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雑談&連絡スレッド
2436
:
無精髭
:2008/07/30(水) 21:22:29
>>2434
2行目>>議論におけるKenさん(私のことを「髭」と呼ばれていらっしゃるので、
↑「間違った日本語」の典型ですねw スマートに「呼んでいらっしゃる」で構わないでしょう。
どうでも好いことかも知れませんが、Kenさんは、相手からよく「お前の読みはおかしい」「見当外れだ」
「誤解されている」といった非難を受けていらっしゃるようですね。
まぁ、それも(Kenさんには失礼なんですが)一理あるな、と。
但し、急いで付け加えますと、誰だって自分の気持ち以上に他人の気持ちを感じることは出来ませんし、
自分の考えでは当然至極な常識でも、実は他人にして見れば疑わしいものでしかなかったり、
それとは全く異質の常識を他人が持っている可能性はありますから、公的な場において発言したからには、
批判を免れようなんて、甘い考えは捨てた方が好いということです。私の場合、先にも申しましたように、
どうやらマゾっ気があるようだから、鋭い批判であればある程、嬉しくなってしまいますがw
それはともかくと致しまして、どんな書き込みも、書き手との関係を超えたテキストそのものとしての
読解が可能なのです。そして、書き手すら自分が書いたテキストの意味を一義的に確定出来ない(と思います)。
なぜといって、書き手が文章を作り出す為の思考過程は、例外なく公共的な言語体系なり言語規則に依存
しているのですから(でなければ、そもそも人々の間で言葉は通じない)。
そのような言語によって思考された内容や意味、組み立てられた文章は、既に誰かによって考えられたもの、
書かれた文章の影響下を抜け出ることができないものと思われます。
よって、自覚された正しい意図を以って書かれた文章も、その意図自体の出自はその文章に示されることはなく、
作者の思考も、言語の公共性によってその独自性と言われるものを相対化されざるを得ないのです。
人は、言語によってしか思考し得ないということを認めるならば、その言語は他人にとっても同じ意味で言語
であることを認めなければなりません。自他の思考が違うのは、思考そのものが異なった位置にあり、性質を
帯びているからではなく(つまり自他の言語に違いがある訳ではなく)、言語の使い方に違いがあるというべき
なのです。
個々人の思考においては、オリジナル(インスピレーション)と思われたものが実はコピー(無意識の模倣)
だったなんてことはざらにあるものです。
2437
:
無精髭
:2008/07/30(水) 21:42:35
>>2435
人間魚雷様
やっぱり、Kenさんってタフなんですよ。自分がそうだから、
その分、人のことが弱く見えちゃうんでしょ。
私も「くよくよしてる」って言われちゃいました(微苦笑)。
>>2346
では、何を申したかったのかと言いますと、結局、
「(他者による)誤読は避けられないし、避ける必要もない」
といった、傍から見れば、実にペシミスティックなことなんです。
ただ、「避けられないと分かっていても、誤読を避ける努力」と
申すか、Kenさんの仰る「実用的な作文法」を身に付ける為の努力は
するよう、常日頃から心懸けておくべきでしょうね。
まぁ、以上のような簡単なことを申したかったというか、
ここ一連の投稿で、こんな当たり前のことが再認識された訳です。
今回のことを糧にしつつ、短文スタイルへの変更も視野に入れて、
色々と試行錯誤して行きたいです。皆様に対して失礼にならないように
気を付けながら、言葉遣いも変えて行きたいです。
2438
:
無精髭
:2008/07/30(水) 22:16:15
>>2436
に関連したリンクを張らせて戴きます。
ほんと、節操ないのですが。。。
ロラン・バルト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
作者
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%9C%E8%80%85
間テクスト性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E3%83%86%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%88%E6%80%A7
こんな論考もあった。
http://www.diced.jp/~genbun/pdf/2002kouen_suzuki.pdf
私は別にフランス現代思想に造詣が深い訳ではないです。
素人なりに興味はありますけど、付いていけないところもあります。
といっても、私が読むのは翻訳なので、日本人の受容というか輸入の
仕方に馴染めない、というのが原因として強いのかも知れませんが。
まぁ、現代思想などどうだって宜しい。Kenさんが志賀直哉のことに
言及されたので、全然脈絡がないのですが、私は福田恆存の国語国字改革批判
なんてものを思い出しました。この話題には詳しくないので、深入り致しませんが。
福田恆存
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E6%81%86%E5%AD%98
2439
:
Ken
:2008/07/31(木) 02:53:27
>>2436
どうでも好いことかも知れませんが、Kenさんは、相手からよく「お前の読みはおかしい」「見当外れだ」
「誤解されている」といった非難を受けていらっしゃるようですね。
まぁ、それも(Kenさんには失礼なんですが)一理あるな、と。
一般的に言って、相手の言ってないことをでっち上げてやり込める、というのは
議論のテクニックとしてよくあるのではないかなと。私の場合は、お前の考えを
とことん突き詰めるとこういう結論が導かれるがそれでもいいのか、といった
パターンの反論がよく誤読と呼ばれることが多いみたいです。こういう議論の
仕方自体は紫煙狼さんなんかも多用してると思うのですが。
失礼ながらまたちゃぼさんをだしにしちゃいますけど、この方、死刑廃止論者は
殺人者を擁護するばかりでなく殺人を許容している、などと、常識に照らしても
明らかにおかしい誤読、ミスリーディングを犯していて、私としては「お前が
言うな〜」という感じなんですけどね。
2440
:
Ken
:2008/07/31(木) 04:27:06
髭さんが挙げたサイト、ちょこちょこと読んでますよ。それで、私も若かりし
頃は技術系の人に憧れてた時期がありまして、アラン・ケイの論文とか原文で
読んで『AKはネ申』とか思ってた時もありました。工学者のほうが哲学者なんかより
もっと哲学的に社会や人間のことを考えているんですよね(←顔の研究で有名な
原島博氏が言ってたこと)。それで、宮台真司、東浩紀、鈴木謙介、こういった
人達は技術的なバックグラウンドがないのでネットのことを語るときに危なっかしさが
漂うのですが、髭さんの挙げたサイトをたどってたどり着いて高木浩光という
方は技術・工学系の出身で見ていて安心感があります。この人、こんなことを
書いてます。
一般に、議論中にしばしば見かける「完全に○○することは不可能なのだから」という理屈。こういう主張は意味がない。なぜなら、「完全に」を冠すればあらゆる事象は「不可能」であるのが自明であり、自明のことを主張することには価値がない。つまり、「程度」こそが議論の対象たり得るのであって、それを排除した主張には存在価値がない。
http://d.hatena.ne.jp/HiromitsuTakagi/20040608
これはうまいこと言ったものだな、あらゆる議論に通用するなと思いました。
風見しんごさんの事故をめぐる髭さんと紫煙狼さんのやり取りを読んだのですが、
まあ確かにマスコミの報道の仕方に問題は多々あるのは確かなのですが、公平な
報道ができないからといってマスコミ報道の意義全体を否定するのはどうなのかなあと
思いました。風見しんごさんの悲劇の報道が交通事故を減らす契機となるので
あれば、それはそれでよいのではないかと。たとえ、報道が偏っていたとしても。
2441
:
無精髭
:2008/08/01(金) 00:07:03
>>2439
Kenさんやシェンロンさん(尊敬を込めてこう呼ばせて戴きます)の論法の対象に
なるものは、「感じられただけで考えられていない主張」が殆どでしょうね。
感情一つで支えられているから、批判する方が論者の感情まで否定するつもりは
ないのにも関わらず、誤解だ何だと騒ぎ出す。批判する方は、論理の展開における
矛盾や飛躍、論旨の極端さを指摘しているのに、感情や立場が傷付けられた・蔑ろに
されたと思い込むことこそ、曲解と言って宜しいかも。「誰からも論破されませんよ」
と断言なさる人間魚雷様の気概を少しは見習ったらどうですか、と言いたいです。
(秋葉原通り魔スレでKenさんが「あの人」について批判(意図的誤読)したのも、
上記と同様の事情に由来している訳ですな。結構結構。)
>>2433
リンク先の文章、読みました。「外国語副作用」というのは、ここ一連の私の
書き込みと照らし合わせて見ても、正に我が意を得たりという感じです。
言語が思考を規定するということの証左ではないでしょうか。演算(処理)・
論理演算とかの思考は、どうなるのかとも思いますけど。もしかすると
数学的思考は、数字や数学的記号という言語によって為されるともいえる
のかも知れません。
あと、お礼を申し上げるのを忘れておりましたが、コロンバイン高校銃乱射事件
についての情報、とても参考になりました。日本におけるトンデモ学説の一つ、
「ゲーム脳の恐怖」を思い出してしまいました。
2442
:
無精髭
:2008/08/01(金) 00:34:12
上の書き込みに関連したリンク。
宮崎哲弥
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%93%B2%E5%BC%A5
>議論の多くは、帰謬論証に則っており、「帰謬論証とは、自らの立場は明らかにせず、
>専ら相手の論理を逆手に取って、内部矛盾に追い込み破綻させてしまう中観派得意の論法である。
>『相手の神によって、相手を撃つ』私好みのやり方でもある」と説明している[12]。
ゲーム脳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E8%84%B3
>>2440
Kenさんが工学系とか技術系を贔屓にしていらっしゃるのには、私は好意的です。
私はそういうのには全然疎いですし、何だか分からんが凄いなぁ、と素直に思いますから。
ただ、東浩紀氏はこんなこと言っておりますが。
>ソーカル事変以降、フランス現代思想を読むのって難しいというか
>でたらめな擬似科学的記述をうまく無視しながら読むしかないんでしょうか?
理工系の科学者の薄っぺらな人生論も、経済系の人間観の底の浅さも、人文系の人間からするとかなりキツいよ。
たがいにそういう限界を尊重するしかないんじゃないの。
↓これもうご覧になりましたよね? 見る価値ないかも知れませんが。
http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20080123/p1
上記のあずまんのコメントの引用元はここですので。
一言で申すと、哲学って人生の役に立たないものです。中島義道氏曰く、
世には哲学と思想の混同があるようでして。後者のみ、有用性が保証される
らしいです。哲学(philosophy=愛・知)は全ての学問の根源である、
というのは古代ギリシア以来のフィクションではなかろうか、とも疑える
訳でして、まあ、哲学者ってプライドだけはやたら高いのかも知れません。
2443
:
無精髭
:2008/08/01(金) 00:59:59
工学系と出ましたので、ミステリー作家なんですけど、森博嗣氏の名を挙げておきます。
有名だからご存知の方も多いかと思いますが、この人、「某国立大学の工学部助教授」で
「専攻は建築学」だそうです。その知識と経験を生かして、面白い小説を書いております。
この人がデビューした時は、本格ミステリー界では「理系ミステリーの登場」とか何とか
言って、何かと騒がれたものです。工学系の研究者の考え方とか生活とか、大学での
一風変わった風景とかが、結構リアルに描写されていて、新鮮で面白いですよ(S&Mシリーズが代表作)。
森博嗣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%8D%9A%E5%97%A3
高木浩光氏が挙げた「完全より程度の問題」という提案は、ご尤もです。
と申しますより、それって私の同情に対する考え方へのアンチテーゼじゃないですか。
私は必ずしも、他者を本質的に理解できる・できない、を論じる事に個人的な意義を感じている
訳ではないのですが・・・。私自身は、他者も心も定義の問題だと思うし、結局は言語の問題に
還元されるというようなことをウィトさんも書き残しておりますよ
(この人の哲学は「メタ哲学」と言われておりますが)。
2444
:
Ken
:2008/08/01(金) 01:20:31
外国語効果はマジでありますよ。米国に来てすぐの頃は自分の頭が本当にバカに
なったと思って、さすがに「タフ」な私も鬱になりました(ちなみにうちの奥さんに
言わせると私は単に鈍感なだけだそうです)。認知心理学には自動化、リソース
という概念があるのですが、ある認知機能は使い込むことによって自動化されて
リソースをあまり食わなくなる。外国語はまだ自動化されていないので母語よりも
リソースをたくさん食ってしまい、その結果思考に割くことができるリソースが
減って一見バカになってしまうと。
2445
:
Ken
:2008/08/01(金) 01:32:52
議論をするときは心はホットでも頭はクールに行かなきゃならんですね。反論
するときはレッテル張りをしない、相手の人格ではなくて考え方を叩く、反論
されたときには人格を否定されているとパーソナルに受け取らないことが大事だと
思います。究極的には考え方というのは人格を離れて存在しえるものですから。
米英人のブログなんかを見るとこういうルールが徹底していて、イデオロギーが
鋭く対立する問題でも議論がうまく行っていることが多いように感じます。
2446
:
無精髭
:2008/08/01(金) 23:10:57
>>2442
に関連して、ちょっと追記。
哲学者と哲学研究者は大きく異なります。それと、哲学にも様々な学派が
ありますから、なかなか一括りに論じられません。哲学の歴史を研究する
ことは、哲学的思索とは言い難いようですし。哲学には、思想として理解
され、受容されてしまう側面がどうしてもありますので、その辺の区別と
いうか、誤解は常に付き物です。この場合の思想とは、世の中や人生の役
に立つとかいった意味のそれです。
このところの私は、精神的にも物質的(PCが自分専用のものではない
ということ)にも断片的にしか、ものが書けない状態なので。。。
色々と御見苦しいところをお見せ致しまして、本当に済みませんです。
2447
:
無精髭
:2008/08/04(月) 22:51:06
今更申すのも何ですが、
>>2441
には不適切な表現がございますね。
実に決め付け口調、甚だしいですから。感情を傷付けられたとか、
自分の真意を誤解されたとかいうのは、その人自身の言葉の文脈
では正しいからこそ主張できることなのでしょう。いわば、言葉
の使い方など、人それぞれなので、各人の意見が食い違うのは、
しょうがないことなのかな、と。ですから、余り真に受けないで
戴きたいです。議論において、感情を害するのは必然と申すか、
