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本尊と曼荼羅

562顕正居士:2006/04/01(土) 21:04:08
22世の日俊がすでに三秘が一秘の本門本尊に集約し、かつその本門本尊とは大石寺の板本尊のこと
であると述べているそうです。
http://www.nichiren.com/jp/thesis/thesis_1.pdf
三大秘法とは日蓮宗の戒定慧三学であるが、「秘法」というから「事相」の意義がある。したがって大石寺
の板本尊が宗祖在世に造立され、事戒壇の本尊として予め奠定されたというのなら、そういう教義も理由
がないとはいえません。しかし板本尊がそうであるという根拠は脇書に「戒壇願主」とあるからに過ぎない。
宗祖が予め事壇の本尊を奠定したという史料は皆無である。
こういう無理な教義が出て来た背景には大石寺などで発達した教主論、仏身論があり、久遠本果の釈尊
ではなく久遠本因の釈尊を末法教主とする、久遠本因の釈尊とは宗祖と行位全同の名字即の菩薩である。
名字即の菩薩であるから色相荘厳の像ではあらわせないという教学です。しかし一尊四士にかわる寺院
の本尊は何か必要である、それは板曼荼羅を造立する。ここにおいて宗祖在世に板曼荼羅が造立された
根拠になる板本尊が重要な意義を帯びたのでしょう。
もとは大石寺のほうから説が出て、犀角独歩さんが検証されたように、板本尊は北山の万年救護曼荼羅
を板にしたのでしょう。ですから脇書はそのことが忘却された後に、宗祖の在世に板曼荼羅が造立された
根拠として誰人かが付加したのであろうと想像します。


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