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鬼和尚の仏教購読会 別館

160避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 06:56:37 ID:LC3de7YgO
>>158
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

キリスト教神学の見解はあまり深くはない。それはきわめて表面的だ。
キリスト教神学には創造しかない。破壊はどうなるのだろう?
破壊なくしてどうして創造がありえるだろう?
東洋の神学にはその両方 がある。
スルシュティは創造を意味し、プララヤは破壊を意味する。
神が姿を顕す瞬間があり、神が再び姿を潜める瞬間がある---最初に語ったよう
に、人間と同様、あらゆるものが<無>のなかに消えてゆき、ゼロになる。
恋人とともにいると、人はうんざりして、瞑想をしたくなり、ヒマラヤへ 行き
たくなる。
神もまた世界にうんざりしてしまう。
それは自然のなりゆきだ。
神は休息を取りたくなる。
そこで神は<一なるもの>のなかへ消えてゆく。
続いて溶解が起こり、あらゆるものが消え失せてゆく。
だが人はいつまでヒマラヤの洞窟に座っていられるだろう?
神ですらうんざりしてしまう。
神は再び相手を探し求めだし、創造に着手する。
それとまったく同じことがひとりひとりの魂のなかでも起こる。
あなたは生を生き、疲れて、生を離脱したくなる。
あなたは肉体を使って生きてきたが、疲れてしまっている。
あなたは今度は肉体を超越したくなる。
そうなったら、あなたは なぜ私が
「世間を恐れてはいけない。世間から逃避してはいけない」 としきりに言うの
か理解できるだろう。
なぜなら、世間こそ真の放棄が起こる場所に他ならないからだ。
それは一方の極だ。
私が「女性あるいは男性から逃げ出せ」 と言わないのはそのためだ。
逃げ出したら、思いは消えずに残る。
逃げてはいけない。それをとことん生き抜くのだ。
世間にどっぷり身を浸していると、 「もう充分だ、消え去って完全な孤独の
なかに入ってゆきたい」 という感覚が起こりはじめる。
人は本当に疲れ果てて はじめて完全な孤独のなかに入ってゆくことができる。
人々はきっと私を誤解することだろう。
インドで私ほど誤解されている者はいない。
彼らは私が人々に 耽溺することを教えていると思っている。
私は放棄を教えている。
彼らは私が世俗的なサニヤスを教えていると思っている。
彼らは理解していない。
私が教えているのは 真 の サニヤスだ。
真のサニヤスは世俗的な経験を経てはじめて生まれてくるものだからだ。
真のサニヤスはヒマラヤの洞窟のなかでは起こりえない。
それは本物ではなく、押しつけられたものだ。
人は深いところでは世俗的なままであり、 世間にあこがれ、世間を夢見続けて
いる。
世間を生きなさい。とことん生きなさい。そうすれば、 うんざりし、疲れ果て
、あなたは世間にけりをつける---とことん生きれば、ある日突然、世間はいっ
さいの意味を失い、放棄が起こっている。
私にとって、真の放棄は俗世の只中マーケットプレイスで起こる、 俗世の只中
においてはじめて起こる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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