他者(の批判的な書き込み)に対する正当な読解なのですから。
>究極的には考え方というのは人格を離れて存在しえるものですから。
私もそう思います。ごく私的な言語規則も、公共的な言語体系に
繋がっているからこそ、子どもは言語を習い覚えることができる
のです。
2448
:
無精髭
:2008/08/06(水) 21:59:47
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1212904531/115
上記の話題に関しまして、秋葉原通り魔スレではだいぶスレ違いになって参りました
ようですので、誠に勝手ながらこちらにてレスさせて戴きます。
読みました。Kenさん引用の藤原正彦氏の発言に対し「いわゆる「日本人論」そのものだ」
という切り返しは実に爽快です。
武士道という概念は武士階級が危機的状況にある・退廃したとされた際に、その都度
自己快癒的に更新されるものでもあり、また、武士自らによって自省・自戒的に構築
されたイデオロギーでもあるのですから、そもそも一般大衆には馴染みようがない
自家中毒的なものなんじゃないかと思われます。因みに、今では有名な「葉隠」なんて、
当時の武士道思想の中では異端であったということです(Wikipedia参照のこと)。
もともと「葉隠」は武士道批判を目的に書かれた書ですから。
江戸時代に限っていえば、主役はやっぱり武士よりも商人となるのでしょうね。
前の投稿でKenさんのご嗜好について勝手な憶測を致しましたが、
勘違いしていた訳ではなくて、ちょっとカマかけて見ただけです。
2449
:
無精髭
:2008/08/07(木) 21:22:24
『国家の品格』についてはネット上でも批判が実に多く、その一々が尤もなのですが、
藤原氏があれを個人で主張する分には何ら問題は無いし、むしろ「右へ倣え」的な世の
流れに逆らって独立自尊している感じで、好いんじゃないですか。共感はできませんけど。
『愛国者は信用できるか』鈴木邦男 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1151.html
「実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。(中略)
この言葉には官製のにほひがする。」といった所は他で読んだ覚えがあり、
確かそこでは「大和魂」の方が好きだとか言っていた気が致します。
三島由紀夫
http://jp.youtube.com/watch?v=EwUhRRWOwjU&feature=related
三島自身が『葉隠』や現代人の死について語っています。
三島 vs 東大全共闘
http://jp.youtube.com/watch?v=3dKnQ63iUSc&feature=related
今とは違い、なんだか熱い時代ですね。全共闘の歴史的評価は脇に置くとしても、
現代の若者にはないエネルギーがそこにはあるとかないとか。
2450
:
無精髭
:2008/08/07(木) 21:39:21
東浩紀氏、8月10日日曜日放送の討論番組、サンデープロジェクト(テレビ朝日)
に生出演するんですってね。放送時間は10:00〜11:45とのこと。
ブログにも秋葉原通り魔事件関連の記事を更新したようですし。
東氏、今後はこういうので食ってくつもりなのかな? この人の本分はそんなんじゃ
ないと思うのだけど。早稲田文学新人賞選考委員に就任したって浮かれてたけど、
このところどうも不遇な感じが拭えないんですよね〜。
何はともあれ、「がんばれ、あずまん!」と応援したいです(笑)。
2451
:
Ken
:2008/08/08(金) 04:03:28
Wikipediaでは内容がどういうふうに変遷したか書いてありますね>>武士道
ちなみに英語版のほうが詳しくて恥ずかしいです。
松岡正剛の千夜千冊というのは知らなかった。前のエントリの『東京裁判』も
おもしろかったです。
私の場合、戦争や軍隊そのものは否定しないので、その時点で日本だと右翼認定
されちゃうと思うのですが、それは軍事に極端に消極的な意味しかもたせない
日本の状況が特殊なのであって、自分では普通にリベラルだと思ってますけどね。
ディートリッヒ・ボンヘッファーって知ってます?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC
以前私が「絶望的な状況で英雄的な行動をとる人」と書いたときに頭にあったのは
こんな人です。日本と一緒で全体主義的になっていく中、ドイツでは良心的な
キリスト者が迫害されていったのですが、米国に亡命するチャンスがあったものの
ユダヤ人を放っておけないと独米開戦直前にドイツ行きの船に飛び乗って、後に
ヒトラー暗殺計画に参加、精神的柱となります。しかし、暗殺は失敗し、逮捕されて
ドイツ降伏直前に処刑されます。一言で言って非常にしんどい生き方だなあと。
キリスト教は「汝殺すなかれ」なわけですけど、その倫理観を突き詰めていくと
「ヒトラーを殺さなければならない」にたどり着くというふうに彼の思想は非常に
深遠で私にもまだよく理解できてないです。
2452
:
無精髭
:2008/08/08(金) 23:07:15
>>2451
否、御恥ずかしながら、ボンヘッファーは知りませんでした。
ご教示下さいまして、有難うございます。
>以前私が「絶望的な状況で英雄的な行動をとる人」と書いたときに頭にあったのは
>こんな人です。(後略)
おかげで誤解も解けました。どうもです。
確かにその頃は、英雄的な行動を取る人もあれば、卑怯と取られかねないことを
仕出かして、戦後に弾劾される人なんかもいて、なんかドラマがありますよねぇ。
私の個人的な意見を申しますと、もうボンヘッファーみたいな偉人は百年経ったって
出てこんだろなぁ、と思うわけですが。
ナチスに加担したハイデッガーと、レジスタンス運動に身を投じ、その果てに
自ら餓死することを選んだシモーヌ・ヴェイユの違いに思いを馳せました。
(ヴェイユについては「松岡正剛の千夜千冊」にも記事があります。)
歴史上の偉人ばかりでなく、例えばナチスなんかの強制収容所では、
仲間を裏切ってでも優遇されようと奔走する者が出てくる一方で、
最後まで信仰を守って気丈に振舞う者もいたということですから、
戦争って、人間の本性が出るというか、人間を根本から変えちゃうんですよねぇ。
戦争の是非は、クラウゼヴィッツあたりが言うように、やり方次第で
定まるのかも知れません。
2453
:
無精髭
:2008/08/19(火) 20:20:39
2ちゃんねるにこんなスレッドがありました。随分とまあ、挑発的なタイトルですけど。
矛盾だらけの死刑廃止論者
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1214554790/
なんだか、進み具合の早いスレッドのようですね。。。盛況?
リンク先のような議論を見ておりますと、私としては、
「う〜ん、何だかな〜、・・・・・・(ちょっと悩んだ挙句、投げ遣りに)もう死刑存置でも好いやっ」
と不覚にも思ってしまうのですが。皆様はどうでしょうか? 逐一論旨を辿ったり論点を掴んだり
出来ます? はっきり言って、私には無理です。私の場合、もし無理して頭に入れようものなら、
前後不覚になって自我喪失に陥ることは避けられないでしょう。
死刑廃止論者というのは、現実社会においては、死刑存置論と決して対等に張り合えるような存在では
ないのですね。それどころか、全く存置論者に相手にされていないような気が致します。「お前、正気か?」
みたいに。これじゃ、まるでゲテモノ扱いだ(苦笑)。廃止論と存置論は、初めから相対的な関係ではなく、
拮抗すらしていない、ということですか。
死刑存置論者と呼ばれる人、或いはそう自認する人が大多数を占める世の中にあって、自ら存置論者と
名乗る必然性のある人、或いは体系的理論を築き上げてそこから死刑制度の必然性を説けるような人は、
一体どれほどいると言うのでしょうか? 死刑に賛成する人々の多くは、自分たちは当たり前のことを
言っているのだという固い信念を以って、そう主張していることでしょう。
こういった人たちと、そもそもどうやって話し合って(話を合わせて)行くのかが、廃止論者にとっての
当面の課題となるのではないでしょうかねぇ。誠にシェンロンさんの仰る通りですわな。
2454
:
無精髭
:2008/08/19(火) 23:23:53
まぁ、何と申しますか。。。
上に挙げました2ちゃんのスレッドを見ますと、
漠としてはおりますけれども、悲しい気持ちになりますね。
でも、是非とも酌むべき主張もあるとは思うんですよ。
だからこそ余計に、無下に否定も出来ないというか、
遣り切れないという思いも致します。
2455
:
無精髭
:2008/08/20(水) 23:54:36
<補足>
Chile氏の書き込みには、唸らされました。他の方も仰っていますが、理路整然としていて
とても分かりやすい。でもまあ、そのお相手である死刑廃止論者の方の主張はと申すと、
死刑は野蛮であるとか、そのような国家的暴力は許されないとかいったことの一点張り
でして、初めから自分と同じ認識を共有できない者を、自らが死刑を否定するのと同じ
理由で、排除しているとも受け取られかねないようなレスを連発していますからねぇ。
Chile氏が際立って見えてしまうのも、それによるところが大きいのかも知れません。
然しながら、Chile氏らのやり取りを読んで、改めて実感させられましたことに、
死刑廃止派(人権派?)特有の決まりきった文句を、理論的裏付けもなしに
結論として提出するのみでは、死刑存置派―――否、一般市民とさえも、
全く議論にならないということでしょう。どうも一般的に認知されている(?)
死刑廃止派による議論というのは、論理性を欠くという理由から底の浅いもので、
死刑存置論以上の現実妥当性がないという理由から空想的感情論であると、存置派から
見下されているようなのですが、これではコピペだと言われても仕方ないのかな、
と思います。他人の言葉の受け売り、弱者的思考、感情的伝播、等々。こんなものを
唯一の手段として後生大事にするのみで、死刑を廃止しようと本気で考えられる
ものでしょうか。でもまあ、それだけにこだわるというのは、凄いことだと思いますけれども。
「死刑制度とは、殺人行為が社会的排除(無力化)という名目で合法化されたものであるから、
殺人が罰せられる以上、それが刑罰においてとはいえ、極刑として正当化され温存されるのは
法律的に矛盾しているし、そうであるからこそ、死刑が犯罪に対して応報的に適用されるのを
国民が許してしまえば、国家による犯罪をもまた認めることになる。」
存置派からすれば、上記のような論理展開など、大間違いだということです。理由は、
殺人や暴力を無条件に否定してしまうと、超越的倫理としての国家的法規や社会規範は
その正当性が失われることで存立不可能(無倫理状態)となってしまうからだそうです。
要するに、殺人や暴力にはある程度の合法的手段としての適用幅を許すことで正当性を
付与しなければ、刑罰全体の正当性が見失われてしまうのは避けられない、ということでしょうか。
2456
:
無精髭
:2008/08/21(木) 00:14:49
死刑廃止論者の多くは、おそらく刑罰撤廃論者ではない(ありえない)、
とは以前申したことと思います。―――勿論、理論派の中には、死刑廃止を
足掛りにすることで行く行くは処罰体制を無意味化して全廃しようと考える人も、
少数ながらいるとは思いますけれども。その場合、まず死刑から廃止することの
理由を述べることが必須であり、それは非常に困難を窮めることでしょう。
Chile氏ですが、リンク先では片仮名で表記されております。
頷かされるところの多々ある氏の書き込みですが、
>(死刑廃止と)同時に現場射殺のハードルは欧米並みに改正して欲しい
という発言には首を傾げざるを得ませんでした。些細なことかも分かりませぬが。
・・・死刑制度については、そろそろ本スレに戻りたいと思います。
長々と失礼致しました。
2457
:
無精髭
:2008/08/21(木) 00:28:30
あと、死刑とは関係ないのですが、どうでも好い話題を一つだけ。
東浩紀氏のブログ「渦状言論」より。
CGの未来
http://www.hirokiazuma.com/archives/000440.html
すごいですね〜! 確かに、表現技術の発展が児童ポルノに対する新たな
倫理的問題を誘発しそうです。というか、この感覚に旧世代が付いていける
のかが心許ない。。。
一応、東氏のブログに挙げられていたリンクをこちらにも張っておきます。
http://technology.timesonline.co.uk/tol/news/tech_and_web/article4557935.ece
2458
:
無精髭
:2008/08/21(木) 00:34:33
「渦状言論」での記事中、児童ポルノについては
下記の方が詳しいです。ご参考までに。
児童ポルノの単純所持禁止問題
http://www.hirokiazuma.com/archives/000368.html
2459
:
1+1=2
:2008/08/21(木) 00:54:09
誰でも知っている数学の大原則です。人はこれを「当たり前」といいます。
確かに現在の数学は1+1=2を大前提として理論が成立し、そこに矛盾はありません。
しかし「1+1=2」を数学的に証明できた人は未だかつていないのです。
当たり前が、本当に正しいのか?その問題に対する答えは出ていません。
そこに疑問を感じず、深く考えもせず、自分の感性と世間の当然が合致することに
安心しきっている人々のなんと多いことか。。。
2460
:
Ken
:2008/08/21(木) 05:30:10
>>CGの児童ポルノ
どうしてもリアルに作りたかったら実物をモデルにする必要があるわけでしょ。
だからやっぱり被害者はいるんじゃないですかね。
まあ、なにやら複雑は問題を孕んでいるとは思いますが、そんなに悩むような
ことなんでしょうか。
>>ぼくたちの社会では、欲望は裁けないことになっているからだ。殺人の欲望と殺人の行為のあいだには無限の距離がある。
でも、殺人願望を抱いてナイフ片手にうろうろしてる人が逮捕されることに我々は
なんら躊躇しないですよね。「殺人の欲望と殺人の行為のあいだには無限の距離がある」
なんてナンセンスに響くのですが。ナイフもものによっては言わば単純所持が
禁止されてますよね。でも、誰もそんなに複雑に悩んでないと思うのですが。
2461
:
無精髭
:2008/08/21(木) 21:52:22
東氏の児童ポルノ論については、Kenさんのご意見を強力に後押しするかのような反論が見つかりました。
いちヘルパーの小規模な日常
東浩紀の「児童ポルノの単純所持禁止問題」への違和感
http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20080218/p1
この方のブログには、児童ポルノや性表現に関わる規制についての記事が
数多くあり、死刑や犯罪被害についての論考も多数あるようです。
いやはや、またしても東氏を餌にKenさんを釣ってしまったみたいで恐縮なんですが、
この度、Kenさんから屈託なき正論を拝聴できたおかげなのか、
もしかしたら結構好いブログを知ることができたかも知れません。
誠にたなぼた式の収穫でした。
>どうしてもリアルに作りたかったら実物をモデルにする必要があるわけでしょ。
現在のCG技術では確かに仰る通りかも知れませんね。でもこの先、実在のモデルを使わずに、
無から性対象としての児童像を作り上げることが技術的に可能になった場合はどうでしょうか?
