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本尊と曼荼羅
563
:
れん
:2006/04/01(土) 23:00:49
横レス失礼します。
顕正居士さんが示された石山22世日俊師の彫刻本尊に関するコメントですが、私の携帯では見れないので、以下に備忘ならびに参考のためを含めて、列記しておきます。
「興師目師遺状被遊戒壇之本尊御座大石寺之貫主成致報恩謝徳導師事餘身喜何事過之耶」(歴全第三巻所収 初度説法)
「此三大秘法者何者、本門本尊者当寺戒壇板本尊非、其戒壇本尊座地広布不至迄此地戒壇非、日興正傳之題目非本門題目耶」(同上)「此三大秘法者云其體云事一念三千南無妙法蓮華経云者也。各題目修行本因妙南無妙法蓮華経本門題目也。本因對向本果妙佛界所具戒壇本尊也。本果所住本國土即是戒壇地也。三大秘法云向本尊勵信心唱題目即是本因本果本國土三妙合論事一念三千申法門大旨思召」(同上)
この日俊師の「初度説法」を読みますと、俊師は条々事の“弘安二年大御本尊”なるものを、彫刻本尊に規定しており、顕正居士さんのご指摘の通り、その彫刻本尊中心の三秘論を展開されているところ、俊師の影響を寛師は受けていると見て間違いなさそうです。
石山が彫刻本尊を作成したのは、重須の生御影に対抗するための手段としてという側面が強いでしょうね。その時期は、私の勝手な想像としては、一つの可能性としては、安土桃山期に大石・重須が甲駿地方の戦火に罹災し堂宇が焼失した後の、両山の堂宇の復興の時期と見た方が良いかと愚考しております。
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