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本尊と曼荼羅
629
:
犀角独歩
:2006/11/05(日) 18:00:12
れんさん
決して、わたしはれんさんのご投稿を指して、「短絡」と記したわけではなく、富士門下の、たとえば日順の記などについて言ったことです。
ついでに愚考を記せば、「日蓮花押」というのは、今で言えば、自著・押印(もしくは書き判)ですね。これはいわば‘認め’ですから、造形化などできるはずはないわけです。サイン押印する代わりに、自分の写真とか像を置くなどあり得ないことです。ところが漫荼羅を設計図と想定して各尊像を造り、並べるとなると、日蓮御影を置くことになります。なぜ、これが是なのか?というのが、わたしの疑問です。
また、漫荼羅には、讃文、また、経釈文の書き込みがあります。いったい、これがどのように立体像化できるのか、漫荼羅では書いてあるが、仏像奉安では要らないなどとできるのかという疑問も生じます。
以上の疑問はしかし、漫荼羅図=仏像奉安と考えた場合のことです。仏像は仏像、漫荼羅は漫荼羅と、別に考えれば、こんな会通は不要となります。
仏像は本門寿量仏の造形化。漫荼羅は妙法蓮華経の授与/受持で「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず」という弟子允可の証、経釈の書き込み等は祈祷、守の意と、その用途を別と考えたほうが、すっきりと理解できるというのが、わたしの管見です。
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