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本尊と曼荼羅
579
:
犀角独歩
:2006/04/16(日) 09:27:23
日興御影崇拝について自己レス
『富士一跡存知事』に
「一、聖人御影像の事。
或は五人と云ひ、或は在家と云ひ、絵像木像に図し奉る事在々所々其の数を知らず、而して面々各々不同なり。
爰に日興が云はく、先づ影像を図する所詮は後代に知らせしめんが為なり、是に付け非に付け有りのまゝに移すべきなり。之に依って日興門徒の在家出家の輩、聖人を見奉る仁等一同に評議して其の年月図し奉る所なり、全体に異ならずと雖も大概麁相に之を図せり、仍って裏に書き付けを成す云云。但し彼の面々に図する像一つも相似せざるの中に、去ぬる正和二年日順図絵の本あり、相似の分なけれども自余の像よりもすこし面影有り。而る間後輩に彼此の是非を弁ぜんが為に裏に不似の書き付け之を置く」
とあります。「影像を図する所詮は後代に知らせしめんが為」とは、実に合理的というか、俗信的な要素は微塵も感じられません。これが実際の日興の思想を受け継いだものであれば日興における御影崇拝は、そこに日蓮の面影を求めたものであり、像に神秘的な力が存するといった器物信仰とは違っていたのであろうと想像されます。よって、先の投稿を補填し、改めることといたします。
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