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Web誌友会 板/2
2470
:
復興G
:2013/07/27(土) 23:15:18 ID:AB6RqYXc
<つづき>
さて、この肉体が、普通の物質的な分解作用を受けないで肉体としての一定の形を持続しているかと申しますと念の凝結作用によって、体が宇宙の要素に分解しないで一定の姿を維持しているので、それは無機物の作用ではなしに、念の力によるのであります。ですから、肉体から念の力が去った時には、肉体は肉体としての一定の形の持続力を失い、宇宙の要素に分解してしまい一時は腐敗して変なものになるとか、焼けない灰になるとかしますが、結局無くなってしまうのであります。
(中略)
念の去った肉体はそういうふうに分解してゆきますが、それでは肉体を去った 「念」 の方はどうなるかと申しますと、念自身は念の惰力によって、やはり一つの個性を持続して幽界において生活をつづけるのであります。
これはわれわれの霊魂と称するものであって、ここに書いてあるとおり念の浄まるに従ってそれに相応(ふさわ)しき高き霊界を環境に仮作(けさ)してそこでいわゆる天人としての歓喜愉楽の満ちた生活を送り、「念」 の浄まらざるものは、それに相応しき地獄とか煉獄とかの環境を念の力にて仮作し、その環境にいて苦しむことになるのであります。
さてこの天国へいったり地獄へいったりする我(われ)というものは、実相の我ではなくて現象の我――仮相の我なのであります。実相の我というものはすでに円満完全な実相の天国浄土にあって、すでに満ち足りて、無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備え、神の無限の供給を受けている欠くることなき状態であるのであります。そしてこの肉体に宿り、また肉体を離れては霊界において生活を続ける霊魂というのは仮相の、念の波によって構成された我であります。
要するに霊魂というもの(幽体または霊体)もま念の力によって持続している仮の姿であって、「本当の我」 とは異(ちが)うのであります。だから仏教で無我ということを教える、「我(われ)」 というものはない、といって霊魂を否定しているのであります。
生長の家でもまた 「霊魂も本来無い」 と言う。痛みや、苦しみを超克して次第に浄化してゆく霊魂は本来無い。そんなら全然無霊魂論であるかと申しますと、そうではない、霊魂というものを 「仮我(けが)」 または 「仮有(けう)」 として認めるけれども、そんな不完全な相(すがた)は本来ないのであります。
すでに救われ、すでに無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備えているのが、実相の我であるというのであります。
この肉体や、また霊界で苦しみつつ浄化されてゆく霊魂は 「念」 の流転(るてん)、「業(ごう)」 の継続、「業」 の輪廻(りんね)なのであります。業が旋風のように輪のようになって転じてゆくのが念の流転、業の輪廻であって、その業または念は現在において蓄積され、また霊界において蓄積される。その間に修行しながら、念はだんだんに浄化してゆくので、その念の状態に従って念に相応(ふさわ)しい環境が自己の周囲に展開される。これが 『維摩経』 に 「菩薩心浄ければ、その土(ど)また浄し」 とある意味なのであります。(中略)
自分が餓鬼の心をもてば餓鬼道に堕(お)ち、畜生の心をもてば畜生の境涯に生活し、自分が地獄の心を持てば、客観界に地獄の状態が実際に出現してくるのであります。自分の心一つで極楽が地獄にもなる。
しかし、この時仮相の我と、実相の我を混同しないようにはっきり自覚しなければならない。自分たちの念がどれだけ浄まっているか、ということは、要するに実相をどれだけ悟っているか、ということによってきまるわけであります。
(中略)
客観世界というものは業の現われの世界でありますから、業が浄まらなければ業の現われも浄まるわけがない。業が完全に破壊でき、打破できて、はじめてその現われたる客観世界も浄まるのであります。
さてその業を打破するという問題ですが一つ一つ片端(かたっぱし)から業を破壊してゆくというやり方では、いつまでたっても破壊できない、そういうやり方では、無限の業をとうてい有限時間内に破壊することはできません。
一歩一歩よじ登って行ったのではどうしたって無限の山へ登りきれるものではない。思い切って頂上へ飛び上がることが必要なのです。
それで誰をでも容易に飛び上がらすことができる方法は 「実相」 の中へ飛び込んで行くことであります。
2471
:
復興G
:2013/07/28(日) 00:50:18 ID:AB6RqYXc
さて、「お盆ってなーに?」
――盂蘭盆会(うらぼんえ)の由来について。
お盆は、七月十五日の中元を中心に行ったり、月遅れの八月十五日や旧暦の七月十五日を中心に行うなど、その土地の習慣によってちがいはありますが、ご先祖のみ霊を十三日にお迎えし、十六日(十五日のところもある)にお送りするという、日本人にとって忘れることのできない仏教行事・ご先祖供養にほかなりません。
『盂蘭盆経』といわれる中国で作られた文書から、お盆のいわれを伝えるお話をご紹介いたします。
「盂蘭盆(うらぼん)」とは、もともとのことばは「ウランバナ」、訳して「倒懸(とうけん)」といい、つまりさかさまにつるされる苦しみを救うという意味。
お釈迦さまの弟子の中で神通第一の目連(もくれん)尊者が、「安居(あんご)」 といわれる修行僧の集まりで、亡くなった母のことを思い出し、死後の世界を見たところ、母が何も食べることのできない“餓鬼道(がきどう)の世界”で苦しんでいる姿が見えた。
目連尊者の母は生涯他人を思いやることなく、もの惜しみの気持が強かったため、死後にその罪で餓鬼の世界に堕ちてしまったのです。
目連はそれを非常に悲しみ、母を救おうと神通力で食べ物や水を与えようとするが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。
目連は悲しみ、お釈迦さまに母親を救う方法を尋ねた。釈迦は告げた。
「七月十五日、安居(あんご)の最後の日に、できるかぎりの食べ物・飲み物・衣服を用意して、母親になりかわって比丘(修行僧)たちみんなに供養のまことをささげるとよい」と。
その通りに実行すると、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。するとその喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。
救われた母親の姿を見た目連は、毎年供養を続けることを誓った。
この行いが二千数百年経た今も、お盆という行事になって伝えられ、行われているのだということです。
以上は、中国での盆会の由来ですが、日本では、盂蘭盆会では家に帰ってきた先祖の霊魂をもてなす意味合いが濃くなっています。「先祖家に帰ってくる」というのは、元々の仏教の教えにはなく、日本古来の習俗によるもののようです。
わが家の宗旨は天台宗ですが、天台の 「ぶっきょうスクール」 というパンフレットには、次のように書かれていました。
○
「いのちをいただいた恩返し」
「わがいのちをいただいた
母あるは幸いなり
父あるは幸いなり
ご先祖あるは
さらにさらに 幸いなり」
遠い日の ご先祖とも
近い日の 亡き人々とも
深いご縁で結ばれている私
この方々あってこそ
今の私があるのです
いただいた かけがえのない
このいのち……
お盆のご供養は
いのちをいただいた方々への
ご恩返しにほかなりません。
と。
>>お盆の夕方になると、近所のお寺から提灯(ちょうちん)を下げて先祖の御霊を家に連れて帰る風景がご先祖様を大事に、そしてご先祖と共に生活していることが良く分ります、日本の素晴らしい伝統だと思います。 <<
と、
>>2459
に閲覧者Aさまが書かれたとおりですね。
閲覧者Aさま、お答えの続きはまた明日以後にさせてください。
2472
:
ユタカ
:2013/07/28(日) 05:03:50 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
>2460の 神の子さんとは ユタカです。 別板で生長の家教団をチャカしに行って
そのままで投稿したから名前が消えていました。すみません。
2473
:
復興G
:2013/07/28(日) 05:08:06 ID:AB6RqYXc
あ、お答えが完結していなかったのは 閲覧者A様へ ではなくて、
>>2460
神の子さん様へ でした。ごめんなさい。
今日も午前中はリアルの誌友会に出かけますので、完結は今夜か明日になります。
お許し下さい。
2474
:
復興G
:2013/07/28(日) 05:10:26 ID:AB6RqYXc
あ、
>>2460
はユタカ様でしたか。わかりました。
2475
:
ユタカ
:2013/07/28(日) 06:21:48 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
>>数年前のお盆前に田舎のおばあちゃんの所に行ったときのことです。
足の悪いおばあちゃんの代わりに、主人とわたしとお墓のお掃除をさせていただきました。
○ 良かったですね、それは良いことをなさいましたね、昔の日本人はそれはそれはご先祖さまを大切にされていらっしゃいますので、お墓の掃除やお墓参りに連れて行ってあげると本当に喜んでくださいますね。
>>すごい田舎なので、お墓も人気の全くない山の中にあって、今まで(生長の家に触れる前まで)はとても怖くて、
一人ではもちろん、家族と一緒でも行くのが嫌でしたが、その時はピクニックに行くように楽しい気分で行きました。
○ 人気が全くないとは?? 菩提寺はないのでしょうか? 墓地だけ?ですか? お寺があれば、お寺に挨拶に行って本堂にお参りに行ったらいいですよ。塔婆も立てて丁寧にご供養されたらご先祖様も喜びましょう。お寺の受付の方にいろいろ聞いてみて下さい。
>>周りの草を刈ったりむしったり、墓石をきれいに磨いたりした後、麦茶を飲んでいたときですが、
すがすがしい風がす〜っと吹いて、わたしは「あっ、ご先祖さまが喜んいる!!」って思ったんです。
○ お墓のお掃除をしていると、本当にすがすがしい風が吹いてくることもありますね。そして、私達の気持ちも清々しく嬉しくなりますね。復興Gさまのご解説のように私達とご先祖様が一つで直通しているから、ご先祖様の喜びが伝わってきて私達も嬉しくなるのでしょう。と思います。
>>その瞬間、主人が携帯できれいになったお墓の写真を「パチリ」「パチリ」と撮っている姿が見えました。
「おばあちゃんに見せるためだな」と思いましたが、同時に「必ず何かご先祖様の喜んでいる証拠が映っているに違いない!」と確信したのです。
○ ご先祖さまの気持ちが分かったのですね、やっぱり一つなんですね。。。 そしてご主人さまは本当に優しくってよく気がつく方で素晴らしいですね、幸せですね。
>>そして、おばあちゃんの家に戻りパソコン大きく映してみると、本当に白いまん丸い大小のオーブが2枚の写真に3〜4個ずつ映っていました。
それまで一度も、主人やわたしの携帯やカメラの写真に、オーブが映るなんてことはありませんでしたから驚きました。
そして、あの時の自分に「何かが映っているに違いない」という確信があったことに関しても、とても不思議な気持ちになりました。
○ ご先祖様がいたのですね、大小というのは大は大人で、小は赤ちゃんや子供でしょうか? お墓がきれいになって、ましてやa hopeさまやご主人が来てくれた事が嬉しかったのでしょうね。
白い真ん丸い玉・・・普段は私もよくみます。。。ですが、特に印象の強かった体験があるので・・・
生長の家に団体参拝練成会と言って、各教区に割り当てが来て長崎の総本山に練成会(さまざまな各種参拝)に行ったときのことが忘れられない体験です。 その当時は、まだ、谷口雅春先生のビデオ上映があったり、現在とは違いまだ信仰の雰囲気が色濃かった時代でした、献労(境内地で草取りや掃除、農作業)もさせていただき、各種行事も素晴らしくて心晴れ晴れとして神の子を自覚して地元の光明化運動をやる気満々で帰りのバスに乗車して座席にすわった時に、
普段は白色ですが、そのときは、自分の頭の上に 『金色に光った』というか『黄金の光』を放ったと言おうか、金色に輝いたの三個の真ん丸い光った玉を見ました。 そのときは、びっくりしましたけど、これは『ご先祖様も一緒に「総本山の練成会」を受講して浄化されて本来の光を放っているんだな!!』と感激し、嬉しくもありました。 そのときの金色の丸い光がいまでも印象に残っています。 やっぱり生長の家は素晴らしいと改めて思います、書きながら・・・。です。
