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血液型を保育に活用するのは差別か?
77
:
NATROM
:2005/10/14(金) 13:00:23 ID:yWaDTs1U
2. 差をつける合理的な理由の有無を示す責任の所在。
>>75
だけを見る限りでは、「差をつける妥当な理由がないのに遺伝子によって差をつけるのは差別である」、という点にはココさんは同意できるらしいです(「異を唱える者」は不要なのかな?)。じゃあ、妥当な理由を示す責任があるのは誰でしょう?私は、一貫して、差をつけるほうに責任があると主張してきました。例の保育園では、その責任は果たされていません。
ココさんが
>>75
で挙げた、遺伝子によって薬剤処方に差をつける例で考えましょう。どこかのクリニックの院長が、「当院では遺伝子の違いで処方を変え、効果を上げている」と述べたとしましょう。この場合、差をつける合理的な理由の有無を示す責任の所在はどこにありますか?私は、かの院長にあると思います。たとえ、このクリニックの患者たちが遺伝子によって差をつけることを受容していたとしても、この院長が合理的な理由を示せない限り、遺伝子差別であると批判されるべきだと私は考えます。ココさんはどうお考えになりますか?
何をもって「合理的な理由」とみなすかについては意見の相違があるでしょうが、最低でも、「その遺伝子が薬効の違いをもたらすという科学的な証拠」が存在するかどうか、言い換えれば、アカデミックな実証がなされたかどうかってのは、重要な要件の一つであると思います。ココさんによれば、アカデミックな実証は「差別の客観的な指標にならない」そうですが、この院長がアカデミックな実証によらずに遺伝子別に処方を変えても差別ではない、とココさんはお考えなのでしょうか?
加えて、遺伝子が薬効の違いをもたらすという科学的な証拠は、遺伝子差による処方の合理的な理由の必要条件にはなっても、十分条件ではありません。インフォームドコンセントも必要だし、患者の遺伝情報の管理も必要です。患者の遺伝情報を利用するという性格上、一クリニックの院長による独断では不十分で、複数の専門家による検討が望ましいと私は考えます。
ひるがえって血液型の保育利用に関してはどうでしょうか。仮に、血液型が性格の違いをもたらすという科学的な証拠があったとしても、血液型を保育に利用するためには、慎重な検討が必要であると私は考えます。血液型によって差をつけるのであれば、合理的な理由があることを示す責任が差をつける側にあるのです。阿部氏は、その責任は果たしているでしょうか。本来であれば合理的な理由を示す立証責任は阿部氏側にあり、批判する側が合理的理由がないことを証明する責任はないのですが、性格と血液型の関連性について証拠に欠けていることを指摘しましょう。血液型別保育に合理的な理由がないことは明らかです。
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