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雑談&連絡スレッド

2455無精髭:2008/08/20(水) 23:54:36
<補足>

Chile氏の書き込みには、唸らされました。他の方も仰っていますが、理路整然としていて
とても分かりやすい。でもまあ、そのお相手である死刑廃止論者の方の主張はと申すと、
死刑は野蛮であるとか、そのような国家的暴力は許されないとかいったことの一点張り
でして、初めから自分と同じ認識を共有できない者を、自らが死刑を否定するのと同じ
理由で、排除しているとも受け取られかねないようなレスを連発していますからねぇ。
Chile氏が際立って見えてしまうのも、それによるところが大きいのかも知れません。

然しながら、Chile氏らのやり取りを読んで、改めて実感させられましたことに、
死刑廃止派(人権派?)特有の決まりきった文句を、理論的裏付けもなしに
結論として提出するのみでは、死刑存置派―――否、一般市民とさえも、
全く議論にならないということでしょう。どうも一般的に認知されている(?)
死刑廃止派による議論というのは、論理性を欠くという理由から底の浅いもので、
死刑存置論以上の現実妥当性がないという理由から空想的感情論であると、存置派から
見下されているようなのですが、これではコピペだと言われても仕方ないのかな、
と思います。他人の言葉の受け売り、弱者的思考、感情的伝播、等々。こんなものを
唯一の手段として後生大事にするのみで、死刑を廃止しようと本気で考えられる
ものでしょうか。でもまあ、それだけにこだわるというのは、凄いことだと思いますけれども。

「死刑制度とは、殺人行為が社会的排除(無力化)という名目で合法化されたものであるから、
殺人が罰せられる以上、それが刑罰においてとはいえ、極刑として正当化され温存されるのは
法律的に矛盾しているし、そうであるからこそ、死刑が犯罪に対して応報的に適用されるのを
国民が許してしまえば、国家による犯罪をもまた認めることになる。」

存置派からすれば、上記のような論理展開など、大間違いだということです。理由は、
殺人や暴力を無条件に否定してしまうと、超越的倫理としての国家的法規や社会規範は
その正当性が失われることで存立不可能(無倫理状態)となってしまうからだそうです。
要するに、殺人や暴力にはある程度の合法的手段としての適用幅を許すことで正当性を
付与しなければ、刑罰全体の正当性が見失われてしまうのは避けられない、ということでしょうか。


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