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『おにくげ』について教えてください。

75犀角独歩:2005/03/11(金) 17:28:24

『祖師伝』(石山13代院師)を見ると

「霊宝等残らず頂拝す、中にも日本第一の板御本尊、紫宸殿の大曼荼羅、病即消滅曼荼羅、其の外曼荼羅数幅、御書八幡抄一通関東紙三十九丁次御消息十行廿行五行十行或一紙二紙御判形の有る斗りも十五枚等、長さ一尺五寸余、横一尺余竪八寸斗りの御つゞらとて唐のつゞらの旧りたるなり、興師已来の入物となり、此の中に御正筆計り一盃あり、辰の刻より未の刻に至るまで拝覧し奉るに尽きず、後には巻目を開かず其の儘押し頂き押し頂き申して終り迄頂き奉る、高祖上人の眉間の骨舎利水精の瓶塔に入れて新たに拝見々々」

とあり、ここでは「日本第一の板御本尊」は名前が挙がっていても、「御肉牙」は出てきませんね。永禄3(1560)年の記録とされます。この時は、まだなかったのでしょう。

石山で、この名前がはじめて登場するのは17代精師『富士門家中見聞』でしょうか。

「聖人此歯を以て日目に授けて曰く我に似り問答能くせよとてたまはりける御肉付きの御歯と申すは是なり、(此の御歯当山霊宝随一なり広宣流布の日光を放ちたまふべし」

この記述は明暦8(1657)としてよろしかったのでしょうか。
ここでは、目師直授で記されます。ところが、注意すべき点は、愚鈍凡夫さんが引用された48代量師『大石寺明細誌』との比較で見出されます。

「御生骨と称す、蓮祖の存日生歯を抜き血脈相承の証明と為て之れを日興に賜ひ事の広布の時に至らば光明を放つべき」

「肉附」はさらに念入りに「生骨」となり、さらに目師直授が興師授与に変更されています。同誌の記述はいつ頃と特定されるのでしょうか。1800年代として、約100年の間に目師直授は興目相伝に変わったわけですね。

精師と量師の中間ぐらい、石山では33代元師の頃、明和年間(1764)の人と伝えられる完則の『大石寺宝蔵目録』には「御肉附歯」として載っています。

以上の点から、「御肉牙」は精師の謀りに始まるとわたしは考えています。ただ、それ以前に記録があるかどうか、、れんさんをはじめとする碩学の面々にご叱正を賜れれば幸甚です。

それにしても精師等は、ぴかっと光るのが好きなようで、七面大権現が祀られる修験道の聖地であった七面山の池に彫刻本尊の材となった楠丸太が浮かんだときも光っていたと記述しています(笑)

余談ながら、戸田さんは、本気で御肉牙を信じていたんでしょうか。学校の先生といえば、いちおうの教養人。50年昔というのは、そんな牧歌的だったんでしょうか。


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