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雑談&連絡スレッド

2436無精髭:2008/07/30(水) 21:22:29
>>2434
2行目>>議論におけるKenさん(私のことを「髭」と呼ばれていらっしゃるので、
↑「間違った日本語」の典型ですねw スマートに「呼んでいらっしゃる」で構わないでしょう。

どうでも好いことかも知れませんが、Kenさんは、相手からよく「お前の読みはおかしい」「見当外れだ」
「誤解されている」といった非難を受けていらっしゃるようですね。
まぁ、それも(Kenさんには失礼なんですが)一理あるな、と。
但し、急いで付け加えますと、誰だって自分の気持ち以上に他人の気持ちを感じることは出来ませんし、
自分の考えでは当然至極な常識でも、実は他人にして見れば疑わしいものでしかなかったり、
それとは全く異質の常識を他人が持っている可能性はありますから、公的な場において発言したからには、
批判を免れようなんて、甘い考えは捨てた方が好いということです。私の場合、先にも申しましたように、
どうやらマゾっ気があるようだから、鋭い批判であればある程、嬉しくなってしまいますがw

それはともかくと致しまして、どんな書き込みも、書き手との関係を超えたテキストそのものとしての
読解が可能なのです。そして、書き手すら自分が書いたテキストの意味を一義的に確定出来ない(と思います)。
なぜといって、書き手が文章を作り出す為の思考過程は、例外なく公共的な言語体系なり言語規則に依存
しているのですから(でなければ、そもそも人々の間で言葉は通じない)。
そのような言語によって思考された内容や意味、組み立てられた文章は、既に誰かによって考えられたもの、
書かれた文章の影響下を抜け出ることができないものと思われます。
よって、自覚された正しい意図を以って書かれた文章も、その意図自体の出自はその文章に示されることはなく、
作者の思考も、言語の公共性によってその独自性と言われるものを相対化されざるを得ないのです。
人は、言語によってしか思考し得ないということを認めるならば、その言語は他人にとっても同じ意味で言語
であることを認めなければなりません。自他の思考が違うのは、思考そのものが異なった位置にあり、性質を
帯びているからではなく(つまり自他の言語に違いがある訳ではなく)、言語の使い方に違いがあるというべき
なのです。

個々人の思考においては、オリジナル(インスピレーション)と思われたものが実はコピー(無意識の模倣)
だったなんてことはざらにあるものです。


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