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『おにくげ』について教えてください。
16
:
犀角独歩
:2002/07/20(土) 12:07
現時点さん:
はじめまして。
> 13
そのとおりですね。
17
:
一字三礼
:2002/07/20(土) 22:33
私も戸田さんの“幸福製造機”発言が、某教団の現世利益体質の遠因になっているように思えます。
もちろん、それだけではないでしょうが。
18
:
現時点
:2002/07/20(土) 23:13
宗教を結果として金儲けの手段化してしまったのではないかと
現体制は同氏の悪い面のみを真似てしまっていると
シャキャムニの説いた仏教というものを理解していなかったのではないかと
そんなふうにも現時点では思います
19
:
犀角独歩
:2002/07/21(日) 17:02
私は創価学会が金貸しをやっていたことも家電販売をやっていたことも、親がその利用者であったので、よく知っています。池田さんの自筆入りの大倉商事・営業部長の名刺を見たときは驚きました。それをやらしていたのが戸田さんでした。
宗教法人の旨みに直ちに目を付けた商売感覚。
敗戦後の精神的空洞化を、その軍国時代を模倣した組織構造でカリスマ全体主義を構築した、近代の宗教商業主義の総帥は、最後、広宣流布の模擬試験の銘と打って、豚を屠殺し、ドラム缶で豚汁を作って、仏教の聖地で振る舞う異常さ、車駕に乗って石山を練り歩いた感覚(車駕とは天皇の乗り物)、思えば城聖と祖師にしか用いぬ“聖”の字を自称する神経。ご指摘のとおり、曼荼羅を幸福製造器と言って、折伏、広宣流布のための行動を“闘争”と平然と言い切った。
並はずれた、要するに異常なこの人物に、人はなぜ魅入られたのでしょうか。
社会心理学という学問は、その根底にヒットラーとその翼賛者を徹底的に研究し、2度とこのような人物と団体の暴挙を繰り返さないと言う歴史的な反省に基づいています。
近年、オウム真理教の地下鉄サリン事件から、カルト研究の気運が高まりました。ところが、敗戦後、日本全土を席巻した創価学会については、学者連は、その排撃性を恐れて一同に口を閉ざし、触れぬことを賢明と決め込んで現在に至っています。
破邪顕正の美名の元で、どのような集団心理が働いたのかを詳しく研究し、国民的反省と予防対策が構築されていたら、オウム真理教その他のカルト問題は、少なくとも最小限に防げたはずであると私は思っています。
その意味において、戸田さんの徹底した批判研究が為されるべきであると私は思います。それは、たぶん、石山系グループにひそ破壊的カルト・マインド・コントロールの形態を洗い出す作業と同義であり、繰り返すべきでない歴史の教訓を闡明にする作業と思います。
富士国立戒壇論という謝った情熱と行動の意味は戸田さんの分析によって明らかになることでしょう。
20
:
犀角独歩
:2002/07/21(日) 17:06
【19の訂正】
誤)石山系グループにひそ破壊的カルト・マインド・コントロールの形態
正)石山系グループにひそむ破壊的カルト・マインド・コントロールの形態
誤)富士国立戒壇論という謝った情熱
正)富士国立戒壇論という誤った情熱
・他にもあるかもしれません。また難読の文章になってしまいました。ご判読いただければ幸甚です。
21
:
いちりん
:2002/07/22(月) 11:29
大石寺に行きますと、池田さんが寄進した建物が、たたき壊されてしまっていますね。
正本堂は灰と塵と土になりました。
大客殿も、大化城もいまは、ありません。
ところが、それらよりも古くてデザインもよろしくない大講堂は、まだ残っていますね。
これは、戸田さんが寄進した建物でした。
これを眺めますと、池田さんという大謗法の輩が寄進した建物は壊してしまえ。
戸田さんは、日蓮正宗に対して至心があった。ので、壊すには及ばない。
……という大石寺の心が見て取れるような。
まあ、もっとも池田さんが寄進したのは、もっといろいろありますから、全国の末寺もそうですし、それらをすべてたたき壊すわけにもいかないでしょうけど。
戸田さんの寄進した大講堂の祝賀に、ときの総理大臣・岸信介が来るということになった。
ときの総理が参拝に来るのであれば、これは広宣流布のひとつの型となることだ。ということで、全国の青年達を、急遽、集めることになったんですよね。
岸信介は、来る予定を、ドタキャンしてしまって、やって来たのが、奥さんと安倍晋太郎(娘婿)だと思いました。
戸田さんは、岸信介を大いに誉めあげる話をしていますね。
そして、これが戸田さん最後の講演になったのだと思いました。戸田さんが亡くなるのは、それから一ヶ月後ですよね。
大講堂を外からのぞいたら、窓から枯れたままに放置された観葉植物が見えました。
22
:
現時点
:2002/07/25(木) 22:58
戸田さんが宗教法人にこだわったこと。ここに彼の事業家としての何かがあると思う
のですがね。
「折伏鬼」の表現、独房で鼻歌をうたっていたと、それは悟ったためだったのか、それとも
示唆的だと思ったものでした。
まあ、学会に対してはさらに興味もなくなりましたので。
崎尾師を排斥したのも戸田さん時代でしたよね。
23
:
アネモネ
:2002/07/26(金) 00:54
現時点さん
こんにちは。いつもしみじみと書き込みを読ませて頂いてました。
>戸田さんが宗教法人にこだわったこと。ここに彼の事業家としての何かがあると思うのですがね。
私がなんとなく思うことですが、事業家としての戸田さんが最も目をつけた日蓮正宗の旨みは、宗教法人もさることながら、何より、御書をはじめとする宗門700年間の古文書だったのではないかと思ったりします。
著作権のないこれらの古文書の山を書籍として片っ端から出版物にしていけば‥、事業家の戸田さんの目には、宝の山に映ったのではないでしょうか。
もちろん、僧侶でなければ読むことの出来なかった古文書の数々が、一般信徒にも学べるようになったことは善行だったと評価されるものだと思います。その点は私も評価してるんです。かなり恩恵にあずかってますからね。
でも、その善行が、実は大変な財を生み出すものだと目をつけたところが、戸田さんの事業家としての才覚で、ましてやそれが宗教法人としての創価学会が版権を持つとなると、ほとんど創価学会の「丸儲け」ですよね。
まぁ、お公家気取りのご僧侶方には、思いもつかなかったことでしょうね。だから、すっかり宝の山(版権)を宗教法人創価学会に持っていかれてしまった。と、思うのは私の穿った憶測で、違ってるかもしれませんが。
24
:
犀角独歩
:2002/07/26(金) 11:06
横レス、失礼します。
アネモネさんの洞察、なかなか鋭いですね。
内藤邦夫氏が『諸君』で記していたことですが、牧口さんが冊子の発刊は儲かると戸田さんに語ったというエピソードが紹介されていました。
もともと出版畑にあった戸田さんですから、これくらいの“嗅覚”は先ず間違いなくあったでしょうね。
25
:
アネモネ
:2002/07/26(金) 16:13
犀角独歩さん
出版事業に最初に目をつけていたのは、牧口さんでしたか。
創価学会は出版型宗教の先駆けといえますね。その集金システムを真似たのが、幸福の科学で、オウムも似たような路線を狙っていた感じ、いずれも原形は創価学会ですね。
日蓮正宗は、いまだに出版の重要性を理解していない感じを受けます。書店はもちろん、図書館にすら(創価学会でない)日蓮正宗の本はないです。
大きな建造物を建てる間には、地道な出版事業にでも資金を回したほうがいいんじゃないかと思ったりもします。
26
:
現時点
:2002/07/27(土) 00:44
石山にお宝なんてあるんですかね
聖人の真蹟遺文だって30ちょっとしかないですね
それも南条さんへあてたものが大半
重要なものはまったくなしと
戸田さんの入信前後は、石山へつれていかれてもぼーっとしていたとか
私たちの動機と大差ないように思うのですがね
それよりももっとも問題視されるべきは本尊流布を大々的にやってしまつたこと
それも大功徳論と罰論で
あのころ暴力宗教と言われていたこと、ある種あたつていますね
折伏に精力をそそぎすぎて、信仰指導をおろそかにしたこと
御本尊ゴフケイのねっこは、あのころからという気がします
月に一世帯の折伏と仕事は人の三人前働け
成果があがらなければ、大幹部からつるしあげにあえば、当然、仕事はおろそかになりますよ
27
:
現時点
:2002/07/27(土) 00:51
地獄に堕ちるぞ
とおどかされた人が日本国中いっぱいいて、それが学会嫌い→日蓮ぎらいにさせてしまった
いまは石山が往時のまねをして宗祖もびっくりの30万登山の大号令
何も学会員を脱会させなくても未入信者が世の中にいっぱいいるのに信者のとりあい
絶対服従は戸田さん時代の悪弊かと思っていたら石山がやっていたりして
とても悲しいことです
無間地獄に堕ちるぞと言ったかたがたにあやまりたいですね
28
:
現時点
:2002/07/27(土) 01:04
誤解のないように
一言しますと
私は戸田先生のことは個人的にはすごく好きなのです
信仰の確信を教えられたのも独歩さんが上げられていた「講演集」や「質問会集」「方便品・寿量品講義」
戸田先生のレコードで御書講義を聴いて、信心がふるいたったことかと
しかし、それとこれとは話が別で、そこは整理しないとと思います
29
:
現時点
:2002/07/28(日) 23:32
28の書籍は日蓮本仏、板曼荼羅絶対的考えなので
今ではまったく参考になりませんので
読む価値はありません
内容も今の私から見ると稚拙だと思います
30
:
犀角独歩
:2002/08/17(土) 23:37
そういえば、こんな記述がありました。
最近、創価学会の活動によって有名になった日蓮正宗の総本山、富士の大石寺には日蓮の歯といわれるものがある。
「大石寺には『お肉牙(にくげ)』(御生骨)と呼ばれる宝物がある。これは、水晶の容器にいれて小さな多宝塔のようなものの中に納めてある。これは700年前の人間の歯で『広宣流布』の時を予言する納涼をもっているのだ、という。晩年の日蓮が、自分の歯を抜いて日興だか日目……だかに与えた。その歯が今でも生きていて、園はについた肉がだんだんもりあがり、白い歯をほとんど包んでしまった。完全に包みおえたときこそ、広宣流布とのときである」(佐木・小口『創価学会』)
また日蓮正宗では自分たちが日蓮の正系であるという根拠として板マンダラをまつっている。
「日蓮正宗の伝えるところでは、日蓮は1279年……に、もっとも重要な本尊として『一閻浮提総与』のマンダラを書き、それを日興に託した。弟子がそれをクスノキの板に彫った。それが板マンダラで、国立戒壇ができるときにそこにまつるのだ、とされている」(前掲書)
