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血液型を保育に活用するのは差別か?

2NATROM:2005/10/09(日) 10:32:43 ID:yWaDTs1U
私は第一掲示板に現在書き込みができませんので、どなたか見ていたら誘導をお願いします。


>>1. 健太君の保護者に正しい情報を与えずに、健太君の個人情報を漏らしてもよいという了承を健太君の保護者から得たとして、その了承は有効ですか?
>正しい情報かどうかはだれが客観的に評価すればいいのだろうか?
>保護者が説明された内容が正しいと判断すればOK?説明する側が正しいとすればOK?
>正しいかどうか議論が続くことに関してはどちらが正しいと判断すればよいのだろうか?
>ともかくこの質問の意味が疑問だらけでどういう意図かも予測がつかないので質問へ答えるのは保留。

まあ確かに、ココさんには質問の意味や意図がよくわからないかもしれません。これをわかってもらうのは、ものすごくたいへんそうです。でもまあ、見ている人たちのことを考えても、やるだけの価値はあるでしょう。私はヒトの遺伝子解析の仕事をやっていたことがあるんですが、それはそれはもう、たいへんに厳しいものです。たとえば、サンプルをいただく患者様の同意書が、たとえばどのようなものかの例として、以下のリンク先を参照してください。

長崎大学医学部附属病院での遺伝子検査同意書
http://www.mh.nagasaki-u.ac.jp/iden/douisho.html

同意をとるときには、遺伝子解析検査・研究について 、目的・方法・利益と不利益・個人情報の保護等々について、文書で説明されます。ココさんは、いったいなんでまた、こんなにも長い長い同意書が必要なのか、ご理解できますでしょうか。この同意書に書かれていることは、ひとまず正しい情報とみてよいと思います。専門家をはじめとして、複数の人からチェックを受けていますから。同意以外にも、研究をはじめるときには、大学の倫理委員会を通さないといけません。倫理委員会は、医師や科学者だけではなく、いわゆる文系の人たちもいます。研究者の個人の判断で、「これは問題ないからいいや」というのは許されないのです。

「だれが客観的に評価すればいいのか」というのは、複数の、できれば分野を超えた専門家によって評価すればいいでしょう。阿部氏はそういう手続きを踏んでいましたっけ?というか、そこに評価されるべき問題点が存在しているという意識すら持っていませんでした。

「保護者が説明された内容が正しいと判断すればOK?説明する側が正しいとすればOK?」 どちらも駄目。

「正しいかどうか議論が続くことに関してはどちらが正しいと判断すればよいのだろうか?」 議論が続いていることを述べればよい。一応、念のために言っておきますが、科学の世界では、「血液型と性格に強い相関があるかどうか」については議論はありません。決着済みです。

だいたい伝わりましたでしょうか?むずかしかったかな?要するに、研究者が遺伝情報を扱うときにはこれだけの慎重さを要求されるのに、どうして保育園で遺伝情報を活用するときには杜撰でも問題ないと言えるですか?って聞いているのです。

3えめ:2005/10/09(日) 10:41:39 ID:eBfrCvPU
血液型による性格差別者の主張を読むと、どうしても二つの本を思い出してしまう。
河合雅夫著『ニホンザルの生態』と立花隆著『サル学の現在』の中に登場する伊沢紘生氏の主張。

 戦後間もなくの研究初期にはあれほど明確に観察できたはずの「群れ」としての組織や階級構造が、実は”存在しない”と言う主張。
 科学に於いてさえ、主観を排することがどれだけ困難かを物語っています。
 誰の眼にも明確に有る様に見えるものが実際に「有る」とは限らない。
         
       血液型… 
家系とか、日本には文化として「血」にこだわる、あるいは助長する風土が有るのかしらん。
(一人事)

4ココ:2005/10/09(日) 11:46:11 ID:HcMwO68Q
>3. 「その程度は範囲で個人情報を知られることは患者は了解している」というのはココさんの
>フィクションですか?それとも、私の勤務する病院は特別なのでしょうか?

フィクションではないが、どちらが特別かは判断つかない。
それはこのエントリーで証明されねばならない問題ではないし、議論すべきことでもない。
なぜなら「私の勤める病院では、入院の際には名札を出してよいか、面会者を通してよいか、
患者さんの了承をとります。」という、要するに患者が了承している場合は漏洩とはいえない、
という例で示すことができればよいからだ。

5ココ:2005/10/09(日) 12:11:58 ID:HcMwO68Q
>遺伝情報を活用するにはきちんとしたインフォームドコンセントが必要って話だから、
>横道でもなんでもないのですが。

インフォームドコンセントが無いことは差別行為なのだろうかという疑問がまず浮かぶ。
その疑問はさておいても、インフォームドコンセントがあったかなかったかの事実を把握
していない場合、差別の断定は可能なのか。
おれがエントリーでコメントしてきたのは、差別と断じるための個別的で具体的で客観的
な評価の基準をもとにした根拠が示せているのかということだ。それなしに差別と断定す
ることは問題ではないかという問題を提起しようとしている。

倫理委員会なるものは任意団体だよな。倫理委員会が問題あるなしの決定を下したら
差別になったりならなかったりするもの?それは単に倫理委員会が決めた基準には合
致しているかいないかというだけだの話。
差別とはある個人が受けるものでその個人が不当な不利益を受けた事実がありそう判
断を下していることが根拠として最も必要な要件ではないのか。

6NATROM:2005/10/09(日) 13:50:21 ID:yWaDTs1U
>患者が了承している場合は漏洩とはいえない

ちゃんとインフォームせずに了承をとった場合はどうなんですか?


>インフォームドコンセントが無いことは差別行為なのだろうかという疑問がまず浮かぶ。

ココさんとのやり取りで気付いたことでもあるんですが、不当な差別と正当な区別の線引きの基準の一つに、差をつけられる側への正しい情報提供の有無があるのではないでしょうか。たとえば、慢性C型肝炎の治療でインターフェロンという結構高価な薬があるのですが、患者さんが持っている肝炎ウイルスの量やタイプで、保険適応で使えるインターフェロンの種類が制限されてしまうのです。これは差別ですか?差別ではないと私は思います。しかし、患者さんに対してウイルスの量やタイプや保険適応の情報について情報が提供されていなければどうでしょう。理由の説明もなく、同じ慢性C型肝炎なのに、AさんやBさんが受けている治療を、Cさんは受けられないってのは、差別じゃないんですか。

もう一つ。差をつける理由の正当性も問題になります。ウイルスの量やタイプで区別するのは、完全に適切ではないにせよ、医療保険財政や医学上の理由で正当化できます。これがたとえば、科学的根拠がないのに、「血液型がA型の人はインターフェロンの適応を制限する」というのは差別でしょう。A型の人が、「A型の人にはインターフェロンは効きません」という虚偽の説明を受けて了承したところで、差別というのは変わりません。正しい説明の必要性について、ご理解いただけましたでしょうか。


>インフォームドコンセントがあったかなかったかの事実を把握
>していない場合、差別の断定は可能なのか。

阿部氏は正しくインフォームドコンセントをしていないと断定できます。だって、阿部氏本人が血液型と性格の関連を疑っていませんから。常々「A型の人にはインターフェロンは効きません」といった医学的に間違った主張をしている医師が、血液型をC型肝炎の治療に利用しているとして、正しくインフォームドコンセントしていないことは一目瞭然でしょう。


>おれがエントリーでコメントしてきたのは、差別と断じるための個別的で具体的で客観的
>な評価の基準をもとにした根拠が示せているのかということだ。

もとのエントリーにあったように、「個人の遺伝情報を安易に保育に活用している」というのだけで、十分な根拠になります。血液型でラベルを貼って園児を見ているってことでしょう。もし血液型と性格に関連が本当にあり、それを利用することで保育に役に立つという正当な根拠が存在し、保護者が十分な説明を受けて同意したのであれば、差別ではないでしょう。

1. 「遺伝情報を利用することの是非は厳しく問われなければならない」という主張に、ココさんは賛成しますか?
2. かの保育園は、遺伝情報を利用することについて、十分な検討はしていますか?

十分な検討ってのは、倫理委員会など複数の人からチェックを受けるとか、同意書に十分な情報が記載されているか確認するとか、さらに第三者がそれを確認できるように情報を公開するとかです。こうした立証責任を果たすのはいったいどちらにあるのかって質問からも、ココさんが逃げ続けていますね。


>差別とはある個人が受けるものでその個人が不当な不利益を受けた事実がありそう判
>断を下していることが根拠として最も必要な要件ではないのか。

3. 奴隷制度があったころのアメリカ合衆国の黒人に不当な不利益を受けているかどうか聞きました。「いや、飯も食わせてもらっているし、寝るところもある。不満はありません」と正直に答えたとして、この黒人は差別を受けていないということになりますか?

十分な情報を得ていないがゆえに、差別されている側が差別されていることに気付かない例もあるってことで。「A型にはインターフェロンは効かない」という虚偽の説明を受けたA型の慢性C型肝炎患者は、あきらなに不当な不利益を受けていますが、自分自身はそう判断していません。被差別者が自覚できない差別のほうがタチワルイのです。付け加えていうと、遺伝子解析を行う研究者は、誰かが「不当な不利益を受けた事実」が生じてからじゃ遅いので、そういうことが起こらないように前もってさまざまな手段を講じる責任があります。さて、遺伝子情報を活用する実践者は、誰かが「不当な不利益を受けた事実」が生じるまでに野放しでよいのでしょうか。研究者以上に利用者は気を使う必要があると私は思いますが。阿部氏を見ていると、もうまったく全然というか、気を使う必要性があるってことにすら気付いていないようで。

7soft_tractor:2005/10/09(日) 13:54:56 ID:F/qXdn0E
>ココさんへ
えー、お初でござんす、横から失礼させていただきやす。
口の悪いのはご勘弁くだせえやし。

>差別とはある個人が受けるものでその個人が不当な不利益を受けた事実がありそう判断を下していることが根拠として最も必要な要件ではないのか。

例えばバスの座席を決めるときに、皮膚の色によって
「はい、あんたは黒いからこっち、ああ、あんたは白いからこっち」
なんてえことは、好ましくねえってか、やっちゃいけねえことだとあっしにゃあ思えるんでやすが、いかがなもんでやしょ?
この場合、双方におんなじような席を割り当てても(つまり待遇を同じにしても)やっぱり問題アリアリでやしょ?
んで、割り当てられた当の本人達が、
「オレ達ゃあ、別に不自由はねえからこれでオケ」なんて言ってもやっぱりダメダメなんじゃねえかと思われなんでやすね。

NATROMさんがエントリで
>本質的には遺伝子差別に他ならない
っておっしゃてるのはそういうことだと思うんでやすね。

言わずもがなでやすが、上記の例の「皮膚の色」を「血液型」に変えりゃあ、ボケナス園長のやってることそのまんまになりやす。
(冗談でなく、遠足なんかの時にやってそうだ)
そういったことが、教育の場で行なわれてる事にゃあ、もっと敏感であってもいいと思いやす。

あっし思うに、このボケナス園長のやり様ってのは、差別の芽を植えつけることに他ならないんじゃねえかと。
んで、不利益というんなら、これほどの不利益は無いと思いやす。
大人の冗談口とはわけが違う、ガキん時にそんなことを仕込まれちまったら、一生消えねえよ。
かりそめにも教育の場なんでやすから、子供達が「A型の人はこっちぃ〜」なんて言ってるのを諌めるのがあるべき姿なんじゃねえかと。

どうも失礼しやした。

8ココ:2005/10/09(日) 16:04:36 ID:HcMwO68Q
インフォームドコンセントがなかったつい最近まで医療は差別行為という論理なのか。
医者の世界ではそういう認識があるということか。

9ココ:2005/10/09(日) 16:41:03 ID:HcMwO68Q
1. 「遺伝情報を利用することの是非は厳しく問われなければならない」
だから差別と断定できるかどうかの是非をここでは検討しているのではないか。
2. かの保育園は、遺伝情報を利用することについて、十分な検討はしていますか?
おれは保育園で何が行われているのかその事実は知りません。
それは差別だと既に主張している人が知っておくべきことだろう。
断定すべき前提としてそういう事実関係を知っておくべき。
3の黒人の例だが、この一人の人間にとって本人が差別ではないというならこの一人の人物にとってはそうとしかいえないのではないか。なぜなら、その人には権利と自由があるからだ。

10NATROM:2005/10/09(日) 17:46:28 ID:yWaDTs1U
>インフォームドコンセントがなかったつい最近まで医療は差別行為という論理なのか。

差別行為であった医療もあったでしょう。


>1. 「遺伝情報を利用することの是非は厳しく問われなければならない」
>だから差別と断定できるかどうかの是非をここでは検討しているのではないか。

あー、主語が抜けているせいか、正しく伝わっておりませんでしたな。厳しく問われなければならないのは遺伝子を利用する側です。是非を検討する義務があるのは遺伝子を利用する側です。

1. 「遺伝情報を利用するときには、利用する側が、事前に、利用することの是非について十分に検討しなければならない」という主張に、ココさんは賛成しますか?

