものの、ギリギリ虚偽にはならない遠回しな発言をした。

15 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:41:14 ID:fCDwqofo0

( ´W`)「今、時間はあるかね?」

( ゚д゚ )「え?は、はい」

( ´W`)「なら今から行こう」

( ゚д゚ ;)「…へ?」

疑問符が口から出るより先に、いつの間にか僕は立ち上がらされていた。

( ´W`)「時は金なりというだろう。ほら、歩いた歩いた」

( ゚д゚ ;)「えっちょ、いやあのいきなり過ぎませんか…!?」

助けを求めようと、友人二人に慌てて目配せをする。
だが、縋った先の二人はひらひらと呑気にこちらに手を振ってニヤついているばかりであった。

从 ゚∀从「良かったな〜バイト見つかりそうで!頑張ってこいよ!」

(`・ω・´)「トレイは返しておいてやるからな」

( ゚д゚ ;)「いや巻き込まれたくないだけだろ!」

悲痛な叫び声を出したとて、人が少ない春休みの食堂で助けてくれる人は誰もいない。
教授に引っ張られながら、1年の頃に受けたクロッキーの授業を思い出す。
シラヒーゲ教授が受け持った僕らのクラスだけ、何故か他よりも異常に面倒な課題内容だった。
そんな人が紹介する仕事が面倒でない訳がない。だが、もう後悔しても遅かった。

16 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:41:47 ID:fCDwqofo0

棟を移り、促されるまま塗料で汚れた廊下を歩く。
7号館。僕が所属している洋画専攻の学生がよく使う棟だ。うちの大学は学部の棟ごとにお洒落な名前がついているのだが、何故かうちの学部の棟は何の面白みもない数字が付けられているのみ。個人的にはどうでもいいが、少し蟠りを抱いている生徒も多いとのことらしい。

春休みということもあって、普段は騒がしい廊下はいやに静かだった。
つくりかけの版画や整理中の机、使い終わった画材などが無造作に隅においやられている。他の大学はどうだか知らないが、少なくともうちでは見慣れた風景だ。

( ´W`)「入りたまえ」

『洋画専攻実習室』と書かれた扉で立ち止まり、教授は慣れた手付きで部屋の中へと入っていった。
いつもは僕らが実習で使う部屋。春休みの今は、休暇中でも作品を作りたい学生向けに貸し出しがなされている筈なのに何故教授がここを使えるのか。
その疑問は、扉の横に貼ってあった施設利用願を見て一瞬で溶解した。申請者の欄には『白髭シラヒーゲ』とある。これでは大学も生徒も文句を言えまい。

( ゚д゚ ;)「し、失礼します……」

許可は貰っているのだが何もせず入るのは気が引けた。
律儀に3回ノックをし、ドアノブに手をかけて扉を開ける。
すると、中にいたのは教授だけではなかった。

17 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:42:56 ID:fCDwqofo0

ハハ ロ -ロ)ハ「ア、来た!この子デス?センセイ」

( ´W`)「そう。さっき釣れたばかりなんだ。活きの良い子だよ」

教授の他にもう一人。金色の髪を短くそろえた女性が椅子に座っていた。
眼鏡の奥に見える瞳は、髪と同様に金の色を携えている。間違いなく、純粋な日本の人じゃない。

ハハ ロ -ロ)ハ「いらっしゃい!私、ハローと申します!」

( ゚д゚ ;)「こ、河内ミルナです……」

ハハ ロ -ロ)ハ「ミルナ!よろしくね〜!」

ハイテンションな彼女の勢いに飲まれかけつつ、教授たちに促されて空いている椅子に座る。
方やニコニコとしながら、もう片方は静かだが真直ぐにこちらを見つめている。
どう考えたって「やっぱりやめます」と言い出せるような雰囲気ではない。

18 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:44:04 ID:fCDwqofo0

ハハ ロ -ロ)ハ「こんなに早く良い子が見つかるなんて!さっすがセンセイ!」

( ゚д゚ ;)「い、いや…まだやるとは一言も」

ハハ ロ -ロ)ハ「も〜チョー助かります!このままじゃ私クビが回らなくなるトコでした!命の恩人!」

( ´W`)「いやぁ、私も助かったよ。お陰で大事な友人を一人失わずにすんだ」

妙に手慣れた口上でさっと外堀を埋められる。

( ゚д゚ ;)「いや、だから、あの……」

( ´W`)「あ、そうだ。給料はこのくらい出してくれるらしい」

なんとか言い訳をしようとした僕の前に、一枚の紙が現れる。
額面を見る。その瞬間、今の今まで胸中を渦巻いていた不安はものの見事に消し飛んだ。

( ゚д゚ ;)「……え!?な、なんですかこの額…!?」

自分が一番重要視する給料の額が、予想の3倍以上であったのだ。
しかも、支給日もかなり早い。これなら、4月を迎えるまでもなく目下の問題が解決する。
いや、もし長期で続けられるとしたら、大学を卒業するまでの不安すら一気に消え去るほどだ。

19 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:44:42 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「……!ち、ちなみに、どのくらいの期間で…」

ハハ ロ -ロ)ハ「ウーン、君次第だけど…できれば、半年は保ってくれると嬉しいカナ?」

半年、半年。瞬時に月給に6をかけて計算する。
本当にそれだけ稼げるのならば、寧ろ多少のリスクがあっても断る理由などない。
今までやっていたバイトがバカらしく思えるほどに、その金額と期間は魅力的であった。

いや、少し待て。
逸る鼓動を抑えつけ、ゆっくりと深呼吸をする。
金額につられて痛い目を見たから、今こういう状況に陥っているのではないのか。
まずはしっかり勤務形態や雇用条件、雇用主、保険、給与の支払い元、そういう細かいことを聞いてからだ。

( ゚д゚ ;)「………どういう、仕事なんでしょうか」

いくら落ち着いたように見せても、やはり気持ちが漏れ出ていたのだろう。
眼前のハローさんはニコリと笑って、別の紙を出してくる。

説明を受け、それに対して質問をし、更にまた説明を受けて、また質問をする。
雇用契約書を見つつ、少しでも疑問に思ったことは潰していく。
そうこうしているうちに、いつの間にか1時間以上もの時が経過していた。

20 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:47:08 ID:fCDwqofo0

ハハ ロ -ロ)ハ「――って感じカナ。どう?」

( ゚д゚ )「……………」

説明を聞き終わり、疑問点も粗方潰した。
話を聞き終えたばかりの率直な感想としては、「受けたい」という四文字であった。

正直、仕事内容は気が引けるものだった。
物凄く厳密に言えば、法に触れるかも分からない。
だが、特段人を傷つけるようなものではないように思えるし、何より、報酬と勤務内容を比較すればどう解釈しても前者に天秤が傾く。

勤務先のアクセス、拘束時間。どれも大して問題はない。
それに、何か問題があっていいように雇用契約書の控えどころか、スマホで撮影させてもらえるほどの優遇ぶりだ。何なら、こちらのスマホを用いた録音まで許可された。

正直、ここまで上手い話があるのかと怖くなる。
だが、自分の頭では抜け道など検討もつかない。なにより、この話を断ればいよいよ生活が成り立たない。

ゆっくりと頭を垂れ、受ける意思を表明する。
ハローさんが今日会った中で一番の笑顔を見せた。

21 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:48:06 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )(……まぁ、何かあっても、別にいいか)

( -д- )(どうせ、結末は変わらないのだし)

自暴自棄のような考えのまま、ハローさんからの話に許諾の意を表明する。
つい一時間前まで僕を悩まさせていたモヤモヤが、少しはマシになったような気がした。

22 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:49:37 ID:fCDwqofo0

*

( ゚д゚ ;)「………ミスった」

“何かあっても別にいい”。
確かにそう考えていた。この話を受けた三日前までは。

途方に暮れて空を見る。
すっかり太陽は姿を隠し、都会の喧騒から逃れた星がちらほらと輝いているのが見て取れる。
時刻は既に19時。勤務先に伺うと約束した時刻は18時。

言い訳もできないほどに、立派な”遅刻”であった。

23 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:50:44 ID:fCDwqofo0

( -д- ;)「やっぱりバス使うべきだった……」

ハローさんから聞いた勤務先は、大学からは離れた場所にあった。
僕が通学に使う電車の路線とはまた別の路線の駅。
そこから出ているバスに乗って数十分揺られ、更にそこからまた数十分歩いた先にあるのだと。

だが、再三言っているように今の僕は金欠だ。先日出した履歴書の送料ですら惜しんだほどに。
京都の電車やバスにかかる運賃は決して安くない。特に、この路線は猶更だ。
どこも無人駅なのだからもう少し安くはならないのかと愚痴を零すも、普段は使わない僕が声を上げたところで詮無きことだろう。
慣れない無人駅で降り、目的地をスマホのGPSで調べた時、ふと思い立ってしまったのだ。
「これなら歩いても大丈夫だろう、バス代が節約できる」と。

だが、その結果がこのザマである。
あぜ道に迷い、日は暮れ、挙句にはスマホの充電も切れてしまった。
数十分前に先方に遅刻の連絡を入れられたのが不幸中の幸いか。

( ゚д゚ ;)「でも、方向はこっちで合ってる筈なんだよな……」

充電が切れるギリギリでスマホが示してくれた方向は、何度アプリを再起動しても同じ方向を指していた。
つまり、今僕が歩いている方角に目的地がある筈なのである。
もはや道と呼べるのか分からない道を歩く。
京都という土地は、京都駅周辺や有名な観光地を除けばどこもかしこも自然だらけの田舎だ。
今僕が歩いている道に至ってはもはや街灯の一つすらない。おまけに、まだ3月だというのにどこか蒸し暑く感じる。

とうとう歩き疲れた僕は、近くにあった大きな石に座りこんだ。
こんなに歩いたのは一体いつぶりだろう。そうだ、正月を少し過ぎた頃、暇つぶしに三条の河原町に出向いた以来だろうか。
あれは確かにきつかった。京都に移り住んで二年以上経とうとしているのだから、もう少し京都を知った方がいいだろうと思った自分を何度も呪った。人の濁流に押しつぶされ、何度も迷子になった。そもそも休日に出向いたのがよくなかったのかもしれない。

24 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:51:26 ID:fCDwqofo0

過去を想起しながらぼんやりと空を見上げる。
上空にはまるで、絵本に出てくるような満月が煌々と光っているのが見えた。
そうか、街灯がないのにここまで歩けたのは、あの月明かりのお陰か。

心の中で感謝しながら、ここで立ち止まっていても仕方がないと立ち上がる。
ある程度の疲れは取れた。それに、ここまで結構歩いた。目的地はそう遠くはないだろう。
そう思って再び一歩を踏み出そうとする。その瞬間だった。

( ゚д゚ ;)「………ん?」

何か、綺麗な音が聞こえた。

春の夜風に乗って、ふわりとした低音が微かだが鼓膜を揺らす。
決して派手ではない。太陽のような光はない。
けれど、そう、ちょうど今夜の満月のような、確かな輝きを持った音だ。

気が付けば、僕は早足で歩きだしていた。
夜の街灯に誘われる羽虫のように、花の蜜に誘われる蝶のように、ふらふらと歩を進めていく。

こんなことをしている場合なのか。行くべき場所があるんじゃなかったのか。
冷静に己を客観視している自分が、音を聞くにつれ薄れていく。
さっきまで自分の足を動かしていた理由がすっかりすげ変わる。
道を歩く。草木を押しのける。ただ只管、遮二無二、音が鳴る方へ。音色が聞こえる方へ。

25 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:52:00 ID:fCDwqofo0

いつの間にか、広い草原に出ていた。
さっきまで大量にあった木や、足元のアスファルトはなくなっていた。
視線の先、草原のずっと奥に、大きな影と小さな影が一つずつ見えた。

