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鬼和尚の仏教購読会 別館
185
:
避難民のマジレスさん
:2018/12/31(月) 18:47:22 ID:LC3de7YgO
>>184
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
より抜粋
まず光が内側に向かって流れなければならない。
そうすれば光があなたの実存を照らし、あなたの実存が開示されて、あなたは
みずからの実存のなかへ入ってゆける。
そしてみずからの実存に入ってゆくことは、神の王国に入ってゆくことだ。
そこにはあなたは存在せず、神が存在している。
あなたは影としてしか存在しない。
光が外に向かって流れると、あなたが存在するが、影としてでしかない。
あなたが存在するのは、真の自己に気付かないままでいるからだ。
真の自己とは至高の自己だ。
真の自己とは宇宙的な自己だ。
それはあなたとはいっさい関係がない。
それはあらゆるものの自己だ。
だが、それを得るためには、大いなる変容が起こらなければならない。
自然は人間が外に向かって流れるように準備した。
自然の役割はそれで終わった。
人間において、自然はその頂点に達した。
もはや人間が自然を超えてゆこうと決断しないかぎり、そのままでは何ひとつ
起こらない。
自然は人間がみずからの足で立てる地点まで人を運んできた。
人間はもはや子供ではない。人間は大人になった。
もはや自然は親の役割を終えた。
もうその必要はない。
自然な進化は人間で止まった。
これは事実だ。
科学者たちでさえこの事実にますます気付きつつある。
何千年ものあいだ、人間には何も起こらなかった。
人間は変わらなかった。
まるで自然の仕事が終わってしまったかのようだ。
今や人間は、さらなる成長の道をみずからの手に引き受けなければならない。
宗教とはまさにそれだ。
宗教とは、人がみずからの足で立ち、みずからの存在に責任をもつようになり
、事態がどうなっているか、自分が誰であるかを見つめ、探求し、探索しはじ
めることをいう。
そして、それはたんなる好奇心であってはならない。
哲学は好奇心から生まれる。
宗教はきわめて誠実で、真正な探求だ。
それは問いかけだ。
そして好奇心と問いかけには大きな違いがある。
好奇心は幼稚なものであり、頭のささいな か ゆ み にすぎない。
かいてしまえば、満足して終わりになる。
哲学とはかゆいところをかくことだ。
宗教は生死しょうじの問題だ。
哲学では、人はけっして巻き込まれることがなく、超然としている。
おもちゃで遊んでいるだけで、生死の問題ではない。
知識をかき集めるが、けっしてそれを実行には移さない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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