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本尊と曼荼羅

595犀角独歩:2006/10/23(月) 11:20:15

―594からつづく―

ここからは派祖日興以降の論議となりますね。

> …日興…広宣流布しようとしまいと、大漫荼羅は本門の寺の「末法万年の重宝」…奉掲したる場所こそが「戒壇」…道場

日興がこのように考えていたかどうか、その資料は実に乏しいわけですが、少々考えてみたいところです。

> 大漫荼羅の役割は、守りとしての役割のほか、奉掲の場所を直ちに「本門の戒壇」とする役割があったのではないでしょうか。

ならば、なぜ日興が「本門寺奉懸」と添え書きした大漫荼羅はいずれの寺にもかかっておらず、その寺が本門寺と呼ばれていないのでしょうか。わたしは寡聞にして存じ上げませんが、当の重須本堂、本門寺を名乗る各寺院では、では、日興が「本門寺奉懸」と記した漫荼羅がかかっているのでしょうか。
また、日興、そして、日目、日郷が天奏にかくも執念を示したのでしょうか。
つまり、このことこそが、戒壇未成就を示すことなのだとわたしは考えます。

この意味において、日興は、日蓮の戒壇義をある程度、そのままに継承していたのだろうと思えます。(戒壇は遺された密事であるということです)

ただし、その本尊義、もっと言えば漫荼羅に関する考え方は、日蓮、日興では大きく違っていると思えます。日蓮における漫荼羅図示は伝法証符の意味合いを持ち、しかし、日興にとっては、漫荼羅は本尊となっていった相違です。さらにその重須において、やがて漫荼羅は未来建立の戒壇堂の仏像奉安を示す図と解釈されるにいたり、さらに漫荼羅正意の偏執と、日蓮御影信仰の勃興は、仏本尊廃棄へと傾いていったと整理できようかと存じます。

なお、戒壇と道場は、その意義を大きく異にするのではないでしょうか。

日蓮は比叡山において菩薩戒を受けた人なのです。日昭にしてもしかりでしょう。他の阿闍梨号を有す弟子方は、どうであったのか、この点は実に悩ましい問題であるわけです。『取要抄』から看取できる日蓮の戒壇建立構想はしかし、比叡山戒壇を否定したところにあったようには思えません。その点は日興門下でも同様で、その証左が日順の比叡山遊学です。

現代となっては戒壇・受戒など等閑にされたところですが、この現代感覚で、戒壇を考えれば、上古の意味は取れないでしょう。

一方、道場とは、法華修行の場であって、受戒の場・戒壇とはその意義が違います。これは憶測の域を出ませんが、漫荼羅奉懸をもって、道場荘厳とした可能性は大いにあり得るとわたしは考えています。殊に日蓮の弟子僧の多くは、天台宗寺院寓居の修行者であり、いわば法華宗(天台宗)日蓮派といった立場であったわけでしょう。寓居する各寺院には、それぞれの本尊(仏像)が安置されてあるのは当然です。そこにおいて、日蓮が一門の道場として、かりそめの道場と荘厳する具として、漫荼羅奉懸はあったのではないかと想像します。

> 「戒壇の証」が「戒壇の本尊」、そして大漫荼羅そのものが、「本尊」と誤解されるようになっていく

これは、日興からも乖離する何ら重宝を有していなかった日目・南条の私寺が祖師・派祖の意図も汲めず画策していったところなのでしょうね。

> 「本門戒壇の大御本尊」として、特化した大漫荼羅が、富士門から出現

ここに至る経緯はかなり複雑であり、この一連の歴史推移を認識することは骨が折れます。何より、現代の各集団のアナウンスがまったくのご都合と捏造にまみれているために事実を覆い隠しもしています。また、日興から重須、京、西山、保田という広がりから、石山での特化はそれぞれ別事として整理する必要もあります。

> 口唱するところの「本門の題目」…宝前の様相…犀角独歩…大漫荼羅と釈尊は同所に置かれてこそ初めて三大秘法の整った修行の場

釈迦仏像を置き、漫荼羅も奉懸すれば、道場でもあるという気分を有します。また、私事として、菩薩道誓戒の場として道場を考えれば、個における戒壇と安ずることはできようかと存じます。


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