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鬼和尚の仏教購読会 別館

1避難民のマジレスさん:2018/10/16(火) 22:40:04 ID:HDZhjLgoC
明日より、黄金の華 の 購読会を始めるのである。
どうやらOSHO35才の時の講演らしい。
OSHOは、すごい人なのである。
セゴドンやゲバラに匹敵する革命家だったのでありましょう。
それでは、明日からお楽しみに!
(´・(ェ)・`)つ

106鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/02(日) 22:50:44 ID:1d4drIFg0
全てを否定するのは本来アートマンの教えなのじゃ。
認識できないものであるアートマンを教えるには全てを否定しなければならないからのう。
正しい教えを伝えれば間違った教義を持っていた衆生はそれを拒むのじゃ。
習慣とはそれほど強いものであるからインドは未だ大勢が苦の中に居るのじゃ。

107避難民のマジレスさん:2018/12/02(日) 23:04:00 ID:LC3de7YgO
>>106
フムふむ。
否定によってのみあらわされるアートマンと、無我の違いはそこにあるのでありますね。
無であるのは我であり、我が無であり、主体ではないが、意識はある・・・・うぅぅ やっぱり、難しいでありますが、アートマンより、無我の方が、スッキリするでありますね。
OSHOは無我だと、衆生は魅力を感じないていうが、主体への執着を消し去るのが難しくなるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

108避難民のマジレスさん:2018/12/03(月) 06:56:35 ID:LC3de7YgO
>>107
訂正
OSHOは無我だと、衆生は魅力を感じないていうが、主体への執着を消し去るのが難しくなるでありますね。

→アートマンだと、主体への執着を消し去るのが難しくなる

(´・(ェ)・`)つ

109避難民のマジレスさん:2018/12/03(月) 07:08:09 ID:LC3de7YgO
>>105
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

否定的な表現の美しさは、人の自我エゴを少しも満足させたり、少しも喜ばせ
たりしないことにある。
肯定的な言語の危うさはそこにある。
アハム・ブラフマースミ--「我は神なり」、アナル・ハック--「我は真理なり」
と言うときに危険なのは、真理が二義的なものになり、 その「我」が一義的な
ものになってしまいかねないということだ。
真理はあなたの影になってしまうかもしれない。
力点が 「私」という言葉に集まり、「私こそが神だ」となってしまうかもしれ
ない。
神に力点が置かれ、「私」が神に対するたんなる影であり続けるならば、何も
問題はない。
だが、それはひじょうにむずかしい。
その「私」はじつにずる賢い。
自我エゴの手口はじつに巧妙だ。
それは機会をとらえ、その観念に飛びついて、こう言う。
「その通り、私が神であり、他の者たちはそうではない。私が真実であり、他
の者たちはみな偽物だ」
だが、そうなったら肝心な点がそっくり見逃されてしまう。
いずれにせよひとつだけ確かなのは、時間と空間が消えてしまうということだ。
あなたは「私はすべてだ-すべての空間を満たし、すべての時間を満たしている
---私は至るところにいる、時を越えて存在している」と宣言するか、あるいは
「私はいない。時間というものはない。空間というものもない。永遠から永遠
にわたって、絶対的に静まりかえった<無>があるのみだ。さざ波すら立たな
い静寂が」という仏教徒の表現を使うしかない。
だが、いずれの言明も同じことを指し示している。
表現は異なり、指は異なっているが、それらは 同じ月を指さしている。
その月があなたの本質だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

110鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/04(火) 00:51:49 ID:1d4drIFg0
>>107 そうじゃ、何らかの主体が在ると教えるとそこに妄想も生じてしまうからのう。
 オショーの言うとおり修行中に見た幻影を信じてわしは神だとか思ってしまうのじゃ。
 全てを否定によって説けばそのような妄想も無であると知って囚われないのじゃ。
 それが正しい教え方なのじゃ。

111避難民のマジレスさん:2018/12/04(火) 07:17:24 ID:LC3de7YgO
>>109
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み3
 より抜粋

呂祖師は言った。
原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
時間と空間を克服しないかぎり、あなたは死を克服することができない。
死は時間のなかに存在し、空間のなかに存在している。時間と空間を克服しな
いかぎり、あなたは心マインドと肉体を克服することができない。
理解しようとしてみなさい。
肉体は空間に対応し、心は時間に対応している。
心は時間的な現象であり、肉体は空間的な現象だ。
肉体は あ る 場 所 に存在し、心は あ る時 間 に存在している。
時間のない心を想像してみても、あなたはそれを思い浮かべることができない。
心とは過去、現在、未来のいずれかだ。
記憶、想像、現在の事実のいずれかだ。
心マインドは三つの時制のなかに存在する。
あなたがたは注意深く、意識をとぎ澄まして私に耳を傾けている。
心は現在にある。
他のことを考えながらここにいるなら---聖書で何かを読んだことがあり、それ
が私の言うことに当てはまったり、当てはまらなかったりする---
あなたは自分の想像や記憶のなかに入り込んでいる。
時間が消えてしまったら、心を思い浮かべることはできない。
時間と心は同じものを意味する。
人間は宇宙の縮図であり、小宇宙だ。
外界により、大きな規模で存在するものは、何から何まで人間の内部により小
さな規模で存在している。人間を理解することができれば、全宇宙を理解した
ことになる。「上のごとく、下もまたある」
人間はこの宇宙全体を構成する原子のような要素だ。
ひとつの原子を理解すれば、あらゆる物質を理解したことになる。
ひとりの人間を理解すれば、自分自身の神秘を読み解くことができれば、過去
、現在、未来のいっさいの神秘---万物を理解したことになる。
だからこの二つのことを覚えておかねばならない---肉体は空間であり、心は時
間だということを。
瞑想すると、あなたは肉体から消えてゆく。
あなたは自分が誰なのか、男なのか女なのか、美しいのか醜いのか、黒人なの
か白人なのかわからなくなる。
あなたは自分が誰なのかまったくわからなくなる。
内側に入ってゆくと、肉体ははるか後方に残される。
肉体の位置を確かめることすらできない、肉体の存在を感じることすらできない瞬間がやって来る。
あなたはもはや形にとらわれてはいない。
あなたは形なきものになっている。
そして同じことが心にも起こる。あなたは自分の心がどこにあるのか、その心
がどこへ行ってしまったのかわからない。
内側で途絶えることのないそのすべての騒音、その往来の騒音が遠くへ遠くへ
と離れてゆき、消えてゆく。
突然、大いなる静寂があなたの内側ではじける。
この時間も空間もない状態のなかで、あなたはみずからの本質を知るに至る。
そして自己の本質を知ることで、タオをはじめて垣間見る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

112素人A:2018/12/04(火) 09:04:07 ID:gOqWUDAs0
どげんしても坐禅で死ん身脱落しないと片手の人の拍手の音は聞こえないというか
相手にしてもらえない野鴨 今は儚い身見守らないと

113鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/04(火) 22:08:00 ID:1d4drIFg0
時間という観念は常に記憶から起こるものじゃ。
昨日と違うものごとを解説するために時間がたったという表現をするのじゃ。
肉体の自己同一化さえも記憶から起こるものじゃ。
昨日と同じ肉体とその感覚が在る自分という観念から自分の肉体という観念も起こるのじゃ。

114避難民のマジレスさん:2018/12/05(水) 06:17:24 ID:LC3de7YgO
>>111
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

原初の精神は両極の違いを超えている。
すべての両極の違いが消え失せる。
男/女、夏/冬、暑さ/寒さ、愛/憎しみ、肯定/否定、時間/空間、生/死。
いっさいの両極が消える。

原初の精神は両極の違いを超えている。
どちらの極にも愛着をもってはいけない、と私がしきりに強調するのは
そのためだ。
あなたがたはいずれかの極に愛着をもつようにと教えられてきた。
あなたがたのいわゆる宗教は、世間で暮らすか、それとも世を捨てて僧院に入
りなさいと説いてきた。
私は世間にとどまりながら、その一部にならないようにと言う。
そうでないと、あなたはひとつの極に愛着をもつようになる。
僧院に行けば、あなたは街の雑踏マーケットプレイスを恐れるようになる。
それがはたして成就と言えるだろうか?
恐怖があるなら達成はない。
私はヒマラヤに住んでいた人々を知っている。
彼らは恐れるようになる。彼らは世間に降りてきたくはない。
なぜならヒマラヤで体験してきたものが、街に入るとすべて消え失せてしまう
からだ。
街の雑踏でかき消されるようなものなら、それは成就ではない。
自分の静寂だと錯覚していたものは、ヒマラヤの静寂にすぎなかったのだろう。
それは借り物だった。確かに、ヒマラヤは静かだ。だからその 静寂のなかで暮
らせば、徐々にその静けさがあなたに浸透しはじめる。
だが、それはあなたの音楽ではない。それは借りてきたものだ。
ヒマラヤから遠ざかれば、それは消え失せてしまう。
これは錯覚を起こしているだけだ。
これは輝かしい光の残照を楽しんでいるだけだ。
街のなかで暮らしながら、ハートのなかにヒマラヤをつくりだしなさい。
騒がしさの只なかで静かでありなさい。
世帯主でありながら、求道者サニヤシンでありなさい。
私のサニヤシンたちは世間から離れないでほしい、と私がこれほど強調するの
はそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

115鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/05(水) 22:42:33 ID:1d4drIFg0
観念は大体二つの極に分かれて記憶されているのじゃ。
在ると無いとか、好いと悪いとかのう。
どちらかに執着すれば反対のものもついてくるものじゃ。
観念が無くなれば両方消えるのじゃ。

116避難民のマジレスさん:2018/12/06(木) 06:38:04 ID:LC3de7YgO
>>114
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

何ひとつ放棄しなければならないものはない。
放棄の道は逃避家の道だ。
そして放棄の道を選ぶことで、あなたは一方の現象に愛着を抱くようになる。
それはあなたに自由を与えない。
自由は超越のなかにある。
そして超越は、あなたが二つの極のなかで同時に生きるときにはじめて訪れる。
だから世間にありながら、世間をあなたの内側に入れてはならない。
愛しながら、そのなかに失われてはいけない。
関わりながら、しかも独りで、完全に独りでありなさい。
あらゆる関係がゲームだということを熟知していなさい。
ゲームを演じなさい。
それを可能なかぎり美しく、可能なかぎり巧みに演じなさい。
ゲームはしょせんゲームであり、だからそれは美しく演じられねばならない。
そしてゲームのすべての規則に従いなさい。
なぜなら、ゲームは規則なしでは成立しえないからだ。
だが、それがゲームにすぎないことをいつも覚えておきなさい。
それに愛着を抱いてはいけない。それに深刻になってはいけない。
いつも内側にはユーモアの感覚を息つ”かせておきなさい。
誠実ではあっても、深刻になってはいけない。
そうすれば、ゆっくりゆっくり、両極が消えてゆくのに気がつくだろう。
誰が世俗的であり、誰が宗教的なのだろう?
あなたは両方か、そのいずれでもない。
原初の精神は両極の違いを超えている。天と地は此処ココより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、もは
や三界にとどまることはない。
天上の世界、地上の世界、地獄の世界---三界---は、両極をいかに超越するかを
知っている人にとってはすべて消え失せてしまう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

117素人A:2018/12/06(木) 10:24:54 ID:gOqWUDAs0
人と言う字も鬼さんの思想もトーナメントの表の様だし
枝分かれも元をたどれば一樹の幹にたどり着くでもその下はまた
根が枝分かれで大地にたどり着く野鴨

118鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/06(木) 23:48:06 ID:1d4drIFg0
観念によって成立する世界で演じられるのは観念遊戯なのじゃ。
現実とは関係のないゲームなのじゃ。
金や名声や権力を集めるのがその遊戯なのじゃ。
どれほど金や名声や権力を集めても死という現実には対抗できないのじゃ。
観念を超えることで死をも超えることが出来るのじゃ。

119避難民のマジレスさん:2018/12/07(金) 07:11:48 ID:LC3de7YgO
>>116
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

つい先ほど私は、過去、現在、未来---これらが三つの世界だと言った。
過去は地獄であり、それは死んだ、暗い影のようなものだ---幽霊があなたにつ
きまとっている。
現在は地上であり、それは現実、事実、たった今ここにあるものだ。
そして未来は天上であり、それは希望、熱望、欲望、あこがれだ。
これらが三つの世界であり、そしてあなたはこれら三つの世界を絶え間なく動
いてゆかなければならない。
あなたは前へ後ろへ行きつもどりつする。
過去から未来へとジャンプし、未来から過去へとジャンプする。
そしてこれがどこまでも続いてゆく。
現在はきわめて微細なので、あなたはそれにほとんど気付かない。
それは過去と未来にはさまれている。そしてこの二つは広大だ。
ところが現在は極微であり、原子のような瞬間だ---あまりに小さいので、目に
とまることすらない。
あなたが気付くやいなや、それはもう過去になっている。
現在に在るためには、細心の注意深さが、このうえもない注意深さが必要にな
る。
現在に在ることが時間を超越する扉になるのはそのためだ。
過去からは進めない。過去はあまりに広大で、際限がないからだ。
どこまで遡っていってもきりがない。
精神分析が役に立たない、と私が言うのはそのためだ。
それは過去を調べ、過去を解明し、過去を掘り下げ続ける。どこまでいっても
終わらない・・・精神分析は、三年、七年と、何年にもわたって続いてゆくが、
それでも分析は終わらない。人はその精神分析家に愛想をつかして、相手を変
え、別の分析家のもとへ行って、一からやりなおすしかない。
ここで言っておきたいことがひとつある---遅かれ早かれ精神分析は、過去がこ
の生の出発点で終わるものではないことを必ず発見するだろう。
あなたはどんどん遡っていって、ヤノフが「原初の叫び」と呼んでいるものに
行き着くことができる。
原初の叫びは精神分析の最終地点だ。子供が呼吸をはじめたときの最初の産声
---その叫びを通して子供は呼吸をはじめた。その最初の絶叫。
だが、ひとたびそこに行き着けば、あなたは驚くだろう。
それもまた始まりではない。次は子宮のなかへもどってゆかねばならない。
東洋ではそれが試みられてきた。東洋には、深く深くもぐってゆく
「プラティ・プラサヴ」---回帰、帰還---と呼ばれる技法がある。
マハーヴィーラはそれを用いた、仏陀はそれを用いた---
彼らは子宮を通り抜けた。
そこであなたは再び死を通り抜けねばならなくなる。
なぜなら子宮に宿る前に、あなたは死んでいるからだ。
続いて何層にも何層にもわたるすべての生涯がよみがえってくる・・・
(´・(ェ)・`)
(つづく)

120鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/07(金) 23:40:38 ID:1d4drIFg0
悟りを得ようとするときには自分の観念が死ぬことを覚悟しなければならんのじゃ。
自分の観念とは自我なのじゃ。
自我を放棄し、捨て去る時にはそれによって培ってきた観念をも捨て去るのじゃ。
それが輪廻の観念なのじゃ。

121避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 09:11:50 ID:LC3de7YgO
>>119
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み3
 より抜粋

東洋が幾多の過去生という現象に気付いたのは、深い精神分析を通してだ。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教はそれに気付いていない。 彼らはそこまで
懸命に試みたことがない。彼らは精神分析を試みたことがない。
フロイトはそれを試みた最初のユダヤ人だ。
言うまでもなく、キリスト教徒や ユダヤ教徒やいわゆる宗教的な人々はこぞっ
て彼に反対していた。
そこには精神分析がもっと深く進めば、遅かれ早かれ、ヒンドゥー教徒の転生
の観念が正しいことが証明されてしまうという恐れが潜んでいる。
それが怖いのだ。どんどん掘り下げてゆくと、次から次へと層が現れてくる。
どこで終止符を打てばいいのだろう?
あなたは数知れない生を人間として生きてきた。
私たちはそれらすべてを見逃そうとするが、それもまたきりがない。
ある日突然、あなたは自分が過去生では人間ではなかったことに、象や虎や犬
だったことに気付く。
そうしてあなたは動物の生に入ってゆきはじめる。
さらに何百万もの生を通り抜けた後、ある日突然、自分が茂みや樹、さらには
岩であったことを発見する。
インドでは、人は何百万もの生を通り抜けてきたと言う。
それがどこに行き着くというのだろう?
過去を分析してもはじまらない。
それはあなたを狂気に駆り立てるだけで、どこにも到らない。
そして同じことが未来の場合にも当てはまる。
どこで止まればいいのだろう?どこまでゆけばいいのだろう?
「この先は見なくてもいい」と言ってどこで打ち切るのだろう?
東洋ではそれもまた試みられてきた。
私たちは時間という概念にとほうもなく働きかけてきたからだ。
だが、いずれにしてもきりがない。
記憶は尽きることがない。想像は尽きることがない。
その二つのはざまにこの瞬間がある。
ごく小さく、あまりに微細なので、 細心の注意を払っていなければそれに気
付くことはできない。
それはじつにすばやく動く。
それは飛ぶように過ぎてゆく。
だが、現在に気付くことができたら、扉が開かれる。永遠へと到る扉が。
心マインドはまさにそこから無心ノーマインドのなかへと入ってゆく。
人格はまさにそこから人格を超え、本質に入ってゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

122避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 19:29:10 ID:LC3de7YgO
>>121
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み
 より抜粋

イエスが磔ハリツケにされたことはよく知られている。
イエスとともに磔にされた盗賊が二人いた。
ひとりはイエスの左側に、もうひとりはイエスの右側にかけられていた。
あなたがたはそれをとほうもない含みをもった象徴としてとらえたことはない
かもしれないが、イエスは現在の瞬間を表している。
盗賊のひとりは過去であり、もうひとりの盗賊は未来だ。
そしてイエスは、神に最も近い現在の瞬間を表している。
盗賊のひとりはイエスをあざ笑った---過去はつねにあなたをあざ笑っている。
彼はイエスを非難した---過去はつねにあなたを非難している。
もうひとりの盗賊は、イエスに未来のことを尋ねた。
「死ぬとどうなるのですか?天国であなたにお会いできるでしょうか?」と。
ひとりは過去であり、もうひとりは未来であり、そしてイエスはこの二人の盗
賊の真ん中にはさまれている。
彼らを「盗賊」と呼ぶのはなぜだろう?
過去は盗賊だ。未来は盗賊だ。
それはその二つがあなたの現在を盗み続けるからだ。それらはまさに盗賊だ。
私にとってこれは寓話だ。
キリスト教徒が私に同意するかどうかはわからない。
だが、それは私にとってはどうでもいいことだ。
私は他人が私に同意しようとしまいと気にしない。
イエスは、現在、今ここにいて、本質に最も近く、いつでも死んで肉体と心か
ら消え去る用意ができている。
彼はわずかにためらっている---人は誰でもためらう。
現在にまみえるとき、人は自分を正面から見つめる永遠に出会う。
過去でもなく、未来でもない、永遠---まったく異なる次元に。
過去、現在、未来は水平であり、永遠は垂直だ。
私にとって、十字架は交差する二本の線の象徴でもある。
十字架は二本の線でつくられている。ひとつは水平であり、もうひとつは垂直だ。
これは時間と永遠の表現だ。
永遠、どこにもないもの、<無>、あるいはすべてのものに直面すると、人は
みなためらう。
それは耐えがたい。
人は水滴のようにそのなかへ消えてゆく ことになる。
大海はあまりに巨大で、人は完全に消息を絶ってしまう。
草の葉から大海に落ちてゆく露ですらためらう。
イエスはためらった。
私がこの男を愛するのは、彼がためらったからだ。
ためらうイエスを見れば、彼が人間であることがわかる。
ためらう彼を見れば、イエスが私たちの一員であることがわかる---彼は人の子
だ。

123鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/08(土) 22:54:22 ID:1d4drIFg0
過去も未来もただ妄想で在るのみなのじゃ。
自分という観念の上に成り立っている妄想なのじゃ。
ただ今だけが真に在るといえるものなのじゃ。
今ここに在るのが二元性を超えた原初の精神なのじゃ。

124避難民のマジレスさん:2018/12/09(日) 00:04:17 ID:LC3de7YgO
>>122
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

彼は神に向かって泣き叫んだ。
「私をお見捨てになったのですか? 私をどうなさるのですか?私を見放された
のですか?もう私のそばには いらっしゃらないのですか?私は消えようとして
います。 なのに私を守ってくださるあなたの御手が見えません」
露が大海に落ちようとしている。
「あなたはどこにいらっしゃるのですか?私は深い<無>のなかに落ちようとして
います。死がやってきました。あなたは死のなかにあっても、そこで待ちうけ
、私を抱きしめ、包み込んでくださる、暖かい、愛にあふれた方だと思ってい
ました。なのにあなたはどこにいらっしゃるのです?私をお見捨てになったの
ですか?私を見放してしまわれたのですか?どこにもあなたの姿が見えません」
実際、目に見える神は存在しない。神は人物ではない。
神とはこの完全な<無>を表す肯定的な名前だ。
だが、イエスは神を人物とみなすユダヤ的観念を抱いて生きていた。
このような混乱が、このような恐怖が彼の心に起こるのはそのためだ。
彼には愛する者、天なる父に会いたいと待ち望んでいた自分が見えていない。
彼は天なる父を「アバ」と呼んでいた。彼は天なる父に会いたいと待ち望んでい
た。
だが誰もいないように思われる。
この世の幕が降りようとしているのに、彼方には大きな口を開いた<無>、底無
しの深淵しかない。
それはきわめて人間的だ。イエスの生涯はきわめて人間的だ。
そしてそれがその美しさだ。
彼の生涯が多くの人々の心をとらえたのはそのためだ。
---まさにその人間性が人々の心に触れる。
だが、やがてイエスは要点を見抜いた。
彼は永遠<無>を深くのぞき込んだにちがいない。
彼は大切なことを見抜いたにちがいない。
「神が人間の顔をしているはずがない。これこそが神の顔だ。 神が人間の手を
もっているはずがない。この<無>が私を抱きしめようとしている。そのふとこ
ろ深くに私を受け入れようとしている」と。
続いてイエスは神に言う。
「御国は到来しました。御業はなされました。 ですから、そのままに、御心の
ままに。 あなたは<無>なのです。覚悟はできています。私はあなたを信頼しま
す。あなたが<無>であることさえ信頼します」
キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンドゥ教徒、ユダヤ教徒たちはみな--- 神の
人格という観念を抱いて生きてきた者たちはみな、このことに直面しなければ
ならない。
この不安な時、この苦悶を通り抜けなければならない。
神は<無>であり、<無>の別名だという仏教徒の観念や道家タオイストの観念が
美しいのはそこだ。まさにその始めから、その<無>という観念とともに 生きて
きた者はたじろぐことがない。彼はただそのなかに消えてゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

125鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/09(日) 23:17:20 ID:1d4drIFg0
神を信じる者は大概神は人間の形と名を持っていると思っているのじゃ。
そのような者がたまたま何かの道とか瞑想を極めると最後には何も無いと驚いたりするのじゃ。
最後にはひげのじじいが出てきて天国に入れてくれるとか思っていたからなのじゃ。
何も無くて善いのじゃ。
そこに意識が在ると気付けば永遠への扉が開かれるのじゃ。

126避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 07:13:54 ID:LC3de7YgO
>>124
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

原初の精神は両極の違いを超えている。
天と地は此処ココより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、 もは
や三界にとどまることはない。
だが、人間がもって生まれた 本来の顔を洞察した者のみが、これを行なうこと
ができる。
みずからの内なる<無>が見えてこなければ、それを行なうことはできない。
まず瞑想をして、みずからの内なる<無>へと入ってゆきなさい。
そうすれば、存在そのものの<無>に入ってゆくことができる。

人が胎内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが・・・
これは道家の地図だ。
当惑しないこと。
人間の意識の地図は色々ある。
地図が変われば、用いられる象徴も変わる。
これは道家の地図だ。
道家の人々は言う
---子供が子宮から生まれ落ちると、原初の精神は第三の目のなかに住みはじめ
る、と。両目のあいだ、眉間の中央、まさにその中間に第三の目がある。
ヨーガの地図ではそれを「アジュナ・チャクラ」---第三の目のセンター---と
呼んでいる。
道家の人々が「原初の精神の住処スミカ」と呼んでいるものはそれだ。
人が胎内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが、 意識的
精神は下方の心臓ハートのなかに住む。この心臓は外界に左右される。
もし人が一日でも食べなければ、心臓は極度の不快感を覚える。
恐ろしいことを聞くと動悸を打ち、腹の立つことを聞くと鼓動を止める。
死に直面すれば悲しみ、美しいものを見れば目がくらむ。
だが、 頭蓋---すなわち第三の目のセンター---のなかにある天上のこころハ
ートは、少しでも動いたことがあるだろうか?
「天上のこころは動かないものか?」と問う ならば、「一寸四方のなかにある
真の思考がどうして動くだろう」と答えよう。
この肉体の心臓ハートは絶えず外界に左右されている。
それは外界の影響を受ける。
それは身体のなかにある外界の一部だ。
これは真のハートではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

127鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/10(月) 22:25:13 ID:1d4drIFg0
自分の内なる無とは人の持つ本質なのじゃ。
それは全ての本質と同じなのじゃ。
そうであるから自らの内なる無に入れば、全てと同じ本質にたどり着くのじゃ。
アートマンの法と同じなのじゃ。

128避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 23:14:57 ID:LC3de7YgO
>>127
釈迦もキリストもなく、叡知のみがあるのでありますね。
(´・(∀)・`)つ

129避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 06:29:27 ID:LC3de7YgO
>>126
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

道家の人々は、真のハートは第三の目のなかにあると言う。
それは動くことがない。それは不動のものだ。それはつねに変わらない。
肉体の心臓はいつも混沌としている。
そして第三の目のなかにある霊的なハートはつねに秩序がとれている。
それは秩序そのものだ。
ヒンドゥー教徒がそれを「アジュナ・チャクラ」---秩序が生まれ、規律が生ま
れるセンター---と呼ぶのはそのためだ。
第三の目から来たものは、ただちに実行に移される。
肉体全体がそれに従う。実存全体がそれに従う。
それは命令が発せられるセンターだ。
だが、それは深く眠り込んでいる。
あなたは肉体の心臓ハートから生きている。
あなたは自分の霊的なハートをまだ知らない。
低次の心臓ハートは、強い力をもった将軍のように振る舞い、天上のこころ
ハートをその弱さゆえにさげすみ・・・
だが、肉体の心臓ハートは、霊的なハートが動かないので、それを弱いものと
見なす。
それが動いていないので、あなたがたは霊的なハートが動かないので、それを
弱者、死人に等しいものと見なす。
国政の主導権を奪い取った。
このために、低次の心臓があなたの主人になってしまった。
だが根源の城の防備を固め、防御することができれば、強力で賢明な君主が王
座についたようなものである。
だが、もっともっと注意深くなり、さらにいっそう意識しはじめると、第三の
目のなかにある城の防備を固めたことに気付くだろう。
醒めてゆくたびに、あなたは第三の目から機能しはじめることを知って 驚くだ
ろう。
少しでも醒めれば、第三の目にある小さな緊張に気付くだろう。
あなたが注意深くなるたびに、第三の目の緊張はつのってゆく。
何かが第三の目のなかで脈打ちはじめる。 何かが第三の目のなかで鼓動しはじめる。
ひとたび覚醒アウェアネスが第三の目を機能させたら、 ひとたび覚醒が第三の
目のなかに入り込み、第三の目が機能しはじめたら、 それが息つ”くようにな
ったら
・・・ ヒンドゥー教徒がそれを「チャクラ」と呼ぶのはそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

130鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/11(火) 22:54:57 ID:1d4drIFg0
>>128 そうじゃ、全て一つなのじゃ。
 一つの意識があるだけなのじゃ。
 全ての法はそれにたどり着くためにのみあるものじゃ。

131避難民のマジレスさん:2018/12/12(水) 01:28:06 ID:LC3de7YgO
>>129
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

チャクラとは車輪を意味する。その車輪はエネルギーを必要としている。
ひとたびエネルギーが入ってくると、その車輪はまわりはじめる。
”まわる”とは、それが機能しはじめるということだ。 そうなったら、あなた
の実存に偉大な革命が起こる。 低次の心臓ハートはただちに高次のハートにひ
ざまつ”く。
高次のものが訪れると、低次のものはつねにひざまつ”く。
低次のものが支配するのは、高次のものが不在のときだけだ。
それが真の宗教と偽の宗教の違いだ。偽の宗教はあなたがたに言う。
「自分自身を統御しようと努力しなさい。これをやりなさい。それをしてはい
けない。自分の感覚を統御しなさい。自分の肉体を鍛錬しなさい」と。
真の宗教は言う。
「ただ第三の目のなかに入ってゆきなさい。
そして霊的なハートを働かせるのだ。
そうすればすべては統御される。 そうすれば規律はすべて整う。
主人を到着させなさい。 そうすれば、即座にすべてが落ちつくだろう」
両目は、左右の大臣がこころを尽くして君主を補佐するように光を巡らせはじ
める。
中央の支配はこのようにして整い、反抗する英雄たちはみな槍を倒して列席し
、進んで命令に従う。
主人を招き入れるだけでいい。
そうすれば、自分の生に秩序をつくりだそうと努める必要はない。
品性を培う必要はない。品性のことは心配しなくてもいい、と私が言うのはそ
のためだ。
もてるすべてのエネルギーをもっと意識することに注ぎ込むだけでいい。
影があなたにつき従うように、品性は意識の後からついてくる。
品性を培おうと努力すれば、あなたの品性は偽物に、まがいものになり、あな
たは偽善者になってしまう。それは<究極なるもの>に到る道ではない。

生命の仙薬への道は・・・を至上の秘術として知っている。
これは至上の秘術だ。これを「秘術」と呼ぶのはなぜか?
ひとたび高次のハートが働きはじめたら、魔法のような奇跡が起こるからだ。
あなたの感覚にはまったく秩序がなかった。
あなたの心マインドはつねに混乱していた。
あなたはつねに「これをするべきか、それともあれをするべきか?
生きるべきか、それとも死ぬべきか?」とためらっていた。
あなたは絶えず「どこへ行くべきか?何を選ぶべきか?」と緊張していた。
すると、突然、誰かが奇蹟を行なったかのように、いっさいの混乱が消え、明
晰さが生まれ、生は透明になる。
あなたは為すべきことをただやる。実際、ひとたび天上のハートが機能しはじ
めたら、あなたがすることはすべてよい。
あなたはあやまちを犯せない---それは不可能だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

132鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/12(水) 22:53:36 ID:1d4drIFg0
眉間に集中するのは本来ヨーガの法なのじゃ。
集中していればサマーディに入るのじゃ。
そこまでいけば智慧も生じて観察力も高まるのじゃ。
なかなか難しいことではあるがのう。
光を巡らす事で容易になるというのじゃ。

133避難民のマジレスさん:2018/12/13(木) 05:51:09 ID:LC3de7YgO
>>131
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

生命の仙薬への道は・・・を至上の秘術として知っている。
そして、この至上の秘術には三つの構成要素がある。

種子の水、精神の火、思考の土---これらは道教の象徴だ---これら三つのものを
至上の秘術として知っている。
種子の水とは何か?それは真実にして一なる気(エロス)のことだ。
精神の火とは光(ロゴス)、思考の土とは直観のことである。
あなたはこれら三つのものを理解しなければならない。
種子の水とはエロス、今あなたが性エネルギー、性愛のエネルギーとして知っ
ているエネルギーのことだ。
今現在、それはあなたにもめごとしか引き起こさない。
今現在、それはあなたの友人のふりをしているが、いずれ敵であることがわか
ってくる。
その後を追えば追うほど、あなたはますます惨めになってゆく。
愛は盲目だと言われるのはそのためだ。
ムラ・ナスルディンがよく私に言っ
ていたものだ。
「愛は盲目だけど、結婚すれば目が開くものさ」愛が盲目なのは、あなたがま
だ目をもっていないからであり、そのために大いなる祝福となりえた巨大なエ
ネルギーがたんなる惨めさになってしまう。
エロスがあなたのエネルギーだ。だからフロイトがあなたのエロス、あなたの
性エネルギーのなかにすべてを追求し探求するのは正しい。
だが、性エネルギーの通常のありようは、自然な状態ではなく倒錯した状態
であることを知らない点で、フロイトは間違っている。
自然な状態の性エネルギーは、高みへ高みへと昇ってゆく。
それは人を下方ではなく上方へと連れてゆく。
自然な状態の性エネルギーは、あなたの内側で黄金の華となる。
いわゆる通常の倒錯した状態の性エネルギーは、あなたを新しい監獄に連れ込
むだけだ。
なぜなら、それは外へ、下へと向かうからだ。
それはあなたを消耗させる。それは死をどんどん近くへ引き寄せるだけだ。
その同じエネルギーが上に向かいはじめたら、それは新しい生を、豊かな生を
もたらす。それは「生命の仙薬」になる。
まさに泥が蓮華と化しうるように---泥のなかには蓮華が、蓮華の種子が含まれ
ているように---人の性エネルギーのなかには、黄金の華の種子が含まれている。
だが、そ の エ ネ ル ギ ー が上昇すべきであって、 あ な た がそれを上
にあげることはできない。
それを上昇させようと努力する人々がいるが、彼らは性倒錯者になる他はない。
直接上昇させることはできないが、間接的に行なうことはできる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

134鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/13(木) 23:30:39 ID:1d4drIFg0
三つの要素とは精気神と呼ばれるものじゃ。
精を練って気に変えるのを錬精化気というのじゃ。
小周天の段階なのじゃ。
次は錬気化神になるのじゃ。
気を更に回して精神のエネルギーに変えるのじゃ。

135避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 05:59:05 ID:LC3de7YgO
>>134
うむ。ちょぴっとやったことあるのでありますが、気の訓練は、筋トレやスポーツ等の訓練同様、続ければ成長し、やめれば衰える。
いったんやめて、再開しようとすると、ちょぴっと出来ていた時の効果を期待して、それを最初から強く求めてしまうことが邪魔をして、最初に始めた時よりも難しくなるような気がするであります。
何でも継続するのが肝心でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

136避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 06:15:32 ID:LC3de7YgO
>>133
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

ひとたびあなたの第三の目、あなたの霊的なハートが働き出したら、 エネルギ
ーはひとりでに動きはじめる。
あなたが第三の目をつくりだすと、 エネルギーはまるで磁石に引きつけられ
るようにそれに向かってゆく。
今現在、あなたのエネルギーは外に向かっている。
なぜなら、あなたが 内側にもっている磁石よりはるかに大きな磁石が外にある
からだ。
美しい女性を目にすると、エネルギーは外へ動きはじめる。
その女性は磁石のように作用する。
第三の目が機能しているときには、誰も
外に引き寄せる ことができないほど
強力な磁石があなたにそなわっている。
要は外側にある磁石よりも強力な磁石を内側にもっているかどうかだ。
そうなったらエネルギーは上へ、内へと向かうようになる。
外へ向かえば、あなたは二元性の世界に入ってゆく。
内へ向かえば、不二の世界に入ってゆき、あなたは無極になる。
これこそまさに私が「超越の心理学メタ・サイコロジー」あるいは 「ブッダの
心理学」と呼んでいるものの土台をなすものだ。
これが純粋な宗教だ---儀式の宗教ではなく、純粋な宗教だ。
これはキリスト教やヒンドゥー教とは無縁であり、 あなたのエネルギーの源泉
に関わるものだ。

二番目は精神の火だ。
それは光、ロゴス、すなわち顕在意識だ。
上昇する気、エロスは、人を顕在意識と無意識の彼方へと連れてゆく。
ロゴスとは顕在意識だ。
それは心理学であり、科学だ。

思考の土とは闇、無意識、直観のことだ。 これは超心理学パラサイコロジーであり芸術アートだ。
思考の土は直観、闇だ。
女性は思考の闇、直感的な洞察力のなかで生きている。
女性は無意識、非論理的な存在として生きている。
男性は精神の火、ロゴス、論理、顕在意識のなかで生きている。
芸術家は女性的であり、科学者は男性的だ。
そして種子の水、エロス、一なる気は不二だ。
それはあなたを芸術の彼方、科学の彼方へと連れてゆく。
それはあなたを意識と無意識の彼方へと連れてゆく。
それはあなたを男を超えた世界、女を超えた世界へと連れてゆく。
それはあなたを不二なるもの、超越的なものへと連れてゆく。
だが、その秘術の奥義は、あなたの両目のあいだにある天上のハートを働かせ
ることにある。
それが働くように助ける具体的な方法については後で触れよう。』
(´・(ェ)・`)
(おわり)

137鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/14(金) 23:01:51 ID:1d4drIFg0
>>135 そうじゃ、日々続けることが大事なのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

精を気に変えて暫くするともはや気だけが体をめぐるようになるというのじゃ。
更に神に変えると常にサマーディに入っているのと同じ状態になるのじゃ。
そこまでくればもはや完成は目前なのじゃ。
最後には錬神還虚になるのじゃ。
神を鍛錬して虚に還るのじゃ。

138避難民のマジレスさん:2018/12/15(土) 05:23:41 ID:LC3de7YgO
>>136
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ
 より抜粋