でね、阿部氏は、そういう検討を行った形跡はまったくないし、そういう検討を行うに足る能力を持っていないし、そもそもがそういう検討が必要であるという認識すら持っていなかったのだ、というのが私の一連の主張。それぞれについて具体的な反論はありますか?ちなみに言うなら、「検討を行った」ことも明示するべきでしょうね。「検討したもんねー」とだけ言って、遺伝情報を利用する輩がいるかもしれませんからね。

ココさんによれば、形式的な了承だけとっておけば、久山町民の遺伝子解析をいくらでもしたいほうだいでOKってことですよね。だって、遺伝子解析されたって、本人たちには不利益があるなんて気付かないのだもの。まさしく無断で遺伝子解析を行った研究者は、「町民に不利益がないんだから問題ないだろ」と思ってやちゃったのです。ココさんは、倫理委員会や分厚い同意書やそれらの情報公開がなぜ必要なのか、理解できませんか?


>おれは保育園で何が行われているのかその事実は知りません。

すでに何度も指摘しており、ココさんが逃げ回っている点ですが、阿部氏は血液型と性格の関連について科学的に思考する能力に不足しており、よって、その保育園で十分な検討もインフォームドコンセントもなされていないのです。

2. 「血液型と性格に保育に利用できるほどの強い関連がある」などと信じる人には科学的思考能力に難があると言わざるをえず、よって、そのような人物は保護者に科学的に正しい情報を提供することはできないですが、何か反論は?

3. ちなみに、ココさん自身は、血液型と性格に強い関連があると信じていらっしゃるのですか?

「血液型と性格に強い関連はない」ということは前提としてお話できますよね?そこから議論を始める必要がありますか?


>3の黒人の例だが、この一人の人間にとって本人が差別ではないというならこの一人の人物にとってはそうとしかいえないのではないか。なぜなら、その人には権利と自由があるからだ。

うわーまたこりゃ驚きました。その人は自分に権利と自由があるなんて知らされていないのですよ。なんか、この時点で論争を終了してもよい気分になってきました。

11ココ:2005/10/09(日) 19:06:31 ID:HcMwO68Q
インフォームドコンセントが不十分な医療行為=差別行為だとして、「あったでしょう」ですまされる問題ではないが、では、その差別を明らかにするにはどうすべきとだろうか。
その医療を差別と認定する判断基準は、個別に事実関係を元に明らにした上で十分検討し判断しなければならないのではないだろうか。
差別を断定する側がいいかげんでいいわけではないので、差別だという人はその是非を十分検討するべきだ。

了承の内容は、そのケースごとに事実を元にして個別具体的に検討せねばならない。
一連の主張も推測では不十分だ。
久山町民の遺伝子解析の例は無断なのだし、無断であった意図も推測にすぎない、今回検討する意味が見いだせない。

「血液型と性格に強い関連はない」といわれるなら弱い関連があるということなのか?

本人に権利と自由の認識があることは前提として話している。
その上で、この一人の人間にとって本人が差別ではないというなら、そうとしかえいない。
彼には権利と自由があるのだから。

12ココ:2005/10/09(日) 19:44:11 ID:HcMwO68Q
インフォームドコンセントが無いが差別行為なら、これまでおれが受けてきた医療行為の大部分がそうだ。
そうした医療行為によっても病気を治療してきて、それによって患者のおれは一定の利益を受けてきたわけだけど、それでも医療行為を差別として告発すべきなのだろうか。

13Kosuke:2005/10/09(日) 22:46:41 ID:VtRfsiXA
なんか論点がどんどんずれていっているような気がするんですが…。

NATROMさんは一貫して、きちんとした科学的理解無しに遺伝子情報に基づいて保育する教育人は、個人の尊厳に関わる良からぬ事態を引き起こす危険性がある、と主張されています。その良からぬ事態の一例として、差別というような事も起こり得るだろう、と警鐘を鳴らしているわけですね。
いつの間にか、実際にその保育園で差別が起きているのかとか、保護者はそれに納得しているのかというような話に矮小化されているような気がしますが、問題はそのような個別の事例ではありません。

阿部氏という教育界ではそれなりに信用を得ているらしい人が、誤った科学的認識のもと遺伝子情報を取り扱い、その怪しげな知識に基づいて教育を行っている疑いがあるんですよね?
つまりこの議論の根本は、その種の情報を取り扱う教育人が、個人情報である血液型の違いと子どもの個性との関連性の有無や、そのような遺伝情報を取り扱う場合の危険性についてきちんと理解しているのか、もし理解していないのならばその事でどのような不幸な事態が引き起こされ得るのか、という主旨の話だったはずです。

> かえって隣の人の特徴・違いを理解し合えることで差別を防ぐという別の結論だってあり得るんだよね。

ABO式血液型の違いが「隣の人の特徴・違い」になり得るのか、という点についてココさんはどう考えているのですか?
もちろん「違い」では有るでしょう、輸血の時にはその「違い」は問題になります。しかし今ここで問題になっているのは、血液型がその人の能力や性格などの「個性」と相関関係が有るのか?ということです。で、そのような相関関係は科学的に証明されていません。無意味な指標に基づいて教育されるのは、大変困った教育方法だと私は思います。ここの認識が違っていたら、その後の議論全てが無意味なものになってしまいます。

> どっちも役立つならいいんじゃないの。

血液型性格判断の嘘に気が付かないようなボンクラ教師がその種の情報を扱うのは、子どもの教育に役に立たない(それどころか弊害が大きい)から問題なのです。

14ココ:2005/10/10(月) 16:40:58 ID:HcMwO68Q
そうなのか、遺伝子差別する教育評論家というタイトル(内容も)からは単に警鐘を鳴らしているとは受け取れない。
相関関係は科学的に証明されていませんというが、少しは相関があるらしい。少しというのは曖昧に過ぎるだろう。
それにフランスでは血液型による性格分類をカウンセリングに利用しているそうだ。
医療においては必ずしも科学的に解明されたものだけないのではないか。
アカデミックに実証された医療だけではなく、医師個人の研究のみを根拠に提供される医療もあるのではないか。

15えめ:2005/10/11(火) 09:40:40 ID:1d39bqhc
ココさん。はじめまして
>アカデミックに実証された医療だけではなく、医師個人の研究のみを根拠に提供される医療もあるのではないか。
沢山有りますよ。「○○は癌に効く」とか「アトピーは××で直る」とか
(中には意味のある治療もあるでしょうが…)
昔、表の掲示板である方が「医療と医術は違う」と主張されて、主張の中身はともかく、表現に思わず考え込んでしまった事があります。

 例えばキツネつきを何らかの心霊的な作用が実在して起こる症状である、と主張する医者がいたとして。
治療としての”御払”に一定の効果があると数多くの臨床例を出された場合、それは確かな治療実績として認知されなければならないのでしょうか。

16ココ:2005/10/11(火) 15:35:02 ID:HcMwO68Q
認知されなければならないかどうか分からない。
それで、何が言いたいのだろうか。よく分からなかった。

17えめ:2005/10/11(火) 17:06:39 ID:nQIYG5OI
医者が患者に施す医術が医療行為として認知されるには科学としての実証が必要なのではありませんか?

でなければ”なんでもあり”になってしまいますよ。ということです。
 この弊害は今でも無視できないほど多いですよね。
○○健康法で痩せられる(無茶な食事療法)と言ううたい文句で死人が出ています。
癌などの末期医療では、藁をも縋る患者や家族を食い物にする者も少なくありません。

 たとえ医者本人に騙す気がなくても、「思い込み」による杜撰な考証を基に多くの患者に被害を及ぼす可能性がある行為は社会的に認められるべきではないでしょう。

18ココ:2005/10/11(火) 17:34:29 ID:HcMwO68Q
科学的に実証されるに越したことはないだろうけど、そんなことを言っているのではない。
「科学で実証されていない医療=差別行為」という客観的指標になるのかという話。
例えば、あちこちのクリニックで行われている免疫細胞療法など、医者じゃないし詳しくは知らないけど、アカデミックに実証されているのかな・・・。

19えめ:2005/10/11(火) 18:19:32 ID:lRcLUWbs
「科学で実証されていない医療=差別行為」という客観的指標になるのかという話。
え?そんな短絡的な話なの?

20NATROM:2005/10/11(火) 19:09:24 ID:yWaDTs1U
ココさんの主張がいまいち解りかねますので、以下の質問にお答えいただければ幸いです。

1. 「遺伝情報を利用するときには、利用する側が、事前に、利用することの是非について十分に検討しなければならない」という主張に、ココさんは賛成しますか?
2. 「血液型と性格に保育に利用できるほどの強い関連がある」などと信じる人には科学的思考能力に難があると言わざるをえず、よって、そのような人物は保護者に科学的に正しい情報を提供することはできないですが、何か反論は?


>インフォームドコンセントが不十分な医療行為=差別行為だとして、「あったでしょう」ですまされる問題ではないが、では、その差別を明らかにするにはどうすべきとだろうか。

×インフォームドコンセントが不十分な医療行為=差別行為
○インフォームドコンセントが不十分な医療行為の中には差別行為であったものある。

です。念のため。「どうすべき」って、患者としてはきちんとしたインフォームドコンセントを要求し、医師としてはきちんとしたインフォームドコンセントを心がける、ってことでしょう。それと、たとえ当事者が納得していたとしても、十分なインフォームドコンセントがなされていない医療行為については、第三者が批判できるようにするべきです(後述)。


>久山町民の遺伝子解析の例は無断なのだし、無断であった意図も推測にすぎない、今回検討する意味が見いだせない。

「血液型を保育に活用」も、「遺伝子を無断で解析」のどちらも、遺伝情報の取り扱いについて無頓着な人たちがしでかしたことなのです。「無断」が問題なのであれば、「不十分な情報提供による形だけの了承」なら、OKだったんですか?私は、こうした遺伝情報を取り扱うときには、十分な説明および、説明した証拠をきちんと残しておき、必要ならばいつでもその証拠を提示できるだけの用意をしておくべきだと思うのですが。実際、遺伝情報を取り扱う研究機関はみなそうしていますし、そうしなければペナルティを課せられます。保育園にはそこまでの厳密さは要求されないとでも言うのであれば、その理由は何ですか?


>「血液型と性格に強い関連はない」といわれるなら弱い関連があるということなのか?

「弱い関連すらない」とは科学では断言できません。100万人を調べて有意差がなくても、1000万人を調べたら有意差が出るかもしれません。ただ、いまのところ、弱い関連すら、十分に再現性よく確認されたものはありません。「血液型による性格分類をカウンセリングに利用している」ってのは、本当なんですか?本当なら、これも結構問題であるような。

21NATROM:2005/10/11(火) 19:10:51 ID:yWaDTs1U
>アカデミックに実証された医療だけではなく、医師個人の研究のみを根拠に提供される医療もあるのではないか。
>例えば、あちこちのクリニックで行われている免疫細胞療法など、医者じゃないし詳しくは知らないけど、アカデミックに実証されているのかな・・・。

差別かどうかはともかくとして、阿部氏と、「医師個人の研究のみを根拠に提供される医療」を行っている連中ってのは、共通点があります。科学的に考えることがあまり得意でなく、にも関わらず思い込みで自説が正しいと信じ込み、あまつさえ他人に試し、そのことに罪悪感がない。ココさんに尋ねますが、実際には科学的な根拠に乏しいのに、「これで治る」という虚偽の説明によって患者が了承した場合、その医療行為を行うことは正当だとお考えですか?第三者が、「効果が未知、あるいは効果がないことが分かっている治療法を行うのは問題である」と指摘してはいけないのですか。患者が強く信じ込んでいたら、経過が悪くても患者本人は不利益を受けたと気付きませんが、本人からの申し立てがない限り、かのインチキ医療を行う医師は批判されるべきではないのですか?

