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本尊と曼荼羅

1管理者:2002/04/04(木) 07:30

いちりんさんより、スレッドテーマの御提案がありました。立ち上げます。幅広い議論が展開される事を期待致します。提案文は以下の通り。


30 名前: いちりん 投稿日: 2002/04/04(木) 02:20

本尊と曼荼羅って、とてもおもしろいテーマですよね。

こちらのスレッドは、「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」ということですが、
できれば、「本尊と曼荼羅」というテーマで、論じていったらいいなあと思います。
管理人さん、いかがでしょうか。

真宗の本尊とか、密教の本尊とか、天台の本尊観とか、あるいは釈迦在世のときの本尊とか、いろいろとおもしろいと思います。たとえば、天台の四種三昧の修行などみますと、修行によって本尊が変わりますよね。

そういうところから、本門の本尊をとらえかえしていくと、本質的なものがみえてくるかなあと思ってもみたり。

554文殊:2006/03/30(木) 23:43:05
南岳慧思の折伏主義についてですが、慧思の仏法護持のために
悪比丘に対して破折した事跡を類推解釈して当て嵌めました。
直接、大正蔵の明文にあたっていません。今後発言は慎重に行い
ます。

555犀角独歩:2006/03/30(木) 23:51:20

文殊さん

わたしは、拙稿を批判されたとは取っていません。
日寛に本尊義なしという記述であると早計したからでした。
552、553の解説については、賛同します。

556顕正居士:2006/03/31(金) 02:08:19
南岳慧思が論争家であったことは

「淮南郢州刺史劉懷寶共遊郢州山中。喚出講摩訶衍義。是時為義相答。故有諸法師起大瞋怒。
有五人惡論師以生金藥置飲食中令慧思食。所有餘殘三人噉之一日即死。慧思于時身懷極困。
得停七日氣命垂盡。臨死之際一心合掌向十方佛懺悔。念般若波羅蜜作如是言。不得他心智
不應説法。如是念時生金毒藥。即得消除還更得差。從是已後數遭非一」

南嶽思大禪師立誓願文
http://www.suttaworld.org/big5-txt/sutra/lon/other46/1933.htm

ただし、論争を折伏というのは「法華折伏・涅槃摂受」の文脈でいうことで、日蓮がいう折伏は
反対の「法華摂受・涅槃折伏」のほうの意義である。このことは次のスレッドで議論されました。

摂受と折伏について
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/l50

557顕正居士:2006/04/01(土) 02:28:47
>>552
それらの寺院は葬儀、法要を通常に執行しているでしょう。檀徒はカルト経営などは需めていません。
>>553
板本尊のために日蓮正宗は終わりかかっていますが。文殊さんがおっしゃるように現状のままだと
20年後にはこの宗派には学卒の坊さんはいなくなります。

30年ほど以前には日蓮正宗の公称檀信徒数は日本の諸宗派の中で最大でした。であったのに今も
専門の日蓮学者は一人もいません。単称日蓮宗にはどれだけいますか。カルトが宗教に進化する
ことはない。大石寺は既成宗派ではあったはず。それがほぼカルトに転落して来ている。融通念仏宗
とか時宗とか檀徒数万しかいないところもちゃんと持続している。堅樹日寛は素晴らしい宗学者ですが
板本尊は彼の学問の致命的な欠陥です。執行海秀はそれが日寛の説であるか疑っていたが、そう
考えざるを得ない文章はある。それを教義の中心に据えたのは大石日応だとおもうが。

558犀角独歩:2006/04/01(土) 08:41:17

顕正居士さん

板本尊…執行海秀…日寛の説であるか疑っていた

この執行師の文章とは何でしょうか。
ご教示いただければ有り難く存じます。

559顕正居士:2006/04/01(土) 12:52:16
独歩さん。

日寛のいう三秘総在の本尊なるものがただちにかの板曼荼羅を指すのか否かは判然としない、
という趣意の文です。『日蓮宗教学史』だったとおもいますが、もしかしたら違うかも知れません。

560文殊:2006/04/01(土) 16:28:19
北山の玉野日志貫首は富士教学の近代化・日興門家融会を模索していたが、
病に倒れ彼の試みは受け継がれることはなかった。欧州留学する学僧が
富士門では皆無であった。真宗が教学の近代化に成功したのに対して、
富士門では大学もつくれずに、教学論争に明け暮れたといえる。驥尾
日守の「末法観心論」と大石日応の「弁惑観心抄」。後書は現在法教院
教学で「六巻抄」より重視している。結局越洋会からは一般教養を欠く
が故に学者は輩出はされないでしょう。顕正居士さんのご教示の通り
です。慧思・摂折論議の学恩に深謝します。

561犀角独歩:2006/04/01(土) 17:41:11

顕正居士さん

ご教示有り難うございます。
教学史を再読してみようと思います。

『六巻抄当家三衣抄第六』に「蓮師御伝記八に云わく、弘安二年富士の戒壇の板本尊を造立し奉る」という一節がありますから、この点は動かないと思います。

しかし、ご指摘の通り、日寛ほどの天台の学者が板本尊に帰着したことは、たしかに不思議と思えます。

562顕正居士:2006/04/01(土) 21:04:08
22世の日俊がすでに三秘が一秘の本門本尊に集約し、かつその本門本尊とは大石寺の板本尊のこと
であると述べているそうです。
http://www.nichiren.com/jp/thesis/thesis_1.pdf
三大秘法とは日蓮宗の戒定慧三学であるが、「秘法」というから「事相」の意義がある。したがって大石寺
の板本尊が宗祖在世に造立され、事戒壇の本尊として予め奠定されたというのなら、そういう教義も理由
がないとはいえません。しかし板本尊がそうであるという根拠は脇書に「戒壇願主」とあるからに過ぎない。
宗祖が予め事壇の本尊を奠定したという史料は皆無である。
こういう無理な教義が出て来た背景には大石寺などで発達した教主論、仏身論があり、久遠本果の釈尊
ではなく久遠本因の釈尊を末法教主とする、久遠本因の釈尊とは宗祖と行位全同の名字即の菩薩である。
名字即の菩薩であるから色相荘厳の像ではあらわせないという教学です。しかし一尊四士にかわる寺院
の本尊は何か必要である、それは板曼荼羅を造立する。ここにおいて宗祖在世に板曼荼羅が造立された
根拠になる板本尊が重要な意義を帯びたのでしょう。
もとは大石寺のほうから説が出て、犀角独歩さんが検証されたように、板本尊は北山の万年救護曼荼羅
を板にしたのでしょう。ですから脇書はそのことが忘却された後に、宗祖の在世に板曼荼羅が造立された
根拠として誰人かが付加したのであろうと想像します。

563れん:2006/04/01(土) 23:00:49
横レス失礼します。
顕正居士さんが示された石山22世日俊師の彫刻本尊に関するコメントですが、私の携帯では見れないので、以下に備忘ならびに参考のためを含めて、列記しておきます。
「興師目師遺状被遊戒壇之本尊御座大石寺之貫主成致報恩謝徳導師事餘身喜何事過之耶」(歴全第三巻所収 初度説法)
「此三大秘法者何者、本門本尊者当寺戒壇板本尊非、其戒壇本尊座地広布不至迄此地戒壇非、日興正傳之題目非本門題目耶」(同上)「此三大秘法者云其體云事一念三千南無妙法蓮華経云者也。各題目修行本因妙南無妙法蓮華経本門題目也。本因對向本果妙佛界所具戒壇本尊也。本果所住本國土即是戒壇地也。三大秘法云向本尊勵信心唱題目即是本因本果本國土三妙合論事一念三千申法門大旨思召」(同上)
この日俊師の「初度説法」を読みますと、俊師は条々事の“弘安二年大御本尊”なるものを、彫刻本尊に規定しており、顕正居士さんのご指摘の通り、その彫刻本尊中心の三秘論を展開されているところ、俊師の影響を寛師は受けていると見て間違いなさそうです。
石山が彫刻本尊を作成したのは、重須の生御影に対抗するための手段としてという側面が強いでしょうね。その時期は、私の勝手な想像としては、一つの可能性としては、安土桃山期に大石・重須が甲駿地方の戦火に罹災し堂宇が焼失した後の、両山の堂宇の復興の時期と見た方が良いかと愚考しております。

564文殊:2006/04/01(土) 23:08:28
22世日俊は北山に色衣・鬼子母神で教義論争をしかけていたはずです。
北山が寺社奉行に訴えて一悶着となった。日俊は要法寺系でありながら、
日精造仏を一掃してしまった。日寛は実見しているはずで影響を受けて
いると考えます。石山・八品共同経営の細草壇林夏安居における天台学
修学では、同時に慶林日隆教学をも学んでいるはずです。尼崎流を一歩
先に進めたといえるのではないかと。日寛自身、大石寺再興にあたって、
山内に何も相伝法門もなかったことはわかっていた。それで慶林日隆の
著述を参照したと推定されます。通常、飯高壇林をはじめとする壇林
教学では天台三大部・妙楽釈・従義補注を領解するのに大変で、肝心の
宗学研鑚が充分とはいえなかったのですが、日寛は石山再建の危機意識
が常に本尊論・教判論・仏身論の理論再構築に向かっていたと考えます。

565犀角独歩:2006/04/02(日) 14:01:11

れんさん

> 此三大秘法者何者、本門本尊者当寺戒壇板本尊非、其戒壇本尊座地広布不至迄此地戒壇非、日興正傳之題目非本門題目耶

これは、どのように読むのでしょうか。

「この三大秘方途は何物ぞ、本門の本尊とは当寺の戒壇板本尊に非ず、その戒壇本尊の座する地は広付に至らざるまではこの地は戒壇に非ず、日興正伝の題目に非ず本門題目か」

でしょうか。「本門本尊者当寺戒壇板本尊非」が、わたしの読み下しのごときであれば、これはどのような解することになりますか。

566れん:2006/04/02(日) 18:58:17
犀角独歩さん
>565
歴全の当該文に付されている句読点を参照して読み下しますと以下のとおりです。
「此の三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊に非ずや、其の戒壇の本尊の座す地は広布の至らざる迄は戒壇に非ずや、日興正傳の題目は本門題目に非ずや」
俊師の解釈につきましては、読んで字の如くだと思います。

文殊さん、ご教示有難うございます。
>日寛自身、大石寺再興にあたって何も相伝法門もなかったことはわかっていた…
初期石山において、相伝法門なるものがあったとすれば、それは六世日時師がれれまで伝えられてきた法門化儀を纏めたものと思います。日有の聞書拾遺に「此の大石寺は高祖より以来今に仏法の付属切れず次第して候間得給へる人様は仏法世間の御沙汰、高祖の御時に少しも違はず候。若しも世の末にならば高祖の御時の事、仏法世間ともに相違する事もやあらんとて日時上人の御時四帖見聞と申す抄を書き置き給ふ間我が申す事私にあらず、上代の事を違せ申さず候。他門徒の趣は代々の意楽意楽に各々に建立候間上代の事御存知なく候間一向細工事に成り行き候と云々」と述べている四帖等がそれです。日寛師の文段にせよ、六巻抄にせよ、それ迄にすでに巷間に流布されていた自山の条々事を含む興門の文献をもって自山の正当性を主張していますが、なぜか四帖をはじめとする自山分の“相伝”については引用しません。それは恐らく、六巻抄や文段は当時の檀林教学に則って組み立てたもので、自山分の四帖などはそれこそ貫主一人の秘伝として、公開しなかったものとみるのが至当と愚考します。

567れん:2006/04/02(日) 19:53:35
566の誤字訂正。
誤)れれまで
正)それまで

568文殊:2006/04/02(日) 21:04:29
「日時上人は御勤の座ごとに御せつかんを召され候ひしなり」(「有師物語
聴聞抄佳跡上」『富要集』第1巻240頁)に数少ない六世時師の事跡に
日興門家化儀の厳格な伝統遵守と大石寺家統率の覇気を窺えます。重須・
西山が分立、そして下条妙蓮寺までが石山離れ独立本山の動きを公然化。
時師とすれば、鉄の規律で大石寺家の求心力を高めようと画したと思われ
ます。但し何故寛師が時師秘儀を引用せず、天台・妙楽・伝教、要法寺系
相伝書引用の所謂「顕教的解釈」に終始しているのかは判然としません。
現代法教院教学では天台三大部四明釈義一色に染まっていて、時師上代法
門、南宋従義流は完全に排除されていますが、漢字文化圏から急速に離脱
している21世紀日本では、古文書の解読が急務でしょう。そして、解読
された古文書から何を次代の世代に最良のものを伝えていくかは課題です。
れんさんの富士教学再構築の試みは貴重です。新資料のご提示お願いしま
す。また富士五山は重須談所を復活させて全文書を公開すべきです。

569犀角独歩:2006/04/02(日) 23:51:55

れんさん、有り難うございます。

文末に「非」をつけて、「非ずや」ですか。うーん、なるほど。
そう、読ませようと言うことでしょうね。


文殊さん、

> 日興門家化儀の厳格な伝統遵守

だいたい、そんなものがあるのでしょうか。
お尋ねしますが、日興が残した厳格な化儀とはいったい、どのようなものでしょうか。また、それは日蓮とどのように違うのでしょうか。

570文殊:2006/04/03(月) 07:56:06
伝統的な通説に依ったものです。改めて日興門家の化義の他門に比較
してその厳格性を考証となると難しいものがあります。朗門・像門
そして日向『金網集』研究の進捗を参照しなければ厳格性が挙証で
きません。日蓮と日興の教学的体質が異なるかについても精密な分析
が必要を痛感した次第です。護教論でなく学問的ルールに則っての
です。

571犀角独歩:2006/04/03(月) 08:26:07

日時はたしか仙波檀林に学んだといった資料があったと記憶します。
文殊さんが仰る「伝統的な通説」というのは、何を指すのかわかりませんが、上代の石山住職を手繰ると、出生は南条家との縁、学問は仙波檀林に行き着くようで、重須の檀所はともかくとして、石山が日興の厳格な化儀を伝えたとはとても思えません。