肉体のなかには魄アニマが存在する。魄アニマは女性(陰)であり、意識の基
体である。

けれども、これとともに魂アニムスが存在し、そのなかに精神が潜んでいる。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
だが、暗く沈み込み、みずからの肉体の形に幽閉されている者はみな、魄アニ
マに束縛されている。
それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、 そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。
この世を超脱するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るため
に暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
光を巡らせることは、暗黒を縮小させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。
一なる本性が創造力の宮殿に降りると、それは分かれて魂アニムスと魄アニマ
になる。
魂アニムスは天上のこころハートに住む。 それは光の性質を有している。
それは軽く、清らかなものの力である。
それは我々が大いなる虚空から得てきたものであり、 原初の始まりと同じ形を
している。
魄アニマは暗黒の本性を有している。
それは重く、濁ったものの力である。
それは物質的な肉体の心臓ハートに縛りつけられている。
魂アニムスは生を愛し、魄アニマは死を探し求める。
すべての感覚的欲望と怒りの衝動は魄アニマの作用である。
だが、学人が暗い魄アニマを完全に蒸留してしまえば、それは純粋な光に変容
する。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

139鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/15(土) 23:08:06 ID:1d4drIFg0
ここでは心の働きをアニマとアニムスに例えているのじゃ。
活発な心の働きがアニムスであり、静かな働きがアニマなのじゃ。
ヴェーダの三つのグナと同じような性質の説明なのじゃ。
そのようなものが本当に心の中にあるわけではないのじゃ。

140避難民のマジレスさん:2018/12/16(日) 13:54:20 ID:LC3de7YgO
>>138
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

『 あるとき女帝、即天武后ソクテンブコウが導師の法蔵ホウゾウに尋ねた---
法界縁起ホッカイエンギの理(宇宙的な相互依存の法則)、すなわち一と多、
神と被造物、被造物どうしの関係の原理を、具体的に、単純明快に証明して見
せることができるかどうかと。
法蔵は仕事にとりかかり、宮殿の一室を使って、八つの方位に大きな鏡を八枚
立てた。
さらに彼は二枚の鏡を、ひとつは天上に、もうひとつは床に取りつけた。
部屋の中央には天上から一本の蝋燭ロウソクがつるされた。
女帝が入室すると、法蔵は蝋燭に火をともした。女帝は叫び声をあげた。
「なんとすばらしい!なんと美しいことでしょう!」
法蔵は十枚の鏡のひとつひとつに映る炎を指さして言った。
「ご覧ください、皇后陛下。これで一と多、神とその被造物との関係は証明されます」
女帝は言った。
「まさにその通りです、師よ。では個々の被造物と被造物の関係はいかがです
か?」
法蔵は答えた。
「よくご覧ください、陛下。一枚一枚の鏡が中央の炎を映し出すだけでなく、
それぞれの鏡が他のすべての鏡に反射する炎を映し出し、それらすべてが無数
の炎をたたえています。これらの影はすべて相互に等しいものです。つまり、
ある意味では置き換えうるとも言えますし、ある意味ではそれぞれが個別に存
在しているとも言えます。これは個々の事物とそれに隣接するものとの、他の
万物との真の関係を示しています。もちろん、私はこう指摘しなければなりま
せんが、陛下」
と法蔵は続けた。
「これは宇宙の真の状態の粗雑で、大まかで、静的な比喩にすぎません。なぜ
なら、宇宙は無限であり、そのなかではいっさいのものが永久に多様な運動を
くり返しているからです」
そう言うと、導師は反射する無数の炎のひとつを覆って、一見ささいなことに
思われる個々の干渉が我々の世界の有機的統一にいかに影響を与えるかを示し
て見せた。
華厳ケゴンの教えはこの関係を次のような公式で表現する。
 一即一切(ひとつのなかにすべてのもの)
 一切即一(すべてのなかにひとつのもの)
 一即一(ひとつのなかにひとつのもの)
 一切即一切(すべてのなかにすべてのもの)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

141鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/16(日) 23:02:40 ID:1d4drIFg0
華厳では一粒の砂に三千大千世界が入っているという。
刹那の時に永遠が在るという。
全てが観念であるからそれもありえるのじゃ。
観念のみなのじゃ。

142避難民のマジレスさん:2018/12/17(月) 06:22:06 ID:LC3de7YgO
>>140
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

続いて法蔵は、天覧劇の幕を閉じるために小さな水晶玉を取り出して言った。
「さあ、ご覧ください、陛下。これらすべての大きな鏡と、
その鏡が反射する無数の形がこの小さな玉に映る様を。
究極の実在においては、何の障害もなく無限に小さなものが無限に大きなもの
を内に蔵し、無限に大きなものが無限に小さなものを内に蔵している様をご覧
ください!
ああ、時間と永遠が、過去、現在、未来が、互いに妨げられずに浸透し合うこ
とを証明することさえできれば。
しかし悲しいことに、これは異なった水準で把握されねばならない。
生きて躍動するプロセスなのです・・・」
人間は孤島ではない。何ひとつ孤島ではない。
あらゆるものが相互に関連し合っている。
あらゆるものが相互に依存し合っている。
独立とは、まさにその言葉からして虚偽だ。
依存もまたそうだ。相互依存が実相だ。
万物は他の万物とあまりに深く結びついているので、何ひとつばらばらでは存
在しえない。
小さな薔薇の花を余すところなく全一に理解できたら、宇宙全体を理解したこ
とになる。
なぜなら、全宇宙がその小さな薔薇の花に内包されているからだ。
もっとも小さな草の葉にさえいっさいが含まれている。
だが、覚えておきなさい---法蔵が女帝に言ったように、すべての例証、 すべ
ての描写は静的だが、<存在>は躍動する流れだ。それは川のようなものだ。
ひとつひとつの事物が他のあらゆる事物のなかに浸透し続けている。
どこでひとつのものが終わり、どこで別のものがはじまるのか、 その線を引く
ことはできない。
境界線はない--そんなものはありえない。
したがって、区別はすべてたんに実用的な目的のためにあるだけであって、そ
れらに実存的な価値はない。
これがまず最初に理解すべきことだ。
これは道家タオイストの煉丹術のまさに基礎となるものだ。
ひとたびこれを理解すれば、道家の煉丹術の全容を把握できるようになる。
そうなったら、低次のものを高次のものに変容させることができる。
なぜなら、低次のものにはすでに高次のものが含まれているからだ。
卑金属を黄金に変容させることができるのは、何ひとつ分かたれているものは
なく、低次のものにもすでに黄金が含まれているからだ。
上のごとく下もあり、下のごとく上もまたある。
あらゆるものが相互に関連し合っているというとらえ方そのものが変容を可能
にする。
事物が相互に関連し合っていなかったら、いかなる変容の可能性もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

143鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/17(月) 23:36:17 ID:1d4drIFg0
錬金術とは鉛などの卑金属を金などの貴金属に変えることなのじゃ。
それが変じて人の肉体をも変容するものとしているのじゃ。
金は何千年も腐食しないから人の体も金のように変えれば不死になるというのじゃ。
薬物で変えるのを外丹道といいい、気の精錬で変えるのを内丹道というのじゃ。

144避難民のマジレスさん:2018/12/18(火) 05:47:26 ID:LC3de7YgO
>>142
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

もし世界がライプニッツの言うモナド---窓がなく、ばらばらに分離し、 窓が
ないため相互の結びつきをいっさいもたない原子のような単子--- から成って
いたら、そのときにはいかなる変容の可能性もない。
あなたが私であり、私があなただから、つまり私たちが互いに浸透し合ってい
るからこそ、変容を思い描くことができる。
ほんの一瞬でも自分自身を分離した存在として考えることができるだろうか?
分離した存在としての自分など思い浮かべることもできない。
花を樹から切り離すことはできない。
切り離したとたんに、花は死んでしまう。
樹は大地から切り離せない。
地球は太陽から切り離せない。
太陽は他の星から切り離せない。
それが果てしなく続いてゆく。
葉を切り離せば、その葉は死んでしまう。
花を切り離したら、その花は死んでしまう。
樹を大地から切り離したら、その樹はしんでしまう。
地球を太陽から切り離したら、地球は死んでしまう。
死とは分離しているということだ。
生とは分離していないということだ。
それゆえに自我エゴは死なざるをえない。
なぜなら、それは自分は分離しているという観念だからだ。
みずからの自己を自我の立場からとらえることはひとえに死を呼び寄せる。
なぜなら、自我にはもはや血が通っていないからだ。
息の止まった馬に鞭を当て続けることもできるが、いつまでそうしていられる
だろう?
その馬はやがて死んでゆく。すでに息が止まってしまっているので、やがては
死んでゆく。
あなたの内側で息つ”いているものは死ぬことがない。生命は永遠だ。
だが、生命はあなたのものではない。あなたはそれを所有できない。
生命は全体に属している。生命は広大なものであり、無限なるものだ。
死はちっぽけなものであり、個的なものだが、生命は宇宙的なものだ。
だから生きているときには、あなたは宇宙の一部であり、 死を迎えるときには
、自分は分離していると思うからこそ死んでゆく。
全体の一部であると感じれば感じるほど、あなたはいっそう多くの生を得る。
イエスは言う。「私のもとへ来なさい。私はあなたがたに豊かな生を与えよう」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

145鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/18(火) 23:17:00 ID:1d4drIFg0
個我の観念を持つ者は自分を独立した独りの者としてみるものじゃ。
しかし、実際には全ては繋がっている故にそれは謬見となるのじゃ。
全てが繋がりあっている一つのものとして気付くことが正見なのじゃ。
それこそが真の不死の境地なのじゃ。

146避難民のマジレスさん:2018/12/19(水) 00:58:02 ID:LC3de7YgO
>>144
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

豊かな生の秘密とは何か?
その秘密はこれだ--- 自我エゴとして死に、分離した実体としては消えなさい。
そうすれば 全宇宙と宇宙のなかに含まれるいっさいのものがあなたのものになる。
所有すれば、あなたはちっぽけなもの、有限なものになり、 やがては死ななければ
ならないことになる。
もっといきいきとする秘訣は、ひとえに 分離という観念を落とすことから成って
いる。
そしてそれが起こるたびに、あなたは 内側で生が炎のように燃えあがるのを感じ
る。
たとえそれが小さな規模で起こっても・・・ 誰かに恋をしても、あなたの内側では
生が燃えあがる。
大したことが起こっているわけではない。 たかだか二人の人間が一体感を味わって
いるだけだ。
愛から教訓を学ぶがいい。
二人の人間が一体感を味わうだけでも、大きな喜び、大きなエクスタシーが生まれ
てくる!
考えてもみるがいい。
全体と恋に落ちたら、どんなに大きなエクスタシー、 どんなに大きな喜びが起こる
ことだろう?
それが豊かな生、限りなき生だ。
自分自身を分離させると・・・ときおり自己中心的に生きるあまり、愛することが
できない人たちがいる。
彼らはこの世でもっとも惨めな人々だ。
私は地獄をこう定義する--- 分離した状態で生きることが地獄だ。
分離のない状態で生きることが天国だ。
全体のなかへ完全に跡形もなく消え去ることが 解脱モクシャ、にゃはんニルヴァー
ナだ。
それは究極の自由だ。
理解すべき第二のことがらは、生には極性があるということだ。
これもまた道家の人々の姿勢アプローチの基盤そのものをなしている。
だが、この極性は対立するものではない。
極性とは対立物が互いに補い合っているということだ。
それらは互いに支えあっている。
生は死なくしては存在しえない。
だから死は敵ではない。
生が死なくして存在しえないとしたら、どうして死が敵でありえよう?
死は友であるはずだ。
死は生の下地を用意する。
死は生を助け、生を喚起し、生に挑みかけてくる。
考えてみるがいい。
肉体が永遠に生きることになれば、 人はまったく生きようとせず、あらゆることを
無限に先に延ばしてしまう。
「明日があるなら、なぜ今日愛さなければならないのか? 明日が無限にあるなら、
なぜ気にかけるのか? なぜ今日踊るのか?明日にしようじゃないか」
思い浮かべてみるがいい。 肉体の生命が永遠なものになるなら、人はいつまでも
先に延ばしてゆくだろう。
先に延ばすことができないのは、 明日が来るかどうか確信をもつことができない
からだ。
次の息が入ってくるかどうか誰にもわからない。
だから先に延ばすのは愚かな者たちだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

147鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/20(木) 00:04:30 ID:1d4drIFg0
分離とは個我があるという認識なのじゃ。
世界とは別の自分という個体が在るという謬見なのじゃ。
世界と対峙している故にそれは全てが苦になる観念なのじゃ。
世界とは別のものであるから 孤独が常にあり、恐れや不安も常に在るのじゃ。
それがなければ全ては一つであり、安楽になるのじゃ。

148避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 01:23:59 ID:LC3de7YgO
>>146
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

賢者は生きる、賢者は今ここを生きる。
彼には先に延ばしてゆくひまがない。
なぜなら、彼は 「この瞬間だけが私のものだ。 まさにこの瞬間だけが私のもの
だ。 次の瞬間は来るかもしれないし、来ないかもしれない。 どうして先に延ば
せるだろう?どうして 明 日 などと言えるだろう?」 と知っているからだ。
愚か者は明日まで延ばす。
賢者は今を生きる。
賢者は今より他の時間、ここより他の場所を知らないが、 愚か者は永遠に先に
延ばすことができたものに入り込み、 たった今それを生きる。
腹が立つと、その怒りをたった今生きる。
やさしい気持ちになると、彼は「明日にしようじゃないか」と言う。
愚かなことばかりをやり続け、輝かしいことはすべて先に延ばし続けてゆく。
賢者もまた先に延ばすが、彼は愚かなことだけを先に延ばす。
グルジェフはよく弟子たちにこう言っていた。
「祖父が死んだとき、私はわずか九才だった。 彼は死の床に私を呼び寄せると
、耳元でこうささやいた」
老人はこの少年をこのうえもなく愛していた。
彼はこの少年に潜む力を見抜いていたにちがいない。 彼は少年の耳元でささやい
た。
「おまえにあげるものは何もないが、ほんの一言だけ忠告しておこう。 今のお
まえにそれが理解できるかどうかわからない。だが、覚えておきなさい! いつ
かおまえも大きくなったら理解できるようになるかもしれない。 とにかく覚え
ておきなさい。単純な忠告だ。 何かよくないことをしたくなったら、それを二
四時間先に延ばしなさい。そして 何かよいことをしたくなったら、たとえ一瞬
といえども先に延ばしてはいけない。腹を立て、暴力的になり、攻撃的になり
たくなったら、二四時間待ちなさい。 やさしい気持ちになり、分かち合いたく
なったら、 一瞬といえども先に延ばしてはいけない。ただちにその場で、それ
を生きなさい!」
グルジェフはよく弟子たちに、「あの簡単な助言が私の人生をすっかり変えて
しまった」と言っていた。
腹を立てるのを二四時間先に延ばせるのだったら、 どうして腹を立てたりでき
るだろう?腹の立てようがない。
それを二四時間先に延ばすことができるほど穏やかで平静にしていられるなら、
もうそれだけで腹が立たないことはあきらかだ。
二四時間先に延ばすことができるなら、どうして腹など立てられよう。
二四時間も黙想すれば、その馬鹿らしさ全体がはっきり見えてくる。
ことの全体がくだらなく見えてくる。
グルジェフはこの単純な忠告のおかげですっかり変容した。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

149鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/21(金) 00:35:39 ID:1d4drIFg0
時間とは観念であり本当は無いものじゃ。
刹那しかありえないのじゃ。
全ての者は刹那毎の時間を生きて記憶に拠ってそれを繋げているだけなのじゃ。
永遠とは常に今ここにあることなのじゃ。

150避難民のマジレスさん:2018/12/21(金) 06:16:50 ID:LC3de7YgO
>>148
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

ときとして、ごく単純なメッセージが人を変容させることがある。
だが、あなたはそれを生きなければならない。
生は死があるがゆえに存在する。 死は生に強烈さを与える。
死は生に挑みかけてくる。
生きるように、それも最大限に、最善を尽くして生きるように 人を奮い立た
せる。
というのも、誰にもわからないからだ---明日などないかもしれない。
死はつねに人を奮い立たせている。
生きるように、全身全霊で生きるように駆り立てている。
だとすれば、死は生の敵ではなく友だ。
対極をなすものはすべてそうだ。
否定と肯定、愛と憎しみ、美と醜さ、昼と夜、夏と冬。
男と女の場合にもそれは当てはまる。
男は女なしでは存在しえない。
女は男なしでは存在しえない。
それらは弁証法的なプロセスの一部だ。
これら二つの極のあいだには、魅惑と反発の両方がある。
魅惑と反発は切り離すことができないからだ。
人が女性、あるいは男性に惹かれながらも 同時に反発を感じるのはそのためだ。
あなたの一部はその女性と一緒にいたがり、 あなたの一部は独りでいたがる。
あなたはいつもためらっている。
女性、あるいは男性とともにいると、独りでいる自由にあこがれはじめる。
突然、むしょうに独りに、自由になりたくなる。
だが、この自由でいたいという欲求がどこから来るのかわからない。
相手の男性、あるいは女性がそれを喚び起こしている。
相手から離れたとたん、この欲求、このあこがれ、 独りでいたいというこの大
きな渇望は消え失せてしまう。
そうなったら、あなたは驚く、本当に驚く。
独りでいると寂しいだけだ。
あなたは予想していた喜びを感じない。
自由はどこにも見当たらない。
自分を取り巻く寂しさに気付くだけだ。
あなたの全存在が冷たくなり、凍りつき、暗くなる。
再び誰かと一緒にいたいという欲求が生まれる。
あなたは今度は愛を、ともにあることを渇望する。
これが男と女のあいだにある問題だ。
彼らは惹かれながらも反発する。
一緒になりたいのだが、一方では相手に頼らず、離れて、独りでいたい。
男と女のあいだに絶え間ない葛藤があるのはそのためだ。
結婚とは愛と憎しみの関係、魅惑と反発の関係、魅惑と反発の関係だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

151鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/22(土) 00:53:38 ID:1d4drIFg0
人が集まればそこに争いがおこるものじゃ。
そして仲直りしてまた喧嘩して仲直りしたりするのじゃ。
いつも同じことの繰り返しなのじゃ。
それが歴史として残されるだけなのじゃ。

152避難民のマジレスさん:2018/12/22(土) 05:53:21 ID:LC3de7YgO
>>150
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

男と女が争わないでいようと決めてしまっているとしたら、 そんな結婚はまが
いものだ。
彼らは一緒にいる、なんとか一緒にいるかもしれないが、 本当にはけっして一
緒にいない。 けっして一体となる瞬間を知ることはない。
彼らはふりをしているだけだ。
上品に振る舞ってはいるが、真実ではなく、本物ではない。
結婚とは一種の親密な敵対関係だ。
それは親密な敵意であり、友好的な闘いであり、戦争だ。
もちろん二つの戦争のはざまには平和な瞬間もある。
それらの瞬間は二つの戦争ゆえに美しい。
恋人たちは争い続ける---そのようにして愛の炎を燃やし続ける。
ひとたび争うと、恋人たちは互いに離れてゆく。
心理的に、互いに遠く離れてしまうと、相手を強く求めはじめ、 相手が恋しく
なってくる。
そうなると彼らは相手を求め、手探りをしはじめる。
やがて二人は近つ”いてきて、寄り添う