大木だ。それも、相当に大きな。
その下に、ひどく朧気ではあるが人影があった。
雲一つない上空に輝く満月が、その存在を辛うじて証明している。

あれだ。あそこが、あの人が音の発生源だ。
迷うことなく、僕は人影に向かって歩き出していた。

距離が近くなるにつれ、耳に届く音はより鮮明に、より大きくなっていく。
たまにテレビから流れてくるような、今までの人生で積極的に聞いたことのないようなクラシック音楽。
だが、それは僕が「クラシック」と言われて想像するような音とは少し違っていた。

音色からして、間違いなく弦楽器だ。音楽に疎い自分でもそれくらいは分かる。
だが、今聞こえる音色のそれは、僕が弦楽器と聞いて思う高い音程ではなかった。
この星さえ包み込んでくれるような柔らかい音、どんな焦燥も戦争も忽ち止みそうな落ち着いた音。
僕の二十年ぽっちの人生では、一度も聞いたことのない、美しい音だった。

26 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:52:39 ID:fCDwqofo0

音の邪魔をしないよう、出来るだけゆっくりと歩く。
気が付けば、少し声を張れば会話が出来そうなほどの距離。
そこまで近づいてようやく僕は気が付いた。
大木だと思っていた木は、桜であった。

緑のカーペットの上には、装飾と見紛うほどに綺麗な桃色の花弁が幾重にも散っていた。
その一枚一枚が上空の月光を反射し、天然のイルミネーションのようにも見える。
その大本となる桜の木の下に、人がいた。

ミセ* ー )リ

首を隠すほどに伸びた、綺麗な緑の髪が風に揺られて凪いでいる。
ちょうどこちらに背を向けた形で、僕からはその顔は見えない。
けれど、その背格好から辛うじて女性であることは見て取れた。

ふと、曲が終わった。
深みのある茶色の光沢がゆっくりと下げられ、先ほどまでゆったりと動いていた彼女の腕が落ちる。
その手には、神器のような上品さを纏う弦が握られていた。

27 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:54:02 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「………あの!」

草原に声が響く。
先ほどまで流れていた音と比べれば、まるで聞くに堪えないような雑音。
自分の喉に残る感覚で分かる。今のは、僕の声だ。

ミセ*゚ー゚)リ「………?」

目の前の女性が、ゆっくりとこちらに振り向いた。

春のような人だと思った。
夜中でも分かるほどに白い肌と、きゅるりとした丸い瞳。
桜の花弁がひらひらと落ちるその下、月光に照らされて露になった彼女の容貌は、思わず息を呑むほどに美しいものだった。
だが、それではない。確かに彼女自身も綺麗だが、感動したのはそれじゃない。
僕が心を奪われるほどに美しいと感じたのが、視覚に訴えるものではなかった。

28 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:55:51 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「……き、」

( ゚д゚ ;)「綺麗、でした!あの、今の、曲」

ミセ*゚ー゚)リ「……」

何か言わなければ。言葉にしなければ。
この耳に、心に残った感動を、どうにかして伝えなければ。
そう思って必死に口を動かしたものの、紡がれた言葉はひどく幼稚なものだった。

( ゚д゚ ;)「あ、え、えっと、アレ、ですよね」

( ゚д゚ ;)「ヴィオラ、ですよね!その楽器…!」

なんともいたたまれない気持ちになって、視線を彼女が持つ楽器へと移す。
ヴァイオリン、ではない。同じ弦楽器だし見た目も酷似しているが、そうじゃない。
彼女が持っているのは、先ほどまで引いていたあの楽器はおそらく”ヴィオラ”と呼ばれる代物だ。

( ゚д゚ ;)「す、すいません。いきなり話しかけて、こんな…」

( ゚д゚ ;)「でも、あの、本当に綺麗で!その、凄く感動したというか、もう一回聞きたいというか」

( ゚д゚ ;)「その、なんというか、向日葵みたいな暖かさがあるというか、それでいて、その、花のビオラみたいな可憐さもあって…でも、ダリアみたいに華やかで、決して地味じゃなくて、それこそ、桜みたいに煌びやかで……」

しどろもどろにも程がある感想が、まるで体をなさずに漏れていく。
今、僕は何を言っているのか自分でも全く判然としない。
とにかくこの想いを、感動を伝えたい。あわよくば、もう一度、今度はもっと近くで聞いてみたい。
その一心のまま僕は間髪入れずに話を続ける。
すると、ヴィオラの少女はこちらに向けてゆっくりと一歩を踏み出した。

29 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:56:42 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「………」

彼女がこちらに歩を進めるにつれ、よりその容貌が鮮明になっていく。
手を伸ばせば、その綺麗な髪と頬に触れられそうなまでの距離。
さっきまでは分からなかったが、こうして見ると、自分と然程年も違わないくらいだろうか。
緊張で口が止まり、少女からの視線に耐えながら息を呑む。

何を言われるのか。どんな声なのだろうか。
あれほどまでに美しい音色を奏でていたこの人は、どんな綺麗な言葉を紡ぐのだろう。
弦を持った彼女の腕が上がる。真珠のように白く眩い肌が月明かりで輝く。

( ゚д゚ *)「あ、あの――!」

「感動した」と言おうとしたその矢先。
瞬きほどの一瞬、先に彼女が口を開いた。

30 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:57:35 ID:fCDwqofo0



ミセ#゚Д゚)リつー「――こんの、コソ泥があぁぁああああ!!!!!!」


つー( ゚д゚ ill)サッ「うぇえええええええええ!?!?」



凄まじい速度で突きだされた弦を間一髪のところで避けた。
その拍子に、ぐらりと視界が揺れる。

やばい、足を踏み外した。
慌てて身を持ち直そうとするも、続けて間髪入れず腹に拳が入れられる。
突然の暴力と怒号に、僕は成す術もないまま情けなく草原に転がった。

31 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:00:30 ID:fCDwqofo0

( -д゚ ;)「痛った……!?えっちょ、い、いきなり何を…!?」

ミセ#゚―゚)リ「何もへったくれもあるかぁ!!人ん家の敷地内にずかずかと入ってきた上に訳分からないこと抜かしてんじゃないわよ泥棒!!」

( ゚д゚ ;)「ど、泥棒!?」

ミセ#゚―゚)リ「裏から庭に入ってくるなんて余程の間抜けか泥棒のどっちかでしょうが!!無事に帰れると思わないことね…ギッタギタにしてやるわこの犯罪者!!」

( ゚д゚ ;)「ち、違います違います!!あ、あの、本当に迷って…!!」

ミセ#゚Д゚)リ「やかましいんじゃオラッ!!おべんちゃら使えば逃げられる思ったんか!?たこ焼きみたいに顔面腫れさせたろかぁボケコラァ!?」

馬乗りになった彼女は一切の容赦を見せることなく執拗にこちらの顔面目掛けて拳を振り下ろし続ける。
こちらの言い訳など本当に全く聞こえていないのだろう。いくらこちらが降参の意を告げても、彼女から繰り出される暴力はまるで衰える気配がない。

ミセ#゚Д゚)リ「オラ!!オラ!!生まれたこと自体後悔させたるからなアホ犯罪者がぁ!!」

( ゚д゚ ;)「ちょ、あの違うんです!痛い痛い本当に痛い!!誰か!!誰かーーー!!!」

懸命に大声を張り上げながら少女からの暴力を両手で耐える。
本当にさっきまでの少女と同一人物なのだろうか。
あの美しい音色を奏でていたその手が、今では恐怖の対象でしかない。
時折弦を使ってこちらの眼球を狙っているように思えるのは気のせいだろうか。それはマジで洒落になっていないのではないだろうか。

32 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:02:37 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「誰か!!誰かいませんか!?死ぬ!!もう今日で死んでしまう!!誰かぁ!!」

ミセ#゚Д゚)リ「泥棒助ける人間がおる訳ないやろ!!観念しぃやこんのコソ泥が――!!」

(;  ∋ )「――なんだ!?どうしたんだ!?」

*(;‘‘)*「お待ちください旦那様…って、お嬢様!?何を!?」

甲高い声と情けない悲鳴に、また別の人たちの声が混じる。
必死に助けを求めて視線だけを動かすと、そこにはとても恰幅の良い男性と、瀟洒な洋服に身を包んだ女性がこちらに駆けよってくるのが見えた。

(; ゚∋゚)「ミセリ…!?お前、一体何をして――!?」

ミセ#゚―゚)リ「お父様!!泥棒よ泥棒!!こいつ、庭から入りこんできたのよ!!」

*(#;‘‘)*「ど、泥棒ですって!?お嬢様、すぐに離れて下さい!!消さなきゃ!!」

( ゚д゚ ;)「けけけ、消す!?嘘でしょ!?ち、違います違います!!あ、あの、僕は――」

ミセ#゚Д゚)リ「ホンマにやかましいやっちゃな!!お父様、すぐに警察を――!!」

(; ゚∋゚)「ん……?いや、ちょっと待て」

男性の方がゆっくりとこちらに近付く。
“ミセリ”と呼ばれた少女の暴行が止まり、品定めするかのようにじっと顔を見下ろされる。
なんだろう。まさか、本当に警察を呼ばれるのだろうか。
それは困る。もうめちゃくちゃに困る。
まだバイト先が潰れたくらいならギリギリ笑い話にも出来ようが、大学三年生を目前にして誤解で前科がつくなど流石に笑えない。

33 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:03:47 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「あの、あの、僕、本当に――!」

( ゚∋゚)「……河内ミルナ君、か?」

「え」と涙交じりの情けない嗚咽が漏れる。
自分の本名を呼ばれたことに数泊遅れて理解した僕は、慌てて首をぶんぶんと縦に振った。

( ゚∋゚)「なるほど、そうか…いやぁ、事前に履歴書を送ってもらっていて良かった。ミセリ、退いてあげてくれ」

ミセ#゚―゚)リ「は、はぁ!?どうしてですお父様、こいつは…!」

( ゚∋゚)「大丈夫だ…あまり興奮するな、体に障ったらどうするんだ」

ミセ#゚―゚)リ「……っ!!」

「履歴書の写真の同じ顔だ」と落ち着いた声が雨みたいにしっとりと響く。
彼の言葉に納得してくれたのか、少女は渋々ながらも自分の上から退いてくれた。

( ゚∋゚)「いやぁ、うちの娘がすまなかったな…ところで、どうして庭にいるんだ?正門からでも入れるようにしていた筈なんだが」

( ゚д゚ ;)「あ、あの…迷ってしまって、それで」

( ゚∋゚)「なるほど、確かに駅からは遠いしな…迎えを寄越すべきだった。重ねて申し訳ない」

( ゚д゚ ;)「い、いやいや!こちらこそ、遅刻した上に、その、本当にすいませんでした…!」

頭を下げる男性に、寧ろこちらが申し訳なくなりながら必死に弁明をする。
少額のバス代をけちり、挙句の果てには故意ではないながらも不法侵入までしてしまったのだ。
こちらが謝る理由はあれど、頭を下げられる謂れはない。

34 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:04:53 ID:fCDwqofo0

( ゚∋゚)「…しかし、いくら何でも品がないぞミセリ。いきなり大声で『泥棒がー!』などと」

ミセ;゚―゚)リ「……言ってません。空耳では?」

( ゚д゚ )「え、いや、思いっきり怒鳴ってましたけど」

ミセ#゚皿゚)リ「あぁ?」

( ゚д゚ ;)「ごめんなさい何でもないです……」

暗闇でも分かる眼光に慌てて顔ごと逸らす。
お金持ちの屋敷とは聞いていたが、もしかしたら真っ当な所ではないのだろうか。
完全にヤのつきそうな所のお嬢に見えるのだが、僕の気のせいなのだろうか。

