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本尊と曼荼羅
597
:
犀角独歩
:2006/10/25(水) 09:45:35
596 独学徒さん
> …本門本尊…本門戒壇も為政者によって建立…蓮師の残したものは本門題目のみ
なるほど、そのようなニュアンスで受け止めていらっしゃいましたか。
より正確に素描してみますか。
日蓮が、敢えて「本門」とことわるのは、迹面本裏と成句される天台は方便品(迹門)諸法実相をもって表とするわけですから、ここに両師の相違は明らかです。では、「本門の」とするところは三つの法門であるというわけです。つまり、日蓮は本尊、戒壇、題目の‘法門’を遺したわけです。それに受持する未来の為政者はしかし、その法門に基づいて、本門の本尊像、つまり、一尊四士という奉安様式の仏像を建立するわけです。こちらは仏像です。つまり、日蓮は法を伝持、為政者は仏像を造立するという役割の差です。この点は戒壇も同様です。
ですから、日蓮が本尊、戒壇を遺さないというのは、やや不正確な表現ではないかと思います。
> 大漫荼羅は未曾有…それ相応の用途があった
これは、わたしももちろん、そう思います。
執行師の言を籍りれば、己心の釈尊の、その己心を表現したわけですから、しかし、たしかに未曾有に相違なきところと存じます。
> 「摩訶止観」
わたしは何度となく記してきましたが、『摩訶止観』について、たとえば、同書を岩波文庫で発刊した関口真大師は
「摩訶止観10巻は、仏教史上にあらわれた最大かつ最も懇切な座禅の指導書であり、すなわちまた禅の指南書である」(岩波文庫9頁)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014117694/33
というわけです。
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