あとは、友達の家に行った時に その友人に丸い大きな白い玉がついているのを見ました。 a hopeさまにも一杯ご先祖さまがついて護ってくれていらっしゃることでしょうね、有難いですね。。
2476
:
復興G
:2013/07/28(日) 07:18:00 ID:AB6RqYXc
>>2471
盂蘭盆会の由来とされる目連伝説(『盂蘭盆経』)について考えてみましょう。
(『盂蘭盆経』 というのは中国で成立した偽経だとも言われていますが)
「施餓鬼(せがき)」というのは餓鬼道に堕ちた人を救うために食べ物や飲み物を施すことのようにもいわれますが、目連伝説では、目連尊者が 「母を救うにはどうしたらよいのでしょう」 との質問に対し、お釈迦様が与えられた答えは、「多勢の修行僧たちに供養しなさい」 ということで、餓鬼道に堕ちた母親に直接食べ物や飲み物を供養することではなかった。(母親に直接食べ物・飲物を与えようとしてもそれはできなかった。)
多勢の比丘(修行僧)たちに施しをする「布施(愛行)」の行が、回り回って母親を救うことになる。それは回り道のようだけれども、業の法則・輪廻(りんね)についての深いお考えに基づいた釈尊のお教えだったのですね。
『白鳩』 No.40に掲載されている谷口雅春先生の御文章には、次のようにあります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
先祖を供養――先ず食物と水をお供えすること
生長の家創始者 谷口雅春
皆さんは御先祖の霊をお祀りして、その霊たちに真理のお経を読涌することによって「真理」を御先祖の霊に供養していられますか。供養というのは、お供えして養うという意味です。養うというのは栄養になるものを食べさせて成長させることであります。
人間は肉体が死んで魂が霊界へ行きますと、もう肉体をもっていませんから、肉体が食べるような物質的食物は不要になるのであります。
しかしながら肉体を脱して霊界へ行きますと、霊魂が肉体を脱(ぬ)けるときの断末魔の苦しみで、一時、気を失って意識がなくなり、さて肉体から去った霊魂が、霊界に転生してやがて意識を恢復して気がついた時、無意識中のことはわからないで、死の直前の病気のことを思い出します。そしてやはり自分の病気をしている肉体がここに在ると思います。つまり、この霊魂はまだ肉体意識から去っていないのです。
肉体があるつもりなのですから食物をたべたいと思い、飲み物をほしいと思います。しかし、もう死んで焼いてしまったと思っている人にお食事を差し上げる家族はありませんから、彼は “餓え” や “渇き” を感じて苦しむのです。
こういう、まだ悟りをひらかぬ霊魂はその心が、地上の物質に縛りつけられていますから 「地縛(じばく)の霊」 と心霊学では申します。こんな霊魂のためには食物や茶湯(ちゃとう)又は “水” をお供えしてあげねばなりません。これも供養の一つであります。だから施餓鬼(せがき)その他の法事のときには、先ず食物や茶湯をお供えするのです。
霊魂にとっての悟りの第一歩
しかし、やがて肉体を脱した霊魂は、「自分は “肉体” ではない、“霊” である」 と悟るときが来ます。それは、その霊魂にとって悟りの第一歩であります。悟りの基盤が出来たわけです。
ずいぶんたくさんの霊魂がまだ 「自分は肉体をもっている」 と思ったままでいるのです。それだから、肉体の死の直前の病気のつづきを病んでいるつもりで苦しんでいるのもありますし、地上の物質的なものに対する慾をもっていて、地上の物に縛られ、「地縛の霊」 になっているのです。
こんな霊に、「あなたはもう肉体を脱して霊界に来ているのだ」 と知らしてあげることは子孫の義務であります。
(中略)
病念を持ち越して霊界で苦しむ霊を救うために
病念を霊界まで持ち越して、病気の記憶のままに病気を霊界で体験しつつ苦しんでいる霊魂の救われる道は、病気や肉体はないということと、死後の生命の継続を説いて聞かせてあげ、「死」 というものはない、それは現実界から霊界への転任である。その転任の時機は神の御手にあるのだという真理を悟らせてあげることが第一である。それには祖霊を招霊して 『甘露の法雨』 を毎日一定時間を約束して読誦してあげるがよい。
一人の迷える霊魂を導くだけで、原因不明の病気や不治の病気、それに家庭不和などが改善される場合があるのである。だから、先祖とか親類縁者の祭祀(まつり)というものを決しておろそかにしてはならないのである。
(『新版 人生を支配する先祖供養』18〜19ページ、日本教文社刊)
――以上、『白鳩』 No.40より
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2477
:
復興G
:2013/07/28(日) 07:20:28 ID:AB6RqYXc
――上記が普通によくいわれる先祖供養についてのご教示ですが、これは、
>>2470
の根本真理についてのご教示では、
<< さてこの天国へいったり地獄へいったりする我(われ)というものは、実相の我ではなくて現象の我――仮相の我なのであります。実相の我というものはすでに円満完全な実相の天国浄土にあって、すでに満ち足りて、無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備え、神の無限の供給を受けている欠くることなき状態であるのであります。そしてこの肉体に宿り、また肉体を離れては霊界において生活を続ける霊魂というのは仮相の、念の波によって構成された我であります。
要するに霊魂というもの(幽体または霊体)もま念の力によって持続している仮の姿であって、「本当の我」 とは異(ちが)うのであります。だから仏教で無我ということを教える、「我(われ)」 というものはない、といって霊魂を否定しているのであります。
生長の家でもまた 「霊魂も本来無い」 と言う。痛みや、苦しみを超克して次第に浄化してゆく霊魂は本来無い。そんなら全然無霊魂論であるかと申しますと、そうではない、霊魂というものを 「仮我(けが)」 または 「仮有(けう)」 として認めるけれども、そんな不完全な相(すがた)は本来ないのであります。
すでに救われ、すでに無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備えているのが、実相の我であるというのであります。
この肉体や、また霊界で苦しみつつ浄化されてゆく霊魂は 「念」 の流転(るてん)、「業(ごう)」 の継続、「業」 の輪廻(りんね)なのであります。業が旋風のように輪のようになって転じてゆくのが念の流転、業の輪廻であって、その業または念は現在において蓄積され、また霊界において蓄積される。その間に修行しながら、念はだんだんに浄化してゆくので、その念の状態に従って念に相応(ふさわ)しい環境が自己の周囲に展開される。これが 『維摩経』 に 「菩薩心浄ければ、その土(ど)また浄し」 とある意味なのであります。(後略)>>
とあるのであって、ご先祖様の御霊は本来 「すでに救われ、すでに無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備えて」 おられるのである。
だから、
<< 仏典には「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある。九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自己・子・孫・曽孫・玄孫の各九代にわたる親族のことである。「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには、九族の名前をいちいち呼び出して祀るということが必ずしも必要ではないのである。自分自身が出家することが必要である。
“出家する” とは必ずしも、家を出て僧侶の修行をすることではないのである。真理を悟って、俗世間に生活しながらでも、維摩居士(ゆいまこじ)のように自由を得るということである。俗世に処しながら、その俗世の生活が真理によって超出した境地で、「菩薩(ぼさつ)心浄ければ仏土浄し」 の浄き世界に住み得ることである。
自分ひとりがそのような悟境に入れば九族悉く天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりも無い」 ということになるのである。「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。(『生長の家』誌昭和46年11月号参照)>>
と、『人生を支配する先祖供養』 p.69〜70には書かれているのであります。
では、今日午前中は出かけますので、また夕方から夜にお目にかかります。
2478
:
復興G
:2013/07/28(日) 22:53:31 ID:AB6RqYXc
今日は午前中リアル誌友会のあと、食事・懇談・個人相談のようなことが続き、夜は盆踊り大会のビデオ撮影などしてきました。
ここは富山県ではないけれど、盆踊りは越中おわら 風(かぜ)の踊りというのを、商店街の道を歩行者天国にして、老いも若きも、男も女も子どもも自由参加で、無心になって楽しく踊り歩く。私は撮影しながら心が安らぎ癒やされました。
私は今、合唱団でこの 「越中おわら」 などを組曲にして合唱することもやっているのです。
「盆踊り」とは、ウィキペディアによると
「盆の時期に死者を供養するための行事、またその行事内で行われる踊り」 とあります。
『盂蘭盆経』の目連伝説でも、目連がお釈迦さんの教えによって多くの比丘(修行僧)たちに食べ物や飲み物を供養したら比丘たちはよろこんで飲んだり食ったり踊ったりして喜んだとありますから、その流れを汲むものかも知れません。
谷口雅春先生の 「太陽の讃歌」 という詩には、
<<……太陽をほめる千万(ちよろず)の波の唇と共に
わたしも声をそろえて
生命の讃歌をうたおう。
太陽を称えているうちに
わたしは 波の歌う歌詞にあわせて踊りたくなった。 ……
わたしはただ歌って踊っているだけで好いのであった。>>
とあります。
これが、先生のお悟りの喜びの境地から生まれた詩なのですね。
<わたしはただ歌って踊っているだけで好いのであった>
のですね。
さて、
>>2460
でユタカ様が
>>私はお盆になると、夜中に誰かがお風呂に入っている音(家族は桶は使用せずにみなシャワーですが、お盆の最中は桶でカツーン、バシャー と水が流れる音がしているので覗くと真っ暗で誰もいない)を聞きます。
どのご先祖様かは分かりません。。。<<
と書かれたのは、「気味が悪い、怖い」 というニュアンスで書かれたのかと誤解していましたが、そうではなく、
>>私は全然怖くなくて、お盆は本当にご先祖様が家に帰って来る実感があるので、お盆の期間は新しいお湯を入れなおして24時間いつでもお風呂が使える体制にして、ご先祖の食事もいつもはご飯だけですが、おかずも一緒に供えて、一緒にお盆の期間を過ごしています。
永遠生き通しの生命ですから、ご先祖さまの生命をありありと感じられる懐かしい嬉しいお盆の時間であります。<<
ということですね。
それでご先祖様の方も、よろこんで「帰ってきたよ」 ということを知らせるためにお風呂に入っている音を出し、感謝の気持を通信して来られたのかも知れないと思いました。ならば、とてもほほえましいことですね。
ありがとうございます。
さて、今日はここまでにして、先祖供養に関する “講話” のまとめは、明日まで延期させて頂くことをお許し下さい。お願いいたします。合掌
2479
:
a hope
:2013/07/29(月) 08:54:34 ID:edEDolt2
復興Gさま
先祖供養(お盆)に関する素晴らしいご講話をありがとうございます。
とてもお勉強ななります。
″先祖供養に関する “講話” のまとめ″楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
>>2475
ユタカさま
わたしのお墓掃除のときの体験談に、うれしいコメントをありがとうございます。
>>そしてご主人さまは本当に優しくってよく気がつく方で素晴らしいですね、幸せですね。<<
わたしの主人は本当に優しくてよく気が付く人なのです。
そしてその優しさが全然押しつけではないのです。
「これをしたら、この人は喜んでくれるだろうな・・・」って、
常に相手の気持ちを考えているんですよね。
自分がどう思われるなんて、少しも考えて無いところが、主人のすごいところだと思い、
心から尊敬しています。
>>白い真ん丸い玉・・・普段は私もよくみます。。。<<
そうなのですか!