この板マンダラがニセだという説もでているが、真偽はさておき、日蓮の肉体の一部またはその筆跡が、呪術的な力を持っているという信仰が問題になる。もっとも、この例は創価学会が有名になってから、世間の注意をひいただけのことで、これに類似した聖物崇拝の例は全国に多い。聖物の真偽は歴史家の問題であろうが、われわれとしては特にその呪術的信仰に興味がひかれる。
聖物崇拝に関連して、聖者崇拝も呪術信仰の一種と見られる。日本人は一般に英雄崇拝の傾向が強いが、宗教的な偉人との接触によって超自然的な力を獲得するという信念はいろいろの面にあらわれている。お上人さまの衣の裾にふれただけでも病気が治るというような信仰はイエス・キリストの当時と同じく、現代の日本人のあいだにもある。日本人の場合には事大思想が強いから、大本山、大寺院の法主、門跡などに対する信頼が大きい。真宗など行なわれる<お髪剃(こうぞり)>もそれで、民俗学者のいわゆる教観呪術の接触の法則によるものと言えよう。浄土真宗のように、呪術を禁止した場合には、個人崇拝が呪物崇拝の代用としてはねかえってきたものとも見られよう。(渡辺照宏師著『日本の仏教』P99)
31
:
いちりん
:2002/08/17(土) 23:51
>水晶の容器にいれて小さな多宝塔のようなものの中に納めて
そうなんですか。なるほど。
32
:
犀角独歩
:2002/08/18(日) 00:16
【30の補足】
最近、創価学会の活動によって有名になった…渡辺照宏師著『日本の仏教』は岩波新書、1958年1月25日第1刷・1977年7月15日第24刷です。ですから、「最近」とは昭和33年を指しています。
ちなみに別の箇所では
日蓮正宗の外郭団体である創価学会はこの宗派をもって日本の唯一の国教と定め、他のすべての宗教の禁圧を目標とする(P81)
と記されています。最近、世雄会なる、どう見ても顕正会だろうと思われる団体が、憲法改正で日蓮正宗の国教化を闡明にしたと言うことですが、40年以上も前に否定された石山の逸脱を何ら歴史的反省もなく繰り返していることに強い憂慮の年を禁じ得ません。
世雄会HP
http://www.fuji-seou.org/seoukai_idx.htm
恥ずかしいからやめてもらいたいものです。
もっともこのHPによれば世雄会法律顧問顧問弁護団なるものが結成されたそう。こんな風に批判を書くと裁判で訴えられるかも。けれど、「おたくたち、顕正会じゃないの?」と尋ねられたとき、正直を旨とする日蓮門下の一団体として、どんな答えが返ってくるか興味津々です(笑)
33
:
犀角独歩
:2002/08/18(日) 00:23
【30の訂正】
誤)『広宣流布』の時を予言する納涼をもっているのだ、という
正)『広宣流布』の時を予言する能力をもっているのだ、という
34
:
櫻川 忠
:2002/08/20(火) 23:31
Re:32: 犀角独歩様、顕正会の櫻川です。「世雄会なる、どう見ても顕正会だろうと思われる団体」とご覧になられたようですが、わたしから見ると「世雄会サイト」はどう見ても、顕正会を貶めるための「誹謗・中傷サイト」としか見えません。
その故は「信脈水」の販売などとは、妙信講以来・顕正会歴三十六年の私として、一度も聞いたことがありません。顕正会本部がインターネットを<無視>する態度につけこんで、顕正会のコンテンツを盗んでは「どう見ても顕正会だろうと思われる団体」のふりをしている、顕正会撲滅を目的とする Kmenサイトと同様の「謀略サイト」なのではありますまいか..。
さて、犀角独歩様が<世雄会>サイトをして「どう見ても顕正会だろうと思われる団体」だ、とそこまできっぱりと断定されたことについて、わたしとして異をとなえたいと存じます。わたしも<世雄会>の実態を、知らないのですが..。(^^;
35
:
犀角独歩
:2002/08/21(水) 02:55
34 櫻川 忠さん:
レス、有り難うございます。
> 「世雄会サイト」はどう見ても、顕正会を貶めるための「誹謗・中傷サイト」としか見えません。…顕正会撲滅を目的…「謀略サイト」…
ほお。本当ですか。もし、これが事実であれば、世雄開=顕正会と記した私の書き込みを撤回し、お詫び申し上げなければなりません。
ロムに徹していらっしゃる櫻川さんがわざわざ書き込まれる以上、何らかの具体的な確信に基づいてお書きになるところであろうと存じます。もう少し謀略サイトである確証をお示しいただけないものでしょうか。また、実際にその謀略を行う個人・団体が誰であるのかご教示いただけませんでしょうか。公開の書き込みがまずければ、メールでもけっこうです。
現段階ですでに、研究者などのあいだでも世雄会は顕正会であるという認知が広まっています。もし、それが謀略であることが確認できれば、私は書き込んだ責任を持って、知る限りの研究者に対して、その事実を連絡しますので。
36
:
櫻川 忠
:2002/08/22(木) 04:01
犀角独歩様、櫻川です。この件は、他のサイトなどでもよく云われていること、よく承知しております。今回は、慧眼なる犀角独歩様の<言葉>だっただけに、つい滅多にしない行動をうかつにもとってしまいました。(^^;
わたしのサイトにも、顕正会員から「世雄会サイトは顕正会サイドの運営なのでしょうか」という質問のメールが来るくらいですし、顕正会員でも一部・そう思っている会員がいることも事実です。
わたしが見るに、それは巧妙な「擬態」でありましょう。木の葉に化ける虫・岩に化ける魚、どうみてもそうとしか見えないようなその<似姿>をとることには、やはりその理由があるのでしょう。
仏教の歴史でも、一行阿闍梨が大日経の疏義釈に天台の法門を盗み入れたとは、大聖人が一人指摘するところでありました。
>> もう少し謀略サイトである確証をお示しいただけないものでしょうか。
世雄会サイトでは、「今後の予測」などとして「第一予測」〜「第五予測」というおちゃらけたコンテンツや、「狂牛病に感染した人・家畜・ペットの対策、炭疽菌等、生物兵器がご心配な方、infoまでご連絡ください」などという、<とんでも>なメッセージがありましょう。こうして、顕正会の主張の一部をあえて<拡大解釈>することで、顕正会が「異常な団体」なのだ..と、世に見られるべく貶めているのだとわたしは思います。
顕正会という団体は、わたしの知る限りその発足以来・正直の上に馬鹿が付くような行動様式を、一貫して貫いてきたことでした。一言でいえば、「愚直」です。
されば、かの「世雄会サイト」のように、顕正会の名を隠してちまちまとその言い分を述べるようないじけた「エートス」は、今においても顕正会には微塵もないことでした。
この程度の<謀略>が見抜けない「研究者」の研究レベルであれば、わたしとしていささか心もとなく思う次第です。(^^;
わたしとして「世雄会」については元よりなにも知りませんが、顕正会についてのさらなる具体的なお話は、来る別の機会に..ということで。
37
:
いちりん
:2002/08/22(木) 08:55
櫻川さんの投稿を読んで、ううむ、なるほどなあとも、思ったりしますね。
たしかに、かのサイトを見てますと、いきなり出てくるのが────
「この度、宗教批判の原理に基づき、「日本国憲法第20条第3項の信教の自由」の改正を目的とするため、世雄塾を開校することになりました。
天皇陛下・各国務大臣・日本国民を前に報道関係者を集め、どの宗教が正か邪か公場対決し、宗教法人を解散せしめ、国教を憲法に制定することが重大なのであります。その一例として聖徳太子は17条憲法の第2条において、国教を制定し、飛鳥・白鳳文化を興隆ならしめました。
まさに、公場対決するべきなのであり、正邪を決すべきなのであります。」などと書かれていますね。
・憲法にうたわれた信教の自由の改正を目的とする。
・天皇陛下・各国務大臣・日本国民を前に報道関係者を集め、どの宗教が正か邪か公場対決する。
・宗教法人を解散させる。
・国教を憲法に制定する。
これをみると、かなりイッてしまわれている。
このくらいイッてしまってると、かなりサイトの作り方は、粗いんですね。イッてるなりの乱暴な作りになる。
でも、ここのサイト、レイアウトとか配色とか構造が、読みやすいんですね。わりと手慣れている人が制作している。
そうすると、もしや櫻川さんの指摘のように、
>顕正会の主張の一部をあえて<拡大解釈>することで、顕正会が「異常な団体」なのだ..と、世に見られるべく貶めているのだとわたしは思います。
そんな気もしてきました。
ちなみに、
>顕正会という団体は、わたしの知る限りその発足以来・正直の上に馬鹿が付くような行動様式を、一貫して貫いてきたことでした。一言でいえば、「愚直」です。
それは、わたしも感じますね。たしかに。
38
:
犀角独歩
:2002/08/22(木) 10:10
自分たちが不利になると、いずこの団体も「謀略だ」と騒ぐものですね。果たして、櫻川さんの反論がそれにあたるのか、あるいは違うのか。
世雄会HPが謀略か、顕正会に拠るのか、あるいは会員個人に拠るのかは、それを事実関係を明確にすれば、よいことであると思います。
なお、顕正会が「愚直」であるというのは、むしろ櫻川さんご自身の人間性の反映であろうかと思います。この範囲では否定しません。
しかし、70万人とも80万人とも言われる近年の勧誘人数の大半が「親の承諾を取らない」未成年者の入会であるという現在の有様は、とても「愚直」などと鷹揚に構えられる状態なのかどうか、私には甚だ疑問です。また役をもった人たちが、自分の部下の新聞代、供養代などを立て替えざるを得ない状況があったり、一部1000円…卸値はあるそうですが…の冊子を大量に印刷し、各会員に買わせ、郵送させる(お金がかかる)ような布教法を採ることは少なくとも愚直などといえるものではありません。
また、顕正会有力幹部と石山有力法華講幹部との交友はすでに指摘されています。つまり、会員には互いに争わせておき、上層部ではよろしくやっているという実態があるわけです。このような欺瞞が愚直でしょうか(この点は実名は挙げません。必要があれば、個人的に問い合わせていただければ、具体名を挙げて説明します)
もし世雄会HPの表現が拡大解釈であるとすれば、問題点を考慮せず、単に愚直であると言うことも拡大解釈の範疇に過ぎないと私には思えるのです。
39
:
顕正居士
:2002/08/22(木) 13:53
世雄会
"Whois"で検べれば、世雄会サイトの代表者及び事務所の所在地がわかります。
横浜ですから、近所なら住所まで行って見るのもよいんでないでしょうか?