なぜなら、彼らはちょっとした孤独を味わったからだ。
今度は近くに寄り添っていたい。
が、親密さを味わってしまうと、彼らは再び離れたくなる。
だから心配しなくてもいい。それは基本的な現象だ。
あなたはそれから逃れられない。
逃れる唯一の方法は真実の結婚ではなく、みせかけの結婚をすることだ。
「互いに礼節をわきまえよう」と。それは一種の契約だ。
「私にはあなたが必要であり、あなたには私が必要だ」という。
つまり「あなたの背中をかいてあげるから、私の背中をかいて」 というそれだ
けのことだ。
「私にはあなたが必要であり、 あなたには私が必要なのだから、あなたは私の
身柄を引き受け、 私はあなたの身柄を引き受ける」という。
それは法律上の契約ではあっても、結婚ではない。
これが経文に入ってゆく前に理解しておかねばならない 二番目に重要なこと
がらだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

153鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/22(土) 23:01:34 ID:1d4drIFg0
人が他人を愛するのは孤独があるからなのじゃ。
孤独からの逃避として愛し合い、結婚したりするのじゃ。
逃避がなくなればそれも虚しいと知れるのじゃ。
全てはかなく消えていくものであるからのう。

154避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 00:11:48 ID:LC3de7YgO
>>152
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

そして第三の最も重要なことがら---三番目に重要なのは、 男は単に男ではな
いし、女は単に女ではないということだ。
男は両方であり、女も両方だ。男女ともにその両方だ。
男性の内側には女性がいるし、女性の場合もそうだ。
女性の内側にも男性がいる。だから外見が男であるか女であるか だけが問題な
のではない。
それは内なる現象でもある。
なぜなら、外界と内界は対応するからだ。
先に私が「下のごとく、上もまたある」と言ったように、 「外のごとく、内も
またある」と言うことができる。
あなたの内なる現実もまた、あなたの外なる現実と同じだ。
それらは対応している。
それらは均衡を保っている。
さあ、そうなるとますます複雑になってくる。
どの男性も内側に女性を抱えていて、 その女性と折り合いをつけねばならな
いからだ。
それはたんに外界に愛する女性がいるといった問題ではない。
そうだとしたら、ものごとはもっと単純だっただろう。
二人が愛し合っているとき、実際には、そこに四人の人間がいる--- どのベッ
ドのなかにも四人の人間がいる。
この複雑さがわかるだろう。
二人が愛を交わすとき、そこでは必ず四人の人が愛を交わしている。
つねにグループセックスだ。
なぜなら、男性の内側には女性がいて、 女性の内側には男性がいるからだ。
人はみな男と女の結婚から生まれてくるのだから、何の不思議もない。
父親の何かがあなたのなかにある---それは五十パーセントだ。
母親の何かがあなたのなかにある---それは五十パーセントだ。
ひとりひとりに父親が寄与し、母親が寄与している。
あなたは生物学的には男性かもしれない。
だが、それはたんに あなたの肉体が男性の機能をそなえていることを示してい
るだけだ。
精神の奥深くでは、あなたは男でもなく女でもない、あなたはその両方だ。
だから私は言う。もし、ひとつの言葉で男と女の両方を言い表さなければなら
ないとしたら・・・今まで私たちは man を使ってきた。
つまりその言葉には両方が含まれているということだ。
それはたんに 過去においては男性が大きな支配力をふるっていたからにすぎな
い。
だが将来は、振り子はもうひとつの極に振れるかもしれない。
そしてそのほうがはるかに真実だ。
なぜなら man という言葉には 女性が含まれていないが、woman という言葉に
は男性が含まれているからだ。
両方を表す用語としては woman を使うほうがいい。
そして同じことが he と she の場合にもあてはまる。
she には he が含まれているが、he には she が含まれていない。
両方を表すためには she そして、woman を使うほうがいい。
神を表すためには he よりも she を使うほうがいい。
だが、男女ともに内側に異性を抱えている。
このために、内部 にあるこの根源的な二元性ゆえに、同性愛が起こりうる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

155避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 09:50:18 ID:LC3de7YgO
>>154
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

あなたは外見は男であっても、内界に住む内なる女性に同調してゆくようにな
るかもしれない。
そうなったとしても問題はない。
あなたの精神は自由なままだ。
それは内界で内なる男性に同一化 することもできるし、内なる女性に同一化す
ることもできる。
肉体は男性であっても、内なる女性に同一化するなら、その結果として同性愛
が起こってくる。
それは様々な形で起こりうるし、様々な理由によって起こりうる。
つまり同性愛はこの内なる二元性ゆえに起こりうるということだ。
今や科学はあなたの性を転換させることさえできる。それもまた可能だ。
なぜなら、道家の人々が見い出したものは科学的にも正しいことが判明してい
るからだ。
今やホルモンや化学物質をわずかに変えるだけで 、男は女になり、女は男にな
ることができる---肉体ですらもだ。
これはまさに人間が男女両性であることを示している。
肉体の違いでさえ、たんにどちらの性が強いかということにすぎない。
ときには性の転換がひとりでに起こることもある。
女性が男性になったり、男性が女性になったりすることがある。
性差というのは大きなものではないにちがいない--- ごくごくわずかなものな
のだろう。
五十一パーセントが男であり、 四十九パーセントが女であるというように。
比率がわずかに男性の側に片よっている
にすぎない。
一生のうちに性が変わることはありうることだ---新しいホルモン、 新しい食
べ物、新しい風土、新しい環境、病気か何かがバランスを変え、男が女になっ
たり、女が男になったりすることはありうる。
今では、科学は性転換が簡単に行なえることを知っている。
未来の人々は頻繁に性転換を行なうようになる確率が高い。
一生の内に両極を生きることができるなら、やってみるのも悪くない。
男女両方の見方を楽しめるなら、やってみても悪くない。
人間はもっと多くの自由を得るだろう。
三十五年間、男として生きてきたのだからもう充分だ。
女性の側からは、どのようにものが見えるのかを見てみたい。
向こうからものがどのように見えているかを知るには、 相手の側になってみる
のが一番だ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

156鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/23(日) 22:48:14 ID:1d4drIFg0
要するに誰の心の中にも受動的な意識はあるというのじゃ。
それを受け入れ、認識して修行に役立てるのじゃ。
受動性を極めるというのが道家の修行なのじゃ。
それを解説しているのじゃ。

157避難民のマジレスさん:2018/12/24(月) 00:56:01 ID:LC3de7YgO
>>155
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

私が何千人もの人々を観察してきたところでは、現世で男であれば、 その人は
来世では女として生まれる。そしてその逆もいえる。
その理由は単純だ。人は男であることに、あるいは女であることに 飽きて、深
いところでもうひとつの極にあこがれはじめる。
そして当然、 性を変えたいというこの大きな欲望ゆえに、来世では別の性に生
まれる。
三つの基本原理がある。
ひとつめは、あらゆるものが相互に依存し合っているということ。
二つ目は、生は両極に分かれていて、この両極は 反発するのではなく互いに補
い合うということ。
三つ目は、それぞれの内に両極が含まれており、 単極で存在するものはないと
いうこと。
インドにはアルダナーリシュヴァルという概念がある。
これは道家の方法論アプローチに相当するものだ。
シヴァ神は男の半身と女の半身の両方をもつ者として像に刻まれたり、 絵に描
かれたりしている。
彼の半身は男性であり、半身は女性だ。
これらの像が西洋人の目にはじめて触れたとき、彼らは笑った--- それはとて
も馬鹿馬鹿しいものに見えた。
この像は何を意味している のだろう?
今では西洋人たちもその意味を理解している。
それは生の最も基本的なことがらのひとつだ。
あなたがたもそうだ。
シヴァ神と同じように、半分と半分だ。
これらの経文は極性に関わっている。
そしてこの内なる極性を越えてゆかないかぎり、 あなたは一なるものに達する
ことなく、二つに分かれたままだ。
二十四時間のあいだに、あなたはひとつの極から別の極へと何度も移り変わる。
見守ってみるがいい。あなたは男かもしれないが、ひじょうに女性的になり、
すぐに傷ついてしまうときがある。
あなたは女かもしれないが、日中に ひじょうに男っぽくなるときがある。
女性が男性的になるときには、彼女はこのうえもなく攻撃的になる--- 男がと
ても太刀打ちできないほど攻撃的になる。
それは女性の攻撃性が、人が手をつけていない原野のように、ごく新鮮で、使
い古されていないからだ。
そして、それは男の場合にも当てはまる。男がやさしくなるときには、 彼は本
当にやさしくなる、女よりもやさしくなる。
なぜなら、 それは原野であり、彼の実存のその部分は使い古されていないからだ

それは新鮮で、ひじょうにいきいきとしている。
だから、あなたが もう少し注意深くなれば、この奇妙な現象を何度も何度も目
にするだろう。
女性は概して愛情に満ちているが、男性は概して冷淡だ。
女性はまれにしか言い争うことはないが、そうするときには徹底している。
男が愛情深くなることはめったにないが、そうなるときには徹底している。
それは彼らの実存の使い古されていない部分だ。
それらが使われるときには、みずみずしさがある。
この内なる極性ゆえに、人は一種の苦悶、葛藤のなかに 置かれているが、人は
それなくしては存在しえない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

158避難民のマジレスさん:2018/12/24(月) 08:27:07 ID:LC3de7YgO
>>157
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

<一なるもの>は不可視のままだ---神が目に見えないのはそのためだ。
目に見えるものとなるため、<一なるもの>は二つにならなければならない。
黒板に白いチョークで書かなければならない。
そうしてはじめてこれらの言葉は目に見えるようになる。
存在するために、人はコントラストを必要とする。
昼間は星が見えず、 夜間に見えるのはそのためだ---夜の暗闇が背景となってい
る。
昼間でも夜と同じ数だけ星はある---星はどこかへ行ってしまう わけではない
、どこにもゆくはずがない。
星は同じ位置にある。
夜になるとやってきて、昼になるとどこかへ姿を隠すというわけではない。
星は同じ位置にあるのだが、昼間はコントラストが欠けている。
だから星を見ることができない、それは目ではとらえられない。
神は不可視だ。
神は二つに、男と女にならなければいけない。
物質と精神にならなければいけない。肉体と魂にならなければいけない。
これとあれにならなければいけない。二つのものだけが目に見えるからだ。
世界は”二つのもの”から成り立っている。世界は二元的だ。
この二元性を<一なるもの>のなかに消し去らせることができるなら、そのとたん
に、あなたは目に見えなくなる。
この言葉には深い含みがあるが、それはあくまでも隠喩だ。
老子の姿が見えなくなるとか、私の姿が見えなくなるという意味ではない。
あなたがたはずっと私を見ているが、それでも こ の 私 を見てはいない。
その部分は不可視のものになっている。
内側では両極が消え失せ、二元性はもはやそこにはない。
二元的なものだけが見ることができる。
非二元的なものは目に見えなくなる。
神は二つにならなければならない。
そうしてはじめてゲームが、遊戯が可能になる。
古代インドの聖典には「彼は深い孤独を感じた」と書かれている。
「彼」とは神のことだ。彼は深い孤独を感じた。
彼は他者に恋い焦がれ、そのために二つになった。
彼は男と女になり、雌牛と雄牛になり、そしてその分裂が延々と続いてゆく。
森羅万象のすべてが性的だ。「性的」という言葉で私は二元性を意味している。
森羅万象のすべてが性的だ。いずれ科学は、男の惑星があり、女の惑星がある
ことを発見するだろう。
そうであって当然だ。古代の占星術はそう言っている し、私はそれにまったく
異論がない。
あらゆるものが二元的だ。
太陽が男性の象徴とされ、月が女性の象徴とされるのはそのためだ。
それは詩ではない。それは事実だ。
科学はまだそれを発見していないかもしれないが、そうであるにちがいない。
あらゆるものが二元的だとすれば、例外などひとつもありえない。
女性あるいは男性に惹かれることで、人は人としての姿を取り続けている。
さあ、これでなぜ、いつの時代にも偉大な神秘家たちが性超越の方法を説いて
きたかが理解できるだろう---性を超越しないかぎり、神への参入は起こらない。
性を超越しないかぎり、けっして”二”の超越は起こらない。
人は二元的な世界につながれたままだ。
”世界”とは姿を顕した神のことであり、 ”神”とは再び姿を潜めた世界のこ
とだ。
それもまた二元に---姿を顕した状態と姿を潜めた状態に分かれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

159鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/24(月) 22:48:23 ID:1d4drIFg0
観念は常にものごとを分けることで認識するのじゃ。
上と下、右と左というようにのう。
分けて認識するから分別というのじゃ。
分別が無ければ観念も無くなり、上下左右も同じ一つのものとなるのじゃ。

160避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 06:56:37 ID:LC3de7YgO
>>158
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

キリスト教神学の見解はあまり深くはない。それはきわめて表面的だ。
キリスト教神学には創造しかない。破壊はどうなるのだろう?
破壊なくしてどうして創造がありえるだろう?
東洋の神学にはその両方 がある。
スルシュティは創造を意味し、プララヤは破壊を意味する。
神が姿を顕す瞬間があり、神が再び姿を潜める瞬間がある---最初に語ったよう
に、人間と同様、あらゆるものが<無>のなかに消えてゆき、ゼロになる。
恋人とともにいると、人はうんざりして、瞑想をしたくなり、ヒマラヤへ 行き
たくなる。
神もまた世界にうんざりしてしまう。
それは自然のなりゆきだ。
神は休息を取りたくなる。
そこで神は<一なるもの>のなかへ消えてゆく。
続いて溶解が起こり、あらゆるものが消え失せてゆく。
だが人はいつまでヒマラヤの洞窟に座っていられるだろう?
神ですらうんざりしてしまう。
神は再び相手を探し求めだし、創造に着手する。
それとまったく同じことがひとりひとりの魂のなかでも起こる。
あなたは生を生き、疲れて、生を離脱したくなる。
あなたは肉体を使って生きてきたが、疲れてしまっている。
あなたは今度は肉体を超越したくなる。
そうなったら、あなたは なぜ私が
「世間を恐れてはいけない。世間から逃避してはいけない」 としきりに言うの
か理解できるだろう。
なぜなら、世間こそ真の放棄が起こる場所に他ならないからだ。
それは一方の極だ。
私が「女性あるいは男性から逃げ出せ」 と言わないのはそのためだ。
逃げ出したら、思いは消えずに残る。
逃げてはいけない。それをとことん生き抜くのだ。
世間にどっぷり身を浸していると、 「もう充分だ、消え去って完全な孤独の
なかに入ってゆきたい」 という感覚が起こりはじめる。
人は本当に疲れ果てて はじめて完全な孤独のなかに入ってゆくことができる。
人々はきっと私を誤解することだろう。
インドで私ほど誤解されている者はいない。
彼らは私が人々に 耽溺することを教えていると思っている。
私は放棄を教えている。
彼らは私が世俗的なサニヤスを教えていると思っている。
彼らは理解していない。
私が教えているのは 真 の サニヤスだ。
真のサニヤスは世俗的な経験を経てはじめて生まれてくるものだからだ。
真のサニヤスはヒマラヤの洞窟のなかでは起こりえない。
それは本物ではなく、押しつけられたものだ。
人は深いところでは世俗的なままであり、 世間にあこがれ、世間を夢見続けて
いる。
世間を生きなさい。とことん生きなさい。そうすれば、 うんざりし、疲れ果て
、あなたは世間にけりをつける---とことん生きれば、ある日突然、世間はいっ
さいの意味を失い、放棄が起こっている。
私にとって、真の放棄は俗世の只中マーケットプレイスで起こる、 俗世の只中
においてはじめて起こる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

161素人A:2018/12/25(火) 09:02:04 ID:gOqWUDAs0
あのトランプさんでも多数決で大統領に選ばれたし、いま多数決では
キリスト教やイスラムきょうは仏教より人が多いし民主主義では
世界で覆い張りまあしかたない。あの世は神さんの言う事聴かないと
永遠の地獄や墓の中?でも仏教やヒンズー今日は皆の内に自燈明がある。
産めよ増やせよで多数決の信者の数増やすのもまあ良いけど?