さらに、総本山に練成会の後には、
>>自分の頭の上に 『金色に光った』というか『黄金の光』を放ったと言おうか、金色に輝いたの三個の真ん丸い光った玉 <<を見たのですね!!
すごいですね。
ユタカさまにはなにか霊感的な力があるのですね。
わたしは写真に写ったものしか、見ていませんがそういう良質な光が実際に見えたりすると、
さらにご先祖さまとの一体感が深まるのでしょうね。
素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました。
わたしは今まで、「生長の家の唯神実相」と「生長の家の先祖供養」の関係を、
頭では理解していましたが、本当に魂から納得してはいなかったような気がします。
わたしは、生長の家の「唯神実相」だけをお勉強しているときは、
ご先祖さまとわたしも一つ、神さまとわたしも一つで、すべてのすべてが一つならば、
自分自身の実相礼拝だけしていれば、形式上の「先祖供養」など必要ないのではないか・・・。
という思いが強くありました。
しかし今回の復興Gさまのご講話やユタカさまのお話を拝見していて感じているのですが、
「唯神実相」を深く理解して、「神の子の自覚」を深めれが深めるほど、
自分の日本人としてのルーツにも目覚めて、ご先祖さまへの感謝の気持ち(一体感)が湧いてきて、
しぜんなかたちでお墓参りがしたくなったり、仏前で手を合わせたりしたくなり、
まことの先祖供養が出来るようになっていくのではないかと感じています。
なかなか、うまく表現できませんが、今、心から家族やご先祖さまに感謝できる自分がうれしいです。
そして、天地一切のものに無理なく感謝できるようになった時が、
まことに「生長の家の教え」を悟ったときなのではないかと感じています。
2480
:
ユタカ
:2013/07/29(月) 11:06:19 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
復興G様 毎回素晴らしいご講話を有難うございます。
まとめですが、毎回まとまっているので素晴らしいと思いました。
a hope様 ありがとうございます。
>>なかなか、うまく表現できませんが、今、心から家族やご先祖さまに感謝できる自分がうれしいです。
そして、天地一切のものに無理なく感謝できるようになった時が、
まことに「生長の家の教え」を悟ったときなのではないかと感じています。<<
>〈楠本〉 生長の家は「天地一切のものに感謝せよ」と教えています。その中で一番大切なのが、父母に感謝することです。自分の存在が素晴らしい「神の子」だと分かれば、自分を生んで下さった父母に対して感謝の気持ちが起るのは、当然のことなんですよね。親は生まれてから一番世話になった人であり、身近な存在です。その父母に対して感謝できなければ、他人や天地の何物にも感謝はできないんです。<
楠本先生によりますと、a hopeさまは、もう生長の家を悟っていらっしゃるのではないですか。おめでとうございます(拍手) 感謝の心は清々しくて気持ちのいいものですね、ありがとうございます。
2481
:
ユタカ
:2013/07/29(月) 11:32:48 ID:R1D4Jmeg
そして
復興Gsさまが 縦横無尽に あらゆる視点からの霊界の様子や実相の事、佛教の盂蘭盆の意味など理論的に深く教えて下さっています。
私のお風呂の音の書き方の表現が悪くて上手く伝わらずに申し訳ありませんでした。 あと、盂蘭盆の目連さんが修行僧に施すということで思いましたが、私達も誌友会で誌友さんに昼食やまたは茶菓を召し上がって頂くのが嬉しいのは、全てが一つだから知らず知らずにご先祖様に施すことにも繋がっていたからかも知れないですね。。。
みなさん、教団の人も、そうでない人も、自宅を開放して生長の家の誌友会をひらきましょう。そして誌友さんに施しを受けて頂くと有難くなると思います。
復興Gさま、間違えていましたら修正をお願いいたします。
2483
:
曳馬野
:2013/07/29(月) 12:45:38 ID:TZ2/719s
>>2477
仏典には「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある。九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自己・子・孫・曽孫・玄孫の各九代にわたる親族のことである。「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには、九族の名前をいちいち呼び出して祀るということが必ずしも必要ではないのである。自分自身が出家することが必要である。
“出家する” とは必ずしも、家を出て僧侶の修行をすることではないのである。真理を悟って、俗世間に生活しながらでも、維摩居士(ゆいまこじ)のように自由を得るということである。俗世に処しながら、その俗世の生活が真理によって超出した境地で、「菩薩(ぼさつ)心浄ければ仏土浄し」 の浄き世界に住み得ることである。
自分ひとりがそのような悟境に入れば九族悉く天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりも無い」 ということになるのである。「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。(『生長の家』誌昭和46年11月号参照)>>
と、『人生を支配する先祖供養』 p.69〜70には書かれているのであります。
雅宣先生は可笑しいという方々にお聞きしたい。
この雅春先生の御文章が正しいのであれば、【孫にあたる雅宣先生は天界に生まれている】ことになります。【いや彼は迷っている】と云うのであれば、雅春先生は悟境に入っていないことになります。
【「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。】
この御文章が雅春先生の御見解だと私は思います。
生きていても霊界に往かれていても秩序を持ってお仕えすることが必要と思う次第です。
ここではSAKURAさんのみが中心帰一の真理に随順されているように見受けられます。
2484
:
閲覧者A
:2013/07/29(月) 12:49:18 ID:???
復興G様の講話を拝聴させて貰っています。
盂蘭盆のところまでは、まだ拝読できていません。
しかし、霊界もこの世と同じ、現象の世界であることを思いました。
ご先祖様は、自分のなかにおられ、自分もまた、ご先祖様のなかにあるのですね。
ご先祖様には、感謝の気持ちと、自分がご先祖様の生命を受け継いでいる…いつかは子孫に繋いでいくのですから、自分もまた空っぽなのですね。
違っていたら、ご指導ください。ありがとうございます。
2485
:
ユタカ
:2013/07/29(月) 13:13:17 ID:R1D4Jmeg
曳馬野 さま
>自分ひとりがそのような悟境に入れば九族悉く天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりも無い」 ということになるのである。「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。(『生長の家』誌昭和46年11月号参照)>>
ちゃんと読んでる?
曳馬野 さまがそのような悟境に入れば九族悉く天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりも無い」 ということになるのである。「あの霊が迷っているのではないか・雅宣先生は可笑しいという方々にお聞きしたい。 」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。(『生長の家』誌昭和46年11月号参照)>>
えへっ。。。。???
2486
:
ユタカ
:2013/07/29(月) 13:19:32 ID:R1D4Jmeg
真理は自分自身に帰す事が大事なんですね。。
曳馬野さまに教えられました。 ありがとうございます。
ユタカの祈り。。『神様、いろいろなものが不完全に見える私を実相だけ見える私に変えて下さい。』
今日からやろっと!!
曳馬野さま、ありがとうございます。
2487
:
ユタカ
:2013/07/29(月) 13:40:37 ID:R1D4Jmeg
曳馬野さま
>すでに救われ、すでに無限の愛、無限の知恵、無限の生命を備えているのが、実相の我であるというのであります。
これを一人出家すれば、と言っているのでしょう。谷口先生からすると、家族どころか天地すべてが「尊い神様の存在」に見えてすべてを拝んでいらっしゃいますね。
2488
:
復興G
:2013/07/29(月) 15:33:27 ID:AB6RqYXc
皆さま、ありがとうございます。
私の家の仏壇はやや大きめで、最上段のまん中に阿弥陀如来、左側(向かって右側)に観世音菩薩、右側(向かって左側)に勢至菩薩の像が安置されています。
阿弥陀如来は無量光佛、無量寿佛、尽十方無碍光如来などとも言われる、宇宙に遍満する無限の光なる如来、佛。観世音菩薩はその 「慈悲」 を現す化身であり、勢至菩薩は 「智慧」 を現す化身である。この三つの像は阿弥陀三尊と称され、本来一体のものであります。
そうして少し下の向かって右側に当家先祖代々の位牌、左側に妻の実家の先祖代々の位牌を祀っています。
私は毎朝この仏壇の前に坐り、阿弥陀三尊像を仰ぎ見ます。そして、ご先祖様がこの如来三尊そのものと一体でいらっしゃると観じます。そうして
<< ご先祖様は、すべてを与えきってあの世へ行かれた。ご先祖様は愛にまします。神にまします。佛にまします。
ご先祖様のいのちは神様のいのち(神様と言っても仏様と言っても同じであるという思いで、そう念じます)。
ご先祖様の心は神様の心。
ご先祖様の体は神のみからだ。
そのご先祖様からいのちをいただいて、私は生かされています。
私のいのちはご先祖様のいのち。
私の心はご先祖様の心。
私の体はご先祖様のからだなのでした。
「私」というものは無かったんです。空っぽだったんです。
その本来の空っぽに還ったとき、私は自由自在。
私の中にすべてがあり、すべての中に私があり、
私は全てなのでした!
私は光なのでした!
愛なのでした!
無限の智慧なのでした!
神なのでした!
無量寿如来なのでした!
ありがとうございます。ありがとうございます。>>
と心に唱えて、神想観・聖経読誦をします。
そのとき、招神歌の
「生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)え給え」
の元津霊はわが内にあり、それを「全てのものに幸え給え」という意味になります。
「わが生くるはわが力ならず……」
というのは、
「すべてのものが生きていらっしゃるのは自分の力で生きていらっしゃるのではない。神様の権能(ちから)で生かされていらっしゃるのである」
ということであると念じます。
「もはや我れ生くるにあらず……」 というのは、
生きとし生けるすべてのものは、自分の力で生きているのではなく神がそこに生きていらっしゃるのである。
ありがとうございます。ありがとうございます。>>
と念ずることになります。
2489
:
復興G
:2013/07/29(月) 15:52:03 ID:AB6RqYXc
上記の 「すべてのもの」 の中には、もちろん、総裁谷口雅宣先生も入ります。
そして、「学ぶ会」 など、“本流” の方たちも、入ります。
「全て」 なのですから。
2490
:
曳馬野
:2013/07/29(月) 15:53:22 ID:TZ2/719s
【仏典には「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある。九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自己・子・孫・曽孫・玄孫の各九代にわたる親族のことである。「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには、九族の名前をいちいち呼び出して祀るということが必ずしも必要ではないのである。自分自身が出家することが必要である。】
【谷口先生からすると、家族どころか天地すべてが「尊い神様の存在」に見えてすべてを拝んでいらっしゃいますね。】
ユタカさんあなたは『幼子の如く』といえば子供のようにめちゃくちゃ云うことだとばかりの書き込みをするし、よく読んでから理解してからものを言えという。
雅春先生は【「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには】と言っているのです。
現実世界の光明化のため生長の家を始めたのです。あなたのように屁理屈を言っておいて、『神様、いろいろなものが不完全に見える私を実相だけ見える私に変えて下さい。』と祈ったからと言って神様に責任を擦り付けるような人を救うとお思いですか?
