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血液型を保育に活用するのは差別か?

25NATROM:2005/10/11(火) 21:52:38 ID:Z2veARY2
>あなたはおれが質問に答えないと自分の論理構成も説明できないのか?

私の論理構成は説明できています。ただ、ココさんが本当は何が言いたいのか、いまいちよく分からないので、下記の質問に答えて欲しいと言っているだけで。

1. 「遺伝情報を利用するときには、利用する側が、事前に、利用することの是非について十分に検討しなければならない」という主張に、ココさんは賛成しますか?
2. 「血液型と性格に保育に利用できるほどの強い関連がある」などと信じる人には科学的思考能力に難があると言わざるをえず、よって、そのような人物は保護者に科学的に正しい情報を提供することはできないですが、何か反論は?

本当は、「ココさんが何が言いたいのかよく分からない」とは思っていなくて、「ココさんは上記質問に答えてしまうと、自分の欺瞞が明らかになってしまうので、答えたくても答えられない」と思っているのです。いずれにせよ、ココさんは上記質問にどうして答えられないのでしょうかねえ。


>実際、課せられてないようだが、それが無いのはなぜかこちらが聞きたい。

「実際、課せられてない」というココさんの認識が誤りです。


>医療と保育を完全に同一視はできない。それはこの問題の大前提だ。

そう言っているところを見ると、医療の現場において、アカデミックに実証されていない治療法を安易に行うことはまずいということは理解しておられるようで。保育の現場において、アカデミックに実証されていない学説を安易に利用することがまずいというところまでもうちょっとです。頑張って。

3. 「保育においては、科学的に根拠のない学説を安易に応用しても、批判されるべきではない」とおっしゃっておられるので?

医療だろうと、保育だろうと、あるいは他の分野(就職とか保険とか)だろうと、遺伝子によって扱いに差をつければ差別でしょう。それとも、保育だけは科学的に根拠のない学説に基づいて遺伝子によって差をつけることが許されるのですか?


>アカデミックに実証されていないことをもって、差別の客観的指標とすることはできないということ。

遺伝子によって扱いに差をつけるのは差別。これが大前提。しかし、利益が十分にあるのなら遺伝子によって差をつけることは許容される場合がある、というのが私の主張。「利益が十分にある」と示す責任があるのは遺伝子情報を利用する側で、それなりの根拠がないといけない。科学的に考えることが苦手な自称教育家が「利益がある」と妄想しただけでは不十分である、ということ。阿部氏のケースが許されるのであれば、どのケースなら許されるのですか?多数の専門家によって支持されているかどうかを指標にできないのであれば、それこそ、遺伝子差別かどうか、誰がどのように「客観的に」判断するんです?ココさんが「問題ない」って言えば、問題ないんですか?


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