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本尊と曼荼羅

634犀角独歩:2006/11/06(月) 09:31:13

633「自身がない」は「自信がない」でした。

戒壇という一点のみ。実に悩ましい問題で、漫荼羅奉安の場所がそれに当たるというのは、門下にある程度、通じた解釈かもしれません。わたしは漫荼羅奉懸は道場結界の意義、さらに図示された諸尊勧請、さらに法華会座、霊山より虚空会を仰ぎ見る観といったところで、これが戒壇かと言えば、さて、どうかと考えます。戒壇とは授戒、潅頂といった儀式の場ですから、道場とは別立てでしょうが、その代用を兼ねるものとは言えるかもしれません。しかし、やはり、代用の域を超えないと思います。

実際のところ、日蓮は、ほとんど戒壇については言及していないわけで、このことから、当初、わたしは日蓮は本尊と題目を述べ、戒壇を語る以前に没したのではないかと考えていました。しかし、その考えを改める機会となったのが都守師の秀逸な論攷の拝読であったわけです。「密事」です。この戒壇に係る説明をしっかりと聞いた弟子がいたかどうか、「それは日興上人だ!」と富士の僧俗は言いたいところでしょうが、さて、どうでしょうか。


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