あなた流で行けば神は云われるでしょう「既にそうしてある」と。
雅春先生が実相を拝んでくれても、迷っていると、信徒に思われる孫がいたのでは【天人歓喜常楽の生活を営なんでいる】とは言えない。
実相論で観念の世界を生きていて現実は嘲笑の世界で、どこが常楽の世界でしょうか?
吉田国太郎先生の常楽への道をよくよく読まれてからものを言ってください。
2491
:
復興G
:2013/07/29(月) 15:55:27 ID:AB6RqYXc
曳馬野さんも、SAKURA さんも、みんな入ります。
ありがとうございます。
2492
:
閲覧者A
:2013/07/29(月) 16:39:20 ID:???
_
>>2488
復興G様
私はいま、感激で涙腺が緩んでおりますが、復興G様は、お仏壇の前で神想観をされておられるのですか?
復興G様の、唱えられる言葉、私もぜひさせてください。
我が家も、復興G様と同じお仏壇です。ただ、お位牌は向かって左側に新しい仏様、向かって右側に古い仏様のお位牌を置いています。
2493
:
復興G
:2013/07/29(月) 19:19:50 ID:AB6RqYXc
>>2492
:閲覧者A様
ありがとうございます。
2494
:
復興G
:2013/07/29(月) 19:20:46 ID:AB6RqYXc
>>2483
:曳馬野様
「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある……この雅春先生の御文章が正しいのであれば、【孫にあたる雅宣先生は天界に生まれている】ことになります。【いや彼は迷っている】と云うのであれば、雅春先生は悟境に入っていないことになります。<<
――おっしゃるとおりで、そのことは、2年前に私も書いていました。
<「今の教え」と「本流復活」を考える 3>板の<168>で
>168 :復興G:2011/08/01(月)
私は、雅宣総裁を罵倒することは、谷口雅春先生を罵倒することになるんじゃないかと思うんです。
なぜなら、谷口雅春先生は「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」とお教え下さった。九族というのは、高祖・曾祖・祖父・父・自己・子・孫・曾孫・玄孫の9代にわたる親族である。出家するとは、真理を悟って自由を得ることである。一人が悟境に入れば、九族悉く天界に生まれるのであるとお教え下さっているのです。それが、三代目でとんでもない不肖の孫が出てきたということであれば、それは谷口雅春先生のお悟りがその程度のものだったかと、谷口雅春先生をおとしめることになるんじゃありませんか? <<
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311553464/168
――と。上記の思いは、今もあります。
しかし同時に、
神こそ渾(すべ)ての渾て、
神は渾てにましまして絶対なるが故に、
神の外にあるものなし。
神は実在のすべてを蔽う。
存在するものにして
神によって造られざるものなし。
であり、
すべて真実の実在は、
神と神より出でたる物のみなり。
神は完全にして、
神の作りたまいしすべての物も完全なり。
……
神は罪人を造り給わざるが故に
この世に一人の罪人もあらず。
であって、雅宣総裁を迷いの塊と罵倒しているような“本流”の人々も本来神の子である。
だから、教団と“本流”は現象世界では裁判に訴えて争いあっているようでも、
<すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。>(「天地一切と和解する祈り」)
と祈り続けてきました。
そして、ただ祈っているだけで何の行動もしないというのではいけない。
<妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができるのである。……神は勇気の本源であり、神の子たる私は、勇気そのものである。神の智慧われに来りて、迅速果敢に適当なる決意と断行をなさしめ給うのである。>
ということで、祈りつつ行動しているのが今の私であるつもりであります。
2495
:
ユタカ
:2013/07/29(月) 21:14:44 ID:R1D4Jmeg
>雅春先生が実相を拝んでくれても、迷っていると、信徒に思われる孫がいたのでは【天人歓喜常楽の生活を営なんでいる】とは言えない。
だったら、それは雅春先生の問題でなく、信徒の問題でしょ。 あくまでも雅春先生が「ご存命で此処に今存在」なさっていたら、教団が裁判なんかやると思う??
誰もが、雅春先生の御前ではおとなしくなってそういうことはやらないでしょう。。。
だから、雅春先生はそういう、バカ教団の裁判、バカ孫の存在など見るわけ無いでしょう。 ちょっと考えれば分かるでしょうに・・・
2496
:
ユタカ
:2013/07/29(月) 21:27:17 ID:R1D4Jmeg
ユタカの言いたいことは、
雅春先生の九族は救われ済みで間違いなくて、雅春先生には不肖の孫の存在はないと言うことです。(現実世界においても)
雅春先生が無くなってやりたい放題の不肖の孫・に見えている、自分たちの間違いでしょう。。。
だから、祈るんだ!! なんか、悪いこと言った??
2497
:
閲覧者A
:2013/07/29(月) 21:41:46 ID:???
>>2494
復興G様、本流の人、皆が皆、総裁を迷いの塊だと罵倒してはいませんよ。
教団信徒の方でも、総裁をコケクソに言ってる方もいますから。
総裁の現象を罵倒する人は、どこに所属していても罵倒するのです。
総裁のご指導を知り、現実を見た上で、総裁の実相を観る…そういう人も沢山いることを、ご承知ください。
2498
:
復興G
:2013/07/29(月) 21:48:02 ID:AB6RqYXc
>>2497
:閲覧者Aさま
>>本流の人、皆が皆、総裁を迷いの塊だと罵倒してはいませんよ。<<
それはその通りだと認識しています。
誤解を与えるような表現があったとしたら、お詫びいたします。
2499
:
閲覧者A
:2013/07/29(月) 22:27:15 ID:???
>>2498
復興G様
ご理解くださっていらっしゃるとのこと、ありがとうございます。感謝申し上げます。
2501
:
復興G
:2013/07/29(月) 23:24:52 ID:AB6RqYXc
さて、“先祖供養についての講話” のまとめに入りましょう。
「万教帰一の生長の家」ならでは の先祖供養について、書かねばならぬと考えています。
>>2462
で書きましたように、
<<○宗旨の異る霊魂を一緒に祭祀してもよいか(『人生を支配する先祖供養』p.53〜 抜粋)
生長の家の教えは万教帰一であるから、その祭主が生長の家であり、その心に他宗排斥の心がなければ、日蓮宗も真宗も本来一つという祭主の心が通ずるから構わない。
要は供養する者が正しい信仰をもって行えばよいわけである。特に、生長の家は万教帰一であるから生長の家の信徒であれば聖経 『甘露の法雨』 を誦げてあげればよいのである。それにて何宗の人々の霊魂も皆救われるのである。>>
とお教え頂いていますが、また次のようにも書かれています。
<同上書p.30〜31 要約>
<「宗旨を変える事によって起る障害」――往々精神病者の家族を持っているとか、あるいは変なえたいの知れない病気――小児マヒであるとか、癲癇(てんかん)であるとか、舞踏病であるとか、医者の方でちょっと原因不明な病気を持っておられる方が、その率にしてクリスチャンの方が多いのである。それはキリスト教がわるいのではないが、キリスト教が日本に移入されたのがきわめて近代であるために、祖先の霊魂たちがキリスト教というものを知らない。神道であるとか、仏教であるとかの信仰を持っていて、耶蘇(ヤソ)という名前を聞くだけでも嫌いだというふうな、異教を毛嫌いする霊魂たちが先祖に多い。それで霊界で村八分的になり、置き去りにされたような霊魂が、子孫に救われようと思って子孫に憑(かか)って来ると、医学的には原因不明な病気を現わす――(要約)>
――さて、私の祖母は熱心なクリスチャンでした。その祖母が霊界から私を生長の家に導いてくれたような気がするということを、前に書いたことがあります。
わが家の宗旨は天台宗、仏教です。
祖母はひとりクリスチャンです。
で、「宗旨を変える事によって起る障害」 はないか?
そう思われるような障害の事象は、ありました。
孫の一人が中学生の3年間不登校で、ほとんど学校へ行きませんでした。家にひきこもり、たくさんのカメを飼って、カメばかりかわいがっていました。
実は祖母の名前が、「カメ」 でした。
これは、上記 「宗旨を変える事によって起る障害」 についてのご教示に関係があると直感しました。
私が、お釈迦さんの教え(仏教) とキリスト教の教えが、神髄に於いてまったく一つの同じものであることをはっきりと会得して、それを先祖に伝えることができるように精進することが求められている、と思いました。
自分の中に先祖があり、先祖のいのちと自分はいっぺんも離れたことがない。だから自分のからだをさすりながら 「ご先祖様ありがとうございます」 と感謝してもいいのだ。そして、ご先祖様を神として拝む生長の家の先祖供養こそ最高の供養だという榎本恵吾先生の言葉に、感銘を受けました。
それで、
>>2488
に書いたように先祖を拝むご供養をするようになり、真理の研鑽精進をしていると、「生長の家の歌」 の歌詞に、万教帰一の神髄が歌われていると思いました。仏教もキリスト教も、「久遠の今」 の教えであるとわかりました。
そして、仏壇に安置されている阿弥陀如来像は、即 「永遠のキリスト像」 と見ても間違いないのだ、と思いました。
仏教に帰依してきた先祖は、阿弥陀如来さまと一体であり、キリストを信じてきた祖母は永遠のキリストと一体で、キリストそのものでいらっしゃるのです! と拝むご供養、礼拝をするようになったとき、不登校だった孫に、すごい変化が起きました。
高校に進学して毎日登校するようなっただけではありません。もともと持っていたすぐれた運動能力を遺憾なく発揮し、今自転車ロードレーサーとして飛び抜けて注目される選手になっています。具体的なことは省略しますが……。
毎朝5時起きして、登校前に山道を約60km走るトレーニングをし、一日120kmぐらいは走っているようです。
初めて高校生として日本一の記録を出したのが昨年8月19日、宇治別格本山 盂蘭盆供養大祭本祭の日であったことも、何か因縁を感じさせられます。
<つづく>
2502
:
復興G
:2013/07/29(月) 23:40:09 ID:AB6RqYXc
<つづき>
<< 祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するのであります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に光を与え、生命を与え、祖先を済い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが 「生長の家」 であります。>>
永遠のキリストと阿弥陀如来は一つ、一体だ! ご先祖様は阿弥陀如来様であり、永遠のキリスト様です! と拝むことのできる、万教帰一 生長の家の先祖供養は、最高のご供養だと思います。
一応これで “先祖供養についての講話” を終わらせて頂きます。
長時間にわたり、お付き合いをありがとうございました。
感謝 合掌 再拝
2503
:
復興G
:2013/07/29(月) 23:47:20 ID:AB6RqYXc
>>2502
の引用文は、『生命の實相』 第28巻 p.78 からでした。
2504
:
閲覧者A
:2013/07/29(月) 23:53:38 ID:???
