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本尊と曼荼羅
626
:
犀角独歩
:2006/11/05(日) 14:01:31
625 天蓋真鏡さん
> 法華経の如来神通力、心(精神)から湧いてくる力を鎌倉時代の僧・日蓮は意識していた
寿量品にいう神通力は如来に係ることなので、日蓮自身が心から涌くこととして、認識していたとは、わたしは思いません。真蹟遺文中に、我が身に充てた引用は、通読する限りなかったと記憶します。ただ、「心(精神)から湧いてくる力」は、もちろんのことを意識されていたと思います。
> 三法門は漫荼羅中心三位一体
言われるところの「三位一体」とは「父と子と精霊」という意味ではなく、一体とつかねるところに趣旨があるのでしょうか。日蓮の真蹟遺文からすれば、「一大秘法…所謂妙法蓮華経之五字名体宗用教五重玄也」(定P900)が三法門に展開されるのかということなのでしょうか。
『本尊問答抄』を真筆とし、また、草稿『取要抄』を採って、開合を示せば、以下のようかと。
┌本門本尊─寿量仏─三身所顕無始古仏
一大秘法─妙法蓮華経(題目)本尊┼本門題目─本門の妙法蓮華経
└本門戒壇─密事
なお、同抄の真偽、ならびに、三法門との不整合を心境の変化からご説明くださった顕正居士さんのご賢察を紹介しないことは気が引けます。以下のとおりです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/383
> 日蓮・法華一乗・漫荼羅中心
この記述の意味をわたしは採りかねますが、「漫荼羅中心」という点は引っかかります。『一谷入道御書』に「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず」(定P996)とありますが、これはまさに漫荼羅における「日蓮花押」を意味するのではないかと、考えています。
> 、以後・祖師信仰・戒壇堂諸設備建立へ移行で宗教の歴史も全く同じで無くても繰り返すのでしょうか。
何が繰り返すと仰っているのか、主語が判然としません。ご説明いただければと存知ます。
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