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本尊と曼荼羅
593
:
独学徒
:2006/10/22(日) 21:32:26
犀角独歩さん、今更ながら私の議論がいかに過去の議論の蒸し返しかと、恥ずかしくさえ思います。
これまでに既に出尽くした議論で、お時間をとらせてしまい恐縮です。
これも既に解決済みのことかもしれませんが、敢て恥を覚悟で質問させていただきます。
尊敬する先生の御所論では御座いますが、「戒壇」について「末法の時代にどこかに建立されるべき事相の戒壇の意」との事ですが、これでは一大秘法の「南無妙法蓮華経」、所謂「本門の題目」に集約されるようには思えません。
富士門所伝の如く、広宣流布の時は仏像建立、それに至るまでは大漫荼羅をもって本尊とするという考えは、既に大漫荼羅それ自体が「仮本尊」としての役割しかないということになります。
しかし日興は、「本門寺に懸け万年の重宝」と添書するわけで、これは広宣流布しようとしまいと、大漫荼羅は本門の寺の「末法万年の重宝」というわけです。
私は日順・日代の思想に反しますが、日興のとった振舞から考えれば、大漫荼羅を奉掲したる場所こそが「戒壇」なのではないかと考えます。
「本門の本尊」たる教主釈尊、「本門の戒壇」の証たる大漫荼羅奉掲の道場、口唱するところの「本門の題目」、このように考えれば宝前の様相は、犀角独歩さんも仰せになられていましたが、大漫荼羅と釈尊は同所に置かれてこそ初めて三大秘法の整った修行の場となるのではないでしょうか。
つまり大漫荼羅の役割は、守りとしての役割のほか、奉掲の場所を直ちに「本門の戒壇」とする役割があったのではないでしょうか。
そうであれば時代が下るにつれ「戒壇の証」が「戒壇の本尊」、そして大漫荼羅そのものが、「本尊」と誤解されるようになっていくことも十分に考えられます。
そして「本門戒壇の大御本尊」として、特化した大漫荼羅が、富士門から出現して行くことも十分におこりうるものだと思います。
以上、根拠薄弱な個人的思いの強い投稿となりましたが、御教授いただければ幸です。
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