多分、東氏はそういったことも含めて、規制問題の倫理性を問うているのだと思いますが。
但し、性対象として作られたリアルなCG児童が、実在する児童の内の誰かと、風貌において
大なり小なり似ている、ということが後から指摘されてしまうことは充分に考えられます。
最初私は、Kenさんの仰ったことと上で申したような偶然の酷似を一緒くたにして、それって
肖像権の侵害にしか当たらないのではないか、と考えていたのですが、上に挙げたブログの
記事を読んでからは、ちょっと考えを改める必要を感じました。要するに、児童ポルノによる
直接的被害者の線引きの難しさと、ポルノ全般による間接的被害者の不特定・無制限さ。この
ような想定に愕然と致しました次第。
最後に、無限回廊BBSにも今回の話題に関係する議論がございましたので、主要なものを挙げておきます。
死刑スレでのシェンロンさんのレス
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047791805/1886
フランス史上最大の性的虐待
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1111539271/
2462
:
無精髭
:2008/08/21(木) 22:17:55
因みに、落雷による停電を何度か喰らったせいで、集中力は乱されるわ、
>>2461
以前に
書いていた原稿も一瞬の内にパアになるわ、と散々な目に遭いました。
ナイフの規制とポルノの規制を一緒に論じることには何だか抵抗を感じますがね。
>「殺人の欲望と殺人の行為のあいだには無限の距離がある」なんてナンセンスに響くのですが。
まあ、「願望と実現のあいだには無限の距離がある」とでも読み換えて見ましょう。
確かに東氏は勘違いしているというか、熟考が足りないところがあると思われます。
そこをつかれてしまうと、非常に脆いという感じが否めませんね。
しかし、それにしてもKenさんのレスはいつも相手の急所を突いて来ますよねぇ。
実に好印象です。
>そんなに悩むようなことなんでしょうか。
>でも、誰もそんなに複雑に悩んでないと思うのですが。
こういう率直なご意見に接しますと、嬉しくなって来ますね。
いい加減に一括りに致しますけど、日本の思想家というのは、市民感覚から余りにも
解離した視点から問題点を掘り出してくる事に関しては、非常に得手なようです。
まあ、Kenさんも日本の大衆(死語?)と一緒に「悩む力」を身に付けて、
もっともっと悩みましょうよ。
2463
:
無精髭
:2008/08/21(木) 22:43:59
「渦状言論」の今日の更新分から、リンクを転載させて戴きます。
ちょっと面白かったので。
秋葉原事件と時代の感性:識者座談会
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080820dde018040052000c.html
2464
:
Ken
:2008/08/22(金) 11:49:09
ううん、この座談会はいまいちじゃないですかね。議論が発散気味だと思います。
アズマンが資本主義を弁護しているのが愉快ですね。まあ、私も愛とケアがもう
少しだけあれば世の中捨てたもんじゃないと思いますけどね。
ナイフの規制と児童ポルノの規制をいっしょくたにするのはちょっと乱暴でした。
違いは何なのかなと考えているのですが、うまく考えがまとまらないです。ことに
及ばない限りは被害者がいないという点は同じかなあと。それと比べて、髭さん
ご紹介のブログはうまく考えがまとまってますね。
>>たとえば東氏は、「ぼくもひとりの親として理解できる」と述べるけれども、自分の娘さんが仮にそういう性暴力の被害にあわれたとして、そのポルノを見知らぬ誰かが所有し、かつ、個人的にのみ観賞していたとしても、――仮にその事実を東氏が原理的に知りえないとしても――、そういう「事実」があること自体を、やはり許せないのではないか*3。
>>「こどもポルノ」には、「成人のポルノ」の是非には回収されない、過剰なおぞましさがある。
私も児童ポルノが存在すること自体におぞましさを感じちゃいますね。出させられている
少年少女への哀れみと同情。たとえそれが児童ポルノが禁止されていない時代、
国の商品であったとしても。
2465
:
Ken
:2008/08/22(金) 12:14:59
私は基本的にポルノが、それがどんな種類であれ、規制されることに賛成なんですね、
規制といってもいろいろありますが。それで、ポルノには性犯罪を助長するとか、
青少年の健全育成を妨げるとか、犯罪集団の資金源になるとか、出演女性・子どもの
人権侵害だとか、そういう実際的な被害があると思うのですが、こういうテクニカルな
問題を全てクリアしたとして、つまり、害を被っている人が実質的に誰も存在
していないとしても、それでも最後にどうしても一つだけ問題が残るのではないかと。
それは、ポルノ(性のはけ口)が子どもや女性の尊厳Dignityを傷つけているのでは
ないかと。
毎日新聞英語サイト変態記事騒動というのはご存知だと思いますが、またぞろ
酷使様(国士様)が日本の恥だとか、反日だとか大暴れして、私なんかは、元はといえば
翻訳元の記事はお前らが大量消費しているスポーツ新聞のエロ記事じゃねーかよ、
マイニチシンブンが日本のメーンストリームだなんて知ってる外人いねーよ、
ていうか日本のメーンストリームなんて気にして読んでる外人なんていねーよ、
エロ記事読んで日本はほんとにそんな国だと信じる外人がいるとしたらそいつは
とんでもないバカだ、右傾化うぜえ、と辟易してたんですけど、抗議の声を上げている
人の中には(むしろもっとも激しく抗議しているのは)女性だということを知りまして、
こんな女性を見下した記事に女性が怒るのももっともだな、腑に落ちました。
抗議の声を上げている一人一人は別に記事によって自分個人の名誉を毀損された
わけではなくて、いわば直接的な被害者ではなくて、単に女性という連帯意識から
怒ってるわけですね。つまり、エロ記事はそこに出てくる特定の女性だけでなく、
女性全体の尊厳を傷つけていると。こういうことには日本人男性はもうちょっと
敏感にならなきゃだめだと思いますね。
2466
:
無精髭
:2008/08/22(金) 22:37:02
ポルノとか性産業においてKenさんが列挙して下さったような実害が取り除かれた上、更に、
尽きぬ需要から馬鹿にならない市場規模を見込めることとか、直接的な性犯罪を抑止する
効果(性的願望の代替的達成)とかいった実益が認められたとしたら、どうなるでしょうか?
むしろ、「尊厳などに構っていられるかい」てな話になるのではないでしょうか。まあしかし、
以上申し上げたことは仮定ではありますけれども、かなりの暴論であるのは自覚致しておりますがね。
私は、ポルノがなくなれば人間の潜在的な性的欲望は捌け口がなくなることで暴発して、結果、
性犯罪が増加する、なんて考えは信じておりません。ポルノを作り出す人間の欲望は、もっと
根が深いものだと思いますよ。それを人為的にコントロールできると容易に考えてしまうようでは、
はっきり申して、規制でも解除でも同じように楽観的過ぎます。
>>尊厳について
申し訳ございません。秋葉原通り魔事件スレッドにも書いたかと思いますが、私は「尊厳」
という言葉が良く分からないのです。「尊厳」という言葉の意味は大体分かるのですが、
「○○の尊厳」という一般的な用法がいまいち腑に落ちないのでして、こういった風に「尊厳」
を使われると、○○の一体何が尊厳(尊くおごそかで侵しがたい・こと(さま):大辞林から)
なのかが分からなくなってしまうのが常です。もし「尊厳」が本当の意味で「尊厳」であるならば、
そんなに簡単に傷付いたりはしないとは思われませんか? しかし、Kenさんが「尊厳」という言葉に
拘らないで、それを別の言葉に置き換えて下さるのであれば、私も心の底から納得できます。
>(前略)つまり、害を被っている人が実質的に誰も存在していないとしても、それでも最後にどうしても一つだけ問題が
>残るのではないかと。それは、ポルノ(性のはけ口)が子どもや女性の尊厳Dignityを傷つけているのではないかと。
この文脈自体には正に禿同でした。私は、この中の「尊厳」という所だけはどうしても良く理解
できなかったので、しょうがなくそれを抜かして読む以外にありませんでしたが、それでも
心が揺さぶられました。
2467
:
無精髭
:2008/08/22(金) 23:21:50
>>ポルノを作り出す人間の欲望
ポルノとか性産業、もっと広義にいって性文化の作り手の欲望を単なる受け手の欲望に
還元することには躊躇いがある、ということを申したかったのです。
>>毎日新聞英語サイト変態記事騒動
これは・・・ちょっと戴けませんよ。感動的な文章の後に、「単に女性という連帯意識から
怒ってる」例を出されちゃったりしたら、閉口する他ないですよ。私としては、むしろ
腑に落ちる前のKenさんの「右傾化うぜえ」的な意見の方に禿同だったんですけどねぇ。
私だったら、「フェミニズムうぜえ」と言っちゃいたいところなんですが。でも、Kenさんが
「酷使様(国士様)が日本の恥だとか、反日だとか大暴れ」とか「右傾化」とか仰るものだから、
「フェミニズムって左翼だったよな?」と思い惑った末、「もしかしてとうとうフェミニズムも
右傾化したのか!? そいつはスゲーやっ!!」と驚嘆してしまったのですが。勿論、あれこれ検索
してみても、そんな事実は一向に出て来ませんでした...。はっきり申して、女性の連帯意識よりも、
個人の名誉の方が大切ですよ。これからの時代、ジェンダー・フリーを目指そうってのに、女性の
連帯意識なぞ守ってやる必要があるのですか? 思いっきり、時代に逆行する考えだとも思われますね。
また、もしそれを守るのだとしても、それと対になる男性の連帯意識も必要でしょうね。余計、
男女の溝が深まる気も致します。
・・・子どもの連帯意識ってのは良く分かりませんけどね。
上記のような雑な議論を書いちゃって実に申し訳ないのですけど。半分以上は冗談です。
私は、「女性」とか「子ども」とかいった不特定多数の集団的概念(所謂「弱者」)よりも、
そういった社会的な概念に自分の意思とは無縁に帰属させられている特定の個人に目を向ける
べきだとは思います。つまり、過剰配慮の社会を全否定したいという訳ではなく、特定の個人
(他者)への配慮―――傷付いている人がこの社会にいるかも知れないという想像力を養うべき
だと思うのです。日和見主義的な、つまらん偽善だという思いは拭えませんが。
2468
:
無精髭
:2008/08/22(金) 23:56:14
>>秋葉原事件と時代の感性:識者座談会
確かに「議論が発散気味」ですね。まあしかし、それは承知の上で、
個々の着眼点は面白かったという理由から挙げて見ました。
私は、そしておそらくKenさんも、あずまんが「ぼくたちの社会では欲望は裁けない」
「ぼくたちは欲望を禁止してはならない」と何故あんなにもしつこく主張するのか、
その真意がよく分かっていないと思うのです。おそらく私が挙げたあのヘルパーさんでさえも。
おそらくあずまんは、「欲望」という概念を現代思想の文脈で理解している筈ですから、
私たちのような門外漢・素人にはよく分からないのも当然なのかも知れませんが。
刑法思想の観点からあんな風に主張しているのだとすれば、もっと精緻な議論を展開すべき
でしょうね。
ヘルパーさんのブログですが、昨日挙げた記事の一つ前の記事が興味深かったです。
非モテ・メンズリブ・エロマンガについてのノート
http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20080216/p1
この記事の前半部分はどうでも好いでしょう。後半から児童ポルノについて直接的な
論述が始まります。といっても、宇佐美昌伸氏の論考についてのメモですけどね。
以下、特に興味がそそられた箇所の引用。
>宇佐美さんは、犯罪者の処罰のみならず、犯罪の「防止」が最重要、と考えている。防止の対象については、
>かなりなところまで踏み込んでいる。子どもの商業的性的搾取に関する実際の加害者や利益を得る業者だけではなく、
>間接的加害者、無関心・無策なままに放置する人、さらには「機会があれば自身が子ども買春し、子どもポルノの
>消費者となる可能性があり、それを問題と感じない者も潜在的加害者であり、子どもの商業的性的搾取を許容する
>雰囲気の維持に加担している」と。
>「内面的な嗜好又は空想と言っても、それが表現されれば、たとえ言葉だけであっても、既にして行為である」。
2469
:
Ken
:2008/08/23(土) 14:38:28
>>尊厳
髭さんがそういうふうに言葉にこだわるところは好印象です。でも、私はあんまり
深く考えずにこの言葉を使ってましたw
「毎日新聞の変態英文記事が日本の尊厳を損ねている」と書くのと「ポルノが女性や
子どもの尊厳を損ねている」と書くのはどう違うんすかね(←無責任)。
女性は生来的に反戦的ですけど、酷使様の中にも一定の割合で女性はいますよ。
櫻井よしこ氏が代表格じゃないですかね。こういう人は伝統的な女性の役割を
強調するので、エロ記事自体はあんまり気にしないかも知れないです。
フェミニズムは多分割れるんじゃないかなあ。要するにポルノにおけるステレオタイプな
女性の描き方が失礼だ、という派閥と、女性の自己決定権からポルノに出演することに
肯定的な派閥と。よく知らないですけど。ちなみに私も私もフェミニズムはあんまり
好きじゃないです。特に上野千鶴子は個人的に嫌いですw
ただ、私それ以上にステレオタイプが嫌いなんで、女性のステレオタイプと戦っている
女性は応援したいです。
2470
:
Ken
:2008/08/23(土) 15:00:25
>>非モテ・メンズリブ・エロマンガについてのノート(↓注目するのはココ)
>>そして、価値判断をさしあたり留保するとしても、事実判断として、日本社会がロリコン化(森岡正博*2)=ペドフィリア化していることは、事実として言える。森川嘉一郎さんとかが書いているけど、アメリカ人とかが日本のビル広告や吊り革広告とかみると驚くらしい。犯罪だろうと。
私もたまに日本に帰るとぎょっとしますよ。でも、これって慣れの問題なんですよね。
そのうち驚かなくなる。米国はポルノもモザイクかけないし、ブリットニー・スピアーズとか
エバ・ロンゴリアとかセクシー路線全開の一方で、そういうのを見ていい大人と
だめな子ども、許されるポルノと許されないポルノの線引きが非常にはっきり
しています。こどもポルノは特に厳しい目で見られます。ハナ・モンタナ(マイリー・サイラス)が
雑誌の表紙の撮影でセミヌードになったとかですごい騒動になりました。日本の
ニュース・サイト見てたら小学生がTバック(ちなみにこれ和製英語)の写真集とかいう
ニュースがありましたけど、米国では絶対の絶対にありえないです。
でも、そうやって規範が高くて規制が厳しくても米国でペドファイルが大きな
問題であることに変わりはないんですよね。それで、日本は逆に街中にポルノまがいのが
あふれている割には米国なんかと比べて性犯罪が格段に少ない。そこいらあたりから
ポルノは性犯罪防止に有用だ、なんて説を唱える人もいます。ただし、日本の
場合、性犯罪被害者のサポート、ケアがダメダメなので、名乗り出ないだけで
性犯罪被害者は実は多いという可能性もあります。
2471
:
無精髭
:2008/08/24(日) 18:29:18
>>「毎日新聞の変態英文記事が日本の尊厳を損ねている」と書くのと「ポルノが女性や
子どもの尊厳を損ねている」と書くのはどう違うんすかね
同じではないですかね。前者のようなナショナリズムへの傾向と後者のような女性フェミニズムへの傾向は、
当事者が日本(人)なら日本(人)全体の、女性なら女性全体の「尊厳=連帯意識」が傷付けられたという
思いから生まれる訳でしょう。でもそういった場合の「連帯意識」って、単なる「(本来個々のレベルでは
異質なもの同士である)被害意識の寄せ集め」じゃないかという気がして、それと「尊厳」をイコールの
関係にはしたくないな、と思うのです。むしろ「尊厳」とは、どんなことがあっても傷付かないもの、
どこぞの誰に何と言われようとも一歩も譲れないような不動なものだと思いたいのです。ですから、もし
「女性の尊厳」という言葉を使うしかないのであれば、その意味を「女性+何か」とは思いたくはなく、
かといって「女性にしかない長所」と強調するのも何だかおかしく、だったらいっそ「女性という事実」
というだけで充分ではないかと思うのです。「尊厳」なんかを付けないで、「女性」とさえ言えば好いので、
「ある人が女性である」という事実は(トランスジェンダーの問題に絡むと話がややこしくなるのですが、)
とりあえずは動かしようがないでしょうから、「女性の尊厳」としてはそれで好いのではないかと。
まあ、自分が女性であることに満足している人が、女性であることによってよく不利益を蒙ってしまうことが
