したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚の仏教購読会 別館

144避難民のマジレスさん:2018/12/18(火) 05:47:26 ID:LC3de7YgO
>>142
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

もし世界がライプニッツの言うモナド---窓がなく、ばらばらに分離し、 窓が
ないため相互の結びつきをいっさいもたない原子のような単子--- から成って
いたら、そのときにはいかなる変容の可能性もない。
あなたが私であり、私があなただから、つまり私たちが互いに浸透し合ってい
るからこそ、変容を思い描くことができる。
ほんの一瞬でも自分自身を分離した存在として考えることができるだろうか?
分離した存在としての自分など思い浮かべることもできない。
花を樹から切り離すことはできない。
切り離したとたんに、花は死んでしまう。
樹は大地から切り離せない。
地球は太陽から切り離せない。
太陽は他の星から切り離せない。
それが果てしなく続いてゆく。
葉を切り離せば、その葉は死んでしまう。
花を切り離したら、その花は死んでしまう。
樹を大地から切り離したら、その樹はしんでしまう。
地球を太陽から切り離したら、地球は死んでしまう。
死とは分離しているということだ。
生とは分離していないということだ。
それゆえに自我エゴは死なざるをえない。
なぜなら、それは自分は分離しているという観念だからだ。
みずからの自己を自我の立場からとらえることはひとえに死を呼び寄せる。
なぜなら、自我にはもはや血が通っていないからだ。
息の止まった馬に鞭を当て続けることもできるが、いつまでそうしていられる
だろう?
その馬はやがて死んでゆく。すでに息が止まってしまっているので、やがては
死んでゆく。
あなたの内側で息つ”いているものは死ぬことがない。生命は永遠だ。
だが、生命はあなたのものではない。あなたはそれを所有できない。
生命は全体に属している。生命は広大なものであり、無限なるものだ。
死はちっぽけなものであり、個的なものだが、生命は宇宙的なものだ。
だから生きているときには、あなたは宇宙の一部であり、 死を迎えるときには
、自分は分離していると思うからこそ死んでゆく。
全体の一部であると感じれば感じるほど、あなたはいっそう多くの生を得る。
イエスは言う。「私のもとへ来なさい。私はあなたがたに豊かな生を与えよう」
(´・(ェ)・`)
(つづく)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板