科学的な根拠が確立していない治療は基本的にはインチキですが、すべてインチキというわけではありません。他に適切な治療法がなく、患者さんに十分な正しい情報が伝わっており、今後の医療のために役に立つという十分な根拠が存在する場合には、インチキではありません。個人個人の医師では判断が誤ることがあるので、こうした新しい治療を行う場合には、複数の医師や、場合によっては医師以外の人たちを含めてチェックが必要です。

遺伝子によって差をつけることは基本的には差別ですが、すべて差別というわけではありません。差をつけることによって不利益を上回る利益があるという十分な根拠と、そのことについて差を受ける側に十分な情報が伝わっていれば、差別とは言えないでしょう。阿部氏の場合は、利益がある根拠もなければ、十分な説明もありません。実際には科学的な根拠に乏しいのに、「血液型は保育に役に立つ」という虚偽の説明によって保護者が了承した場合は、血液型を保育に利用することは正当ではありません。よしんば血液型と性格に関連があったと仮定しても、その知識を保育に応用するにあたっては、慎重さが必要です。なぜならば、本来、遺伝子によって園児の扱いに差をつけるというのは、差別にほかならないからです。阿部氏は、その慎重さに欠けていますし、そもそも慎重さが必要であるということすら理解していないというのが問題なのです。

22ココ:2005/10/11(火) 19:41:03 ID:HcMwO68Q
あなたはおれが質問に答えないと自分の論理構成も説明できないのか?

インフォームドコンセントの不十分な医療行為には差別であったものもある。ふむ。
つまりインフォームドコンセントが不十分でもその中に差別であるものも無いものもある。
では差別と差別でないものをどう区分けして判定するのか。
インフォームドコンセントの内容を個別に事実関係を確かめるということなしに差別と断定はできないということ。
つまり事実関係を詳細に把握する必要がある。できているか。

ペナルティを課せるならそうすればよいのでは?
そんなに客観的に差別だと判定されうるならわざわざ議論すべきことではないだろう。
実際、課せられてないようだが、それが無いのはなぜかこちらが聞きたい。

23ココ:2005/10/11(火) 20:13:31 ID:HcMwO68Q
医療と保育を完全に同一視はできない。それはこの問題の大前提だ。
医療は病が治すため、だが保育は病を治すためではない。治った・治らなかったという明確は利益の結果が医療では明らかだろうが(厳密にはそれを明らかにできない例もあるかもしれないが)保育ではそうではないのだ。そういう大きな違いがある。故に完全同一視はできない。保育の目的は保育だ。結果として保育された子がいるだけだ。利益のあり方は医療とは全く異なる。つまりいくら医療で例を示して検討しても参考程度にはなるが、最終的には保育の事例について具体的に検討しなければならない。

24ココ:2005/10/11(火) 20:25:00 ID:HcMwO68Q
アカデミックに実証されていないことをもって、差別の客観的指標とすることはできないということ。

25NATROM:2005/10/11(火) 21:52:38 ID:Z2veARY2
>あなたはおれが質問に答えないと自分の論理構成も説明できないのか?

私の論理構成は説明できています。ただ、ココさんが本当は何が言いたいのか、いまいちよく分からないので、下記の質問に答えて欲しいと言っているだけで。

1. 「遺伝情報を利用するときには、利用する側が、事前に、利用することの是非について十分に検討しなければならない」という主張に、ココさんは賛成しますか?
2. 「血液型と性格に保育に利用できるほどの強い関連がある」などと信じる人には科学的思考能力に難があると言わざるをえず、よって、そのような人物は保護者に科学的に正しい情報を提供することはできないですが、何か反論は?

本当は、「ココさんが何が言いたいのかよく分からない」とは思っていなくて、「ココさんは上記質問に答えてしまうと、自分の欺瞞が明らかになってしまうので、答えたくても答えられない」と思っているのです。いずれにせよ、ココさんは上記質問にどうして答えられないのでしょうかねえ。


>実際、課せられてないようだが、それが無いのはなぜかこちらが聞きたい。

「実際、課せられてない」というココさんの認識が誤りです。


>医療と保育を完全に同一視はできない。それはこの問題の大前提だ。

そう言っているところを見ると、医療の現場において、アカデミックに実証されていない治療法を安易に行うことはまずいということは理解しておられるようで。保育の現場において、アカデミックに実証されていない学説を安易に利用することがまずいというところまでもうちょっとです。頑張って。

3. 「保育においては、科学的に根拠のない学説を安易に応用しても、批判されるべきではない」とおっしゃっておられるので?

医療だろうと、保育だろうと、あるいは他の分野(就職とか保険とか)だろうと、遺伝子によって扱いに差をつければ差別でしょう。それとも、保育だけは科学的に根拠のない学説に基づいて遺伝子によって差をつけることが許されるのですか?


>アカデミックに実証されていないことをもって、差別の客観的指標とすることはできないということ。

遺伝子によって扱いに差をつけるのは差別。これが大前提。しかし、利益が十分にあるのなら遺伝子によって差をつけることは許容される場合がある、というのが私の主張。「利益が十分にある」と示す責任があるのは遺伝子情報を利用する側で、それなりの根拠がないといけない。科学的に考えることが苦手な自称教育家が「利益がある」と妄想しただけでは不十分である、ということ。阿部氏のケースが許されるのであれば、どのケースなら許されるのですか?多数の専門家によって支持されているかどうかを指標にできないのであれば、それこそ、遺伝子差別かどうか、誰がどのように「客観的に」判断するんです?ココさんが「問題ない」って言えば、問題ないんですか?

26地下に眠るM:2005/10/11(火) 22:16:10 ID:LvBG9Vv6
合理的な理由なしに属性によって扱いを違えることは「差別」だよ


差別される本人の合意があれば差別でないなどというウルトラ馬鹿理屈がとおるんなら
リンカーン以前の合衆国黒人奴隷制度は差別ではなくなるけどね。
ファシズムの指導者には都合がいいけどにゃー

ところで、血液型で採用不採用を決める馬鹿経営者が実在するのをココ君はご存知かにゃ?
血液型という属性で扱いを変えることを子供に擦り込むことが、子供にとっても社会にとってもなんらの不利益にならにゃーと論証できる?

27ココ:2005/10/11(火) 23:24:14 ID:HcMwO68Q
おれは、医療の現場において、アカデミックに実証されていない治療が行われているのではないかを問うた。でそういう治療もあると。それだけ知れば、アカデミックな実証がなされたかが差別の客観的指標とすることはできないといえる。それ以上この件に何を説明する必要があるのか。

おれの言ってることは、繰り返しになるが、端的に言えば、差別の根拠を示せということ。あなた自身だけで論理構成は説明できるなら質問無しで今後もそうしてくれ。

28ココ:2005/10/11(火) 23:31:40 ID:HcMwO68Q
差別とは人権の侵害行為を指す言葉。現実に差別があれば、必ず侵害された個人が現実に存在する。差別と断定するには、その人権侵害を立証しなければならない。なんらかの区別でもだれも損をしていなければ人権侵害を立証することは困難だ。合理・非合理という判断が今回の保育園で具体的に何を挿すのか分からないが、どういった非合理・合理であれ、その判断は客観的に具体的に事実を元に評価される必要があるのではないか。

>差別される本人の合意があれば差別でない
こうは言ってないのだが・・・。
ほとんどの人が差別だと考えることを当人に取っては差別ではないと考える人がいたら・・・、という例を持ち出したのはおれではない。それはその本人の自由としか答えられないといったまでのこと。当人の意志を尊重すべきなのが人権思想だろう。インフォームドコンセントは、患者が本当のことを知らない権利もあるとされている。要するに本人の意思が最優先に大切にされるといいたい。まあ、例は例でしかなく、これ以上こんなことを持ち出さない方がよい。

子供に擦り込む? そうした事実が立証されるならそれからさまざま考えてみてもいい。あなたはどうしてそんなことが事実として分かるのか教えてくれ。子供の現在の頭の中も未来の頭の中も、おれには見えない。
不利益にならにゃーと論証できる?となるのはなぜ? おれは不利益になるともならないとも考えていない。それは事実を事実として知らない分からないからだ。ただ、子供に不利益になるなら差別だと言っているつもりだが。要するに差別を断定する要件としてちゃんと事実確認せよと問うている。それだけだ。
荒れたほうがいいというのなら仕方ないが、あまり熱くなるな。

>血液型で採用不採用を決める馬鹿経営者が実在する
あなたはおれが差別を容認している人間だと断定して、こう聞くのだろうか。個別の保育園に付いて話しているので、今ここで議論するべきことではないと考える。

29soft_tractor:2005/10/12(水) 01:36:25 ID:F/qXdn0E
えー、すいやせん、訂正とお詫びを…
>>7 の書き込みであっしは「ボケナス園長」なんて書いちまいやしたが、元の記事では園長のえの字も出てきやせんでしたね。
ここにお詫びと訂正をさせていただきやすm(_ _)m.

どうも申し訳ねえ。

30ココ:2005/10/12(水) 01:47:27 ID:HcMwO68Q
>2. 「血液型と性格に保育に利用できるほどの強い関連がある」などと信じる人には科学的思考能力に難があると言わざるをえず、よって、そのような人物は保護者に科学的に正しい情報を提供することはできないですが、何か反論は?

医者の独善的権威主義的態度を「医師のパターナリズム」と言う。医者の個人的価値観に基づいて最善と考えられる医療を独善的に患者に押し付けて高圧的な態度がとれてきた。アメリカで60年代に起こった患者の人権運動ではよくそう非難したそうだ。日本の医者もその性癖が抜けていない者が未だにいるのではないか。

上記のようなな質問内容には非常に違和感を覚える。
科学的思考能力に難がある・・・、とは要するに知的障害者と言わざるを得ず、いうことか、彼は。彼は知的に問題があるとな。
これはかなり侮蔑的なことをいっているのではないか。下手すると名誉毀損ではないか。あなたの話には思考能力に難がある人物が他にも登場する。日記のエントリーでは「お馬鹿な母親」を登場させたりもしていたな。あのときもかなり違和感があった。

31うに@猫女房:2005/10/12(水) 02:26:32 ID:LvBG9Vv6
難しいことはわかんないんですけどね。
“個別の保育園”について話すならなおさら
「不利益は客観的に具体的に記述されなければならない」とか
「権利侵害の存在を立証する必要がある」とかいうのはそぐわないのでは?

べたべた触られるより一人で遊びたい美咲ちゃんが「O型だから」といじくり回されたり
恥ずかしがり屋で引っ込み思案な寛人くんが「獅子座だから」と劇の主役を割りふられたり
そういうのって不快でしょ。
公の教育で、裏付けのない理由で個別に不快なことを強いられるのは
主観的に基づく不利益だと思います。
(血液型や星座と性格の相関がない=どの血液型や星座にもいろんな性格の子がいる、なので
 美咲や寛人がいないかもしれないってのは無しね)

それとも、子供の気持ちなどという客観的、具体的記述に顕れないものは
保育の現場で考慮するに値しないということなの?
(だとしたら血液型別保育の理念自体を否定しちゃうんだけど)
>ココさん

32うに@猫女房:2005/10/12(水) 02:28:49 ID:LvBG9Vv6
×主観的に基づく不利益だと思います。
○主観に基づく不利益だと思います。

33ココ:2005/10/12(水) 02:32:24 ID:HcMwO68Q
おれは次のよなことは言ってない。「保育においては、科学的に根拠のない学説を安易に応用しても、批判されるべきではない」とは言ってないのだが・・・。この作文はおれには意味不明な主張だ。なんとも答えようが無い。確認するが、おれは、「科学的に立証されているかどうか」が客観的な差別の指標にならないと述べたまでだ。

「阿部氏のケースが許されるのであれば」と言うが、おれは許されるとは一言も言ってない。だからこそ「どのケースなら許されるのですか?」などと問いかけられてもおれに答えられるはずがない。「利益が十分にある」と公式に示してほしければ保育園に行くべきだろう。おれは説明できない。知らないからな。できたとしてもオフィシャルではないので何の説明にもならないが。

遺伝子によって扱いに差をつけるのは差別であり、それが大前提とは?。それはどこから降って沸いて来た論理なのか? いきなり無根拠に「大前提」といわれても理解できない。

それで、「利益が十分あるなら差をつけても(差別なのに差別は)許容される」? ますます理解不明な論理だ。許される○○差別と、許されない○○差別があるのか。いい人種差別と悪い人種差別があるのか。いい人種差別もあるですと。とんでもない論理だ。
差別という行為は悪を指す。悪い差の付け方をすることを差別というのだ。許されるのならそもそも悪い行いにならないではないか。

34ココ:2005/10/12(水) 07:54:21 ID:HcMwO68Q
>「権利侵害の存在を立証する必要がある」とかいうのはそぐわないのでは?