あるのだとすれば、女性として怒るよりも、まずは個人として怒れよ、と言いたいですね。しかし、女性が
女性として(自らが女性であると自認した上で)怒ってしまうのは、Kenさんが仰るように、男性が
(性自認の有無に関係なく)男性として存在するのが当然であるかのような立ち居振る舞いのせいである
可能性は高いのですが。
もし、ある女性がポルノを見て傷付つけられたという怒りを誰かに訴えたとして、その人が言うべきなのは、
その怒りはポルノに映った人間とあなたとが同性であったから生まれたのではない。つまりあなたの中の
女性性が傷付けられたからあなたは怒っているのではなく、その怒りはポルノに対するあなた自身の素朴な
嫌悪感に過ぎないのだ、ということでしょう。ポルノに怒りや恐怖を覚える女性というのは、自分の嫌悪感の
原因が分からないので、それを何とか理由付けする為に、わざわざ自らの女性性を持ち出してまでして社会に
原因を求めるのではないでしょうかね。それは、女性の連帯意識に溶け込むことで自分への直接的な被害を
薄めようとしていることと同義ではないか、とも思われます。まあ、それでも別に構わないのですがね。
2472
:
無精髭
:2008/08/24(日) 20:22:04
私が申したいのは、ポルノに実質的な被害がなくなったとしたら、女性としての立場を固持、元い誇示して、
ポルノなど馬鹿にしておけばいい、ということです。そんなものを見る野郎はどうしようもないやつだと
見下して、否、逆にそういう人間よりも自分を上にして、超然としていれば好いのです。それが、私の
イメージできる唯一の「女性の尊厳」とやらですね。大体、ポルノに対して超然と出来ないのは、男女の別に
関わらないと思います。ポルノは男性に向けられたものですから、接し方には男女の別があるにしろ。
児童ポルノであろうとも、実害がないのに自分の内の何らかの尊厳が傷付けられたと思う人は、実害がない
という事実を再認識すべきでしょう。女性には気高くあって欲しいものです。私の場合、女性をやや神聖化
し過ぎている嫌いはありますが。これも性的役割の強要に近いかも。
「連帯意識」とかって言葉、私はあんまり好きではないですね。無反省に被害者に同情する人たちが共感しあう
のと同じなんじゃないですか。被害者の気持ちになっていると称する一方で、加害者に対しては加害者顔負けと
言って好いほど残虐な趣旨の発言をしたり、目も当てられないほどお粗末な怒りをぶつけたりする人がいますけど、
あなたたちはそうやって日頃のストレスを発散したいだけじゃないのぉ? と言いたくなる気持ちを抑えるのに
苦労しますが。
個人的な怒りを原動力として自分の立場から立論的に相手を批判するのは難しいですが、自分の怒りと誰か他の
人間の怒りを等質であると見做す―――つまり、誰かの怒りに共感するのは容易ですし、それをきっかけに
自分の意識を排外的集団意識に同一化するのは尚のこと容易です。批判手法の上でも論敵の叩くべきところが
何処なのか自らの文脈からすぐに分かりますし(ステレオタイプ)、論筋の見通しもよくなりますからねぇ(怠惰)。
私には、男性でも女性でも、自らの性の社会的立場を利用した政治的発言は慎むべきだと思われてしょうがないので。
バックラッシュなんて複雑な思想運動もありますが、そういう私もKenさんと同じように、あんまりフェミニズムとか
ジェンダーフリーとかに詳しくも興味もありませんがねw
「子ども」というのは もし子どもが自らの子ども性を社会に帰属させて(本当は一方的に帰属させられているのですが)
連帯意識なりイデオロギーなりにまで到達できるのであれば、そいつはもう「子ども」じゃなくて「大人」ですよ。
実害のない子どもポルノを見て「子ども」として傷つく者は、自身が社会において何者であるのかという問いが理解でき、
「子ども」と自認できる者でしょうから、本当は年齢に関係なく、「大人」と言って好いかも知れません。それでも、
「子ども」として傷つくべきではない・・・とは言いたいのですが、これは難しい問題ですね。私も、これまで極論ばかり
申しておる訳ですが、「子ども」の問題についてはまだまだ考えが足りません。
2473
:
無精髭
:2008/08/24(日) 21:43:54
社会に参与するきっかけとなる要素は個人レベルでも色々あるでしょう。すぐに思い付くものでは、個人において
偶有性として備わる、性別や容姿や性格や国籍や身体能力や知的学習能力などなど。両親・家庭(生育)環境・
家族関係が選べない―――つまり、その両親から生まれた子であり、如何なる環境で育てられるかということも、
個人にとっては偶然的な事実です。これらは全て、自らの意思とは関係なく社会における既成の概念に分類され、
社会集団の中で決められた特定の社会的役割に帰属させられて後、初めて個人において意味をもつものでしょう。
人は自らの選択で個人性を得ているものと思いがちですが、実はそれは社会あってのもので、社会が変われば
そこに帰属する様々な個人性も変化を余儀なくさせられるのです。簡単に申すと、同じ人間でも帰属する社会が
変われば、己に対する社会的評価も変わるということです。
まあ、Kenさんがお嫌いな、滅茶苦茶に左寄りな考え方ですが、私はこれで全てを説明したい訳ではないのです。
むしろ、上記のような社会的帰属性の総体としての個人を脱却して、自由になりたいのです。その為にこそ、
性的役割とか民族性とか連帯意識とかイデオロギーとかの構造を可視化する必要がある訳です。
以上、長々と書いて参りましたけど、これからも上記や
>>2741-2742
に固執するなんて気は更々ありません。
基本的にはKenさんの考えに禿同です。以前、Kenさんが教えて下さった「猥褻凶悪事件」スレッドですけれども、
そこでも幼児ポルノについての議論がございましたね。ありゃあ、面白かった。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1188554082/l50
今日の私の書き込みは
>>2469-2470
へのレスとしては、かなり内容がずれてますがご了承下さいませ。
2474
:
紫煙狼
:2008/08/25(月) 01:21:28
その昔、街中の裸婦像に下着を着せて回った女性団体がありました。
「憩いの場を見守る銅像が裸である必要はない!」から始まって、
「女性の裸体に商品的価値を見出すのは蔑視である」を経由して、
「世の女性の尊厳を大きく傷つけ損ねるものである」まで、
およそ、通り一遍の使いまわされた論拠による抗議運動ですね。
惜しむらくは、どうにも見た限り、そういう活動に身をやつしている方々が、
例外なく裸婦像のモデル足り得ない体型やご面相の方々で、私のような下衆には
「それって、ただの嫉(以下検閲削除)」なんじゃないかしら?と思いました。
かくいう私も、男性的肉体美と言う面では全く以って見れたものではないですが、
別にダビデ像にパンツを穿かせてあげたいとは思わないクチで、むしろ、
小便小僧の像にパンツを穿かせたら本人は凄く迷惑だろうなぁと思ったり。。。
(下着を着せられた裸婦像の方が逆にエッチな感じがしたのは内緒です。)
まぁ確かに、公衆の面前に建てられる像が裸婦である必然性は全くなくて、
美術館でも裸婦画や裸婦像のエリアには未青年が入れないようにするのは
私個人としては全く構わないのですが「プレイガールQ」の如き番組が
「格闘シーンでパンツが見える」程度の理由でPTAこぞって抗議の槍玉に
挙げられたあの頃が「現在と比較して健全であったか」という部分には
強い疑問を感じますなぁ。
2475
:
loveless
:2008/08/26(火) 00:09:11
子供を犯罪から守るという意味では、ポルノ規制よりも携帯電話を規制したり、
パチンコ店に託児所の設置を義務付けるほうが早いかな。
児童ポルノの規制は、まあ構いませんが、単純所持に関しては、
「継続して収集の傾向がある」というような感じの釘を刺しておかないと、
警察にいいように使われる可能性があるので注意が必要かと。
あと、最近では、他人に殺される子供より、自分の親に殺される
子供のほうが多いんじゃないかと。
2476
:
Ken
:2008/08/27(水) 00:39:09
そういや、自分の娘にマスターベーションの手伝いさせてそれを写真にとって
児童ポルノ仲間に見せびらかして逮捕されたバカ父がいましたね。
このへんは単純所持を取り締まる利点になるのと違いますかね。あと、日本の
規制が他国と比べて遅れてるとかでループホールになってるようなので、まあ
今後ますます厳しくなるでしょうなあ。
2477
:
loveless
:2008/08/27(水) 22:34:34
>>2476
行為を伴う場合は、児童虐待として、より強く取り締まるべきです。
(写真は「証拠」の品となるでしょう)
私が懸念したのは、例えばワンクリック詐欺のように、たまたま間違えて変なURLに飛んでしまい、
その先が児童ポルノへ誘導しているようなケースです。
(実際に、ドイツとかでは、このような行為でも罪に問われたケースがあります)
また、失脚させたい相手がいたら、そこへ児童ポルノを投げ入れ、間髪入れずに
警察へ告発してしまうということも可能になるかもしれません。
(「アフタースクール」という映画でも似たような場面がありましたね)
あと、マンガやアニメ、CGといった創作物に関しては、なるべく規制すべきでないと考えます。
(私の好きな鬼頭莫宏の漫画が規制されてしまうかも。。)
要は、あんまり警察力が強くなり過ぎても、これまた住み辛い世の中になるかと。
(そういう意味では、「人権擁護法」と「児童ポルノ法」は少し危なっかしいところが
あるかと思います)
2478
:
無精髭
:2008/08/27(水) 23:04:08
みなさん、様々な角度から議論活発で何よりです。
私なんか、現在、2ちゃんねるで孤軍奮闘ですよ(皮肉)。
こちらの書き込みを読み込めないのが残念です。
2479
:
キララ
:2008/08/27(水) 23:50:20
もう10年以上前になりますが、児童ポルノのビデオを観たことあります。想像をはるかに超えていました。・・・ショックですね。観ている私よりももっとショックを受けているのは本人でしょう。一種の虐待。二度と観たくないと思いました。規制されて当然でしょう。
2480
:
無精髭
:2008/08/28(木) 22:29:30
児童ポルノ規制の話題とは関係ありませんが・・・。
>>892
に挙げられていたリンク先の掲示板なんかは一見して、
ちょっと前に私が挙げたヘルパーさんがいう、
>「こどもポルノ」には、「成人のポルノ」の是非には回収されない、過剰なおぞましさがある。
このおぞましさとそれに対する欲望が、とぐろを巻いているような感じですね。
まあ、後にlovelessさんが仰っているように、ネタだけで盛り上がっている可能性が大だと
思われますので、そうだと割り切ってしまえば、ネット上のグロ画像と同様、耐性は付くかと。
・・・所謂「健全な青少年」とやらが出入りして、彼らの道徳感覚の麻痺・性犯罪因子の
揺り起こしに繋がるのだとしたら、取り返しが付かないという点で恐ろしいですが。しっかし、
まだ
>>892
のリンク先、残ってるんですねぇ。実害がなきゃ好いとは思いますが、あれを
見て傷付く人はやっぱりいる訳でして、そこのところについては、各自で何らかの耐性を
身に付けるべきか、こぞってお国に頼って法律で規制してもらうよう働きかけるべきか、
何かと難しい問題ですよ。後者だと、下手すりゃ言論統制になりかねませんし。
私は、児童ポルノを規制すべきであるとする人々がそれに対して感じている「おぞましさ」と、
児童ポルノに性的欲求を傾ける人々(あえて「人間」とか「個人」とは言わない)の感じる
ものとが、果たして丸っきり異なったクオリアであるか否かなどと、少し気になっています。
個々の主観は異なれども、対象物は同一だとされているのですからね。
2481
:
Ken
:2008/08/29(金) 21:05:39
表現の自由と規制の問題では、自殺サイトも似たようなものかもしれないですね。
自殺を幇助していると非難される一方で、自殺を思いとどまらせている、なんて
反論してますよね。それで、興味のない人には気持ち悪いとしか思えない。
2482
:
無精髭
:2008/08/29(金) 21:29:37
>>2481
ああ、鋭い事言われましたね。
しかしながら自殺の場合はポルノとは趣が異なり、
自殺者に同情を寄せる人と、自殺自体を残された者に対する
不徳行為だとする人に割れるのではないかと思いますね。
私は自殺サイトには興味ないし、そこに漂う妙な連帯感も嫌ですけど、
「気持ちわるっ」とまでは思わないですよ。
それはもしかしてKenさん個人の意見?
2483
:
Ken
:2008/08/30(土) 14:04:37
だって、そこに集まった見知らぬ人同士で本当に自殺したりするんでしょう?
気持ち悪くないですか。
グロ画像とか児童ポルノの書き込みとか耐性がつかないほうがいいと思いますよ。
まあ、ついちゃうんでしょうが。
嫌韓ってあるでしょ。こういうの↓
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080827
私もネットでの書き込み始めたとき、いちいちショックを受けてましたけど(単に
ある社会グループに属しているというだけで、知らない人を何でそこまで憎めんの?)
なんか慣れちゃいましたね。
2484
:
Ken
:2008/09/02(火) 22:01:47
町山智浩さんがマル激トーク・オン・ディマンドに登場
映画とイラク戦争と大統領選挙
ゲスト:町山智浩氏(映画評論家)
http://www.videonews.com/on-demand/381390/001380.php
今回取り上げた映画は、『告発のとき』『リダクテッド 真実の価値』『マイケル・ムーアinアホでマヌケな大統領選』の3本。前半の2本はいずれも、実話に基づくドキュメンタリータッチの映画で、イラク帰還兵による殺人事件と駐留米兵によるイラク人少女レイプ事件を題材にしている。町山氏は、これらの事件は、最近までほとんどアメリカで報道されることはなかったという。
―――
ウソはいかんなあ、町山君。『告発のとき』のモデルになったRichard T. Davis
の事件はCBSの48 Hoursという人気番組で取り上げられたし、イラクでの米兵による
強姦殺人事件はローカル・ニュースでも裁判の経過が報道されてたくらいで、
米国人の間で当初から相当の関心があったことは確かでしょう。
2485
:
無精髭
:2008/09/07(日) 11:21:55
>>2483
ちょっと間が空きました。
>>自殺について
Kenさんにはご自身が秋葉原通り魔事件スレッドの92番で挙げていらっしゃる、佐々木俊尚氏の
論考を是非とも思い出して戴きたいのですが、そこにも自殺についての言及がございましたね。
硫化水素による自殺志願者が己の目的成就の為にamazonで買い漁った、その一見無作為な履歴を
通して形成される「暗黙の共同体」というヤツです。私たちは、普通、トイレ用洗剤を自殺の為の
道具として見做さないのですが、amazonでそれを購入しようとする場合、過去に同じ物を買った
他人が自殺関連の書籍も買っているという事実から、トイレ用洗剤本来の用途とは別の使用目的に
改めて気付かされるのです。否、それ以前に化学の知識があり、トイレ用洗剤(塩酸)に
入浴剤(硫黄)を混ぜると硫化水素ガスが発生するということを踏まえている者にとっては、
そのような現象の危険性は自明であるので、別段驚くに足るものではないのかも知れません。
しかし、佐々木氏の記事において
>ついでに書籍と並んで、「薬用入浴剤」「天然湯の花」「特大ポリ袋」「結束ロック」「タイマーコンセント」
などの商品もお勧めされていた。
とあるように、個別の用途では相互の関連性が薄い商品群でさえも、ある種の人間の中では
自殺という目的の下で結び付けられていることが可視化してしまう以上、たとえ自殺願望とは
無縁に生きている者にとっても、自殺について何らかの思いを抱かざるを得ないでしょう。
これも見知らぬ他者への配慮と言うか、忖度と言ってしまっても構わないのではないでしょうか。
佐々木氏の論考へのリンク、こちらにも張って置きますね。
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/06/20/entry_27002871/
Kenさんには是非ともこれを再読して戴き、そして考えを深めて戴きたいものです。それでも私は
事の深刻さに相違して、どこか噴き出したくなる気持ちを抑え切れませんが。まあ、これは
私個人の感性の問題だと思われますので、そういった瑣末なことを抜きにすれば、やっぱり、
他人事ではないよな、大変重大だなと思います。
2486
:
無精髭
:2008/09/07(日) 11:22:27
で、私が気になったのは
>だって、そこに集まった見知らぬ人同士で本当に自殺したりするんでしょう?