また、日興にしても、一尊四士義はともかくとして、日蓮の教義からはあずかり知れない‘御影’信仰にウエイトが掛かっていたわけで、それが絵像か・木像かいまひとつはっきりしませんが、ともかく、日蓮像を拝んでいた。日興は造仏は廃し、日蓮の厳格な教えに従って、漫荼羅正意だなどという現在のアナウンスはまるでウソで、実際は一尊四士という厳とした造仏論を有し、さらに御影崇拝という非日蓮義も有していました。そのうえで、漫荼羅を本尊と規定していったわけです。重須の盗難事件の実否を問う声は聞こえますが、これが事実であれば、盗難品のなかには日興像もありました。つまり、生存中から、日興本人の像が拝まれていたということでしょう。このような日興が、日蓮の化儀を厳格に伝えたというのは、事実に反します。もちろん、遺文蒐集、学問という面では重須檀所を中心に業績はもちろんあったでしょう。

日興の極端な賛美は、近年、日亨氏の功績により、さらに最近では興風談所の業績から内外ともに、さらに高まっていますが、わたしは、文殊さんが挙げる石山の学僧?の評価も含めて、もっと冷静かつ客観的にみたほうが事実究明には役立つと考えます。

まして、日時に関しては、この人物と時代は、問題が山積で、実質、日目と南条家の寺であった大石寺の独自形成の鍵を握るものであると考えられ、日興の厳格な継承者とはとても思えません。

なお、「護教論でなく学問的ルール」については、まったく賛同いたします。
それ故の以上の管見です。

572れん:2006/04/03(月) 09:42:00
文殊さん、私如き、無知の者に過分のお言葉をおかけ戴き、誠に恐縮です。
さて、日時の事績につき、手持ちの文献資料で確認できるのは以下の通りです。
石山蔵・肝心要義集中巻抜書冒頭に「肝心要義集 日時相伝之。日行之」とあり。
同寺蔵・日目弟子民部日盛書写の日満抄奥に「日時相伝之」とあり。
同寺蔵・民部日盛筆の「御筆集」の現存表紙裏に「謹奉相伝之。日時(花押)」とあり。
同寺蔵・上野下御房日舜書写「報恩抄」奥に「民部阿闍梨日影授与之。応永九年卯月十一日、日時(花押)」とあり。
日精「家中抄」日順伝によれば、石山には日時所持の「五人所破抄」が曽存し「応永四年丁丑十一月日 釈日時之」の奥書があったという。
石山僧完則による「大石寺宝蔵目録」によれば“日時筆”の「色心実相境智根源決」があるという。妙観文庫目録によれば具名を「妙法蓮華経色心実相境智根源口決」といい、日時筆のほか日精の写本もある模様であるが、一般には非公開で内容不明。
日有の聞書拾遺によれば、日時は四帖見聞を著述し、雑雑聞書によれば、その中には「本尊ノ大事」「三箇ノ秘法」について述べた“日目ノ耳引法門”なるものが記されていたという。これも内容不明。
日時師につきましては、独歩さんが「この人物と時代は問題が山積で、実質、日目と南条家の寺であった大石寺の独自形成の鍵を握るものである」と述べておられる通りと存じます。以上ご参考まで。

573れん:2006/04/03(月) 12:03:07
若干、日時の事績に補足を加えれば、嘉慶二年(1388)十月十三日、石山から小泉に移された日蓮影像に替わって、新たな御影建立、自筆書写漫荼羅28幅現存、大石記(おおいしき)の口述が挙げられますね。
あと、日時の御影建立につきましては、日什師の門弟日運師の門徒古事に、
「雖然或御影堂造立候間、無隙云々。使者云、御影堂ヲウラレ候テモ先ツ奏聞ヲ可被本云々。主人云、サニテハ候エトモト計云々。サテハメツラシキ沙汰ナレ、是大石寺云々」
とあり、これは嘉慶元年の京都妙顕寺の山門衆徒による破却を伝聞した什師が蓮師諸門徒に使者を派遣して日蓮門下は同心して天奏すべきであると伝えたときの、使者と大石寺主人とのやりとりを記録したものですが、この門徒古事に出てくる“大石寺主人”とは、翌年の御影建立成就、そして御影堂造立といっていることから石山六世日時を指しているのは間違いないようです。

574文殊:2006/04/04(火) 01:16:29
「本門寺」建立運動が日興教学の核心でしょう。非寛容・非妥協の戦闘
集団を形成したことが他門から畏怖されることになったといえるのでは
ないでしょうか。日興はモーゼに資質が似ているかもしれない。本門寺
建立の理想郷のために門下に対しては絶対服従を強いた。師弟の契約が
重須に多数格護されている日興直筆の本尊授与であったといえます。
京都布教を果たした像門は民間信仰を包含した寛容的な教学を形成して
いったでしょう。三十番神信仰。時代に合わせた柔軟な教学解釈は京都
町衆の広汎な支持を集めた。現在の社会福祉活動につながっています。
これに対し、日興教団は少数精鋭の「選民思想」を有していたがゆえに
他門との間に蹉跌が恒常的に生じたと思われます。一尊四士本尊観は
来るべき本門寺奉安本尊、日興書写曼荼羅本尊は教団の縦のライン師弟
関係強化のためと日興は構想していた。西山・尊門は忠実に継承したが、
大石寺は重須への明らかな対決意識から曼荼羅本尊正意にと急激に傾斜
していったのでしょう。起源は日時と思われます。犀角独歩さんご摘示
の日興本人の像は日興の教団におけるカリスマ的権威・日興崇拝を現し
ているのでしょう。れんさんの資料収集の熱意に心を打たれました。
妙観文庫はなぜ法教院に遠慮しているのでしょうか。旧共産圏が次々と
新資料を公開しいる時節なのに、未だに石山圏は21世紀になっても
冷戦思考にとらわれているのでしょうか。

575犀角独歩:2006/04/04(火) 07:56:58

文殊さん

> 一尊四士本尊観は来るべき本門寺奉安本尊

日興は、複数の御筆大漫荼羅に添え書きをし、「奉懸本門寺」と記しています。また、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』という題名が示すとおり、漫荼羅を本尊と規定しています。この一連の流れから見ると、日興が本門寺に懸けるとした本尊とは一尊四士ではなく、日蓮御筆本尊の、しかも自ら「奉懸本門寺」としたものと考えられますが、この点は如何でしょうか。

日道の頃から、漫荼羅正意を喧しく言うようになったというのは執行海秀師の分析でした。日道は南条家で、日目の甥でしたか。しかし、その修学は北山に坊を置き、日順に師事したのでしたね。さて、当時の大石寺に日蓮御筆漫荼羅があったのかどうか。

漫荼羅正意というのは大きく二つの考えがあると思えます。一つは日興の如く日蓮御筆漫荼羅を本尊として、本門寺奉懸を考えること、もう一つは寺院経営者が自ら認めた漫荼羅を本尊として、仏本尊を斥けて、書写漫荼羅を本尊とさせること。

当然、この二つは日興その人から始まっているわけですが、北山には御筆漫荼羅はあったでしょうが、石山はどうであったか、なければ、石山には当初、御筆漫荼羅を奉懸といった漫荼羅正意は実質的に不可能であったことになります。つまり、このことが、のちに「本門戒壇之大御本尊」を捏造する動機になっていったのではないかと、わたしには思えます。

その件は、のちに譲ることとして、日興は身延にあっては一体仏本尊への崇敬を示し、重須でも、一尊四士仏本尊を掲げて自説とし、のちに御筆漫荼羅本尊へと移行していったと見るのが至当ではないでしょうか。そして、その影響下に石山日道も、また、のちに西山に移動を余儀なくされる日代もあった。当然、妙蓮寺日華もあったのではないでしょうか。石山から漫荼羅正意が起こったというのではなく、石山日道もまた、重須の日興・日澄・日順という師資の影響から、漫荼羅正意であったというのが事実ではないかと思えます。

576犀角独歩:2006/04/04(火) 15:18:38

読み直して、ちょっと、文が美(うま)くないので、訂します。

> 重須の日興・日澄・日順という師資の影響から、漫荼羅正意であった

と、記したのは、日興が仏本尊を斥けて曼荼羅正意を提唱したという意味ではありません。顕正居士さんが引用された伝日順文書に見られるとおり、当時、仏本尊が禁戒に属していたと見ることはできません。

わたしは個人的に、仏像を出家が造営するのはもっぱら持仏であり(日蓮伊東自作の例)、他は曼荼羅をもって弟子檀那に授与。在家の信徒は、その財力を持って、それぞれに仏像を像立、これには一尊四士を日興は勧めた。日興等が公武共に奏じ、その功なれば、ここに漫荼羅の授与はあるでしょうが、ここで仏像が像立されれば一尊四士というのが、元来、日興であったと思います。

しかしながら、御筆漫荼羅に「奉懸本門寺」と添え書きし、漫荼羅を本尊と規定するに至った日興が、御影信仰を醸造しながら、では、仏本尊をどう捌いたのかは、実に興味深いテーマであろうと思えます。この時点で、日興は漫荼羅正意と即断すれば、物語としては完結しますが、しかし、尊門にせよ、日順にせよ、仏像禁忌は窺えず、むしろ、広布戒壇に事寄せて、これを認める以上、ここに仏本尊は生きています。

日興在世より100年も経った頃、「隋身所持の俗難は只是継子一旦の寵愛、月を待つ片時の蛍光か。執する者は尚強ひて帰依を致さんと欲せば、須く四菩薩を加ふべし、敢へて一仏を用ゆること勿れ」と言うも、その後、ヒステリックなまでの仏像忌避に比べれば、また、その造立を制止しておらず、緩やかです。つまり、これは日興在世であればなおさらのことであろうと類推できます。

いずれにしても、御影信仰は、造像崇拝の一種であることは紛れもない事実であり、久種に遡って師資を論じ、ついには「三身所顕無始古仏」という峻厳なまでの法華道を歩んだ日蓮の教学的な姿勢からすれば、祖師信仰、ひいては御影信仰というのは、なんともはや、仏道という点から見れば、後退である映じなくもありません。キリスト者の「偶像崇拝」などをここに引用する気は毛頭ありませんが、造仏は日蓮義であれば、これを斥けてはならず、一方、祖師信仰は本門寿量本仏久種覚知からの信仰を確立した日蓮の教えに悖るものと、わたしには映じます。

577文殊:2006/04/04(火) 21:47:14
「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身、無始古仏也」「地涌千界菩薩己心釈尊
眷属也」「上行無辺行浄行安立行等我等己心菩薩也」「我弟子惟之、地涌千界
教主釈尊初発心弟子也」「此時地涌千界出現、本門釈尊為脇士、一閻浮提第一
本尊可立此国」の文からは「我等己心釈尊・無始古仏・教主釈尊・本門釈尊」
が仏との解釈になります。日興の御影信仰は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」
と径庭があることになります。「奉懸本門寺」は犀角独歩さんのご指摘の通り
です。

578文殊:2006/04/06(木) 12:58:40
「報恩抄」では「教主釈尊」、「本尊問答抄」では「題目の五字」と
日蓮の本尊観は変遷しているが故に、後世の日蓮教団は教義論争が
現在にいたるまで絶えなかったのでしょう。日蓮自身が明示しなかった
ことと、中間の宗学者の諸解釈が厚い雲のように覆われている結果、
真意の究明は難しくなっています。

579犀角独歩:2006/04/16(日) 09:27:23

日興御影崇拝について自己レス

『富士一跡存知事』に

「一、聖人御影像の事。
  或は五人と云ひ、或は在家と云ひ、絵像木像に図し奉る事在々所々其の数を知らず、而して面々各々不同なり。
  爰に日興が云はく、先づ影像を図する所詮は後代に知らせしめんが為なり、是に付け非に付け有りのまゝに移すべきなり。之に依って日興門徒の在家出家の輩、聖人を見奉る仁等一同に評議して其の年月図し奉る所なり、全体に異ならずと雖も大概麁相に之を図せり、仍って裏に書き付けを成す云云。但し彼の面々に図する像一つも相似せざるの中に、去ぬる正和二年日順図絵の本あり、相似の分なけれども自余の像よりもすこし面影有り。而る間後輩に彼此の是非を弁ぜんが為に裏に不似の書き付け之を置く」

とあります。「影像を図する所詮は後代に知らせしめんが為」とは、実に合理的というか、俗信的な要素は微塵も感じられません。これが実際の日興の思想を受け継いだものであれば日興における御影崇拝は、そこに日蓮の面影を求めたものであり、像に神秘的な力が存するといった器物信仰とは違っていたのであろうと想像されます。よって、先の投稿を補填し、改めることといたします。

580犀角独歩:2006/04/28(金) 12:43:46

> http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/563-567

過去の議論を蒸し返す形になりますが、563にれんさんが引用された石山歴全の「此三大秘法者何者本門本尊者当寺戒壇板本尊非其戒壇本尊座地広布不至迄此地戒壇非日興正傳之題目非本門題目耶」に付された訓点には異議があります。
「非」は通常、文頭に付き否定する語で、文末に耶が付けば疑問形でしょうか。すると、その本則に従ってこの文を分割すると、

本門本尊者当寺戒壇板本尊
非其戒壇本尊座地広布不至迄此地戒壇
非日興正傳之題目
非本門題目耶

となり、この場合、本門の本尊とは当寺戒壇板本尊(なり)
其の戒壇本尊の座地、広布に至るまで此の地戒壇に非ず・
日興正伝の題目に非ず・
本門の題目に非ずや

ここで非〜耶の最後の文章だけであって、まあ、それをその前の二区に兼ね、それぞれを「非ずや」と読めないことはありませんが、いずれにしても、非は冒頭に付くべきで、その意味で歴全の訓点で、非を文末に付けて「非ずや」と読ませるのは、どうも納得がいきません。

581犀角独歩:2006/05/06(土) 12:05:54

かつて、ワラシナ師と、話しあった四大天玉の配置に関するところを、やや、まとめ、ブログにアップしました。

ご批正を賜れれば、有り難く存じます。

四大天玉の配置、日蓮が間違ったということはないと、わたしは考えます。意味があったのだと。その信頼からの管見です。

四大天玉の配置について
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50543409.html

582パンナコッタ:2006/05/14(日) 23:39:13
NO,13の本尊を見ると四天玉に東西南北が冠されて、下段の増長と広目が通常とは逆になっていますね。

