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本尊と曼荼羅

585犀角独歩:2006/05/16(火) 06:13:47

松岡幹夫氏の『大石寺門流の本尊書写権に関する史的考察』という文を読んだのですが、これは石山門の僧侶にだけ「上人」をつけるという実におかしな文章でした。論文としては、異常な文体であるというのが第一印象です。

それはともかく、このなかで

「日興上人…特徴は、大聖人の本尊を忠実に『書写』された…中尊…日蓮在御判…大聖人を御本仏と仰ぎ…戒壇本尊を書写した証として「奉書写之」と認められている」(P28)
http://www.totetu.org/h/pdf/k013_024.pdf

という一節があり、吃驚しました。

松岡氏は、彫刻を書写したと断言しているわけです。日蓮を本仏と断言するのも学術畑では異様です。それにしても、よくまあ、こんな嘘が書けるものかと呆れました。

日興の本尊をざっと見ただけでも、「日蓮聖人御判」(正応5年10月13日上行寺蔵ほか)とあるものもあり、また、「奉書写之」の4文字となっていないわけです。

彫刻本尊の座配が“公開”されていないのにもかかわらず、これを忠実に書写したとはよく言ったものだと驚くわけです。
殊に日興書写のはじめを弘安10年10月13日と記すのはよいとしても、この本尊などは天台・伝教が日蓮とほぼ横並びで、その上に天照大神・八幡大菩薩があるという、極めて特異な座配となっているわけです。これは、その後、定型化する石山本尊とも異なっています。

1997年の文章をいまさら取り上げて云々するのも何ですが、この手の文章を臆面もなく、いまだにアップしている東洋哲学研究所と、このサイトには疑問を懐かざるを得ないと慨歎するところです。


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