気持ち悪くないですか。
の部分ですが、Kenさんが仰るような人たちが共感し合って本当に自殺したとしても、
私としては気持ち悪くはならないですね。一口に自殺サイトといっても色々あるようでして、
http://tochuo.blog74.fc2.com/blog-entry-185.html
Kenさんが毛嫌いしていらっしゃるのは上で言う、「自殺を幇助・推奨するような腐ったサイト」
のことでしょう。具体的には、自殺手段を微に入り細を穿って解説し紹介するところや、
心中相手仲介サイトなどですか。それでもまあ、気持ち悪くなるかならないかということには
必ずしも帰結しないですよ。但し、感情的・生理的な問題でしたら、多分、Kenさんの方が
私なんかよりも余程まともですなw いずれにせよ個々人による受け取り方の違いに関わる
のでしょう。Kenさんが「気持ち悪い」と感じるのであれば、それで好いと思います。
グロ画像とか児童ポルノに対する許容に関してですが、実害が否定できない場合、一部の人間を
除き、無理までして耐性をつける必要は全くないです。仮に実害が完全に除去された場合(あり得ない
事だとは思われるのですが)、そこで初めて個々人の耐性や社会の許容度が試されると思うのです。
だから、児童ポルノ等に関する私のこれまでの書き込みは、全て思考実験として為されていたもの
であると認識して戴きたく存じます。Kenさんには今更申すまでもないのですが、他の方に勘違い
されると困るので念のために書いておきます。と言っても、大概の人は興味ないか、こんな話題が
平然と議論されている状況を白い目で見ていることと思いますが。
「一部の人間を除き」と申しましたが、ネット上の言説を社会現象の因果的な一部として重要視
する研究者が少なからずいると思いますので、そういう人たちからすれば、一癖も二癖もあるような
サイトというのは、現代人の心理を明らかにする上で格好の考察対象となるかも知れません。
2487
:
無精髭
:2008/09/07(日) 17:17:18
「嫌韓」についてですが、タフなKenさんもネット初心者の頃にはそのような苦い経験もされたの
ですね。Kenさんの仰ることには全く以って同感です。私の場合、自分に向けられたものであるか否かを
問わず、ネット上の誹謗中傷・罵詈雑言とか人身攻撃なんかには中々慣れません(いや、慣れちゃ
おかしいでしょう)。ある程度は馴れ合いで為されているというか、その場の空気がそういった言動を
を慣習として許容しているところがあるというのは何となく分かるのですが(2ちゃんねるなどが好例)。
まあ、さすがに2ちゃんねるの風土には慣れてきましたけど。
それと「嫌韓」って憎しみというより、多分、ただの八つ当たりなんじゃないですか? 仮に一歩譲って、
社会グループを憎んでいると言えたとしても、そこには個人を認めていない節があるかも知れませんね。
一人一人の違いなんかカンケーねえ、どいつもこいつも韓国人(或いは在日)、と言う風に認識を硬直化
させなければ、差別なんか出来ないと思いますよ。例えば「知り合いに在日がいるけど、こいつどうしようもないヤツ。
なんでだろうと考えてみたら、ああそうか、あいつは「在日」だからだ、と納得できた」「お前がダメなのは
きっと韓国人だからだろう」という発言の中に発話者が非難する当の相手が本当に個人として捉えられている
でしょうか、或いはこの発言はある個人が被差別的な社会グループに所属することを責めているような
内容でしょうか。確かに、非難自体は個人に向けられたものですが、それだけでその原因や責任が個人という
枠組みから逸脱していないと言えるでしょうか。むしろ、自分とは異なる社会グループに属する人間に対しては
個人なんか始めから念頭にないものとして、好い加減に捉えられている結果が、本来なら相手を一個人として
責めるべき所に「韓国人(在日)だから」という不純な動機を滑り込ませる余地を与えるのではないでしょうか。
かなり話を単純化しておりますが、上記の発言は優越感の吐露であっても憎しみではないのですね。私にはどうも、
憎しみは個人間の関係でしか生じ得ない感情だと思われて仕方なりません。
例えば犯罪者に対する大衆的憎悪なんていうのを私は憎悪とは思っていない訳で、本当は個々人の勝手な
嫌悪感が大衆の熱気に中てられて凶暴化しただけなのではないでしょうか。本当は犯罪に対しては銘々が
別々の思いを抱いている筈で、時にそれを勘違いして正義という観念の下で共感し合ったりするから、自分も
みんなと同じ様なことを考えているのだと思いがちなところがあるのかも知れません。正義は感情ではない
と言う点でどのような憎悪とも繋がりようがないことは言わずもがな、仮に憎悪と嫌悪は異なるものだという
前提を認めておいても損はないでしょう。
2488
:
無精髭
:2008/09/07(日) 17:36:15
誰かを何らかのカテゴリーやタイプで差別するということは、同時に自分を相手よりも優位な
立場に置くという行為も伴うかと思われます。勿論それは神のような絶対的な立場ではなく、
その相手との関係に限って利用される相対的な立場ですから、特定の差別意識の強い人がどんな
相手或いは状況にも同様に差別的であるとは限りません。「嫌韓」って、「日本人」が「韓国人
(或いは在日)」よりも優れているということを否定的に表現しているだけで、個人がそのような
紋切り型な論法によって見出されるとはとても思えません。差別する側でも差別される側でも。
とは言ってみたものの、「日本人」という社会グループから脱して個人の立場から「嫌韓」を唱えることが
出来るのなら、私はその人を尊敬しますがね。
因みに私は感情表出のステレオタイプを特に嫌いますね。あと、自殺サイトとか児童ポルノなどに対する
生理的嫌悪について話を戻しますと、私にとっては、ブログでのファンの当たり障りのないコメントとか
気が合う者同士の馴れ合いとかの方がもっと気持ち悪いです。批判を受け付けない心性とか。「和」とか
呼ばれる日本的な場の空気というんでしょうか、あんなのもちょっと敬遠したいところです。なあなあで
流すんではなしに、とにかく口に出せよ、と。どうもくすぐったいと言うか、小っ恥ずかしいと言うか、
一向に慣れて来ませんね。
閑話休題。
Kenさん。トクヴィルについての記事です。面白かったですよ。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/51620138.html
因みにこのブログでKenさんと表記違いの同名の人がブログ主に噛み付いて(?)います。
↓の記事へのコメント欄での遣り取りですけど、痛快ですね。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/51511174.html
2489
:
無精髭
:2008/09/08(月) 20:10:54
Kenさんが「尊厳」と仰ったものを、私の方で、強さという意味で「耐性」と言い換えてみたに
過ぎませんが、いつの間にやら、「鈍さ(タフ?)」や「慣れ」といった感受性の話に移って
しまったようです...。
直接的な暴力表現に対する規制についてはどうなんでしょうね。いや、ポルノだって見る者に
精神的な暴力を与えていると主張する人たちも居ますが。
果たして、暴力的な漫画とかゲームが暴力的衝動を抑えてくれるとか、暴力的な欲望を代替的に
満たしてくれるとか言った考えが正しいのか、これに対し、寧ろ暴力的衝動を助長させるとか、
暴力的な欲望を育むとか、現実と仮想の見境がつかなくなるから危険だとか、今言ったことも
ひっくるめて、暴力的な漫画とかゲームに満足できなくなるくらい暴力的欲望が募り、更に
前頭葉なんたらの働きが鈍ってキレやすくもなる虞があるとか言った考えが正しいのか、以上の
如き議論にはあんまり食指が動かないです。まあ、私のような阿呆には、そういった漫画とか
ゲームに対する受容の個人差というものが気になりますね。例えば、酒鬼薔薇聖斗は『寄生獣』を
読んでいたらしいですが、あの漫画に感動した私からすれば、あれを読んであんな事件を起こした
なんてちょっと信じられない、とも思うわけです。・・・否、冗談です。あれは暴力を表現する
ことを第一とした漫画ではないとは言え、かなり残酷でグロテスクな表現に溢れております故、
ああいうものを寄生、元い規制しようと声をあげる善良なる小市民さんたちがいても、別におかしく
はないです。浦上、怖いですし。あと、道徳思想的な問題に関しても、終盤にとんでもない
どんでん返しが...。
まあ、読む人によって色んな解釈が出来るってところも傑作たる所以の一つかも知れないですね。
2490
:
Ken
:2008/09/09(火) 13:26:06
>>暴力表現に対する規制
暴力表現が犯罪を助長するというのは疑わしい言説だとは思いますが、子どもは
いろんなことを模倣するのは確かですから、親の立場から言わせてもらうと規制は
あってほしいです。サンタ、マジで信じちゃいますからね。創作と現実の区別が
はっきりつくまでは、少なくとも親には子どもが接することのできる情報をある程度
コントロールする手段があってしかるべきだと思います。大人になればどうせ自由に
できるわけですし、こういうスタンスは特に表現の自由を損なうわけでもないないと
思います。
>>寄生獣
これは初耳でした。私もあの漫画好きでしたね。髭さんの仰るとおり解釈は読者に
よりけりなんで、ただ単にグロいのを見たいだけで読んでいる人がいてもおかしくないと
思います。
最後どうなるんですか?最後まで読んでないから...。
2491
:
Ken
:2008/09/09(火) 13:39:43
田島正樹氏はいいですね。東京大学大学院単位取得後退学、現千葉大学教授という
肩書きですね。こういう良質の言論を提供している人に限ってほとんど読まれていないのが
残念です(どうでもいいこと書いてる人はいっぱい読まれている)。
この人の「けん」さんのいなし方は見事ですね。機転が利くし、引くときは引き下がるし、
議論がつまらない揚げ足取りに終始しないようにうまくコントロールしている。
頭いいですね。見習いたいです。
映画「靖国」の後で田島氏に「劇場内で勝手な感想話しないで下さい」と戒めた
女性の姿に自分を重ねちゃいました。髭さんの自殺や児童ポルノに対する提起に
ステレオタイプな白けた反応しか示せなかった自分の戒めにしようかなと(ちょっとだけね。
私はこれらのトピックにあまり食指が動かないので仕方ないと言えば仕方ないのですが)。
2492
:
Ken
:2008/09/09(火) 13:44:44
>>私にとっては、ブログでのファンの当たり障りのないコメントとか
気が合う者同士の馴れ合いとかの方がもっと気持ち悪いです。批判を受け付けない心性とか。「和」とか
呼ばれる日本的な場の空気というんでしょうか、あんなのもちょっと敬遠したいところです。なあなあで
流すんではなしに、とにかく口に出せよ、と。どうもくすぐったいと言うか、小っ恥ずかしいと言うか、
一向に慣れて来ませんね。
前に他の掲示板に「浮気」してへこんで帰ってきたってやつでしょ?日本人サークルに
しばしば認められる、予定調和というやつに私も辟易しています。
初めから書いていいことが決まってるんだったら、書き込むこと自体に意味ねーじゃん。
2493
:
無精髭
:2008/09/09(火) 20:00:20
>>2490
『寄生獣』に関してですけど、「終盤のどんでん返し」って言うのはちょっと言い過ぎたかも(苦笑)。
私の中での勝手な解釈でそう読めたというだけの話にして置いて下さい。あの漫画は今手元にないので、
ストーリーを解説するのには気が引けますが、広川が人間こそ「寄生獣」であると言う部分や、最強の
パラサイトである後藤に新一が止めを刺すか刺さないか躊躇する場面、ラストのラストで殺人鬼浦上と
新一が対決するところなんか、とても考えさせられましたよ。それと、新一と両親の触れ合いの場面や、
田村玲子の最期など、思わず目頭が熱くなるシーンが多いです。親子関係について、あれ程掘り下げた
漫画も珍しいのではないでしょうか。終始、新一が人間とパラサイトの対立の中間で苦悩・葛藤せざるを
得ない主人公として描かれているのも、高得点。人間=善で、人類の敵=悪という構図を引っ繰り返す
というトリックを仕掛けた漫画は『寄生獣』の他にもあるとは思いますが、引っ繰り返す手法がそれまで
の漫画にないほど見事と言うか、お互いの生命を賭けた争いには善も悪も関係ないんだな、と(こんな
当たり前なことを美しく且つ恐ろしく描けているのが、『寄生獣』の凄いところだと思いますね)。
いや、深く読めば読むほど、傑作であるという思いを新たにします(手元にないんですけど)。
つーか、私が不確かな記憶で好い加減にストーリーの概要を解説したものを読むより、実際に作品に
当たって見た方が好いですよ。
>>2491
まあ、感情を出すなと申したかった訳ではなく、その出し方を工夫せえよと申したかっただけなんですがね。
興味がないことを感情的に否定するのはあんまり宜しくはないですね。私も、自殺とかポルノへの是非に
関する議論自体には、本当は興味ないですよ。私の思考の文脈で勝手に曲解して、興味を作り出している
だけです。別段、Kenに勧められるようなことではないですが。失礼な物言いがありましたら、お詫び致します。
>>2492
↓これですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1213957664/47
叩いたつもりはないのに、叩いたということになったしまったようです。長文投稿も荒らし認定されて
しまったみたいで。まあ、ブログの趣旨(んなもの、ないようなものでしたけど)にそぐわぬことを
書いた私の方に全ての非があると思ったので、すぐに引き下がりました(感情的な書き込みと読解力の
低さに辟易してね)。今となってはどうでも好い話ですが。
2494
:
無精髭
:2008/09/09(火) 20:08:08
>>2493
修正の際に、敬称をお付けするのを忘れてしまったところがございます。
それこそ失礼な物言いですが、ご容赦下さいませ(ついでに、誤記も)。
2495
:
老婆心
:2008/09/10(水) 21:04:49
「三菱商事」の不祥事について、マスコミはあまり取り上げていないように
思えるのは、気のせいなのか?