162素人A:2018/12/25(火) 09:17:38 ID:gOqWUDAs0
多数決多数決 数増やさないと団体では威張れない世 創価学会も
自民党に憑く世

163鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/25(火) 22:22:02 ID:1d4drIFg0
世間を出ることを出家というが未練が残れば執着もありつづけるのじゃ。
それは悟りの障害にもなるものじゃ。
世間に対して本当に絶望すれば真の出世間もできるのじゃ。
そのようにして俗世を放棄すれば執着もなく、悟りの道に専念できるのじゃ。

164避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 22:40:04 ID:LC3de7YgO
>>160
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

さて経文だ---
肉体のなかには魄アニマが存在する。魄アニマは女性(陰)であり、意識の基
体である。
生けるものすべてのなかにアニマが存在している。
アニマとは女性原理、受動的な原理、不活性の原理、女性、陰・・・それは意
識の基体である。
それは意識そのものではなく基体だ。それなくして意識は存在しえない。
それは物質そのものであり、意識の住処スミカだ。
それなくして意識は宿ることができない。
女性・・・いいかね、私は「女性」という言葉でたんに女性たちを指している
のではない。私は女性原理のことを言っている。
このことを絶えず覚えておくように。
そうしないと、道家の人々が女性に反対しているように感じはじめるかもしれ
ない。
そうではない。彼らは支持するとも反対するとも言ってはいない。
ただ描き出しているだけだ。
また彼らは男を支持するとも女を支持するとも言ってはいない。
彼らは女性性の原理と男性性の原理について語っている。
肉体のなかには魄アニマが存在する。
魄アニマは女性(陰)であり、意識の基体である。
それゆえに、この女性原理ゆえに、女性は自分の身体に過度の愛着をもち続け
る。
男は自分の身体にあまり執着しない。
男は自分の身体にはまるで無頓着だと言ってもいい。
もしまわりに女性がいなければ、男はほこりにまみれて、薄汚くなるだろう。
部屋が汚くなっても、まるで気付かないかのようだ。
部屋に入れば、男がひとりで暮らしているか、それとも家に女性がいるか一目
でわかる。
すぐにわかる。部屋を見るだけで、男が独身生活を送っているかどうかすぐに
わかる。本には何ヶ月ものほこりが積もっている。
男は身体に、物質的な部分には気を配らない。
だが、女性は細やかに気を配る。
すみずみまで気を配る。
女性が鏡の前にじっとたたずんでいるのはそのためだ。

ある日のこと、ムラ・ナスルディンは蝿を捕まえていた。数匹捕まえたところ
で、彼は妻に言った。「二匹はメスで、二匹はオスだ」
妻は言った。「驚いたわ。どうしてオスとメスの区別がついたの?」
彼は言った。「二匹は鏡に止まっていたし、二匹は新聞を読んでいたからさ」
すぐにわかる。
女性は身体に、実体があるものに、家に強くつなぎとめられている。
男がひとりのままで放っておかれたら、せいぜいテントくらいで、家などなか
ったことだろう。
そもそも文明というものをつくりあげたのは女性だ。
家がなければ文明などなかったはずだからだ。
いいかね、家がなければ都市などなかっただろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

165鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/26(水) 23:02:17 ID:1d4drIFg0
老子の道徳経には玄牝の門から万物が生じるというのじゃ。
黒い牝とか、神秘の牝というのじゃ。
それは自らは動かないただ観るだけの意識そのものと言われるのじゃ。
ヨーガでは純粋観照者というアートマンの性質を現すのじゃ。

166避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:07:36 ID:LC3de7YgO
>>165
ふむふむ。
玄牝、黒い牝、神秘の牝、純粋観照者、アートマンは全て自らは動かないただ観るだけの意識のことであり、主体のない意識でありますから、無我と言う以外に誤解を生じさせない表現はないのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

167避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:18:27 ID:LC3de7YgO
>>164
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

いいかね、家がなければ都市などなかっただろう。
文明は都市のなかで発展するものだ。
「文明 civilization」という言葉自体が「市民、都市に住む人々 citizens」か
ら来ている。
女性が文明のすべてをつくりだした。
男は放浪者、さすらい人、旅人、狩人のままだっただろう。
あの場所からこの場所へと駈けずりまわっていたことだろう。
それは様々な形で見ることができる。
それは様々な形で顕れている。
西洋はより男性指向だ。
西洋人の観光客がたくさん世界中を駆けまわっている。
東洋人の観光客はそれほど多くない。
東洋はとても女性的だ。
女性は財産---家、車、土地、装飾品、衣服に執着し続ける。
これは内なる原理によるものだ。
彼女は意識の基体だ。
そして、女性なくして精神は高く舞い上がれないことを覚えておきなさい。
すばらしい詩は男性を通して生まれるが、それを引き出すのはつねに女性だ。
優れた女流詩人にはお目にかからない。
私は女性が書いた詩にざっと目を通してみた。
彼女たちは懸命に努力しているが、大した作品は生まれていない。
マドゥーリはすばらしい詩を書くが、それは「詩」と呼べるしろものではない。
女性は詩を書くことができない。
女性は詩に霊感を与えることができるというのは本当だ。
どこか背景に女性がいなければ、この世にすばらしい詩は生まれてこないだろ
う。
女性は霊感を吹き込む---彼女の存在感、彼女の愛、彼女の慈しみが詩の源にな
る。
女性は詩を書く必要がない。男が書いてくれるからだ。
だが、女性こそが霊感の源、原因、ごく微妙な原因となる。
偉大な画家になる女性はいない。
女性が絵を描かないというわけではない---とりわけ現代の女性たちは男が前か
らやってきたことは何でもやっている・・・激しい競争がある。
彼女たちは男がしてきたことはすべてしなければならないと考えている。
男性が重視されるようになったのは、そういったものごとのせいだと考えてい
る。
その論理には誤りがある。
彼女たちは男の物真似で終わるだけだ。
みずからの魂を失い、いつも二番煎じに甘んじることになる。
男の土俵で、男と競い合っても、二番煎じに甘んじるだけだ。
けっして一番になることはない。
そんなやり方で競争しても仕方がない。
男のようになっても、あなたはけっして男と同じ力を発揮することはないだろ
う。
できるはずがない。
男の背後には男性原理が潜んでいる。
あなたは醜くなり、荒々しくなり、やさしさをすっかり失ってしまう。
女性解放運動が女性たちに起こった最も悲惨な出来事だったのはそのためだ。
それはそのイデオロギーが間違っているからではなく、
その方法が間違っているからだ。
女は男と平等だが、男と何から何まで同じではないし、同じであってはならな
い。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

168鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/27(木) 23:07:53 ID:1d4drIFg0
>>166 そうじゃ、それはあるものじゃ。
 深い瞑想の境地で感じることができる意識なのじゃ。
 実践によって確かめるしかないのじゃ。
 何も無いと思えるような観るだけの意識が確かに在るのじゃ。

169避難民のマジレスさん:2018/12/28(金) 02:37:06 ID:LC3de7YgO
>>167
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性みずからの本性に従うべきだし、みずからの魂に耳を傾けるべきだ。
女性は異なる波動をかもしだしている。
女性にはこの世で果たすべき別の働きがあり、別の天命がある。
男に追従し、男の真似をしていたら、女性は自分を見失ってしまう。
自分を見失えば見失うほど、みずからの実存から根こそぎにされてゆく。
まがいもの、造りもの、人工的なものになればなるほど、彼女はますます死に
物狂いになってゆく。
女性解放運動に携わる女性たちが激怒し、絶えず憤慨しているのはそのためだ

憤慨するのは彼女たちが欲求不満を感じているからだ。
彼女たちはなりたいものになっていないし、またなることはできない---それは
本性に反しているし、またなる必要もない。

肉体のなかには魄アニマが存在する。
魄アニマは女性(陰)であり、意識の基体である。
「意識の基体」という言葉に瞑想するがいい---意識の土台そのもの。
それは意識そのものではなく、意識の住処スミカだ。
けれども、これとともに魂アニムスが存在し、そのなかに精神が潜んでいる。
アニムスは男性原理、<陽>だ。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
女性原理は肉体のなかに住んでいる。
それはきわめて物質的だ。
女性がつねに物質主義的なのはそのためだ。
彼女たちが尊重するのはきわめて実用的なものであり、彼女たちはきわめて現
実的だ。

いつかムラ・ナスルディンが私に言っていた。
彼はけっして妻と口論しないそうだ。
私は彼に尋ねた。
「どうしてそんなことができるのかね?それは不可能に近い。まず無理だと言っ
ていい」
彼は言った。
「私たちはもうずっとうまく折り合いをつけていますよ。最初の夜にひとつの
原則を決めたんですよ。私たちはそれを守っています。その原則というのは、
細かなことは妻が決め、大きなことは私が決めるというものです」
 私は尋ねた。
「細かなこと、大きなことというのはどういう意味かね?」
 彼は言った。
「たとえば、どんな車を買うか、どんな家に住むか、どんな学校に子供たちを
入れるか、どんな食事をするか、どんな服を買うか---こういった細かなことは
妻が決めるんです」
 私は言った。
「で、君は何を決めるんだい?」
彼は言った。
「神は存在するかどうか、天国や地獄はあるかどうか---こういった大きな問題
は私が決めるんです。とにかくこの原則は申し分のない効き目を表しています
よ。彼女は大きなものごとにけっして口をはさまないし、私も細かなことには
けっして口をはさまない。私は私の世界の主人だし、彼女は彼女の世界の主人
です。互いの世界を侵すことはありません」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

170鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/28(金) 22:59:20 ID:1d4drIFg0
全ての者は女性から生まれる故にそれは基底の意識と呼ばれるのじゃ。
全てを生み出す玄牝の門なのじゃ。
全てはそこから生じ、そこへ帰っていくのじゃ。
それもまたアートマンの性質と同じなのじゃ。

171避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 01:38:00 ID:LC3de7YgO
>>169
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性原理は物質に根をおろしている。
肉体に根をおろしている。
だが、男は夢を見る。
男は夢想家だ。
男性原理というのは夢見の原理だ。
男がどうしてあれほど月へ行くことに興味をもつのか女性にはわからない。
それはあまりに馬鹿げて見える。
何のために?そこで何が手に入るというのだろう?
買物でもするつもりだろうか?
月へ行くぐらいならMGロード(和尚コミューンの近くの繁華街)に行ったほう
がましだ。
あんなところで何をするつもりだろう。
何のために?生命をかけてまで?
あまりにも馬鹿げて見える。
女たちはみな心の奥底では、男なんて子供みたいなものだということを知って
いる。
「遊ばせておけばいいのよ。行かせて、好きなことをやらせておけば」
男たちは愚かなことにかまけているのだということを女性はよく承知している。
フットボール、クリケットの試合---すべてナンセンスだ。何の意味もない。
あなたがボールを向こうに投げると、相手はボールをあなたの方に投げてくる。
そしてそれが延々と続けられる。
何の意味があるというのだろう?
女性は現実的で、地に足をつけている。
女性は現世的だ。
男性原理は大空のようであり、女性原理は大地のようだ。
男は未知なるものを夢見、計画を練り、望み、それにあこがれる。
男は冒険家であり、自分をとらえている夢にいつでも生命を賭ける用意ができ
ている。
男は目のなかに住み、女は耳のなかに住んでいる。
女たちがうわさ話をしたがるのはそのためだ。
うわさ話が楽しくてしかたがない・・・二人の女がうわさ話をしているのを見
れば・・・彼女たちはたいへんな歓びに包まれているかのようだ。
こんな話を聞いたことがある。
あるとき中国で競技大会があった。中国一の嘘つきを決める大会だ。
たくさんの人々がやってきて、たくさんの嘘をついたが、優勝したのは「公園の
ベンチに二人の女が三十分も黙って座っているのを見た」と言った男だった。
彼が優勝した。まさにありえないことだったからだ!
女性ゆえに、堕落が、原罪が生まれた。
蛇はまずアダムを試したにちがいない。
だがアダムは耳ではなく目だ。彼は狡猾な蛇を見抜き、こう言ったにちがいな
い。
「あっちへ行け。俺の邪魔をしないでくれ。俺には俺の夢があるんだ」
だが蛇はイヴをそそのかした。蛇は彼女に耳打ちをしたにちがいない。
「何をしてるんだい?ここに知識の樹があるんだ。神は君たちをだましている
んだよ。この樹の果実を食べたら、君たちは神と同じように不死になるんだ。
この樹の果実を食べたら、神が知るすべてがわかるようになるんだ。君は全知
全能であまねく存在するようになるんだよ」
女性は当然好奇心に駆られた---「すごく耳よりの話じゃないの」と。
蛇は彼女を説き伏せた。蛇は最初のセールスマンだった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

172避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 11:29:28 ID:LC3de7YgO
>>171
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

セールスマンは男のところへは行かない。
セールスマンは、男が会社に出かけてゆくのを見計らってドアをノックする。
女性を説得しなければならない。
聞く耳をもっているのは女性だけだ。
耳はあなたの存在の受動的な部分、受容的な部分だ。
耳からは何かが入ってくることができる。
目は攻撃的な部分だ。
いいかね、耳を使って攻撃的になることはできない。だが、目を使えば攻撃的
になることができる。
刺すような目で相手を睨みつけることができる。
目で相手を傷つけることもできれば、目で相手を慈しむこともできる。
目で相手のこころをつかむこともできれば、よせつけないようにすることもで
きる。
誰かが取りつく島もないほどうつろなまなざしであなたの目を見つめることも
ある。
あるいは、誰かが深い欲望、情欲、熱望、関心をもって、あなたの身体をなで
まわすかのように見はじめることもある。
目は攻撃的な部分だ。
目は投影し、相手に影響を与えることができる。
インドでは、淫らな目で女性を見つめる者は「ルチチャ」と呼ばれる。
驚いたことに、「ルチチャ」という言葉は「ロチャン」から来ている。
「ロチャン」はまさに目を意味する。
彼は目で女性を犯している。
彼の目はほとんど性器のようになることができる。
目は危険だ。
耳はとても純真無垢だ。
耳はひたすら取り入れる。
耳は女性的だ。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
だが、いつであれ気分が沈み込み、動作が鈍いときには、人は肉体に縛り付け
られ、アニマに拘束されている。
あなたが男であっても女であっても関係ない。
女性が目を使い、聴こうとするのではなく見ようとしているなら、彼女はアニ
ムスになる。
男性が聴こうとしているなら、彼はアニマになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

173鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/29(土) 21:43:47 ID:1d4drIFg0
男でも女でも時に能動的になり、時には受動的になることができるのじゃ。
それらは誰にでも在る性質であるからのう。
どちらかしかないということはありえないのじゃ。
その受動性を極めることが道家の行く道なのじゃ。

174避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 23:36:12 ID:LC3de7YgO
>>172
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

弟子はアニマになる、ならざるをえない。
というのも、弟子はその全身が耳にならなくてはいけないからだ。
師マスターとは目以外の何ものでもなく、弟子とは耳以外の何ものでもない。
師は見なければならない。
あなたの最も深いところを見なければならない。
師はあなたのまさに中核を貫かなければならない。
そして弟子は耳をそばだて、意識を配り、いつでも応じられる姿勢でいて、み
ずからの内奥の中核に師が触れるのを許さなければならない。
弟子は女性的になる。
女性がこの世で一番の弟子になるのはそのためだ。
男は弟子になることが少々むずかしい。
弟子になるとしても、ためらいながらなる。
彼は抵抗し、闘い、疑う。
男はなんとか逃れようとして様々な手練手管を弄する。
逃れられないとなると、仕方なく力を緩める---が、仕方なくだ。
女性は喜びに満ちてジャンプする。
最もすぐれた弟子というのはいつも女性だった。
その比率はいつも同じで変わらない。
弟子が五人いれば、ひとりは男で、四人は女だ。
比率はいつもそうだった。
マハーヴィーラの場合もそうだったし、仏陀の場合もそうだったし、私の場合
もそうだ。
その比率はいつも同じだ。
男は、女性というのは目をうるませて、すぐに催眠術にかかり、暗示に落ちや
すいものだと思っている。
それは男たちの側からの非難だ。
男は、自分は催眠術になどかかるはずがないと思っている。
女というのは喜んで催眠術にかかるものだと思っている。
それはある意味では正しいが、ある意味では間違っている。
女は蛇に出会うと、蛇にそそのかされてしまう。
女は仏陀のような人に出会うと、改心させられてしまう。
確かに女性は暗示に弱い。
すべては彼女が誰と出会うかにかかっている。
男は蛇の言葉に耳を傾けても、それで心変わりをしたりはしない。
蛇の手に落ちることはない。
だが、一方で男は仏陀を聴きに来ても、やはり心を入れ替えることはない。
そうして男は救いを逃してしまう。

それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。(´・(ェ)・`)
(つづく)

175避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 10:26:43 ID:LC3de7YgO
>>174
うむ、ついに第三話のクライマックス「光を巡らす」技法に突入であります。
OSHOは焦らして話を盛り上げる天才でありますね。
>>138
>暗く沈み込み、みずからの肉体の形に幽閉されている者はみな、魄アニマに束縛されている。
それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、 そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。
この世を超脱するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るため
に暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
光を巡らせることは、暗黒を縮小させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。

(´・(∀)・`)つ
ワクワクドキドキくまである。

176避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 10:39:04 ID:LC3de7YgO
>>174
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

光が目のなかで循環しなければならない。
目はあなたの存在のなかで最も光に
満ちた部分だ。
道家の人々は、人の目は太陽に似ていると言う。
目がなければ光を見ることはできない。
そして、似たものだけが似たものを見ることができる。
人の目は凝縮された光だ。
目を通して光を見ることができるのはそのためだ。
人の耳は凝縮された音だ。
耳を通して聞くことができるのはそのためだ。
男であれ女であれ、すべての人のなかにあるアニマを克服しなければならない。
なぜか?それはアニマが形であり、肉体であり、物質だからだ。
精神が主人にならなければいけない。
精神が肉体の上に君臨しなければいけない。
精神が肉体を従わさせなければいけないのであって、その逆ではだめだ。
だから、男であろうと女であろうと関係ない。
内なるアニマをアニムスに従属させなければならない。
なぜなら、アニムスのみが探求し、探索することができるからだ。
そして女性が後からついてくるなら、アニムスは実在の奥底まで分け入ってゆ
くことができる。
詩人が、背後に女性がついていて、自分を支えてくれていることを知っている
なら、彼の詩は高く高く舞い上がることができる。
女性がいつもそばにいてくれることがわかると、男はじつに逞しくなる。
彼はどんな冒険にもおもむくことができる。
女性がそばにいてくれないと感じるやいなや、彼は気力を失ってしまう。
今や彼には夢しかない。
が、その夢は無力だ。
その夢にはもはやエネルギーがなく、実現されえない。
ものを実現させる力は女性にある。
夢見る力は男にある。
神、あるいは真理の探究においては、男が先頭に立ち、女が従わなければなら
ない。
あなたの内側では、アニムスが師になり、アニマが弟子にならなければいけな
い。
そして、もう一度くり返すが、あなたが男であるか女であるかは関係ない。
この世を超越するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るために
暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
女性はおとなしく、男性は活発だ。
女性がしっかりと落ち着いているように見え、男性がひじょうに落ち着きなく
見えるのはそのためだ。
子供であっても、ほんの小さな子供、赤ん坊であっても、その違いがある。
男の赤ちゃんはひじょうに落ち着きがない。これをつかもうあれをつかもう、
手を伸ばして何かに触れようとしている、手のかかるやんちゃ坊主だ。
女の赤ん坊はけっして手がかからない。
彼女は黙って座り、人形を抱いている 。
彼女もまた人形だ。このうえもなく落ち着
いている・・・ 落ち着きという原理
は女性的であり、落ち着きのなさという原理は男性的だ。
女性がまろやかで美しく、男性が絶えず熱を帯びているのはそのためだ。
だが、成長するためには落ち着きのなさという原理が必要になる。
なぜなら、成長とは変化を意味するからだ。
(´・(ェ)・`;)
(つづく)

177避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 13:28:13 ID:LC3de7YgO
>>176
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性は基本的に古い型を守ろうとし、男性は基本的に古い型を破ろうとする 。
女性はつねに現状を支持するが、男性はたとえ愚かな革命であっても はじめよ
うと待ち構えている。
変化してゆくものなら、何でも男は支持 する。
状況が良くなろうが、悪くなろうが、それは大したことではない。
変 わ る こ と が 善 なのだ。
女性はいつも古いもの、確立されたもの を支持する。
それが良いか悪いかは問題ではない。
「いつもそうだったのだから、そうあるべきよ」というわけだ。
成長するためには、あなたの内にあるよどみの原理が溶け去る必要がある。
あなたの内なる女性は凍りついている。
あなたが川になれるよう、その女性を溶かさなければならない。
だが、川はまた両岸の力も借りなければならない--- 岸辺は動かないことを覚
えておきなさい。
もし両岸がなかったら、川はけっして大海にたどり着けない。
そして水が凍っていたら、川はけっして大海にたどり着けない。
だから川は溶けて水にならなければならないが、 それでも動かない岸辺の力を
借りなければならない。
完全な人間というのは、みずからの活動的な側面を川として 使い、みずからの
静的な側面を岸辺として使う者をいう。
それが完全なバランスだ。
そうなったら、あなたは成長するために アニムスを使い、その成長をつかのま
の現象ではなく、 確たるものにするためにアニマを使ったことになる。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
だがふつうは、男であれ女であれ、誰もが動きを止めている。
男たちですらきわめて保守的だ。
キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、ジャイナ教徒---男たちですら
きわめて保守的になる。
彼らはみずからのアニマの犠牲になっている。
彼らのアニムスは征服されてしまっている。
それは解き放たれねばならない。
私のここでの努力はそれに尽きる---あなたのアニムスをアニマの支配から解き
放つこと。
ひとたびアニムスがアニマの支配から解き放たれたなら、私たちはアニマをも
使うことができる。
だが、まずは解き放たれることが先だ。
私がしきりに動的な瞑想の技法を勧めるのはそのためだ。
ごくまれに坐禅やヴィパッサナをするよう勧めることがあるが、それはその人
のアニムスが流れているのがわかるときだけだ。
今や彼らはアニマを使うことができる。
ヴィパッサナや坐禅はアニマの技法、女性的な技法だ。
スーフィ・ダンス、ダイナミック瞑想、ナタラジはアニムスの技法だ。
まず最初は川にならなければいけない。
そうしてはじめて岸辺を支えとして使うことができる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