そぐわないとは? まあおれの説明・表現の仕方が悪いのかもしれないが。

どういう保育が行われているのかおれは知らないし、あなたも知らないはず。
あなたの推測通りのことが起きているかどうか、おれには確かめれられない。劇の主役が実際にどうやって決められているか?。明らかに嫌がっているのにべたべた触られている子がいる?。おれはその事実関係を知らない。あなたも知らないだろう。なぜ知らないことをもって事実のようにいうのか?。知らないことを詳細なレポートも何もなしにどうして事実だと断定するのだ。

保育園で本当に差別の実態があるならば、それを明らかにすることは、差別を止めさせるために有効なのではないのか?。それなしに実効性があがるとは思えないのだが。何も実態を知っている人がいず、ただ差別が大前提だから差別だと述べてみても、社会対して大した説得力も無く、実効性があるとは思えない。そればかりか、逆に名誉毀損で訴えられる可能性だってある。

Googleの膨大なキャッシュを見ればわかるだろう。過去のネット上の言動は常に遡って明らかにされる可能性がある。簡単に「保育」「血液型」「差別」でリストアップできる。だれもが「終わったこと」と忘れてしまっていることでも、過去に遡って名誉毀損で(時効でなければ)訴えられることだって全くないとは言えないではないか。その時になって、詳しい実態は何も知りませんが、差別のはずです、わたしの個人的見解では名誉毀損ではありません。では勝ち目はないのではないのか。

35地下に眠るM:2005/10/12(水) 10:52:02 ID:LvBG9Vv6
>3の黒人の例だが、この一人の人間にとって本人が差別ではないというならこの一人の人物にとってはそうとしかいえないのではないか。なぜなら、その人には権利と自由があるからだ。(ココ)


>差別される本人の合意があれば差別でない(地下に眠るM)

上記の2つの言明に意味の違いがあると思えにゃーんだけど。
違うというなら説明してほしいにゃー。


>差別とは人権の侵害行為を指す言葉。現実に差別があれば、必ず侵害された個人が現実に存在する。差別と断定するには、その人権侵害を立証しなければならない。

血液型の違いによって、何らの根拠無く扱いが違えられているから差別。実にシンプルに証明終了。
これが差別ではないというのなら、例えば「男の子は外で遊ぶ、女の子は中で遊ぶ(性別は遺伝子による)」とか「白人は数学、黒人は音楽(肌の色は遺伝子の違い)」と血液型で扱いがことなることの何が違うのか論証してご覧?

ま、チミさ、必死ぶっこいて話しをずらそうとしているのが見てて泣けてくるけどね(嘲笑)
質問に答えられにゃー奴は、議論における負け犬なのさ。

36NATROM:2005/10/12(水) 10:59:38 ID:yWaDTs1U
掲示板でやると一対多数になりがちなので、ココさんが望むのなら、メールでの議論でもかまいません。


>端的に言えば、差別の根拠を示せ

すでに示しています。「個人を見ずに、その個人が属している集団(人種とか性とか国籍とか血液型とか)のみを見る」ことが問題なのだと、もともとのエントリーで示しています。


>差別とは人権の侵害行為を指す言葉。現実に差別があれば、必ず侵害された個人が現実に存在する。差別と断定するには、その人権侵害を立証しなければならない。

この論理でいきますと、血液型で人事を決める企業を糾弾することもできなくなりますな。まあ、「個別の保育園に付いて話している」と逃げるのでしょうけど。


>科学的思考能力に難がある・・・、とは要するに知的障害者と言わざるを得ず、いうことか、彼は。彼は知的に問題があるとな。
>これはかなり侮蔑的なことをいっているのではないか。下手すると名誉毀損ではないか。

「科学的思考能力に難がある、すなわち知的障害者である」という考え方は短絡的だろうと思いますが、それはともかくとして、じゃあ、阿部氏の科学的思考能力に問題がないとでも、ココさんはおっしゃるので?パターナリズムって言えば、まさしく、阿部氏のやりかたがパターナリズムでしょう。「阿部氏の個人的価値観に基づいて最善と考えられる保育を独善的に園児に押し付けて」いるではありませんか。私は、「個人個人の判断は誤ることがあるので、たとえば遺伝情報を利用するなどといった微妙な問題を扱うときには、独善的にならず、複数の人により是非について十分に検討しましょうね」って言っているのです。


>おれは次のよなことは言ってない

ココさんは肝心な質問には答えてくれませんので、ココさんが何を言っているのか分かりかねます。何を言っているのか明確になると困るというのでなければ、質問に答えてくれませんか。

1. 「遺伝情報を利用するときには、利用する側が、事前に、利用することの是非について十分に検討しなければならない」という主張に、ココさんは賛成しますか?
2. ココさんは、保育において、科学的に根拠のない学説を安易に応用すれば批判されてしかるべきだと思いますか?

てっきり、ココさんは、「科学的に根拠のない学説を安易に保育に応用しても、不利益を明確に証明できない限り第三者は批判してはならない」とお考えなのかと思っていました。


>それで、「利益が十分あるなら差をつけても(差別なのに差別は)許容される」?

私はそんなことは言っていません。「(差別なのに差別は)」というココさんの脳内補完が、理解不明でとんでもないだけです。差をつける合理的な理由があるなら、差別ではないって言っているのです。逆に言えば、合理的な理由なく、(たとえば)遺伝子によって差をつければ、それは差別です。理由が合理的かどうかの判断については、「アカデミックな実証がなされたか」ってのは、重要な要件ではないですか。


>過去に遡って名誉毀損で(時効でなければ)訴えられることだって全くないとは言えないではないか。その時になって、詳しい実態は何も知りませんが、差別のはずです、わたしの個人的見解では名誉毀損ではありません。では勝ち目はないのではないのか。

別に訴えられてもかまいませんし、むしろそうなったら、無自覚な遺伝子差別について周知が得られるのでむしろウェルカムです。

37ココ:2005/10/12(水) 11:22:52 ID:HcMwO68Q
違いが分からないのか。
「差別される本人」って、これはあなたの作文だろ?
当人は差別されていることに異を唱えているのだ、といっている。
この意味の違いが分からないのか?
そんなもの本人の自己決定にしたがうに決まってるだろう。

差別とは人権の侵害行為を指す言葉。現実に差別があれば、必ず侵害された個人が現実に存在する。
差別と断定するには、その人権侵害を立証しなければならない。よって、
「男の子は外で遊ぶ、女の子は中で遊ぶ(性別は遺伝子による)」
これに異を唱える者がいた場合、それを男女差を理由に妨げれば異を唱えた個人の遊び場所を選ぶ自由を妨げることになり人権侵害により差別。
「白人は数学、黒人は音楽(肌の色は遺伝子の違い)」
これに異を唱える者がいた場合、それを肌の色を理由に妨げれば異を唱えた個人の学ぶ自由を妨げることになり人権侵害により差別。
でいいのではないか。

38ココ:2005/10/12(水) 11:34:55 ID:HcMwO68Q
何を言っているか分からないと言われても、これまで述べてきたように差別と判定するにはそれなりの根拠を示すべき、ということだ。
それ以外言ってもいないことは分かってもらわなくてもよいのだし、特に質問に答える必要はあるまい。

>差をつける合理的な理由があるなら、差別ではないって言っているのです。
ちょっとニュアンスが違うのでは。
基本的に差別であることが大前提で、十分利益があるなら許される、だったよな。
それなら、差別が許されると解釈するしかないだろう。

「アカデミックな実証がなされたか」が要件?
差別の客観的な指標にならなかったのだから要件も何もない。蒸し返されても困る。

39ココ:2005/10/12(水) 11:51:08 ID:HcMwO68Q
>別に訴えられてもかまいませんし、むしろそうなったら、無自覚な遺伝子差別について周知が得られるのでむしろウェルカムです。

訴えられたら勝てると、差別をけしからんがホンキならば、勝てると確信があるなら、そちらから挑めば、それですぐに差別を止めさせることができるのではないか。それで園児が差別から救われるのでは。
おれに憎しみを抱くほど差別を憎む方々もどうだろうか。

>「個人を見ずに、その個人が属している集団(人種とか性とか国籍とか血液型とか)のみを見る」ことが問題なのだ

同じことだ、個々の事例を見ずに、遺伝子に関わる差・・・だから差別している、というのも問題なのだ。
具体的に差別の要件を見たいしているか事実関係で証明しないと差別と断定するのは問題。

40ココ:2005/10/12(水) 12:20:08 ID:HcMwO68Q
×具体的に差別の要件を見たいしているか事実関係で証明しないと差別と断定するのは問題。
○具体的に差別の要件を満たしているか事実関係で証明しないと差別と断定するのは問題。

>血液型で人事を決める企業を糾弾することもできなくなりますな。

人権救済がなされるためには当然社員の誰かが差別だという認識を持っていることが必要だろう。
差別は人権侵害(の一つ)  正しいのではないか。
人権を侵害された個人がいない差別は実在しない  正しいのではないか。
個人の人権が侵害されたことを立証できない差別は存在しない  正しいのではないか。

41ココ:2005/10/12(水) 12:40:24 ID:HcMwO68Q
>「阿部氏の個人的価値観に基づいて最善と考えられる保育を独善的に園児に押し付けて」いるではありませんか。
だからそれを予断ではなくだれにも分かるように実証したらどうなのだ。
ただ、パターナリズムを実証しても差別を実証したことにはならないがな。
科学的思考能力に難があると言いたいならそれを立証すればいいだろう。
おれとあなたが議論しているように相手と議論しなければ分からないこともあるのではないか。
それで阿部氏があなたのいう方がもっともだ、となればあなたにの主張が正しいことになるし、
だれもが阿部氏は間違っていたんだなと分かる。

42ココ:2005/10/12(水) 13:17:39 ID:HcMwO68Q
ここをご覧の人がどういう立場か分からないが、人権擁護法案には多くの問題が指摘されている。

>差別とは人権侵害(の一つ)、現実に差別があれば、必ず人権を侵害された個人が現実に存在する。
>差別と断定するには、その人に対する人権侵害を立証しなければならない。

上記のような、おれが主張する差別の要件の立証は必要とされず、たとえ、差別がこじつけでも、だれの被害も立証されなくても、委員会がそうだといえば差別となる。
差別の立証のあり方を適当に考えて、人権を守ることはいいこと、差別を取り締まることはいいこと、程度の浅い考でいると大変なことになる。

この危険性がいろいろいわれている。
・差別の誘発、助長と判断しただけで、立ち入り調査、証拠品の押収、事情聴取のための呼び出しなどの権限がある。
・委員の権限に限界がない
・国民の自由が大幅に制限される可能性をまったく制限していない。
・不服がある場合は、個人負担で裁判をするしかない
・えん罪の場合でも、委員会からなんの補償もされない
などなど、人権擁護法案の問題を解説するサイトは検索すればたくさんあるので読んでみてくれ。

43ミケ:2005/10/12(水) 13:42:24 ID:zcGeqzE6
横レス失礼します。

>差別の判定には根拠を示すべき

これはココ さんの言うとおりです。
が、NATROM さんら(一括りにしちゃってごめんね)は既にそれを行っています。

NATROM さんらの根拠
合理的な理由なしに属性によって扱いを違えることは「差別」である。(差別の定義)
件の保育園では、血液型を理由に対応が分けられている。
そして「O型はスキンシップを好む傾向が強い」という事実は科学的に証明されていない
→O型の子供にことさらスキンシップを与える合理的理由はない
ゆえにこれは差別である。

じつに単純明快に根拠が示されていると思います。
反論するのであれば、ポイントは上記の「差別の定義」にココ さんが同意するかしないか、
そして同意しないならそれはなぜか、ですよね。
あっちこっちに話を発散させず、↑この辺に論点を絞った方が良いと思います。>ココ さん。

もちろん、それはNATROM さんの質問にきちんと答えてからでしょうね。
ちなみに番号つきで質問されてるから、番号つきで答えた方が分かりやすいかと思います。

44ココ:2005/10/12(水) 13:52:04 ID:HcMwO68Q
科学的に証明されているかどうかが、差別の客観的絶対的指標ではない。
第一に、O型の子供が被害を受けたとする実態が明確でない。
被害実態の調査がされていないから分からないのである。
で、同意しない理由としてはよろしいのではないか。

45地下に眠るM:2005/10/12(水) 14:23:13 ID:mNTf8TUA
>「白人は数学、黒人は音楽(肌の色は遺伝子の違い)」
>これに異を唱える者がいた場合、それを肌の色を理由に妨げれば異を唱えた個人の学ぶ自由を妨げることになり人権侵害により差別。

おお、すげえ(驚愕
つまり、「異を唱える者」がいなければこれは差別ではにゃーとチミはおっしゃるわけね?