復興G様、ご指導ありがとうございました。
>自分の中に先祖があり、先祖のいのちと自分はいっぺんも離れたことがない。だから自分のから だをさすりながら 「ご先祖様ありがとうございます」 と感謝してもいいのだ。>
のところ、感動を覚えました。
肉体も、神様を表現すると同時に、ご先祖様の生命も表現させていただくのですね。早速実行します。
お孫さまのお話も感動しました。
我が家は、ご先祖様方のなかには、みなが各々、別の新興宗教をされた方がおられました。
そこが少しだけ引っ掛かっていましたが、
>祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するの であります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に 光を与え、生命を与え、祖先を済い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが 「生長 の家」 であります。>>>
との言葉に、自分が先祖供養において、正しい信仰をもっていると確信が足りなかったと思いました。
お盆を前に、貴重なお勉強をさせて貰ってありがとうございました。
感謝申し上げます。
2505
:
閲覧者A
:2013/07/30(火) 00:05:34 ID:???
あと管理人様はじめ、いろいろお世話くださる、ユタカ様、a hope様、皆様ありがとうございました。
お陰様で、よい勉強をさせていただきました。
2506
:
ユタカ
:2013/07/30(火) 00:41:23 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
素晴らしいご講話を有難うございました。 それにしてもお孫さんとの体験談は素晴らしいですね。
そして、今のお孫さんは毎朝60kmも走るのですか! 一日120km! 普通の人には走れない距離です!自転車で国内の何処でも簡単に行く事ができそうですね。
こちらのお孫さんがカメを沢山飼うということや不登校などを通して、子孫にメッセージをはっきりと伝えてくるのですね。。。
今、教育現場ではクラスに3〜4人は不登校児がいますが、それぞれなにかしらのメッセージを伝えているのでしょうね。。 復興Gさまはこの世界が長くいらっしゃってご先祖様のメッセージがすぐに受け取れて精進して正しくご供養も充分に出来ましょうが・・・
普通に生活している方々にとっては、(宗教の勉強をしていないと)なかなか・・・不登校の理由が分かりませんよね・・・・ このようなお子さんを抱えている親御さんに伝道して差し上げないといけないと気持ちも新たになりました。また、復興Gさまの体験談をそっくりそのまま話してあげようとも思いました。
それにしても、生長の家のご供養はご先祖様が阿弥陀如来さまであり永遠のキリストさまと一つです!と拝む供養だったのですね〜〜〜!! 偉大だ===!!!
本当に詳しく正確に教えていただいてよく分かりました。。。。 明日からは私もご先祖様とお釈迦様は一つだ!大生命と一つだ!とそこまでしっかりと拝んで先祖供養させていただきます。
本当に勉強になりました、有難うございます。
ご先祖さまをそのように拝めるように精進していきたいと思いました。
復興Gさま、素晴らしい!! ありがとうございます。 眼からウロコ・・・でした・・
2507
:
ユタカ
:2013/07/30(火) 05:47:05 ID:R1D4Jmeg
閲覧者A様
閲覧者Aさまのお陰で、復興G様に、正確で素晴らしい生長の家の先祖供養を教えて頂くことが出来て有難うございました。
本当に、生長の家の先祖供養は最高のご供養ですね、復興Gさまのご講話も分かりやすくて完璧で惚れ惚れしてしまいますね。
全世界の人がここを読んで喜んでくれるといいですね。 生長の家万歳! バンザーーイ!! (昨日は嬉しくておへその辺りがウズウズしてお腹が喜んで咲って(わらって)いました。ご先祖様も喜んでいた感じがします。)
今朝も喜びが続いています!! 嬉し〜〜^^イィ!!
2508
:
復興G
:2013/07/30(火) 05:51:41 ID:AB6RqYXc
閲覧者Aさま、ユタカさま、皆々様。
ありがとうございました!
「生長の家の歌」 を謹写掲示させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
生長の家の歌
(一)基教(キリスト教)讃歌
あまつくに いまここにあり
我ちちの みもとにゆけば
なんじらの うちにきたると
十字架に かかりしイエスは のたまいぬ
あわれ世のひと 十字架は
にくたいなしの しるしなり
此の肉体を クロスして
我神の子と さとりなば
久遠にいのちかがやかん
久遠にいのちかがやかん
(二)仏教讃歌
衆生劫 つきてこの世の
焼くときも 天人みつる
我が浄土 安穏なりと
釈迦牟尼の 宣りたまいしは 現象の
この世かわるも 実相の
浄土はつねに 今ここに
久遠ほろびず 燦々(さんさん)と
まんだらげ降り 童子舞う
光輝く世界なり
光輝く世界なり
(三)古事記讃歌
天津日子(あまつひこ) 火遠理の命(ほおりのみこと)
現象の わなにかかりて
海幸(うみさち)を 我の力にて 釣りたまう
されどつりばり 失いて
まがれる鉤(はり)に まようとき
しおづちの神 あらわれて
めなしかつまの み船にて
龍宮城に みちびきぬ
龍宮城は いま此処ぞ
龍宮城は いま此処ぞ
(四)万教帰一讃歌
しおづちの うみのそここそ
創造の 本源世界
汝らの 内にありとて
キリストが のりたまいたる 神の国
この世焼くるも 亡びずと
法華経の説く 実相の
浄土何(いず)れも ひとつなり
十字まんじと 異なれど
汝のうちにある天国ぞ
汝のうちにある天国ぞ
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「web誌友会参考文献板」 <43>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/43
をご参照ください。
ありがとうございます。
2509
:
a hope
:2013/08/01(木) 07:12:23 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。
夏休みに入り、我が家の生活がいつもより忙しくなりまして、なかなか書き込みできませんが、
この、web誌友会板と、web誌友会参考文献板だけはしっかり拝見してお勉強させていただいています。
昨晩は、プリントアウトしたものをじっくりお勉強させていただきました。
復興Gさまの「先祖供養」に関するご講話は、閲覧者Aさま、2506ユタカさまと同じようにとても感動しました。
「生長の家」の「万教帰一の真理」をわたしたち信徒がしっかり体得して、ご先祖様に感謝できるようになれば、
それがまことの「生長の家の先祖供養」なのだと思いました。
それには、やっぱり、聖典「生命の實相」の拝読は不可欠ですね。
詳しいことはよく知りませんが、雅宣先生が「森のオフィス」で世界の宗教のお勉強会をされていたようですが、
わたしはなぜ、また、そこに戻られるのか不思議に感じています。
雅春先生が、せっかく沢山お勉強をされて、そして修業されて、「万教帰一の真理」悟られて、
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?
雅宣先生は、聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。
2510
:
曳馬野
:2013/08/01(木) 12:00:56 ID:TZ2/719s
「生長の家」の「万教帰一の真理」をわたしたち信徒がしっかり体得して、ご先祖様に感謝できるようになれば、それがまことの「生長の家の先祖供養」なのだと思いました。
それには、やっぱり、聖典「生命の實相」の拝読は不可欠ですね。
雅春先生が、せっかく沢山お勉強をされて、そして修業されて、「万教帰一の真理」悟られて、聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?
雅宣先生は、聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【「生長の家」の「万教帰一の真理」をわたしたち信徒がしっかり体得し】たはずの元教化部長、本部講師等本流回帰の人々が【ご先祖様に感謝できるようになれば】(ご先祖様を雅宣先生と読み替えてください)善いのですが、散々悪いことをした親や先祖には感謝できないと、現象に捉えられていることを反省し、正しく【聖典「生命の實相」の拝読】をし、生命の実相の把握に努め【聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています】
己の信念の影を見るにすぎずとは聖経に説かれているところ、打つべきは対境にあらずして、己の無自覚のみではありませんか?実相一元を説く人々が現象のみに心を止めることは如何なものでしょう。実相現象渾然一体と唱える神想観がありましたが、五官の観るままに信念のレンズを通さず(其の儘)に生きたく思うものです。
2511
:
a hope
:2013/08/01(木) 14:48:24 ID:edEDolt2
曳馬野さま
【「生長の家」の「万教帰一の真理」をわたしたち信徒がしっかり体得し】たはずの元教化部長、本部講師等本流回帰の人々が【ご先祖様に感謝できるようになれば】(ご先祖様を雅宣先生と読み替えてください)善いのですが、散々悪いことをした親や先祖には感謝できないと、現象に捉えられていることを反省し、正しく【聖典「生命の實相」の拝読】をし、生命の実相の把握に努め【聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています】
上の文章は少しわかりにくいので、曳馬野さまの言わんとすることをわたしなりに言い換えさせていただくと、
<<「生長の家」の「万教帰一の真理」をしっかり体得したはずの元教化部長、本部講師等本流回帰の人々が、雅宣先生に感謝できるようになれば善いのですが、(実際には)散々悪いことをした雅宣先生には感謝できないと現象に捉えられている。
(その)ことを反省し、正しく聖典「生命の實相」の拝読をし、生命の実相の把握に努め聖典「生命の實相をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。>>
となりましたが、そういうことでよろしいでしょうか?
もし、曳馬野さまのおっしゃりたいことが、そういうことでしたら、わたしは曳馬野さまのご意見に心から賛同させていただきます。
わたしは「生長の家の本流」を名乗る方々は、誰よりもまずは雅宣先生や純子先生に感謝し、愛さなければおかしい感じています。
雅宣先生や純子先生に感謝もせず、愛してもいないのに、「われこそは本流・正統・真の生長の家である」と主張するのはとてもおかしいとわたしはず〜〜と前から感じていますよ。
ですが、まったく同じことが、雅宣先生や、純子先生にも当てはまると思います。
同じく、言い換えさせていただきますね。
<<「生長の家」の「万教帰一の真理」をしっかり体得したはずの雅宣先生が、元教化部長、本部講師等本流回帰の人々に感謝できるようになれば善いのですが、(実際には)散々悪いことをした元教化部長、本部講師等本流回帰の人々には感謝できないと現象に捉えられている。
(その)ことを反省し、正しく聖典「生命の實相」の拝読をし、生命の実相の把握に努め聖典「生命の實相をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。>>
2512
:
曳馬野
:2013/08/01(木) 16:13:16 ID:TZ2/719s
>>2511
a hopeさん
私の云わんとすることはその通りです。
でも総裁白鳩総裁もそのようにするべきというのはどうでしょうか?
お二方は非難めいた発言をしているでしょうか?これからの生長の家はこうしていこうと思う、と組織の長としての発言のみであると思いますよ。
信仰は自分の心の問題ですよね。親に酷い仕打ちと思われることをされ、生長の家に触れ、本当の親はそのような人ではないと諭され、なかなかそのように思えない親の行動の中に、一筋の光を見出した時に初めて無条件の感謝が芽生えるものでしょう。
無条件の感謝が芽生えることが大事なので、お二方に何らかの条件を付けるのは如何でしょうか?