178避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 13:39:23 ID:LC3de7YgO
>>177
> 成長するためには、あなたの内にあるよどみの原理が溶け去る必要がある。
> だが、川はまた両岸の力も借りなければならない
> もし両岸がなかったら、川はけっして大海にたどり着けない。
>水が凍っていたら、川はけっして大海にたどり着けない。
> だから川は溶けて水にならなければならないが、 それでも動かない岸辺の力を
借りなければならない。
>あなたのアニムスをアニマの支配から解き放つこと。
ひとたびアニムスがアニマの支配から解き放たれたなら、私たちはアニマをも
使うことができる。

↑これは、「巡らす」の部分の前ふり説明でありますね。
はてさて、肝心要の「光」の話に突入であります。
(´・(∀)・`)つ

179避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 14:06:52 ID:LC3de7YgO
>>177
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

光を巡らせることは、暗黒を収縮させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。

聖なる果実は男性でもなく女性でもない。
聖なる果実は<全体なるもの>とし
てのみ熟す。
アニマとアニムスが鳥の二つの翼のように互いを支え合うとき、エロスが解き
放たれ、ロゴスが解き放たれ、直観が解き放たれる。
そうなったら、あなたは大空へと飛翔するようになり、同時に大地に根を下ろ
してもいる。
樹は空高くそびえるために、大地に深く根を張らなければならない。
大地はアニマで、空はアニムスだ。
空に向かって高く伸びれば伸びるほど、それと同じだけ深く大地に根を張って
ゆかなければならない。

魂アニムスは天上のこころハート---第三の目のなか---に住む。
それは光の性質を有している。
それは軽く、清らかなものの力である。
それは我々が大いなる虚空---大いなる空ソラ---から得てきたものであり、原初
の始まりと同じ形をしている。

魄アニマは暗黒の本性を有している。
女性が神秘的なのはそのためだ。

その神秘のベールを剥はぐことができた男性はいない。
その両方の性を超えたとき、ひとりの覚者ブッダになったとき、はじめて人は
男女両性の神秘を知ることができる。
そうならずして女性の深みを推し量りえた男はいない。
女性は神秘的で、暗く、闇夜のままであり続けている。
はっきりとは見えない、せいぜい手探りすることしかできない。
女性を明晰な論理でとらえることはけっしてできない。
彼女はけっして論理には従わない。
彼女の道は曲がりくねっている。
彼女はプロセスをまったく経ずに、ただちに結論へと飛び移る。
男性は一歩一歩プロセスを踏みしめてゆく。
彼は着実に手順を踏んでゆく。
女性は直観的だという意味では詩人だ。
彼女は詩などつくらないかもしれない---彼女は一編の詩もつくらない詩人だ。
彼女にとっては生そのものが詩だ。
そしてその生は詩と同じように暗い。
神秘的で、漠然としていて、曖昧だ。
何ひとつ明晰ではない。
何ひとつ明晰ではありえない。
女性の神秘を剥ぎとることはできない。
彼女はいつも疑問符のままだ。
男は光のように明晰だ。
男が浅薄に見え、女が深遠に見えるのはそのためだ。
男がまったく表面的に見えるのはそのためだ。
男のことなら何でも知ることができる。
どんな男かわかれば、彼の未来を予測す
ることができる。
だが、女性の未来はけっして予測できない。
彼女はどこまでいっても 予測しえず、それゆえに暗闇のように見える。
これらはみな隠喩だ。
それは重く、濁ったものの力である。
そして女、女性的な原理は、あなたを大地につなぎとめておく。
それは重力だ。
それは物質的な肉体の心臓ハートに縛りつけられている。
魂アニムスは生を愛し、 魄アニマは死を探し求める。
女性は生よりも死に似ている。
気分を害さないように。
これはただの形容にすぎない。
もし「アニマ」や「アニムス」、「男」や「女」という言葉に引っかかるなら
、それを「X」と「Y」に置き換えればいい。
だが、『黄金の華の秘密』がやっているのはまさにそれだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

180避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 14:16:34 ID:LC3de7YgO
>>179
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋


これらは譬たとえにすぎない。それらを人間の姿になぞらえることで理解を助
けているにちがいない。
男は生に関心を寄せ、女は安定に関心を寄せる。
男は愛に関心を寄せ、女は身の安全に関心を寄せる。
男は冒険に関心を寄せ、女は快適さ、便利さに関心を寄せる。
女性は死だ。
「死」という言葉には何の非難もこめられていない。
死の特質は安定していることにあるというだけの話だ。
人は死んでようやく安定する。
消えてようやく人は安定する。
そうなったら、あなたの身には二度と何も起こらなくなる。
だが男は探し求め、探求し、危険を冒したい。
だからこそ夫は別の女性を探し続け、妻は夫を見張り続けることになる。
どうして夫がいまだに別の女性に興味をもち続けるのか妻にはわからない---
「私がここにいるのよ!」。
だが、男性原理はいつも新しいもの、刺激を与えてくれるもの、胸をときめか
す新しい快感に興味をそそられてゆく。
ときには美人の妻をもちながら、さえない女性と遊びはじめる男もいる。
誰が見ても腑に落ちない---どうなっているのだろう?
「あんなにすてきな女性がいるのに、君は何をしているんだい?」
だが、あなたは男性原理というものを理解していない。
男性原理は基本的に一夫多妻制であり、女性原理は一夫一婦制だ。
彼女は愛よりも結婚に興味がある。
彼女はただ結婚するために恋に興味をもつ。
そして男はただ恋に興味をもつがゆえに結婚する。
「男がみんな結婚せず、女がみんな結婚していたら、世界はこのうえもなく喜
びに満ちていただろう」という古い諺ことわざがある。
だが、それをどうやって実現するのだろう?そんなことは不可能だ。

魂アニムスは生を愛し、魄アニマは死を探し求める。
すべての感覚的欲望と怒りの衝動は魄アニマの作用である。
だが、学人が暗い魄アニマを完全に蒸留してしまえば、それは純粋な光に変容
する。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

181避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 14:21:06 ID:LC3de7YgO
>>180
うむ。
流石のくまも気付いたのである。
OSHOは、この第三話で「光」の話はしないつもりなのである。
うむ。
OSHOはお話の天才である。
後、ちょぴっとで第三話は終わるので、載せてしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ

182避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 14:31:51 ID:LC3de7YgO
>>180
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

煉丹術は、男女それぞれの内にあるこの二つの原理を理解し、内側の暗い側面
であるアニマを明るいものへと変容させることにある。
暗い部分が動くのを助け、それが明るい部分に手を貸し、それと闘わないよう
にさせることにある。
アニマがアニムスに手を貸すことができるなら、それが真の結婚、内なる結婚
だ。
そうなったら、あなたはまとまりはじめる。
あなたの光はもはや浅薄ではなく、暗闇の深さをそなえるようになる。
あなたの暗闇はもはや暗くなく、軽やかな光をおびるようになる。
アニマとアニムスは互いに溶け合う。
そしてそれらが完全に溶けると、世界は消え失せ、あなたは再びひとつになっ
ている。
ひとつになることが神を知ることだ。
二つのままでいることは世間にとどまることだ。
そして、その秘法、その実験はあなたの内側で起こらなければならない。
それは外の世界とはいっさい関係がない。
あなたの内側では、この二つの原理が絶えず争っている。
それらを「生/死」「明/暗」「男/女」「X/Y」―何と呼んでもいいが、この二つ
の原理がそこにあって、絶えず争っている。
それがあなたの苦悶であり、あなたの惨めさであり、あなたの地獄だ。
この二つの原理を和解させなさい。
あなたのエネルギーをそれらのなかで巡らせて、互いに反発させるのではなく
、互いに近付けさせなさい。
男と女のあいだに内なるオルガスムを、内なる交合を起こさせなさい。
それこそがタントラで「ユガナッダ」―内なる男と女の出会い―と呼ばれてい
るものだ。
それが真のタントラだ。
外側での男と女の出会いは序曲にすぎない。
スッダがタントラ・グループをリードしている。
それは序曲にすぎない。
真のタントラはまだはじまっていない。
彼女はまさにあなたがたの下地を整えている。
私が今やあなたがたは内側に入って、そこで内なる男女と出会う用意が整って
いると見なしたら、まもなく真のタントラ・グループが始まる。
外界への関心がもはやあなたを外につなぎとめておくほど強くなく、もはやあ
なたをそれほど縛りつけていず、鎖が切れていると見なしたら、そのときには
真のタントラ・グループがはじまる。
私は新しいコミューンが誕生するのを待っている。
なぜなら、新しいタントラ・グループにはまったく異なる風土、まったく異な
る環境が必要になるからだ。
これは人間が体験しうる最大の実験だ。そしてこの実験は、あなたの内に宇宙
的なエクスタシー、完全なオルガズムを解き放つだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

183鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/31(月) 00:21:51 ID:1d4drIFg0
アニマとかアニムスとは陰陽の気なのじゃ。
光を巡らして行けば陽気が集まり強化されるのじゃ。
それによって陰気もコントロールできるようになるのじゃ。
陰陽両方が合致して大極になるのじゃ。
その象徴が大極のマークなのじゃ。

184避難民のマジレスさん:2018/12/31(月) 14:35:02 ID:LC3de7YgO
>>182
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる
 より抜粋

 呂祖師は言った。
 光を輪のように巡らせると、天と地、光と闇のエネルギーはことごとく結晶
化する 。
この秘術を行ないはじめると、まるで生ける存在の只なかに無があるように 感
じられる。
やがて修行の成果が現れてくると、肉体の外に肉体があり、あたかも 無の只な
かに生ける存在があるかのように感じられる。
百日のあいだ懸命に努力を続けると、ようやく火が発するようになる。
そうしてはじめてそれは精神の火となる。
さらに百日行ずれば、光の中に真の光の極がおのずと現れてきて、 突然、真珠
の種が生まれる。
それはあたかも男女が交わって受胎が行なわれるようなものである。
このときには静かな状態で待たなければならない。
 根源的な変容の只なかにあっては、光の放射が決定的な働きをする。
それは物質界においては太陽であり、人間においては目である。
このエネルギーは外界に向けられる(下に流れる)。
それゆえに黄金の華の道はひとえに逆流の技法にかかっている。

 光が巡るのはたんなる空想ではない。
 思考を集中させることで、人は飛翔することができる。
欲望を集中させることで、人は堕ちる。
学人がみずからの思考に少しも注意を払わず、欲望にかまけるならば、 下方へ
向かう道に沈み込む。
黙想と静けさによってのみ、真の直観が湧き起こってくる。
このために逆流の技法が必要となる。
ある偉大な師マスターが「仏ブッダとはどのようなものですか?」と尋ねられ
た。
「心が仏だ」と師は答えた。
何年かが過ぎて、再び同じ弟子が同じ質問をした。
師は「仏もなく、心もない」と答えた。
「ではなぜ前には『心が仏だ』とおっしゃったのですか?」
「赤ん坊を泣き止ませるためだ!赤ん坊が泣き止んでしまえば、『心もなく、
仏もない』と言う」
哲学は玩具おもちゃ、赤ん坊を泣き止ませるための玩具だ。
神学もまたそうだ。
宗教というのは、本当は体験、実地の体験から成り立っている。
それは憶測とはいっさい関係がない。
宗教は本質的に内界の科学であり、他のすべての科学と同じくらい科学的だ。

宗教と科学の違いは方法の違いではなく、たんなる対象の違いにすぎない。
科学は、私たちのエネルギーが流れ、私たちの光が流れている客観的な世界を
見つめる。
宗教は、光を流すことができるが、今はまだ流れていない私たちの主観的な世
界を探求する。
科学のほうが宗教よりやさしいのはそのためだ。
宗教のほうが科学よりも単純であるとけっして考えてはならない。
それはより高度な科学だ。
どうして科学よりも単純でありえよう。
それはより優れた科学だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

185避難民のマジレスさん:2018/12/31(月) 18:47:22 ID:LC3de7YgO
>>184
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

まず光が内側に向かって流れなければならない。
そうすれば光があなたの実存を照らし、あなたの実存が開示されて、あなたは
みずからの実存のなかへ入ってゆける。
そしてみずからの実存に入ってゆくことは、神の王国に入ってゆくことだ。
そこにはあなたは存在せず、神が存在している。
あなたは影としてしか存在しない。
光が外に向かって流れると、あなたが存在するが、影としてでしかない。
あなたが存在するのは、真の自己に気付かないままでいるからだ。
真の自己とは至高の自己だ。
真の自己とは宇宙的な自己だ。
それはあなたとはいっさい関係がない。
それはあらゆるものの自己だ。
だが、それを得るためには、大いなる変容が起こらなければならない。
自然は人間が外に向かって流れるように準備した。
自然の役割はそれで終わった。
人間において、自然はその頂点に達した。
もはや人間が自然を超えてゆこうと決断しないかぎり、そのままでは何ひとつ
起こらない。
自然は人間がみずからの足で立てる地点まで人を運んできた。
人間はもはや子供ではない。人間は大人になった。
もはや自然は親の役割を終えた。
もうその必要はない。
自然な進化は人間で止まった。
これは事実だ。
科学者たちでさえこの事実にますます気付きつつある。
何千年ものあいだ、人間には何も起こらなかった。
人間は変わらなかった。
まるで自然の仕事が終わってしまったかのようだ。
今や人間は、さらなる成長の道をみずからの手に引き受けなければならない。
宗教とはまさにそれだ。
宗教とは、人がみずからの足で立ち、みずからの存在に責任をもつようになり
、事態がどうなっているか、自分が誰であるかを見つめ、探求し、探索しはじ
めることをいう。
そして、それはたんなる好奇心であってはならない。
哲学は好奇心から生まれる。
宗教はきわめて誠実で、真正な探求だ。
それは問いかけだ。
そして好奇心と問いかけには大きな違いがある。
好奇心は幼稚なものであり、頭のささいな か ゆ み にすぎない。
かいてしまえば、満足して終わりになる。
哲学とはかゆいところをかくことだ。
宗教は生死しょうじの問題だ。
哲学では、人はけっして巻き込まれることがなく、超然としている。
おもちゃで遊んでいるだけで、生死の問題ではない。
知識をかき集めるが、けっしてそれを実行には移さない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

186鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/01(火) 00:06:24 ID:1d4drIFg0
気を巡らしていればいずれ光が見えるようになるというのじゃ。
百日では無理かもしれんがのう。
人によって進歩の速さは違うからなのじゃ。
光の結晶を丹というのじゃ。
体の内側に見える光を内丹というのじゃ。

187避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 00:44:43 ID:LC3de7YgO
>>186
くま、光や熱が見えたり、感じたりしてた時も、瞑想修行のおまけのような感じでそうなり、又、それによって修行が捗った感もなかったのであります。
ここで、光を巡らす技法読みすすめるに従い、なんかもったいないことをしたように思えてきたであります。

鬼和尚にも当時、その熱感を頭頂部から抜くようにイメージすれば、サマディ-に至れるとアドバイスをもらい、何度かチャレンジしたのでありますが、できなくて、やめてしまったのでありました。
残念なくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

188避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 01:15:29 ID:LC3de7YgO
>>185
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

聞いた話だが―昔あるところに優れた儒学者が住んでいた。
彼は八十歳に近い紳士であり、 その博学な知識と理解において、彼の右に出る
者はないと言われていた。
ところが彼の有する知識よりももっと深い、新しい教義が遠くで生まれた とい
う噂が広まった。
老齢の紳士はそれを黙認できなくなり 、この問題に黒か白か決着をつけなけれ
ばならないと思った。
老齢にもかかわらず、彼は長旅に出かけた。
数ヶ月もの厳しい 旅路を終えて目的地に着くと、彼は自己紹介をして来意を告げ
た。
主人は新しい禅の流派に属する師だったが、ただ次のような句 を引用した。
「悪しき行いを避け、あたうるかぎりの善を行なう。
これがあらゆる覚者ブッダたちの教えだ」
これを聞いた儒学者の老紳士はかっとなった。
「老齢の身に鞭を打ち、 生命の危険を冒してまで長く険しい旅をしてきたのに
、三歳の子供でも そらんじるようなささいな句を引用するだけとは!私を馬鹿
にしているのか?」
だが禅師は応えた。
「貴方を馬鹿にしているわけではありません。 確かに三歳の子供ですらこの句
を知っていますが、八十歳の老人でさ
え それを実行できないことに思いを
致してください!」
宗教が問題にするのは知ることではなく、それを生きることだ。
宗教とは生であり、それを生きないかぎり、 それが何であるのか何ひとつ知る
ことはできない。
そして宗教を生きるためには、哲学をすべて落とし、 実際に試してみることを
はじめなければならない。
人は実験室にならなければいけない。
科学者の実験室は外界にあるが、宗教的な人の実験室は その人自身の存在―そ
の人自身の肉体、その人の魂、その人の心だ。
科学者は実験の対象となる事物に精神を集中しなければならない。
科学者は目を開けて仕事をしなければならない。
宗教の仕事は目を閉じて行なわなければならない。
自分自身に精神を集中しなければならない。
(p121)
そしてそれは一筋縄ではゆかない。
というのも、宗教の世界では 実験する者と実験の対象が同じだからだ。
それゆえにそれは入り組んでいて、風変わりで、解釈しがたく、非論理的なも
のになる。
宗教の世界では知る者と知られるものは同じだ。
科学の世界では知る者は分離している。 知られるものは分離している。
ものごとは明確に分けられており、境界が定められている。
だが、宗教ではあらゆるものが融合し、互いに溶け合っている ―知る者ですら
分離したままではいられない。
宗教は知る者から 遊離した知識など与えない、知る者から遊離した体験など与
えない。
それが与えるのは知る者の本質エッセンスそのものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

189避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 09:01:21 ID:LC3de7YgO
>>188
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