35 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:06:11 ID:fCDwqofo0

( -д- ;)「そ、その…本当に申し訳ありませんでした」

( ゚д゚ ;)「面接は、その、後日また出直して…あぁいや、というか、もうダメですよね…」

( ゚∋゚)「ん?あぁいや、君さえよければ、今からでもしようと思っていたんだが」

全く予想していなかった返答に「へ?」と間抜けな声が漏れた。
使用人らしき女性は「嘘でしょ」みたいな顔をしているし、さっきまで僕をタコ殴りにしていた少女に至っては未だ般若のような顔をして僕を睨みつけている。
どうやらまだ全然警戒されているらしい。

( ゚д゚ ;)「そ、それは…いや、自分としてはありがたいのですが…」

( ゚∋゚)「そうか、それは良かった。じゃあ来てくれ、屋敷に案内しよう」

男性に促され、困惑しながらも彼の大きな背中についていく。
…これは、要するに助かったということでいいのだろうか。
慌てて男性と共に来たお手伝いさんらしき女性も、自分と同じように何も言わず男性の少し後ろを歩いている。

36 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:06:49 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )(…あれ、そういえば、さっきの女の子はどこに……)

ミセ* ー )リ「おい」

( ゚д゚ ;)「ひっ…!?」

ヴィオラを弾いていた子は何処にいったのか。
なんてことを考えているうちに、背中に何か鋭いものが突き立てられたかのような冷たい感触が走った。

( ゚д゚ ;)「あ、あの……?」

ミセ* ー )リ「…ちょっとでも変な動きしたら、刺すからね」

鋭く冷たい殺気がひしひしと背中から脊髄を伝って全身に流れる。
まだ暦は四月にもなっていないというのに、滝のような汗がぶわっと全身を伝う。

さっきまで僕が見ていたあの可憐な少女は、桜が見せた幻だったのだろうか。
ここに導いてくれたかのようなあの美しいヴィオラは、果たして本当にあったのだろうか。
案内に従ってゆっくりと歩を進めながら、地面に落ちている花弁を見てそんなことを思う。

37 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:07:37 ID:fCDwqofo0

ミセ# ー )リ「ちゃきちゃき歩けやボケが…」

( ゚д゚ ;)「はいっ!!」

どこぞの任侠を思わせるほどに低い声と弦にせっつかれて、呑気な考えをすぐさま捨てて前を歩く。
どうやら、僕が思っていたよりもずっと、いや、もしかしたら、今までの人生で経験したことがないくらいには。


僕が就こうとしているこのバイトは、相当に大変なものであるようだった。

38 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:08:59 ID:fCDwqofo0

*

( ゚д゚ )「〜〜♪」

鼻歌交じりの掃き掃除をしながら、窓の外の景色をちらと見る。
ここに来た頃に咲いていた薄桃色の花弁はすっかり若々しい緑へと変わり、ほのかな安らぎを感じさせてくれた春風は暖かさをより増して、爽やかなものへと変貌していた。

このバイトを始めて早三か月が経過し、旧暦で言えば文を踏んだ頃。
この街に来て、三度目の夏だ。時の流れとは真に早いものである。

39 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:10:07 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )(しかし…屋敷の広さにはちょっとまだ慣れないな)

箒から掃除機へと装備をチェンジし、丹念に床の埃を吸っていく。
仕事内容や気を付けるべきことなどはもう頭に入っているが、如何せんこの屋敷は広い。
正直、人手はいくらあっても足りない。あの日、とんでもないファーストインプレッションをかましてしまった筈の自分があっさり採用された理由も今なら分かるというものだ。

初めてこの屋敷に来た日は散々であった。
ほんの数百円のバス代をケチったせいで、お嬢様には泥棒扱いされた挙句にボコボコにされた始末。
もしあの時すぐに旦那様たちが来てくれてなければ、今頃どうなっていたのかは想像もしたくない。

あの後、旦那様による一対一の面接は恐ろしい程にアッサリと終わった。
「何曜日、何時から何時まで働けるのか」「力仕事は出来るか」「ハローさんの依頼内容と、こちらが頼む仕事が両立できるか」。
想定していた質問に淡々と答えていたら、「じゃあ採用で」と軽い口調で言われたのだ。こちらは大遅刻の上、不法侵入までかましたというのに。

戸惑いながら「他に必要なことは」と聞けば、少し考えた素振りを見せた旦那様は

( ゚∋゚)『…できれば、二ヶ月くらいは頑張ってくれ』

と、やたら感情が籠った声で呟くのみであった。

40 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:11:17 ID:fCDwqofo0

当初はその呟きの意味が全く分からなかったが、今では十分に理解している。
というか、この仕事を紹介してくれたハローさんも「できれば長期で頑張って欲しい」と言っていた。

これは先日、同じお手伝いのヘリカルさんに聞いた話なのだが、どうやら過去に何人も先任がいたらしい。
旦那様から任せられる仕事内容は自分と同じ。
”屋敷の掃除や庭の整備などの雑務”。また、給金や福利厚生も同じだったとのこと。
それなのに、その全員が一ヶ月と保たずに辞めていった。給料をいくら増やしても、皆がすぐに辞めていく。

最初はその現象に首を傾げていたが、二ヶ月も働いた今なら分かる。
その理由…というか、元凶は――。



ミセ#゚―゚)リ「――ちょっと!!さっきから五月蠅いんだけど!?」

一々言及するまでもないが、一応ここで触れておく。
元凶とは他でもない。
旦那様である”堂島クックル”の娘であり、堂島家の令嬢、”堂島ミセリ”。
この屋敷に住んでいる、正真正銘の”お嬢様”だ。

41 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:12:50 ID:fCDwqofo0

( -д- ;)「も、申し訳ありませんお嬢様、もう少しで終わりますので…」

ミセ#゚―゚)リ「掃除くらいさっさと終わらせなさいよ愚図!いつまで時間かけてんの!?」

掃除機のスイッチを止め、ペコペコと頭を下げる。
彼女に逆らったところで良いことなど本当に何一つないのである。
僕がこの二ヶ月で学んだ最も重要なことは、高そうな壺を割らないことでも、部屋の隅に埃を残さないことでもない。
ミセリお嬢様の激昂に、”謝る”以外の選択肢を採らないことだ。

ミセ#゚―゚)リ「あと5分で全部終わらせなさいよ!あと庭の掃除も!」

( ゚д゚ ;)「は、はい!すぐに!」

完全に姿が見えなくなるまで頭を下げ続け、足音が聞こえなくなった辺りで慎重に元の姿勢に戻る。
今日は随分と叱咤される時間が短かった、かなりラッキーな方だな。
そんなことを考えながら再び掃除機のスイッチを入れ、懸命に腕を動かした。

42 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:13:39 ID:fCDwqofo0

噂に聞くところによると、自分のような使用人を新たに雇い始めたのは、二ヶ月ほど前のことらしい。
そして、自分が採用されるまでの間、プロのハウスキーパーからフリーターまで色んな人材を雇ったが、その誰もが一ヶ月と待たず辞めていったとのこと。
この前、ただ勤務開始から二ヶ月が経ったという理由だけで旦那様から歓喜に溢れた謝辞を貰った。
自分の場合、他の人よりも辞められない理由が強いというだけなのだが。

( ゚д゚ )(……庭に逃げるか)

別に、いくらお嬢様に癇癪をぶつけられようとも辞める気はない。
かといって、僕は特に理由もない怒りや暴力を受けて喜びを感じるような異常性癖を持ち合わせている訳でもない。
お嬢様とはある程度仲良くならなければならないのだ。ここでまたすぐ屋敷内でお嬢様に怒られ、続けざまに彼女の心象を下げるのは自分のメンタル的にも良くないだろう。

床の掃除を手早く終わらせ、靴を履き替えようと使用人入り口へと歩く。
この前手入れできなかった部分に手が出せると思うと、不思議と心が軽くなったような気がした。

43 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:14:18 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「…この時期は伸びるのが早いな……」

外に出て、ささやかだが立派に咲いたエリンジウムを愛でる。
庭に咲く花の管理も、自分に割り振られた仕事だ。

元々は予定されていなかった業務だが、旦那様に「自分の実家は花屋だった」ということを世間話の時にさらりと告げると、その流れで一度、庭の草木や花を整えてはくれないかと頼まれたのが始まりだった。
堂島家の庭もまた、屋敷のそれと同程度に広い。
初めて大学のキャンバスに足を踏み入れた時も思ったが、京都というのは中心部を離れると緑豊かな広い土地が沢山ある。
都会よりも自然が好きな自分としては、非常に好ましい景観だ。

( ゚д゚ )(次はそうだな…これだけ広いんだし、あえて野道っぽく、菖蒲とかどうだろう)

いつの間にか、勝手に次に育てない花を考えている自分がいる。
昔から緑に触れるのは嫌いではなかったし、給料が増えるのは個人的にはありがたかった。
何より、創作意欲が湧きやすい。僕は昔から絵を描くことに行き詰まると、花や風景などの自然に触れるのがルーティンだった。

44 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:15:00 ID:fCDwqofo0

そういえば、今までの勤務でお嬢様に一番怒られたのはどういう理由だっただろうか。海馬に力を入れ、この三か月のことを想起する。
面接を受けた日の帰り、自己紹介をしたら「さっさと帰れ犯罪者予備軍」と呼ばれ中指を立てられたこと。
桜が散り始めた頃、「ミセリ様」と名前で呼んだら恐ろしい形相で大量の本を投げられたこと。
サンダーソニアの水を替えていた時、「お嬢様はどんな花が好きですか」と聞いたら無言で鼻を殴られたこと。

多分、一番怒られたのはヴィオラの演奏を褒めた時だ。
彼女の部屋の窓が開いていた時、感想を言いたくて部屋を訪れたことがある。
その時の怒りようは最早言葉では言い表せない。後日、音楽関係のことでお嬢様に関わるのは絶対のタブーだということを教えてくれたのは、先輩のヘリカルさんだった。

色々と挙げていけばキリがない。ひどいときにはただ挨拶をしただけで30分以上も説教をされたことだってある。
まぁ最近はそこまで酷いことはなくなってきたし、少しは使用人として認められてきたのだと思いたいのだが。

45 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:16:39 ID:fCDwqofo0

( -д- )(…なんというか、もうちょっと)

( ゚д゚ )(普通に仲良くなれないものかなぁ)

親密とまではいかないまでも、せめて普通に日常会話が出来る程度には仲良くなりたい。
ハローさんから頼まれた仕事というのもあるが、彼女と仲良くしたいというのは紛れもない自分の本心だ。
正直、その理由に業務は関係ない。ましてや、お嬢様自身の容姿や性格すら微塵も関連がない。

目を瞑った時。風が吹いた時。見上げた空に月が浮かんでいた時。本当になんでもない、ふとした時。
途端に、鼓膜があの時のヴィオラを欲するのだ。
もう一度、今度はもっと近くでじっくり聞きたい。あの人が奏でるヴィオラの音色が、僕の心を掴んだまま離さない。

僕はずっと、あの春の夜に囚われ続けている。
心臓に杭を打たれたような、そんな感覚がいつまでも余韻のように残っていた。

46 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:18:47 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「――ちょっと、何ボーっとしてるのよ木偶の坊」

( ゚д゚ ;)「うおっ!?」

いきなり背中を蹴られ、転ばないようにぐっと足に力を入れて踏みとどまる。
慌てて後ろを振り向くと、そこにはいつもと同じように不機嫌そうな顔をしたお嬢様が立っていた。

ミセ*゚ー゚)リ「あんたがボーっとしてる時間にも給料ってのは発生してるの知らないのかしら?それともよっぽどクビになりたい?」

( ゚д゚ ;)「も、申し訳ありません!」

「考え事をしていた」なんて余計なことを口にせず、低頭の姿勢に徹する。
仕事の手を止めていたのは紛れもない事実だ。今回ばかりはさすがに非はこちらにある。

47 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:19:30 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「……それで、その、お嬢様、どうされましたか?」