「信脈水」を販売する会社のサイトで、業種はディスカウントショップです。
わたしの印象では(現・元)顕正会員による(とんでも)商売のサイトかと。
カルト教団が霊感商法をはじめることはありますが、教団の名や教義を隠す。
このサイトは顕正会浅井会長の講演を多数コピーしています。顕正会員を
ターゲットにした商売のつもりでないか、と見える。
40
:
犀角独歩
:2002/08/22(木) 16:56
世雄会については、しかるべき手段で正式に調査します。
41
:
あ
:2002/08/23(金) 00:26
顕正居士さんの言ってることが、いちばん、ありそうに思えてきた。
「信脈水」って、ただのミネラルウォーターじゃないですね。ガン、アトピー、糖尿病、精神病、何にでも効く水。
ワラにもすがる思いで、この水を買ってる人がいるはずですよ。
大儲けしている人間がいるんだろうなあ。そうなると、かなりヤバい話ですね。
Kmen なんて、カワイく思えてきたね。
42
:
犀角独歩
:2002/08/23(金) 04:47
> 世雄会…「今後の予測」…「第一予測」〜「第五予測」というおちゃらけたコンテンツ
これらはたしかにおちゃらけたコンテンツに違いありませんが、しかし、広宣流布、国立戒壇を建てないと国が亡ぶなどと言うことや、浅井さんが予言めいたことを言うののは、一般人からすれば、すでに充分におちゃらけたことと映じている事実とは思えませんか。
> 顕正会の主張…拡大解釈…異常な団体…世に見られるべく
拡大解釈などしなくても、子どもたちを煽動して、紙切れ1枚にサインをし、数珠・経本を買わせ、一度勤行するだけで入会と見做すような勧誘方法は、一般的には異常団体と映じるものです。
> この程度の<謀略>が見抜けない「研究者」の研究レベルであれば、わたしとしていささか心もとなく思う
故に、この研究者批判まるで的はずれです。
仮に世雄会が顕正会の拡大解釈であるにせよ、拡大解釈されない顕正会そのものが、既に充分に異常集団であると認識されています。
顕正会については、被害者親の会が10年近く前から結成されており、年間1000名以上の方々が悲痛な訴えをしている事実があることをを、現役信者であれば、厳粛に受け止めるべきではないでしょうか。
43
:
犀角独歩
:2002/08/23(金) 05:21
>信脈水…買ってる人がいるはず…
そうでしょうかね。戒壇の本尊の絶対を信じる人間が水にすがったり、買ったりするでしょうか。私は、この点はどうも納得できません。
仮に顕正会員を狙った商売であるとすれば、浅井さんのお墨付きでもない限り、こんな水を買う顕正会員がいるとは私にはどうにも思えません。
また、これはあさんに対するコメントではないんですが、こんなインチキな商売に顕正会が利用されているとして、なんで当の顕正会は見ぬふりをするのでしょうか。「顕正会はインターネットに関与しない」では説明はつきません。実際にインターネットに絡んで資格喪失者を出している事実があるからです。
もし顕正会にとって、世雄会が謀略集団であるとすれば、当の顕正会がこの団体について、学会に対するように徹底抗戦を仕掛けるべきでしょう。愚直だから見ぬふりをするなどあり得ないことです。
一例を挙げると、沖縄ダイビングスクールで顕正会の勧誘が行われており、その会社が批判の対象になっています。そこは顕正会が経営するわけではないといいます。ここの経営陣は面が割れていますね。少なくとも、この会社のやり方を私は愚直であるとは思いません。顕正会も特に動きを示しません。
黙認すれば、関係を疑われるのは当然のことではないでしょうか。
「謀略集団である実態が見抜けないのはおかしい」というのが櫻川さんの主張の骨子のようですが、では、そのような団体を黙認している顕正会はおかしくないのでしょうか。放任している以上、沖縄のダイビングスクールと同様、勧誘などの功利性を会にもたらし、容認されている見做されるのは当然のことであると私は思います。謀略集団であれば、もっとも怒るべきは顕正会そのものです。
44
:
あ
:2002/08/23(金) 14:53
犀角独歩さん
>そうでしょうかね。戒壇の本尊の絶対を信じる人間が水にすがったり、買ったりするでしょうか。私は、この点はどうも納得できません。
私は顕正会のことについては何も知りません。ですから、皆さんには、全くシロウトの言う事として読んでほしいのですが……
世雄会に顕正会員が居るかどうか、というのは、これは正式に調査してみなければ、わからないことですね。
顕正会は、近年、急激に会員数を伸ばしています(実態はどうだか知らないが)。急激に会員数が伸びるということは、信仰の内実が薄められる、レベルダウンするということではないでしょうか。
事実、「お財布を拾った。功徳だ」なんて喜んでいる会員が増えているわけですよね。
櫻川さんのレスにあったように、世雄会を顕正会と関係がある、と思っている顕正会員がいるわけです。
櫻川さんは「謀略サイトだ」というが、謀略サイトというのが本当だとすれば、そんなサイトを自分たちの仲間と勘違いする、レベルの低い顕正会員が居るわけなんです。
信仰の内実がレベルダウンすれば、ミネラルウォーターなんかにすがる会員も出てくるのではないか、と思うわけです。
なお、顕正会を貶めるための謀略か否か、ということについて、私の考えですが、
世雄会が自分たちの仲間だと思っている顕正会員がいる、ということは、あのサイトの内容は、顕正会員に歓迎される要素がある、ということですね。
kmenなんてのは、顕正会が他の団体と争っていることを知ってる人間は、
「あーあ、やっとる、やっとる」てな感じで、話半分で読んでいるわけです。(半分信じているけど。激笑)
世雄会は、kmenとは違いますね。果たして、貶めるための謀略なのかどうか。
45
:
あ
:2002/08/23(金) 14:59
44は、私の勝手な想像なので、事実として読まないでください。
46
:
犀角独歩
:2002/08/23(金) 15:35
44 あ さん:
お記しのところ、もっともだと思います。
47
:
あ
:2002/08/23(金) 15:53
「謀略集団である実態が見抜けないのはおかしい」
つまり、学者でさえ見抜けないほど、あのサイトは巧みだということですね。
学者の顕正会に対する認識というのは、「おちゃらけ集団」だということがわかりました(笑)
48
:
犀角独歩
:2004/02/22(日) 08:16
突然、気が付いたことがあります。
「御肉牙」というのは抜けた歯に付いた肉が700年経ったいまで生きて成長し続けているというわけです。戸田さんはば脈打って、汗までかいていると言いました。
しかし、そうなると蓮師在世のお弟子達というのはずいぶんと残酷なことを師匠にしたものだと思うわけです。
何故なら、抜けた歯に付いた肉でさえ生きているのに、蓮師が亡くなったと言って、その‘肉’体を火にくべて燃やしてしまったわけですよ。抜けた歯の肉でさえ生きているわけです。肉体が死んでいるはずはない。死んだように見えても実は生きて成長しているのが蓮師の肉であるわけでしょうから。それのに焼き殺してしまった。これはひどいことをしたものだと……
もっとも御肉牙が本物であればの話ですが。
49
:
祝8郎
:2005/01/23(日) 14:47
「おにくげ」、大石寺の古い読みは「おにくが」ですね。
ちなみに大石寺も、古い大石寺僧は「だいしゃくじ」と読むのが本当だと言っていました。いまでは大石寺の僧ですら「たいせきじ」と読んでいるのだから情けない限りです。
ところで、犀角独歩さんに御伺いしたいのですが、「歯に付いていた肉が七百年増え続けている」というオカルト話を主張する日蓮正宗というのは、「カルト教団」と五〇歩五一歩だと思われませんか。
私としては、彫刻本尊の国宝化運動とともに、大石寺僧俗や顕正会が「御肉牙」の「世界遺産」認定推進運動を起こさないのが不思議で鳴らないのですが、どうでしょうか。
50
:
犀角独歩
:2005/01/23(日) 15:18
> 49
気が合いますね。投稿して、ページが更新されたら、同じようなことが投稿されておりました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/1115
これは「おにくが」と読んでいたのですか。
「御生骨」なんて言い方もありましたね。
また、「だいしゃくじ」ですか。創価学会では、昭和40年代ぐらいまでは「だいせきじ」と呼ぶ人が多かったと記憶しています。
上古は「おおいしのてら」というところでしょうか。
51
:
真実 探求者
:2005/01/25(火) 20:41:13
前略: 、、言いたい側のお気持ちはご理解いたします。 旧オーム教の裁判の詳細を見ますと「、、最悪=殺人、」といえども、「宗祖?=浅原の為なら、」=「、殺人も許される?、」、と、思った、?様です。 これと同じ?事が、現在進行形?の形で某S会?に於いても内部的に進んで?居る様です、。 お互いに、エセ本尊?の害毒と洗脳の害毒?には、くれぐれも、、。、です、。
、」事前にカットしたいものです。
52
:
犀角独歩
:2005/03/08(火) 11:17:25
つぶやきしろさん:
大石寺信徒さんさん:
「『おにくげ』について教えてください」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015567021/l100
まずは、こちらでお願いします。
オカルト信仰の代表、御肉牙に関する法華講員、大石寺信徒として、この実否を投稿してください。
53
:
つぶやきしろ
:2005/03/08(火) 17:34:03
まずは忙しさにかまけて書いたまま覗かなかった事をお詫びします。
貴方に二度程答えていただいたので私も前半に少々答えさせていただき後半、スレッドに沿って答えさせてもらいます
怨嫉について笑ってましたが、普通、会社なり組織なりを辞めるときには【理由】があります現在の貴方がそうだと言うのではなくそこから始まり(講員だった頃既に我慢偏執があった?)今日に至ってると言ったまでです。ない!と言いながら「石山の僧侶だけにはなりたくない」という言には説得性はありませんけど
戒壇様の真偽についてもまだ何も結論はでてません。にもかかわらず偽だと言い張る処に貴方の真意が見え隠れするのです戒壇様が偽でなければ困るのでしょう?
仮に大石寺から図解の説明がありまさしく別物と判明して戒壇様が本物であっても貴方はまた別の疑難を投げ掛けるのでしょう。(どこかの組織に似ている)本物である可能性もあるのですよ
オカルト教団だと言ってますがオカルト現象をもって教義とする処をオカルト教団というのですよ誰かがそういう風に見えたからといってなんら問題はありません
そんな次元で信仰していない事は貴方もよく知るところでしょう。
管理人さんにはお世話かけた様なのでお詫びします
54
:
一談家
:2005/03/08(火) 23:08:58
大石寺の本門戒壇の板曼荼羅、大御本尊様が、蓮祖が建立されたという可能性は、私はほとんど無いと思います。少し前までは、幾らか可能性が有るかな、と思っていましたが、歴史上に書き止められた戒壇板曼荼羅に書かれている内容に変遷が有る事を知るに及んで、殆ど皆無に近いな、と思うようになりました。本物である確率は0.01㌫位かな、私の中では。
お肉牙も、日顕上人のお座替わりの時に参加しましたが、日顕上人が見張っていたので、近づいて見ることは出来ませんでした。何かしら小さな物体が、真綿の上に置かれた小さな透明カプセルに納められているのを確認できたのみです。肉が盛り上がっているかどうか、なんて、到底判る様な距離では有りませんでしたね。「なんと不親切な、どうせ見せるのなら、もっと近くで見せればよいのに」と思いましたが、それも、日顕上人様の老婆心なんだったのかなぁ、と思う今日この頃です。
55
:
一談家
:2005/03/08(火) 23:18:42
訂正
× 真綿の上に置かれた小さな透明カプセルに納められているのを確認できたのみ
○ 真綿の上に置かれた小さな物体が透明カプセルに納められているのを確認できたのみ
56
:
犀角独歩
:2005/03/09(水) 08:19:08
53 つぶやきしろさん:
まず、ここは「おにくげ」のスレッドであり、わたしは700年前に生体から分離した肉が生きているのかと、問うているのです。
スレッドの趣旨に添わず、答えもしない、このような態度を不誠実と言います。
もう一度、問います。「御肉牙」と称するものは生きているのですか。
これが、ここのスレッドで議論するすべてです。
それにもかかわらず、まったく違うわたしの悪口に終始して逃げ回っている。これがあなたの正体でしょう。
以下、ここのスレッドに関係なく、もっと言えば、人が悪口を書くことは、当掲示板のどこにも、そんなスレッドはありませんが、自分のことに係ることなので、その点だけは書いておきましょう。
> 怨嫉…「石山の僧侶だけにはなりたくない」
そうですか。では、聞きますが、あなたは身延派の僧侶になりたいですか、信者になりたいですか。もし、なりたくないと答えるとき、それは「怨嫉」によるのでしょうか。
わたしが石山信仰を捨て、そこの僧俗になりたくないというのは真実に基づく選択です。
当掲示板は、真実を見極めるための議論の場です。
それをあなたのように、議論するわけでもなく、事実証拠を提示するわけでもなく、自分ノン信念体系にそぐわない相手に対して、悪口だけを書き連ね、難癖を付けること、このような態度を「怨嫉」というのです。事実の前に事実を認められず、その事実を解く人を悪く思う心、これが「怨嫉」です。つまり、人のことではなく、「怨嫉」にもとづいているのは、あなた自身でしょう。
> 戒壇様が偽でなければ困るのでしょう?
何故でしょうか。本物であれば、けっこうなことであると思います。
何故、偽物であるとわたしが困るんでしょうか。
> 本物である可能性もあるのですよ
ですから、その可能性は、どのような点にあるのかを話し合うのが議論でしょう。
本物である可能性を以下のスレッドで論じてください。
本門戒壇の大御本尊様の偽作説について
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/
> オカルト教団…次元で信仰していない事は貴方もよく知るところでしょう。
そうでしょうか。700年前に生体から分離して肉が生き、成長し続けているなどと主張して憚らないことをオカルトというのです。
この点、逃げ回らず、ちゃんと回答してください。生きているのですか。
57
:
犀角独歩
:2005/03/09(水) 13:00:40
一談家さん、以下、スレッドに移動してレスさせていただきました。
『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/
58
:
犀角独歩
:2005/03/09(水) 13:59:03
【53の訂正】
誤)自分ノン信念体系
正)自分の信念体系
誤)何故、偽物であるとわたしが困るんでしょうか。
正)何故、偽物でないとわたしが困るんでしょうか。
59
:
大石寺信徒
:2005/03/10(木) 00:20:46
御丁寧なレスを一先ず感謝申し上げます。
貴方が700年以上も前の人骨(歯肉)が本当に生体活動をしてるか、の答えを大真面目に聞く方には見えませんが、
御肉牙について「生きているか?」との答え。
「生きている訳がない」でしょう。
この答えを聞きたかったのでしょうか?
