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本尊と曼荼羅
576
:
犀角独歩
:2006/04/04(火) 15:18:38
読み直して、ちょっと、文が美(うま)くないので、訂します。
> 重須の日興・日澄・日順という師資の影響から、漫荼羅正意であった
と、記したのは、日興が仏本尊を斥けて曼荼羅正意を提唱したという意味ではありません。顕正居士さんが引用された伝日順文書に見られるとおり、当時、仏本尊が禁戒に属していたと見ることはできません。
わたしは個人的に、仏像を出家が造営するのはもっぱら持仏であり(日蓮伊東自作の例)、他は曼荼羅をもって弟子檀那に授与。在家の信徒は、その財力を持って、それぞれに仏像を像立、これには一尊四士を日興は勧めた。日興等が公武共に奏じ、その功なれば、ここに漫荼羅の授与はあるでしょうが、ここで仏像が像立されれば一尊四士というのが、元来、日興であったと思います。
しかしながら、御筆漫荼羅に「奉懸本門寺」と添え書きし、漫荼羅を本尊と規定するに至った日興が、御影信仰を醸造しながら、では、仏本尊をどう捌いたのかは、実に興味深いテーマであろうと思えます。この時点で、日興は漫荼羅正意と即断すれば、物語としては完結しますが、しかし、尊門にせよ、日順にせよ、仏像禁忌は窺えず、むしろ、広布戒壇に事寄せて、これを認める以上、ここに仏本尊は生きています。
日興在世より100年も経った頃、「隋身所持の俗難は只是継子一旦の寵愛、月を待つ片時の蛍光か。執する者は尚強ひて帰依を致さんと欲せば、須く四菩薩を加ふべし、敢へて一仏を用ゆること勿れ」と言うも、その後、ヒステリックなまでの仏像忌避に比べれば、また、その造立を制止しておらず、緩やかです。つまり、これは日興在世であればなおさらのことであろうと類推できます。
いずれにしても、御影信仰は、造像崇拝の一種であることは紛れもない事実であり、久種に遡って師資を論じ、ついには「三身所顕無始古仏」という峻厳なまでの法華道を歩んだ日蓮の教学的な姿勢からすれば、祖師信仰、ひいては御影信仰というのは、なんともはや、仏道という点から見れば、後退である映じなくもありません。キリスト者の「偶像崇拝」などをここに引用する気は毛頭ありませんが、造仏は日蓮義であれば、これを斥けてはならず、一方、祖師信仰は本門寿量本仏久種覚知からの信仰を確立した日蓮の教えに悖るものと、わたしには映じます。
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