ミセ*゚ー゚)リ「は?」

( ゚д゚ )「あぁいやその…最近、よくお嬢様を庭で見かけるものですから」

( ゚д゚ )「何か、庭にご用事でもおありかと」

彼女の機嫌を極力損ねないように配慮しながら問いかける。
ここ最近の一週間くらい、彼女を庭や廊下で見かけることが多かったから、一度聞いてみようと思っていたのだ。

お嬢様の身体は弱い。それを教えてくれたのはハローさんだった。
面接の後に旦那様や他の使用人の先輩方にもよく言われた。「とてもそうは思えないかもしれないが、お嬢様は病弱な身の上なのだ」とも。
詳しい容態などは知らないが、事実、彼女は屋敷の外に出ている様子はない。
一ヶ月に一度だけ出かける日があるが、どうやらそれも病院での定期健診のためらしいのだ。

事実、彼女は一日の殆どを自室で過ごされている。
時おり気分転換に庭や廊下を歩くことはあるが、基本的に自室で本を読んだり、本当に偶に楽器を演奏したりして日々を過ごされている。

以前、只の趣味とは思えないレベルのピアノ演奏を聞いたことがある。
それも使用人たちから話を聞くに、お嬢様の演奏だったらしい。
彼女はヴィオラ奏者ではなかったのか、本当はピアニストなのか。
少なくとも、とんでもない音楽の才能を有していることだけは疑いようがなかった。

48 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:21:59 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「…は?あんたに関係ないでしょ」

にべもなく、ささやかな親切心は木の枝のように容易く折られた。
本当に大した用事はなかったのか、彼女は僕を軽く一瞥して辺りをぐるっと見渡すと、すぐさま興味を失ったように踵を返した。

( ゚д゚ ;)「お、お嬢様!」

ミセ*゚ー゚)リ「……なに」

( ゚д゚ ;)「そ、その…何か、困ってらっしゃることとか、ありませんか?」

もう少し何か話したい。そう思ったと同時に、無意識に言葉が飛び出ていた。
呼びかけに、お嬢様の足が止まった。

( ゚д゚ ;)「あの、何か欲しいものがあるとか!自分、何でもしますよ!」

( ゚д゚ ;)「最近、仕事にも慣れてきたんです!もし他にして欲しいことがあれば…」

ミセ* ― )リ「――さい」

( ゚д゚ )「…え?」


ミセ# Д )リ「……うるさいって、言ったのよ!!」

49 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:23:31 ID:fCDwqofo0

夏風に育ちかけた陽気が、一気に冷え込んだような、そんな裂帛だった。

お嬢様はこちらを振り向いていない。けれども、その怒気がこちらに向いているのは分かる。
不味い。間違えた。間違いなく僕はとんでもない間違いをした。

早く何か弁明を。と思ったがもう遅い。
僕がなにか謝罪の言葉を思いつくよりも、彼女の怒気が形になる方がずっと速かった。

ミセ# ー )リ「何でもする!?はぁ!?誰がいつ、アンタにそんなこと頼んだの!?」

ミセ# ー )リ「欲しいものなんて、…もう、全部、全部”持ってた”わよ!!」

ミセ# Д )リ「なんでっ…なんでアンタなんかに、この私が、同情されないといけないの!?」

( ゚д゚ ;)「い…いや、その……」

初めて会った時とは違って、今は昼だ。
だというのに、彼女の顔は全く見えない。
後ろ向きだから。自分の方を見ていないから。そんな理由じゃない。
黒塗りされた戦時の教科書みたいに、顔の部分だけが怒りというインクでドス黒く塗られたように。
まるで、例えるなら。

ありとあらゆる色を混ぜれば、最終的に黒になってしまうような。

50 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:24:27 ID:fCDwqofo0

ミセ# ー )リ「……………」

ミセ# ー )リ「……………疲れた」

小さくボソリと呟いた彼女は、電池が切れかけの人形みたいにフラフラと歩きはじめる。

( ゚д゚ ;)「あっ、あの……!」

届きもしないというのは分かっているのに手が伸びる。
何か言わなければ。怒らせるつもりはなかったのだと、伝えなければならないのに。

伸ばした手が空を切る。
大したものも描けず、何もかもを妥協で握ってきた掌がダラリと落ちる。


お嬢様の華奢な背中が見えなくなるまで、僕はただ、じっと立っていただけだった。

51 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:25:48 ID:fCDwqofo0

*


夏の京都は熱い。物見遊山で京都に住むことを選んだ人間が、口をそろえて言う格言だ。
鴨川や宇治川などの蓋かな水場を有していながらも、盆地という地形がうだるような湿気と熱気を際限なく生み出しては人間を茹でていく。
雅と称されがちな京都も、蓋を開けてみればこんなものだ。少なくとも、素面で風雅とも興趣とも言い難い。
だが、そんな熱さも夜になれば幾分マシであった。

( ゚д゚ )「………」

あの日と違い、今日は満月じゃない。
すでに時刻は日を跨ごうとしている。そして、ここは庭の隅。屋敷の明かりも十全には届かない。
とても視界が良いとは言えない夜の暗闇の中でも、その花は、線香花火のような不思議な存在感を放っていた。

彼岸花であった。
それも、思わず手に取ってしまいたくなるほどに立派に咲いている。
どちらかと言うと晩夏から秋にかけての花というイメージが強いだろうが、京都のような特段熱気がある地域では、7月の終わりや8月の頭頃から見れることも珍しくない。

52 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:27:04 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「………」

そんな季節外れの大輪を前に、僕はただ切り株に腰を落ち着け、一心不乱に筆を動かしていた。

鼻腔を満たす絵の具の匂いに高揚しながら、指の動きだけは極めて精緻に、乱れることのないよう細心の注意を払って描いていく。
昔から絵を描くことが好きだった。

特に好きなのは、花や風景といった自然の模写だ。
道端に咲く名前を知らない花。帰り道の夕焼け。何気なく見上げた青空。
積もった雪。太陽の光を反射する水溜まり。雨に濡れた公園。夜の街を照らす月明かり。
僕は昔からそういう、他の人がいつもは無視するような、それでいてふとした時に気が付くような、そんな景色が好きなのだ。

だが、世間はどうやら、僕の感性とは少し違ったらしい。
幼少の頃は褒められた絵も、年を重ねるにつれ、世界は指を差すようになった。
いや、それならまだよかった。実際は、見向きもしてくれなくなったのだ。

ただ花やそこにある景色を描いたところで人の心は動かない。
そもそもただ風景を描くなら、伝えるという意味でも残すという意味でも、写真の方がよっぽどいい。
そんなことは分かっている。自分如きの腕では、自分が得た筈の感動を上手く出力できない。

53 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:27:48 ID:fCDwqofo0

「お前が必死に作っているのは、ただの写真の劣化品だ」
そんなことを言われたのはいつの頃だっただろう。

( ゚д゚ )「………」

確かな感動と、衝動と、蟠り。
共存できる訳もない感情を胸の奥に抱えながら、ただ心のままに筆を動かす。
この絵だって、別に何か特別な意味を持つ訳じゃない。
夏休みの大学の課題でもない。なにかのコンペに提出する訳でもない。もちろん、一円だってお金にならない。

それでも、描きたいと思わせる何かがあった。
特にこの数ヶ月、絵を描きたいという衝動が湧いて湧いて仕方がないのだ。

( ゚д゚ )「………」

少しでも「良い」と思ったものは、片っ端から描いた。
大学の近くに住み着いた猫も、この庭に咲いていた向日葵も。
それでもどうにも乾かない。最初は新たな環境に刺激されて創作意欲が湧いているのかとも思ったが、どうにも違う気がする。

54 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:28:41 ID:fCDwqofo0

( -д- )「……………はぁ」

思考が明確なノイズになったことを自覚して、手を止めた。
もう少しで完成という所で終わった絵を一度俯瞰する。
悪くない。だが、良くもない。
仮に僕が個展でこの絵を見て、買わなきゃいけないと思ったとして、一体いくらの値をつけるだろうか。

ふと、乾いた笑みが漏れた。
一体いつから僕は愛していた芸術を金銭で評価するような浅ましい人間になったのか。
そういう人間にはなりたくないと、ならないと、誓って絵を描いていた筈なのに。

まぁ、特段大した話ではない。僕も所詮、”凡人“だったというだけだ。
生まれながらの才能もない。かと言って、その限界を破れるほどの研鑽を詰めるほどの怪物にだって成れやしない。
今までだってそうだ。僕はずっと、”妥協”で人生を決めてきた。
行きたかった国立や市立の芸大に落ち、金銭を理由に筆やキャンバスを選び、現実を理由に理想に背を向けて、運命を理由に人生のゴールを決めた。

きっと、人生最後の日まで、僕はずっとこうなのだろう。

( ゚д゚ )「……ん?」

ふと、草木を踏む足音が聞こえたような気がした。
こんな時間だ。住み込みの使用人たちは流石に屋敷にいるだろうし、旦那様は今海外に出張中である。それに何より、庭の隅であるここまでわざわざ来る人がいるとは思えない。
少し不安になりながら後ろを見る。

鹿の先の暗がりで、シロツメクサのようにサラサラと揺れる髪が見えた。

55 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:31:03 ID:fCDwqofo0

ミセ;゚―゚)リ「……えっ!ア、アンタ…なんで……?」

( ゚д゚ ;)「…お嬢様!?」

予想もしていなかった珍客に慌てて立ち上がる。
一体どうして、それもこんな時間に一人で。
彼女がこんな夜遅くに出歩くことなど、今までなかった筈なのに。

( ゚д゚ ;)「こ、こんばんは……あの、こんな所でなにを…?」

ミセ; ー )リ「…っ!な、なんでもないわ」

こちらの姿を認識するやいなや、こちらに背を向けて立ち去ろうとする。
不味い、このままではまた話が出来ないまま終わってしまう。

前回、不躾な発言をしてお嬢様を怒らせてから、ちょうど一ヶ月が経っていた。
あれからは些細な発言一つすら出来ず、挙句には彼女がこちらの存在を認識すれば露骨な舌打ちと共に避けられる毎日だった。
旦那様や同僚たちのフォローがなければ、流石に辞めていたことだろう。

このままではいつお嬢様から直接クビを言い渡されるか分からない。
もしかしたら、今が彼女と真面に話す最後のチャンスかもしれない。

「待ってください」という言葉と共に、僕は慌てて作業服のポケットに手を伸ばした。

56 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:33:35 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「こ、これ……!お嬢様の、ですよね!?」

ミセ;゚―゚)リ「……!そ、それ……!!」

ポケットから出した僕の手に握られていたのは、鮮やかな青色のハンカチだった。

ハンカチを視認したお嬢様は、まるでひったくりのようなスピードで僕が持っていたそれを奪い取る。
暗い夜空の下ではあるが、最近僕が導入した最低限の道灯りもあって、周囲の環境くらいは伺い知れるようになっている。
お嬢様は念入りにハンカチを見た後、今まで一度も見たことのないような安堵の表情を浮かべた。

ミセ;゚―゚)リ「…アンタ、これ、どこで……?」

( ゚д゚ )「庭に落ちてました。…落ちてたっていうか、木の枝に引っかかってるのを、ちょうど今日見つけて……」

( ゚д゚ )「…お嬢様、最近よく庭にいらっしゃいましたよね?そのご様子が散歩というよりかは、何かを探しているような素振りでしたので…」

「ハンカチが探し物かどうかまでは勘でしたが」と付け加える。
最初から、少し不思議には思っていたのだ。

お嬢様はああ見えて本当に病弱だ。どういった病気かは知らないが、屋敷の影で辛そうに肩で息をしているのを数回見かけたことがある。
そんな彼女が無暗に自室を出て歩き回るなど、それこそ物を失くしたとか、何か特殊な理由があるのではないかと思ったのだ。