戸田氏がどのように伝えたか存知しない訳でもありませんが、氏の言を肯定しうるほど、又当方も氏に傾倒しておりま
せん。これまた不誠実と云われかねましょうか。
唯、富士大石寺明細誌の什宝に記されている、
一、日蓮聖人肉附の御歯一枚
御生骨と称す、蓮祖の存日生歯を抜き血脈相承の証明と為て之れを日興に賜ひ事の広布の時に至らば光明を放つべきな
り云云、日興より日目に相伝し代々附法の時之れを譲り与ふ、一代に於て只一度代替蟲払の尅之を開封し奉り拝見に入れ
しむ常途之れを開かず。
日蓮正宗御尊師、否、法華講諸氏も目にする機会は存知の通り二大法要の一つ「霊宝御蟲払法要」のみでしかありません。
さらに大客殿にての奉修の為、遠方遥か彼方から垣間見る「御肉牙」に、生体反応の有無など判断しようがないのは重々
承知であられましょう。
しかし750年歴史の彼方から、末法御本仏日蓮大聖人様生身の肉体の一部が、平成のこの世にあると、
これを御法主上人猊下が仰っているのなら、それに手を合せ、題目を唱えるのが信徒であると申しておきます。
何も近年そこそこ始まった事ではない、石山の歴史からそのようになっている。
それが近年蔓延るカルトだセクトだと思うならば山を降りればよろしい。
科学的に理論的に如何こうなどと、山を降りた者に対し「誠実に」などこちらが解かれる所以は何一つない。
大きなお世話である。
これが不誠実ならば、誠実とは何か。
石山ネタを、はたまた本門戒壇の大御本尊様に関し、御丁寧に出版し世に出し、実名どころかニックネームだハンドル
ネームだ大上段に構え経済活動をし、我が物顔で御尊師方の実名までネットに出し、御尊師の本名だと知らなかったよろ
しく、やれ訂正?なにおかいわんや、あきれ果てた言であると言わずにはいられない。
さて、当方も何点か質問をしたいのですが、誠実さを売りにされているようなので、しっかり御見本としてお答え頂きたい。
・〜1386、1382 名前: 犀角独歩 投稿日: 2005/03/08(火) 00:42:19〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それから、わたしは教学部長や、教学部のことはよく知っておりますよ。
犀角独歩という名は石山、殊に教学部はよく知るところでしょう
「教学部長や、教学部のことはよく知って」というのは、わたしが一方的に知っているというのではなく、向こうもよく知っ
ていると言うことです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とはどういう事なのでしょうか。その根拠を先の投稿でも記したはずです。お答え願いたい。以上。
60
:
管理者
:2005/03/10(木) 07:32:16
大石寺信徒さん
「さて、当方も何点か質問をしたいのですが、誠実さを売りにされているようなので、しっかり御見本としてお答え頂きたい。『それから、わたしは教学部長や、教学部のことはよく知っておりますよ。犀角独歩という名は石山、殊に教学部はよく知るところでしょう「教学部長や、教学部のことはよく知って」というのは、わたしが一方的に知っているというのではなく、向こうもよく知っていると言うことです。』とはどういう事なのでしょうか。その根拠を先の投稿でも記したはずです。お答え願いたい。以上。
本人が本人情報を開示するかどうかは、ネットに於いては、自由意志によるべきと考えます。 誠実か不誠実かという問題では無く、危険か安全か、という問題です。公開の場で本人を特定出来る情報を本人が開示する事については、当掲示板は禁止してはおりませんが、あくまでも本人の自由意志を尊重して下さい。公開しないから不誠実だとか、公開したから誠実だとか、そういう事柄では無いと管理者は考えております。決して、開示を強要なさらないで下さい。
文面から、強要されているかに受け取れる内容でしたので、一言、ご注意申し上げました。宜しく御理解賜りたく存じます。
61
:
犀角独歩
:2005/03/10(木) 11:38:11
59 大石寺信徒さん:
大石寺において「霊宝随一」と称され、阿部さんの登座にも開帳した、所謂「御肉牙」が、「生きている訳がない」との見解、けっこうなことであろうと思います。
当スレッドは、この「おにくげ」を問うスレッドですので、大石寺信徒としての発言として、本当に大石寺信徒であれば、評価に値するところでしょう。
では、あなたの誠実さに基づいて、阿部さん並びに、指導教師、教学部にその見解を実名で通知されては如何でしょうか。それとも嘘だと知っていても、「猊下」がそうだといえば、それに従うのでしょうか。それを誠実と考えるわけでしょうか。
あなたは「御肉牙が生きている」ということを、あたかも創価学会・戸田さんに責任をなすりつけていますが、「御生骨」の名が示すとおり、その主張は責務は一人石山にあります。たとえば、先に門引用した尾林日至氏監修による『法華講随感』にも「お肉牙(御正骨)の一項を設け、
「【お肉牙】は広宣流布が近づくにつれて、次第に御肉が隆起していく御姿があるのであります。つまり、七百年有余年、この方そして、将来も生きて在しますのであります。それ故、古来、当家に於てこの【お肉牙】のことを【御生骨】とも申し上げているのでございます」(P85)
と、石山能化の監修責務を持って記されてあります。著者・市原氏は同じ大石寺信徒でありながら、あなたとはまったく逆の主張を、それも他組織のかつて長の責任に転嫁することなく堂々と述べています。
以下、スレッドから外れますが、致し方なく、申し上げておきます。
あなたの目的はわたしの実名をここに公表することとお見受けします。あなたの言を借りれば、「御見本としてお答え頂きたい」ということになりますが、ご自分のなさらないことをどうして、人に迫るのでしょうか。
また、教学部との関与が気になるのであれば、当の教学部(長)に直接、お聞きになったら如何でしょうか。ここに公式の教学部見解を発表し・われわれと議論するように促してください。
もし、教学部がわたしのことを知らないと言うのであれば、わたしが同期間から請け負ったこと、また、それに伴う公的証憑資料、さらに受け取った録音テープその他の証拠、請け負って作製した文章資料などをここに呈示し、教学部と議論することといたしましょう。
しかし、あなたの言葉を使えば「ニックネームだハンドルネームだ」で問いかける、また、当の教学部の関係者でもないあなたに、一々、そのような資料、また、実名を示す謂われはありません。
なお、当掲示板は実名開示の義務を負わされておりませんので、わたしは、その掲示板ルールに従います。ただし、公式の学術上の研究発表などでは、その限りではありません。
さらに言えば、わたしのことを知らないわけがないと記したのは、学術機関での研究発表で、わたしは実名で発表し、その場所に集った(日蓮正宗)富士学林を名乗る大石寺僧侶と質疑応答をしたからです。個人名ではなく、石山の機関名を名乗っての質問です。また、それに対して、当然、わたしは実名で応じております。つまり、このことは、石山に報告され、当然のこととして、教学部にも通知されたと判断したからです。
一点、書き加えれば、世に評論家、研究家、作家と称される職業は数多ありますが、それぞれ一切、特に実名発表が、誠実であるとは言われません。ペンネームで記すことは、世間的に認知されていることです。わたしは、このルールに従ったまでで、ペンネームで発表することが不誠実であるなどと言う、あなたの勝手な主張は頷けません。
わたしのペンネームはスッタニパータ蛇の章「犀の角」のシャキャムニの言葉として「犀の角のように独り歩め」から採ったものであり、このペンネーム自体が、わたしの主張の主軸をなしていますので、この名を使って世に問うているのです。実名を隠すことに目的があるわけではありません。
なお、高橋粛道氏は、その名前で実際に出版をされているわけですから、その名前をここに記したまでです。しかし、そのことについて、同氏から異論を示されるのであれば、もちろん、それに応じる用意はあります。また、その取り消しを管理人さんから求められれば、その削除にも応じます。しかし、第三者であるあなたに言われる筋合いはありません。
以上です。
62
:
犀角独歩
:2005/03/10(木) 15:19:24
もう、一言。
> 近年蔓延るカルトだセクト
そうは、言っていません。
生体から分離した肉が700年以上も生き続けているなどと主張することはオカルトだと言っているのです。
> …山を降りた者…大きなお世話である。
これは逆も真でしょう。山から下りず、その中に閉じこもって、答えようともしない者に言論封鎖をされるいわれはありません。「大きなお世話」とは、こちらのセリフです。
山を下りた以上、とやかく指図されるいわれはありません。
だいたい、当掲示板は、石山・法華講が運営するものでも何でもありません。
そこに土足で入り込み、山を下りた下りないなど言われる筋合いはありません。
また、石山は、国家から承認された宗教法人として、経営をし、公式に出版もし、この日本という国家で主張をしているわけです。ですから、その主張に対して、自由に意見を述べることは国家が保障する自由です。言論の自由を法が保障する日本にあって、言論を封鎖される違法行為を応じる気は毛頭ありません。
> 大上段に構え経済活動
800万人から500億円に上る金銭を集めたこと、奉安堂を建立して内拝料を取ること、宗教法人として活動し供養を募ること、その他宗教典礼を行って利益を得ること、その責任役員をして所得を得ることはれっきとした経済活動です。そのような経済活動をやっているものに、本を書いて販売したことを大上段に構え経済活動などといわれる筋合いはありません。そのようなことは、山の経済活動を一切否定したうえで言ったらどうでしょうか。
また、出版が駄目であるというのであれば、『大日蓮』『大白法』という大上段に構えた出版に基づく収益事業(経済活動)を、まず批判したらどうでしょうか。
自らは実名を明かさず・実名を迫り、経済活動をし・膨大な金銭を徴収してきた宗教法人に所属しながら・他の経済活動を否定する、大石寺信徒さん、あなたのということの一々は点に唾する発言で、唾棄した唾は、一切、あなたにかかるものです。
繰り返しますが、ここは「おにくげ」スレッドです。
大石寺信徒も「生きている訳がない」ものを、「生身の肉体の一部が、平成のこの世にあると、これを御法主上人猊下が仰っているのなら、それに手を合せ、題目を唱えるのが信徒」という異常事態を、どのように考えるかで、議論を継続することといたしましょう。
63
:
犀角独歩
:2005/03/10(木) 15:59:41
生きている訳がない「お肉牙」と生きていることとして扱うことに従ってしまうのは何故か。
以下、ミルグラム師、チャルディーニ師の分析から拾ってみます。
■『服従の心理』(河出書房新社)スタンリー・ミルグラム
「居心地のわるい事態を避けるためには、まだしも服従の方が耐えやすいと多く(略)が思う」
「服従しつづけるのは何のためであろうか?第一に……その場に釘付けにする拘束要因がある。礼儀を重んずる気持ち……手助けをするとの最初の約束を守りたい気持ち、途中で投げ出すみっともなさ、など。第二に、一連の思考調整が行われ、権威と決裂しようとする……決心をにぶらせる」
「人間がつくった組織を、あたかも人間の力を越えたところに存在し、人間の気分や感情ではどうにもならないものであるかのように扱う人たちがいる。組織や制度の背後にある人間的要素は否認される」
「服従は、不平等な人間関係から生じ、かつそれを存続させる。したがって、その究極の表現において、ファシズムの理想的な規制メカニズムである。人間の不平等を基礎としている政府の哲学が、服従の絶対的美徳に高めるのは、論理的以外の何ものでもない。服従行動は、ヒエラルキー社会構造の情況のなかではじまり、その結果、上位の者と下位の者とのあいだで行動が区別されるようになる。上位グループと下位グループの概念を強調し、さらに、ブーツをカチッと鳴らして即座に命令を遂行する迅速かつ印象的な誇り高い服従を重視することが、第三帝国のトレード・マークであったのは、偶然ではない」
■『影響力の武器』(誠信書房)ロバート・チャルディーニ
「機長症候群(Captainitis)……連邦航空局の事故調査官は、機長が犯す明白なミスが他の乗員によって正されず、その結果航空機が墜落してしまうことが多いと指摘しています。(略)乗員は、『専門家がそう言うなら、正しいに違いない』という簡便法を使い、破滅へ至る機長のミスに注意を向けたり、それに反応することを怠ってしまった」
「エマーソン『自持論』…『馬鹿げた一貫性は、つまらない政治家や哲学者や聖職者があがめる、偏狭な心に住む子鬼である』」
「権威者と認められた人からの情報は、ある状況でどのように行動すべきかを決定するための貴重な近道を提供してくれる」
「権威者に服従することによって多くの賞が得られることが一度わかると、私たちはすぐにこの便利な自動的服従に頼るようになってしまいます。盲目的な服従に対してこのような賛美と呪いが同時に存在することこそ、盲目的服従の機械的な性質を表すもの」
64
:
一談家
:2005/03/10(木) 16:19:49
大石寺信徒さん
>しかし750年歴史の彼方から、末法御本仏日蓮大聖人様生身の肉体の一部が、平成のこの世にあると、これを御法主上人猊下が仰っているのなら、それに手を合せ、題目を唱えるのが信徒であると申しておきます。
これはいただけませんね。「『生きている訳がない』でしょう。」とお生骨を否定しつつ、「御法主上人猊下が仰っているのなら、それに手を合せ」るというのは、信仰ではなく、面従腹背の典型だと私は考えますから、そういう事はしません。
私は、日蓮正宗の末寺に所属し、日々、日顕師が書写されたお形木御本尊様に向かって五座三座の勤行をしています。大石寺信徒の端くれです。
だけど、御戒壇さまは、日顕師が仰った通り、偽物だと思っています。そして、ご生骨なんて、有りえないと思っています。そういう人間もいる事をお忘れなく。
65
:
つぶやきしろ
:2005/03/10(木) 20:53:47
不誠実だの逃げ回るだの人聞き悪いことこの上ありませんね。(笑)
おにくげ、おにくげおっしゃっておられますが
前レスであまりに短く纏めたのでお気付きにならなかったようですね。 おにくげに限らず大石寺には数々の【伝説】がありその奥底は在世にお会い出来なかった下種三宝への渇仰恋慕と広宣流布大願成就の思いによるものであります
この【伝説】なり【言い伝え】はあまり法華講員には知られてないで行事等で初めて聞く人も多いですが
どちらにしてもこれらを各々がそれぞれに捉えてもなんら信仰上問題はありませんと申し上げたのです
ですから大石寺信徒さんが「猊下がそういうのなら拝して手を合わせる」よろしいのではないでしょうか
貴方に言論の自由があるように大石寺信徒さんにも信教の自由はあるのでは?
