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鬼和尚の仏教購読会 別館

146避難民のマジレスさん:2018/12/19(水) 00:58:02 ID:LC3de7YgO
>>144
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

豊かな生の秘密とは何か?
その秘密はこれだ--- 自我エゴとして死に、分離した実体としては消えなさい。
そうすれば 全宇宙と宇宙のなかに含まれるいっさいのものがあなたのものになる。
所有すれば、あなたはちっぽけなもの、有限なものになり、 やがては死ななければ
ならないことになる。
もっといきいきとする秘訣は、ひとえに 分離という観念を落とすことから成って
いる。
そしてそれが起こるたびに、あなたは 内側で生が炎のように燃えあがるのを感じ
る。
たとえそれが小さな規模で起こっても・・・ 誰かに恋をしても、あなたの内側では
生が燃えあがる。
大したことが起こっているわけではない。 たかだか二人の人間が一体感を味わって
いるだけだ。
愛から教訓を学ぶがいい。
二人の人間が一体感を味わうだけでも、大きな喜び、大きなエクスタシーが生まれ
てくる!
考えてもみるがいい。
全体と恋に落ちたら、どんなに大きなエクスタシー、 どんなに大きな喜びが起こる
ことだろう?
それが豊かな生、限りなき生だ。
自分自身を分離させると・・・ときおり自己中心的に生きるあまり、愛することが
できない人たちがいる。
彼らはこの世でもっとも惨めな人々だ。
私は地獄をこう定義する--- 分離した状態で生きることが地獄だ。
分離のない状態で生きることが天国だ。
全体のなかへ完全に跡形もなく消え去ることが 解脱モクシャ、にゃはんニルヴァー
ナだ。
それは究極の自由だ。
理解すべき第二のことがらは、生には極性があるということだ。
これもまた道家の人々の姿勢アプローチの基盤そのものをなしている。
だが、この極性は対立するものではない。
極性とは対立物が互いに補い合っているということだ。
それらは互いに支えあっている。
生は死なくしては存在しえない。
だから死は敵ではない。
生が死なくして存在しえないとしたら、どうして死が敵でありえよう?
死は友であるはずだ。
死は生の下地を用意する。
死は生を助け、生を喚起し、生に挑みかけてくる。
考えてみるがいい。
肉体が永遠に生きることになれば、 人はまったく生きようとせず、あらゆることを
無限に先に延ばしてしまう。
「明日があるなら、なぜ今日愛さなければならないのか? 明日が無限にあるなら、
なぜ気にかけるのか? なぜ今日踊るのか?明日にしようじゃないか」
思い浮かべてみるがいい。 肉体の生命が永遠なものになるなら、人はいつまでも
先に延ばしてゆくだろう。
先に延ばすことができないのは、 明日が来るかどうか確信をもつことができない
からだ。
次の息が入ってくるかどうか誰にもわからない。
だから先に延ばすのは愚かな者たちだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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