そこからは推察の連続だ。
彼女は偶に、自室のベランダで夜風を浴びていることがある。
そこで本を読んだり、ヴィオラを弾いたり、ただ何もせず呆けていたりと様々だったが、偶にそういったことをしているのは夜の庭を掃除している時に知っていた。

57 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:35:23 ID:fCDwqofo0

ミセ;゚―゚)リ「…いつから、気付いてたの?」

( ゚д゚ )「……お恥ずかしい話、先月くらいですかね」

( -д- ;)「見つけ出すのが遅くなってしまい、本当に申し訳ありません」

もし、あのベランダから何かを落としたとするのなら。
それが見つからないということは、うっかり落としてしまうほどのサイズで、風に吹かれてどこに落ちたのか分からなくなるような軽いもの。
あとは力技だ。この一ヶ月近く、庭の絵を描くついでに色々と探して回っていた。
そしてようやくそれらしきハンカチを見つけられたのが、今日だったという訳である。

ミセ*゚ー゚)リ「……」

( ゚д゚ )「やっぱり、ずっと探されてたのですね。見つけられて良かったです」

( ゚д゚ )「大事なハンカチなんですか?」

ミセ* ー )リ「……………姉から、貰ったの」

ギリギリ聞こえるか聞こえないかの声量でも、罵声以外の返答が来たのは初めてだった。

58 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:37:13 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「いやぁ、さっきはここで何をなされに来たのかと思いましたが…屋敷に戻りましょう。夏とはいえ、夜は冷えますから――」

ミセ* ー )リ「アンタは」

( ゚д゚ )「え?」

ミセ* ― )リ「……アンタは、何してたのよ。こんな時間まで」

( ゚д゚ ;)「…い、一応、花の手入れを。庭の景観の整備も、旦那様から任されるようになりまして」

( ゚д゚ )「自分、実家が花屋やってたんですよ。それを買われてというか…」

ミセ*゚ー゚)リ「…本当に、それだけ?」

「花の手入れと、ハンカチ探しだけしてたんじゃないでしょう」という続け言葉に、僕はポリポリと頬をかく。
まぁ、別に特段悪いことをしていた訳ではないし、恥ずかしいことをしていた訳でもない。

特に隠す必要もないなと思った僕は、さっきまで描いていた絵を軽く手で促した。

59 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:40:46 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「……花の、絵?」

キャンバスの上に描かれた彼岸花の絵を、お嬢様はまじまじと見つめた。

ミセ*゚ー゚)リ「……あんた、美大生かなんかだったの?」

絵から目を離すことなく、質問の声だけがこちらに向けられる。
この屋敷で働き始めて四ヶ月と少し。それだけの期間、一度たりとも聞いたことのなかった柔和な声が、どことなくむず痒く感じた。

( ゚д゚ ;)「えっと…一応、初対面の時に自己紹介はした筈ですが」

ミセ*゚ー゚)リ「そんなもん一々聞いちゃいないわよ」

ミセ* ー )リ「最近雇った奴らはどいつもこいつもすぐに辞めるし…特にアンタはいきなり泥棒まがいなことかましてきたし」

( ゚д゚ ;)「そ、その節はどうも……」

油断していたところにいつものストレートが投げられる。
鳩尾に拳を入れられたような痛みを心に感じながら、再び僕は頭を下げた。
…が、そんな最中でも、お嬢様は一向にこちらを見ようとしない。

彼女はずっと、僕が描いた絵を見つめていた。

60 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:41:32 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「お嬢様…?あの、その絵が、なにか…?」

ミセ*゚ー゚)リ「悪くない」

( ゚д゚ )「……え」

簡潔な、だからこそ、すっと胸に染み入る言葉だった。

ミセ*゚ー゚)リ「すこし稚拙にも見えるけど、悪くないんじゃない?」

ミセ*゚ー゚)リ「…まぁ、音楽と違って、絵についての大した見分はないけれど」

( ゚д゚ )「………」

彼女の表情に照れはない。
焦りもない。笑みも、焦燥も、動揺も。
だからこそ確信できた。今、彼女が呟いた感想に、世辞も、過度の称賛も、嘲りも含まれていない。
そこにあったのは、純粋な”評価”であり、”批評”だった。

彼女にとって、僕は別に特別な存在ではない。それどころか、どちらかと言えば目障りで、気に食わない人間だろう。
そんな彼女が「悪くない」と言った。僕が描いた絵を、僕が描きたいような描いた花の絵を。

61 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:42:43 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「というか、うちにこんな花あったのね。ねぇ、これってなんて花なの?」

( ゚д゚ ;)「…へ?あ、あぁ、えっと、それは彼岸花で……」

――心の渇きがほんの一瞬、潤った気がした。

不思議な高揚感を覚えたまま、僕は彼岸花の説明を口にする。
そして、いつもなら僕のやることなすことに怒鳴りつけてきたお嬢様は、何故か今回は黙って素直に話を聞いてくれていた。

彼岸花の説明から少し離れて、絵の解説をする。
使っている絵の具、キャンバスの性質、あえて緻密に描いた部分と、わざとぼかした背景に至るまで。
「絵については詳しくない」。そう先ほど発言したお嬢様は、僕の説明を鬱陶しがることなくじっと聞いていた。
なんだろうか。言葉にしづらいが、確かな満足感があった。

もうすっかり日は落ちきり、きっともう日付は変わっている。
そんな時間なのに、まるで、ただのクラスメイトみたいに僕らは話しこんでいた。
最近庭に埋めた花、旦那様や使用人たちの話、お嬢様のハンカチの話。

( ゚д゚ )「それで、僕は気分転換に、ダリアを持って行ったんです。そしたら旦那様は花瓶を指差して、”何だそれは、スズランか?”って、大真面目な顔で…」

ミセ* ー )リ「ふ、ふふ…!ちょっと、それ、お父様の真似?」

( ゚д゚ )「え、似てないですか?」

ミセ*^ー^)リ「ぜーんぜん。バレたら減給ものね」

静かな夏の夜に、火花みたいな笑い声が二つ弾けた。
そこでふと、僕は今更なことに気が付いた。

62 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:43:42 ID:fCDwqofo0

ミセ*^ワ^)リ

お嬢様の笑顔を見るのは、初めてだった。

( ゚д゚ )「………」

ミセ*゚ー゚)リ「…?なによ、人の顔をジロジロと。不敬ね」

( ゚д゚ ;)「あっ、す、すいません……」

謝罪の言葉と共に誤魔化し、なんとか表情を取り繕う。
まただ。今、また不思議と心が満たされたような気がした。
けれど、この感覚自体は初めてじゃない。
さっきのと今の。あと一回は、最初にこの感情を抱いたのは、いつだっただろうか。

63 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:44:12 ID:fCDwqofo0

記憶を巡る。すると、瞬きをするまでもなく欲しい記憶は探し当たった。
初めて、ここに迷い込んだ時だ。

桜の木の下、泣きたくなるほどに眩く輝いていた月光の下。
一人の少女が奏でていた、ヴィオラの音。

( ゚д゚ )(……あぁ、そうか)

探し物をしていたのは、お嬢様だけではなかった。
自分もだ。それも自分は一ヶ月どころか、四ヶ月以上もずっと、探し物をしていた。
やっと見つけた。やっと分かった。僕はただ、聴きたいと思っていただけではなかった。それだけでは満たされなかった。
僕がずっと探していたのは。焦がれていたのは。美しいと思ったのは。

ずっとずっと、描きたいと思っていたものは。

64 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:45:06 ID:fCDwqofo0


ミセ*゚ー゚)リ


ここにあった。あの日だった。
僕をここまで導いてくれた、あの音色。
この可憐な少女が、春の夜に奏でていたクラシック。

ただ聴きたいのではなかった。お嬢様と仲良くなりたい訳でもなかった。
そんなことでは到底、全く足りなかった。


僕はずっと、あのヴィオラを絵にしたかったのだ。

65 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:47:23 ID:fCDwqofo0

*

一際深い呼吸をすると、自然の豊かな香りが鼻を擽った。

庭の木々は完全な緑ではなくなり、すでに紅葉と化しているのもちらほらと伺える。
昼間の今はそれほどだが、朝は霞がかかっていたり、吐いた息が白くなることも稀にあった。

京都というのは、実に飽きない街である。
春は鴨川に咲き並ぶ桜から、野道に溢れる色とりどりの花がその可憐な顔を一斉に出す。
桜が散った後に咲く山吹や連翹も、その陽気な空気に相応しい。

夏もまた確かに異様な暑さがあるが、青々と生い茂る木々に煌めきには目を見張るものがある。
道端に咲いた菖蒲など、人の手が入っていないからこその美しさ。文字通りの自然の良さというものが味わえるのも好ましい。

そして、この仕事を始めてから半年、10月に入った秋の今。
彩りという面で言えば確かに今までの春夏には劣るだろうが、それはあくまでも人間の基本的な行動範囲に限った話。
自分が通う美大や屋敷までの道は、ところどころに秋桜の小さな畑がちらほらとあった。
それに、もう少し待てば木々は赤く染まり、語りでは足りないほどの美しい紅葉となる。
これほど変化に富み、変化を楽しめる地は四季に恵まれたこの国でも僅かだろう。

66 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:48:18 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「……あ」

途中で仕事の手を止めたのは、秋の香りに勤労の意欲を削がれたからではない。
視線の先、屋敷の二回の端。
ベランダから、お嬢様の姿が見えたからだ。

ミセ*゚ー゚)リ

( ゚д゚ )(……何してるのかな)

ミセ*゚ー゚)リ「…?」

( ゚д゚ )「あ」

目が合った。
すると。

ミセ#゚皿゚)リ

「勝手に見んじゃねぇ」とでも言いたげな目で睨まれたかと思えば、バタンと窓が閉じられる音と共にお嬢様は部屋に戻ってしまった。
まぁ、ゴミを見るかのような一瞥しかくれなかった夏頃と比べれば、充分な進歩だろう。

67 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:49:25 ID:fCDwqofo0

最近、妙に自分への評価が高いということに気付いたのは数日前のことだった。
特に、自分の先輩にあたりお嬢様からの信頼もあるヘリカルさんや、仕事で屋敷を空けがちな旦那様からの称賛が最近やけに多い。

*(‘‘)*『ミルナ君が来てから、お嬢様は随分と楽しそうなのですよね。バイトと言わず、いっそここに就職しません?』

( ゚∋゚)『まさかこんなに長く働いてくれる上に、ミセリに気に入られるとは思わなかった。…もし就活に困ったりしたらすぐに言いなさい。君ならいつでも好待遇で迎えるよ』

なんだか自分の進路がじわじわと狭まっている感じがしなくもないが、まぁ、評価されることに悪い気はしない。
それにしても、まさかたった半年続けただけでこんなに称賛されるとは思わなかった。

先任たちがどうして長続きしなかったのか。というかそもそも、お嬢様はどうしてあんなに人に当たるのか。
その理由は、どうも彼女の”病気”にあるようだった。

68 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:50:44 ID:fCDwqofo0

『”堂島ミセリ”は、非常に有望なヴァイオリニストだった』
このバイトを受けてから、僕が初めて知った事実。

僕はあくまでも絵描きだ。
音楽に関する技術や教養はほぼ持ち合わせていないし、積極的にクラシック音楽を聴きに行くなどといった雅な趣味もない。
だが、音楽の世界では寧ろ、彼女の名前を知らない者はいないとまで言われているとのこと。
実際、大学の友人たちにそれとなく聞いてみたら、ほとんどの人がお嬢様のことを知っていた。
どうやら相当に有名な人物だったようで、ただ僕が世間知らずだっただけらしい。

そんな彼女の演奏を、未来を、突然の病が奪っていった。
旦那様たち曰く、「病気になってから変わってしまった」と。
元々強気な子ではあったが、あんなに人を攻撃するような子ではなかったと。
凡人の僕では予想もつかないが、きっと彼女には想像を絶する苦悩があったのだろう。