叩きやすいところを執拗にたたくように見えて、大変残念だ。
2496
:
無精髭
:2008/09/15(月) 02:20:33
boroさん
小林多喜二虐殺事件(それともう一つも)UP、乙です。
『蟹工船』ブームとやらや、共産党員の増加なんてのも
ありましたから、正に時宜を得たという感じでしょうか。
これらの風潮をどう繋げて読んだら好いのかは、私には
分かりませんし、関心も無いですが、ありきたりな批判的
言説が多いのも、何かどうでも好いといった感じですね。
騒ぐマスコミも似たようなものだが。
2497
:
無精髭
:2008/09/15(月) 02:20:57
以下、適当に。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20080707/310321/
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080731/plc0807310235000-n1.htm
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/dan/168215
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-987.html
http://sekakata.exblog.jp/7190837/
http://ratio.sakura.ne.jp/?s=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%A4%9A%E5%96%9C%E4%BA%8C
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/sayoku.htm
本題からずれますが、こんな記事もありました。
>『文学界』10月号の、佐藤優さんと伊藤潤二さんの対談の中に、葉山嘉樹の話題が出ています。「蟹工船」は「海に生くる人々」のパクリともいえるとか、いろいろとあるのですが、その中で、佐藤さんがいいます。
「プロレタリア文学が日本共産党系と非共産党系に分かれた時、小林多喜二は共産党系についたけれども、葉山嘉樹は非共産党系だった。戦後は共産党系だけが正しい、ということで葉山は歴史から抹殺されてしまったんですね」
『抹殺』はないでしょう。1970年代に、葉山の文庫本を出していたのは岩波と新日本だけで、岩波の解説も蔵原惟人が書いていたのですから。
こういう形で、さりげなく「うそ」が混ざるのが、文芸誌での扱いなんですね。知らない人は事実だと思ってしまう。気をつけなければいけません。<
(
http://d.hatena.ne.jp/nekopanda_tare/20080907
#から全文転載。)
へええ。こりゃ好いこと聞きやした。肝に銘じておきましょう。
2498
:
boro
:2008/09/15(月) 10:29:28
>小林多喜二虐殺事件(それともう一つも)UP、乙です。
『蟹工船』ブームとやらや、共産党員の増加なんてのも
ありましたから、正に時宜を得たという感じでしょうか。
ありがとうございます。
この事件は前から書きたかった事件のひとつでしたが、
『蟹工船』ブームが書くきっかけになったという感じです。
もうひとつの天城山心中事件はテレビでたまたま
皇太子ご成婚パレードに関する番組を放送していたので
思い出したようについでに書いたという感じです。
次の更新はいつになることやら、、、(^^;
2499
:
loveless
:2008/09/15(月) 20:53:31
メリルが身売りになって、リーマンが破たん。
予想の範疇とはいえ、実際に事が起こると驚くなあ。
ついこの前まで、我が世の春を謳歌していたんだけどねぇ(すっかり平家物語状態)。
2500
:
kei
:2008/09/19(金) 18:16:12
リーマンも大変だったけれど
それ以上に不安なのがAIGなんですけど。
米はすごい金額投入しましたね。
日本に影響ないんだろうか…。
2501
:
loveless
:2008/09/20(土) 21:50:56
>>2500
そりゃあ、ありますよ。なんといっても、米がくしゃみをすると風邪引く国ですから。。
AIGに関しては、短期資金繰りのためFRBが融資しただけですからね。
当然、この借金は返済しなければなりませんし(9兆+金利11%!)、その上でさらにこれまで損した資産を
処理していかなければなりませんから、危篤の人が3日間命永らえた程度じゃないですかね?
(その3日間に有効な手が打てないと、今度こそ死亡。。)
日本の子会社にしてもAIG本社の株をたっぷり持っており、評価損はいくらになるのか。。
これらも買い手が付けば売り払われるだろうけど、そうでなければ破綻する可能性高し?
それにしても、バブル崩壊後の日本が来た道を(律儀に)通ってきていますね。
(ただ、そのスピードは全然早く、また、世界中を巻き添えにしている点が違う)
この後は、損した分の資産を処理していかなければなりませんから、アメリカは
資産デフレの局面に遭遇するかもしれません。そうなると、ドルは下落基調となり、
原油の上昇圧力が高まり、それに連動してインフレ圧力が高まるかもしれません。
すると、どこかの国みたいに、資産はデフレ、物価は上昇、景気は下落という
つらい、つらい数年間を過ごすことになるのでしょう。。
で、アメリカがつらい状況になると、どこかの国も同じようにつらくなるという。。
(日本が落ちたときは、アメリカが代わりに浮上したんだけどね)
あと、今回の一連の破たん劇で、格付け会社のいいかげんさがまた露わになりましたね。
(リーマンやAIGなんて、つい最近まで日本のメガバンクより格が高かったはず)
2502
:
kei
:2008/09/21(日) 02:25:52
つなぎで9兆円って…。
んなことするから日本も米に金貸す破目になったとか。危ない企業が次々と泣きついたら
どうするのだろう。モラルハザードもいいとこ。子会社あるし仕方ないのかもしれないけれど。
(仰るとおり、破綻が心配…)
FRB曰く「株主より納税者を優先させた」って、日本の納税者のことなんか頭にないんだろうな。
なんてったって「アメリカ様」。
破綻させちゃうっていう選択肢もあったわけで。(リーマンみたいに)
格付けね…。ヘッジファンド扱う方々なんかはもともとアテにしてないんでしょうけど
(ってlovelessさんその筋のかた?)…いや、答えなくていいです(^^)
一般投資家はどうなんでしょう、参考にしてる方も多々いたり。
リーマンもAIGもばれないようにうまくやってたんですかね。
いや、やっぱり格付け会社の目に問題ありなのか…。
今に始まったことじゃないですしね、無茶苦茶な格付け。
2503
:
kei
:2008/09/25(木) 14:07:12
走行中の電車の中で強姦した男に懲役18年って、見合った刑
なんですかね…。やったことはもうケダモノ。初犯ではないっていうし
18年後にまたやるのは目に見えてる。(早まる可能性もありなわけで)
懲役させたって治んないでしょ。『治療』しないと。…って言っても
治療方法わかりませんが。
犯罪の質に合わせた刑罰にしないといかんと思うのですが。
2504
:
無精髭
:2008/09/25(木) 20:01:52
>>2503
「滋賀大阪電車内駅構内連続強姦事件」のことですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%8B%E8%B3%80%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%9B%BB%E8%BB%8A%E5%86%85%E9%A7%85%E6%A7%8B%E5%86%85%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%BC%B7%E5%A7%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(きちんとリンク張れていませんでしたら、申し訳ございません)
上記の記事の関連項目欄にありましたが、「傍観者効果」への対策を
講ずる必要もあるかも知れませんね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%8D%E8%A6%B3%E8%80%85%E5%8A%B9%E6%9E%9C
ご指摘の事件に関しては、あちこちのブログで感想や批判が述べられている
ようです。電車内という特殊な空間で、しかも衆人環視という条件下で、
起こってしまった事件ですから、その場に居た乗客の無責任っぷりを非難
したくなる気持ちも分からなくはないのですが(では、全くの第三者が
そうやって非難するのは責任ある発言なのか、と)・・・・・・「傍観者効果」と
セットで論じているブログも多いみたいなので、何というか、世間の反応に
対して、失望せずに済みました。
2505
:
Ken
:2008/09/25(木) 20:44:18
これこれ↓
電車内強姦事件
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1177232954/
私がほんの少しだけ傍観者効果の話してます。
2506
:
無精髭
:2008/09/25(木) 22:38:35
>>2505
拝見しました。同じリンク張ってますね(苦笑)。
当該事件についてスレッドがあることは存じておりましたけど、
以前流し読みした程度でしたから、誰と誰が議論していたのかを
全く失念致しておりましたよ。ここでもkey(現・入江)さんが
一人で頑張っていらっしゃいますね。スタンスも同害報復論者
そのもの(笑)。それはともかく、議論に対する姿勢について、
別スレの亀さんやアペトペさん(←時差の件ワロタ)と比べたら・・・
・・・入江さんに失礼なのは、請け合いですね。
2507
:
無精髭
:2008/09/26(金) 00:25:09
以下、駄文を投じさせて戴きます。
傍観者効果への対策として私が思い付いたのは、Kenさんよりも
ポーロック氏の意見に近い案です。手近なところに通報装置でもあれば、
車内風紀上、今よりもだいぶ違って来るのではないかと。駅員に直接伝達
するものでなくとも、ただその場に響き渡る警音ブザーでも構わないのですが。
押した者も知らぬ存ぜぬを決め込める位、手近にあれば好いですし、物理的にも
心理的にも簡単に押せるものであれば猶宜しいです(皆が皆、電車男にはなり得ない件)。
悪戯或いは詰まらないことで押す輩も現れるかと思いますが、そこは我慢。
・・・って、既にそれに類したものとして、SOSボタン、防犯ブザー、
緊急通報装置などといった名称のものがあるようですが。主に、痴漢撃退や
酔っ払い対策、或いは喧嘩などの車内トラブルにもきっと有効活用されている
ことでしょう。しかし、それが一車両につき幾つあるのか、一つか二つなら
足りないと思われますし、ボタンそのものについては、構造上や見た目の物々しさに
よる押し難さというのが考えられますから、いざと言うときには、それを押す
乗客の心理(躊躇い)を考慮に入れていないという点で、役に立たないなんてことが
あるかも知れません。また、必ずしも車内トラブルによって被害を受けている当人が
ブザーを鳴らせる状況にあるとは限りませんので、それこそ傍観者が代わりに押して
あげられる位、その者にとって操作手順の点や良心の呵責の面(!)で低リスクに、
しかも緊急時に即したものが求められます。一車両において乗り合わせていても
各人が匿名性に没していられること、且つ、無駄な所作なく容易にブザーを
鳴らせることが実現して欲しいものです。例えば、座席とか吊革に仕込むとか。
傍観者にとって「もっともっと無責任に押し易いものをっ」渇望しますね。
2508
:
無精髭
:2008/09/26(金) 01:07:52
40名ばかりいた乗客が何もしなかったという件ですが、傍観者効果云々ではなく、殆んどの人が
単に気付いていなかった、若しくは事態を把握していなかったという可能性も考えられます。
それ以上に、マスコミが意図的に情報を操作した―――故に、事件概要と事実が乖離している
という可能性は高いかも知れませんね(上褐スレにて既出)。
2509
:
Ken
:2008/09/26(金) 14:00:41
緊急通報装置というのは電車内強姦事件を防ぐ対処法。私が提案したのは、この
事件の原因になったかもしれない、そしてそれ以外の犯罪でも起こりうる傍観者効果に
対する対処法。
もっとたくさんの人に知らせるというのは傍観者効果の対処にはならんですよ。
たくさん知ってる人がいるから誰も何もしないというのが傍観者効果なんですから。
キティ・ジェノヴィーズの事件でも大勢の人が彼女が酷い目に遭ってるのに気づいていた
にもかかわらず、誰も助けようとしなかったばかりか、危険もなくほとんど手間の
かからない警察への通報もなかったと。
通報装置の場合、車掌(係員)という、何らかのアクションをとることが期待される、
そういう責任がある人に知らせることができるというのが利点なんでしょう。
乗客が押すかどうかはわかんないですね。間に割って入るのや車掌に通報するのに
比べれば手間はかかんないですけど。
2510
:
Ken
:2008/09/26(金) 14:14:13
そうそう、こういうのがあったんですよ。私の妻の場合。両方とも私はたまたま
居合わせなかったんですけど。
①数人組の小学生男児。そのうちの一人を車両間のドアにはさんだりしていじめているのを
みかねて、「電車の中で騒ぐんじゃない!あと友達をいじめるな!」と怒鳴ったんですよ。
子どもはすぐにおとなしくなったんですけど、車両内に響きわたる声なのに誰も
大丈夫ですかとか声かける人はなし。周りを見回すとサラリーマンとか大の大人は
視線をさっと離して本を読んだり眠ったふり。こんなのは子連れの女のすることじゃない、
他の一人身の男がするべきなのに知らん振りだと憤慨してました。小学生だから
注意したけど、中高生だったら反撃が怖いから注意しなかったとも言ってましたね。
②赤ちゃん連れで新幹線に乗車。電車の中で赤ちゃんが泣くのってプレッシャー
なんですよね。それで案の定泣き出したら、誰か男が「赤ん坊がうるさい」と
怒鳴るんですよ。それで、恐縮していたら別の男性が「赤ん坊が泣くのは仕方ない、
お前のほうがうるさい」と怒鳴り返して、二人の男性の間のバトルになったとか。
2511
:
kei
:2008/09/26(金) 22:43:36
無精髭様 ken様
対策として、被害者自身が、まわりにいる
特定の個人を指して助けを求めるというのが
どこかにありましたね。(既出かもしれません。)
「そこのチェックのシャツの人、助けてください!」
とか
「アフロヘアーのあなた!110番通報してください!」
など。(被害にあっているときに果たしてそんな余裕があるのか
疑問ですが)
傍観者になっている状況の場合を想像してみると、
確かに助けざるを得ないかなとは思いましたが。
kenさんの奥様は勇気あります。でもやめたほうがいい。
自分は自信ないです。子ども連れならなおさら。
電車を3〜4人くらいずつのスペースで仕切るというのも
現実的じゃないしね。
この手の加害者は、初犯のときの刑罰を考え直すべきだと思う。
脳みそいじくっちゃうのはやっぱり許されないのだろうか。
ある企業が新製品を開発するとき、必ず3〜4人のグループを作るのだそうです。
それ以上の人数だと個人は何もしないからだと経営者が言ってました。
雑談スレなのでいいですよね、全く関係ないけど。
2512
:
kei
:2008/09/26(金) 23:41:27
前のを書いた後にふと疑問がわきました。
被害者が「アフロさん、助けてください」
と言って助けを求めたにもかかわらずシカトした場合
被害者はアフロさんに『未必の故意』あたりで罪を問えるのでしょうか。
法律は詳しくないので。どなたかゴキョウジュ願えますか?