宗教的な探求者であるためには、いっさいの哲学 を落とさなければならない。
先験的アプリオリな 知識をすべて落とさなければならない。
なぜなら、先験的な知識はすべて障害になるからだ。
それは問うことを妨げる。
問いかけは不誠実なものになる― その最初の一歩から問いかけは曇らされて
しまう。
すでに結論を出していながら、 どうして問いかけることができるだろう?
キリスト教徒でありながら宗教的であることはできない。 あるいはヒンドゥー
教徒でありながら宗教的であることはできない。
ヒンドゥー教徒でありながら、どうして 宗教的でいることができるだろう?
ヒンドゥー教徒である ということは、すでに結論を出していて、何が真理か 決
めてしまっているということだ。
そうだとすれば問いかけてみても仕方がない。
何を問いかけるというのだろう?
あなたがやるのは、すでに結論付けていることがらの裏付け、論証を探し出す
ことでしかない。
だが、その結論は間違っているかもしれない ―わかりはしない。
その結論はあなたのものではなく 、社会から渡されたものだからだ。
社会はしきりにあなたに結論を与えようとする。
あなたが自分で結論に到れるよう意識を与えようとはしない 。
あなたが意識的になる前に、少しでも問いかけがはじまる 前に、社会はありと
あらゆる結論を詰め込んで、 何がなんでもその問いかけを阻もうとする。
なぜなら、その問いかけは社会にとって危険だからだ。
問いかけない人間は扱いやすい。
問いかけない人間 は従順だ。
すなおに命令や指令を受け取り、それに従う。
彼は法を尊重し、因習を守る。
ひとたび誰かの心にわずかでも信仰を吹き込めば、薬物を 飲ませたことになる。
信仰は麻薬だ。彼はいったん信じ込む と、どこまでもしゃにむに信じてゆく。
やがて徐々に、彼は その信仰が自分自身の体験であると思い込むようになってゆ
く。
信仰というのは催眠のシステムだ。
あなたは子供に 「おまえはヒンドゥー教徒だ。おまえはヒンドゥー教徒だ」 と
どんどん暗示をかけてゆく。
子供を寺に連れてゆき、宗教的な、 いわゆる宗教的な儀礼、儀式を体験させる。
やがて子供は条件付けられ、自分はヒンドゥー教徒であり、ヒンドゥー教はす
べて正しく、 それ以外の宗教はすべて間違っていると思い込むようになる。
そして、同じことがあらゆる社会で行なわれている。
あなたがたは子供たちに麻薬を与えてきた。
子供の意識のまさに源が毒されてきた。
そしてもし何かを信じたら、それは真実のように見えてくる。
もし何かを信じはじめたら、その裏付けとなるもの、それを 助ける証拠となる
ものが続々と見つかるようになる。
あなたの自我エゴがからんでくる。
真実かどうかだけでなく、奥深くで問題になっているのは 「どちらが正しいの
だろう?私だろうか君だろうか? 私が間違っているはずがない―私が正しいに
ちがいない」 ということだ。
だからあなたは自分を支えてくれるものばかりを選び取る。
そして生はひじょうに複雑であり、そこではありとあらゆる ものを見つけるこ
とができる―あなたが選び取り、決定した ものは何でも見つかる。
あなたが悲観主義者であれば、その悲観主義 を裏付けるありとあらゆる論拠が
生のなかに見つかる。
あなたが楽観主義者であれば、ありとあらゆる論拠 を手にすることができる。
生は二元的であり、生は逆説に満ちており、生は多次元的だ。
この世にこれほど多くの哲学、主義、神学が存在するのはそのためだ。
そしてどの神学も独自の結論の殻に閉じこもり、自分が一番正しいと信じている。
(p123)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

190鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/01(火) 23:03:05 ID:1d4drIFg0
>>187 おしいことじゃ。
 百日は続けたらよいのじゃ。
 頭の真ん中よりも後頭部に近いほうに集中すると善いのじゃ。
 実践が大事なのじゃ。

191避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 23:52:18 ID:LC3de7YgO
>>190
うむ。
残念なくまであります。
寒いときの方が、熱は感じやすいので、正月休み中ちょぴっとやってみてるのであります。以前ほどケッカフザも深く組めなくなってるでありますが、やってみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

192避難民のマジレスさん:2019/01/02(水) 00:00:12 ID:LC3de7YgO
>>189
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

ようやく現代において信奉者たちは少しとまどうようになった。
これは大いなる祝福だ。
なぜなら、彼らは他の信奉者たちの存在にも 気付きはじめたからだ。
今やヒンドゥー教徒はそれほど得意になり、 自己満足してはいられない。
キリスト教徒の存在を知っているからだ。
そしてキリスト教徒も、自分たちだけが真理の版権を手にしていると 信じ続け
ることはできない。
イスラム教徒もいるし、道教徒もいるし、仏教徒もいるということを知ってい
るからだ。
そして誰も当てにならない。
現代はひじょうに混乱している―かつてなかったほど混乱している。
だが、覚えておきなさい。 この混乱は大いなる祝福だ。何かが途上にある。
何かとほうもなく重要なことが起ころうとしている。
この精神の混沌カオスは新しい夜明けのはじまりだ。
将来には、人々はイスラム教徒にも、ヒンドゥー教徒にも、 仏教徒にもならな
いだろう。
人々は問いかける者たちとなる。
信仰はなくなり、信仰の闇は姿を消しつつある。
これからは誰も信仰をもたなくなってゆく。
人々は問いかけ、見いだしたときに信頼するだろう。
信仰は借り物であり、信頼はその人自身の体験だ。
私がここであなたがたに教えているのは、この先、ますます興隆 してくる宗教
だ。
私は現在のあなたがたに未来をもち込んでいる。
私はあなたがたが純一な探求者になるようにしむけている― いかなる信仰体系
ももたず、何の結論も抱かずに、 みずから進んで実験を行なってゆき、それが
何であろうと 真実に心を開いて、それを受け容れてゆく用意のある探索者、 ひ
たすら真実を受け容れてゆく用意のある者たちに。
信仰をもつ者は閉じている。
彼の窓や扉は閉じている。
彼は一種の 牢獄に住んでいる。
彼は一種の牢獄のなかで暮らさなければならない。
窓や扉を開けたら、太陽が差し込み、雨風が吹き込んできて、 信仰体系がかき
乱されてしまう恐れがあるからだ。
あらゆる方角 から真実が入ってきたら、自分の信仰を守ることなどできなくなる

彼は真実から身を隠さなければならない。
何にもかき乱されないように 、かき乱されはしないのだと信じ込めるように、
窓のない閉ざされた 世界で生きなければならない。
これは社会にとっては好都合だが、 個人の健やかさのためにはきわめて危険だ。
社会はあなたに遊び道具を与え続けている。
子供に玩具おもちゃを与えれば、子供は遊びに夢中になって、邪魔にならなくな
る。
親はほっとする。父親は新聞を読むことができるし、母親は台所 で仕事をする
ことができる。
子供は玩具に夢中になっている。
インドの村では、これがよく行なわれている。
野良仕事に行く 貧しい女性は、一緒に小さな子供を連れてゆかなければならない。
充分大きくなっていれば、子供は独りで遊べるが、まだごく幼いうち は独りで
は遊べない。そういう子供に母親は始終気を取られてしまう。
子供は泣きだす―腹を減らしたり、おもらしをしたり、風邪を引いたりして い
るのかもしれない。
母親は絶えず世話をしに来なければならなくなる。
それでは仕事の邪魔になるし、親方も許してくれない。
そこで子供 に少量の阿片を与えることがよく行なわれてきた。そうすれば、子
供は阿片がもたらす心地よいまどろみのなかで美しい夢を 見ながらぐっすり眠
り、母親は気を取られずに仕事を続けられる。
これは仕事にとっても、母親にとっても、地主にとっても好都合だ。
が、子供の健康にとっては有害かつ危険このうえない。
子供の将来 まで損なわれてしまう。
だが、そういうことがずっと行なわれてきた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

193避難民のマジレスさん:2019/01/02(水) 10:03:16 ID:LC3de7YgO
>>192
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

実験をしなくてもすむように、問いかけに気をそらされなくても すむように、
社会は信仰を与える。
なぜなら、探索には多大な エネルギーが費やされるため、有能な事務員、有能
な駅長、 有能な車掌、有能な警察官になることはできないからだ。
人は探索に心を奪われ、内なるものへの関心が高まり、 外側の世界への興味は
消え失せてゆく。
社会はあなたが外交的な生き方をすることを望んでいる―生産 されたものが善
いものであるか悪いものであるかは問われない。
爆弾をつくっている会社で働いていても、有能であり、生産性を あげなければ
ならない。
軍隊で働いていても、有能であり、 つねに従順でなければならない。
どこで働いていても、その仕事の善悪は取りざたされない。
社会が 決定したことにはすべて従い、きちんと列に並ばなければならない。
問いかける人になれば、危険が生じてくる。
その人はどんどん内向的になってゆくからだ。
優先すべきものが変わり、価値観が違ってくる。
金のことはあまり気にしなくなるかもしれない。
権力のことはあまり気にしなくなるかもしれない。
野心がなくなるかもしれない。
もはや所有欲がなくなるかもしれない。
財産への関心が消えてしまうかもしれない。
内なる豊かさ、内なる神の王国を探し求めるようになるだろう。
だが、そうなるとますます社会にとっては効率が悪くなってゆく。
そして社会には、こつ゛きまわされながら他人の仕事をするより も、自分の仕
事をしている内向的な人々の数がまさる世界― そのほうがよりよい社会になる
だろうが―を認めるだけの余裕がない。
それは人々がもっと瞑想的なよりよい世界であるはずだ。
そうなれば政治家たちも過去にもたらしたほどの害悪を引き起こせなくなるだ
ろう。
人々がもっと内向的になれば、戦争はひとりでに消え失せるだろう。
そうなったら戦うことに誰が関心を払うだろう?
人を殺したり、人の生命を奪ったりすることに誰が関心を払うだろう?
だが、暴力は美しく見えるように粉飾されている―国家の名のもとに殺せ、 イ
スラム教の名のもとに殺せ、キリスト教の名のもとに殺せというわけだ。
そうなると殺人は美化される。キリスト教のためであろうが、教会 のためであ
ろうが、国家のためであろうが、民族のためであろうが、 殺人に変わりはない

それらは人を殺すための口実、破壊行為を行なうための口実、 狂気に走るため
の口実にすぎない。
十年ごとに世界規模の大戦が勃発している。
それは十年ごとに人々の存在 のなかに大量の膿うみがたまり、それが噴き出さ
ざるをえなくなるからだ。
人々はみずからの存在に大量の毒をため込んでいるため、もう抑えておけなく
なる。
狂気が、地球規模の狂気が炸裂する。
人々がもっと内向的になれば、 戦争はなくなり、政治の争いは姿を消すだろう

もっと内向的になれば、言うまでもなく、 人々はあまり効率よく働けなくなる
だろう。
その必要はない。人々はもっと幸せになるだろう。
おそらく四六時中ものごとに忙殺され、狂ったように振りまわされたりせずに、
もっと幸せで、もっと喜びに満ち、 もっと祝うようになることだろう。
必要なものは充分に生み出すが、 不要なものには関心をもたなくなるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

194鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/02(水) 22:59:53 ID:1d4drIFg0
>>191 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 特にけっかふざでなくてもよいのじゃ。
 胡坐でも姿勢が正しければよいのじゃ。
 自分がやり易いように座ると善いのじゃ。

195避難民のマジレスさん:2019/01/02(水) 23:57:49 ID:LC3de7YgO
>>193
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

だが、私たちは不要なもの、まったく必要ではないものに過剰な関心を寄せてい
る。
そんなものはなくてもやってゆける のに、なしで済ますことができない。
私たちは突進し、走り続けるように訓練されてしまっているからだ。
私たちは他のありようを知らない。
(p127)
社会はあなたに信仰という毒を盛って、最初の第一歩からあなたの探求の息の
根を止めてしまう。
宗教とはあなたの探求をもう一度よみがえらせることだ。
宗教とはあなたを本来の源泉へと連れもどすことをいう。
そして、それは好奇心ではなく、とても誠実な探求であることを覚えておきなさ
い。
自分を知らずに生きてゆくなど死んでいるのも同然だ。
自分が誰であるかを知らずして、どうして本当に生きてゆけるだろう?
自分自身を知らずして、生にどんな意味があるというのだろう?
自分が誰であるかを知らずして、自分をどう扱うというのだろう?
自分の天命が何であるかをどのようにして見極めるのか?
そう、騒音ばかりで、音楽というものがない。
計算ばかりで、祝祭というものがない。
あちこちへあわただしく駆けまわっているが、どこにも行き着きはしない。
生まれてから死ぬまで一種絶えざる緊張のなかを生きてゆくが、 生と<存在>
の美、祝福を知ることはない。
もっとも身近にあって知るべきもの、最初に知るべきものである、 みずからの
内なる実存の美と祝福にすら気付いていないのだから。
生に向かう最初の一歩は自己を知ることだ。
それはたんなる好奇心ではありえない。
好奇心から探求する人はたくさんいる。
だが、 好奇心が生を変容させることはけっしてありえない。
それはやはり か ゆ み に過ぎず、 たやすく満足させることができるものだ。

昔あるところに宿屋の主人がいたが、おかしなことに、どうしても帳尻を 合わ
せることができなかった。
どんなに努力してもうまくゆかなかった。
経営方針をすっかり改めようとしたが、それもうまくゆかなかった。
そこで気落ちした彼は、ある賢明な女性に相談した。
「とても簡単なことよ」と、謝礼を受け取りながら彼女は言った。
「宿の名前を変えるといいわ」
「でもずっと『黄金のライオン』でやってきたのですよ」と彼は応えた。
「名前を変えてごらんなさい」と彼女は言った。
「『八つの鈴』がいいわね。そして看板には鈴を七個並べておくの」
「それじゃ辻褄が合いませんよ。そんなことをして何になるんです?」
「家に帰って、やってごらんなさい」と賢い女性は言った。
そこで彼は家にもどり、言われた通りにやってみた。
すると、ただちに通りがかりの旅人たちがみな足を止め、鈴の数を数えると 、
続々と宿屋に飛び込んできて、その誤りを指摘した。
誰もがその誤りに 気付いたのは自分だけだぞといった顔つきで、そのことを肴
さかなにして 一杯ひっかけたがっていた。
宿屋はどんどん繁盛してゆき、主人は財を築いた。
これが人々のありようだ。 宿屋の名前は『八つの鈴』だが、看板には七つし
かない。
人々に好奇心を起こさせ、彼らの心をつかんでしまうには充分だ。
だが、この種の好奇心はどこにも行き着かない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

196避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 13:35:43 ID:LC3de7YgO
>>195
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

人々は神について尋ね、真理について尋ねるが、 彼らの目を見れば、その尋ね
方を見れば、本気でないことがわかる。
天気の話でもするように、人々は神についても話す。
それはうわべを取り繕うための会話だ。
誰も本気で取り組んでいないようだし、誰も情熱的に探求してはいないようだ

だが、探求に大いなる情熱をかけ、 全身全霊をあげて、完全にその身を投入
しないかぎり、 みずからの実存の秘密を知ることはできない。
なぜなら、多くの仕事をしなければならないからだ。
好奇心にかられた人間は、それだけの仕事をこなすことができない。
好奇心にはあなたを遠くに連れてゆくだけの力がない。
そのエネルギーはひじょうに小さく、ちっぽけなものだ。
知りたいという心からの情熱があってはじめて、 必要とされる困難すべてを乗
り越えてゆくことができる。
それは骨の折れる仕事だ。
(p129)
だから、『黄金の華の秘密』に関してまず第一に 理解すべきことはこれだ―哲
学的にならないこと、 社会に毒を盛られないようにすること、 信じることもせ
ず、不信感も抱かないこと。
いいかね、「信じるな」と言うとき、そのつど 私は不信感を抱けと言っている
のではない。
不信感というのは別種の、否定的な形の信念だ。
「信じるな」というとき、私は信も不信も一緒に落とさなければならないと言
っている。
あなたは何の結論も抱かず、ただ 開いていなければならない。
あなたは知識で無知を隠さずに、ただ 自分が無知であることに 気付いていな
ければならない。
あなたは無垢に、純真な無知 にならなければいけない。
あなたは「私は知らない」 と言わなければならない。
正しい取り組み方は、すべて この「私は知らない」からはじまる。
知りもしないのにすでに何かを知っている気でいるなら 、知識で一杯になって
いるなら、その信念そのものが妨げ となり、その信念そのものが真実ではない
体験を引き起こす。
信念に毒を盛られると― 信念はLSDやマリファナやハッシッシに似ている。
信念に毒を飲まされると、それを投影した世界が つくられてゆき、あなたの空
想力は歯止めが利かなくなる。
空想力が翼を広げはじめると、あなたは現実との接触を失い、遊離した私的な
世界をつくりあげてしまう。
あなたは愚か者になる。
これが「愚か者」という言葉の意味だ。
私的な世界に住み、自分だけの現実をもち、 本当に実在するものから完全にか
け離れ、 自分の空想がリアルになるあまり、その視野から現実がすっかり消え
失せてしまった者。
LSDやマリファナや他の薬物ドラッグを飲むときに起こることはそれだ。
薬物はあなたのなかに色彩豊かな小さな空想の世界をつくりだす― 少なくとも
薬物に溺れているときには色彩にあふれている。
そして薬物の影響下にあるときには、体験するものすべてが究極の真理に見える

毎日、誰かが私のところに来て言う。
「世界がこんなにも美しいことに気付いたのは薬物ドラッグのおかげです」
あなたが気付いたのは夢の世界にすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

197鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/03(木) 22:42:27 ID:1d4drIFg0
全ての探求は自分自身が何の先入観もない状態で始めなければならないのじゃ。
先入観があればそれに引きずられて結果も正しくないものになってしまうのじゃ。
未知の大陸を行く探険家のように何も知らないところから始めるべきなのじゃ。
そうすれば心の中にも新しい変容となる気付きを得ることが出来るのじゃ。

198避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 01:02:23 ID:LC3de7YgO
>>196
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

