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鬼和尚の仏教購読会 別館
184
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/31(月) 14:35:02 ID:LC3de7YgO
>>182
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第四話 光を輪のように巡らせる
より抜粋
呂祖師は言った。
光を輪のように巡らせると、天と地、光と闇のエネルギーはことごとく結晶
化する 。
この秘術を行ないはじめると、まるで生ける存在の只なかに無があるように 感
じられる。
やがて修行の成果が現れてくると、肉体の外に肉体があり、あたかも 無の只な
かに生ける存在があるかのように感じられる。
百日のあいだ懸命に努力を続けると、ようやく火が発するようになる。
そうしてはじめてそれは精神の火となる。
さらに百日行ずれば、光の中に真の光の極がおのずと現れてきて、 突然、真珠
の種が生まれる。
それはあたかも男女が交わって受胎が行なわれるようなものである。
このときには静かな状態で待たなければならない。
根源的な変容の只なかにあっては、光の放射が決定的な働きをする。
それは物質界においては太陽であり、人間においては目である。
このエネルギーは外界に向けられる(下に流れる)。
それゆえに黄金の華の道はひとえに逆流の技法にかかっている。
光が巡るのはたんなる空想ではない。
思考を集中させることで、人は飛翔することができる。
欲望を集中させることで、人は堕ちる。
学人がみずからの思考に少しも注意を払わず、欲望にかまけるならば、 下方へ
向かう道に沈み込む。
黙想と静けさによってのみ、真の直観が湧き起こってくる。
このために逆流の技法が必要となる。
ある偉大な師マスターが「仏ブッダとはどのようなものですか?」と尋ねられ
た。
「心が仏だ」と師は答えた。
何年かが過ぎて、再び同じ弟子が同じ質問をした。
師は「仏もなく、心もない」と答えた。
「ではなぜ前には『心が仏だ』とおっしゃったのですか?」
「赤ん坊を泣き止ませるためだ!赤ん坊が泣き止んでしまえば、『心もなく、
仏もない』と言う」
哲学は玩具おもちゃ、赤ん坊を泣き止ませるための玩具だ。
神学もまたそうだ。
宗教というのは、本当は体験、実地の体験から成り立っている。
それは憶測とはいっさい関係がない。
宗教は本質的に内界の科学であり、他のすべての科学と同じくらい科学的だ。
宗教と科学の違いは方法の違いではなく、たんなる対象の違いにすぎない。
科学は、私たちのエネルギーが流れ、私たちの光が流れている客観的な世界を
見つめる。
宗教は、光を流すことができるが、今はまだ流れていない私たちの主観的な世
界を探求する。
科学のほうが宗教よりやさしいのはそのためだ。
宗教のほうが科学よりも単純であるとけっして考えてはならない。
それはより高度な科学だ。
どうして科学よりも単純でありえよう。
それはより優れた科学だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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