2513
:
無精髭
:2008/09/27(土) 00:00:36
確か、どこかの国の話で、危険な目に遭った際は、「助けて」と叫ぶよりも
「火事だ」と叫んだ方が、周囲からの助けを期待できるというのがあったような。
つまり、「火事」のような事態を放っておくと、自らにも危害が及ぶかも知れない
ので、その事態へと積極的に関与せざるを得ないという点で、「火事」は他人事
ではありえない―――従って、周囲が傍観者ではいられなくなるのだそうです。
傍観者効果については、そういう集団心理現象があるということをあらかじめ
知って置くだけでも、予防になるとのことです。私としては、傍観者を無理矢理に
事件当事者にしてしまうのが、一番の対処法かと思います。(座席に仕込まれた
ボタンを押すと、全席に電流が流れるとか、発泡スチロールを擦り合わせた・
黒板なりガラスなりを爪で引っ掻いたような音が流れるとか。)
私の場合、傍観者効果はそれ自体では別に異常でも悪いことでもないと思いますし、
寧ろ、それが自然体で好いんじゃないかと思っております。基本、無責任人間なので。
ところで、Kenさんのご指摘で気付かされたのですが、電車内強姦事件の場合なら、
わざわざ傍観者効果のような、大きな問題への対処法など考える必要はありませんでした。
しかし、「キティ・ジェノヴィーズの事件」のようなケースでは、話は違って来ますね。
でも、現在は携帯電話がありますから、緊急通報という対処法については、自発的に
講じられる分、多少は・・・・・・否、危険が差し迫っている時点で、悠長に携帯電話など
掛けている余裕はおそらくないから、駄目か。
keiさんの「特定の個人を指示する」というご提案は、どうして中々好い線行ってるかも。
傍観者の側からでなく、事件当事者が傍観者効果を打ち破れるかどうかという問題は、
社会学上、一考に値するかも知れませんね(既出の可能性大?)。
>>雑談スレなのでいいですよね、全く関係ないけど。
少し前のログを読めばお分かりになりますが、ここが雑談スレであることを好いことに、
手前勝手&滅茶苦茶な話題で盛り上がっている阿呆が一匹おります(←不肖)ので、
どうぞご安心なさって下さい。
2514
:
無精髭
:2008/09/27(土) 00:15:47
>>2512
こんなのありました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1117529891
http://ishidatic.com/modules/bluesbb/thread.php?thr=6&sty=1&num=l50
http://homepage1.nifty.com/moritake/syakai/seizi/seitou.htm
どうも罪にはならないらしいです。
2515
:
Ken
:2008/09/27(土) 06:46:02
英語版傍観者効果には、手を出した結果、逆に悪い結果を招いて訴訟を起こされる
ことを恐れるあまり傍観を決め込むことになるかもしれない、と書いてありますね。
引用がないので「独自研究」のようですが。
>>2511
つ既出。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1177232954/75
>>「アフロヘアーのあなた!110番通報してください!」
まさに、そのとおり。具体的に誰かを指名すること、「助けてください」ではなく
具体的な指示を出すことが肝だそうです。前述の英語版ウィキペディアから。
傍観者効果は社会心理学でずいぶん昔に流行った話ですね。
2516
:
無精髭
:2008/09/27(土) 19:51:35
>>2512
リンク張るなら、こっちの方がよかったですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216107377
下の方の回答に、keiさんが仰る状況と類似的なケースの判例として、とある
暴行死事件について、発生当時、現場にいながら暴行を止める措置を怠った
複数の者に対して、遺族が起こした民事訴訟の判決を詳しく報告した記事への
リンクが張られていますので、参考になるかと思われます。
2517
:
kei
:2008/09/27(土) 23:45:54
無精髭様
調べていただきありがとうございます。
リンク読みました。
有罪にはならないようですね。
最後のは、自分の質問を忘れて読みふけってしまった。
すごく重くて複雑な状況ですね。
逆に笑ってしまったのが『日本は武士の国である』っていうお答えの。
ああ、この人刺されちゃうなぁって思いました。
笑い事ではないんですが。
いやぁ、既出だなとは思ってたんですが、
無限回廊内の、しかもkenさんだったとは…。
よく過去ログ読むようにします。
2518
:
loveless
:2008/09/28(日) 00:22:18
ロス疑惑の裁判。米国の共謀罪にあたる罰則が日本にないということで
「一事不再理」には抵触しないとの判断。
確かに、日本の場合は共謀共同正犯ということで刑法60条を拡大解釈するしかないため、
米国のような明確な共謀に関する罰則はないですね。
(刑法の字面だけを見ると、「共犯」は、実行したり教唆したりすることが成立の条件。
しかし、判例では、実行を伴わなくとも共謀共同正犯ということで成立するときもある)
もし、有罪となれば、最低禁固25年で最高が終身刑ですから、年齢を考えると
生きて出所するのは難しいでしょう。
(日本だったら、人一人殺しても10年ちょいで出所するケースがあることを考えるとかなり重い。
、、、というか日本が軽すぎるのか)
うーん、ついに決着するのか?
2519
:
loveless
:2008/09/28(日) 01:50:26
>>2502
9兆の次は75兆でしたw
当然、増税することはできないので赤字国債で賄うことになるかと思いますが、
いったい誰が買うんだよ!、、、、、と思ったら極東の小国(※経済面は大国)が大量に買いそう。
この法案が通れば、大手金融機関はある程度もつかと思いますが、日本のケースを考えると、
次は地域金融に主役が移るはずです。その状況によっては75兆でも足りなくなるのでは?という気もします。
ところで、そんな中、日本の大手金融機関は、リーマン・中東部門を2ドルで買ったり、
モルガンへ数千億出資したり動きが活発になってきました。
まさに「帝国の逆襲」といったところでしょうか(ただし、まだ、デススター[※ゆうちょ]は動いていませんw)。
#個人的には、破たんしたリーマンはともかく、その他の出資はまだ早いんじゃないかという気もします。
>(ってlovelessさんその筋のかた?)
いやー、私は一般投資家なので、逆に、経済に詳しい方に解説していただきたいと願っていますw
あと、政治の場では小泉元首相が引退しましたね。近年、この人ほど話題を振りまいた政治家も
いなかったように思えます。また、衆院戦で自民が敗北した場合、政界再編の中心に舞い戻るのでは?
と思っていたので、ちょっと意外だったような、予想どおりだったような。
麻生政権は、小泉−安倍政権と違って性急に改革する気はないようだけど、福田政権ほど官僚の言いなり
になるわけでもなさそうなので、なんかどっちつかずの中庸な政権になりそう。
もし性急さを求めるなら、民主党が現実的な選択肢になるかも、でも民主だと安保と外交が不安。。
(それと人権擁護法案と外国人参政権が、、)
2520
:
Ken
:2008/09/28(日) 13:31:59
>>2516
最高裁判決の最後の少数反対意見読みました?単純に「見て見ぬふりでもオッケー」
とも言えないのでは。
というか私にはモラル・ハザードにしか見えないですけどね。犯罪を見てみぬふり
というのは自分にも返ってくるかもしれないのにね。罰則が必要だとは思わないですけど
治安の維持はその社会に住む一人一人の責任だという心構えは必要だと思います。
2521
:
無精髭
:2008/09/29(月) 18:25:33
モラル・ハザードとのご発言がありましたが、具体的に何を指してそう仰ったのでしょう?
最高裁の判決のことでしょうか。多数派の裁判官らも含まれますか。それとも、被上告人の
少年たちのことでしょうか。あるいは、それら全てを一括して、日本社会全体がそうだと
仰りたいのでしょうか。つまり、「見てみぬふりでもオッケー」な風潮が瀰漫している現状
に対して、ですか? まあ、他の人は知りませんが、私は自分がモラルハザード(本来の
意味では誤用)の典型例を体現したような人間だとは重々承知致しておりますけど。
傍観者効果の問題は、社会学上解決済み(或いは対処可能)なのかどうかは知りませんが、
いずれにせよそのことに絡めて、電車内強姦事件と大津市のリンチ事件を比較できるのでは
ないかと思ったのは行き過ぎでした。後者のケースでは、被上告人の少年たちは暴行事件の
当事者たちとは見ず知らずの他人の関係ではなかったですからね。表現が必ずしも適切だとは
思われませんが、「見て見ぬふりでもオッケー」と確かに道徳上言い切ってしまうのには
抵抗がありますよね。しかし、だからと言って、それとは別に、赤の他人しか関与していない
暴行事件の場合にも、何らかの救済措置が社会成員全体に対して強制されるべき義務であると
するのは、聊か酷だなと思います。
私は、概して暴力の前ではモラルは無力であるとの認識を覆すことができません。モラルで
暴力は抑えられないと思われて仕方なりません。暴力を抑止するものは、やはりまた暴力です。
その場合、暴力が別の形を取るか(行為としての暴力が延引された・背後に退いたような形態。
例えば、規律全般や、威嚇(フェイク)、刑罰等々)、より強大になるか、といった違いは
あるでしょうが。
被上告人の少年たちもその場の暴力的な雰囲気に呑まれてしまったが為に、後から考えれば、
冷静な判断が出来たであろう状況でも、現実的には考えられず、暴行の制止や被害者の救護は
愚か、消防等への通報すらも出来なかったのではないでしょうか。冷静であろうがなかろうが、
その場の暴行への消極的嫌悪感や報復を恐れる気持ちが強ければ、どうにかして被害者を助ける
為の行動のチャンスを窺いもせず、その場の状況に合わせて保身的に動いてしまったというのも、
分からないではありません。正しく、モラルの欠如とはこのことなのかも知れませんが、それが
その者にとって自然なことであれば、モラルに反しているというだけで、公的に責められるべき
ものではありません。その後の人生で、周囲からの白眼視によって随分と肩身の狭い思いを
しなければならないこともあるでしょうが。
このような事件の場合、私であれば最悪の事態を避ける為に何らかのアクションを起こせた
という第三者の確信は、当てになるかならないかはともかく、自分がすべきだと思ったことへの
同意を他人に対して求めることが正当だという根拠にはならないでしょう。また、そのような
自信が、自分と同じように他人にもそれが可能だという確信(過信?)につながるのは、そう
いった観念操作自体が道徳的とは言えないのではないかという疑問も残りますし。―――社会的
責任とは、個人差を考慮に入れたものではなく、各人が各自の能力や機会において公平に背負
えるものであるべきなのは申すまでもありません。即ち、それはある人にとっては重かったり、
また、ある人にとっては軽かったりしてはいけません。
2522
:
無精髭
:2008/09/29(月) 18:26:06
<ここからは私個人の趣味の話になりますが>
大津市の暴行死事件のような状況で試されるのは、モラルに準じた良心よりも果敢な行動を
起こす勇気でしょうね。道義上、良心の欠如は責められるかも知れませんが、勇気のなさは
本来誰にも責められるものではありません。しかも、勇気の存在は事件現場の状況やそこに
いる(或いはいた)人間の心理をいくら分析してみたところで、客観的に示されるものでは
ありません。勇気のある人間は勇気のない人間に感情移入できないでしょうし、その逆も又
然りでしょう。また、事実とは言え、それを審議する為に今ここに再構成するような単なる
想定の上では、至極安全な状況に居る第三者が、危険な状況を目の当たりにした人間の立場に
立つのは難しいのではないかと思われてなりません(裁判そのものを否定したいのではありません)。
世の中には勇気のなさを良心のなさと誤認してしまう者が多い気がしますね(大急ぎで付け
加えますと、別段Kenさんに向けて申したいのではありません。真意は定かではございませんが、
>>2520
では何か別のことを仰りたかったのだとお察し致しております)。無論、行動を伴わない
(及び決断力に結び付かない)良心など何の役にも立たないでしょうが。もしかしたら、
そんなものは本当の良心とは言えない、という人もいるかも知れません。しかし、そうでしたら、
顔見知り程度に希薄な、或いは全く見ず知らずの他人同士のような人間関係にまでモラルの件を
持ち出すのも、どだい無理な話ではないでしょうか。行動を伴わない・決断力に結び付かない
良心が不道徳なように、強い絆や心の通い合いという素地なり背景なりが社会集団になければ、
概してモラルに存在価値はないでしょう。モラルがあるから人間は繋がるのではなく、人間は
本性上様々な形で繋がりを求めるから、上辺だけの人間関係にモラルを強要したところで、社会
の紐帯には成り得ないのではないかと思われるのです。私個人としては、モラルは社会の紐帯
としては充分でないと思いますけれどもね。少なくとも、人間関係を蔑ろにするが如き(?)
人間にとってモラルとは、敵対的な相手側による暴力の先制行使を未然に防止する為の方便の
一種にしか過ぎないのではないかと勘繰りたくなります。
ご指摘の反対意見についてですが、第三者が現場のデモーニッシュな空気と人間関係の生臭さを
排除して、通報の可能性と冷静な判断の存在を論じているだけで、私にはあまり説得力がある
ようには思われませんでした。この反対意見を重宝する位ならば、内容は同じでありながら、
且つ、切実さと世の不条理への怒りが滲み出た、遺族(上告人)の主張の方に思いを致せば良い
でしょう。そして、殊更それに加担することで己の義憤を増幅することなく、その無念を己の
諦観として胸に仕舞い込めば好いと思います。
電車内強姦事件は、非常通報装置の未活用(犯罪の場合にも使って良しとする)
キティ・ジェノヴィーズの事件は、傍観者効果
大津市のリンチ事件は、モラル・ハザード
が、それぞれ災いしているとのこと。
Kenさんの透徹した分析には毎度重宝致しております(笑)。
2523
:
無精髭
:2008/09/29(月) 18:37:27
>>2520
まあ、上記はいつもの懐疑癖の一種から出たもの(自分でも排泄物扱いです)
なので、お気を悪くなさらないで戴きたいと申すか(現実を離れて、あくま
でもこの掲示板での遣り取りの上での話です)、こんな考えもあるのだという
ことを知って戴ければと思い、恥を忍んで投稿して見ました。ご高覧戴ければ、
光栄至極にございます。
基本的にはKenさんの意見に同意致したい気持ちは山々なのですが。
私などよりも、Kenさんの方が断然良識的だと思いますしね。
2524
:
紫煙狼
:2008/09/30(火) 13:59:29
新宿駅のコンビニ店長が万引き犯を追いかけて刺殺されたって事件ありましたよね。
窃盗犯を追いかけた、というのはごく自然なことで、それを刺殺した方が常軌を逸しているのは
明々白々たる事実なのですが、無関係な第三者の目に触れかねない状況の中で同道と犯行に及ぶ
犯罪者というのが常軌を逸していないわけがなくて、これがどれくらい逸脱している者かなんて
瞬時に見分けはつかないですよね。
前述した例の店長さんの行動は論理的にも感情的にも理解できるし、それを批難するつもりは
毛頭全く微塵もないのですが、結果としては「窃盗事件を殺人事件に発展させてしまった」訳で、
サンダーバードの事件も、誰かが止めに入っていたら逆に被害が拡大していたかもしれません。
ライフセーバーは特殊な訓練を受けているから、溺れている人の所へ飛び込んでいけるのであって
普通の人が同じ事をしたら、溺れている人にしがみつかれて身動きが取れなくなって自分も溺れて
しまう可能性が大きい…という話も聞いたことがあると思います。
つまり良心だの正義感だのは美徳であり重要ですが、状況を解決できる知識や技術を持たぬ者が
下手に動くと状況が悪化する可能性は少なくない。いや、大きいといっても差し支えない。
従って「見てみぬふりは罪に問われる」という罰則を定める前に、目の前で犯罪が起きていたら
どうするべきか、という知識がもっと一般的に普及するような動きがほしいですね。
どう動くのが適切なのか、それを知っていたら誰だって「見てみぬふり」して夢見の悪い思いを
するより、英雄・美談として新聞に載るほうを選ぶと思いますよ(笑)
2525
:
無精髭
:2008/10/01(水) 00:51:26
長々と要領を得ないことを書いて参りましたが、私の場合、たとえちゃんとした知識に
基づいていようとも、しかも、それが既に世の常識となっているようなことであったとしても、
物事に対して断定的な主張することに何か居心地の悪さを感じてしまいます。そう言った
表現を避けたいが為にわざと論旨を曖昧にしていることが、余計な言葉を多用し、回りくどい
言い方を生む一因になっているのでしょう。実際のところを申すと、主張すべきテーマや
モチーフが大してない、というのが原因として大きいのですが。まあ、要するに、「見てみぬ
フリをしてはいけない」というモラルに対して、その言を守らないのは本当に許されないこと
なのか、という疑問が頭の中を渦巻いていたのでした。
シェンさんの仰ることは分かります。しかしながら、「目の前で犯罪が起きていたら
どうするべきか、という知識」とは何か、それをどうやって普及させるのか、といった
実際的な(危機管理上の?)問題を、訳の分からぬモラルの問題に引き上げる(貶める?)