薬物はあなたの批判力を取り去るだけだ。
薬物はあなたの理性を麻痺させるだけだ。
そうなると夢の世界がそのすべての窓を開き、止めどなく あらゆる方角に流れ
出してゆく。
批判力が働かなくなると ・・・理性が働きを停止し、空想力が全開になり、歯
止めがまったく きかなくなると、あたかもそれが究極の真理であるかのような
感じがしてくる。
が、そうではない。
それは真理とは何の関係もない。
真理は化学的な薬物だけではなく、宗教的な薬物の影響すらまったく 受けてい
ない者、微塵みじんも影響を受けていない者に対して のみ開かれる。
そういう者たちだけが真理を知る力を秘めている。
聞いた話だが・・・ 笑気ガスを吸った偉大な心理学者ウイリアム・ジェーム
ズは、究極の ”真理”に到達した。
彼は薬物ドラッグの実験を最初に行なった人々 のひとりだった。
当時は、薬物を常用している人々はいなかった。
彼は笑気ガスの影響を受けて、究極の真理に出くわしたと感じた。
彼は優れた心理学者であるとともに哲学者でもあったが、人がほとんど やらな
いようなことをやった。
ただちにその体験をノートに書き記したのだ。
彼には何かとほうもない価値のあることが自分の意識に起こったので、 ただち
にそれを書き記さなければならないと気付くだけの分別がまだ残されていた。
薬物による体験が終わってしまえば、それを忘れてしまう かもしれない。
そこで彼はその体験を書き記し、出くわした究極の真理が何であるのかを読む
ことができるように、薬物の影響が消える瞬間を待った。
彼は自分が仏陀やキリストのような人物になり神を見たとか、 あるいはウパニ
シャッドの賢者、老子、ツァラツストラ、マホメット たちが見たものを、それ
ほど重要なものを見たと考えた。
だが、正気に もどり、ノートを見て、彼はひじょうに戸惑い、驚いた。
ノートにはこのようなことが書かれていた。
ホガマス、ヒガマス、男は一夫多妻バリガマスである。
ヒガマス、ホガマス、女は一夫一婦モノガマスである。
これが彼の出くわした”究極の真理”とやらだった。
どんなに 馬鹿げたことでも、正気を失い、理性が働かず、批判力 が完全に眠り
こけているときには究極的なものに見える ―どんなに馬鹿げたことでもだ。
だが、その瞬間には、それは馬鹿げたものではない。
その瞬間には、それは究極の真理のように見える。
オルダス・ハックスレーは言っている。
はじめてLSDを飲んだとき、 彼はごくふつうの部屋に座っていた。
彼の前には何の変哲もない ふつうの椅子があった。
いったんLSDが体内で効きはじめ、化学組成に 影響を与えはじめると、椅子が目
を疑うほど美しく見えはじめてきた。
彼の生涯でものがそれほど美しく見えたのははじめてだった。
椅子 は輝いていた。
椅子から極彩色で、サイケデリックな光があらゆる方角に流れ出していた。
椅子は同じままであり、そのゲーム全体を つくりだしているのは空想力にすぎ
ない。
たんにLSDが狂気に駆り立てているだけだ。LSDが批判力の芽をすべて摘み取って
しまっている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

199避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 10:47:08 ID:LC3de7YgO
>>198
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

(p132)
信仰にとって疑いは敵となるが、信頼にとって疑いは敵ではない 、と私が言う
のはそのためだ。
信頼は疑いを通して成長する。
信仰は疑いを抑圧することによって成長する。
信仰が一種の薬物ドラッグであるのはそのためだ。
薬物はまさにそのように働く。
それは、あなたが愚か者にならないように ひたすらあなたの意識を醒めさせ、
あなたが 空想の餌食とならないようにしている 疑う力を抑圧する。
宗教は昔からずっとそれをやり続けてきた。
それらは 「疑うな。疑えば、地獄に落ちるぞ。信じろ。疑いが起こったら、抑
え込め、そんなものは投げ捨ててしまえ。ひたすら信じ続けるんだ」 と言う。
「信じていれば、やがてわかる」と。
信頼というのは、まったく異なる現象だ。
それは 薬物に冒されていない意識、開かれた意識から生まれてくる。
信じることもせず、不信感も抱かず、信と不信にとらわれた結論を抱かない、
完全に自由で純真無垢な意識から。
疑いは役に立つ。
真理に到達するまで、疑いは役に立つ。 疑いは信頼の友だ。
疑うというまさにそのプロセスが空想の餌食にならないように 助けてくれる。
さもなければ、空想が好き放題に羽をのばす。
例えば、ヒンドゥー教徒に生まれ、クンダリーニについて読んだことがあれば
、あなたの空想がその体験をそっくりそのままつくりだしかねない 。
いつでも蛇はとぐろを解いて背骨の底から昇りだし、シューと 大きな音を立て
、第七のチャクラに向かって突進してゆくだろう。
そしてその体験があまりにリアルに見えるので、いったん それを信じてしまっ
たら疑うことなどできなくなる。
だがイエスはクンダリーニには遭遇しなかった。
マホメットは クンダリーニのことなど何も知らなかった。
仏陀でさえ、彼は ヒンドゥー教徒に生まれたが・・・仏陀は誠実な探求者であ
り、 あらゆる種類の信仰を落としたので、クンダリーニには一度も 遭遇しなか
った。
マハーヴィーラはクンダリーニのことなど何も 知らなかった。
ツァラツストラはそれについて語らなかった。
どういうことだろう?
彼らは取り逃がしたのだろうか?
クンダリーニは信仰だ。
七つのチャクラを信じていれば、 生涯のうちにその七つのチャクラが働きはじ
めるだろう。
何かを信じていれば、人はそれを見はじめる。
現代にクンダリーニ・エネルギーを紹介したゴーピ・クリシュナ は十三年間働
きかけ、座ってクンダリーニが昇るのを待ち続けた と言っている。
十三年は長い時間だ。
十三年間もクンダリーニを 信じて待ち、背骨の奥底深くをのぞき込み続けるこ
とができるなら、クンダリーニが昇ったとしても不思議ではない。
やがてある日、それは起こった。
蛇はとぐろを解き、猛烈なエネルギー と音―滝が落ちるような轟音をともなっ
て突進し、脳を貫いた。
それ以来 、ゴーピ・クリシュナは、天与の才能が解き放たれたと思い込んだ。
クンダリーニが昇ると人は天才になるのだと彼は考えている。
だが、彼の天与の才能が何をなし遂げたのか私にはわからない。
確かに彼は馬鹿げた、何の変哲もない、四流の詩をいくつか書いた。
それが天与の才能だとしたら、クンダリーニなど奥深くに押し込めて おく方が
ましだ。
誰もが四流の詩人になるというのは良いことだとは 思えない。
いったいどういう天分が解き放たれるというのだろう?
こういうやり方はよくない。
こんなものは空想にすぎない。
あるものを信じれば、あなたはそれを見るようになる。
危ないのはそこだ。
信じることからはじめてはいけない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

200鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/05(土) 00:48:49 ID:1d4drIFg0
クンダリニーも光を巡らすのも自分の本心の探求に使わなければ何の意味もないのじゃ。
気が頭に導かれれば多くの映像が見られるようになるのじゃ。
神仏を信じる者にはその姿も見えてしまうのじゃ。
それに囚われれば妄想を真実と思う行者病に陥るのじゃ。
気をコントロールすると共に心も整えなければならないのじゃ。
それが性命双修という道教の教えなのじゃ。

201避難民のマジレスさん:2019/01/05(土) 21:08:51 ID:LC3de7YgO
>>199

黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづく)
 より抜粋

これがタオの視点だ―探求し、試みて、結論がひとりでに生まれてくるのを待
つのが。
(p134)
呂祖師は言った。
光を巡らせると、天と地、光と闇のエネルギーはことごとく結晶化する。
あなたの意識は外に向かって流れている―これは事実であり、信じる必要のな
いことだ。
対象となるものを見るとき、あなたの意識はその対象に向かって流れてゆく。
例えば、あなたは私を見ている。
あなたは自分を忘れ、私に焦点を合わせている。
あなたのエネルギーは私に向かって流れ、あなたの目は真っ直ぐに私に向けら
れている。
これは外向的なエネルギーの流れだ。
花を眺めて、それに魅せられるときには、花に焦点を合わせている。
あなたは自分をすっかり忘れ、花の美しさにひたすら注意を注いでいる。
私たちはこれを知っている―刻一刻とこれが起こっている。
美しい女性が通りかかると、突然あなたのエネルギーは彼女の後を追いはじめ
る。
私たちはこの外へと向かう光の流れを知っている。
これは物語の半分にすぎない。
だが、刻一刻と光は外へ流れ出し、あなたは背景に退いてゆき、二度ともどっ
てこない。
あなたの内側はどんどん空っぽになってゆき、うつろになってゆく。
あなたはブラック・ホールになってしまう。
これとまったく同じことが宇宙ではより大きな規模で起こって いる。
物理学者たちは今やブラック・ホールを発見した。
道家の人々はずっと昔にブラック・ホールを発見していたが、遥か彼方の宇宙
空間にあるブラック・ホールに関心が あったのではなかった。
彼らが関心を寄せたのは人間の内側 にあるブラック・ホールだった。
ブラック・ホールとは、あなたのエネルギーがすべて使い尽くされ、消耗して
いる状態・・・自分が空っぽになりながら、このエネルギーの源泉に滋養を与
えてゆく方法をまったく忘れている状態をいう。
科学者たちは、遅かれ早かれ、太陽はブラック・ホールになると言っている。
なぜなら、エネルギーが絶えず放射されているのに何も太陽にはもどってこな
いからだ。
それはこのうえもないエネルギーの源泉だ。
何百万年ものあいだ、太陽は太陽系に光を与え続けてきた。
何百万年ものあいだ、太陽エネルギーのおかげで樹々が育ち、 花が咲き、人間
が暮らし、動物が動きまわり、鳥たちが飛んで きた。
だが、太陽もだんだんと消耗してゆく。
それがゆっくりと進み、ある日、太陽は崩壊する。
エネルギーが涸れ果ててしまう。
突然、すべての光が消え失せ、その最後の光線がかき消えてゆく。
そうなったら、太陽はブラック・ホールになる。
人々の多くはそのようにして生きている。
この絶え間ない外向性ゆえに、彼らはブラック・ホールに なってしまう。
あなたの目はきょろきょろと動きまわる。
見 る 者 に一度もエネルギーを返すことなく、ものを見続けている。
昼間は世間を見て、夜には夢を見る。
とにかく、あなたは対象となるものに絶えず執着 し続けている。
これがエネルギーを消耗させる。
三十歳になる頃には、人はほとんどこと切れてしまい、 ブラック・ホールにな
っている。
人々は三十歳前後で死んで しまう。
埋葬されるのは七十歳前後になるだろうが―それは また別の話だ。
とにかく人は三十歳前後で死んでしまう。
思う に、「三十歳を超えた人間を信じるな」というヒッピーの考えには何らか
の真実がそなわっている。
そこには真理の種子がある。
三十歳を過ぎてもいきいきとしている人はなかなか見つからないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

202鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/06(日) 00:00:58 ID:1d4drIFg0
光を巡らせていると気はだんだんと固まってくるというのじゃ。
最初は気体のようであったのがだんだん液体のようになる。
次には固まって個体のようになるというのじゃ。
球が体の中を巡るようになるというのじゃ。
それが丹なのじゃ。

203避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 03:41:10 ID:LC3de7YgO
>>202
くまが小周天の練習をしていた時は、もやもやとした光のたまが、大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら、通常はソフトボールくらいの大きさにまとまり、と言うか、意念でまとめて、巡らせていたであります。
下腹部で生じた熱感を伴う光の玉を、尾てい骨から背中、肩、首、後頭部へとまわしてゆき、
それぞれの部位を、少しづつ越えていったであります。
でも、光や熱は肩胛骨辺りで弱まり、首から頭頂部を抜けて行くことはなかったであります。
仕方ないので、気感のみを、意念で後頭部から額に飛ばして、下腹部におろし、なんちゃってくまなり小周天完成としたのでありました。
仙道、気功の練習は、肉体的修練そのものであると言うのがくまの実感でありましたが、巡らしてるときは、その部位、熱、光、への集中力が高まるので、集中力を高める訓練に使えるかなと思ったであります。
(´・(ェ)・`)つ

204避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 03:55:19 ID:LC3de7YgO
>>201
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

人々はブラックホールになり、疲れ果て、消耗し尽くしてしまう。
彼らはだらだらと身を引きずり続けてゆく。
まるで過去からの惰性の力で行きながらえているかのように、生気をなくした
ままで生きている。
それはこういうことだ―自転車に乗りたければ、ペダルをこがなければ ならな
い。
だが、しばらくペダルをこぐのを止めても、それまで 走らせてきた惰性がつい
ているので、自転車はしばらくのあいだは 進む。
もしそれが下り坂であれば、遠くまでゆくことができる。
三十歳か三十五歳を過ぎると、人生の道は下り坂になる。
三十五歳がピークだ。平均年齢が七十歳だとすれば、三十五歳がピーク だ。
三十五歳を過ぎると、下り坂がはじまる。
あなたはエネルギ ーを使わずにどこまでも転げ落ちてゆくことができる。

道家の人々の体験では、あなたが外へ外へと使ってきた このエネルギーは、そ
れを逆転させる秘術を学ぶことで、 消耗させずにもっともっと結晶化させるこ
とができる。
それは可能だ。あらゆる集中の技法の科学はそれにつきる。
いつか鏡の前に立って、小さな実験をしてみるといい。
あなたは鏡を見ている。
自分の顔が映っている。
そこには自分の目が映っている。
これが外向性だ。
あなたは鏡に映った顔を見つめている―もちろん 自分の顔だが、それは外にあ
る対象物だ。
次にしばらくのあいだプロセスをそっくり逆にしてみるといい。
鏡に映る自分の姿から見られているという感じになってゆく― あなたが鏡像を
見ているのではなく、鏡像があなたを見ている―すると、とても奇妙な空間に
入るだろう。
数分間それをやってみれば、あなたはひじょうに活気 に満ちてきて、何かとほ
うもない力が自分のなかに 入ってくるように感じる。
一度も体験したことがない ことだから、あなたは怖くなってしまうかもしれない

あなたは完全に輪になったエネルギーを一度も見たことがない。
道家の経典には述べられていないが、これは誰にもたやすくできる最も簡単な
実験だろう。
浴室の鏡の前に立って、まず 鏡像をのぞき込む。
見ているのはあなたであり、鏡に映った姿は対象だ。
次に状況をそっくり変え、プロセスを逆にする。
自分は鏡像であり、向こうにいる人物に見られていると感じはじめる。
するとただちに変化が起こり、 大きなエネルギーがあなたに向かってくるのが
わかる。
そんなことをするのははじめてであり、体験したことがない ので、最初は怖く
なるかもしれない。
それは気違いじみて 見える。
あなたは動揺して、震えだすかもしれない。
あるいは 自分がどこにいるのかわからなくなってしまうかもしれない。
なぜなら、これまでの方向感覚は完全に外向的なものだったからだ。
内向性は徐々に身につけてゆかなければならない。
だが、輪は完結している。
そして、数日間それをやれば、一日中活気がみなぎっているように感じてあな
たは驚くだろう 。
数分間鏡の前に立って、輪が完結するようにエネルギーをもどってこさせれば
・・・。
そして輪が完結したときには、必ず深い静けさが感じられる。
輪が完結していないと落ち着きがなくなってくる。
輪が完結すると落ち着きが生まれ、あなたは中心に据わる。
そして中心に据わると力がみなぎる―その力はあなたのものだ。
そして、これは実験のひとつにすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

205避難民のマジレスさん:2019/01/07(月) 00:03:03 ID:LC3de7YgO
>>204
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

色々なやり方でそれを試してみればいい。
薔薇の花を見るなら、最初は薔薇の花をしばらく、 数分間見つめ、それから逆
のプロセスに入る。
薔薇の花があなたを見つめている。
薔薇の花からどれだけ多くのエネルギー がもらえるか、あなたは驚くだろう。
同じことを樹々や星々や人々を相手にやってみればいい。
一番いいのは愛しているパートナーとそれをやることだ。
互いの目をのぞき込んでみるといい。
まず相手を見ることからはじめ、次は相手が エネルギーを返してくれるように
感じるようにする。
贈り物が返ってきている。
エネルギーが補給された感じがする。
シャワーを浴び、風呂に入り、新しい種類のエネルギーを浴びた感じがする。
あなたは若返り、活力に満ちてそこから出てくる。
(p138)

呂祖師は言った。
光を輪のように巡らせると・・・光を巡らせるというのはまさにそのようなこ
とだ。
あなたの光は弧を描いて動いている。
出てゆくばかりでもどってこない。
あなたはやがてブラックホールになる。
輪が完結すれば、あなたはホワイトホールになる。

今やブラックホールに次いで、物理学者たちはホワイトホールも発見しつつあ
る。
ホワイトホールはエネルギーに満ちあふれている―ブラックホールとはちょう
ど反対だ。

光を輪のように巡らせると、天と地のエネルギーはことごとく・・・「天と地」
は、内と外、上と下、神と世界、目に見えないものと見えるもの、知りえない
ものと知りうるものを意味する。
「天」は神を指し、「地」は顕れた世界を指している。
輪が完結すると、それらはひとつになる。
人はただの塵チリではなく、天空の何かがあなたを貫いている。
あなたはもはや地上のものであるばかりではない、もはや人間であるばかりで
はない。
人は聖なるものになっている。
「ヒューマン」という言葉の語源を心にとめておきなさい―それは土を意味す
る「ヒュマス」からきている。
人間は土でつくられている。
人間が「ヒューマン」と呼ばれるのはそのためだ。
人間は塵であるがゆえに「ヒューマン」と呼ばれる。
塵が聖なるもので光を放ちはじめると、生命の荘厳さが知られる。
エネルギーがもどってくれば、それは可能だ。
それは至るところから取りもどすことができる。
それはまったく問題ない。
ただその秘法を実践すればいいだけだ。
ひとたびその こ つ をつかんだら、あなたは至るところにそれを見いだすこと
だろう。
緑の樹を見つめているだけで、活気がみなぎってくる―まるですべての樹液が
あなたに向かって流れてきたように。
樹の精髄ジュースがあなたの実存に入ってきたかのように。
月を見つめていると、あなたは驚くだろう―酒やその他の麻薬ドラッグで酔っ
ぱらう必要はない。
月で酔うことができるのだ。
その方法を知っていれば、月は大量のエネルギーを返すことができる。
古代インドの『リグ・ヴェーダ』には、ソーマのことが書かれている。
科学者たちは、ソーマはLSDに似たものだと考えている。
科学者たちは、ソーマというのは気候の変化か何かでヒマラヤから姿を消した
、ある種のキノコに違いないと考えている。
あるいは絶滅したのではなく、人々に忘れ
去られてしまっているだけなのかも
しれない。
今もヒマラヤの深い谷のどこかに生えているのだが、私たちはその正体をすっ
かり忘れ去っているだけなのかもしれない。
ひょっとすると古代の賢者たちは、それが危険すぎることがわかったために、
意図的に人々の記憶からそれを消し去ろうとしたのかもしれない。
オルダス・ハックスレーは、ソーマは究極の麻薬ドラッグであり、将来、究極の
LSDが発見されれば、再びそれは「ソーマ」と呼ばれるようになるだろうと言っ
ている。
だが、あなたはソーマというサンスクリット語が月の別名であることを知って
驚くだろう。
だからヒンドゥ語では、月曜日は「ソムワラ」―月の日―と呼ばれる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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