その後、通常配置(時計回りに右上から東西南北)になりますが、
NO,34以降、毘楼博又(広目)・毘楼勒又(増長)と又逆になります。
弘安期に入りNO,65迄続く、この東南西北形式(途中59・60は通常配置)が在る事を踏まえれば、
蓮祖が単純に間違ったと言う事は、やはりあり得ないと思えますね。
意図した事(蓮祖の世界観)が途中で変わり、又、考えが変わりというのを繰り返して、
あの四天玉の配置が成ったように見受けられますね。

583犀角独歩:2006/05/15(月) 09:36:29

582 パンナコッタさん

そうなんです。そのような点をワラシナ師と、まだこの掲示板ができる以前か・その以前か、お話をしたことがあったのです。

石山の堂塔配置は南面ですが、五重塔ばかり西面になっているわけですね。この整列は他派に抜きんでたものであると、わたしは思います。(五重塔が仏法西漸というのは、この点を鈍らせる話ですが、まあ、それは置いて)

わたしの過程が合っているかどうか、いずれにしても、南面、西面、どちらにしても日蓮の最終的に落着した四大天玉の配置は、どちらでも合致することになります。たぶん、護本尊であったろう御筆では、四大天玉が勧請されていないわけです。懐中に折り畳んで所持する訳ですから、この方角がないこともまた、一致するとも思えるわけです。

585犀角独歩:2006/05/16(火) 06:13:47

松岡幹夫氏の『大石寺門流の本尊書写権に関する史的考察』という文を読んだのですが、これは石山門の僧侶にだけ「上人」をつけるという実におかしな文章でした。論文としては、異常な文体であるというのが第一印象です。

それはともかく、このなかで

「日興上人…特徴は、大聖人の本尊を忠実に『書写』された…中尊…日蓮在御判…大聖人を御本仏と仰ぎ…戒壇本尊を書写した証として「奉書写之」と認められている」(P28)
http://www.totetu.org/h/pdf/k013_024.pdf

という一節があり、吃驚しました。

松岡氏は、彫刻を書写したと断言しているわけです。日蓮を本仏と断言するのも学術畑では異様です。それにしても、よくまあ、こんな嘘が書けるものかと呆れました。

日興の本尊をざっと見ただけでも、「日蓮聖人御判」(正応5年10月13日上行寺蔵ほか)とあるものもあり、また、「奉書写之」の4文字となっていないわけです。

彫刻本尊の座配が“公開”されていないのにもかかわらず、これを忠実に書写したとはよく言ったものだと驚くわけです。
殊に日興書写のはじめを弘安10年10月13日と記すのはよいとしても、この本尊などは天台・伝教が日蓮とほぼ横並びで、その上に天照大神・八幡大菩薩があるという、極めて特異な座配となっているわけです。これは、その後、定型化する石山本尊とも異なっています。

1997年の文章をいまさら取り上げて云々するのも何ですが、この手の文章を臆面もなく、いまだにアップしている東洋哲学研究所と、このサイトには疑問を懐かざるを得ないと慨歎するところです。

586犀角独歩:2006/10/22(日) 10:44:19

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/1694
から移動しました。

独学徒さん

レス、有り難うございます。本尊と漫荼羅については、2002年の段階で、いちりんさんからのご提案があり、スレッドが立って、議論されてきたことでした。
問答さん、Libraさんとも盛んに語り合いました。それでも、いまに至るまで、統一した見解は生まれていません。

よって議論の継続という意味も籠めて、せっかく、スレッドが立っていますので、こちらに移動しました。

門下一般での議論で感じることですが、真蹟遺文に限り、日蓮の素意を探ろうとしても、「自分がいままで信じてきた有様」「自分の所属する門派の解釈」という“まず答えありき”となって、その肯定論として、為にする屁理屈を押しつけることは、著名な学者、権威者のほうも顕著で、その真実を覆うことは、溜息が出るところです。つまり、それらは参考になるどころか、障害となるばかりです。

わたしは思想を考えるうえで、語彙の使用をしっかりと整理しておかないと、解釈者と日蓮の素意がごちゃ混ぜに議論される徒労に引き込まれることになる過悪に何度となく遭遇してきました。これは、学問的な素人ばかりではなく、尊敬を集める学者や、古文書読みの人々にも共通するところで、これを権威と感じる人々は、日蓮の真蹟遺文の言葉ではなく、この権威に泥んでしまうわけでした。

わたしは、そのような弊害を廃し、日蓮その人に真意に迫りたい、ただ思いのみがあります。

既に何度の記したことですが、天台、妙楽といったまだ真言勃興以前の時代を生きた人々に、そもそも「本尊」という語彙の用法はありません。日本天台宗においてはしかし、当然、本尊語の使用が頻繁に行われることになりますが、つまりこれは、真言密教との密接な関係から生じていった習合であるというのが、かつての顕正居士さんのご指摘であったと思います。わたしはその時点で、本尊観は需家からもたらされたものではないかと類推していました。もちろん、この側面もありますが、やはり、顕正居士さんの仰るところが正鵠を得ていたといまは考えています。

少し前の議論で、独学徒さんが三宝に充て、本尊をお考えになっておられましたが、これはなかなかわかりやすいところであろうと思います。さらに広げれば、孝という側面からいえば、親は本尊でしょうし、忠と言えば主君は本尊、また、師匠もまた本尊と見なされ、像に刻まれてきたのが日本という風土でした。また、門下一般でみれば、鬼子母神、七面大明神などは本尊として崇敬され、富士門でも日蓮は御影として本尊とされます。そのような観点からすれば、「漫荼羅も本尊のうち」という見解は成り立つのだろうと思えます。ただ、日蓮の場合、その語彙の用法においては、それほど、ラフな使用の仕方はしていないと観察するわけです。いま、ここで論じることは、門下解釈ではなく、日蓮の祖意です。

さて、学会を含む石山では「本尊と者勝たるを用べし」という一節を切り文解釈し、唯一絶対最勝の本尊を選ぶという思惟に基づき、挙げ句、模造品である彫刻を信じ込ませるという作為を行ってきました。この操作に一度、ひっかっかり、脱却しながら、しかも、それでも、唯一の本尊を選ぶという操作が既定概念として残ってしまっているという様を、わたしは観察するわけです。これは超えるべきハードルの第一となります。

587犀角独歩:2006/10/22(日) 10:44:48

―586からつづく―

「最高の本尊」へのこだわりは、では、どこから生じるのか、それは日寛義に違いありませんが、その基底をなすのは『本尊問答抄』でしょう。その趣旨に従えば、「法華経の題目を以て本尊とすべし」ということになります。弘安元年の書とされる当抄は日興写本を遺すことから、準真蹟と扱われるわけですが、わたしは、この書にはどうも違和感を禁じ得ません。

わたしが『本尊問答抄』が、本当に日蓮の文なのかと疑うのは、あまりに雑駁な論理展開に不審を懐くからです。

先のも挙げた「本尊と者勝たるを用べし」とする根拠として「法師品…薬王在々処々若説若読若誦若書若経巻所住之処皆応起七宝塔極令高広厳飾」としますが、日蓮は他書で一部(法華経全文)を斥けて題目を採っているのに、この文証は経巻一巻の読・書を言い、さらに経典塔の建立を促すものです。この文では、まったく題目をもって本尊とする根拠になっていません。さらに「天台大師法華三味云於道場中敷好高座安置法華経一部」といいます。言うところの「一部」とは一部分ということではなく、法華経典の全巻を意味するのは古語の用法であるわけです。

この第一問答は、題目本尊と言いながら、その根拠として、法華経典安置をもって充てるという実に杜撰なものとなっています。このような稚拙な問答を日蓮が構えるとは、とうてい信じがたいと言うのが正直な感想です。この有様は、その後の問答でも同様であり、法華経典を根拠に挙げて、題目本尊を証しようとする論の運びは、なんら説得性を有しません。なぜならば、日蓮は法華経典を簡び、題目の五字を採ったからです。

さらに指摘すべき点は、法華経の題目は題目であって、法ではないということです。日蓮の思惟からすれば法華一経の意(こころ)ということなのでしょうが、こころはしかし、法ではありません。さらに言えば、法華経の題目は五字の首題であって、漫荼羅の全体ではありません。つまり、この抄は、法本尊の根拠にも、漫荼羅本尊の根拠にもなっていないわけです。

また、題目本尊と観心本尊は、大きな隔壁があります。この点を顕正居士さんは『本尊問答抄』を真蹟と判断されたうえで、日蓮の心境の変化ととらえていたと記憶します。しかし、わたしは、むしろ、当抄への疑義とする心境を持つ者です。

また、題目を本尊とするとき、三つの法門(疑偽書で三大秘法と称される)における「本門の本尊と戒壇と題目」は、問答抄の題目=本尊の趣旨で読み替えれば「本門の本尊と戒壇と本尊」ということになってしまい、鼎立する三法門は意味をなさないことになります。このような齟齬を来すことが日蓮の教学変化であるとすれば、‘三大秘法’をもって日蓮の極意とすれば、論理矛盾を来すことになるでしょう。

以上が法本尊前夜における、まず第一の疑義です。

588独学徒:2006/10/22(日) 17:21:48

犀角独歩さん、引き続きの御教授ありがとう御座います。

誠に怠惰ながら、興風談所の「御書システム」の力を借りて、日蓮真蹟遺文(曾存・直弟子写本も除外)に限って、なおかつ「観心本尊抄」執筆後という条件で検索しますと、法本尊をうかがわせる文言は「上野殿母尼御前御返事」に記される内容として以下のものがありました。

『後七日を仏弟子に渡して祈らせしに、馬鳴と申す小僧一人あり。諸仏の御本尊とし給ふ法華経を以て七日祈りしかば、白鳥壇上に飛び来たる。』

ここでは法華経をもって、「諸仏の御本尊」と述べられています。
但しこれは、「経」をもって「法」と考えた場合のことです。

また「漫荼羅」をもって「本尊」とすることをにおわせる記述として、「是日尼御書」の以下の文言が確認されます。

『又御本尊一ふくかきてまいらせ候。霊山浄土にてはかならすゆきあひたてまつるへし。恐恐謹言。』

これら「法本尊」「漫荼羅本尊」をうかがわせる文書が希少なのに比べ、「釈迦仏本尊」については、「善無畏抄」や「報恩抄」のほか、「法華行者値難事」においても、次の如く述べられています。

『追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず〈此れに口伝有り〉。天台・伝教は之れを宣べて、本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之れを残したまふ。所詮 一には仏授与したまはざるが故に、二には時機未熟の故なり。』

この『本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字』から観取される「本門の本尊」は、まさしく釈迦仏以外に考えられません。

しかして、蓮師の教示に「法本尊」「漫荼羅本尊」という本尊観が皆無であるとは言い切れないものあるように感じられます。

加えまして、「新尼御前御返事」に多用される「此の御本尊」という表現は、文意からは「漫荼羅」を指しているように感じられます。
この点につき、御見解、御教授の程お願い申し上げます。

589犀角独歩:2006/10/22(日) 19:01:54

588 独学徒さん

今回のご投稿の由は、2002年春頃、問答さんと議論した内容と重複していますが、その後、考えの変化も当然ありましたので、再度、記すことといたします。

> 法本尊をうかがわせる文言は「上野殿母尼御前御返事」に…馬鳴と申す小僧一人…諸仏の御本尊とし給ふ法華経…「経」をもって「法」と考えた場合

この文は、まず、日蓮漫荼羅について論じていると言うより、諸仏と馬鳴のことを記したものですね。また、諸仏が本尊とするところを、凡夫が直ちに本尊とするのは可なのかという問題提議ができます。なぜならば、文字が同じでも、上行所伝されていない妙法五字を持っても日蓮の教義からすれば、意味をなさないからです。

また、仰せの通り、これは法ではなく、経典です。法華経本尊とは経典本尊であり、法本尊とは別であると思いますが如何でしょうか。ちなみに石山・学会教学では、法=法華経=題目=本尊と同一視することに成り立っていますが、日蓮の教学は、そうはなっていません。

> …「是日尼御書」…御本尊一ふくかきてまいらせ候

この文は、2002年4月の段階で、わたしも当スレッドの冒頭で引用し、独学徒さんと同様の提議を行っています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/3

ただ、これは断片で、資料としてはやや不足があるように思えます。この点はあとで述べます。

> …「法華行者値難事」…本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字…「本門の本尊」は、まさしく釈迦仏以外に考えられません

これはまさにそのとおりであろうと存じます。『開目抄』には

「諸仏を本尊とする者釈尊等を下す…天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり…倶舎・成実・律宗は三十四心断結成道の釈尊を本尊とせり…法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす…華厳宗・真言宗は釈尊を下て盧舎那・大日等を本尊と定…仏をさげ経を下。此皆本尊に迷…人皆禽獸に同ぜし…寿量品をしらざる諸宗の者畜同…寿量品の仏をしらざる者父統の邦に迷る才能ある畜生」

と言います。尤も同抄は焼失していますから、真蹟資料とすべきかは議論がわかるかもしれません。

592犀角独歩:2006/10/22(日) 19:09:13
―589からつづく―

> 「新尼御前御返事」に多用される「此の御本尊」

この書を、問答さんは2002年4月に取り上げられました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/2

執筆は文永12年2月ですから、『法華取要抄』と『撰時抄』の間ということになります。つまり、三法門(本尊・戒壇・題目)という自説を敷衍したと考えるのが自然ということになりますね。となれば、言うところの本尊は、先に挙げた『開目抄』の脈絡で、「五百塵…本尊」は『本尊抄』にいう「寿量仏」、『法華取要抄』にいう「本門の本尊」に契当すると見るべきではないでしょうか。

詰めていないのですが、漫荼羅を本尊という用法は、特に「守」「護」「まほり」といった御守本尊で使用が見られるという点で、一字三礼さんとわたしは意見を同じくしております。

やや雑駁な分類の仕方になりますが、日蓮漫荼羅の場合、四大天玉が四角に置かない図は、御守と見なしてよいのではないと、わたしは考えます。ですから、『是日尼御書』にいう本尊は、こちらではないのかとわたしは類推します。