だが、最近は随分と話しやすくなった。あくまで最初の頃と比べればの話だが。
とんでもない無茶ぶりや癇癪をぶつけられる数も減ったし、偶にはポツリと自分の話をしてくれることもある。
何より、ヴィオラを弾く日が少し増えた。僕はもう、それだけで物凄く嬉しかった。

69 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:52:20 ID:fCDwqofo0

庭に落ちていた紅葉一歩手前の葉の処分を終わらせる。
秋の匂いを吸うと共に、良い街に移り住んだものだと呑気なことを考えながら、僕は鼻歌交じりに掃除を終わらせて屋敷の中へと戻った。

もうすっかり、この屋敷のことは庭も含めて知り尽くしている。
何処に誰の部屋があるのか。掃除にどれだけの時間がかかるのか。どの備品がどこにあるのか。
今ならきっと、停電になったとしても灯りなしでどこでも歩けるだろう。

( ゚д゚ )(…あ、今いらっしゃるならちょうどいいか)

作業服のポケットをまさぐり、目当ての物がちゃんと入っているかを確認する。
数日前、本を読んでいたお嬢様からいきなり投げられた無茶ぶりの一つ。

階段を上がって奥の部屋。他の部屋よりも一層大きなアンティーク調の扉を三回ノックする。
「お嬢様」と声をかけるも返事はない。とは言っても、入ってはいけないということではない。
入っていけないのなら物がドアに投げつけられて鈍い音が鳴るか、とんでもない怒鳴り声か、もしくはその両方が襲い掛かってくる。
それがないということは、入っていいというサインなのである。

70 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:53:44 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「失礼しますー……」

かと言って、絶対百パー大事という訳じゃない。
部屋に入っていきなり物が飛んできて顔面骨折なんて事態は流石に避けたいので、ゆっくり扉を開いて顔を出す。
すると、部屋の奥では椅子に腰かけ、ヴァイオリンを青い布のような何かで拭いているお嬢様の姿があった。
丸いテーブルの上には高剛性のカーボンケースが置いてある。おそらく、彼女が今手入れをしているのは自分では一生かかっても買えない値段の楽器なのだろう。

ミセ*゚ー゚)リ「なによ、職員室に入る時の学生みたいにオドオドしちゃって。気分悪いわね」

( ゚д゚ ;)「い、いえ、そんなことは……」

ミセ*゚ー゚)リ「まぁいいわ。入っていいわよ、絵描き」

じとりとした睨みを伴う追及は苦笑いで誤魔化す。
雇用先の令嬢と只の使用人という上下関係があるとは言え、年がほぼ変わらないであろう女の子に詰められるというのは中々心に来るものがある。

そして補足だが、”絵描き”とは僕のことである。
数か月前の夏頃、お嬢様が失くしたハンカチを見つけたことをきっかけにある程度は話してくれるようになったのだが、一向に彼女は僕のことを名前で呼ぼうとはしてくれなかった。
というよりも、もしかしたら本当に彼女はまだ僕の名前を覚えてないのかもしれない。
心中でうだうだ言ったところで、それを指摘する勇気もつもりもないのだが。

71 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:54:52 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「で、何の用?」

( ゚д゚ )「えっと、お渡ししたいものがありまして」

ポケットにずっと忍ばせていたものを取り出し、お嬢様に近づいて手渡す。
決して高価なものではないが、以前、お嬢様に頼まれて作ったもの。
押し花で作った、本を読む時用の栞であった。

ミセ*゚ー゚)リ「…なによ、もう作ってきたの?」

( ゚д゚ )「お嬢様からのお願いでしたから」

ヴァイオリンを置いたお嬢様は片手で栞を受け取り、まじまじと見る。
眉間のシワが取れ、目を丸くしながら栞を見る彼女は年相応の少女にしか見えない。
寧ろこれが普通の姿なのだろうが、いつも怒っているお嬢様しか基本的に見ない自分にとってはとても新鮮な姿に思えた。

72 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:56:20 ID:fCDwqofo0

o川*゚ー゚)o「………綺麗」

ミセ*゚ワ゚)リ「…絵描きのくせに、中々センス良いじゃない。これ、何の花?」

( ゚д゚ )「ビオラです。一応通年の花なのですが、ちょうど今の10月くらいからは特に綺麗でして」

( ゚д゚ )「お嬢様がお持ちのハンカチに合わせて、青なら気に入っていただけるかな、と」

夏の澄み切った空を彷彿とさせるような、青いビオラがラミネート加工された栞。
一週間ほど前、読書をしていたお嬢様が本を落とし、「どこまで読んだか分からなくなった」と八つ当たりされた時に咄嗟に自ら申し出た仕事。
「花で栞を作るから、それを読書に用いてはどうか」と。

その綺麗な見た目とは裏腹に、作り方はさほど難しくはない。
乾燥マットや和紙を用いて好きな花を押し花にした後、ラミネートフィルムや型紙に花を置き、またフィルムをかぶせる。
最後に好みの加工をして、栞の形にカットすれば完成だ。

お嬢様は受け取った栞を見つめながら、窓から射し込む光に透かせたりしてその質を確認しているようだった。
数回ほどそのような仕草をした後、どうやら満足のいく出来だったのか。
心なしか、彼女の口角が少し上がっているように見えた。

73 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 01:57:55 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「…うん、まぁ、悪くはないわね」

( -д- )「ありがとうございます」

「悪くはない」。それは、お嬢様から出る評価の中でも最上級のものだ。
頭を恭しく下げながら、僕は彼女から見えない位置でぐっと拳を握る。
絵ではないが、自分の作った物が人に喜ばれるというものはやはり嬉しい。

( ゚д゚ )「…ところで、その、お嬢様は先ほどから一体何を…?」

ゆっくりと頭部を持ち上げ、恐る恐るといった様子で質問の意を発してみる。
お嬢様は栞から机の上のヴァイオリンに目を移し、「あぁ、これか」といった様子で渋い茶の光沢を放つそれを両手で持ち上げた。

ミセ*゚ー゚)リ「別に、クリーニングしてただけよ。最近サボってたし」

( ゚д゚ )「へぇ…なんだか、高そうな楽器ですね」

ミセ*゚ー゚)リ「そうかしら?精々、500万くらいじゃない?」

“500万”という値段に、一瞬頭がショートする。
食費や家賃どころか、僕の大学生活全部をギリギリ賄えてしまうくらいの莫大な金額。
さっきまで「少し高そうだな」と思っていただけの楽器が、一瞬でとんでもない宝石に化けたのではないかと思うくらい眩しく見えた。

74 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:01:34 ID:fCDwqofo0

ミセ;゚―゚)リ「…なに変な顔してるのよ。チチリアティなんだから大体そんな値段でしょ」

ミセ*゚ー゚)リ「……まさか、なんか勝手に期待してたんじゃないでしょうね?”堂島ミセリ”が使うヴァイオリンなんだから、ガルネリとか、本物のストラディバリウスに違いないとか…」

( ゚д゚ ;)「ち、違います違います!その、自分の想定よりずっと高かったから…!」

ミセ*゚ー゚)リ「はぁ?…練習用のヴァイオリンなんて、このくらいでしょ」

お嬢様の表情にさっと影が差し、慌てて弁解の言葉を述べる。
別にがっかりしたとかじゃない。というかそもそもヴァイオリンの値段の知識なんてこれっぽっちも有していない。
ただ、あまり聞いたことのない言葉が並び、もう僕の脳は爆発寸前にまで追い込まれただけだ。

ミセ*゚ー゚)リ「……そうだ」

にまりと笑ったお嬢様は何を思いついたのか、ケースから弓を取り出してこちらを見た。

ミセ*゚ー゚)リ「栞、業腹だけど中々良かったからね。なにか弾いてあげましょうか」

ミセ*゚ー゚)リ「”堂島ミセリ”のソロ、あんたみたいな只の絵描きには勿体ないくらいだけど、どうする?」

ヴァイオリンを構え、揶揄うような笑みを携えて弓を弦に当てている。
まだ音はなっていない。演奏どころか、あの提琴から発せられた振動は一切ない。
なのにもう、ただ彼女がヴァイオリンを構えただけで、この部屋の空気が一気に入れ替わったような言い知れぬ迫力があった。

75 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:02:39 ID:fCDwqofo0

あぁ、本当に彼女は凄い人なのだ。
この屋敷で働いている時、気まぐれに遠くから聞こえてくる音色を思い出す。
音楽の素養なんて毛ほどもない僕でも、思わず手を、いや、呼吸すら止めてしまうほどに人の心を奪う演奏。
こうしていざ楽器を構える本人と相対すると、よりそれが色濃く感じられた。

屋敷の人たちからお嬢様の話を聞いて、気まぐれに自分でも彼女のことを調べたことがある。
“堂島ミセリ”。東京にある、日本で唯一の国立総合芸術大学に現役で合格し、数多のコンクールに出場。
数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの実績を残した、「二十代で最も有名なヴァイオリニスト」。
彼女の演奏を、それもソロなんて、本来ならどれだけの金を出したところで聞ける代物じゃない。
それこそ、僕みたいな何の才能もコネもない美大生なんかでは、一生かけても聴けないほどの。

その価値は十二分に理解している。
これほどお嬢様が上機嫌なのも珍しい。きっと、今この時を逃せば、彼女のソロ演奏を堂々と聞ける日なんて二度とこない。
初めてここに来た日のことを思い出す。
月光よりも、春の陽気な夜風よりも、何よりも魅力的に思えた彼女の音色。

ミセ*゚ー゚)リ「ほら、リクエストがあるなら早くしなさい?パガニーニ?ラフマニノフ?私の機嫌が変わる前に……」

( ゚д゚ )「―――いや、いいです」

それを断るなんて阿呆は、きっと世界でも僕くらいだろう。

76 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:04:28 ID:fCDwqofo0

ミセ;゚―゚)リ「………は?」

混じり気なしの純粋な疑問符がお嬢様の口から漏れた。
きっと彼女は、僕が断るだなんて思ってもいなかったのだろう。
「是非」と答えた僕をどう料理してやろうか、そんなことを考えていたのではないだろうか。
だからこそ、今の彼女の声には何の怒りも混じってはいなかった。

( ゚д゚ )「…だって、それ、ヴァイオリンですよね?」

指を差そうとも思ったが無礼かと考え直し、視線だけで彼女が持つ楽器を示す。
思わず見とれてしまいそうになる程深い茶色の光沢が、琥珀のような妖しい美しさを携えている。
その美しさはよく分かる。あのヴァイオリンから奏でられる彼女の演奏は、まさに至上というに相応しい音色を持って僕の鼓膜を震わせるに違いない。

ミセ#゚―゚)リ「な、なに…?私のヴァイオリン、聴きたくないっていうの?」

( ゚д゚ ;)「い、いえ!違います違います!」

慌てて否定の言葉を述べる。別に、聴きたくない訳ではない。それは本当だ。
ただ、僕は今の彼女の演奏を”聴きたい”とは思わなかった。
何故なら、僕はもう知ってしまっている。

77 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:05:06 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「お嬢様の演奏はきっと、ヴァイオリンでも素晴らしいものなのでしょう。いや、きっとそれがピアノやチェロでも、僕なんかには勿体ないくらい綺麗なんだと思います」