【生命の実相】
生命の実相と申候事は、此の世界が此儘神の国であり、人間は其儘神の子なりと申すに候、観ずれば、それが現るるものに候、観ぜざれば、現れる事なし、さればこそ心を静めて実相を見よと申すに御座候、現象に如何なる悪顕れ申候とも、何れも神の作り給へる実在には無之候間、気にかけずに唯実相円満完全なる相のみを観ずれば結局は円満完全なる実相現るるものに有之候 敬白 谷口雅春先生御書翰
私の机の上に何時も架かっていますもう一度言います、信仰は自分の心だけのものだと思います。
a hopeさんが会話のできる数少ない方であることに感謝です。
2513
:
曳馬野
:2013/08/01(木) 16:24:20 ID:TZ2/719s
先の書翰のなかの「気にかけずに」のところは全国講師として活躍された末井勉講師が講演のたびに「気にかけずに、気にかけずに、気にかけずに」と繰り返し繰り返し強調されたことです。
それぞれの人にそれなりに実相は現れているものであり、命あればこその存在であることを忘れないでいたいものです。
2514
:
a hope
:2013/08/01(木) 17:10:45 ID:edEDolt2
曳馬野さま
実際のところ、本流の先輩方が雅宣先生や純子先生に感謝しているかとか、愛しているかとかは、
それこそ個人個人の心の問題ですから、わたしにはわかりません。
ですが、せめて「言葉の力」を信じ「大調和の神示」を知っている生長の家の信徒であれば、本流であれ教団であれ、
まず、第一に雅宣先生と純子先生への感謝の言葉を述べて、和解を祈るのが当然だと感じているだけです。
本流の先輩方の中には、個人的にはそれをされている方々は意外に多いいのではないかとわたしは拝察しています。
ただ、そのことが形として見えてこないですし、反対に「光明掲示板」などでは
批判の言葉ばかりが目立ってしまっているのはとても残念に思っています。
ところで、なんだかわたしの最初の発言からは論点がずれてしまっていますね。
わたしが最初に発言したことは、
<<詳しいことはよく知りませんが、雅宣先生が「森のオフィス」で世界の宗教のお勉強会をされていたようですが、
わたしはなぜ、また、そこに戻られるのか不思議に感じています。
雅春先生が、せっかく沢山お勉強をされて、そして修業されて、「万教帰一の真理」悟られて、
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?
雅宣先生は、聖典「生命の實相」をテキストにして信徒に教え説くべきだと感じています。 >>
ということです。
このことに関しては、曳馬野さまはどう思われますか?
簡単に言い換えれば、
すでに「万教帰一」の真理を悟っている生長の家で、今さら、世界の宗教をお勉強する必要があるのでしょうか?
ということです。
すみませんが、今日はこれから子どもたちと地元のお祭りに出かけます。
お返事はすぐにはできないと思いますが、必ずお返事させていただきます。
よろしくお願いいたします。
2515
:
ユタカ
:2013/08/01(木) 17:16:13 ID:R1D4Jmeg
生長の家のご先祖供養は、一つの宇宙の大生命からでた万教のご本尊さまとご先祖様・両親を通して私達は一体であると教えていただきました。
子孫はご先祖さまに・両親に感謝して、喜んでいただく行為を為すことが自然だと思います。
兄弟は仲良くし、助け合って生きていくことが親孝行。
先祖から受け継いだ事業があれば、世のため人のためにさらに事業を生かして繁栄させて、古い御番頭さんを大切に感謝して働いてもらう。
ご先祖さまに大いに喜んでいただけるよう生きて行きたいものです。
2516
:
ユタカ
:2013/08/01(木) 17:42:29 ID:R1D4Jmeg
上記2515は、馬野さんの>2513 それぞれの人にそれなりに実相は現れているものであり、命あればこその存在であることを忘れないでいたいものです。
の命という現象世界に反応して書いたものです。
2517
:
曳馬野
:2013/08/01(木) 20:58:24 ID:TZ2/719s
A hopeさん
ところで、なんだかわたしの最初の発言からは論点がずれてしまっていますね。
真理を知り生きるとは?どういうことか。ということからの発言です。生長の家の先祖供養とはどういうことかについて復興Gさんの投稿に賛辞が寄せられていることについて、その通りでありますが、其の儘に他の生活に及ぼさないのか不思議なんです。十分に生命の実相を知っているはずの本流の方々が、雅春先生から清超先生へまた雅宣先生へと運動の形態が変わるにつれ、【無私の日本精神】を発揮して行動すべきものを、中心帰一の真理を撥無する行動が解せないのです。生命の実相を知るとは無私にして其の儘に生きることと私は思っています。
吉田国太郎先生の言葉に【善を励んで善の虜となれば善中の悪。神を願って神に縛せられれば神中の悪魔。一切を放して放した姿に憑かれれば無中の有。無執無縛にて神を想い善事を励む、これ仏子現成の境涯。】とあります。
また雅春先生の【絶対無の日本武道】に
【「絶対無の心境」が日本精神であります。苟も心に一塵の「有」がありましても、その「有」に縛られて日本精神本来の自由自在が失はれてしまふのであります。絶対の自由は無条件に生命を捨てるところから生ずるのであります。我々は何でも予め抽象的な条件をつけて斯うでなければならない、ああでなければならないと、一つの予定的「有」をつかむと、その「なければならない」と云ふ自己限定にみづからいのちが縛られて自己生命の自由自在さを失って・・・・】とあります。
また五月三日無心無我の日には
【近思録に「夫れ天地の常は、其の心萬物に普くして、無心なるを以て也」とあり。無心なるところに天地の常があらはれるなり。「天地の常」とは「生命の実相」のことなり。ありのままの生命の完全なる相なり。それを現はさんとすれば、無心にならなければならない。無心にして天地運行し、四時行はれ、春化開き、夏茂り、秋実る。無心の中に一切がある。一人の僧趙州和尚に問ふ、「如何なるか是れ道」と。趙州和尚答ふ「平常心是れ道」と。平常心とは平常の雑念のままの心には非ざるなり。平常心とは無心のことなり。金剛経に「まさに住する所なくして其の心を生ずべし」と。無心の心を引き出し来たれ。】とあります。(これは逆に「其の心を生ずればまさに住する所無し」とも読まれています)
つづく
2518
:
曳馬野
:2013/08/01(木) 22:49:03 ID:TZ2/719s
和合について
五月六日 心に隙が無くなる日
【天地一ぱいの心になるには、無心になるべし。無心が天地一ぱいなり。所謂る「我もなく敵もなく、天地を踏み破る」境地なり。と云って、無心になるにはどうすべきか。どうすべしと趣向を凝らせば、凝らすほどそれが邪念となりて無心から遠ざかるなり。そのままなり。そのままと云ってもどの其の儘かわからぬなり。其処で「肉体なし、物質なし」と一喝するなり。肉体あり、物質ありと思ふが故に、吾あり、対境ありと思ひ、吾と対境と分裂抗争して、其処に隙を生ずるなり。その隙が「敗れ」なり、「病気」なり。万事に於いてスキを無くすること肝要なり。無心とはその境地なり。一切との和合なり。】
五月八日 人を見て自分を直す日
【いさかいは実に山彦の反響かや我しづまれば向ふ音なし。これは心学の歌である。「和」と云ふのは、我と彼とがひとつであることを体得することである。向こうが悪いと思い、此方が善いと思っている間は、彼と我とは別のものであると思っているから「和」が成立せぬのである。「彼の姿は、私の心の姿である」と対手を見て自分に反照する、そこに真の「一」が出現する。「一」が「和」であり、「一」のくだけた姿が「不和」なのである。向こうの悪さを見て、此方の悪さを悟る、これが出来るのは人間だけだ。人間だけが、宇宙一体を知っている万物の霊長である。】
和解などでなく絶対無の実践のみが生長の家信徒の為すべきことと思います。
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?とのことですが、退行しているかどうか私は知りません。私にとりましては絶対無の実践こそが問題でありますから。少なくとも本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。生命の実相を拝読することは、無心になるためにこそするべきと思います。
わたしが最初に発言したことは、簡単に言い換えれば、【すでに「万教帰一」の真理を悟っている生長の家で、今さら、世界の宗教をお勉強する必要があるのでしょうか?】ということです。
世界の宗教の勉強をしているかどうかは知りません。世界に出て往くについては絶対無の日本精神の実践のみでいいのですから、何教が何を言っているというようなことは必要ないでしょうね。
私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?ということです。
2519
:
閲覧者A
:2013/08/01(木) 23:51:51 ID:???
生長の家は最高の真理です。
人類や文化の歴史は宗教の歴史と言っても過言ではありません。
世界の宗教研究家もおられるのですから、世界の宗教を学ぶことは、それはそれで素晴らしいのではないかと思います。
歯みがきの歴史はお釈迦様に始まりますしね。
日本人が朝起きて歯を磨く習慣は、佛教の歴史でもあるそうですよ。
2520
:
復興G
:2013/08/02(金) 03:08:18 ID:AB6RqYXc
>>2518
:曳馬野さん
a hopeさんは忙しくてすぐにはお返事書けなそうなので、私の感想をちょっと横から失礼します。
>>私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか? ということです。 <<
――それは、おおむね “No” でしょうね。
それは、私もそうです。
常に 「宇宙一体を自覚して無心に生きよう」 というのは私の切なる祈りでありますが、なかなかいつもそうとは行きません。
それは、曳馬野さん、あなただってそうでしょう。
>>本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?<<
なんておっしゃるのが、「絶対無の日本精神の実践」 ですか? ちがうでしょう。
>>万事に於いてスキを無くすること肝要なり。
……「彼の姿は、私の心の姿である」と対手を見て自分に反照する、そこに真の「一」が出現する。「一」が「和」であり……<<
それを言うなら、先にまず実践してから言いましょうよ。
2521
:
a hope
:2013/08/02(金) 09:37:06 ID:edEDolt2
曳馬野さま
吉田國太郎先生や、雅春先生の真理のお言葉を沢山ご紹介くださりありがとうございます。
<<十分に生命の実相を知っているはずの本流の方々が、雅春先生から清超先生へまた雅宣先生へと運動の形態が変わるにつれ、【無私の日本精神】を発揮して行動すべきものを、中心帰一の真理を撥無する行動が解せないのです。生命の実相を知るとは無私にして其の儘に生きることと私は思っています>>
わたしも、ここにある【無私の日本精神】、つまり曳馬野さまのお言葉では、『無私にして其の儘に生きることと』になりますが、それは、まことに「生命の実相」を知ると発揮されるものだと感じています。
ですが、それは、「何も無い(nothing)」の『無』ではないですよね?
自分の中にも、雅春先生や清超先生そして雅宣先生と同じ(同格の)『実相』があるのですから、
つまり自分の中にすべて完全な神の存在があるのですから、それを出すことが【無私の日本精神】の発揮であり、
『無私にして其の儘に生きることと』だと感じています。
もし生長の家の組織に属していて『自分自身の内在の神(実相)』以外に『中心帰一』するものがあるとすれば、
それは現象の雅春先生、清超先生、雅宣先生ではなくて、
『実相』つまり『神』と直結している部分の雅春先生、清超先生、雅宣先生のお言葉にするものだと思っています。
(自分は神のラッパであると雅春先生はおっしゃっていましたよね?)