ちなみに、創価学会の携帯本尊なるものは、この形式ではない漫荼羅を縮小して御守のごとく扱っていますが、如何にも素人騙しという観を否めません。尤も、これは携帯本尊ということで、御守とは区別されるのでしょうか。しかし、そうなると、携帯本尊とは何ぞや?という疑問は彷彿とします。脱線しました。

日蓮は観心本尊(寿量仏/三身所顕無始古仏)といったのちに、本門本尊を言います。ここに飛躍があるわけはありません。本門本尊が観心の寿量仏であり、その脇士が四菩薩、そして、戒壇と題目の三つを立てる法門にぶれがあると思えません。

本尊とは己心に観じるところ、口に唱えるのは、上行から伝わる一念三千の珠を裏(つつ)む妙法蓮華経の五字、戒壇とは、彰往考来さん、れんさんも頷かれた尊敬する都守基一師が『大崎学報』第154号所蔵論文で明確化された『取要抄』の「雖然 伝教大師 天台所存所残一事得此之上 天台未談之迹門円頓戒壇始日本建立之 仏滅後千八百余年 月支漢土日本無之 第一大事秘事也 問云 天台伝教所残之秘法何物乎」から師が結論される「「本門の戒壇については、従来聖人自身による説明がないために、あるいは理の戒壇、即是道場の戒壇という理解も行われてきた。しかし以上の文脈による限り、本門戒壇とは伝教大師が叡山に建立した迹門円頓戒壇に続いて、末法の時代にどこかに建立されるべき事相の戒壇の意であると理解するのが自然である」(P121)でしょう。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50434021.html

日蓮における本尊観は、本尊・戒壇・題目と鼎立する以上、寿量釈尊以外であるはずはないと思います。ただし、先にも種々挙げましたが、鎌倉時代、本尊とは、広い意味で使われていたわけですから、その用法から在家教化の消息文で、漫荼羅、もしくは御守符を本尊と記すことがあっても、齟齬を来したと見る必要を、わたしは感じません。

593独学徒:2006/10/22(日) 21:32:26

犀角独歩さん、今更ながら私の議論がいかに過去の議論の蒸し返しかと、恥ずかしくさえ思います。
これまでに既に出尽くした議論で、お時間をとらせてしまい恐縮です。

これも既に解決済みのことかもしれませんが、敢て恥を覚悟で質問させていただきます。

尊敬する先生の御所論では御座いますが、「戒壇」について「末法の時代にどこかに建立されるべき事相の戒壇の意」との事ですが、これでは一大秘法の「南無妙法蓮華経」、所謂「本門の題目」に集約されるようには思えません。
富士門所伝の如く、広宣流布の時は仏像建立、それに至るまでは大漫荼羅をもって本尊とするという考えは、既に大漫荼羅それ自体が「仮本尊」としての役割しかないということになります。
しかし日興は、「本門寺に懸け万年の重宝」と添書するわけで、これは広宣流布しようとしまいと、大漫荼羅は本門の寺の「末法万年の重宝」というわけです。
私は日順・日代の思想に反しますが、日興のとった振舞から考えれば、大漫荼羅を奉掲したる場所こそが「戒壇」なのではないかと考えます。
「本門の本尊」たる教主釈尊、「本門の戒壇」の証たる大漫荼羅奉掲の道場、口唱するところの「本門の題目」、このように考えれば宝前の様相は、犀角独歩さんも仰せになられていましたが、大漫荼羅と釈尊は同所に置かれてこそ初めて三大秘法の整った修行の場となるのではないでしょうか。

つまり大漫荼羅の役割は、守りとしての役割のほか、奉掲の場所を直ちに「本門の戒壇」とする役割があったのではないでしょうか。

そうであれば時代が下るにつれ「戒壇の証」が「戒壇の本尊」、そして大漫荼羅そのものが、「本尊」と誤解されるようになっていくことも十分に考えられます。
そして「本門戒壇の大御本尊」として、特化した大漫荼羅が、富士門から出現して行くことも十分におこりうるものだと思います。

以上、根拠薄弱な個人的思いの強い投稿となりましたが、御教授いただければ幸です。

594犀角独歩:2006/10/23(月) 11:19:38

593 独学徒さん

> 一大秘法の「南無妙法蓮華経」、所謂「本門の題目」

「南無妙法蓮華経」と「妙法蓮華経」は、なかなか微妙なところです。

「其所属之法何物乎。法華経之中 捨広取略 捨略取要。所謂妙法蓮華経之五字名体宗用教五重玄」(曽谷入道殿許御書)

ただし、これを是好良薬として受ける側からするとき「南無妙法蓮華経」となるのでしょう。

「是好良薬寿量品肝要名体宗用教南無妙法蓮華経是也」(本尊抄)

この薬はしかし、衆生が直ちに取ることはできません。遣いによってもたらされるわけですね。「遣使還告」がそれです。では、この薬(妙法蓮華経)を仏に所属され、遣いとされたのが上行を代表とする四菩薩である。故に末法にいたるに、ただ、この秘法の肝要のみが残されていた、というのが日蓮の主張です。

この所属の妙法蓮華経の受持、南無妙法蓮華経の口唱を、では、何に向かってするのかという問いは、実は漫荼羅・本尊を考えるうえで大きな問題なのだとわたしは考えます。妙法蓮華経に対してでしょうか。わたしは違うと思います。その本来の所持者、仏に向かってではないでしょうか。そして、その遣いをとして、自分にこの良薬(妙法蓮華経)をもたらしてくれた菩薩に向かってということになりませんか。なぜ、寿量久遠仏に向かうのか。それはすなわち久遠下種覚知から仏恩にいたるからでしょう。しかし、この妙法蓮華経は既に上行等四菩薩に所属されたものですから、その仏との取り次ぎに四菩薩が介在します。となれば、仰ぐ寿量本仏の様式はすなわち一尊四士となるということでしょう。しかし、これは仏像の話ではなく、己の心に観じる本尊であることが第一義です。所属の正体を‘伝える’具体的な方途が漫荼羅図示授与であったと、わたしは拝察します。

そしていつしか、その日蓮の教えを仰ぐ為政者が出現し、堂塔伽藍を建立すれば、そこにその久遠寿量本仏と四菩薩を建立し、ついには、迹門戒壇に代わる、本門戒壇もなることを日蓮は標榜していたのだと考えます。(詳しくは、機会を得ればそのときに記しますが、寺院仏像の建立は在家為政者の所行という考えを日蓮は有していたと考えます)

本尊は仏か・法か、いわゆる法勝人劣、もしくは法華経勝仏劣という勝劣論は、わたしは勝劣派ならではなの悲しき性がいたす選択(せんちゃく)なのだと思えます。仏も法も、共に尊いのでしょう。

たとえば、ある人が「この薬をあの人にあげなさい」と、遣わしてくれたとします。その薬を飲んで病が癒えたとき、「薬のおかげで治った。薬をくれた人のおかげでも、遣いのおかげでもない」と考えるのでしょうか。薬をくださった方、それを持ってきてくれた方に感謝の念が生じるのではないでしょうか。わたしは薬をくださった方に手を合わせます。そして、遣いに感謝し、薬を正しく服用するでしょう。

この薬とは教法であり、それはもちろん妙法蓮華経でしょう。その効能はつまり本仏釈尊と菩薩を己心に観じるところに三千を成就することですね。
この服用方法は信心口唱で、南無妙法蓮華経となるのでしょう。

では、南無妙法蓮華経に向かって、南無妙法蓮華経と唱えるのでしょうか。そうではなく、南無妙法蓮華経と本仏釈尊に向かい、誓い唱えるということでしょう。本門寿量本仏に向かって唱えるところが本門の題目であるということではないでしょうか。南無妙法蓮華経が漫荼羅なら、本仏は仏像です。以上が日蓮の思惟であろうかと存じます。

> 富士門所伝の如く、広宣流布の時は仏像建立、それに至るまでは大漫荼羅をもって本尊とするという考えは、既に大漫荼羅それ自体が「仮本尊」としての役割しかないということになります。

595犀角独歩:2006/10/23(月) 11:20:15

―594からつづく―

ここからは派祖日興以降の論議となりますね。

> …日興…広宣流布しようとしまいと、大漫荼羅は本門の寺の「末法万年の重宝」…奉掲したる場所こそが「戒壇」…道場

日興がこのように考えていたかどうか、その資料は実に乏しいわけですが、少々考えてみたいところです。

> 大漫荼羅の役割は、守りとしての役割のほか、奉掲の場所を直ちに「本門の戒壇」とする役割があったのではないでしょうか。

ならば、なぜ日興が「本門寺奉懸」と添え書きした大漫荼羅はいずれの寺にもかかっておらず、その寺が本門寺と呼ばれていないのでしょうか。わたしは寡聞にして存じ上げませんが、当の重須本堂、本門寺を名乗る各寺院では、では、日興が「本門寺奉懸」と記した漫荼羅がかかっているのでしょうか。
また、日興、そして、日目、日郷が天奏にかくも執念を示したのでしょうか。
つまり、このことこそが、戒壇未成就を示すことなのだとわたしは考えます。

この意味において、日興は、日蓮の戒壇義をある程度、そのままに継承していたのだろうと思えます。(戒壇は遺された密事であるということです)

ただし、その本尊義、もっと言えば漫荼羅に関する考え方は、日蓮、日興では大きく違っていると思えます。日蓮における漫荼羅図示は伝法証符の意味合いを持ち、しかし、日興にとっては、漫荼羅は本尊となっていった相違です。さらにその重須において、やがて漫荼羅は未来建立の戒壇堂の仏像奉安を示す図と解釈されるにいたり、さらに漫荼羅正意の偏執と、日蓮御影信仰の勃興は、仏本尊廃棄へと傾いていったと整理できようかと存じます。

なお、戒壇と道場は、その意義を大きく異にするのではないでしょうか。

日蓮は比叡山において菩薩戒を受けた人なのです。日昭にしてもしかりでしょう。他の阿闍梨号を有す弟子方は、どうであったのか、この点は実に悩ましい問題であるわけです。『取要抄』から看取できる日蓮の戒壇建立構想はしかし、比叡山戒壇を否定したところにあったようには思えません。その点は日興門下でも同様で、その証左が日順の比叡山遊学です。

現代となっては戒壇・受戒など等閑にされたところですが、この現代感覚で、戒壇を考えれば、上古の意味は取れないでしょう。

一方、道場とは、法華修行の場であって、受戒の場・戒壇とはその意義が違います。これは憶測の域を出ませんが、漫荼羅奉懸をもって、道場荘厳とした可能性は大いにあり得るとわたしは考えています。殊に日蓮の弟子僧の多くは、天台宗寺院寓居の修行者であり、いわば法華宗(天台宗)日蓮派といった立場であったわけでしょう。寓居する各寺院には、それぞれの本尊(仏像)が安置されてあるのは当然です。そこにおいて、日蓮が一門の道場として、かりそめの道場と荘厳する具として、漫荼羅奉懸はあったのではないかと想像します。

> 「戒壇の証」が「戒壇の本尊」、そして大漫荼羅そのものが、「本尊」と誤解されるようになっていく

これは、日興からも乖離する何ら重宝を有していなかった日目・南条の私寺が祖師・派祖の意図も汲めず画策していったところなのでしょうね。

> 「本門戒壇の大御本尊」として、特化した大漫荼羅が、富士門から出現

ここに至る経緯はかなり複雑であり、この一連の歴史推移を認識することは骨が折れます。何より、現代の各集団のアナウンスがまったくのご都合と捏造にまみれているために事実を覆い隠しもしています。また、日興から重須、京、西山、保田という広がりから、石山での特化はそれぞれ別事として整理する必要もあります。

> 口唱するところの「本門の題目」…宝前の様相…犀角独歩…大漫荼羅と釈尊は同所に置かれてこそ初めて三大秘法の整った修行の場

釈迦仏像を置き、漫荼羅も奉懸すれば、道場でもあるという気分を有します。また、私事として、菩薩道誓戒の場として道場を考えれば、個における戒壇と安ずることはできようかと存じます。

596独学徒:2006/10/23(月) 21:34:54

犀角独歩さん、

594での御教示、誠にその通りと思いました。

>では、日興が「本門寺奉懸」と記した漫荼羅がかかっているのでしょうか。

これにつきましては、それを証明する資料は全く存じ上げません。
憶測の域を出ませんが、当初は安置され、やがて宝蔵へしまいこまれたのかと想像はしています。
それでも日興添書のある大漫荼羅が他門あるということは、奉掲していたどころか売ってしまったという、全く犀角独歩さんの御指摘を裏付ける事実のみ明確なところは、なんとも言い訳もできないところであります。

私は、本門本尊が為政者によって造立され、本門戒壇も為政者によって建立されるとなりますと、蓮師の残したものは本門題目のみということになります。
しかし大漫荼羅は未曾有のものでありますし、それ相応の用途があったのではないかと思えてならないのです。
そのため真言における曼荼羅の用途を、執拗にお聞きしたりしていました。
「摩訶止観」、凡夫が心(摩訶)を止まって(止めて?)観る為の道具か。もしくは「観心本尊」、凡夫が心に本尊を観るためのイメージトレーニングの道具か、などを愚考し、意見させていただきました所存です。

「戒壇」と「道場」の意義の違い、御指摘ありがとう御座います。
大漫荼羅奉掲の場所を持って「戒壇」とする愚考は、国主帰依無きゆえに、本門本尊はないけれども、大漫荼羅奉掲の場所を「戒壇」と考えれば、後代の門下が叡山に行かなくとも受戒を受け出家得度する場所は確保できる。
そんな発想も成り立つのではないかとの愚考でもあります。

>また、日興、そして、日目、日郷が天奏にかくも執念を示したのでしょうか。

私もこれらの天奏は、「本門戒壇」建立の懇願とずっと思っていたのですが、ここ数日は「本門本尊」造立の懇願ではないかと考え始めているところです。
つまり「本門本尊」未成就のため、天奏を繰り返したのではないかと。
それがいつの間にか、大漫荼羅をもって「本門本尊」との誤解がはじまり、それによって「本門戒壇」未成就の思想に代わっていったのではないかと愚考し始めたところです。