さて、「合理的理由」について
「人身の自由」ちゅうものがあって、これは人権の基本中の基本といっていいよね。
では以下のケースにおいて、それぞれは差別であるか差別ではないか、答えられるかにゃ?

A:犯罪を犯したものが拘束された場合。被拘束者は拘束を受容している。
a:犯罪を犯したものが拘束された場合。被拘束者は拘束を受容していない。
B:伝染病の患者が拘束された場合。被拘束者は拘束を受容している。
b:伝染病の患者が拘束された場合。被拘束者は拘束を受容していない。
C:血液型を理由に拘束された場合。被拘束者は拘束を受容している。
c:血液型を理由に拘束された場合。被拘束者は拘束を受容していない。
D:人種を理由に拘束された場合。被拘束者は拘束を受容している。
d:人種を理由に拘束された場合。被拘束者は拘束を受容していない。

僕はA〜bはすべて差別にはあたらないが、C〜dはすべて差別にあたると考えるにゃ。
合理的な理由があれば権利の制限をすることはやむをえないけど、合理的な理由がない権利の制限は人権侵害だよね。
また、本人が受容しているか否かは問題ではにゃーよな。
また、カガクは合理的理由を判断する際の理由のひとつ。
理由のひとつにすぎにゃーが、無視もできにゃーだろね。

46ココ:2005/10/12(水) 15:22:31 ID:HcMwO68Q
45へ
>合理的な理由がない権利の制限は人権侵害だよね。
確かにそういう場合もあるだろうが、だが一律に「合理的な理由」というだけでは不十分。
合理的な理由という言葉は抽象的なので、誰もが合理的と合意しているとは限らず、具体的な中身が個別に吟味される必要がある。

科学的な立証の有無は客観的絶対的指標にはなり得なかった。
これも個別に吟味され科学的な立証の有無が人権侵害とどう関わるかを立証する必要がある。

C〜dは、自由を制限されていない者が、拘束された場合であるな。
血液型または人種を理由に拘束される者が脅迫ではなく自由意志により拘束に同意していることが合理的な理由となる。(合理的な理由の中身)
よって、合理的な理由が認められる人身の拘束は差別ではない。そういう意味で、CとDは人権侵害ではない。
おれの差別とはの主張どおり合理的に説明できたのではないか。

47地下に眠るM:2005/10/12(水) 17:45:16 ID:mNTf8TUA
>血液型または人種を理由に拘束される者が脅迫ではなく自由意志により拘束に同意していることが合理的な理由となる。(合理的な理由の中身)

ぶわっはっはっはっはー(大笑い海水浴場
チミのいう「自由意志」ってなんなんだ?

自らの拘束を受容「させれば」、いかような理由で拘束しても人権の侵害にならにゃーということになるにゃんが。
んじゃ、続きね
E:血液型を理由に拘束された乳児・重度の知的障害者は拘束を受容した。彼らについては人権侵害ではないわけ?
F:特定の血液型は拘束されることが好きだという教育のもとに育ったものが、その血液型を理由に拘束された。被拘束者は拘束を受容している。これは差別ではないわけ?



あのな、チミの言うように「具体的な被害の立証」ができるのなら、損害賠償請求をすればすむことなのよ。
被差別者というのは一般的にいって社会的弱者でね、堂々と自らの損害を訴える機会が均等でないのが被差別者なの。
チミのは、いっつ・おんりー・強者の理屈

48地下に眠るM:2005/10/12(水) 17:50:17 ID:mNTf8TUA
言い方をかえるとね

・自由意志の発現を阻害するのが差別の重要な一側面である

ということになるわけ。
だから、自由主義においては差別は忌むべきものとなるわけにゃんな。

49地下に眠るM:2005/10/12(水) 17:58:46 ID:mNTf8TUA
連投スマソ

O型の子はスキンシップが好き、という馬鹿理屈のもとで教育されていた幼児が
「実は僕はベタベタ触られるのは好きじゃないんだよな
 AB型の子のようにほっといてほしいのに」と感じても
周りの大人にむかって「否」とは言いにくいということくらいわかんにゃーかね?
いや、そうした言語化すらできにゃーでストレスをためるだけだろうけどね。

この子は自由意志の発現を阻害されていることは明らかにゃんな。

・O型はベタベタされてうれしく感じなければならない

・黒人は劣等人種であることを受け入れなければならない

上記の両者はまるで同じ理屈にゃんけどな。
ま、ココ君によれば、自らが劣等人種と認めた黒人をどんなひどい扱いをしても、それは差別ではないらしいけどね(ぷげら

50ココ:2005/10/12(水) 21:25:22 ID:HcMwO68Q
47へ
>被差別者というのは一般的にいって社会的弱者でね、堂々と自らの損害を訴える機会が均等でないのが被差別者なの。
被差別者が一般的には社会的弱者であるというのは認めるとして、それがあらゆるケースで当てはめてよい訳ではない。そこに個々のケースを詳細に検討する必要があるのだ。
>48 自由意志の発現を阻害するのが差別の重要な一側面である
なるほど。勉強になる。ただ、それも万能の論理ではないし、個々ののケースで検討が必要。
>49 また作文か。あなたは我が子やそうでなければ親しい幼児の世話をしたことがあるのか。
親が自分の愛するこの子は抱っこが大好きだと思ってたとしよう。
だが、実はそれは子の振りではない、とどうしていえるのだ。実は、子は抱っこされるのは大嫌いだが、抱っこして欲しいというそぶりは親に嫌われたくない一心だっただけかもしれないではないか。
しかし、これが分かるのだよ、ちゃんと。それが人のコミュニケーション能力というものなのだ。
あなたの例え話はもちろん現実ではなし、現実世界に即してない。だからな、何が現実かを個々に知る必要があるのだ。

51ミケ:2005/10/12(水) 21:42:57 ID:zcGeqzE6
>被差別者が一般的には社会的弱者であるというのは認めるとして、それがあらゆるケースで当てはめてよい訳ではない。そこに個々のケースを詳細に検討する必要があるのだ。

このケースでは、園児vs.先生ですね。
このケースにおける被差別者とされてる園児は、十分に弱者だと思いますよ。
ここにココ さんが反論する意味はありません。

他にも議論において反論する意味のない反論(たとえその反論をNATROM さんや地下猫さんが受け入れても議論の筋道に何ら影響しない反論)がいくつか見受けられます。
例えば
>「合理的な理由」というだけでは不十分。
のあたりとか。

ココ さんへ
より効果的な反論をするため、反論する部分や内容を十分に検討することをオススメします。
そのために1日や2日、投稿の間が空いたとしても誰もモンクは言わないでしょうから。

52ミケ:2005/10/12(水) 21:51:16 ID:zcGeqzE6
>51
最後の部分ちょい訂正
より効果的な反論をするため→より効率的な議論をするため

反論するのを目的にしちゃダメだね。失礼しました。

53ココ:2005/10/12(水) 21:56:52 ID:HcMwO68Q
>51
園児が弱者であることに反論なんてしてませんが。
それに園児を被差別者とおれは決めつけてもてません。その妥当性を問うているのであって。
このスレは元とも横道にそれるような話にも用意されている。
あなたに掲示板の書き込みを制限したりする権利はない。評論はご自由に。

54ミケ:2005/10/12(水) 22:11:39 ID:zcGeqzE6
そういう考え方だからNATROM さんに、
「何が言いたいのか分からない」って言われちゃうんですよ。

掲示板てのは壁と話してるのではなくて相手がいるわけですから、
特に『議論』では、きちんと筋道立てて説明しなきゃダメです。
(説得するつもりがあるの?それとも言い負かしたいだけなの?)

ま、もともと議論するつもりがなくてただ相手の言うことを否定したいだけだというのなら、あなたのような発言態度でもいいんですけど、一応議論するつもりはあるんでしょ?

55ココ:2005/10/12(水) 22:19:39 ID:HcMwO68Q
横道にそれながらも当初の議論は忘れてないつもりだ。
NATROM さんへ
「遺伝子によって扱いに差をつけるのは差別。これが大前提。」この「大前提」だけは理解できない。
大前提の大は単なる強調として、前提であることを説明する論理があるのか?
神が存在するのは大前提、とかいっているのとは違う論理なのか。まあ違うのだろうな。
「利益が十分にあるのなら遺伝子によって差をつけることは許容される場合がある」
と言っているところを見ると、「遺伝子によって扱いに差をつける」のは、条件によっては差別であり、
また別の条件によっては差別ではない、ということだと思うが・・・。
こうも言っている。
「差をつける合理的な理由があるなら、差別ではないって言っているのです。」
と言うことは「遺伝子によって扱いに差をつける」こと自体は差別行為とは言えないと受け取るしかないのだ。

56谷庵:2005/10/12(水) 22:29:51 ID:htXvpXv.
>「差をつける合理的な理由があるなら、差別ではないって言っているのです。」
>と言うことは「遺伝子によって扱いに差をつける」こと自体は差別行為とは言えないと受け取るしかないのだ。

つまり、男女で浴場を別にするのであれば、男女で扱いに差を付けること自体は差別じゃないわけなのか。
なんか意地になってない?

57ココ:2005/10/12(水) 22:46:03 ID:HcMwO68Q
56へ「遺伝子によって扱いに差をつける」ことについて
「差をつける合理的な理由があるなら差別ではない」(NATROM)ということなら
「差をつける合理的な理由がないなら差別である」ということだろう。
意地になってる・・・。あなたならどう解釈するのか。谷庵さん。

58えめ:2005/10/12(水) 23:44:57 ID:lRcLUWbs
>>57
蕎麦アレルギー(遺伝かどうかは不勉強だが)の生徒に給食の蕎麦の代わりにうどんを与えたりするのは「差別」とは言わんだろう。
だが出身が大阪だからといって蕎麦の代わりにうどんを与えるのは明らかに差別だろう。
>>55
>「遺伝子によって扱いに差をつけるのは差別。これが大前提。」この「大前提」だけは理解できない。
遺伝子が人間の”価値”を決定する物質ではないからじゃないのかな。ヒトはヒトであることに於いて平等でしょう?
この前提に反論はありますか? 
しかし 遺伝病などにより、
「利益が十分にあるのなら遺伝子によって差をつけることは許容される場合がある」
のではないですか?(近親者同士の結婚が制限されているのも↑に当たるか?)

単純な話ですよね。違うかな?

揚げ足取りってーと「カーネルをじさん」を連想してしまう。

59ココ:2005/10/13(木) 00:13:27 ID:HcMwO68Q
>58
差別にならない例があるなら大前提というには不適切だろうと。
この意見、おれが言わなくても正しいだろ。そうでないと教義になるぞ。

60ミケ:2005/10/13(木) 00:57:20 ID:zcGeqzE6
教義じゃなくて定義ね。定義というものには例外がある。
例外があるから前提という言い方なんだと思います。

「〜というのが大前提」というのは、
ここでは「デフォルトでは〜」とか「基本的には〜」と同じ意味。
つまり「例外を除けば〜」ってことなので、差別にならない例(例外)があってもこの言い方は不適切ではありません。

61ココ:2005/10/13(木) 01:12:31 ID:HcMwO68Q
>60
こっちがデフォルトであっちが例外を誰が決めるのだろうか?
教義でなく定義なら合理的な理由があるはず。
「合理的な理由で遺伝子によって扱いに差をつける」がデフォルトなのか例外なのか。
「合理的な理由なしで遺伝子によって扱いに差をつける」がデフォルトなのか例外なのか。

62soft_tractor:2005/10/13(木) 01:23:21 ID:F/qXdn0E
えー、横レス失礼いたしやす。

>>61
えっと、こうじゃねえんでしたっけ?