本流の先輩方やわたしを含めその他たくさんの信徒さんが今教団を去られている原因は、
「雅宣先生の教え」や、教団の運動方針が『神』(宇宙に偏在する神)の御心から外れてしまっているからなのだと思っています。
ですから、わたしたち信徒は雅宣先生のお言葉に心(魂)から中心帰一することができないのです。
今、現在教団に残っていて、雅宣総裁に中心帰一されているように見える信徒の方々も、
それはまことに中心帰一しているのではなくて、「現象人間の雅宣先生の教え」や、
組織の仕組みにただ従っていらっしゃるだけなのだと思います。
ですから、もし、これから雅宣先生や教団組織に何かもっと大きな事件等が起これば、
信徒は簡単に「雅宣先生の教え」や教団組織から離れて行き、教団は破産してしまうでしょう。
それを避けるための唯一の方法が、雅宣先生を中心に教団、本流のすべての信徒が、聖典「生命の實相」に戻り、
そして神の御心の運動=『まことの人類光明化運動』に戻り、
まずは、わたしたち信徒同志が和解することなのだと思っています。それ以外ないと思っています。
ですから、
<<和解などでなく絶対無の実践のみが生長の家信徒の為すべきことと思います。
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?とのことですが、退行しているかどうか私は知りません。私にとりましては絶対無の実践こそが問題でありますから。少なくとも本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。生命の実相を拝読することは、無心になるためにこそするべきと思います。>>
という曳馬野さまのお考えになっている「絶対無」とわたしの思う「絶対無」が同じものであるとは思えません。
そして、本流の先輩方はたくさんいらっしゃいますので、
<<本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。>>
<<私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?ということです。 >>
という曳馬野さまのご意見にも賛同しかねます。
ですが、
<<世界の宗教の勉強をしているかどうかは知りません。世界に出て往くについては絶対無の日本精神の実践のみでいいのですから、何教が何を言っているというようなことは必要ないでしょうね。>>
こちらに関しては、わたしのご意見にご賛同していただいたようでうれしいです。
>>2519
で閲覧者Aさまが、
<<世界の宗教研究家もおられるのですから、世界の宗教を学ぶことは、それはそれで素晴らしいのではないかと思います。>>
というご意見をくださっています。
それに関しては、またあとでお返事させていただきます。
2522
:
a hope
:2013/08/02(金) 09:41:12 ID:edEDolt2
訂正
わたしのご意見→わたしの意見
2523
:
a hope
:2013/08/03(土) 23:20:11 ID:edEDolt2
>>2519
閲覧者Aさま
<<生長の家は最高の真理です。
人類や文化の歴史は宗教の歴史と言っても過言ではありません。
世界の宗教研究家もおられるのですから、世界の宗教を学ぶことは、それはそれで素晴らしいのではないかと思います。
歯みがきの歴史はお釈迦様に始まりますしね。
日本人が朝起きて歯を磨く習慣は、佛教の歴史でもあるそうですよ。 >>
そうですね。
わたしも、人並み以上に好奇心は旺盛ですから世界の宗教に興味がないわけではありません。
ですが、もし「生長の家」の信徒が世界の宗教を学ぶのであれば、雅春先生の聖典から学ぶべきなのではないでしょうか?
たとえば、「生命の實相・万教帰一編」「ヨハネ伝講義」「即身成佛の真理」「真佛教の把握」・・・わたしは、まだまだ勉強不足ですが他にも沢山あるのではないのですか?
雅春先生の聖典はすべて、「唯神実相(一元論)」の見解から真理を説かれていますから、、
人々はそれを読むだけで「人間神の子」の自覚(悟り)を得られ、「生長の家」信徒の使命である人類光明化が促進されると思うからです。
一方、雅宣先生のお考えは、「対称・非対称」などというような「二元論」です。
そしてその「教え」は都会では悟りが得られにくいとか、自然との調和が大切だとかいうような、
悟りが現象に左右されるというような教えのようです。
(すみません、詳しくはわからないので間違っていたらご指摘をお願いいたします)
ですから、そのようなお考えの雅宣先生の世界の宗教に関してのご教義をいくら拝聴しても
また御文章を拝読しても、その宗教の歴史や教義内容は理解できたとしても、肝心な「神の子の自覚」は得られないでしょうし、
「生長の家」の使命である「人類光明化」にもつながらないとわたしは思います。
2524
:
閲覧者A
:2013/08/04(日) 13:17:00 ID:???
>>ですが、もし「生長の家」の信徒が世界の宗教を学ぶのであれば、雅春先生の聖典から学ぶべきなのではないでしょうか?
たとえば、「生命の實相・万教帰一編」「ヨハネ伝講義」「即身成佛の真理」「真佛教の把握」・・・わたしは、まだまだ勉強不足ですが他にも沢山あるのではないのですか?>>
もちろん、生長の家の信徒であれば、雅春先生の数多い聖典から学ぶことは大変必要であると感じます。
>>雅春先生の聖典はすべて、「唯神実相(一元論)」の見解から真理を説かれていますから、、
人々はそれを読むだけで「人間神の子」の自覚(悟り)を得られ、「生長の家」信徒の使命である人類光明化が促進されると思うからです。>>
確かにそうだと思います。
人それぞれの、育った環境に違いはありますから、「〜でなければならない」ということはないのではないかと思います。
ちなみに私は、仏教学から生長の家の真理に触れました。
育った環境も、周囲に仏教が色々な形でございましたから、生命の實相をはじめ、雅春先生の数多くのご著書をもとに、色々な方の先人のお考えを学ばせて頂いています。
2525
:
ユタカ
:2013/08/04(日) 21:06:04 ID:R1D4Jmeg
8月1日からウインドウズ8に変えましたが、使い方が分かりにくくて困っています。
ここを押してくださいの下線を押して中に入ると、元の画面に戻りたいのに戻れないのですが、、、
それと、さらにウインドウが小さいし。。。 格闘中・・・出来ない!!
2526
:
神の子さん
:2013/08/04(日) 21:23:11 ID:a8Cc2EfE
>>2525
メトロの画面からデスクトップに移動すると、Windows7と同じ画面いけますよ。
2527
:
a hope
:2013/08/05(月) 09:14:14 ID:edEDolt2
閲覧者Aさま
>>人それぞれの、育った環境に違いはありますから、「〜でなければならない」ということはないのではないかと思います。
ちなみに私は、仏教学から生長の家の真理に触れました。
育った環境も、周囲に仏教が色々な形でございましたから、生命の實相をはじめ、雅春先生の数多くのご著書をもとに、色々な方の先人のお考えを学ばせて頂いています。<<
そうですね。
確かに、「生長の家」の教えはねばならないがない教えだと言われていますよね。
それでも、わたしはその「教え」の純粋さを保つため、つまり、わたしたちが正しく法燈継承するためには、
聖典「生命の實相」を中心に学んでいくのがあたりまえだと思うのです。
ましては、「生長の家の総裁先生」であればなおさらですよね?
わたしは、雅宣先生は、ご自分勝手に「生長の家の教え」を解釈して、
聖典「生命の實相」の真理からかけ離れた「教え」を確立されようとされているようにしか思えません。
雅宣先生は、実際の所、現在も聖典「生命の實相」の拝読を毎日されているのしょうか?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/2129
↑の本流対策室のトンチンカンさまのご意見はごもっともであると思います。
今朝の復興Gさまご謹写の榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』 四十七 には、
<<いのちのどん底にあるからこそ 『生命の實相』 なのであり、そのどん底にあるからこそ、それを讃えるために 『生命の實相』 があとから、その素晴らしさを映し出して呉れているのであるから、いのちのどん底のどん底なるものが先で、それが出て来て、最後に手で開いて頭で読むという姿が開花しているのである。>>
とありました。
それを拝見して、「う〜〜ん」と唸ってしまいました。
神縁あって「生長の家」に触れたわたしたちは、いのちのどん底ににある『生命の実相』を讃えることが使命なのではないでしょうか?
だからこそ、その流れとしてして聖典『生命の実相』を三正行の一つとして拝読し続けるのだと思いました。
また、ユタカさまが
>>2289
〜
>>2297
まで「神 ひとに語り 給ふ 無病常楽の神示 講義 」をご謹写くださっています。その最後の御文章に、
<<臨済宗方広寺派の管長足利紫山労師が大分市の関川晃代さんに言はれた言葉に「あんたは、生長の家によって真理を悟らしてもらったんだから、ほかの宗教によろめいては行ってはいけませんよ。信仰にも貞操がなければならない」といふのでありますが、まことにそうであります。
「萬教は唯一つの真理に帰するから、何処へよろめいていっても同じぢやないですか」という理屈づけをして他の宗派をのぞいてくる人がありますが、これは自分の神性をはらかして頂いた「因」に対する純潔を欠いてゐるので、なんぼう偉さうに道をといてもいけないのです。
嘗て講談社の校正係をしとつた人で、人を恨み憎んでころしてやりたい位だったその恨みが、生長の家の神示を実行して消えた。そして今は清々しい気持ちになれた。その恨みが消える方法を教えてもらったのは生長の家のお陰であるというので、毎年二、三回は必ず、私にお礼の手紙をよこす人がありますが、さういう人は、本当に因縁の理を知り、恩を忘れない立派な人だと言はなければなりません。>>
実は、わたしも生長の家の教えに触れる前は、仏教に興味がありました。
そして、近くのお寺に座禅に通ったり老師のご講話を聴いたりもしましたし、本も何冊か読みました。
その外にも、気功をしたり、精神世界の本を読みあさったりもして、数回の神秘体験も経験しています。
ですが聖典「生命の實相」ほど、わたしの魂を震わしたものはなかったのです。
「あ〜〜これをすべて拝読すれば、わたしは真理を悟れる!」と確信したのです。
今でも数行読んだだけで、魂が震えます。
こんな本はほかにはありません。
やっぱり、「聖典」=神のコトバなのだと確信しています。
そんな、素晴らしい「聖典」をないがしろにして、自分勝手に教えを説いている雅宣先生に、
早く目を覚ましてほしいのです。
その目を覚ますためには、教団の破産とか、総裁職からの追放とか、そんな事が本当に必要なんでしょうか?
雅宣先生ご自身が、聖典「生命の實相」に戻られればいいだけのことなのです。
2528
:
a hope
:2013/08/05(月) 09:57:05 ID:edEDolt2
>>2527
に関連して、復興Gさまのご投稿も再掲載させていただきます。
2307 :復興G:2013/07/13(土) 21:31:32 ID:AB6RqYXc
>>2304
のつづきです。
同様のことが、 『生命の實相』 第38巻 「七月一日」・「七月二日」 のところに、次のように書かれています。
(
>>2185
に書いていたことですが)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
七月一日
深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。
思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。
ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。
すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。
思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。
いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。
罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。
元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。
真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。
2529
:
閲覧者A
:2013/08/05(月) 11:38:25 ID:???
a hope様、少し多忙ですので、御返事に時間を下さい。
2530
:
神の子さん
:2013/08/05(月) 22:15:10 ID:R1D4Jmeg
>2526の神の子さん+助けて+
メトロってなんですか? どこのことをいうのですか?
2531
:
神の子さん
:2013/08/06(火) 02:50:03 ID:AU5Sebm.
>>2530
メトロ画面は8が立ち上がった時の画面です。
四角い箱(タイル)が幾つも並んでいる画面です。
そこに「デスクトップ」というタイルがあって、それを押すと、7の画面に行けます。
2532
:
ユタカ
:2013/08/06(火) 23:31:42 ID:R1D4Jmeg
神の子さま、ありがとうございました、今日量販店に行ってまいりました。
8って便利すぎて難しいです。これからもよろしくお願いします。
2533
:
神の子さん
:2013/08/07(水) 07:23:31 ID:Xc3ZNfYs
>>2532
ユタカ様
量販店で聞いて来られたのですか?