私に生きているか?と尋ねられれば「生物学的には生きていない」と、お答えしておきます。
それといろんな法華講の人がおられるなぁ
大原簿記学校に調理師の免許取りに行ってるようですね。
ここは富士門流の掲示板ですよね管理人さん
各々がそれぞれの信仰から疑問や真実を研究し了解、氷解したらまた各々の信仰に帰りはげむ
そういう処ではないのですか?違ったら私の認識不足ですが
拝見しておりますと知らず知らずに心が濁って純粋な信仰に程遠く常に物事をうがった見方しか出来なくなる危険があります。それは富士門でもない破仏法、破信仰の人がおり少しずつ彼の世界に誘導されてる様にお見受けしたからです
人生は短く、(明日死ぬかも)疑難と非難で終ってしまっては何の為の信仰かわかりませんので私は自身の信仰目的の為に今しなければならない事が沢山ありますのでこれきりにさせていただきます
掲示板と管理人さんのご健勝をお祈りいたします
66
:
管理者
:2005/03/10(木) 21:46:21
つぶやきしろさん
>各々がそれぞれの信仰から疑問や真実を研究し了解、氷解したらまた各々の信仰に帰りはげむ そういう処ではないのですか?違ったら私の認識不足ですが
そういう場として当初この掲示板は立ち上げられましたが、「了解、氷解」どころか、真実を研究すればするほど、各々の信仰に帰れなくなってしまった。管理者としては、この掲示板は、真実に到る長い長い道程にあると思っています。
>私は自身の信仰目的の為に今しなければならない事が沢山ありますのでこれきりにさせていただきます
それはそれは。どうもご期待にそえなかった様で、残念です。お疲れ様でした。
67
:
犀角独歩
:2005/03/10(木) 23:17:28
65 つぶやきしろさん、撤退ですか。それは残念ですね。
しかし、わたしの先の問いにはまったく答えられなかったですね。
> 下種三宝
この考えは蓮師とは関係のない石山の捏造ですね。
> 大石寺信徒さんが「猊下がそういうのなら拝して手を合わせる」よろしい
閉じた組織内で言うのは、勝手です。しかし、外に言えば、「そんなことは嘘だ。オカルトだ」というのは当然の反応です。
たとえば、
「浅原彰晃御尊師は最終解脱者であり、空中浮遊ができる」
「御法主上人猊下は唯受一人であり、 お肉牙は生きている」
同レベルのホラ話と映じるのが世間です。
それが真実であるといい、他者に折伏をするのであれば、そこに責任が生じると言っているのです。このような責任を果たすことも言論の自由に含まれることでしょう。
> 大石寺信徒さんにも信教の自由はあるのでは?
あるでしょう。あるから、堂々と「お肉牙が生きている証拠」を呈示すればよろしいでしょう。
> 私…「生物学的には生きていない」
それは嘘ですね。
> 富士門でもない破仏法、破信仰の人がおり少しずつ彼の世界に誘導
どこをもって、富士門というのかで議論は離れますが、およそ、あなた方の信仰は蓮興目三祖からかけはなれた破仏法・破信仰であるから論究しているのです。
> 疑難と非難で終ってしまっては
ここであなたがやったことはまさにそのようなものでした。
なんら、見習うべき信仰を示すわけでもなく、事実の証明もできなかったのですから。
」独り善がり」で自爆したとお見受けしました。
ご苦労様でした。こちらとしてもなんら参考に供することはありませんでした。
68
:
愚鈍凡夫
:2005/03/11(金) 00:33:10
横レス失礼します。
つぶやきしろさん、残念です。
まぁ、信じる者は救われるの世界もいいですが、歴代法主がどう考えたかではなく、蓮祖がどう考えたかという発想も心の隅に置いていても罰は当たらないと思います。
大石寺信徒さんもそうでしたが、実りある投稿を期待してROMしていたのですが、残念でした。ご自身の信仰を大切にして下さい。
但し、他人の信仰には干渉なさらないようにお願いします。
それで、あの「御生骨」が蓮祖自身の物であるというのは、物証の世界ではなく、信仰の世界の問題なのでしょうか。
69
:
犀角独歩
:2005/03/11(金) 08:42:49
68 愚鈍凡夫さん:
「ある状況でメンバーがどう考えるかを支配する。カルトの決まり文句または『詰め込み言語』は、また、信者と外部の人々の 間に見えない壁をつくる。詰め込み言語は、メンバーたちが自分を特別だと感じるのを助け、彼ら を一般大衆から引き離す。詰め込み言語はまた、メンバーが何のことを話しているのか理解したいと思っている新参者を混乱させ、真理を『理解』するためには自分はひたすらもっと勉強しなけれ ばいけないのだと思わせるのに役だつ。実際は、詰め込み言語を身につけることで、彼らはいかに【考えない】かを学ぶにすぎない。彼らは、理解するとは信じることだということを学ぶ」(『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版 P118)
というハッサン師の分析は、この集団がカルトというわけでもなくても、石山信徒にも当てはまるところでしょう。
彼らは「御法主上人の仰せのまま」と、人間の最も崇高な精神作用、「自分で考えること」を放棄するように操作されています。
ここでは、自分の考え、なおさらのこと、自分たち以外の人間の考えることを、何も考えることなく「悪」「間違っている」と決め付けています。
「もしだれかが絶対主義的あるいは全体主義的な真理観を持つと、彼にとっては、その光を見ていない人、つまりその真理を受け入れていない人は、ある意味で闇の中にいるのであり、悪と結合しており、汚れており、存在する権利を持たない。ここには『存在』と『無』という二分法が働いている。正当な存在は邪魔するものは押しのけられ、あるいは滅ぼさなければならない。存在する権利がない第二の部類に入れられた者は、心理的に内面の死滅または崩壊というすさまじい恐怖を経験する。しかし逆に受け入れられた場合には、自己をエリートの仲間と感じる大きな満足感がある」(同P377)
とは、リフトン師が言った「存在の配分」をさらに説明したものですが、実に明快なものであると思います。
まさに、ここ一連のやり取りは、このようは存在の配分に陥った者と、自由思考を取り戻した側とのやり取りであったわけでしょう。そこで、どちらが「正常」であるの基準は、われわれは科学・社会一般に求めますが、彼らの判断は一人石山の独りよがりの勝手な主張にあるわけですから、ここでは交わるところがありません。
わたしたちが、ここで、一体、何が真実かを議論し・論究していても、そんな文章はまるで目に入らないし、理解できないでしょう。彼らにとって、できることはただ一つ。自分たちの信仰が正しい、故にそれに異論を述べることは「悪」であるという判断のみです。我々は自分たちが正しいことを証明するために、数々の挙証を示し、その説明を加えます。しかし、相手は、「正しい」ことは与えられて動かないものとなっているし、それがまた、何故正しいかはわからないままにただ「信じることが正しい」と操作されているだけですから、何も答えることはできないわけです。できるのは外部は「悪」と操作された心理作用・憎悪することでしょう。
投稿された文章を読めば即断できるように、当初から悪と決め付けて、書き出しています。このような状態をハッサン師は「思考停止」と呼んだわけでしょう。信者は、常にこのように操作されていますから、「蓮祖がどう考えたか」という答えは自分たち考え出すことを放棄させられています。「どのように考えるのか」という解釈を与えられ、それを疑いなく信じることが正しい訓練されています。換言すれば、自分で考えることを、放棄するように操作されている以上、愚鈍凡夫さんの慈愛に満ちた進言は、残念ながら、意味を持たないかもしれません。
70
:
愚鈍凡夫
:2005/03/11(金) 13:48:54
犀角独歩さん、レス有り難うございます。
小生は、日蓮の名を冠する宗教であれば、宗祖の言葉こそ歴代法主の「釈」よりも優先されるべきだし、そこに立ち返ることが日蓮教団統一の第一歩であるように思います。
71
:
犀角独歩
:2005/03/11(金) 13:59:45
70 愚鈍凡夫さん:
> 日蓮の名…宗祖の言葉こそ歴代法主の「釈」よりも優先…日蓮教団統一の第一歩
ご意見に賛同します。
また、「統一」と言う言葉でも同義であろうと思いますが、蓮師が逝去に際し、もはや、筆も持てない、花押すら書くことのできない衰弱のなかで最期の渾身の力を絞って、定めた六人の弟子が、その遺言の通り一つなる第一歩なのであろうと、わたし拝します。
72
:
愚鈍凡夫
:2005/03/11(金) 15:34:13
犀角独歩さん、ご賛同頂き有り難うございます。
ところで、
一般信徒が例の「お肉牙(御正骨)」を拝観できる可能性が最も高いのは、「御虫払い法要」の時ですよね。「御虫払い法要」の記録で残っている最古のものは、第14世日主師の時代(1573(天正1)8月19日)だそうですが、そもそも、この時代に「お肉牙」は存在したのでしょうか。
というのは、日量師が「富士大石寺明細誌(宝冊)」を著したのが1823(文政6)年5月ですから日主師の「御虫払い法要」との間に250年の開きがあるわけです。大石寺の「お肉牙」初出の文献が宝冊だとすると、これは何を意味するのかと考えたりします。
ひょっとしたら、昭門に伝わる伝説のパクリだったなんてこともアリえるのかも知れませんね。
「お肉牙」・・・・・。やっぱ、日蓮正宗って「密教」かな・・・・・!? ( ̄Д ̄;;
大石寺の「御虫払い法要」が今の毎年4月の定例行事となったのは大正時代からとのことですが、そもそも「お肉牙」が一般信徒に公開されるようになったのは、いつ頃からなんでしょうね。
御虫払い法要
http://homepage2.nifty.com/honshoji/activities/omushibarai/omushibarai.htm
73
:
愚鈍凡夫
:2005/03/11(金) 16:01:54
訂正
誤→御正骨
正→御生骨
です、悪しからず。 m(_ _)m
ところで、1956(昭和31)年1月31日の本部幹部会にて戸田さんが、
「このお肉は、しだいにふえて、歯を包んでいる。私が最初に拝んだ時は六百五十年遠忌の時であります。その時には、このくらい、マッチ棒の先ぐらい、お歯が出ていたが、他の部分はほとんど包んでいた。次の機会には私は行かれず、先代の牧口先生が行かれたが『まだ包まってはいないが、上のほうにイボのようなものが出ていたよ』と言われた。ところが、七百年祭の時、拝んだが、歯はすっかり包まっていたのです。ただ、裏のほうの歯が見えていた。裏はまだ包まれていなかった。今度はどうなったかわかりませんが、これがですね、ガラスの中に入れてあり、それを金で作った宝塔の中に入れ、それをまた箱の中に入れ、それを、もう一つの箱の中に入れ、長びつの中に入れてある。なにも御飯などあげるわけではないのですが……。たしかに生きている。まことに不思議である」
と、発言したそうですが・・・・・。 (^▽^;)
「お肉牙に御飯をやったら、食うのか?」
と、突っ込んでみたりして・・・・・。 ( ̄Д ̄;;
74
:
彰往考来
:2005/03/11(金) 17:25:36
>愚鈍凡夫さん
『富士年表』(昭和56年、富士学林、201頁)元亀4年に
「8.19 日主 霊宝虫拂を修す(8-43)」
とあり、霊宝虫拂の記録は『富士宗学要集 第八巻』(昭和53年、創価学会、43頁)に
「御筆(大聖人)数十二通、御筆の大本尊一包同く三包。」
とあります。蓮租のお手紙が12通、“包”とありますからお巻きした蓮租の御本尊が4幅という内容でしょう。
エッ! たったこれだけ?