( д )「…でも」

( ゚д゚ )「……僕は、ヴァイオリンじゃなくて、ヴィオラが良いんですよ」

ミセ*゚ー゚)リ「……え」

失礼なことを言っている自覚はある。
言い加えた上で、目を丸くしたままこちらを見ている彼女に僕はこう言葉を続けた。

( ゚д゚ )「ここで働いてて、偶にお嬢様が色んな楽器を演奏されているのを聴きました」

( ゚д゚ )「…でも、僕が一番良いと思ったのはヴィオラなんです。僕が聴きたいのは、あの低く響く落ち着いた、それでいて荘厳な音で」

( ゚д゚ )「我儘だっていうのは分かってます。凄く失礼な、分不相応なことを言っていると。…けれど、もし許されるのなら」

( ゚д゚ )「僕は、貴女の演奏が聴けるのなら、ヴィオラが良い」

今まで僕が喋った言葉はどれも嘘なんじゃないかと思えるくらい。
それほどに、心の底から出た本音だった。

78 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:05:49 ID:fCDwqofo0

始めはお金のために引き受けたバイトだった。
何を言われても、何をされても続ける予定だった。とにかくお金に困っていたから。
家賃を、食費を、学費を、絵を。必要なことのために、余程の犯罪じゃなければ何でもやる覚悟だった。

けれど、そんな覚悟はあの夜、風に飛ばされる桜とともに綺麗さっぱり散ってしまった。
例え今目の前にいる少女がヴァイオリンの天才だとしても、その提琴からどれだけ綺麗な曲が奏でられるとしても。
僕は、その全てを無碍にしてでも、彼女のヴィオラが聴きたいのだ。

ミセ*゚―゚)リ「………」

ミセ* ー )リ「……………そう」

数分はあったかと思えるくらいに長い沈黙を破ったのは、彼女の短い相槌だった。
顔は上手く逸らされ、どんな表情なのかは分からない。
だけど、少なくとも怒っていないようには見えた。

79 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:06:55 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「…そういえば」

咳払いの後、やや気まずそうに目を泳がせた彼女の横顔がちらと見える。
二言三言怒鳴られる覚悟をしていたのだが、どうやらそこまでのお咎めはないらしい。

ミセ*゚ー゚)リ「あんた、いっつも此処で働いているけど、暇なの?大学とか、どうしてるの?」

少し気まずくなった沈黙を破ったのは、とてもお嬢様の口から発せられたとは思えないくらいに無難な端緒だった。

( ゚д゚ ;)「え…?だ、大学、ですか?」

ミセ*゚ー゚)リ「…何よ。ただの世間話じゃない」

あまりに普通な会話に、思わず思考が止まりかける。
落ち着け。別に慌てる必要なんて皆無だ。
初めて会った新しいクラスメイトと話すみたいに、普通に話をすればいいのだ。

80 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:08:57 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「いつも授業が終わってから来てるので…あ、課題はその、ここの庭でやってます」

ミセ*゚ー゚)リ「美大生ってそんなに授業ないの?音大生とは違うのね」

( ゚д゚ )「あぁいや…午前中に固めたり、授業出なくていいやつとかばっか取ってるんです。他のバイトはいいけど、ここの仕事は減らしたくないので」

ミセ*゚ー゚)リ「…?なんで?」

( -д- ;)「……お恥ずかしい話、その…学費とか、家賃とか、ですね」

彼女の傍らにあるヴァイオリンが何故だか一際輝いたように見えた。
それに何だか気おされて、背筋が自然と真直ぐ伸びる。
名家のお嬢様相手に一々口にする内容ではないなと思ったが、反省するには遅すぎた。

( ゚д゚ )「そ、そういえば、お嬢様は大学は…?」

言葉を発してすぐ、しまったと口を抑えた。
話の流れを変えようとしたはいいものの。言わなくていいことの上塗りになってしまった。
すぐさま謝ろうと頭を下げる。だが、お嬢様は怒ることも怒鳴ることもなく、静かに首を振って静止した。

ミセ* ー )リ「……休学中」

ミセ*゚ー゚)リ「どーせ、ある程度はアンタも知らされてるんでしょ。私の病気」

静かな目がこちらを射抜く。
僕は黙ったまま、彼女からの威圧に潔く白旗を上げた。

81 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:10:11 ID:fCDwqofo0

“局所性ジストニア”という、音楽家やスポーツ選手によく発生する病気がある。
手首や喉などの身体の一部が、意図しない動きをしたり、思ったように動かなくなったりする脳の神経疾患の一種。

だが、お嬢様の場合はそれだけじゃない。
“多発性硬化症“。症状としては主に手足のしびれや運動麻痺。そしてその原因は、脳の異変によるものと、骨髄に病巣がある場合もあるという非常に難解な病だ。
完全な治療法は、未だ確立していない。

ミセ*゚ー゚)リ「四年になる直前にね、急に弓が手から離れた」

ミセ*゚ー゚)リ「一年だけ自主休学して、色んな病院行ったけど何処もダメで…結局休学届け出して、今はこうして京都の実家に戻って、毎日ダラダラ過ごしてる」

ゆっくりと右手を開いたり閉じたりするお嬢様の動きを見る。
こうして見ると確かに、ただ拳を開け閉めするという単純な動作にも何処かぎこちなさが見て取れた。

82 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:11:30 ID:fCDwqofo0

ミセ* ― )リ「天才だの何だのと囃し立てた奴らは、私が病気になったって途端急に手の平返した。見向きもしなくなった奴ら、心配してる風を装って近づいてくる奴ら、昔からずっとうざったい記者ども……」

ミセ* ー )リ「…まぁ、天才の失墜ほど凡人たちが喜ぶ話はないものね」

吐き捨てるように笑う彼女に、僕はなんと言葉をかければよいのか分からなかった。
彼女も別に、気安い慰めの言葉なんて欲していないのだろう。
ゆっくりと弦とヴァイオリンを持った彼女は、慎重に大きなケースの中にそれらを仕舞った。

ミセ*゚ー゚)リ「今の生活は気楽。プレッシャーも、面倒な妬みや嫉みもない。変な記者たちからの追及もない」

ミセ*゚ー゚)リ「ヴァイオリンじゃなくてヴィオラを弾いても、なーんにも文句言われないしね」

パチンとケースが閉じられる音が鳴り、彼女は吹っ切れたような声を発した。
どういうことだろうかと首を傾げていると、彼女は僕の方を見て、少し照れくさそうに微笑んだ。

83 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:12:16 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「……本当は、ヴィオラの方が好きなのよ。私」

ミセ* ー )リ「世間はやたらと私にヴァイオリンを期待するけどね。中にはヴァイオリンとヴィオラの何が違うんだーなんて、馬鹿なことを言う馬鹿もいるし」

ミセ*゚ー゚)リ「…アンタは、そうじゃないだけマシね。あくまで”マシ”程度だけど」

ハンカチを見つけて渡した時以来の、屈託のない、少女らしい笑みだった。
確かに、少し疑問に思ったことがあった。
旦那様も、使用人の皆も、お嬢様について話すとき、いつもヴァイオリンについては言及するのにヴィオラについては何も語らなかった。

何も言わないながら、一人で静かに納得する。
天才と謳われた彼女もまた、望まないものを抱えている人間だった。
望まれているものに縛られ、自身が望むものに蓋をする。
凡人の自分が同調する資格などない筈なのに、不思議な親近感があった。

84 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:14:07 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「…ちょっと、何を黙りこくってるのよ」

形の良い眉が歪み、さっきまでは少しご機嫌そうだった目が僅かに鋭くなる。
「アンタの話も聞かせなさいよ」と続けられた言葉に、僕は残念ながら拒否権はないようだった。

といっても、僕はお嬢様と違って、特に面白みのある人間じゃない。
ごく普通の家庭に生まれ、何の才能も持たず、ただ流されてるように生きてこの地に辿り着いただけの凡人だ。
そんな自分が果たして彼女が満足するような話が出来るかと問われれば全く自信がない。
かといって、彼女からの申し出に「無理です」と答える勇気は更に無い。

( ゚д゚ ;)「僕はその、実家が花屋をやってて、昔から、そういう花とかを絵に描くのが好きで…」

ミセ*゚ー゚)リ「それはもう聞いたわ。他の話」

( ゚д゚ )「え、えっと…あ、今授業でやってる課題は、”ペンクロッキー”っていうやつなんです。クロッキーっていうのはスケッチよりもラフにさらっと描くみたいな感じで、僕の学科には本来ない授業なんですけど、これが結構楽しくて…」

ミセ*- -)リ「しょーもない。他」

なんとか捻り出した話題が、片っ端からバッサリと切られては捨てられる。
江戸時代の特権階級の武士ですらもう少し手心があると思うのだが、そんななけなしの慈悲を期待しても仕方ない。
寧ろ、そんな詰まらない人生を歩んできた自分が悪いとまで思うようになってきた。
僕はもう、お嬢様に相当毒されているのかもしれない。

85 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:14:46 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「はは…まぁ、詰まらない人間なのは自分でも分かってます。絵を描くのに必要な経験とか、引き出しとかも、足りなくて」

申し訳なく思いながら、「すいません」と謝罪の言葉を口にする。
昔からよく教授やクラスメイトにも言われた言葉。
「君の絵には面白みが足りない」、「なんだか、どれも同じようなものに見える」

耳が痛い、それでいて、残酷なくらいに正確な批評だった。
家や大学に置いてある、今まで自分が描いてきた絵を並べてみる度にそう思う。
似たようなモチーフ。構図。背景。使う手法。
ちょっと使う絵の具や筆、キャンバスを変えたところでは隠せないくらいの詰まらなさ。

変えようともがいたこともあった。いや、今ももがいている途中だ。
多種多様なバイトをしたこともある。自分とはまるで違う人と積極的に話に行ったこともある。学生証を利用して片っ端から色んな美術館に行ったこともある。
けれど、何をどうやっても、根本となる原因は掴めそうになかった。

86 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:16:12 ID:fCDwqofo0

ミセ*゚ー゚)リ「なら、音楽でもやれば」

( ゚д゚ )「へ?」

小学生の算数を尋ねられた時のような、そんな気安い声が前方から飛んできた。
お嬢様の顔には特筆するような感情は乗っていない。
あっさりとした、何の不純物もない、世間話の域をどうやったって出ないアドバイス。

ミセ*゚ー゚)リ「引き出しが足りないなら増やせばいいじゃない。何をうじうじ悩んでるの?」

ミセ*゚ー゚)リ「それこそ、音楽よ。有限の音階から広がる無限の世界…うん、そうよ。アンタも音楽やったら?ピアノとか」

「仕舞ったままのピアノがどっかにあるわよ」という言葉に、僕はただ数回瞬きをしただけだった。
そんな文房具みたいに気軽に貸すようなものではないと思うのだが。

( ゚д゚ )「……お嬢様が、教えてくれるんですか?」

ミセ*゚ぺ)リ「………はぁ?」

あまり見ないよう気を付けていたしかめっ面を見て、ようやく僕は自分の失言に気が付いた。
気を抜きすぎた。そう思ったところで時すでに遅し。
席を立ちテクテクとこちらに近付いてきたお嬢様は、その細い指を丸めたかと思えば、僕の額をピンと突いた。

87 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:18:15 ID:fCDwqofo0

ミセ#゚―゚)リ「調子に乗るんじゃないわよ、絵描きの癖に」

( -д゚ ;)「痛てて…す、すいません……」

上質なワンピースを揺らめかせながら、彼女は再び椅子へと戻る。
これくらいで済むのなら安い、いや、最早タダ同然だ。
額を手の平で押さえつつ、「失礼します」と言って部屋を出ようとする。
すると、振り返ろうとしたその途中で、「絵描き!」と声がかけられた。

なんだろうと思って、もう一度お嬢様の方に向き直る。
もう栞を渡すという仕事は済んだし、世間話にもある程度満足された様子だったのに。
お嬢様を見る。呼んだ彼女はこちらを見ずに横顔だけを向けたまま。
ゆっくりと、遠慮がちに彼女の薄い唇が動いたのが見えた。

ミセ* ー )リ「……ちょっとくらいなら、教えてあげてもいい、けど」

秋風に飛ばされた紅葉が舞うような、そんなささやかな声だった。
けれど、僕の耳にはちゃんと届いた。
ぷいとお嬢様の顔が完全にそっぽを向く。それを見て、僕の口角は自然と上がった。

