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『おにくげ』について教えてください。
113
:
彰往考来
:2008/08/11(月) 06:05:51
>112 肉牙
石倉重継著の『日蓮宗各本山名所図会』は今でいう観光ガイドブックのようなもので同書342頁に池上本門寺の「寶物と古文書」の項があります。『日蓮宗各本山名所図会』に種本があったろうことは否定できませんが、同書は当時の日蓮宗各本山名所にどのような宝物があるかなどを列記したガイドブックにすぎませんので恐らくは各寺院発行の縁起などを参照にしたものと考えます。
同書343頁には、池上本門寺の宝物として
「△高祖御肉牙二枚(昭師へ授興し玉ふ所の物なり高祖の御譲状昭師の添状あり)
とあります。
これだけでは現在玉沢妙法華寺にある「御肉牙」が当時池上本門寺にあったのか、はたまた双方にあるのか判断できませんが、『日蓮宗各本山名所図会』の記載は「注法華経」に関する同書の記載から信用できると考えます。『日蓮宗各本山名所図会』の当該箇所には「注法華経四巻」が記載されています。いうまでもなく「注法華経」は玉沢妙法華寺の所蔵であり池上本門寺の所蔵ではありません。これは『日蓮宗の本山めぐり』(昭和56年5版(初版:昭和46年)、ニチレン出版、129頁)の妙法華寺の項によれば「曽ての師であつた池上の惺師が、宗祖の『註法華経』を是非拝見したいといわれたので慎重にその前半を御覧に入れたところ、これは無事に返却された。然るに、あとで御覧に入れた後半が、遂に戻らなかつたのである。苞師(引用者注:妙法華寺十四世)はこれを苦にして慶長八年(1603)職を法弟の産師に譲り、越えて十四年十月五日、六十六歳を一期として、大見川へ身を投げたのであつた。これが今に伝わる日苞ケ淵の哀話である。だが、昭和十六年十二月二十三日に、池上から『註法華経』が還付され、代りに『兄弟鈔』が池上に復帰して、両者ともに本来の在り場所におちついた。その復古式が本門寺の酒井日慎猊下によつて行われている」ということで、『日蓮宗各本山名所図会』が発刊された明治36年には「注法華経」の後半四巻は池上本門寺に在ったことが確認され、『日蓮宗各本山名所図会』の記載内容の正しいことが分かります。池上本門寺蔵の霊宝をまとめた天明8(1788)年の「御霊宝之控」(『大田区史(資料編)寺社1』昭和56年、東京都大田区、120頁)にも「注法華経」が記載されており上記内容は矛盾ありませんが、玉沢妙法華寺と池上本門寺の両寺で「御肉牙」の行き来があったなどという記録は見当たりません。
私は玉沢妙法華寺と池上本門寺の両寺に「御肉牙」があると考えます。その根拠は、
一、 「御肉牙」が納められている厨子入りの宝塔が両寺で異なること
二、 高祖「御肉牙」が池上本門寺の什宝として『日蓮宗の本山めぐり』(ニチレン出版)と天明8(1788)年の「御霊宝之控」(『大田区史(資料編)寺社1』)とに記載されていること
の二点です。
(つづく)
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