「合理的な理由で遺伝子によって扱いに差をつける」と
「合理的な理由なしでは遺伝子によって扱いに差をつけない」

これまでの議論からすると、上が例外、下がデフォルト。


>「合理的な理由なしで遺伝子によって扱いに差をつける」
は論外。

63soft_tractor:2005/10/13(木) 01:27:09 ID:F/qXdn0E
すいやせん、訂正でやす。
>>62
×>は論外。
○>は差別にあたる。

どうも失礼しやした。

64ココ:2005/10/13(木) 01:45:52 ID:HcMwO68Q
>>62
そうじゃなくて・・・
「合理的な理由なしで遺伝子によって扱いに差をつける」ことは差別である。
(↑こっちが、大前提、基本、デフォルトということになっている。)
「合理的な理由で遺伝子によって扱いに差をつける」ことは差別ではない。
(↑こっちが例外、ということになっている。)
なのだそうだ・・・
では、なぜ「合理的な理由なしで・・・」の方がデフォルトとされているのか?
(教義でなく)定義なら合理的な理由があるはずだ、という疑問なのだ。

65ミケ:2005/10/13(木) 01:53:09 ID:zcGeqzE6
論理的な考え方をすれば、どっちがデフォルトでどっちが例外かは自ずと決まります。
片方を内包するのがデフォルトで、内包されてるのが例外です。

「合理的な理由があって遺伝子によって扱いに差をつける」(A)は、
「遺伝子によって扱いに差をつける」(B)に含まれます。

(B)であれば基本的には差別。
その論理で行くと(B)に含まれる(A)は差別だが、(A)は差別ではない。
この状態を例外と呼ぶんです。

66ココ:2005/10/13(木) 02:07:23 ID:HcMwO68Q
>>65
いくらなんでも、それはないだろう。
「合理的な理由ありで遺伝子によって扱いに差をつける」(A) 差別ではない
「合理的な理由なしで遺伝子によって扱いに差をつける」(C) 差別である
(A)も(C)も「遺伝子によって扱いに差をつける」(B)に含まれるのだが・・・。

67谷庵:2005/10/13(木) 04:26:43 ID:htXvpXv.
>>66
(B)から(A)と(C)を除くと何が残るの。

条件反射のようにレスするのは止めよう。
それから負けないための言い訳もね。

正直なところ、何を議論したいのかさっぱり分からない。

「合理的な理由なしで遺伝子(血液型なども)によって扱いに差をつける」→ 差別である

これで決まりじゃないの?
それとも(扱いに差を付けられた側が)差別されているという実感がなければ差別じゃないの?

68谷庵:2005/10/13(木) 08:23:03 ID:/.dKY7xE
「(B)から(A)と(C)を除くと何が残るの。」を削除します。
#66の意図を誤解していたようです。スマソ。
でも、どちらがデフォルトかという議論に意味があるのかどうか不明。
論点がずれているような気がする。

69えめ:2005/10/13(木) 08:59:12 ID:lRcLUWbs
ひょっとして区別と差別の話かしらん
Web 辞典より
くべつ 1 【区別】
(名)スル
あるものと他のものとの違いを認めて、それにより両者をはっきり分けること。
「―をつける」「公私を―する」

さべつ 1 【差別】
(名)スル
(1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。
「いづれを択ぶとも、さしたる―なし/十和田湖(桂月)」
(2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。

区別する基準(今回の場合は血液型)が偏見や先入観によって成り立っているのならそれは
(2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。
だろー。つまり差別だろー
こう書くと”不利益・不平等な扱いとは〜”とか書くのかな

70ココ:2005/10/13(木) 09:08:22 ID:HcMwO68Q
「大前提として遺伝子によって扱いに差をつけるのは差別である」というのが彼の述べる遺伝子差別の論理だ。だから、論点がずれているというわけではない。

どちらがデフォルトかということに意味があるのかどうか説明がつかないので聞いてみた。
「遺伝子によって扱いに差をつける」行為には差別と差別でない行為の2つが並列にある。
「遺伝子によって扱いに差をつける」ことのみで、差別であるとか差別でないかを判断できない。
そこに「合理的な理由が」伴うか伴わないかで分別できるということだろう。
「遺伝子によって扱いに差をつけるのは差別である、それが大前提」というのが彼の述べる遺伝子差別の論理だが、それでは、「遺伝子によって扱いに差をつける」だけで差別と判定できると述べるに等しい。合理的な理由が吟味されなくても差別と判定してよいことになってしまう。論理的整合性がない主張に対して議論は展開出来ない。

>(扱いに差を付けられた側が)差別されているという実感がなければ差別じゃないの? #68
また横道だが、嘲笑・皮肉など、誤解なのか偏見なのか分からないが、おれはこの掲示板ではずいぶんな扱いを受けているが、差別されている実感があることだけを要件にして差別にあたるといえるのだろうか。

71ココ:2005/10/13(木) 10:00:54 ID:HcMwO68Q
差別の実感というのは差別に対する人間のセンサーが働いた結果かもしれないので大切にないといけないと思うが、ただし、その実感が本当に差別と言えるものならその差別の構造は必ず論理的に明らかにできるはずだ。

72ミケ@朝寝:2005/10/13(木) 10:25:48 ID:KO.P9.dA
表面的なコトバの問題にいつまでもこだわってると本質を見失いますよ。

今回の大前提っていうのは、まず最初に判断するべき事柄。
最初に「遺伝子によって扱いが変わるかどうか」が判断され、
変わるなら差別、変わらないなら問答無用で差別ではない(遺伝子に関しては)。
『ただし』、前者には例外があって合理的な理由がある場合は差別ではない。

で、合理的な理由というのは、扱いを変える側が提出しなければいけない。
それをしない限りは合理的な理由があるとはいえない。
逆に合理的な理由がないことの証明をする必要はない(「悪魔の証明」でググってみよう)。

つまり、合理的理由がある場合のほうが手続き(条件)が一コ多い。
手続きの少ない側をデフォルトというわけね。
例外に該当する特定の手続きを踏まない限りは「基本的には」差別である。ということ。

73谷庵:2005/10/13(木) 12:03:59 ID:/.dKY7xE
私の感覚だと
1)「合理的理由もなく扱いを違えることは差別」で何の問題もないが、それを

2)「扱いを違えること自体が原則差別、でも合理的理由があれば例外」でも違和感はない。

3)「扱いを違えることは原則差別じゃない、でも合理的理由がなければ差別」ってのは違和感大ありだね。

でも、上記は言葉の問題だけのことで、結局は同じ結論だよね。
その結論を認めるのかどうかが論点なんじゃないの?
ココさんは明確な答えをしていないよね。
(被差別意識がなければ差別じゃないと言ったが、それに対する反論には答えていない)

74えめ:2005/10/13(木) 12:50:53 ID:CofDutJA
>差別にならない例があるなら大前提というには不適切だろうと。
>この意見、おれが言わなくても正しいだろ。そうでないと教義になるぞ。

道路交通法の第1章第七条
(信号機の信号等に従う義務)第7条 道路を通行する歩行者又は車両等は、信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等(前条第1項後段の場合においては、当該手信号等)に従わなければならない。

同法第3章第7節 緊急自動車等
(緊急自動車の通行区分等)第39条の2 
緊急自動車は、法令の規定により停止しなければならない場合においても、停止することを要しない。この場合においては、他の交通に注意して徐行しなければならない。

赤信号でも緊急車両は進める例があるんなら道路交通法の第1章第七条は(大前提)は不適切だろうと。
この意見、おれが言わなくても正しいだろ。そうでないと教義になるぞ。

-な?そうだろう?-
-はいはい、免許書見せくださーい-
                         と、鍋を更にかき混ぜてみる

75ココ:2005/10/14(金) 06:13:01 ID:HcMwO68Q
「大前提」の妥当性を問うことはもう止めた。三者にそれぞれ反論しても埒があきそうもない。
おれの言いたい結論は同じだから論点をかえることにした。

確かに「差をつける」という言葉ばかりにこだわって本質を見失っていた。
そうなのだ、差別とは、扱いに差をつけることだけだと思い込んでいた。

遺伝子によって「扱いに差を付けるならば差別である。」この命題は真だ。だが「扱いに差を付けないならば差別である。」という命題も真なのだ。そう、扱いに差をつける・差をつけないの両者とも差別でありうる。のなら、扱い云々の違いは差別の指標とは言えない。


分かりやすく例え話をしよう。
遺伝的な因子の違いで、ある薬剤(抗がん剤等)がよく効く人とそうでもない人がいるとする。
両者に同じ薬剤を同様に処方するのは「遺伝子によって扱いに差をつけないからこそ、差別である。」そのことでこの個人には金銭・身体、多岐に不利益が発生する。
効果ある人にはこの薬剤を処方し、効果のあまりない人には別の薬剤か別の方法で治療する。これは「遺伝子によって扱いに差をつけるが差別でない。」
ある遺伝的な因子の違いでは効き目に大差がないとされる薬剤を処方するとき。その遺伝的な違いを理由に一方に処方し、もう一方には処方しないなら「遺伝子によって扱いに差をつけるので差別である。」そのことでこの個人に多岐に不利益が発生する。
しかし両者にこの薬剤を同様に処方するのは「遺伝子によって扱いに差をつけないので差別でない。」

差別かどうかを分別する点は「扱いに差をつける」ことではなく、扱いに応じて妥当な理由があるかどうか。個人に不利益が発生していることも指標となる。


(遺伝子の違いによって)
扱いに差をつける→ 差をつける妥当な理由がある →差別ではない。
扱いに差をつけない→ 差をつけない妥当な理由がある →差別ではない。

扱いに差をつける→ 差をつける妥当な理由がない →差別である。←個人の不利益
扱いに差をつけない→ 差をつけない妥当な理由がない →差別である。←個人の不利益

 ※理由の有無が差別と相関。

ところで悪魔の証明を人権問題が絡むことで恣意的に利用するのは止めた方がいい。本当だ。

76NATROM:2005/10/14(金) 12:59:55 ID:yWaDTs1U
論点はざっと2点あるように思えます。

1. 差別の要件として、差別を受けた側の申し立てが必要であるか否か。

「異を唱える者」の存在が、差別の要件として必要だ、ココさんは述べておられるわけです。例の保育園では、園児もしくは保護者による、「差別された」との申し立てがない限り、第三者が差別であると断定することはできない、というのがココさんの主張です(よね?)。ここで注意点。異議申し立ての有無と、不利益の発生の有無とは異なるってことです。なぜなら、不利益を受けた個人がいたとしても、その人が異議申し立てを行うとは限らないからです。

いろんなケースが考えられるけど、私が問題にしているのは、正しい情報を与えられないがゆえに、不利益を受けた個人がその不利益を受容している、もしくは認識していないケース。>>40によれば、社内人事に血液型が利用されたとして、社員の誰かが差別だという認識を持っていなければ、差別にならないそうです。AB型のみを開発部に採用する会社があったとしましょう(実際あった)。「独創性があるのはAB型」という科学的に根拠のない情報を信じ込まされることによって、O型の社員が、本当は開発の仕事を希望し能力もあったのに「俺はO型だからしょうがないな」と諦めて差別であるという認識を持たなかった場合は、ココさんによれば差別にあたらないそうです。

差別のもっとも顕著な例である、女性差別や人種差別であっても、ココさんによれば、本人たちが「自由意志により」受容してさえいれば、差別にあたらないそうです。「女性は社会に出て仕事をするのには向いておらず、生まれつき家庭を守り子育てを行うようにできている」「黒人は劣等人種であり、肉体労働しかできない」と本人たちに思わせておくことができれば、差別にはならないのだそうです。私は、非差別者が、差別されているということを認識できない状況こそ、最も問題があると思うのですが。「自由意志による選択」ってのは、正しい情報を提供されてはじめて成立するものです。

園児や保護者が、たとえ血液型によって差をつけることを「受容」していたとしても、正しい情報を提供された上でのものではない限り、差別ではないとは言えません。「正しい情報を提供されたかどうか」という点になると、二番目の論点と関係してきます。

77NATROM:2005/10/14(金) 13:00:23 ID:yWaDTs1U
2. 差をつける合理的な理由の有無を示す責任の所在。

>>75だけを見る限りでは、「差をつける妥当な理由がないのに遺伝子によって差をつけるのは差別である」、という点にはココさんは同意できるらしいです(「異を唱える者」は不要なのかな?)。じゃあ、妥当な理由を示す責任があるのは誰でしょう?私は、一貫して、差をつけるほうに責任があると主張してきました。例の保育園では、その責任は果たされていません。

ココさんが>>75で挙げた、遺伝子によって薬剤処方に差をつける例で考えましょう。どこかのクリニックの院長が、「当院では遺伝子の違いで処方を変え、効果を上げている」と述べたとしましょう。この場合、差をつける合理的な理由の有無を示す責任の所在はどこにありますか?私は、かの院長にあると思います。たとえ、このクリニックの患者たちが遺伝子によって差をつけることを受容していたとしても、この院長が合理的な理由を示せない限り、遺伝子差別であると批判されるべきだと私は考えます。ココさんはどうお考えになりますか?