75
:
犀角独歩
:2005/03/11(金) 17:28:24
『祖師伝』(石山13代院師)を見ると
「霊宝等残らず頂拝す、中にも日本第一の板御本尊、紫宸殿の大曼荼羅、病即消滅曼荼羅、其の外曼荼羅数幅、御書八幡抄一通関東紙三十九丁次御消息十行廿行五行十行或一紙二紙御判形の有る斗りも十五枚等、長さ一尺五寸余、横一尺余竪八寸斗りの御つゞらとて唐のつゞらの旧りたるなり、興師已来の入物となり、此の中に御正筆計り一盃あり、辰の刻より未の刻に至るまで拝覧し奉るに尽きず、後には巻目を開かず其の儘押し頂き押し頂き申して終り迄頂き奉る、高祖上人の眉間の骨舎利水精の瓶塔に入れて新たに拝見々々」
とあり、ここでは「日本第一の板御本尊」は名前が挙がっていても、「御肉牙」は出てきませんね。永禄3(1560)年の記録とされます。この時は、まだなかったのでしょう。
石山で、この名前がはじめて登場するのは17代精師『富士門家中見聞』でしょうか。
「聖人此歯を以て日目に授けて曰く我に似り問答能くせよとてたまはりける御肉付きの御歯と申すは是なり、(此の御歯当山霊宝随一なり広宣流布の日光を放ちたまふべし」
この記述は明暦8(1657)としてよろしかったのでしょうか。
ここでは、目師直授で記されます。ところが、注意すべき点は、愚鈍凡夫さんが引用された48代量師『大石寺明細誌』との比較で見出されます。
「御生骨と称す、蓮祖の存日生歯を抜き血脈相承の証明と為て之れを日興に賜ひ事の広布の時に至らば光明を放つべき」
「肉附」はさらに念入りに「生骨」となり、さらに目師直授が興師授与に変更されています。同誌の記述はいつ頃と特定されるのでしょうか。1800年代として、約100年の間に目師直授は興目相伝に変わったわけですね。
精師と量師の中間ぐらい、石山では33代元師の頃、明和年間(1764)の人と伝えられる完則の『大石寺宝蔵目録』には「御肉附歯」として載っています。
以上の点から、「御肉牙」は精師の謀りに始まるとわたしは考えています。ただ、それ以前に記録があるかどうか、、れんさんをはじめとする碩学の面々にご叱正を賜れれば幸甚です。
それにしても精師等は、ぴかっと光るのが好きなようで、七面大権現が祀られる修験道の聖地であった七面山の池に彫刻本尊の材となった楠丸太が浮かんだときも光っていたと記述しています(笑)
余談ながら、戸田さんは、本気で御肉牙を信じていたんでしょうか。学校の先生といえば、いちおうの教養人。50年昔というのは、そんな牧歌的だったんでしょうか。
76
:
犀角独歩[TRACKBACK]
:2005/03/11(金) 17:28:45
―75からつづく―
わたしは、肉附歯は昭師門の伝承を真似て作られたものであろうと想像しています。このスレッドの最初のほうで紹介しました。
*** 以下転載 ***
7 名前: 犀角独歩 投稿日: 2002/07/19(金) 19:56
歯の譲りについては、過去ログ3でnbさんが指摘しているように、他門にも見られます。もっとも、こちらは御“生”骨ということではないようです。
遺跡之事
…
一、聖人御歯二粒者 御存生之時 親自聖人之御手所賜也 夙夜可成向顔之思 云云 然則於二粒所在者成御存日之思而号日昭弟子之人者深可奉尊重若令違背者非遺弟矣
…
文保元年十一月十六日 法印 日昭 在判…
遺跡のこと
一、聖人の御歯二粒は御存生の時、まのあたり聖人の御手より賜るところなり。夙夜(しゅくや)に向顔の思いをなすべし云々。しかればすなわち二粒の所在においては、御存日の思いをなして、日昭の弟子の人と号するは、深く尊重し奉るべし。もし違背せしむるは遺弟にあらず。
文保元年(1317)11月16日
(日宗全・昭尊之部 P12)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015567021/r7
*** 転載おわり ***
このあとに、一字三礼さんが投稿してくださった内容は興味深かったですね。
*** 以下転載 ***
8 名前: 一字三礼 投稿日: 2002/07/19(金) 21:56
私の祖母は、御座替りの時に見たといっていましたよ。
最初の時は、赤い肉(歯茎?)が今にも“歯”全体を覆いそうだったとか。
その次の御座替りで見た時は、歯茎の肉が金色になっていたそうです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015567021/r8
*** 転載おわり ***
わたしは彫刻本尊の時代時代で複数存在していたという仮説を立てているわけですが、戸田さんの記述も合わせ見て思ったのですが、この「御肉牙」というものも、どうやら、作り替えながら、更新されているように思えますね。
77
:
犀角独歩
:2005/03/11(金) 17:31:19
おっと、ちょっと、誤解を招く脱字をしてしまいました。
【75の訂正】
誤)『祖師伝』(石山13代院師)
正)『祖師伝』(石山13代院師代)
78
:
愚鈍凡夫
:2005/03/11(金) 18:44:37
彰往考来さん、レス有り難うございます。
元亀4年7月28日に戦乱などの災異のために「天正」に改元されていますから、1573年8月19日は、天正元年ですよね・・・・・。富士年表の編者は知らなかったのだろうか・・・・・。
それと、なんですね。現在の「大聖人御真筆の御書26巻」と「120幅余の漫荼羅」は、どうやって手に入れたのでしょうね・・・・・。
「かあさんが夜なべをして〜♪。なんてことはないでしょうね。」(by 独り言)
日精師は石山をテーマパーク化した功労者だと思いますが、石山には人寄せパンダが何匹いるんでしょうね。今の石山は儲けまくっていますから、石山関係者は、日精師に誰も足を向けて眠れないでしょうね。
79
:
愚鈍凡夫
:2005/03/11(金) 18:57:58
犀角独歩さん、どうもです。
日精師が今の時代に生きていたら、創価学会の戸田さんや池田さん以上の名プロデューサーになっていたでしょうね。
「阿部さんも見習ったらいいのに・・・・って、今の時代に秘宝の創作は無理かも・・・・。」
科学を敵にまわして言い張るのも空しいですしね(「本因妙の本尊」がどうしたとか言い張っている御仁もいますが)。
日精師は、良い時代に生まれたのかも知れませんね。
82
:
吉祥仙人
:2005/03/11(金) 19:46:03
堀日了師がかつて「精師の演劇化、驚くべき」とおっしゃていたそうです。
83
:
吉祥仙人
:2005/03/11(金) 21:45:57
訂正いや言い訳
堀日こう上人の「こう」の字がどうしても出てこないので
「了」としたことをお詫び申し上げます。
「りょう」で出てきました。浅学を恥じます。
84
:
吉祥仙人
:2005/03/11(金) 21:48:48
またまたマチガイ
「りょう」ではなく「きょう」亨でした。
85
:
犀角独歩
:2005/03/11(金) 22:24:43
> 84
つっこみを入れるのも何ですが、日亨は「にちこう」と読みます。
まあ、聞かずは一生の恥、聞くは一時の恥と言うことで、こうして、少しずつ知識は蓄積されると言うことで。
86
:
犀角独歩
:2005/03/11(金) 22:26:35
あ、そうか、83では、そう、ちゃんと読んでいたのでしたね。
これは、失礼しました。
87
:
犀角独歩
:2005/03/11(金) 22:42:49
愚鈍凡夫さん、「除歴」なんて騒がれるのは、寺院経営はうまいが、信仰面ではケチを付けられる御仁と相場が決まっているかと揶揄の一つもしたくなりますね(笑)
そう言った意味では、阿部さんも大したもの何じゃないでしょうか。石山、小ぶりになったけれど、バックマージンを払わなくてよくなった分、収入効率は上がったんじゃないでしょうか。
まあ、亨師は、日蓮門下一般で最も評判のいい石山僧でしょうね。しかし、学会で載る文書、石山で載る文書、はたまた、門外での話、そのコントラストに、ある面、「なかなかなの学者」と思います。雪山坊、隠居が実質、蟄居であったことは、その事情をよく物語っていると思います。こんな報道管制で作られた石山教学は、実は寛師ともかなり隔たった、学会アレンジであることに、さして寛師を真面目に読まない人々は気付かない滑稽さがあるわけですね(笑)
88
:
愚鈍凡夫
:2005/03/11(金) 23:12:28
犀角独歩さん、どうもです。
1956(昭和31)年1月31日の本部幹部会に於ける戸田さんの発言は奇妙ですね。全然理屈に合っていない。
「私が最初に拝んだ時は六百五十年遠忌の時であります。その時には、このくらい、マッチ棒の先ぐらい、お歯が出ていたが、他の部分はほとんど包んでいた。」と、述べているのですが、一応は650年かかって「マッチ棒の先ぐらい」に成長した歯茎のようなものが、「七百年祭の時、拝んだが、歯はすっかり包まっていたのです。」だそうですから、50年の間にもの凄く成長したことになりますよね。
それまでの650年は何だったんでしょうね。 ( ̄ヘ ̄)ウーン
89
:
愚鈍凡夫
:2005/03/11(金) 23:20:56
済みません、勘違いをしていたので訂正します。
マッチ棒の先ぐらい出ていた歯が、歯茎のような肉で50年間の間にすっかり歯を包んでしまっていた。と言うことでした。それにしても、成長が早いですね。
「歯はすっかり包まっていたのです。」というこの発想は、「観心本尊抄」の有名な一節をパクったものでしょうかね。
90
:
犀角独歩
:2005/03/11(金) 23:24:45
愚鈍凡夫さん、題名も作者も控えなかったんですが、以前、立ち読みした本の話。
当掲示板でも、話題になりましたが、釈尊の入滅年代は500年間違っていて、鎌倉時代はまだ「像法」。つまり、未曾有の大戦を経験した近代こそ、真の末法であると、こうなるわけですね。田中智学師一派も地が踊ったことでしょうが。しかし、この点を論って、「創価学会は、仏意仏勅の団体、池田先生こそ地涌の菩薩(=本仏)なんてコンセプトの本が出ていたことがありました。(この本の題名・著者をご存じの方はいらっしゃいますか。ご存じならば、是非ともご教示ください)
まあ、こんな論点からすれば、戸田さん以降に、成長しなければ、学会の正しさは証明されないことになるのでは? ……(「わかってますって」という愚鈍凡夫さんの声が聞こえた…)
91
:
犀角独歩
:2005/03/12(土) 10:10:15
それにしても、御肉の変形、見る側の心理的側面から変化したように感じさせているのか、実際に作り替えられているのか、はたまた、生きているのか(笑)
しかし、そのたびに作り替えていたとしたら、まあ、ご苦労なことであると思う次第です。
92
:
愚鈍凡夫
:2005/03/12(土) 10:19:55
何ですね。今のお肉牙は歯の部分が歯茎のような物で覆われているようなので、見た目にはピンク色のおむすびみたいな形をしているんでしょうか。戸田さんが言うように、汗なんかかいていたら、ちょっと怖いかも。 (((( ;゚д゚)))アワワワワ
お(´д`)む(´。`)す(´。`)びぃ(´-`)_@
93
:
犀角独歩
:2005/03/12(土) 10:48:36
愚鈍凡夫さん、過去50年で急速に成長したというのは、なかなか視点であったと思うのですが、いまはぴったり、「成長」は止まっているんでしょうかね(笑)
94
:
れん
:2005/03/12(土) 18:11:36
犀角独歩さん。
>75
‘おにくげ’について、歴代法主全書をひもときましたが、精師以前には‘おにくげ’にふれた文献はありませんでした。おにくげについては、皆さんの言われる通り昭門の伝承をパクッて精師が作製したのではないかと思います。歯そのものは祖師伝に出てくる石山蔵の「高祖上人の眉間の骨舎利」(目師の舎利?)から外れた歯を使用したものでしょうか?歯茎は蝋かなにかを加工すればそれらしく見えるでしょうね。
95
:
パンナコッタ
:2005/03/12(土) 20:24:12
質問になってしまうのですが、昭門の伝承ということなら玉沢の妙法華寺にも
この様な聖遺物が今でもあるのでしょうか?