88 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:19:17 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「……やっぱり、お嬢様は優しい人ですね」

ミセ;゚―゚)リ「…は、はぁ?何よ急に…世辞とかいいから、もう出てって…」

( ゚д゚ )「お世辞じゃありません。僕はずっと、本気でそう思ってます」

お嬢様の動きがピタっと止まる。
顔は未だ僕ではなく、窓の方に向いたまま。
けれど、耳はこちらに向いている。そう勝手に判断した僕は、そのまま勝手に話を続けた。

( ゚д゚ )「栞の時も、ハンカチの時も、お嬢様は花を見て、”綺麗だ”っておっしゃいましたよね」

「これは持論なんですけれど」と前置きをしてから、深く呼吸をする。
あまり人に話したことはない。けれど、ずっと昔から持っていた、僕が人と付き合う上での大きな指針。

( ゚д゚ )「花の美しさに気付けないような人は、他人の痛みにも気付けない人だと思うんです」

( ゚д゚ )「…うちが花屋だったから、そう思うだけかもしれないけど」

馬鹿馬鹿しいと一笑に付されるかもしれない。
けれど、どうしてもお嬢様には伝えておきたかった。

89 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:19:50 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「大人になって気付きました。世の中、道端に咲いている花を踏んでも顔色一つ変えない人ばかりだ。いや、中にはわざと踏んでいく人だっている」

( ゚д゚ )「けど、お嬢様は、凄く堂々と花を綺麗だって言いました。泥棒紛いのことをした、気に入らない筈の僕が持ってきた花も、誤魔化さずに褒めた」

( ゚д゚ )「そんな人が、優しくない訳がない。綺麗なものをちゃんと綺麗だって言える。花の美しさに、魅力に気付けて、それをきちんと言葉に出来る」

( ゚д゚ )「たった二十年と少ししか生きてないけど、そんな人は数えるほどしか出会ったことない。そして、そういう人たちは皆、強くて優しい人ばかりだった」

「だから」と、一旦言葉を切って再び酸素を深く取り込む。
一息で、早口で話し過ぎて舌が渇く。けれど、ちゃんと伝えたい事は、きちんとはっきり伝えたい。

90 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:20:55 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「だから、なんというか…お嬢様は、大丈夫です」

( ゚д゚ )「お嬢様はちゃんと、優しい人に違いありません」

少し驚いたように開かれた目と、ほんの一瞬だけ視線が合った気がした。

ミセ* ー )リ「……なによそれ、気持ち悪いこと言わないで」

ミセ* ー )リ「…やっぱり、ピアノ教えてあげないわ」

( ゚д゚ ;)「…え!?な、なんで急に!?」

ミセ# ー )リ「うっさいわね、絵描きの癖にいっちょ前なこと言うからよ」

( ゚д゚ ;)「さっきは教えてくれるって…」

ミセ* ー )リ「言ってないわよ。バーカ」

横顔どころか、完全に背を向けられてしまった。
「言った」「言ってない」という、いつの間にかすっかり既視感があるやりとりをしながら僕はじっと、自然と揺れるお嬢様の髪を見つめていた。

91 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:21:21 ID:fCDwqofo0

思わず指が伸びてしまいそうになるような、僕が普段使っている筆よりもサラサラとした緑の束。
窓から見える景色はすっかり青から赤へと変わり、部屋には茜を帯びた落ちかけの陽光が差し込んでいる。
部屋全体に、まるで紅葉が咲いたかのような暖かさが満ちている。


だから、だろうか。
お嬢様の頬が、ほんの少しだけ、赤らんでいるようにも見えた。

92 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:22:40 ID:fCDwqofo0

*


京都ほど四季の色を楽しめる街は、日本でもそう多くない。
すっかり銀世界と化した駅前の景色を見ながら、僕は嬉しい半分、困惑半分の息を吐いた。

ベンチに腰掛けながら空を見上げると、まだ12月になったばかりだというのに一瞬桜と見紛うような白い影がひらひらと降りてくるのが見える。
まだ午後5時をまわったくらいだというのに、空は茜色一つ残さずすっかり暗い。

大学にいた午前中はもう少し雪の勢いが強かったのだが、どうやら僕が呑気に電車に揺られている間に随分と大人しくなってくれたようだった。
まぁ、雪が降ろうが嵐が来ようが、お嬢様に呼ばれた僕に「行かない」なんて選択肢は最初から綺麗さっぱりなくなってしまう訳だが。

つい先日、新しく貰ったばかりのコートに感謝しながら、ゆっくりと雪が積もる道を歩いていく。
お嬢様の通院に付き添った帰り道、京都駅直結のデパートにある服屋で、彼女から見繕われて買ったものだ。
「大丈夫です」と何度も断ったのだが、「いつもうっすい上着しか着ないヤツを見てると、こっちまで寒くなる」と口を尖らせたお嬢様と、「半年記念のボーナスと思ってくれ」という旦那様の好意を無碍にする訳にもいかず、受け取ったものだ。
ちなみに値段は知らない。少なくとも、僕が住んでいるアパートの家賃よりかは遥かに高いことだけは確かだろうが。

93 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:23:29 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )「……あ、来た」

空いたスペースに置いていた絵を背負い、定刻から少し遅れて来たバスに乗り込む。
いつもと同じく乗客は僕だけ。すっかり顔なじみになった運転手の初老の男性と二言三言の挨拶を交わし、いつも座っている左奥の座席へと腰を落ち着かせた。
二人掛けの席は意外に広く、隣に荷物を下ろしてもなお身動ぎ出来る余裕のスペースがある。
暖房が効いたバスの中、僕は大学から持ってきた絵を隣に置いた。

彼女はどう思ってくれるだろうか。
漠然とした不安を感じながら、布で丁寧に包んだ絵の表面を撫でる。まだ制作途中だが、キリのいいところまでは描きあがったから、彼女に見せたいと思ったのだ。
描いている時は夢中だった。こんなに他のことを考えず、筆を走らせたのは一体いつぶりだろう。
大学の課題ではない。どこかのコンクールに送るための作品でもない。
ただ描きたくて描いた、僕が描きたいものを描いただけの絵。

絵がある程度まで終わったのは昨日の夜。今日、呼び出されたのはタイミングが良かった。
大学で友人たちと昼食を摂っている時、メッセージを受信して震えたスマホには、旦那様からの連絡が届いていた。
内容の旨は「何時でもいいから、今日、屋敷まで来て欲しい」とのこと。
今日は屋敷で働く曜日ではなかったが、どっちにしろ伺おうと思っていたのですぐに了承の返事を送った。

94 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:23:56 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ )(……返信ないの、珍しいな)

旦那様とのトーク画面を開く。
自分が昼頃に返した文字には既読がついているだけで、いつも送られてくる無駄に可愛いスタンプも何もない。
まぁ、普段からお忙しい身である。それでも時間を見つめては僕のような末端のバイトに過ぎない使用人から、大事な娘のお嬢様にまで顔を店に来てくれる。あれほど人の上に立つべき人も今日珍しい。

大学のスクールバスと同じくらいに揺れる車内で、ぼんやりと窓からの景色を見る。
僕がこの辺りに来るようになった頃より少し増えた街灯が、すっかり道を覆った雪を満遍なく照らしている。

そういえば、お嬢様と初めて会った日は、月が眩しい夜だったな。
なんだか郷愁感を感じた僕は、すこし上体を下げ、窓から空を見上げる。
上空は、僕がバスに乗り込んだ時よりも、少し曇っているように見えた。

95 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:27:02 ID:fCDwqofo0

*


屋敷につくと同時に、僕はなにか、言葉にし難い不安感に襲われた。

なにか、強烈な違和感があった。
いつも軽い足取りで超えている筈の正門が、羅生門のように荘厳に見える。
少し体調でも悪くなったのだろう。そう結論付けて正門をくぐり、屋敷の中へと足を進める。

だが、歩めば歩むほど、重力がどんどん増していくような感覚があった。
何かがおかしい。何かが変だ。なんというか、そう、まるで。


「この先へは行くな」と、誰かに耳元で囁かれているような。

96 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:28:25 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「……っ」

頭の中に浮かんだ根拠のない雑念を振り払い、玄関の扉に手をかける。
初めて来た時とはもう違う。僕はもう、ここで八か月も働いている歴とした従業員だ。
何も気おくれする理由はない。そもそも今日は、この屋敷の主に言われて来たのだ。

僕が引き返す必要はない。そもそも、ついさっきまで僕はここに来たくて仕方なかったんじゃないのか。
描いた絵を、お嬢様に見せたいと思って来たんじゃないのか。

自分で自分に鼓舞をし、伸縮しきった心臓を叩く。
扉を握る手に力を入れる。思いっきり、あの煌びやかなシャンデリアで照らされた空間へと飛び込むように足を踏み入れる。
僕が堂島家に遠慮する理由などない。お嬢様との関係だって、この四季を通してずっと良くなった。
僕はもう、お嬢様に嫌われてなどいないのだから。



いつからか、そう勘違いしてしまっていた。

97 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:29:17 ID:fCDwqofo0

(  ∋ )「………来たか」

*(;‘‘)*

ミセ* ー )リ

ハハ; ロ -ロ)ハ

屋敷の大広間の中心に、見知った顔が揃い踏んでいた。

誰もかれもが、ひどく重い顔をしている。
いつも飄々としたヘリカルさんですら、随分と居たたまれないような表情。
だが、その中でも僕の目を引いたのはヘリカルさんでも、じっと下を向いたままのお嬢様でもない。

ハハ; ロ -ロ)ハ「………」

今年の春以来に会うハローさんが、この屋敷にいたからだ。

98 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:33:46 ID:fCDwqofo0

( ゚д゚ ;)「え、えっと……これは、何の集まりで…?」

(; ゚∋゚)「…とりあえず、座ってくれ。話はそれから……」

ミセ* ー )リ「話なんて要らないわ」

旦那様の言葉を遮ったのは、今日の気温よりもずっと冷たく、重苦しい言の葉だった。

( ゚д゚ ;)「お、お嬢様……?」

どこか既視感のある姿に焦りを感じて、僕は数歩ほど彼女に近付いていく。
だが、それを拒むかのように勢いよく立ち上がったお嬢様は、バッと何かをこちらに見せつけた。

99 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:34:35 ID:fCDwqofo0

紙の束だ。白黒の、まるで、新聞のように味気のない紙の集合体。
何か文字と写真が載っているようにも思えるが、ここからだとあまりよく見えない。
また少しだけ近づき、じっと目を細めてお嬢様が持つ紙を見る。
その内容に気付いた時、僕はさっと、全身の血が引いていくような感覚に襲われた。

『元天才ヴァイオリニスト』
『病に襲われた彼女の今』
『自然豊かな故郷で、現在は療養を――』

( д ;)「――っ!?」

それは記事だった。
書かれている文章を見る。どれもこれも、誰を示唆しているのかはすぐに分かる書き方と情報がつらつらと載っている。
僕がそれらをすぐに”事実”だと認識できたのは、とある理由があったからだ。

すぐにハローさんへと視線を向ける。
彼女は僕と目を合わせることなく、申し訳なさそうに俯いた。

100 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 02:35:17 ID:fCDwqofo0

ミセ* ー )リ「………アンタにしか話してないことも、書いてた」

震えた声が部屋に響く。
握られている記事にくしゃりと皺が寄る。

ミセ* ー )リ「アンタが」

ミセ* ー )リ「アンタがハローに、私のこと、話してた」

( д ;)「―――っ…!」

心臓がぎゅっと握られたような、全ての血が沸騰するような、そんな感覚だった。
頭が真っ白になる。
何を言えばいいのか、どう言えばいいのか。
何も思いつかない。今すぐここから逃げ出したいとまで思えるほどの、冷たい声。


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