>かりそめの道場と荘厳する具として、漫荼羅奉懸はあったのではないかと想像します。

これも非常に頷けるご投稿です。
本門本尊が国主造立とすれば、各地の門下・信徒のところでは、特に一尊四士の造立のできない場所では、大漫荼羅奉掲をもって道場を荘厳することは、もっとも自然な感じがします。

ここ数日の議論は、私は何一つ資料を使いこなせることなく、愚考を書き連ねる状況が続いております。
これも私が、何もわかっていない何よりの証左かと存じます。
お付き合いいただいております、犀角独歩さんの学恩に心より感謝申し上げる次第です。

597犀角独歩:2006/10/25(水) 09:45:35

596 独学徒さん

> …本門本尊…本門戒壇も為政者によって建立…蓮師の残したものは本門題目のみ

なるほど、そのようなニュアンスで受け止めていらっしゃいましたか。
より正確に素描してみますか。

日蓮が、敢えて「本門」とことわるのは、迹面本裏と成句される天台は方便品(迹門)諸法実相をもって表とするわけですから、ここに両師の相違は明らかです。では、「本門の」とするところは三つの法門であるというわけです。つまり、日蓮は本尊、戒壇、題目の‘法門’を遺したわけです。それに受持する未来の為政者はしかし、その法門に基づいて、本門の本尊像、つまり、一尊四士という奉安様式の仏像を建立するわけです。こちらは仏像です。つまり、日蓮は法を伝持、為政者は仏像を造立するという役割の差です。この点は戒壇も同様です。
ですから、日蓮が本尊、戒壇を遺さないというのは、やや不正確な表現ではないかと思います。

> 大漫荼羅は未曾有…それ相応の用途があった

これは、わたしももちろん、そう思います。
執行師の言を籍りれば、己心の釈尊の、その己心を表現したわけですから、しかし、たしかに未曾有に相違なきところと存じます。

> 「摩訶止観」

わたしは何度となく記してきましたが、『摩訶止観』について、たとえば、同書を岩波文庫で発刊した関口真大師は

「摩訶止観10巻は、仏教史上にあらわれた最大かつ最も懇切な座禅の指導書であり、すなわちまた禅の指南書である」(岩波文庫9頁)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014117694/33

というわけです。

598犀角独歩:2006/10/25(水) 09:46:38

―597からつづく―

では、「摩訶」とmahāの音写で、「偉大な」といった意味合い、止観については、たとえば、『日蓮宗事典』では以下のように記されます。簡潔なので説明に換えます。

「止は梵語 s'amatha, 観は Vipas'y-ana ̄の訳語。本来止と観とは別個のものであるが、二つを併称することによって、一つの用語を形成している。また「止観」と言った場合、天台大師智邈によって講説された『摩訶止観』を指す場合もある(聖人の用例)。更にまた智邈が主張した、漸次・不定・円頓の三種止観を略称するものと解される場合もある。
 止観は天台大師智邈によって、最も重んじられたので、それは智邈によって提唱されたものの如く思考されるが、既にこの止観については阿含経典に諸説がある。しかもこれらの叙述は端的に止観の意味を伝えているものとして注目される。即ち『長阿含経』巻九に、「云何が二の修法なる、謂わく止と観となり」といい、また『増一阿含経』巻一一には、「阿練比丘は常に二法を修行すべし。云何が二法なるや、所謂止と観となり」と説かれている。『成実論』巻一五には止観品があり、次の如く叙述される。「問うて云く。仏は処々の経中に諸比丘に告ぐ。若しくは阿練若処に在るも、若しくは樹下にあるも、若しくは空舎にあるも、応に二法を念ずべし。所謂止と観となり。若し一切の禅定等の法皆悉く応に念ずべきに、何が故に但だ止観のみを説くや。答えて曰く。止は定に名づけ、観は慧に名づく。一切善法の修より生ずるものは、此の二を皆摂す。及び散心に在る聞思等の慧も亦此の中に摂す。此の二事を以って能く道法を弁ず。所以は何如ん。止は能く結を遮し、観は能く断滅す。止は草を捉うるが如く、観は鎌にて刈るが如し。止は地を掃うが如く、観は糞を除くが如し。止は垢を掃うが如く、観は水にて洗うが如し。止は水に浸すが如く、観は火に熟するが如し。止は癰に附するが如く、観は刀にて決するが如し。止は脈を起すが如く、観は血を刺すが如し。止は制して心を調え、観は没する心を起す。止は釜に灑ぐが如く、観は火に炙るが如し。止は繩を牽ぐが如く、観は[戔*(利-禾)]を用うるが如く。止は鑷にて鑷刺するが如く、観は剪刀にて髪を剪るが如し。止は器諟の如く、観は兵[木*(祓-示)]の如く。止は平立の如く、観は箭を発するが如し。止は膩を服するが如く、観は薬を投ずるが如し。止は泥を調するが如く、観は印を印するが如く。止は金を調するが如く、観は器を造るが如く。又世間の衆生は皆二辺に堕す。若しくは苦、若しくは楽なり。止は能く楽を捨し、観は能く苦を離る。又七浄の中の戒浄心浄を止と名づけ、余の五を観と名づく。(略)七覚分の中の三覚分を止と名づけ、三覚分を観と名づけ、念は則ち倶に随う。八道分の中、三分を戒と名づけ、二分を止と名づけ三分を観と名づく。戒は亦止に属す。又止は能く貪を断じ、観は無明を除く」とある。これによって、止と観とのそれぞれがおよそ判明するが、止とは境であり、観とは智であることが一般的な止と観の意味である」
([]はJIS外 参)http://www.geocities.jp/saikakudoppo/gaijihyoki.html

599犀角独歩:2006/10/25(水) 09:47:36

―598からつづく―

> 「観心本尊」、凡夫が心に本尊を観るため

凡夫が、ですか。所謂「一心三観」における空化中を三身所顕無始古仏と観ていくことですから、凡夫のよくなせるところではないのでしょう。ですから、形貌によって、それを示す必要があります。すなわち、仏像です。

参)「若一法一切法 即是因縁所生法。是爲假名假觀也 若一切法即一法 我説即是空空觀也 若非一非一切者即是中道觀。一空一切空無假中而不空 總空觀也 一假一切假無空中而不假 總假觀也 一中一切中無空假而不中 總中觀也。即中論所説不可思議一心三觀」(摩訶止観5)「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也」(本尊抄)

これを万人にわかるように書き表したのが漫荼羅などといいますが、日蓮在世時代、一般民衆の識字率はいうに及ばず、武士階級でも四人に一人ほど、読めなかったというわけですから、文字漫荼羅は、知的特権階級の具であったことが知られます。仏像画以上に民衆には難解であったことでしょう。であるからこそ、唱題という行が有効であり、かつ、視覚に直接、訴える仏像が望まれたのではないでしょうか。

> 「戒壇」とする愚考は、国主帰依無きゆえに、本門本尊はないけれども、大漫荼羅奉掲の場所を「戒壇」と考えれば、後代の門下が叡山に行かなくとも受戒を受け出家得度する場所は確保できる。

これは戒壇の根本的な意義を欠いていませんか。
たとえば、東大寺戒壇院について、以下のような説明があります。

「大仏開眼より2年後、聖武天皇は唐から鑑真和上を迎えて大仏殿の前に戒壇を設けました。そこで天皇、皇后をはじめ500人が受戒」
http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/mmdb/marc4/nara/toudaiji/21.html

天皇の受戒、これは大きなキーワードです。
伝教が比叡山に戒壇院を勅許されたことにより、国家公認の僧の受戒をこの場で行うことができるようになったわけですが、日蓮においては、意義はそこに留まらないと、わたしは考えます。
簡潔に記しますが、大乗戒壇、ここで授けられるところは「菩薩」戒です。以下の『本尊抄』を想い出してください。

「此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王」

賢王は菩薩であるというのです。天台・伝教已来の佳例を踏む日蓮が「菩薩」であるというとき、それは法華受戒を受けた王であることを意味します。つまり、王が菩薩であるためには、受戒を絶対の要件とするのであり、そのためには戒壇は不可欠であるということです。本門本尊仏像を造立する王が受戒を受けるに相応しい場、それは迹門戒壇でしょうか。本門戒壇ではありませんか。

この戒壇は修行のための道場とは、根本的に意味を異にします。

『以一察万抄』『取要抄』に、日蓮が未来事相戒壇建立を密事としながらも標榜したのは、本門本尊寿量仏像を奉安する寺院建立において、折伏を現ずる折伏菩薩の賢王は、まず、本門戒壇において戒を日蓮の許に受け、菩薩の菩薩たる所以を具体的に対してのち、本門本尊堂を建立していくという図式を意味していませんか。

以上のことは、中世における檀家制度、さらに民主国家の現在とは遙か隔世の感に霞んだ、鎌倉往時の、日蓮の思惟であったと、わたしは拝します。現代の感覚で推し量っては想像だにもできないところでしょう。

600今川元真:2006/10/25(水) 16:25:48
横レス失礼致します。 日蓮聖人は四箇格言を鎌倉時代の僧の有様から言う。そして、天台密教から法華一乗を思考する。法華経(心)漫荼羅、仏像(色)行者、衣装(事実?)茶・糞雑衣(ゴウタマ・シッダルタ応誕を意識→経典から出る尾鰭の広がり方も考え方の一つひとつ)、灰・位階出自隔て無い(権威権力を持つ人々を意識して当然)

601今川元真:2006/10/25(水) 16:43:31
21世紀の学問【仏教経典・法華経・諸経の王、シャクソン・教主、日蓮・導師、漫荼羅・養育親】【法華経受持、如意宝珠・一念三千、如来神通力・陀羅尼真言、自然治癒力】【漫荼羅を信じさせ給え、信・仏、学・法華経、行・唱題】 先師先達と奉る訳では無いのですが、犀角独歩さん関係者各位の皆さんの知識情報意見を開示して頂ければと思います。 其れから管理人さん関係者各位方々、挙証出典に真、偽、未決、等書いて頂ければと思いますが、如何でしょうか。宜しくお願いします。

602犀角独歩:2006/10/25(水) 19:09:11

今川元真さん

> 知識情報意見を開示

この意味を斟酌しかねるのですが、もう少し記していただけませんか。

603独学徒:2006/10/25(水) 19:28:02

犀角独歩さん、今回は何度目から鱗が落ちたかわかりません。

大漫荼羅の用法についての愚論を、散々述べさせていただきましたが、犀角独歩さん御指摘の通り、漢字の読めない人が大半であった時代に、文字漫荼羅では何のイメージもできようはずがありませんね。
また蓮師は盲目乗蓮にも大漫荼羅を授与していることから、肉眼で文字漫荼羅をみて何かの修法とすることは、あらためて考えずらいと思いました。

また本門戒壇が賢王の菩薩戒受戒の場所との御教授、私は想像もしていなかった事でした。
やはり私には、正本堂=本門戒壇という概念が残っていたのでしょう、本門戒壇は信徒が本門本尊の開帳を受ける場、僧侶が受戒を受ける場という考えしかありませんでした。
自分では創価学会をはじめとする、彫刻信仰圏の思想からは脱却していると思っていましたが、思わぬところで自信に内在する彫刻信仰の痕跡を発見させられました。
あらためて感謝する次第です。
ありがとうございました。

最後にもう一つ御教授をお願いいたします。
大漫荼羅の用途、これを犀角独歩さんはなんであるとお考えでしょうか。

604犀角独歩:2006/10/26(木) 09:47:31

独学徒さん

> 大漫荼羅の用途

いくつかあるとは思います。また、派生的、発展的に、その‘用途’の変遷、もしくは応用はあるとも思います。
しかし、その根本は‘受持’ということではないでしょうか。より正確に記せば、授与であり、受持です。

『本尊抄』に「召地涌千界大菩薩寿量品肝心以妙法蓮華経五字令授与閻浮衆生也」とあります。

菩薩は授与し、衆生は受持する関係です。この五字の具体的な授与と受持とは、たとえば、石山門・日寛の言を挙げれば受持即信心などといいます。要は妙法五字を信じ、唱えるところにその受持があるというわけです。これは間違いとは言えないでしょうが、しかし、肝心の部分を欠いています。この日寛は解釈の五字と受持の関係は、観念に堕しています。

もっと具体的ではないでしょうか。つまり、妙法五字の授与・受持とは漫荼羅の授与・受持なのだと、わたしは近来、気が付きました。

日蓮は「上行菩薩所伝妙法蓮華経五字」(定P815)を、具体的に漫荼羅に記し、衆生に授与したのでしょう。つまり、我らが日蓮が唱え始めた妙法蓮華経を受持するとは、この漫荼羅を受持することをもって実際の事相として実現するのでしょう。単に法華経を読み、遺文を読み、口伝えに妙法蓮華経と唱えただけでは名ばかりのものでしょう。これでは久遠釈尊 ― 上行菩薩 ― 日蓮と受け継がれた妙法蓮華経とは違います。日蓮は自分が受持した五字を、漫荼羅に記し、衆生に授与したのだと考えます。これが日蓮の漫荼羅の‘用途’の第一であろうと、わたしは考えます。

さらに次段階としては、この漫荼羅を受持した法師は、この漫荼羅にある妙法蓮華経を読み諳んじ、そして、上行・日蓮の意を通じて解し説き、そして、また次に‘書写’して、その妙法蓮華経を授与していく無限連鎖が門下一般に広がっていったのでしょう。日蓮義において、妙法五字の受持とは漫荼羅奉戴ということではないでしょうか。

やや話の間口は広がりますが、『新尼御前御返事』では、漫荼羅を、如何様に扱うかを垣間見る思いが、わたしはします。「此五字の大曼荼羅を身に帯し心に存」(定P867)すというのです。別例を挙げれば、まさに『本尊抄』にあります。
「五字内裹此珠令懸末代幼稚頚」(定P720)

このような点を考慮するとき、漫荼羅は奉安というより、折り畳み、袋に入れ、頚から紐につないで懐中に持していた様が窺えようかと存じます。受持の延長に漫荼羅の‘用途’として、守本尊といった側面が見られることになります。

しかし、これに収まらない大幅の漫荼羅は現存しているわけです。
中尾師の談ですが、現存する漫荼羅を観察すると、「板張り」にされていた形跡があるもの、また、幟のように扱われた形跡があるものが残っていると言います。前者は、道場結界の具という‘用途’であり、後者は布教の旗印として‘用途’であったのかもしれません。しかし、宮殿・厨子に奉安するような仏像と同じような扱いは見られません。