ような傾向が、世の中にはあります。各人、その区別さえ付けば、何の問題も無いのですが。
>どう動くのが適切なのか、それを知っていたら誰だって「見てみぬふり」して夢見の悪い思いを
>するより、英雄・美談として新聞に載るほうを選ぶと思いますよ(笑)
お言葉を返すようですが、これは少し違うかなと思いますね。どんな世の中にも小心者や卑怯者
はおります。非常時・緊急時での適切な行動に関する知識を十全に持っていたとしても、
(正義感とか良心の問題ではなく)勇敢さとか意志の強さというものがなければ、行動に移す
ことができないと思われますので。私は、もし人助けをする為の適切な行動を頭で分かって
いたとしても、自らの臆病さとか意志薄弱の為に何の行動も起こせなかった場合は、誰にも
責められるべきではないし、目前の人間の不幸について、己だけのせいにしたり、後悔したり
する必要はないと思うのです。つまり、シェンさんが仰った「状況に見合った適切な行動に
関する技術的な知識」と「その行動を起こそうとする(或いはしない)者の心理状態」とは
同じ主体的・内面的な問題でありながらも、全くの別問題だと申したいのです。
切羽詰った状況に対する行動の知識や技術といったものについて、シェンさんは、それを皆が皆
同じ行動を起こす為のマニュアル的なものであるとは解していらっしゃらない、と信じたいです。
万人に共通した危機対処法などは、それを実践する個人の差というものを考慮に入れていなければ、
どこかで活用に無理が生ずるでしょう。シェンさんは、その時・その場所に応じて適切な行動は
異なる、ということだけではなく、その状況にいる個人によっても適切な行動の性格は異なるのだと
いうことにも同意なさって下さると思いますし、おそらくそうお考えのことであると思っております。
>>2524
では、上記のようなことなどは既に考えていらっしゃる風に読めるところもございますので、
わざわざ私がここに指摘するまでもなかったかも知れません。ご無礼の程、お許し下さいませ。
・・・私としては、英雄・美談として新聞に載るのは勘弁して戴きたい(苦笑)。
もちろん、見てみぬふりをして夢見の悪い思いをする方がマシだと申したい訳ではないのですが。
なんだか、この二者択一では苦しい気持ちがしますが、例えばもし、見てみぬフリをしても
誰からも咎められなければ、良心の呵責など微々たるものになるでしょう。他者からの視線を
欠いた・他者に見張られていない良心など、すぐに忘却の彼方へ消え去ってしまうでしょうから。
見てみぬフリをして絶対に後悔しないという確信があれば、私は新聞に自分の名前が載るという
せっかくの名誉(不名誉?)を捨ててでも、自分の生命の安全を優先して他人を見捨てることでしょう。
2526
:
無精髭
:2008/10/01(水) 01:37:04
さて、「事件当事者の実名・顔写真公表について」スレッドですが、もうご承知のこととは
思いますが、基本的に私は「日野OL」スレでのシェンさんの意見に強く賛同しております
ので、特に書き込むべきことがございません。あえて申すなら、災害や事故などはともかく、
犯罪の場合は、被害者情報を極力公にしない方針を採って戴きたいと思います。加害者の場合も
なかなか被害者と同じようにはいかないでしょうが、メディアによる社会的制裁など、はっきり
申して余計なので、それを防ぐ為にもかなり強度な規制は必要かと。秋葉原の事件など好例で、
被害者の職業やプライベートな情報、―――周囲の人、肉親や友人などから見て斯く斯く云々の
ような人物だったとか、彼(彼女)は自分の未来に対してこんな希望を持っていたとかいった
ことや、何故事件現場に当時居合わせたのかといった事情、お通夜などの情報、こういった
ものに、どうして情報としての必要性が見出されているのか、見出されているから報道される
のでしょうが、それがどうしても分かりませんでした。また、加害者の親へのパッシングに
至っては・・・ああすることで加害者の過去と同じような家庭(大きく言って、環境)に現に
ある人間に対して抑止力が掛かるみたいな言い分でもあるのでしょうか。或いは、加害者側に
入れ込んだ過剰報道により、要らぬ模倣犯の出現を促す可能性を生んでしまったのではないかとも。
以上の点について、勿論、どのような情報も、マスメディアを介さずに、ネットや個人間での
漏洩によって拡散し得るのですから、報道規制を敷くだけでは不十分であるでしょうが。
私が上のように主張する理由は、シェンさんの言説にかなり拠る所が多いです。「日野OL」
スレのお書き込みに滅茶苦茶影響受けておりますよ。犯罪被害者には説明義務などないと思い
ますが、説明権利ならあると思います。あと、被害者・或いは遺族となった場合、国選弁護人が
付いてサポートしてくれるとか、好いと思いますけど。加害者にあって、被害者にない制度と
いうのには、首を傾げざるを得ませんね。
まあ、私個人は、犯罪に関しては必要最低限の報道で構わないと思います。どうか事実だけを
淡々と伝えてくれと。つまり、何年何月何日何時頃にどこで(全国ネットでも場所の情報は
要るのかどうかは)どういう犯罪が行われたか、という客観的事態だけを伝えるだけで充分
なのだと申したいです。そこからまずはスタート地点(基準)として、更にどうしても必要な
分を、個別のケースに照らし合わせて、上乗せしていけば好いかと思います。
2527
:
無精髭
:2008/10/01(水) 01:46:01
訂正
>(全国ネットでも場所の情報は要るのかどうかは)
「分かりかねますが、」を付け加えてお読み下さい。
私としては、事件場所に関する報道の必要性についても少々疑問です。
これは、映像の問題とも絡んでくるでしょうが。色々と難しいです。
2528
:
無精髭
:2008/10/01(水) 12:43:52
昨晩は色々と寝惚けたことを書いてしまったかも知れません(実際に眠かったのですけど)。
>>2524-2525
の件についてですが、シェンさんが仰るような訓練を積んでいる者であれば、
精神的にも鍛えられるでしょうし、いざと言うときの度胸だって付くことは、ほぼ間違いない
と言って好いでしょうね。何らかの危機に直面した際に、どう対処すれば好いのか、
という知識を持っているだけでも、実際に事が起こったときには、大分落ち着いて対処
できるように、メンタル面でも余裕が出来ていることでしょう。多分。
2529
:
紫煙狼
:2008/10/01(水) 13:21:40
>>2528
特殊な訓練をつむ…というのは、逆に適切な行動をとるためには
相応の経験が必要という事を挙げたかったんです。
知識があって、どうするべきか解っていても、いざ実際にその場に立つと
何もできないなんてのは、不思議でもなんでもない話で、腰が抜けてしまって
声も出ないほど驚いてしまったら、これはもう、どうすることもできませんよ。
つまり、そういう場合は表現として語弊を含むという点で抵抗がありますが、
「見てみぬふりが正解」という場合もありうるわけで、実際の状況と、その時の
自分の状態から「見てみぬふり」という正解を導き出した、という認識が残れば、
社会的に許容されるか否かは別としても、自分の中では納得がいくでしょう。
例えば件のサンダーバードの乗客に、事件を認識していて、見てみぬふりをした
現職警官がいた…とすれば、なぜ見てみぬふりをしたのか説明を頂かないと
納得できません。しかし説明如何では、被害の拡大を防ぐために、断腸の思いで
「見てみぬふり」をせざるを得なかった警官の自責の念や悔恨を知るやも知れません。
このような点を考慮すると「見てみぬふり=罪に問われる」という社会制度には
やはり疑問を抱いてしまう反面、他人事であるからという理由で見てみぬふりを
した者が居たとしたら、批難の対象となっても仕方がなく思います。
ゆえに、罪に問う流れの前に、啓蒙・教育が必要ではないか、と思うのです。。。
ちなみに…私が合気道をやっていた頃、お師匠様は
「もし犯罪に巻き込まれそうになったら決して応戦しようと思わず、叫びながら死ぬ気で逃げろ。」
「犯罪に巻き込まれている人が居ても、自分で何とかしようと思うな。」
「自分で何とかしなければならないときのために、遺言書は常に更新しておけ。」
「そんなに弱そうに見えても相手は間違いなくプロだ、面と向かったら命はない。」
と仰いました。不幸にも、自分のお弟子さんを事件で亡くした経験からのお言葉で、
正しいかどうかは私には解りませんが、一面真理ではあると思います
2530
:
無精髭
:2008/10/01(水) 19:42:56
>>2529
唐突に感じられるかも知れませんが、この度の一件で、シェンさんには
感謝の念を表したいのですが、上手い言葉が見付かりません。「日野OL」
スレや「死刑制」スレでのご発言には、勝手ながらかなりの影響を受けて
おります。かと申して、シェンさんに受けた影響―――つまり、シェンさんに
対する勝手極まる解釈の成果を、自分の文章に出そうなどという考えは
全く持っておりませんけれども。でも、もしかしたら、無意識の内に出て
しまっているかも。いずれにせよ、私にとってシェンさんは、その位、
大きな存在だということです。何か関心事が生まれると、それについて、
シェンさんだったらどう考えるか、といったことを考えたりもします。
閑話休題。
どうもこの頃、以前からの癖である、おかしな文法でしか書けない傾向が
顕著になって参りました。いきなり話を雑談に戻させて戴きますが、
一月ほど前から、異汗性湿疹とやらに罹ってしまい(足指。最初、水虫かと
思ってびっくりしました)、元々アトピーの体質であったことも相俟って、
痒いやら痛いやらで、不快な気分が続いた時期もありましたので、うまく
思考に集中できないなんてことが、多々ありました。まあ、その他にも
ストレスの種になるようなことが、家庭内に色々とございまして・・・。
上のような事情ですので、ROMに関しては、いつも通り心掛けたいのですが、
書き込みに関しては、山積している問題が片付くまでは、これから極力、
短レスで通そうかと思います。一々、ご報告するようなことでもなく、
こちらの住人からすれば、勝手にやれといった感じでしょうが、一応、ね。
2531
:
kensyouhan
:2008/10/12(日) 17:43:05
boro様
お尋ねしたいことがあるので書き込みをさせていただきます。
自分は唐沢俊一氏の活動について検証をしている者ですが(
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/
)、唐沢氏の単行本『唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)の中に、そちらのサイトに掲載されている「ピアノ騒音殺人事件」とよく似た文章が収録されているのです。
『トンデモ事件簿』内の文章は2005年に書かれたものなので、そちらの方が先に書かれているものと思います。
しかし、念のため、失礼であることはわかっていますが、boro様が記事を書くにあたって何らかの資料からそのまま書き写していないか確認させていただきたいのです。
必要とあれば『トンデモ事件簿』の文章を書き込むことにします(かなりの長文になってしまいますが)。
どうぞよろしくお願いします。
2532
:
boro
:2008/10/12(日) 18:42:41
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/piano.htm
↑ピアノ騒音殺人事件のページの最後にテキストを書く上で
参考にした文献を記載しております。
『唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)は参考に
していませんし、読んだこともありません。
ちなみに「what's new」(表紙にリンクあり)というページには
2002年からの更新記録が記載されていますが、
これを見て分かる通り「ピアノ騒音殺人事件」は載っていないので
それ以前に書いたことが分かります。自分ではっきりとは
覚えていないのですが、サイトを立ち上げてすぐ書いたはずで
たぶん、2000年の夏ころだったと思います。
『唐沢俊一のトンデモ事件簿』とありますが、唐沢氏本人が
直接書かれたかどうかは分かりませんね、、、。
三才ブックスといえばあの『ラジオライフ』がすぐに
思い出されますが、、、。
2533
:
kensyouhan
:2008/10/13(月) 09:22:58
boro様
お返事していただいてありがとうございます。
少し補足しておきます。
まず、boroさんが唐沢氏の文章を参考にした可能性はありません。
boroさんが仰る通り、唐沢氏の文章は月刊「ラジオライフ」2006年2月号に掲載されたものだと考えられますが、「無限回廊」の「ピアノ騒音殺人事件」は記事の中の記述から2002年に書かれたものだと考えられるからです。そして「唐沢俊一のトンデモ事件簿」は今年の9月20日に発売されたばかりです。
自分は唐沢氏が「無限回廊」から盗用したのではないかと考えています。既に「トンデモ事件簿」の中からは盗用が発見されていて、さらに今月号の「ラジオライフ」に掲載されている唐沢氏のコラムからも盗用が見つかっています。
しかし、それでも唐沢氏と「無限回廊」が同じ資料から文章をそのまま書き写した可能性が無いわけではないので、boroさんにお尋ねしたわけです。参考文献から文章をそのまま書き写した事実が無いことを確認させていただきたいのです。
どうかよろしくお願いします。
2534
:
boro
:2008/10/13(月) 10:30:11
ピアノ騒音殺人事件については『現代殺人事件史』を
おおまかに参考にしましたが、この本を読んでいただくと分かると
思うのですが、書き出しは加害者が事件を起こした団地に
引っ越してきたときになっており、その後、事件発生→
裁判という順番になっており、控訴取り下げの日や
死刑判決の日の記述はありません。
それに対し「無限回廊」では「事件発生」→「本人歴」
→「その後」という順番で書き、特に「事件発生」「本人歴」では、
さらに『白昼凶刃』を参考にもう少し詳しくなるように
書き足しました。控訴取り下げ日や死刑判決日などもこちらを
参考にしています。
ですので、1冊の本をそのまま書き写しただけではこのような
記述にはならないと思います。
ちなみに、小文字の「吃音」に関すること、寺尾正二裁判長に関すること
刑事訴訟法475条に関する記述については書いているときに
気づいたので、参考文献にないのですが、書き足しました。
もうひとつの事件「ペット殺人事件」については『戦後欲望史』
『実録 戦後殺人事件帳』を参考に書いています。
2535
:
Ken
:2008/10/15(水) 03:14:14
おお、これはワクテカですね。Boroさんの記事も唐沢さんにコピペされてたとは。
町山智浩さんのブログでコピペ疑惑に関する記事をいつも楽しみに読んでたんですよ。
kensyouhanさんがんばってください。検証結果はぜひこちらでもお知らせください。
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