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本尊と曼荼羅

571犀角独歩:2006/04/03(月) 08:26:07

日時はたしか仙波檀林に学んだといった資料があったと記憶します。
文殊さんが仰る「伝統的な通説」というのは、何を指すのかわかりませんが、上代の石山住職を手繰ると、出生は南条家との縁、学問は仙波檀林に行き着くようで、重須の檀所はともかくとして、石山が日興の厳格な化儀を伝えたとはとても思えません。

また、日興にしても、一尊四士義はともかくとして、日蓮の教義からはあずかり知れない‘御影’信仰にウエイトが掛かっていたわけで、それが絵像か・木像かいまひとつはっきりしませんが、ともかく、日蓮像を拝んでいた。日興は造仏は廃し、日蓮の厳格な教えに従って、漫荼羅正意だなどという現在のアナウンスはまるでウソで、実際は一尊四士という厳とした造仏論を有し、さらに御影崇拝という非日蓮義も有していました。そのうえで、漫荼羅を本尊と規定していったわけです。重須の盗難事件の実否を問う声は聞こえますが、これが事実であれば、盗難品のなかには日興像もありました。つまり、生存中から、日興本人の像が拝まれていたということでしょう。このような日興が、日蓮の化儀を厳格に伝えたというのは、事実に反します。もちろん、遺文蒐集、学問という面では重須檀所を中心に業績はもちろんあったでしょう。

日興の極端な賛美は、近年、日亨氏の功績により、さらに最近では興風談所の業績から内外ともに、さらに高まっていますが、わたしは、文殊さんが挙げる石山の学僧?の評価も含めて、もっと冷静かつ客観的にみたほうが事実究明には役立つと考えます。

まして、日時に関しては、この人物と時代は、問題が山積で、実質、日目と南条家の寺であった大石寺の独自形成の鍵を握るものであると考えられ、日興の厳格な継承者とはとても思えません。

なお、「護教論でなく学問的ルール」については、まったく賛同いたします。
それ故の以上の管見です。


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