ところで、漫荼羅は五字のみならず、そこに霊山・虚空の有様が図示されています。つまり、これは妙法五字がどのように所伝されていったのかを図式化し、それを示したのではないでしょうか。では、四大天玉は、と言えば、既に戒壇の有様がここに記され、さらに愛染・不動の勧請、さらに経文等の書き込みは、符(祈祷祈願)としての‘用途’も籠められていたことを意味するのだと思えます。これらの様を見るに、実に多岐にわたる要素を日蓮漫荼羅は有していることになります。

いずれにしても、漫荼羅は、上行所伝の妙法蓮華経を、具体的に授与し、受持するという儀式に、その意義があったと観察します。

授与と受持は、血の温もりのある関係であると思えます。
その意味において、図には違いありませんが、その授受に係る意がなければ、それは写真と同じです。妙法五字もまた、ただ形ばかりのものに過ぎません。『御本尊集』の‘本尊写真’が本尊ではないことと同様です。

やや敷衍すれば、この授受の漫荼羅を帯さないものが、造立する一尊仏像四菩薩脇士像も、同じく形ばかりのものということになるのであろうと観察します。

以上が、日蓮の意図した漫荼羅の意義であったと、わたしは考えます。

605問答迷人:2006/10/26(木) 16:57:50

独学徒さん
犀角独歩さん

>いずれにしても、漫荼羅は、上行所伝の妙法蓮華経を、具体的に授与し、受持するという儀式に、その意義があったと観察します。

犀角独歩さんの、このご見解、全く賛同します。本尊抄と一致し、極めて解かり易く、しかも的を射抜いた見解だと思います。流石ですね。感服しました。

606今川元真:2006/10/26(木) 21:05:36
犀角独歩さん、間が空いてしまってすいません。私は調べるデータが乏しかったり何を最優先で見易くメモるかで辻褄が合わない事を書いてしまう事が多いです。皆様方の与り知らぬ事とは存じますが、何かしら知識情報を御存じなら教えて頂きたいと厚かましくも書いてしまいました。

607独学徒:2006/10/26(木) 22:56:54

犀角独歩さん、
問答名人さん、

私も問答名人さんと全くの同意見です。
本尊・戒壇に続き、大漫荼羅の用途につきましても、懇切丁寧に御教授意戴きましたこと、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

608犀角独歩:2006/10/27(金) 11:30:05

問答名人さん

ご賛同、恐縮です。


独学徒さん

適切なご質問をいただき、答弁することで、管見を整理することができました。有り難うございました。


今川元真さん

お知りになりたい具体的な知識情報をお尋ねいただければ、わかる範囲でお応え申し上げる所存です。

609名無しさん:2006/10/27(金) 20:24:35
以前書き込みしました名無しと申します。
謹んで犀角独歩さんに率直にお聞き致します。

現在、日蓮系の宗派はたくさんありますが、その中で、一番日蓮の教えに忠実な
(もしくは忠実に近い)宗派はどことお考えでしょうか?

各宗派が自己の優位性ばかり主張してきた過程には、うんざりしています。
嘘やだましもかなり多いようで、本当の事が知りたいですね。

610犀角独歩:2006/10/27(金) 22:13:38

名無しさん、こんばんは。

> 一番日蓮の教えに忠実な(もしくは忠実に近い)宗派はどこ

ここ数年来、当掲示板で皆さんと考えてきたところから申し上げれば、「ない」というのが率直な答えです。ないから、宗派、学者、権威者の言に惑わされず、日蓮その人を考えようということでした。

ただし、各宗派が悪意を持って日蓮の教えを枉げたというより、700年という時間の経過とは、斯くなるものなのだというのも正直な感想です。

611名無しさん:2006/10/28(土) 03:41:01
>犀角独歩さん

貴重なご意見、本当にありがとうございました。
これからも、独歩さんの書き込みを拝見するのを楽しみにしています。
頑張って下さいね。

612犀角独歩:2006/10/28(土) 10:27:25

名無しさん、お励まし、感謝いたします。

少し補足します。わたしは「どの宗派が」といった取捨は選択法として賢明とは思いません。それぞれ、善いところもあれば、悪いところもあるからです。ですから、善いところは採り、悪いところは採らず、人や、権威によらず、真実に基づくという在り方がよいのではないでしょうか。

いまの各宗派、おかしなところも多々ありますし、日蓮に遡源できないことも大半を占めます。しかし、700年来の発展と工夫に叡智を費やしたと思えるところも多くあります。反面、日蓮の素意であるといっても現代にはまったく用いることができない点もあります。これは『法華経』にしてもそうでしょう。

「伝持の人なければ、なお木石の衣鉢を帯持せるがごとし」とは『顕仏未来記』の一節ですが、日蓮の素意・原形教義とは違っても、しかし、いまに菩薩の実践をする人々は多くいます。その菩薩道が、仮に日蓮と違った形であったとしても、わたしは敬意を表します。

名無しさんが、「自己の優位性ばかり主張してきた」という点は、この菩薩の心とは反して映じる部分なのであろうと存じます。

613今川元真:2006/10/28(土) 18:53:55
犀角独歩さん、ありがとうございます。

614犀角独歩:2006/10/29(日) 18:20:22

本尊と漫荼羅について、やや管見を記してきましたが、ここで過去の議論も振り返りながら、少し整理しておきたいと思います。

中世以降の石山教学においては

釈迦如来=日蓮=本尊=仏=漫荼羅
法華経典=題目=本尊=法=漫荼羅

という連想によって成り立っているわけです。やや穿った言い方をすれば、御義口伝などにみられる本覚論的な短絡発想がここにあります。このような杜撰な考え方は、では、日蓮にあったのかという問いは立ちます。わたしは「ない」と考えるわけですが、しかしたとえば『本尊問答抄』における 題目=法華経 という挙証の有様は、これに当たると思えます。このことから、この書が真蹟であるか・否か、わたしは大いに疑ってかかるわけです。題目=本尊であるならば、「本尊と戒壇と題目の五字」という鼎立は、本尊と戒壇と本尊ということになってしまうわけで、三法門は成り立たないことになります。

題目本尊への疑問は、以上のような脈絡から思うところです。しかし、仮にこの書を真蹟として自問自答をすれば、『本尊問答抄』にいう題目本尊と、本門本尊は、では、同じなのかという問いは立ちます。

「法華経の題目を以て本尊」(定P1573)というときの法華経とは本迹両門に亘る法華経典の題目を意味すると採れます。一方、『本尊抄』の「事行南無妙法蓮華経五字 並本門本尊未広行之」(同P719)、『法華取要抄』の「此人得守護之力以本門本尊・妙法蓮華経五字令広宣流布於閻浮提歟」(同P739)、『法華行者値難事』の「本門本尊与四菩薩戒壇南無妙法蓮華経五字残之」(同P797)、『顕仏未来記』の「本門本尊与戒壇与題目五字」(同P815)でいう‘本門本尊’とは、迹門を簡んで本門とことわるわけです。

わたしが‘法本尊’という成句を奇異と感じるのは、迹門・諸法実相に事起こり本尊を陳べれば、それは一念三千法界からのことであるから、法本尊といえないこともないながら、本門寿量は、五百塵点成道という釈迦‘仏’を説く段であれば仏本尊に相違ないからです。つまり、本門とことわって本尊を陳べるのであれば、それは久成の釈迦‘仏’と最初一番成道・初発心の弟子‘四菩薩’との物語ということです。迹門・諸‘法’実相を簡んで本門本尊を取るという脈絡が看取できます。

では、この本門本尊と、法華経(本迹両門)題目の本尊と、それが同意なのでしょうか。

かつて問答さんと「法華経が先か、釈迦仏が先か」という議論をさせていただいたことがありました。これはまた、敢えて勝劣論的に記述すれば、法華勝釈迦劣という思弁を日蓮が有していたかどうかという問いでもあったわけです。妙法華・提婆品第12には「吾於過去 無量劫中 求法華経」と明記されるわけです。これを受けて日蓮は『日妙聖人御書』に「かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり。昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に、千歳が間阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせ給て、今の釈尊となり給」(同P643)というわけです。つまり、不軽=檀王=釈迦仏とことわったうえで、因位において妙法蓮華経五字によったというわけです。この点は、たとえば『祈祷鈔』において引用される「諸仏所師所謂法」という『涅槃経』の文を、「涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説せ給へり。仏此法華経をさとりて仏に成」という法華・涅槃の見地から即断していくわけです。ここでいう法華経とは、『十章鈔』「阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時必ず止観なりき。口ずさみは必南無妙法蓮華経なり」(同P489)から類すれば妙法五字であるといえることになります。この文から、題目が本尊という結論が導き出されるわけではありませんが、生仏(衆生=凡夫・仏)ともに「口ずさみ」は妙法五字というのが日蓮の思弁であることが知られます。

敢えて、真蹟未遺を採って勘がえます。『立正観抄』には「此妙法諸仏師也。如今経文久遠実成妙覚極果仏之境界非爾前迹門之教主・諸仏・菩薩境界。経唯仏与仏乃能究尽者迹門界如三千法門迹門仏当分究竟辺説也。本地難思境智妙法迹仏等思慮不及。」(同P848)といいます。この迹仏の辺から一重立ち入るところに本門本尊を立てるのが日蓮の三法門における「本門本尊」ではないのか。とすれば、本門本尊は題目本尊を簡んだところの日蓮御立法門であり、『本尊問答抄』は、その先序の本尊を通じて語ったものに過ぎなかったのではないのかというのが、わたしの管見です。

諸賢の叱正を仰ぐものです。

615犀角独歩:2006/10/30(月) 08:11:37

一晩経って、読み直すと、自分の文章ながら、気に入らぬところが目に付くものです。

> 先序の本尊を通じて語ったものに過ぎなかった

この表現は意を尽くしていません。少し補足します。

┌法華経の題目=法華全編の題名
└─本門の題目=従地涌出品第15〜普賢菩薩勧発品第28の題名

文字通り読めば、上記のごとくなります。先の独学徒さんとの議論でも引用しましたが、「本迹雖殊不思議一」(文句)と至極されるのにもかかわらず、敢えて本門立てに日蓮は論じるわけです。

「師に握拳なし」ということは、日蓮には言えないわけです。
顕説と密事ということが適宜な表現かどうか一考の余地はありますが、いまは、これを採ります。仮に『本尊問答抄』が真蹟であったとすると、日蓮は顕説として法華経題目本尊を表にし、四菩薩にかかる密事として三法門を立て、ここに一重立ち入り迹門を簡んで本門立てに本尊と題目を論じたのではないのか、という仮説をわたしは考えたということです。

616天蓋真鏡:2006/11/01(水) 08:17:17
おはようございます。 手紙形式での挙証で確認するしかない訳ですから、具体的に詳しくは判らないかもしれないと言う事でしょうか。  本仏の像と本尊顕説の漫荼羅は一対として戒壇堂に掲げるべきだと論じる事ができますか。 私は極端でも信心学問修行を進められるのは漫荼羅しかないと論じたいのですけど。

617犀角独歩:2006/11/01(水) 09:14:27

天蓋真鏡さん

おはようございます。

『本尊抄』から整理すると、以下のように、わたしは考えています。

四菩薩┬摂受 ― 僧侶 ― 妙法五字授与 ― 漫荼羅
   └折伏 ― 賢王 ― 寿量本仏像と、その奉安堂塔伽藍の建造

さらに『本尊問答抄』を真蹟として扱えば、

   ┌題目 ― 今番下種 ― 法華経題目の本尊 ― 拡大解釈として漫荼羅本尊
三法門┼戒壇 ― 賢王の本門戒壇の建立
   └本尊 ― 久遠下種 ― 久遠本仏・四菩薩像本尊

以上、有徳王・覚徳比丘の故事から王仏冥合の見地から御立てたのが日蓮の法門であると観察します。

ですから、信仰面から、己を今番下種(いま釈迦の末法に生まれてはじめて下種されたという見地)漫荼羅本尊(派祖以降は祖師像も)、久種(久遠五百塵点、初発心の弟子四菩薩結縁による下種と見れば)一尊四士と、奉安本尊に格差が出るのではないでしょうか。

もちろん、‘くに’としての寿量本仏像・堂は、四菩薩賢王のなすことなので、各家庭での奉安は、各個人の感得の話ということです。

※上記図が、崩れて表示される方は、以下を参考してください
 http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html

618犀角独歩:2006/11/01(水) 09:59:37

また、補足します。

『本尊問答抄』を真蹟として扱わない場合は以下のとおりです。わたしは、どちらかというと、この立場です。漫荼羅は、妙法五字授与・受持の允可の証といった感覚でとらえます。

   ┌題目 ― 今番下種 ― 法華経題目の授与 ― 受持の漫荼羅
三法門┼戒壇 ― 賢王の本門戒壇の建立
   └本尊 ― 久遠下種 ― 久遠本仏・四菩薩像本尊

619天蓋真鏡:2006/11/01(水) 15:44:11
出かけていたのですみません。 【摂受&折伏の立て分けはなるほどですが、奉安本尊は仮の本尊ですか。允可証は末法無戒の戒壇の役割を果たさないのか。+戒壇は授与の場でしょうか、と質問がでます。】【「諸経の王・法華経→天台密教→法華一乗、本尊表現変化(幟、板貼、守札)、本仏(主師親)シャクソン色像・三法門(本尊・戒壇・題目)漫荼羅心図・法華経行者」上行→不軽→沙弥】

620犀角独歩:2006/11/01(水) 19:58:21

天蓋真鏡さん

ちょっと、ご質問の趣旨が斟酌しきれないのですが、思う範囲でお応えします。

> 奉安本尊は仮の本尊

これは漫荼羅本尊のことを指してのことでしょうか。
「仮」というより、仏像は久種により、漫荼羅は今番下種の差かと。
僧侶はあくまで漫荼羅授与が至極とするわけですから、自ら漫荼羅を下した国主が、やがて、本仏像・堂を建造するのを待つひねもすよもすがらということと考えます。

