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鬼和尚の仏教購読会 別館

199避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 10:47:08 ID:LC3de7YgO
>>198
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

(p132)
信仰にとって疑いは敵となるが、信頼にとって疑いは敵ではない 、と私が言う
のはそのためだ。
信頼は疑いを通して成長する。
信仰は疑いを抑圧することによって成長する。
信仰が一種の薬物ドラッグであるのはそのためだ。
薬物はまさにそのように働く。
それは、あなたが愚か者にならないように ひたすらあなたの意識を醒めさせ、
あなたが 空想の餌食とならないようにしている 疑う力を抑圧する。
宗教は昔からずっとそれをやり続けてきた。
それらは 「疑うな。疑えば、地獄に落ちるぞ。信じろ。疑いが起こったら、抑
え込め、そんなものは投げ捨ててしまえ。ひたすら信じ続けるんだ」 と言う。
「信じていれば、やがてわかる」と。
信頼というのは、まったく異なる現象だ。
それは 薬物に冒されていない意識、開かれた意識から生まれてくる。
信じることもせず、不信感も抱かず、信と不信にとらわれた結論を抱かない、
完全に自由で純真無垢な意識から。
疑いは役に立つ。
真理に到達するまで、疑いは役に立つ。 疑いは信頼の友だ。
疑うというまさにそのプロセスが空想の餌食にならないように 助けてくれる。
さもなければ、空想が好き放題に羽をのばす。
例えば、ヒンドゥー教徒に生まれ、クンダリーニについて読んだことがあれば
、あなたの空想がその体験をそっくりそのままつくりだしかねない 。
いつでも蛇はとぐろを解いて背骨の底から昇りだし、シューと 大きな音を立て
、第七のチャクラに向かって突進してゆくだろう。
そしてその体験があまりにリアルに見えるので、いったん それを信じてしまっ
たら疑うことなどできなくなる。
だがイエスはクンダリーニには遭遇しなかった。
マホメットは クンダリーニのことなど何も知らなかった。
仏陀でさえ、彼は ヒンドゥー教徒に生まれたが・・・仏陀は誠実な探求者であ
り、 あらゆる種類の信仰を落としたので、クンダリーニには一度も 遭遇しなか
った。
マハーヴィーラはクンダリーニのことなど何も 知らなかった。
ツァラツストラはそれについて語らなかった。
どういうことだろう?
彼らは取り逃がしたのだろうか?
クンダリーニは信仰だ。
七つのチャクラを信じていれば、 生涯のうちにその七つのチャクラが働きはじ
めるだろう。
何かを信じていれば、人はそれを見はじめる。
現代にクンダリーニ・エネルギーを紹介したゴーピ・クリシュナ は十三年間働
きかけ、座ってクンダリーニが昇るのを待ち続けた と言っている。
十三年は長い時間だ。
十三年間もクンダリーニを 信じて待ち、背骨の奥底深くをのぞき込み続けるこ
とができるなら、クンダリーニが昇ったとしても不思議ではない。
やがてある日、それは起こった。
蛇はとぐろを解き、猛烈なエネルギー と音―滝が落ちるような轟音をともなっ
て突進し、脳を貫いた。
それ以来 、ゴーピ・クリシュナは、天与の才能が解き放たれたと思い込んだ。
クンダリーニが昇ると人は天才になるのだと彼は考えている。
だが、彼の天与の才能が何をなし遂げたのか私にはわからない。
確かに彼は馬鹿げた、何の変哲もない、四流の詩をいくつか書いた。
それが天与の才能だとしたら、クンダリーニなど奥深くに押し込めて おく方が
ましだ。
誰もが四流の詩人になるというのは良いことだとは 思えない。
いったいどういう天分が解き放たれるというのだろう?
こういうやり方はよくない。
こんなものは空想にすぎない。
あるものを信じれば、あなたはそれを見るようになる。
危ないのはそこだ。
信じることからはじめてはいけない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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