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鬼和尚の仏教購読会 別館

105避難民のマジレスさん:2018/12/02(日) 08:06:10 ID:LC3de7YgO
>>102
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み3
 より抜粋

すると仏陀は言う。
「ただ美しさだけが、至上の幸福だけがあって、それを体験する者はいない」
人間の心マインドがこう言うのも無理はない。
「でも、自分がそこにいないのなら、何もならないじゃないか・・・。 それが
とても美しいというのはすばらしいけど、自分がいなければ、美しかろうとな
かろうと何の違いもないじゃないか。どうして自分を無くさなければならない
のだろう?大して美しくはないけれど、少なくともこの私が存在している世間
にいるほうがまだましだ」
<無>という終着地は人々の意欲をそいでしまう。
仏教がインドから姿を消したのはそのためだ。彼らは教訓を学んだ。
それは中国では否定的な言語を落とした、チベットでは否定的な言語を落とし
た 。
インドの仏教、原始仏教は完全に否定的だった。
仏陀の感化を受けて何千もの人々が変容を遂げたのだが、仏陀のような人をつ
ねに見いだすということはできない。
仏陀の影響力はあまりにも大きかったので、人々は死んで<無>になる用意さ
えできていた。
それは仏陀ゆえに起こったことだ。
さもなければ<無>であることには何の魅力も、人を誘う力もない。
が、仏陀の磁力があまりにも強かったので、仏陀のカリスマがあまりにも強か
ったので、何千もの人々がみずから進んで<無>になろうとした。
「仏陀がそうおっしゃるのなら、それは正しいにちがいない」と。
仏陀の言葉にはそれほどの重みがあり、その目がすべてを実証していた。
「彼が消えてしまったのなら、私たちも消えてしまおうではないか。
仏陀がそうおっしゃるなら、信頼してもいい」 だが、ひとたび仏陀がこの世か
ら姿を消すと、仏教の僧侶たちは人々を説得することができなくなった。
彼らはインドから完全に姿を消さねばならなかった。
彼らはそこで教訓を学んだ。
インドの外で、仏教は肯定的な言語を使いはじめた。
仏陀が否定したすべてのことを使いはじめた。それは生き延びた。
だが、仏教として本当に生き延びたのではなく、ヴェーダーンタ学派として生
き延びた。
肯定的な言語として生き延びた。
だが、仏陀の最大の貢献は否定的な表現にあった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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