> 允可証は末法無戒の戒壇

これは、意味を採れません。ただ、一点。無戒の戒壇ということは論理矛盾です。戒壇を謳う日蓮が戒を当然、重視したでしょう。いわゆる菩薩戒です。
重須の地から日順が比叡山に遊学したことは、当然、この受戒を意味したでしょう。また、日興、日目、日郷、日尊などの天奏は、本門戒壇建立から、寿量本仏像・堂の造立・建立を目指したものであったと読みます。

> 戒壇は授与の場でしょうか

いえ。戒壇は受戒の場です。

> 諸経の王…

これ以下は意味を採れませんでした。

621天蓋真鏡:2006/11/01(水) 21:30:31
レスありがとうございます。          ●漫荼羅本尊授与が僧の最も大事な課題になるのでしょうか。一尊四士像&戒壇堂は気長に待つというのは解せません。御書遺文にも弟子にもはっきり伝わらないのは日蓮聖人が時世を判断して密事にした? ●無戒は「無戒の僧」とか表現した事があったと記憶にたったので、すみません。 ●授戒は僧だけと言う事でしょうか。

622犀角独歩:2006/11/03(金) 08:13:34

天蓋真鏡さん

> 漫荼羅本尊授与が僧の最も大事な課題

「最も」という比較勝劣の問題ではないと存じます。重大な役割の一つであろうということです。
先に独学徒さんが、日蓮が目の不自由な方にも漫荼羅を授与されたことが記されていました。一念三千の珠を裏む妙法蓮華経五字の受持は、その文字が見えるとか、声を出して唱えられるかとか、もっと詰めれば、受け取ったことを理解できない知的障害ではだめであるとかということではないのでしょう。見えなくとも、唱えられなくても、意味がわからなくても、上行所伝の妙法五字の認められた漫荼羅を受けることで仏種を植えるところに、その意義があるのではないでしょうか。

さらに進めれば、法華菩薩道とは、単に弘教に留まるのではなく、その五字を受持した自分が何をなすのかという具体的、且つ自主的行動を、おのが内心から涌く信念に基づき正道へ薫発することを訓えたのが『立正安国』ではないですか。

> 一尊四士像&戒壇堂は気長に待つというのは解せません

これは解せないと言われても致し方がないところです。

> 密事

この点は、『取要抄』『以一万察抄』、ならびに『「法華取要抄」の草案について」(『大崎学報』第154号所蔵、都守基一師の論文)を参考になさってください。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50434021.html

> 無戒は「無戒の僧」とか表現

『御衣並単衣御書』に「日蓮は無戒の比丘」(定P111)
『法衣抄』に「日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり」(定P1854)

たしかに上述のごとくあります。
ただ、ここで注意すべきは両書とも‘衣’について、論じている点です。
前書の前文を読めば「法華経説人は、柔和忍辱衣」、後書の前文にも「柔和忍辱衣と申て衣をこそ本」といいます。

では、言うところの「戒」とは何でしょうか。『盂蘭盆御書』に「此僧は無戒也無智なり。二百五十戒一戒も持ことなし」(定P1775)といい、続けて「威儀は猿猴ににて候へども、あをぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり」ともいいます。すなわち、日蓮が自身を「無戒」というとき、それは二百五十戒といった戒を示す衣と威儀を斥け、法華経衣座室三軌中「柔和忍辱衣」によることを示すところに主眼があるのではないでしょうか。これは菩薩戒を採ってのことと考えます。

なお、日蓮が阿闍梨であったことは『行敏御返事』の「日蓮阿闍梨御房」(定P496)では記されています。また、弟子も阿闍梨号を有すことは周知の通りです。

阿闍梨については『日蓮宗事典』には、以下のようにあります。
簡潔な整理なので、参考に供せます。

「梵語で聖者、尊者、応供養等と訳す。『四分律行事抄』には五種(出家・受戒・教授・受經・依止)の阿闍梨が説かれている。『大日經』には、灌頂の阿闍梨となる人は一三種の徳を具足すべきことが述べてある。後世には師から許される場合と、官より賜る場合とある。聖人は門下の人格、法臈、学解等を認定して許された。本宗では、一〇〇〇日の加行を成満した修法師は伝師部の許可を得て称することができるとされているが成文はない。」
「a ̄ca ̄riya の音写で、阿遮梨、阿遮梨耶などとも音訳し、軌範師、親教師、正行の意である。もとはバラモン僧が弟子を養成する際に、ベーダの儀礼規則などを伝授する役の名称であったが、これが仏教教団でも取り入れられて、諸の規範を身をもって示し弟子を指導することのできる勝れた師範(教授)であるということを意味するようになった。そして『四分律行事鈔』上之三によると、五種の阿闍梨をあげている。即ち、出家・受戒・教授・受経・依止である。つまり教団に於ける学問的、徳行的な意味での最高の位にある僧に対する敬称として使われている。従って自ら阿闍梨号を称するなどは論外と言うべきものである。なお『宗定法要式』(二四四頁)では、「大衆の中で諸役をつとめる者である」とごく簡単に解説している。」

ここに「受戒」の文字が見られます。

> 授戒は僧だけ

さて、日蓮は、どのように考えていたか、わたしは決せません。
あるいは漫荼羅授与に「受持即持戒」の意味があったかどうか、さて、どうでしょうか。

623犀角独歩:2006/11/03(金) 08:27:45

補足します。

戒については『下山御消息』をご覧になるとよろしいかと存じます。

624犀角独歩:2006/11/03(金) 08:32:42

【622の訂正】

誤)『御衣並単衣御書』に「日蓮は無戒の比丘」(定P111)
正)『御衣並単衣御書』に「日蓮は無戒の比丘」(定P1111)

625天蓋真鏡:2006/11/05(日) 11:23:52
■法華経の如来神通力、心(精神)から湧いてくる力を鎌倉時代の僧・日蓮は意識していたのでしょうか。■皆成仏道の個人と在家出家の社会システム・公の道場を見据えて鑑みる必要があるので、三法門は漫荼羅中心三位一体、戒壇堂諸設備は時(聖人君子もしくは少欲知足の聖僧)至るまでの予定予測予言で質問納め得ます。■日蓮・法華一乗・漫荼羅中心、以後・祖師信仰・戒壇堂諸設備建立へ移行で宗教の歴史も全く同じで無くても繰り返すのでしょうか。

626犀角独歩:2006/11/05(日) 14:01:31

625 天蓋真鏡さん


> 法華経の如来神通力、心(精神)から湧いてくる力を鎌倉時代の僧・日蓮は意識していた

寿量品にいう神通力は如来に係ることなので、日蓮自身が心から涌くこととして、認識していたとは、わたしは思いません。真蹟遺文中に、我が身に充てた引用は、通読する限りなかったと記憶します。ただ、「心(精神)から湧いてくる力」は、もちろんのことを意識されていたと思います。

> 三法門は漫荼羅中心三位一体

言われるところの「三位一体」とは「父と子と精霊」という意味ではなく、一体とつかねるところに趣旨があるのでしょうか。日蓮の真蹟遺文からすれば、「一大秘法…所謂妙法蓮華経之五字名体宗用教五重玄也」(定P900)が三法門に展開されるのかということなのでしょうか。

『本尊問答抄』を真筆とし、また、草稿『取要抄』を採って、開合を示せば、以下のようかと。

                ┌本門本尊─寿量仏─三身所顕無始古仏
一大秘法─妙法蓮華経(題目)本尊┼本門題目─本門の妙法蓮華経
                └本門戒壇─密事

なお、同抄の真偽、ならびに、三法門との不整合を心境の変化からご説明くださった顕正居士さんのご賢察を紹介しないことは気が引けます。以下のとおりです。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/383

> 日蓮・法華一乗・漫荼羅中心

この記述の意味をわたしは採りかねますが、「漫荼羅中心」という点は引っかかります。『一谷入道御書』に「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず」(定P996)とありますが、これはまさに漫荼羅における「日蓮花押」を意味するのではないかと、考えています。

> 、以後・祖師信仰・戒壇堂諸設備建立へ移行で宗教の歴史も全く同じで無くても繰り返すのでしょうか。

何が繰り返すと仰っているのか、主語が判然としません。ご説明いただければと存知ます。

627犀角独歩:2006/11/05(日) 15:15:09

独学徒さんの掲示板を拝見したところ、『報恩抄』についてのれんさんとの議論がありました。わたしも考えるところがあるので、投稿させていただこうと思いましたが、すでにできなくなっていましたので、こちらに記すことにいたしました。
http://bbs6.fc2.com/php/e.php/fujikyougaku/

「は日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(定P1428)

れんさんが「本尊としての“本門の教主釈尊”とその脇士となる“宝塔の内の釈迦…”とはいかなる関係にあるのでしょうか?この二重の釈迦の記述、そこのところがしっくりこない」と疑問を呈してお出ででした。

この点は、わたしも、問答さん方と過去に議論をしました。
管見では、二重の釈迦というより、釈迦と釈尊の相違が、ここにあるのだと考えます。便宜に従って慣習的に用いられている成句をもって記述します。霊山虚空宝塔の釈迦とは近成の仏であり、いわば迹門・宝塔品の辺、比して釈尊とは久成五百塵点久成の本門寿量品の辺。同仏には違いありませんが、天地雲泥の相違を日蓮は書き分けたのではないでしょうか。
(記すまでもありませんが、釈尊とは釈迦牟尼世尊の略ですから、釈迦には違いありません。つまり、牟尼世尊という尊称の有無で書き分けているわけです)

たとえば、『一代五時鶏図』では、倶舎・成実・律、法相・三論と天台と各宗を挙げ、通じて釈迦如来を本尊と記します。けれど、最初の三宗は劣応身、次の二宗は勝応身、天台宗では「久遠実成実修実証の仏」と付記します。名前が同じでも、ここに厳然たる差があります。(同P2341)

つまり、本門教主釈尊は、迹門宝塔品から事起こる近成の段階の釈尊(迹門)を基として証される故に、この記述となっているのではないでしょうか。対して釈尊は久成(本門)の証です。

そもそも二重に名前が出ることがおかしいとなると、上行と日蓮、同一体であれば、両方の名が載ること自体おかしいことになります。日教の教学などでは、互為主伴をもって捌かれるところですが、この点も、問答さん、愚鈍凡夫さん、また顕正居士さんなどと一年半ほど前に議論した点でした。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/119-

なお、「本尊図」について、独学徒さんの漫荼羅とは別に興門に伝わるのではないかという推論は興味深く拝読しました。

わたし自身は興門所伝の、仏像奉安を「漫荼羅の図の如し」という点にはまったく懐疑的です。かつては、この所伝を受け、大本門寺の仏像奉安、ならびに堂塔伽藍配置を想像したこともありましたが、現段階では寿量仏像奉安と漫荼羅図は別立てと考えます。要は示そうとするものが違うということです。

れんさんが仰るとおり、妙法蓮華経は像で形貌を造ることはできません。となれば、揮毫ということになりますが、そもそも、仏像造立に文字を置かなければならないとするのは、仏像奉安=漫荼羅図という固定観念による短絡であるとわたしは考えます。その意味での、興門所伝への懐疑です。

考えるに、漫荼羅相貌中で重要な「日蓮」は御影像で表すことはできても、しかし花押(判形)は表せません。殊に花押とは本人の証なのであって、日蓮以外が記した花押は模写であって何の証にもなりません。妙法蓮華経・日蓮花押とは漫荼羅の証であるのに対して、寿量仏像には四菩薩が証であるという差異が、ここにあるのではないですか。つまり、仏像奉安と、漫荼羅では、素よりその役割が違うので、漫荼羅を立体化したのが仏像であるという考え自体はなはだ短絡と言うしかないと、わたしは考えるわけです。

628れん:2006/11/05(日) 17:19:23
犀角独歩さん
>627
私の愚論に対する御批正かたじけなく存じます。仰るところ全くその通りと存じますが、あの報恩抄の文章に対応する様な蓮師御筆はいまのところ御筆漫荼羅しか発見されてないところから、独歩さんに“短絡”と言われるであろうことは百も承知の上で、“その場合”を想定した場合の試論を述べてみました。
実際のところ、蓮師以後の室町中期の石山文献でさえ、本門三法門を「仏と土と教法」と言い、表現するのであって、後の門下教学解釈は置いて、原意から見て、仏…即ち“本門の教主釈尊”(久成釈尊)が本尊であることは動かないわけですね。
独歩さんに御批正の労をおかけ致しましたこと、お詫び申し上げる次第です。

629犀角独歩:2006/11/05(日) 18:00:12

れんさん

決して、わたしはれんさんのご投稿を指して、「短絡」と記したわけではなく、富士門下の、たとえば日順の記などについて言ったことです。

ついでに愚考を記せば、「日蓮花押」というのは、今で言えば、自著・押印(もしくは書き判)ですね。これはいわば‘認め’ですから、造形化などできるはずはないわけです。サイン押印する代わりに、自分の写真とか像を置くなどあり得ないことです。ところが漫荼羅を設計図と想定して各尊像を造り、並べるとなると、日蓮御影を置くことになります。なぜ、これが是なのか?というのが、わたしの疑問です。

また、漫荼羅には、讃文、また、経釈文の書き込みがあります。いったい、これがどのように立体像化できるのか、漫荼羅では書いてあるが、仏像奉安では要らないなどとできるのかという疑問も生じます。

以上の疑問はしかし、漫荼羅図=仏像奉安と考えた場合のことです。仏像は仏像、漫荼羅は漫荼羅と、別に考えれば、こんな会通は不要となります。
仏像は本門寿量仏の造形化。漫荼羅は妙法蓮華経の授与/受持で「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず」という弟子允可の証、経釈の書き込み等は祈祷、守の意と、その用途を別と考えたほうが、すっきりと理解できるというのが、わたしの管見です。

630天蓋真鏡:2006/11/05(日) 18:26:47
■三つの法門一つ欠けても信学行の成就にならないと云う意味で、三つの法門は一体。 ■成仏得道で『唱題修行』が基本基軸になるなら漫荼羅中心に為らざるを得ないのではと個人的に断じます。      ■聖人君子を奉り諸設備を整えても形骸化する(してしまうかもしれない)危うさを歴史を調べれば調べるほど目につくでしょう。「未だ且つて成仏した者など存在しない」と言われたら尚更、歴史の運命、ヒトの非力を想像します。恐竜のように長く人類は続くのかとも夢見ます。