96
:
れん
:2005/03/12(土) 21:03:15
パンナコッタさん。ご質問の件ですが、たしか美濃さんか誰かが書かれた本に、玉沢妙法華寺に蓮師の肉付きの歯があると書いてあったのを以前読んだ記憶があります。独歩さんが御提示された通り昭師文献に蓮師の歯の伝持が記されていますから、玉沢のものが肉付きか否かは別として玉沢に蓮師の歯と称する物があるのは事実と存じます。いずれにせよ、蓮師の歯の伝説は玉沢が先行し、石山のそれは後追いで成立したということだと思います。
97
:
パンナコッタ
:2005/03/12(土) 22:05:30
>96 なるほど、れんさんありがとうございます。 どうでしょう、ほかの
朗門系や尊門系にはこの手のモノがあるでしょうか? 身延非主流派の中だけに
作られていった伝説のように思えるのですが。
98
:
れん
:2005/03/12(土) 22:54:31
パンナコッタさん。肉付きの歯の伝説については玉沢と石山以外では聞きませんね。ただの歯でしたら、本間守拙師の著書(書名失念)に佐渡阿佛房妙宣寺に蓮師の歯といわれるものが伝承されていると書いてあったのを記憶しています。朗師門や尊門には、この手のものは伝承されてませんね。私個人としては中世日蓮門下の主流は教勢や教学的には身延山よりむしろ京都や関東の朗師門流ではないかと愚考しております。いずれにしろ、肉付きの歯伝説は実際のところパンナコッタさんの仰る通り非主流派である玉沢や石山の中にだけ作られていった伝説ということになろうかと思います。
99
:
犀角独歩
:2005/03/13(日) 11:57:41
94 れんさん
> 歴代法主全書…精師以前…‘おにくげ’…文献はありません
歴全を所蔵しないわたしにとって、有り難いご教示でした。
感謝申し上げます。
> 「高祖上人の眉間の骨舎利」(目師の舎利?)から外れた歯を使用
これは、二重に驚く、ご推論と拝しました。なるほど。
わたしもかつて、石山にある蓮師霊骨と言われるものは目師半身の遺骨が伝承のなかで蓮師のものといわれるようになったという仮説を述べたことがあります。
長くて恐縮ですが、以下です。
*** 以下転載 ***
225 名前: 独歩 投稿日: 2001/12/02(日) 11:14
○石山の霊骨は誰の遺骨か
…石山にはたしかに“遺骨は”あるのです。これが聖人の遺骨ではないとしたら、いったい誰の遺骨なのでしょうか。両山問答において霑師は
当山瓶中に盛る処の者は全骨にはあらず僅に胸部より頭脳にいたるまでの御骨にして其の余は身延に残し給へるか其の情知るべからず
といいます。つまり胸より頭部に至る骨、いわば上半身のみであるということです。私は、この記述に接し、直ちに以下の資料を思い出しました。
富士大石寺明細誌
正慶二年興師の滅後再び将に帝都に観光せんとす濃州垂井駅に抵りて疾を感じて乃寂す実に十一月十五日なり、春秋七十四、従ふ所の日尊日郷泣々喪事す、乃“骨を二瓶に分ち”以て富士上野と洛の鳥辺山とに塔す
同誌は享師も「先師も曽て怪奇の書と貶せられたれども」という如く、その内容は多く考証の余地を残しています。ただ、それまでに伝承をまとめてある点での資料性は有します。
これはあくまで推論ですが、目師の遺骨は尊・郷二師が分かって、方や京へ、方や富士へ持っていったのは事実ではないか、その石山に持ちかえられた目師の遺骨が、その後、聖人の遺骨として崇められるに至ったのではないのかと考えるのです。
…目師の尊敬は篤く聖人と異ならず拝され…その遺骨は極めて意義あるもの…いつしか目師の遺骨は聖人の遺骨といわれるに及び、現代に至っているのではないでしょうか。
『富士大石寺の歴史について』225
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/rekisi.htm
*** 転載おわり ***
今回のれんさんのご賢察を拝し、石山の蓮師霊骨と称されるところを目師遺骨と達観されている所を拝し、ますますかつての思いが深まりました。また、要山人が目師を「高祖上人」と言ったところで不思議はないように思えますが、この点は、同お考えになりますか。しかし、一般は高祖と言えば、蓮師でしょうから、これが誤伝された可能性をわたしは考えるわけです。
しかしそれにしても頭骨があれば、当然、歯が残っている可能性はあるわけですね。「御肉牙」作成に、これを供したという点に、なるほど、そのように考えることは充分にできると思った次第です。
あと、一点。わたしは生まれながらの日蓮正宗創価学会でした。親は昭和28年の入信でした。昇師の時代です。亨師が院尊。その後、順師、達師と時代を追います。座替に親は何度か当たっているわけです。わたしも、背負われて見たと母は言うのですが、どうも記憶に残っていません。その母が「御肉牙は犬歯」と言ったのを覚えています。しかし、各伝承を見ると「肉附歯一枚」と数取りされます。どうも、犬歯を「一枚」と数えることには違和感を懐くわけですが、どの歯と言うことになっているかご承知でしょうか。
ロムの皆さんでもご存じの方がいらっしゃればご教示いただきたくお願い申し上げます。
100
:
一字三礼
:2005/03/13(日) 14:12:17
犀角独歩さん
> どの歯と言うことになっているかご承知でしょうか。
以前の投稿内容を話してくれた祖母は、すでに他界しており、また当時でも90半ばを越えた高齢でもありましたので確かな情報ではなかったかもしれません。
今度は両親に「御肉牙」を見た時の感想を聞いてみました。両親とも達師が石山住職となられた時に「御肉牙」と接近遭遇しております。その話によりますと、歯と思われる部分はほとんど真ん中の一点のみで周りは全て赤い肉であった、との事でした。そしてほんの先端部しか見えていなかったせいか、犬歯のようにも見えた、と言っております。
祖母の話では、歯茎は金になっていた聞いたのですが、両親は赤かったと言っておりますので、祖母と両親のどちらかの見誤りか、もしくはどちらも実物とは違うかもしれません。誤った情報を書き込んでいる可能性がありますので、その際はご容赦願います。
101
:
犀角独歩
:2005/03/13(日) 14:35:55
100一字三礼さん:
> …犬歯のよう…祖母…歯茎は金…両親は赤
いつも貴重な情報、有り難うございます。
肉から顔を出している部分が尖っている、尖っている歯であれば犬歯ということなのでしょうね。
肉の色については、実に印象的であると思いました。
102
:
パンナコッタ
:2005/03/13(日) 15:03:23
偽史の世界では以前、安倍頼良の骨といわれるものが『鯨の骨』であったことが
ありましたが一体何なんでしょうね?
103
:
犀角独歩
:2005/03/13(日) 15:13:43
> 102
そう。こういう点ははっきりさせるべきです。
石山は彫刻本尊と共に、「御肉牙」の科学的分析調査を実施するべきです。
104
:
愚鈍凡夫
:2005/03/13(日) 15:47:53
摂りようによっては、
「以前テレビで見た、河童のミイラと変わらんだろう。」 (`ヘ´) プンプン。
こういった類の物と同じような作為を感じますね。
105
:
パンナコッタ
:2005/03/13(日) 16:10:03
> 河童のミイラ・・・。 たしかにかわりませんね。 ちなみに人魚のミイラは
鮭と猿を合体させ、燻して作っていましたが、おにくげの場合は肉の色違いから
数バージョンあるのでしょう。
106
:
犀角独歩
:2005/03/13(日) 18:55:47
石であるか、歯を入れ、蝋を練り込んだか、はたまた、河童のミイラのような制作か?
しかし、それでも「御法主上人猊下」が生きていると言えば、否定せず、手を合わせるのが信仰。
本当に、信仰とは、そんなものでしょうか。
「○○が言えば、そうである」、こんな考え方で、地下鉄サリンも撒かれたわけです。
誰々が言ったことだから、それに従うという考えが、歴史上の多く悲劇を生み、今の政財界の汚職を生み、そして、宗教も腐らせたのであると思います。
なんで、そこまで信者は、自己の信仰に対して、、無責任になれるのでしょうか。ミルグラム師は以下のように分析しています。(『服従の心理』(河出書房新社))
この分析に当てはまるとおり、上述のような態度は、信仰上の問題ではなく、社会心理学上の問題であることが知られます。
*** 以下転載 ***
「責任感の消滅は、権威への服従のもっとも重大な効果である」(P25)
「個人的責任の放棄が権威への屈服の主要な心理的結果である」(P210)
「代理状態のもっとも重大な結果は、個人が自分の指図している【権威に対して】は責任を感じるが、権威に命じられた行為の内容【については】責任を感じなくなるということである。道徳は、消滅するのではなく、根本的に違った点に集中される。従者が感じる恥や誇りは、自分が権威に求められた行為をどれほどうまくやったかということで決められる」(P193)
「権威組織にはいった個人は、自分自身を自分の目的のために行動しているのではなく、他人の要望を実行している代理人と見なすようになる。ひとたび個人が自分の行動をこの観点から考えるようになると、彼の行動および内的機能様式に深い変化が起こる。この変化はきわめてはっきりしているので、個人は、この態度の変化によって、ヒエラルキーに組込まれる前にいた状態とは別の【状態】におかれたのだと言うことができよう。わたしはこの状態を【代理状態】(agentic state)と呼 ぶことにする。それは、個人が自分自身を他人の要望を遂行する代理人と見なしている状態である。この用語は、【自主性】、すなわち、個人が自分自身を自分の意志で行動している見なしている状態と対比して用いられるよう」(P178)
107
:
パンナコッタ
:2005/03/13(日) 20:00:58
元オウム信者が麻原の説法の中で「マクドナルドのビックマフィン」と連呼
していた話がありましたね。
この信者は心の中で『ビックマックだろ』と、ツッコミを入れていたそうですが
言葉には出せない。聞いている他の人たちも「心の中ではそう思っていたに
違いないけど誰一人として言い出す者は居なかった。この程度のことを指摘
できないとは・・」と自戒の念を込めて言ってましたっけ。
石山はこの先、おにくげを否定するとは思えないし、秘密の伝説としてこれからも
いくのでしょう。果たしてこれが信仰するに値するモノなのでしょうかねぇ。
108
:
吉祥仙人
:2005/03/15(火) 05:46:55
おじゃまながら、ちょっと失礼します
犀角独歩さんへ
山田ミネコ作「ハルマゲドン伝説」ほかハルマゲドンシリーズはご覧になりましたか?