何をもって「合理的な理由」とみなすかについては意見の相違があるでしょうが、最低でも、「その遺伝子が薬効の違いをもたらすという科学的な証拠」が存在するかどうか、言い換えれば、アカデミックな実証がなされたかどうかってのは、重要な要件の一つであると思います。ココさんによれば、アカデミックな実証は「差別の客観的な指標にならない」そうですが、この院長がアカデミックな実証によらずに遺伝子別に処方を変えても差別ではない、とココさんはお考えなのでしょうか?

加えて、遺伝子が薬効の違いをもたらすという科学的な証拠は、遺伝子差による処方の合理的な理由の必要条件にはなっても、十分条件ではありません。インフォームドコンセントも必要だし、患者の遺伝情報の管理も必要です。患者の遺伝情報を利用するという性格上、一クリニックの院長による独断では不十分で、複数の専門家による検討が望ましいと私は考えます。

ひるがえって血液型の保育利用に関してはどうでしょうか。仮に、血液型が性格の違いをもたらすという科学的な証拠があったとしても、血液型を保育に利用するためには、慎重な検討が必要であると私は考えます。血液型によって差をつけるのであれば、合理的な理由があることを示す責任が差をつける側にあるのです。阿部氏は、その責任は果たしているでしょうか。本来であれば合理的な理由を示す立証責任は阿部氏側にあり、批判する側が合理的理由がないことを証明する責任はないのですが、性格と血液型の関連性について証拠に欠けていることを指摘しましょう。血液型別保育に合理的な理由がないことは明らかです。

78ココ:2005/10/14(金) 14:11:12 ID:HcMwO68Q
>>76
それは差別になりうる。
この件についてはおれの表現が不適切だったことを認める。以前、Mさんとのやり取りの時にふと触れておこうと思ったのだが。そのときは直接問題にならなかったのでそのままにしていた。
「異を唱える者」とは内心も含む。この要素を適切に表現すべきであった。だから、本人が表現するかどうかに関わらず、不利益を認識している者ということになる。

「しょうがない」と諦めてしまったということは、本人は内心、不利益があったと思いないがら諦めたわけでしょう。積極的に被害がないと考えていた訳ではないということだ。

>「女性は社会に出て仕事をするのには向いておらず、生まれつき家庭を守り子育てを行うようにできている」「黒人は劣等人種であり、肉体労働しかできない」と本人たちに思わせておくことができれば、

この前半部分がおれの考えを明らかに曲解している。

「女性という集団は社会に出て仕事をするのには向いておらず、生まれつき家庭を守り子育てを行うようにできている」「黒人という集団は劣等人種であり、肉体労働しかできない」と本人たちが思っていなくても(思い込まされていない場合でも)、それぞれ本人たち自身が「私は社会に出て仕事をするのは向いてない。家庭を守りたい。」「私は肉体労働しか出来ない。」と考えるのは不当ではないし、そう考えるのは自由ではないのか。おれの主張はそういうこと。

差別の問題は、集団と個人をすり替えること、というのは合意事項ではないか。

>>77についてはまたあとで。

79NATROM:2005/10/14(金) 17:05:41 ID:yWaDTs1U
>「異を唱える者」とは内心も含む。この要素を適切に表現すべきであった。だから、本人が表現するかどうかに関わらず、不利益を認識している者ということになる。
>「しょうがない」と諦めてしまったということは、本人は内心、不利益があったと思いないがら諦めたわけでしょう。積極的に被害がないと考えていた訳ではないということだ。

ええと、「不利益があったと思いないがら諦めた人もいるかもしれないから、血液型による人事は差別である」と批判することはできますか?ココさんは、被害の実態があることを証明する義務は、批判する側にあると言っているようです。血液型による人事を行う企業があったとして、第三者が批判するには、「合理的な理由がない」と指摘するだけでは不十分で、誰か不利益を受けた人を探し出さないといけないのでしょうか。

さらに、不利益が発生しても不利益を認識できない場合もあります。>>47でも指摘されていますが、不利益を認識できないほどの重度の知的障害者のケースはどうでしょうか。差別の要件として、不利益を認識することが必要ならば、受精卵を選別することは差別ではなくなります。私は、受精乱が不利益を認識できようとできまいと、合理的な理由なく受精卵の扱いに差をつけることは差別であると考えます。


>それぞれ本人たち自身が「私は社会に出て仕事をするのは向いてない。家庭を守りたい。」「私は肉体労働しか出来ない。」と考えるのは不当ではないし、そう考えるのは自由ではないのか。

はあ、自由ですね。で、それが、ここでの議論に何か関係が?ある個人が、自らが肉体労働しか出来ないと考えるのは、別に差別でも何でもありません。ここで問題にしているのは、「黒人は肉体労働しか出来ない」という誤った情報により、黒人のある個人が「私は肉体労働しか出来ない」と思い込んだ結果、肉体労働を行うことを受容していたとして、「自由意志により肉体労働を選んでいるのだろう。権利も自由もある本人が自分で決めたことであり差別ではない」と言えるのか、ということです。ココさんは、このような状況は差別ではないと言っているように聞こえます。

80ココ:2005/10/14(金) 20:19:52 ID:HcMwO68Q
>>79
>「不利益があったと思いないがら諦めた人もいるかもしれないから、血液型による人事は差別である」

第三者は、諦めた人がいることを確かめることができるなら確かめるべきだろう。それが現実的に不可能なら、何らかの方法で諦めた人がいるとするに妥当な理由を示すことが必要だろう。それもできなら血液型による人事でに被害者の存在はないと判断するしかなく、第三者は差別であるという批判はできないのではない。
被害者の存在を知らない第三者が、そもそも加害者だけを知ることができるのだろうか。加害があるなら被害がある。被害あるなら加害がある。(必要十分条件)第三者が批判するときは、被害者が誰で加害者が誰かを知っているのは当然なのだ。これは批判する側の義務ではなく論理上の問題だ。少なくともこの論理は保育園では十分に成り立つ。保育園ではだれが加害者でだれが被害者かは関係者の範囲内にしかいないのだから。世界中からだれか分からない被害者を探し出せと無理をいっているわけではない。

>ある個人が、自らが肉体労働しか出来ないと考えるのは、別に差別でも何でもありません。

まず、黒人には、思い込まされた人と、そうでない人がいるわけか?
次に、確認したいのだが、どちらにしろ人なのだから権利も自由もあるのだよな?
次に、思い込まされた人の方は、誰に思い込まされたのだろうか?
次に、誤った情報だとして、誰もがそれを信じるとは限らない、騙されやすい人ということか?
次に、思い込まされた人というのは、自己決定能力がない人だと言いたいのだろうか?
まだありそうな気がするが、今のところはこれだけ疑問が有る。
何かこう思うのは、#6からはじまってる黒人の例題をこれ以上追求しなければならないのだろうか。
どうも例題の出来に問題があるような気がするのだが。例題のほうが本題より分かりにくいのでは、例としての存在価値がないのではないか。できればこうした不出来な例は無しにしてもらいたいのだが。
保育園の本題に即して議論は出来ないものなのか。

81えめ:2005/10/14(金) 21:27:03 ID:V5beM8Xs
>次に、確認したいのだが、どちらにしろ人なのだから権利も自由もあるのだよな?
1.本来備わっているはずの権利や自由を”不当に(合理的な理由なしに、ここは大事だ。アカデミックな検証と言うのは一つの合理=普遍を求め、出来る限り客観的に検証する体系だ)”制限するから「差別」なのだ。
>次に、思い込まされた人の方は、誰に思い込まされたのだろうか?
差別する側だ。それは優劣者に限らない、自らを劣者として規定するのも又差別なのだ。(差別については上記1.を熟読の事!これは誰もが貴方に表現を変えて何度も言っている)
>次に、誤った情報だとして、誰もがそれを信じるとは限らない、騙されやすい人ということか?
つまり君はこういいたいのか「かの教育施設に於いて全ての保護者が血液型を妄信する愚者とは思えない、即ち園長(かどうかは知らんが)が主張する血液型による個性の差にはアカデミックな見解では証明できない普遍的な現象が確かにあり、故に血液型による人間の”篩い分け”は合理的であると
>次に、思い込まされた人というのは、自己決定能力がない人だと言いたいのだろうか?
なぁ…これ等を本気で書いているなら管理人さんはじめ皆さんの君に対するレスは全て徒労に終わるという事だが。それでも続けるのかね。
本題に入る前に延々と設問のループを繰り返しているような気がするんだが。

82NATROM:2005/10/15(土) 03:35:25 ID:yWaDTs1U
>第三者は、諦めた人がいることを確かめることができるなら確かめるべきだろう。それが現実的に不可能なら、何らかの方法で諦めた人がいるとするに妥当な理由を示すことが必要だろう。それもできなら血液型による人事でに被害者の存在はないと判断するしかなく、第三者は差別であるという批判はできないのではない。

文脈から考えると、ココさんの主張は、

「何らかの方法で諦めた人がいるとするに妥当な理由を示すことができないのなら、血液型による人事でに被害者の存在はないと判断するしかなく、第三者は差別であるという批判はできない」

でいいですよね?「血液型で人事を決めるってったって、『独創性があるのはAB型』などという科学的証拠なんてないんだから、開発部に選ばれたAB型の人より独創生のあった非AB型の人たちだっていただろう。そういう人たちは不利益を被っているはずだ」ってのは、「妥当な理由」になりますか?これが妥当な理由にならないってのなら、異議申し立てをしてくれる人を募るしかなさそうですが、社内の人間関係や報復人事を恐れて手を挙げてくれる人がいなかった場合、差別が行われているのに差別を立証できないという事態が生じてしまいます。

どっかの会社が、「うちでは劣等人種たる黒人は採用しない」と明言したとして、それだけでは差別にはあたらないとココさんはおっしゃるわけですか。その会社を受けて落ちた黒人の人か、受けるのをあきらめた黒人の人をつれてこないといけないのでしょうか。「そういう人もいるだろう」という推定でOKであれば、例の保育園を批判するのも、実際に不利益を被った園児や保護者を特定しなくても、「血液型別保育で不利益を被る人もいるだろう」で、別にOKでしょう。不利益を被る人がいる妥当な理由を複数示しています。


>保育園の本題に即して議論は出来ないものなのか。

え〜、だったら、以下の質問に答えていただければいいんですが。この質問からココさんが延々と逃げ続けているから、さまざまな例を挙げざるをえなかったのですよ。

1. 「遺伝情報を利用するときには、利用する側が、事前に、利用することの是非について十分に検討しなければならない」という主張に、ココさんは賛成しますか?
2. 「血液型と性格に保育に利用できるほどの強い関連がある」などと信じる人には科学的思考能力に難があると言わざるをえず、よって、そのような人物は保護者に科学的に正しい情報を提供することはできないですが、何か反論は?


>まず、黒人には、思い込まされた人と、そうでない人がいるわけか?

不正確な情報を思い込まされた結果、不利な立場を受容している黒人がいたとしても、「本人が受容しているから差別でない」とは言えないって言っているのです。思い込まされてない人もいるかもしれませんが、だから何なのでしょう?


>次に、確認したいのだが、どちらにしろ人なのだから権利も自由もあるのだよな?

ありますよ。


>次に、思い込まされた人の方は、誰に思い込まされたのだろうか?

差別する側。意図的なものもあるでしょうし、そうでない場合もあるでしょう。後者の方がむしろ性質が悪いですが。


>次に、誤った情報だとして、誰もがそれを信じるとは限らない、騙されやすい人ということか?

騙されやすい人もいれば、騙されにくい人もいるでしょうね。


>次に、思い込まされた人というのは、自己決定能力がない人だと言いたいのだろうか?

人によって個人差はあるでしょうが、どんなに騙されにくい人であっても、騙されてしまう状況ってのはあるでしょう。なので、それだけをもって、「自己決定能力がない」というのは論理の飛躍です。ココさんが何が言いたいのかはあいかわらず不明確ですが、「詐欺に騙されてしまうのは、騙されたほうが悪い。騙された方だって、権利も自由も自己決定能力もあったのだろう」というような結論にいたってしまいそうな気がします。違うというのであれば、

3. 誤った情報(血液型は性格と強い相関がある)を提供された結果の意思決定(血液型保育を受容する)は、有効ですか?