631犀角独歩:2006/11/05(日) 18:52:55

630 天蓋真鏡さん

> 三つの法門一つ欠けても信学行の成就にならないと云う意味で、三つの法門は一体

信行学と三法門と、どのような関係があるとお考えですか。
わたしはここに、直接の教学会通は希薄であると思うのですが。

> 『唱題修行』が基本基軸になるなら漫荼羅中心に為らざるを得ない

そうでしょうか。唱題行は漫荼羅図示以前から行われていましたし、漫荼羅授与はごく限られた人にしかなされていません。唱題と漫荼羅受持は不二の関係と思えないのですが、どうでしょうか。

632天蓋真鏡:2006/11/05(日) 22:26:48
■教学的繋がりは無いでしょうが、前提(信学行)と本義(三法門)が揃い成仏得道への道が開かれると考えられませんか。■漫荼羅は允可証と言っても「信じさせ給え」と呼ばれたもの。其れに天台密教から法華一乗に軌道修正する方向は示されている。漫荼羅は道場を示す看板であると同時に戒壇の代わりになる導師(個人的には戒壇と同じと思います)なのでは無いですか?成仏は日蓮の力では無くて信心学問修行に特に信に依ると書いた事があったと存じます。題目と戒壇と本尊は法華経と漫荼羅と仏彫像を意味すると断じたいのです。三つ揃い合わせないなら日蓮の教えの法門では無いでしょう。漫荼羅が突出したのは歴史の妙。

633犀角独歩:2006/11/06(月) 05:35:23

632 天蓋真鏡さん

わたしが今回のご投稿を完全に判読できたかと問われれば、あまり自身がありませんが、感覚的ながら、ほぼ賛同します。

一信二行三学と順位を言われますが、殊ここ当掲示板においては、むしろ逆で、学に始まり、では、行ずる価値ありや、信ずる価値ありやと問うているのかもしれません。

634犀角独歩:2006/11/06(月) 09:31:13

633「自身がない」は「自信がない」でした。

戒壇という一点のみ。実に悩ましい問題で、漫荼羅奉安の場所がそれに当たるというのは、門下にある程度、通じた解釈かもしれません。わたしは漫荼羅奉懸は道場結界の意義、さらに図示された諸尊勧請、さらに法華会座、霊山より虚空会を仰ぎ見る観といったところで、これが戒壇かと言えば、さて、どうかと考えます。戒壇とは授戒、潅頂といった儀式の場ですから、道場とは別立てでしょうが、その代用を兼ねるものとは言えるかもしれません。しかし、やはり、代用の域を超えないと思います。

実際のところ、日蓮は、ほとんど戒壇については言及していないわけで、このことから、当初、わたしは日蓮は本尊と題目を述べ、戒壇を語る以前に没したのではないかと考えていました。しかし、その考えを改める機会となったのが都守師の秀逸な論攷の拝読であったわけです。「密事」です。この戒壇に係る説明をしっかりと聞いた弟子がいたかどうか、「それは日興上人だ!」と富士の僧俗は言いたいところでしょうが、さて、どうでしょうか。

635れん:2006/11/06(月) 10:23:27
犀角独歩さん、御多忙のところ、ご返事有難うございます。
>629
仏像は仏像、漫荼羅は漫荼羅…仏像は本門寿量佛の造形化…漫荼羅は妙法蓮華経の授与/受持…弟子允可証…経釈の書き込み等は祈祷守りの意とその用途を別と考えたほうが、すっきりと理解できる…

仰る通りですね。蓮師のパトロンであった富木日常師は自らの寺院の宝物目録に妙法蓮華経漫荼羅と一尊四士を第一に掲げているので、富木日常師の寺院の本堂には寿量佛の造形化=一尊四士と漫荼羅が安置されていたと考えられるところですね。四菩薩造立抄は蓮師御筆はおろか南北朝末期まで門下の記述が見えないので、偽書である観心本尊得意抄とその内容が共通する部分があることから同一作者による作文と愚考しますが、一尊四士の造立は富木氏の宝物目録に見えることから早ければ蓮師在世の造立も考えられると思われます。
日興は、他の本弟子老僧には批判の資料が残りますが、不思議に富木日常師に対する批判の筆は残ってないので、「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来」と記す日興にとって、富木日常師の一尊四士と漫荼羅の本堂奉安はむしろ蓮師の意に沿い、また我が意を得たりとの思いで好意的に見ていたのかも知れませんね。

636天蓋真鏡:2006/11/06(月) 22:01:32
■賛同ありがとうございます。 ■授戒=成仏にならないなら、教学(体系)的意味で「戒壇」の要素を含んでも良いのでは、と思い考えます。完全完璧では無いので、個人の成長次第で其れぞれの三法門が完成するのではと断言したいです。個人の成仏と仏国土の現出を想うなら、漫荼羅だけで無くて、社会の環境を鑑み戒壇堂等諸設備を建立するのは当然と言えば当然でしょう。

637天蓋真鏡:2006/12/06(水) 14:42:12
補足・戒壇は個人一人ひとりに対して、戒壇堂は出家僧に対して、の広なり狭なりの意味があるのでは無いですか。とシンプルに支持してます。

638天蓋真鏡:2008/05/04(日) 11:25:00
管理者さん、ありがとうございます。 本尊も曼荼羅も内証を示してるのでは無いでしょうか。

639たけぞう:2008/12/31(水) 17:11:26
犀角独歩さんへ
今年1年間ありがとうこざいました。
以前から読む専門でした。今年こそは発言をと思っていましたがやはり教学レベルが高く、低度の低い発言となってしまわないかと、結局何ら投稿せず読む専門で1年が経過しました。
 創価学会に入り50年がたちました。
実質活動していたのは高校生と大学生の時だけで、それからは組織活動もせず聖教新聞も読まない幽霊会員です。
しかし、御本尊と唱題と御書は好きで、50年間1度も勤行をかかしたことが無いのだけは自慢です。
組織活動から離れた理由、やはり池田名誉会長への生理的嫌悪感でしょうか。
それに学会最高幹部の体質でしょうか。
余りに学生部で活動しすぎたため、かなり高い役職になり、最高幹部と接する機会が多くなり、組織の裏を見たというか、幹部の人間性を疑ったというか。
そして最近にみる、池田名誉会長の勲章集め、へきへきとしています。
ですが、妻は副本部長、私の兄弟も妻の兄弟も全員学会人、姪や甥も学会人、孫まで家にきて「ナンミョーーー」ですから、事あらたげたくないということだけで、学会に所属しています。
 日蓮非本仏論、これは私なりに御書を読み、本因妙抄、百六箇抄に唐突に出てくる久遠元初という概念、法華経、御書には出てこないのに、なんで六巻抄を擁護するような考え方が出てくるのだろうと思い、自分なりに偽書と決めつけていましたので、掲示板を読み意を強くしました。
そして、創価教学がおかしいのは六巻抄のせいだというのが私なりの持論でしたので、六巻抄ログも抵抗なく読めました。
驚いたのは、本尊と曼荼羅です。
50年間なんの疑いもなく、本尊 = 曼荼羅 でしたが、最初は何を問題にしているのだろうでした。
途中から意図するところが分かり、また最初から読み始めました。
学会の解説本がいかにいい加減なものか、実に思い知らされました。
犀角独歩さんも、学会と法華講、組織活動していたわけですから、本尊 = 曼荼羅 が当たり前のように思われていたと思います。
そこに疑問を持つという着眼点に驚いてしましいます。
 日蓮非本仏論、これはかなり以前から私の持説でしたが、こうして掲示板で第三者から理詰めで来ますと、やはりカルチャーショックはあり、それでは本仏はと問われて、、口ごもってしまいます。
まだ教学の範囲内ですと頭の中で整理出来ますか、一度御本尊の前に座ると、釈迦、久遠実成の釈迦というのがピンとこず、やはり日蓮聖人を感じてしまいます。
日蓮が墨に染めながして云々、そうだよな、「信」だよな。
それがいつわらざる心境です。
 5年程前、私事で大きな問題にぶつかり、一生分の題目を唱えました。
声をからし、泣きながら、もう乞食信心と言われてもいい、何しろ助けてくれという気持ちで唱題をしていました。
そして、日蓮聖人の足下にひれふして泣きながら助けを求めている自分がいました。
その問題も唱題で乗り越え、今日に至っております。
そうした体験をふまえ、南無妙法蓮華経に南無するという言葉が私としてはピッタリときます。
教学でなく、実際の信仰からいくと、そうとらえるしかないと私も思います。
確かに、日蓮非本仏論です。しかし、本仏の前に日蓮聖人の存在は偉大すぎます。
 本尊≠曼荼羅 かもしれません。
教学的には私も自分なりに研鑽したいと思います。
しかし、50年間 「 本尊 = 曼荼羅 」 で唱題してきたし、現在も唱題しているので、信仰上はやはり曼荼羅を御本尊様とみて唱題していくと思います。
 現役を引退し隠居生活に入り、ここ数年晩年の過ごし方を試行錯誤してきました。
仕事だけの人生でした。自分の人生でやり残したのは何か、真剣に考えた結論が信仰でした。
新しい気持ちでと座談会にも出席しました。
しかし、心を満たしてくれはしません。そして結論として出た答えは御書の研鑽でした。
自分が学んだことを学会人に話しても通じません。
やはり私も、独歩のようです。
私も努力いたします。どうか、私が皆さんと一緒に対話出来るまで、この掲示板存続させてください。
 この1年間有り難うこざいました。
来年は良いお年でありますように。
駄文で失礼いたしました。

640犀角独歩:2008/12/31(水) 20:40:57

たけぞうさん

ご丁寧なご挨拶、畏れ入ります。
大晦日で、ばたばたしております。
改めてご挨拶申し上げる所存です。
有り難うございます。

641幻論乙坊:2009/01/01(木) 19:39:13
諸賢
破顔一笑
明けましておめでとう御座います。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

本年よりHMをしゅんかん→幻論乙坊に変更致しました。

643問答迷人:2009/01/01(木) 21:37:46

たけぞうさん

>南無妙法蓮華経に南無するという言葉が私としてはピッタリときます。

蓮祖がそう教えている箇所が有るのでしようか。「南無妙法蓮華経に南無」とは仰っておられないと思いますが・・・

蓮祖が教えられたのは、「法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱えよ」では無かったですか。
或いは、「曼陀羅を信じて南無妙法蓮華経と唱えよ」

本来は、妙法蓮華経の五字が上行菩薩が久遠釈尊から付属を受けた正体ですから、その『妙法蓮華経の五字に南無する』というのが教えの筋道でしょうが、
南無する、というのは『命を捧げ尽くす』という意義ですから、良く凡夫の為し得ることでは有りませんので、蓮祖は末代幼稚の為に曼陀羅を表し、授与して、『この曼陀羅を深く信じて南無妙法蓮華経と唱えよ。そうすれば、妙法蓮華経の五字に南無したのと同じ功徳が得られるのだ。」と教えられたと僕は拝しています。

末代凡夫の我々が妙法蓮華経の五字に南無することが容易に出来るのなら、曼陀羅を授与する必要性は無かったのではないかと思います。

如何お考えになられますか。

644たけぞう:2009/01/02(金) 14:03:09
問答迷人さんへ
>>南無妙法蓮華経に南無するという言葉が私としてはピッタリときます。
>如何お考えになられますか。
私が投稿したのは、犀角独歩さんへ感謝の念を示したいだけでことで、議論する気持ちはありませんので、返信はお控えください。
私は50年信じてきた創価教学をいま洗濯し始めたばかりで、私の考えは現在構築中で発言する段階にはありません。
南無妙法蓮華経への南無は、私の考えでなく、書き投稿に共鳴を受けて書いただけで、深い意味はありません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
152 名前: 独歩 投稿日: 2001/10/19(金) 15:38
妙法蓮華経に南無するというより、聖人御立の南無妙法蓮華経の南無しているのです。
ですから、経典における瑕疵については、その可能性を視野に入れたところで、私の信仰は揺らぎません。

645たけぞう:2009/01/02(金) 14:05:22
× 書き投稿
○ 下記投稿

646問答迷人:2009/01/02(金) 14:15:30

たけぞうさん

>私が投稿したのは、犀角独歩さんへ感謝の念を示したいだけでことで、議論する気持ちはありませんので、返信はお控えください。

了解いたしました。

647ドラ:2009/02/13(金) 09:11:10
すみません。ちょっと教えて下さい。
日寛上人筆 享保九年六月日の曼荼羅ですが、
これは現在、どこに所蔵されているのでしょうか。
http://lovestube.com/up/src/up5644.jpg
どなたか、ご存じの方はよろしくお願いします。

648ドラ:2009/02/14(土) 08:55:54
すみません。消えてしまいましたね。
こちらが新たなアップロード先です。
http://sakuratan.ddo.jp/uploader/source/date104608.jpg
よろしくお願いします。

649スポットファイア:2009/02/15(日) 22:34:54
あの曼荼羅は日正寺所蔵だと思います。

日寛師の曼荼羅は全国に多数あると考えられますが、何故首題が白く塗りつぶされて
いるのでしょうか?

650ドラ:2009/02/17(火) 06:28:50
スポットファイアさん、日正寺ですか。
ありがとうございます。

実は写真は下のページから拝借したものです。
http://sudati.studio-web.net/nisehonzon1.html
最初から主題がマスクされていました。

651大縫 薫:2009/02/19(木) 21:04:12
学会携帯曼陀羅は会員の必須アイテムみたいに扱われていますが、それに
付随する収納ケースが多種多様あるのには驚かされました。

因みに入院先の病院の看護師が首から同様の物を掛けていたのが印象的です。
http://www.sokei-net.com/omamori.html

652ドラ:2009/03/01(日) 08:24:56
またよろしくお願いします。

開眼供養に関してなのですが、最近の学会などは開眼供養は必要ない、
正宗は開眼供養は必要であると言っていますが、
そういう問題とは別に、この本尊は開眼されている、されてない、というのは
見て分かるものなのですか? 前々から素朴な疑問でありまして。


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