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鬼和尚の仏教購読会 別館
189
:
避難民のマジレスさん
:2019/01/01(火) 09:01:21 ID:LC3de7YgO
>>188
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
より抜粋
宗教的な探求者であるためには、いっさいの哲学 を落とさなければならない。
先験的アプリオリな 知識をすべて落とさなければならない。
なぜなら、先験的な知識はすべて障害になるからだ。
それは問うことを妨げる。
問いかけは不誠実なものになる― その最初の一歩から問いかけは曇らされて
しまう。
すでに結論を出していながら、 どうして問いかけることができるだろう?
キリスト教徒でありながら宗教的であることはできない。 あるいはヒンドゥー
教徒でありながら宗教的であることはできない。
ヒンドゥー教徒でありながら、どうして 宗教的でいることができるだろう?
ヒンドゥー教徒である ということは、すでに結論を出していて、何が真理か 決
めてしまっているということだ。
そうだとすれば問いかけてみても仕方がない。
何を問いかけるというのだろう?
あなたがやるのは、すでに結論付けていることがらの裏付け、論証を探し出す
ことでしかない。
だが、その結論は間違っているかもしれない ―わかりはしない。
その結論はあなたのものではなく 、社会から渡されたものだからだ。
社会はしきりにあなたに結論を与えようとする。
あなたが自分で結論に到れるよう意識を与えようとはしない 。
あなたが意識的になる前に、少しでも問いかけがはじまる 前に、社会はありと
あらゆる結論を詰め込んで、 何がなんでもその問いかけを阻もうとする。
なぜなら、その問いかけは社会にとって危険だからだ。
問いかけない人間は扱いやすい。
問いかけない人間 は従順だ。
すなおに命令や指令を受け取り、それに従う。
彼は法を尊重し、因習を守る。
ひとたび誰かの心にわずかでも信仰を吹き込めば、薬物を 飲ませたことになる。
信仰は麻薬だ。彼はいったん信じ込む と、どこまでもしゃにむに信じてゆく。
やがて徐々に、彼は その信仰が自分自身の体験であると思い込むようになってゆ
く。
信仰というのは催眠のシステムだ。
あなたは子供に 「おまえはヒンドゥー教徒だ。おまえはヒンドゥー教徒だ」 と
どんどん暗示をかけてゆく。
子供を寺に連れてゆき、宗教的な、 いわゆる宗教的な儀礼、儀式を体験させる。
やがて子供は条件付けられ、自分はヒンドゥー教徒であり、ヒンドゥー教はす
べて正しく、 それ以外の宗教はすべて間違っていると思い込むようになる。
そして、同じことがあらゆる社会で行なわれている。
あなたがたは子供たちに麻薬を与えてきた。
子供の意識のまさに源が毒されてきた。
そしてもし何かを信じたら、それは真実のように見えてくる。
もし何かを信じはじめたら、その裏付けとなるもの、それを 助ける証拠となる
ものが続々と見つかるようになる。
あなたの自我エゴがからんでくる。
真実かどうかだけでなく、奥深くで問題になっているのは 「どちらが正しいの
だろう?私だろうか君だろうか? 私が間違っているはずがない―私が正しいに
ちがいない」 ということだ。
だからあなたは自分を支えてくれるものばかりを選び取る。
そして生はひじょうに複雑であり、そこではありとあらゆる ものを見つけるこ
とができる―あなたが選び取り、決定した ものは何でも見つかる。
あなたが悲観主義者であれば、その悲観主義 を裏付けるありとあらゆる論拠が
生のなかに見つかる。
あなたが楽観主義者であれば、ありとあらゆる論拠 を手にすることができる。
生は二元的であり、生は逆説に満ちており、生は多次元的だ。
この世にこれほど多くの哲学、主義、神学が存在するのはそのためだ。
そしてどの神学も独自の結論の殻に閉じこもり、自分が一番正しいと信じている。
(p123)
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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