という質問に明確な答えを要求します。私は無効だと思います。例の保育園の保護者は、遺伝子別保育の本当の意味を知らされていなかったわけです。「差をつける妥当な理由」の一つに、差をつけられる側の合意が必要でしょうが、その合意は正確な情報を知らされてのものではなかったわけですので無効です。よって、保育園での血液型別保育には妥当な理由が欠けており、よって差別と言えます。

83ココ:2005/10/15(土) 10:52:53 ID:HcMwO68Q
>82
血液型で人事を決めると一言ではその内容はいろいろ可能性があり、抽象的するぎ不明な点がいっぱいある。いろいろ情報が揃っていれば推論が妥当な場合もあるかもしれない。だが、推論であれば何でもよいということではない。「血液型で人事を決める」この一文のみの情報しかない場合、推論というか憶測で判断するのは保留するべきではないか。

基本的に保育園の具体例だけが議論の目的ないので >77に移らせてもらう。
具体例(保育園の事例)以外の例について検討するかどうかのイニシアチブは出された方にあると考える。

>77
>「差をつける妥当な理由がないのに遺伝子によって差をつけるのは差別である」、という点にはココさんは同意できるらしいです(「異を唱える者」は不要なのかな?)。

扱いに差をつける→ 差をつける妥当な理由がない →差別である #75 ココ
「異を唱える者」(内心でも)は不要ではなく必要。妥当な理由の中に含まれる。
「妥当な理由がない」⊃「当事者に合意がない(異を唱える者がいる)」

>>18でも既に述べたことだが

アカデミックな実証の有無が差別の指標にならない---その通り。

誰かの仮説であって、アカデミックな実証がない場合でも、そのことに当事者間に合意が形成されていればよい場合がある。アカデミックな実証がなされたかどうかは、それが合意形成において「説得力を持つ」には重要なー要件といえるぐらいだ。

>クリニックの院長による独断では不十分で、複数の専門家による検討が望ましいと私は考えます。

個人的にそう望ましいと考えることは自由で、悪いことではない。

>血液型によって差をつけるのであれば、合理的な理由があることを示す責任が差をつける側にあるのです。

「批判する側が合理的理由がないことを証明する責任はないのですが」は、勘違だろう。

保育園が血液型によって園児の扱いに差を付ける場合、そのことを保育園が妥当だと思っている理由(1)を保育園側が園児側に説明する責任はある。そして、その理由(1)について両者が合意したのであれば、保育園には合意した方法で保育をする妥当な理由(2)がある。保育園には無関係な第三者に、具体的に何も説明を求められてない段階で、理由(1)も理由(2)も説明してやらねばならない責任はない。

差別と断定する者(第三者)は、保育園についての事実関係を把握しており、その事実関係を元に差別と判断しているのであり、当然、その根拠を説明できるはずである。それが出来ないなら断定はできない。保育園で、誰が差別し、誰が差別され、差別された側がどんな不利益を被っているかも、具体的にすべて把握しているはずである。それが出来ないなら差別とは断定はできない。

84ココ:2005/10/15(土) 11:35:23 ID:HcMwO68Q
>84

3. 誤った情報(血液型は性格と強い相関がある)を提供された結果の意思決定(血液型保育を受容する)は、有効ですか?

答 この保育園でどのような説明かが分からないから無効かどうかおれには判断できない。

あなたには「血液型は性格と強い相関がある」と保育園が説明しているという証拠を示せない。
「血液型は性格と強い相関があるかどうかは現時点では定かではない」と説明しているかどうかも分からないし、「血液型は性格とは、○○で○○の相関があるようだ」と説明しているかどうかも分からないし、「血液型は性格とは、○○で○○の相関があるようだが、個々の園児に対してはそれに合わない子にはそうは考えていない」と説明しているかどうかもわからない。

85ミケ:2005/10/15(土) 12:17:13 ID:KO.P9.dA
>あなたには「血液型は性格と強い相関がある」と保育園が説明しているという証拠を示せない。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20040810

そもそもの始まりが、
《「血液型は性格と関連がある」という説を理由にそれを教育に応用している》
という記事なわけです。
もともと、「血液型は性格と関連がある」という説自体が科学的には信憑性の乏しいことですから、
誤った情報(血液型は性格と強い相関がある)を提供された証拠としては十分です。

オマケ
仮に「血液型は性格と強い相関があるかどうかは現時点では定かではない」という正しい説明がなされてるとして、
『差をつける合理的理由』ってのは一体何なんですか?

86ミケ:2005/10/15(土) 12:24:14 ID:KO.P9.dA
あ、これ正しくないや。
「血液型は性格と強い相関があるかどうかは現時点では定かではない」

→「血液型と性格が相関している証拠はない」に訂正。

87ココ:2005/10/15(土) 15:33:05 ID:HcMwO68Q
>85 ミケさん
「血液型は性格と強い相関がある」という一文はNATROMさんが考案した文だ。
保育園で「強い相関」という表現が使われたとする証拠はない。

阿部氏も相関という言葉は使っていないようだ。
調査によって血液型と園児の行動様式に因果関係があることが分かったとは言っているようだ。
一般論としての血液型と人の行動様式と因果関係があるとも言っていないわけだ。

因果関係と相関関係は同じ概念ではない。
「(一般論として)血液型と性格に相関関係がある」と「保育園で血液型と園児の行動様式に因果関係がある」は同じ話として議論してよいとはいえない。

議論をするときには用語は正確にした方がいいだろうし、血液型と性格の相関関係がアカデミックにどうかということと、保育園の行動様式に因果関係がある言っているという話をごっちゃにしないほうがよい。

88ミケ:2005/10/15(土) 16:07:53 ID:KO.P9.dA
表面的なコトバに振り回されると本質を見失う、と忠告しました。
相関関係、因果関係というコトバをここで議論する意味はさしてありません。
というのも、どちらも対応に差をつけることの正当性を主張するために用いられる以上、
一般性を持った言説でなければ根拠として意味がないからです。
「差をつけたらこうなった。」ではなく、「差をつけたらこうなるだろう。」でないと理由としては不適切。


ところで、「表面的なコトバに振り回されるな」といってきましたが、
かくいうミケも、どうやら本質を見失っていたようです。

保育園のケースでは、『差をつけられる』のは園児であり、保護者ではありません。
この場合、誤った情報を提供された結果の意思決定にさえ到達しないのです。
園児は納得するも何も問答無用で対応に差が付けられています。
そこに意思決定の余地があるでしょうか。

89ミケ:2005/10/15(土) 16:21:36 ID:KO.P9.dA
連投すみません。
88 の
>ところで、「表面的なコトバに振り回されるな」といってきましたが、

以降の発言、一旦撤回します。
ごちゃごちゃして整理が付かなくなってきた。

90ココ:2005/10/15(土) 17:17:24 ID:HcMwO68Q
>88
相関関係と因果関係が違いがあるということに意味が無いという説明は残念ながら流石に何を言わんとしているのか理解できなかった。

幼児の意思決定の問題は幼児を相手にするそれこそあらゆる場面で問題になるのではないか。特定の保育園だけに関わることではない。過誤があっても幼児は自分ではどうすることもできないだろう。だから保護者(保護者とは文字通り保護する者)がいるのだろう。あたり前のことだが保護者の責任は重大だ。
幼児に意思決定の余地があるでしょうかと言ってみて何になるのだ。

91ミケ:2005/10/15(土) 18:14:45 ID:KO.P9.dA
まず、園児の意思決定云々については、
>>89ですでに撤回しています。
すでに撤回した発言に「何になるのだ」と言ってみて何になるのでしょう?

さて、相関関係と因果関係の話。
>>87から、ココ さんは、
一般的事例の場合:相関
個々の事例の場合:因果
という意味で用いていると読み取れました。
この用い方自体正しいとは思いませんが、
仮に正しいとしてもこの議論において「相関関係」と「因果関係」の意味の違いは重要ではありません。

とりあえず確認事項です。
上記の意味で「相関関係」・「因果関係」を用いましたか?
違うならそれぞれの意味を示してください。
この確認事項に答えてもらったあとで何を言わんとしたかを説明したいと思います。

92ココ:2005/10/15(土) 18:40:23 ID:HcMwO68Q
>91
こちらも撤回する。

93ココ:2005/10/15(土) 18:47:58 ID:HcMwO68Q
>91

「保育園で血液型と園児の行動様式に因果関係」とい場合は、当然ながら
保育園での調査のことを指す。

「血液型と性格の相関」
という用い方はこれまで現在のアカデミズムではという文脈で使われている。

それを峻別すべきだろうと言っている。

94ミケ:2005/10/16(日) 08:56:16 ID:KO.P9.dA
やっぱり、別に「相関関係」「因果関係」ってコトバは関係ないじゃん。
(入れ替えてみて意味が変わる?)
少なくとも、>>87の、『因果関係と相関関係は同じ概念ではない。』という一文は不要ですね。


では改めて「保育園で血液型と園児の行動様式に因果関係」と「血液型と性格の相関」について。

>それを峻別すべきだろうと言っている。

阿部氏は『20年前から保育に活用』しているわけで、
記事の文脈からは「保育園での調査」とは活用し始めて以降と読めます。
ゆえに、「保育園での調査」を理由として説明したのではないと思われます。
巷で流行っていた『血液型は性格と関係する』という言説を根拠にしたのであれば論外。

また、「保育園での調査」が適切な科学的手続き(バイアスの排除)を踏んでいなければ、
たとえ後付けであっても差をつける理由としては不適切(誤った情報)です。

95ココ:2005/10/16(日) 09:44:36 ID:HcMwO68Q
>94
心理学にはさまざまな分野がある。どれも同じ方法で研究しているわけではないだろう。一般に相関関係という場合は心理学者が性格測定テストを実施した結果、統計上で見られた関係を意味している。一般に血液型と性格に関する調査は不特定多数の中から無作為に選ばれた人々を調査対象にするようだ。
保育園のほうでは、調査の詳細は不明だが、少なくとも筆記による性格測定テストなどは実施していないだろう。何しろ幼児であるのだから。行動様式を観察することが主眼に置かれているものと推測される。
同じ方法論で調査されていなものを同じ研究の結果として一方で相関関係があまり無いといったとろで、一方をそれと同じだと断じることは適切ではない。だから、保育園のほうの調査が正しいのだと言うつもりはないが、保育園の方でどんな調査を行っているかを具体的に知るべきだろう。その上でどう評価するかが正当な評価のあり方だ。

96ココ:2005/10/16(日) 10:26:38 ID:HcMwO68Q
>94
阿部氏のプロフィールを見る限り、彼の得意とするのは発達心理学・児童心理学が下地にあるのではないかと推察される。
いわゆる血液型と性格の相関関係の研究は、一般に性格心理学あるいは社会心理学の分野になるだろう。

97ミケ:2005/10/16(日) 10:56:24 ID:KO.P9.dA
NATROM さんのブログで、
>たとえば、血液型と行動に関係があるという思い込みが、園児が予想通りの行動をとったことのみを記憶してしまう認知バイアスなど。

と例示されていますね。
例のようなバイアスは、むしろ行動様式の観察に主眼をおいたときにこそかかりやすいのではないですか。

方法が筆記か行動観察かというところは重要なことではなく、
バイアスが入りやすい問題でどのようにバイアスを排除したかが重要なのです。

98ミケ:2005/10/16(日) 11:30:10 ID:KO.P9.dA
>保育園の方でどんな調査を行っているかを具体的に知るべきだろう。その上でどう評価するかが正当な評価のあり方だ。

確認させてもらいたいことがあります。
『差別かどうか分からないからとりあえず差をつける』
これがダメ(というより差別)であることは分かりますか?>ココ さん

99ココ:2005/10/16(日) 11:35:06 ID:HcMwO68Q
>例のようなバイアスは、むしろ行動様式の観察に主眼をおいたときにこそかかりやすいのではないですか。

そう問われても、分からない。

片方の結論部分をもう片方に置き換えてしまえば重大な問題があります。それが論旨。

ところで、バイアスが排除されていないという批判はどうやって立証するつもりだろう。

100谷庵:2005/10/16(日) 16:17:07 ID:htXvpXv.
>ところで、バイアスが排除されていないという批判はどうやって立証するつもりだろう。

私は阿部氏の主張を知らないので何とも言えないのですが、どのようにバイアスを排除したかの説明責任は阿部氏にあります。
阿部氏はきちんと説明しているのでしょうか。

科学論文の査読でもっとも重要視されるのは研究方法です。
そこでバイアスを排除できていなければ、まともな雑誌ならはねられます。

100ゲットかな。

101ココ:2005/10/16(日) 18:41:34 ID:HcMwO68Q
>ところで、バイアスが排除されていないという批判はどうやって立証するつもりだろう。
これは単なる横道にそれる話として参考意見を求めたのだが不釣り合い質問だったようだ。
心理学者にでも聞くべきだった。ので撤回する。


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