オウム(アーレフ)には「デイバダッタ」の秘密を今も信じている人がいるそうです。
109
:
犀角独歩
:2005/03/15(火) 09:50:19
108 吉祥仙人さん:
ここは「おにくげ」スレなので、他の適当なところに、レスを移そうと思ったのですが、思いつかないので、取り敢えず、こちらに。
> 山田ミネコ作「ハルマゲドン伝説」…
たぶん、仰りたいところは、漫画の宗教(信者)への影響ということと拝察いたしました。
わたしは、ほとんど、漫画というものを読まないので、恥ずかしながら、ご呈示の作品もまだ目を通していません。この機会に読んでみようと思います。
昔は宗教に影響を与えたものというのは、哲学書や、文学書というところでした。また、『ムー』の影響力も指摘されます。週末論で、多大な影響を与えたのはノストラダムスで、日本では後藤勉著『ノストラダムスの大予言』の影響は深刻であったと考えています。ここら辺までは、まだノベル、文字の世界からの影響ですね。これにビジュアル系の影響として、映画、また、テレビもかなりの影響力を持っていたと思います。
近代はやはり漫画との関係が取り沙汰されていますね。さらに、今後は、ロールプレイング系のゲームが、リアティを増すごとに影響を発揮していくことになると予測できます。たしかな記録ではないのですが、国連子ども人権委員会の発表では、今の子どもたちが1日平均5時間コンピュータに向かっているという統計が発表されていたかと思います。この大半は、勉強と言うより、当然、ゲームが中心になっているだろうと予測されます。
けれど、「浅原彰晃」に影響を与えたのは、漫画であったのでしょう。しかし、反面、(故意に悪用したわけですが、)かなりの仏教の知識も持ち合わせており、このちぐはぐさが、この倒錯心理を解く鍵になるかもしれません。
貶す目的と誤解されると困るのですが、最近、静かなブームの浦沢直樹著『20世紀少年』は創価学会をモチーフにしていると言いますが、これはどうでしょうか。
やや余談になるかもしれませんが、日本で仏教が人々にリアリティをもって迫ったのは、文字仏典より、地獄変(地獄図)であったという学者がいます。これは差詰め、いまでいう漫画、映画、テレビの影響の原形といえるでしょうか。
宗教学の立場から漫画を考えている川瀬貴也師の『宗教マンガ学−仮設的総論−』は、なかなか興味深いアプローチだと思います。
http://homepage1.nifty.com/tkawase/comic/relicomi.htm
110
:
犀角独歩
:2008/08/09(土) 07:22:23
「本門寺の肉牙」、この件、ご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。
犀の角のように独り歩め「肉牙は2カ所に蔵されていた?」
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51387974.html
111
:
彰往考来
:2008/08/09(土) 08:23:32
>110 本門寺のお肉牙
これは池上本門寺ですね。
石倉重継著『日蓮宗各本山名所図会』(明治36年、博文館)343頁に記載があります。
『日蓮宗各本山名所図会』は近代デジタルライブラリーで見られます。
http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php
彰往考来
112
:
犀角独歩
:2008/08/09(土) 16:08:19
彰往考来さん
ご投稿、有り難うございます。
ちょっと、わたしの愚鈍な頭で斟酌できないところがありますので、お尋ねします。ご紹介の「石倉重継著『日蓮宗各本山名所図会』(明治36年、博文館)343頁」は、以下の文章が底本だと思います。
「遺跡之事
…
一、聖人御歯二粒者 御存生之時 親自聖人之御手所賜也 夙夜可成向顔之思 云云 然則於二粒所在者成御存日之思而号日昭弟子之人者深可奉尊重若令違背者非遺弟矣
…
文保元年十一月十六日 法印 日昭 在判」(日宗全・昭尊之部 P12)
この記述が、本門寺の宝物を指すということでしょうか。
熊田氏の該当リードは、厨子入りの宝塔、つまり肉牙が納められている写真は、本門寺のものであるという意味に採れるのですが、昭門の宝物が本門寺にあるということでしょうか。
113
:
彰往考来
:2008/08/11(月) 06:05:51
>112 肉牙
石倉重継著の『日蓮宗各本山名所図会』は今でいう観光ガイドブックのようなもので同書342頁に池上本門寺の「寶物と古文書」の項があります。『日蓮宗各本山名所図会』に種本があったろうことは否定できませんが、同書は当時の日蓮宗各本山名所にどのような宝物があるかなどを列記したガイドブックにすぎませんので恐らくは各寺院発行の縁起などを参照にしたものと考えます。
同書343頁には、池上本門寺の宝物として
「△高祖御肉牙二枚(昭師へ授興し玉ふ所の物なり高祖の御譲状昭師の添状あり)
とあります。
これだけでは現在玉沢妙法華寺にある「御肉牙」が当時池上本門寺にあったのか、はたまた双方にあるのか判断できませんが、『日蓮宗各本山名所図会』の記載は「注法華経」に関する同書の記載から信用できると考えます。『日蓮宗各本山名所図会』の当該箇所には「注法華経四巻」が記載されています。いうまでもなく「注法華経」は玉沢妙法華寺の所蔵であり池上本門寺の所蔵ではありません。これは『日蓮宗の本山めぐり』(昭和56年5版(初版:昭和46年)、ニチレン出版、129頁)の妙法華寺の項によれば「曽ての師であつた池上の惺師が、宗祖の『註法華経』を是非拝見したいといわれたので慎重にその前半を御覧に入れたところ、これは無事に返却された。然るに、あとで御覧に入れた後半が、遂に戻らなかつたのである。苞師(引用者注:妙法華寺十四世)はこれを苦にして慶長八年(1603)職を法弟の産師に譲り、越えて十四年十月五日、六十六歳を一期として、大見川へ身を投げたのであつた。これが今に伝わる日苞ケ淵の哀話である。だが、昭和十六年十二月二十三日に、池上から『註法華経』が還付され、代りに『兄弟鈔』が池上に復帰して、両者ともに本来の在り場所におちついた。その復古式が本門寺の酒井日慎猊下によつて行われている」ということで、『日蓮宗各本山名所図会』が発刊された明治36年には「注法華経」の後半四巻は池上本門寺に在ったことが確認され、『日蓮宗各本山名所図会』の記載内容の正しいことが分かります。池上本門寺蔵の霊宝をまとめた天明8(1788)年の「御霊宝之控」(『大田区史(資料編)寺社1』昭和56年、東京都大田区、120頁)にも「注法華経」が記載されており上記内容は矛盾ありませんが、玉沢妙法華寺と池上本門寺の両寺で「御肉牙」の行き来があったなどという記録は見当たりません。
私は玉沢妙法華寺と池上本門寺の両寺に「御肉牙」があると考えます。その根拠は、
一、 「御肉牙」が納められている厨子入りの宝塔が両寺で異なること
二、 高祖「御肉牙」が池上本門寺の什宝として『日蓮宗の本山めぐり』(ニチレン出版)と天明8(1788)年の「御霊宝之控」(『大田区史(資料編)寺社1』)とに記載されていること
の二点です。
(つづく)
114
:
彰往考来
:2008/08/11(月) 06:06:29
113の続きです。
まず「御肉牙」を入れた容器である厨子入りの宝塔です。玉沢妙法華寺のものは星野武男/著『現代人の日蓮聖人傳』(昭和10年、文松堂出版部、241頁)に写真が紹介されており、池上本門寺のものは熊田宗次郎/著『日蓮上人』(明治44年、報知社、359頁)記載の写真が該当すると考えられ、写真でみる限り両者は全く別物です。
天明8(1788)年の「御霊宝之控」(『大田区史(資料編)寺社1』昭和56年、東京都大田区、120頁)に「祖師御肉付御歯 同記一巻」との記載があることから、少なくとも天明8(1788)年の時点で池上本門寺に「御肉牙」が所蔵されていたことが解かります。
『日蓮宗の本山めぐり』(昭和56年5版(初版:昭和46年、ニチレン出版、79頁)の池上本門寺の項には寺宝として、いの一番に「(1)高祖御肉牙 日昭上人に授け給うたもので宗祖の御譲状と昭師の添状がある」とあります。『日蓮宗の本山めぐり』の妙法華寺の項(127頁)には「御肉牙」の記載はありませんが『日蓮宗寺院大鑑』(昭和56年、池上本門寺)の妙法華寺の項(437頁)に「御肉歯」とあります。しかしながら『日蓮宗寺院大鑑』の池上本門寺の項(61頁)にはなぜか〔寺宝〕の箇所に「御肉牙(御肉歯)」の記載がありません。池上本門寺が「祖師御肉付御歯」を危ない(本物ではない)と判断して記載しなかったのでしょう。
以上のことから私は玉沢妙法華寺、池上本門寺の両寺に現在でも「御肉牙」と称されるものがあると考えます。富士大石寺を入れると少なくとも3箇寺に「御肉牙」があることになります。探せばまだあるかもしれません。
私はかつて『日蓮宗各本山名所図会』や『日蓮宗の本山めぐり』に記載された池上本門寺の「御肉牙」を読んだ際に、「御肉牙」と称する怪しげなものはアチコチにあるのだと思ったものでした。これらの御肉牙をDNA分析すれば真偽は分かるはず(少なくとも3箇寺のものが同一人物であるかどうかはわかる)ですが、それは実現しそうにありませんし、もし実際に分析したら日蓮聖人の歯ではなく他人の歯だったということもあり得るでしょうし、歯とは別の物質ということもあり得るでしょう。
しかし荼毘にふした御真骨ならともかく、肉付きの歯を什宝とする神経も理解できませんし、ましてこれが七百年後も成長していると信じている人たちにはとてもついていけません。アチコチに「御肉牙」と称する怪しげなものがあるので、その大半は後世の偽物でしょう。まじめに議論する値があるとは思えない代物です。
彰往考来
115
:
犀角独歩
:2008/08/11(月) 16:17:43
彰往考来さん
詳細なご説明、有り難うございます。
どうやら、池上にもあるのですね。こちらはいまは完全に引っ込めて、秘蔵厳護といったところでしょうか。
江戸時代までは、庶民にとって、お漫荼羅より、よほど、この手のもののほうが人寄せには役だったでしょうね。軈て「科学万能」と言われる時代に入り、なりをひそめたというのが経緯でしょう。
> 肉付きの歯を什宝とする神経も理解できませんし、ましてこれが七百年後も成長していると信じている人たちにはとてもついていけません。
まったく、このご意見には賛成です。先だっての石山における阿部さんから早瀬さんへのバトンタッチでも、これを見せて、いまだに「御生骨拝観」なんてやっているわけです。「21世紀なのになぁ」と溜息が出ました。
もっとも、昭和31年、つまり、いまからまだわずか半世紀前に、戸田さんは、彰往考来さんが批判するとおりのことを言っていたわけです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015567021/6
それを知らない創価学会員の、新しい連中が大石寺批判に「おにくげ」を引っ張り出します。「あんたんところの永遠の指導者第2代が本物といっていたよ」と教えたくなるわけですが、まあ、こうした若い連中は戸田さんよりは常識があるということでしょうか。
さらに言えば、戸田さんは、先に挙げた「御肉牙」発言の3カ月前、以下のように話しています。
「これは世界のどこにもない不思議なものである。妙である。この実態を見たならば、広宣流布は間違いない。広宣流布されてしまえば、消えてしまうもので、いまこそ拝む時期である。招来のために、記録もはっきりとっておきたい。まあ人数の制限もあろうが、奉安殿に、コの字の形式にずらりと並び、そうとう範囲で見えると思う。そうすると、なかなか歩かないのですよ、だまっていれば、何分でも動かない。
あとが続かない。仮に、それを一日十時間、以前は一日最高三時間でしたが、拝ませていただくとして、一万人が登ったとしても、一万人は喜捨で運べぬから、歩いて行って拝むとしてもでず、一時間に一千人、一分間で六十で割ると、三十何人が回っていかねばならない。そうでもして、数多くの方に拝んでもらいたいと、こう思います。
さきほどの猊下への御報恩と、御肉牙の拝観だけは、四月までに、ぜひやりたいと思う。孫子の代まで語り草に、広宣流布のしるしですから、御肉牙を拝観しなさいよ」(同P183/昭和31年1月31日/本部幹部会/豊島公会堂)
創価学会員が登山をすると、石山から1人当たりいくらというバックマージンが出ていたという話が本当であれば、戸田さんはなかなかの興行師ですね。いまどき、御肉牙なんか、本気で信じているのは顕正会ぐらいでしょうが、その原因をつくったのは、創価学会であり、戸田さんでした。
> アチコチに「御肉牙」と称する怪しげなものがあるので、その大半は後世の偽物でしょう。
「肉」ということでいえば、全部が全部、偽物でしょうね。
> まじめに議論する値があるとは思えない代物
それを上記のように、わずか50年前に語ったのが創価学会、戸田さん。本当に創価学会員1万人が見に行ったかどうかは知りませんが、おっしゃるとおり「真面目に議論する値があると思えない代物」に創価学会は大挙動いたという事実は、かつて、池上本門寺も同じ様なことを行っていたという事実と共に、ここではっきりと確認できてよかったと思いました。
創価学会と、その会員は、こうした過去の経緯に対してもきっちりと責任を取ってほしいと思うわけです。いまだに「本物だ」と言っているほうももちろんです。
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