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本尊と曼荼羅
599
:
犀角独歩
:2006/10/25(水) 09:47:36
―598からつづく―
> 「観心本尊」、凡夫が心に本尊を観るため
凡夫が、ですか。所謂「一心三観」における空化中を三身所顕無始古仏と観ていくことですから、凡夫のよくなせるところではないのでしょう。ですから、形貌によって、それを示す必要があります。すなわち、仏像です。
参)「若一法一切法 即是因縁所生法。是爲假名假觀也 若一切法即一法 我説即是空空觀也 若非一非一切者即是中道觀。一空一切空無假中而不空 總空觀也 一假一切假無空中而不假 總假觀也 一中一切中無空假而不中 總中觀也。即中論所説不可思議一心三觀」(摩訶止観5)「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也」(本尊抄)
これを万人にわかるように書き表したのが漫荼羅などといいますが、日蓮在世時代、一般民衆の識字率はいうに及ばず、武士階級でも四人に一人ほど、読めなかったというわけですから、文字漫荼羅は、知的特権階級の具であったことが知られます。仏像画以上に民衆には難解であったことでしょう。であるからこそ、唱題という行が有効であり、かつ、視覚に直接、訴える仏像が望まれたのではないでしょうか。
> 「戒壇」とする愚考は、国主帰依無きゆえに、本門本尊はないけれども、大漫荼羅奉掲の場所を「戒壇」と考えれば、後代の門下が叡山に行かなくとも受戒を受け出家得度する場所は確保できる。
これは戒壇の根本的な意義を欠いていませんか。
たとえば、東大寺戒壇院について、以下のような説明があります。
「大仏開眼より2年後、聖武天皇は唐から鑑真和上を迎えて大仏殿の前に戒壇を設けました。そこで天皇、皇后をはじめ500人が受戒」
http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/mmdb/marc4/nara/toudaiji/21.html
天皇の受戒、これは大きなキーワードです。
伝教が比叡山に戒壇院を勅許されたことにより、国家公認の僧の受戒をこの場で行うことができるようになったわけですが、日蓮においては、意義はそこに留まらないと、わたしは考えます。
簡潔に記しますが、大乗戒壇、ここで授けられるところは「菩薩」戒です。以下の『本尊抄』を想い出してください。
「此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王」
賢王は菩薩であるというのです。天台・伝教已来の佳例を踏む日蓮が「菩薩」であるというとき、それは法華受戒を受けた王であることを意味します。つまり、王が菩薩であるためには、受戒を絶対の要件とするのであり、そのためには戒壇は不可欠であるということです。本門本尊仏像を造立する王が受戒を受けるに相応しい場、それは迹門戒壇でしょうか。本門戒壇ではありませんか。
この戒壇は修行のための道場とは、根本的に意味を異にします。
『以一察万抄』『取要抄』に、日蓮が未来事相戒壇建立を密事としながらも標榜したのは、本門本尊寿量仏像を奉安する寺院建立において、折伏を現ずる折伏菩薩の賢王は、まず、本門戒壇において戒を日蓮の許に受け、菩薩の菩薩たる所以を具体的に対してのち、本門本尊堂を建立していくという図式を意味していませんか。
以上のことは、中世における檀家制度、さらに民主国家の現在とは遙か隔世の感に霞んだ、鎌倉往時の、日蓮の思惟であったと、わたしは拝します。現代の感覚で推し量っては想像だにもできないところでしょう。
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