そうですね、とても便利になりました。
秋頃には8.1が出ますので、もう少し便利になりそうです(笑)
2534
:
閲覧者A
:2013/08/07(水) 22:47:29 ID:???
a hope様、大変お返事が遅れました。
私はa hope様のお考えを拝見し、そのお考えはa hope様の大切なご意見ですから、それはそれで決して間違えていらっしゃらないと思います。
私も、生命の實相は永遠に私の生命にとり、なくてはならない御本であり、神殿であり、宇宙最高の教えです。
「生長の家信徒行持要目」を心がけて生活しているならば、信徒の方が各々どういう立場であっても、それで構わないのではないでしょうか。
あまりこれ以上発言をしてしまうと、私の職業がバレてしまいますので、控えさせて頂きます。
ただ一つだけ・・・「生長の家信徒行持要目」の「行持」でありますが、正法眼蔵にも出て参ります。
その心を思うと、真理はあらゆる宗派をも超越しているのだと、感慨深く思います。
生長の家にも、過去、僧侶の資格を持たれた、田中忠雄先生や最近宇治別格本山を退職された先生もいらっしゃいました。
神社の神官・宮司をされながら生長の家信徒でいられた方もいらっしゃいます。
生長の家信徒でありながらも、クリスチャンで洗礼を受けた方もおられると聞いております。
信徒さんそれぞれの立場で、「生長の家信徒行持要目」を大切にされたらいいのではないでしょうか。
雅宣さんの件に関しましては、いまは時間がとれませんので、発言は控えます。
2535
:
a hope
:2013/08/08(木) 16:50:37 ID:edEDolt2
閲覧者Aさま
お忙しい中、ご丁寧なお返事をいただきましてありがとうございます。
>>>>私も、生命の實相は永遠に私の生命にとり、なくてはならない御本であり、神殿であり、宇宙最高の教えです。
「生長の家信徒行持要目」を心がけて生活しているならば、信徒の方が各々どういう立場であっても、それで構わないのではないでしょうか。<<
上の閲覧者Aさまのご意見には賛同させていただきます。
生長の家の教えは「万教帰一の教え」ですから、すべての宗教を包括していますものね!
「生命の實相」の真理さえしっかりと理解していれば、どのような立場であっても、
どんな宗教の本を読んでもけっして迷うことはないと思います。
光明掲示板で童子さまが、田中忠雄先生の『ここに禅の生き方が』(40年3月初版)を、ご紹介してくださっています。
これから、お勉強させていただきます。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1618
素晴らしい真理がお勉強できることに心から感謝いたします。
合掌。
2537
:
a hope
:2013/08/10(土) 08:03:04 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます!
第16回web誌友会の日程が迫ってきました。
>>2425
でこのweb誌友会の指導者であられる復興Gさまが、
>>本番の誌友会は、今までのように初日は21:30から始まり、
終わりの日の終了時刻は23:00とするとして、
開始は 8月16日(金) 21:30 からで
終わりは、もし2日間なら 17日(土) 23:00まで とし、
3日間なら、18日(日) 23:00 まで とする。
どちらを選ぶかは、お世話を務めて下さっているユタカ様と a hope 様とで相談して決めて頂ければと思います。
私は、18日(日)午後からはリアルの誌友会出講があります。ですから2日間の場合、土・日より金・土の方が都合がよろしいのです。でも、皆さまが土・日の方がよろしければ、それでも結構です。 <<
とおっしゃってくださっています。
そして、ユタカさまも確か、復興Gさまのご都合に合わせる形がいいとおっしゃってくださっていたと思います。
そうなると、18日の日曜日は復興Gさまがお忙しいようなので次回web誌友会の日程は、
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<<第16回web誌友会(仮)予告>>
日時 8月 16日(金)21:30から17日(土)23:00まで
テキスト『生命の實相』 第4巻 第1章〜第4章 p.91 [まで]
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
とするのが、今のところbestではないかと思いますが、
ユタカさま、トキさま、みなさま、いかがでしょうか?
ユタカさまは新しいパソコンの調子はいかがですか?
わたしは、来週は仕事がお盆休みに入るので家族で旅行に出かけますが、
16日には戻りますので、また、自分のペースで参加させていただきます。
今、「第2章 真理はなんじを自由ならしめん」 のところを再拝読中ですが、
ここには一番最初に有名な小僧が指を切られた『俱胝竪指』のお話が紹介されています。
そしてその話を例にして「生命の実相」を悟ればなぜ病気が治るのか、ということが詳しく説明されています。
そして、「薬を廃(や)めること」が「小僧が小指を切り去った」と同じ働きをすると述べられています。
ここは、とても大切な箇所だと感じています。
また、この第2章に出てくる「逆念の放送」(p 40 後ろから4行目)「逆念の刺激」(p42 後ろから2行目)「逆念の働き」(p44 後ろから7行目)とある
『逆念』ということについてもう少し詳しくお勉強させていただきたいと思いました。
復興Gさま、トキさま、ユタカさま、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
2539
:
復興G
:2013/08/10(土) 09:57:46 ID:AB6RqYXc
>>2537
:a hope さま
ありがとうございます。
ユタカさま、皆々さま
私は、
>>2425
に書いた通りで、お任せいたします。
楽しみにしています。 合掌
2540
:
るんるん
:2013/08/10(土) 10:54:13 ID:fYlJIcas
ユタカさま
初めまして。
ウインドウズ8は初めはびっくりしますけど、スタートボタンがないので。
でもすぐに慣れますよ。
(あなたのブラウザがInternet Explorerとして、説明させて頂きます)
ブラウザがInternet Explorerなら、IE10ですよね。
なら、ウインドウズ8だからというのでなく、既にIE9の時から、
ツールバーやお気に入りバーは非表示になってるのです。
ツールバー等を表示したいのですね?
ここでツールバーやお気に入りバーの出し方が書いてありますよ。
私はこれで、表示しました。(o^∇^o)ノ
http://internet-explorer9.info/howtouse/1019/
2541
:
トキ
:2013/08/10(土) 20:07:21 ID:yLGBQcM.
>>2537
このたびも、web誌友会を開催、ご指導をして下さり、深く感謝申し上げます。
生長の家の盂蘭盆供養大祭の前でもあり、信仰について、今一度、学び直す時期
だと思います。
深い内容の勉強ができるので、楽しみにしています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2542
:
ユタカ
:2013/08/11(日) 00:25:28 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま PCがなぜか応答していませんと表示されて、ここにも接続できなくてここを見るのに小一時間かかっています・ ・・
誌友会は古いPCで対応します・・・ もう引きこもりになる寸前。
るんるんさま ご親切にいろいろとアドバイスをありがとうございます。 お気に入りは量販店で聞いてきたのでわかりましたが、この掲示板に接続しようとすると、ここには接続できません。と表示が出てきて、何度もやり直して嫌になっています・・。 また聞きにいかないと・・
メーカーは電話でないし・・
PCが動かない・・・ 自分の運命が変わっていっている気がします。
いくら、あの冷酷非情と言われる雅宣先生で、自分も笑って悪口をいっているけど、本当は、純粋な実相の誌友会がしたい!!!
悪口はもう嫌だ!!!
お題目 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動
この異常な熱帯のような気温を感じたら、雅宣先生が何より環境を優先してきた事が分かったよ!! ユタカは心が変わって来ている気がする。。。
だから、PCが動かない気がする。。。
2543
:
神の子様
:2013/08/11(日) 06:45:12 ID:???
最近の異常気象は、地球温暖化が原因だと言う人もいますが、根拠はなく、地球温暖化と無関係です。
その多くは偏西風の蛇行やエルニーニョ、ラニーニャによって起こります。
地球温暖化は、オゾン層の破壊と無関係です。オゾン層が破壊されると、地表に届く紫外線は少し増えますが、紫外線が地表を暖める効果は極めてわずかですから、温暖化を促進しません。
なお、オゾン層のオゾンが減ると、紫外線の吸収が減り、オゾン層が暖まらなくなりますから、成層圏の温度が下がります。
現在はフロンの規制により、オゾン層の破壊は止まっていますから、成層圏の温度低下も止まっています。
人間がオゾン層で人為的に作ったオゾンを放出しなくても、フロンの放出をやめたことにより、
1995年以降は少しずつオゾン濃度が高くなっていて、あと40〜50年で元の濃度に回復すると考えられています。
地球温暖化は炭酸ガス濃度と無関係です。
炭酸ガスに温室効果はありますが、吸収できる15μmの地球放射を全部吸収済で、再放射による同じ大きさの15μmの下向きの大気放射が地表に届いていますから、温室効果を既に100%発揮済です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B0%97%E3%81%AE%E7%AA%93
大気の窓 波長15μmの透過率はゼロ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:A...
大気通過後の放射スペクトル分布
http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke03.html
近藤純正東北大名誉教授のHPの図 3.5 大気放射スペクトル
まだ吸収されていない15μmの地球放射はありませんから、炭酸ガス濃度が高まることによる温室効果の増大はあり得ません。
炭酸ガス濃度を2倍にする実験では、赤外線の吸収が変わらず、温室効果も変わらないことがわかっていて、追試でも確認されています。
100年後に炭酸ガス濃度が倍増した時の3度の温度上昇は水蒸気のフィードバック効果をIPCCが正と決めつけて計算したものですが、人工衛星による観測結果では水蒸気のフィードバック効果は負ですから、100年後の温度上昇は0.4度未満です。
http://blogs.yahoo.co.jp/nishiokablog/14779529.html
地球温暖化は1900年代後半の過去400年で最大の極めて活発な太陽活動(現代極大期)による自然現象です。
太陽活動の気温への影響の時間的遅れは15年ほどですから、2015年頃から太陽活動の低下の影響が出てきそうです。
http://yaplog.jp/itoh_kiminori/archive/161
20年移動平均線は太陽活動の指標と世界の平均気温に高い相関
http://stesun5.stelab.nagoya-u.ac.jp/study/sub8.htm
太陽風速度、宇宙線が気温に影響を与えるメカニズム、スベンスマルク効果
2544
:
a hope
:2013/08/11(日) 17:25:39 ID:edEDolt2
ユタカさま
本当に暑い日が続きますね。
我が家は、出来るだけエアコンを使わない主義なのですが、
さすがにここ2〜3日はエアコンのお世話になる夜が続いています。
ところで、パソコンの調子が良くならなくて、
それは、ユタカさまの心の変化が現れているというこなのかもしれないとのことなのですね。
本当は、純粋な実相の誌友会がしたい!!!
悪口はもう嫌だ!!!
ということですが、確かに、わたしも人格批判的な誹謗中傷はもう聞きたくありません。
ですが、わたしたちは「生長の家の教え」や「真理」に関しては、妥協できませんよね?
聖典「生命の實相」をお勉強していけばいくほど、雅宣先生の「教え」や運動方針の間違いが見えてきてしまいます。
わたしたち信徒がしっかり「生命の實相」を勉強しないから、現教団に今、このような状態が現れているのではないでしょうか?
ですから、このweb誌友会で「生命の實相」の真理をお勉強していくことは素晴らしい意義があるとわたしは感じています。
ユタカさまのパソコンの状態が一日も早くよくなって、web誌友会で「純粋な実相の誌友会」ができることを心からお祈りしています。
2545
:
復興G
:2013/08/11(日) 22:03:58 ID:AB6RqYXc
皆さま
今日も本当に暑い日でしたね。
そんな中、私はかなりの距離を歩いて、ある音感合唱の集いへ行ってきました。
外気温は40度以上あったという人もいて、熱中症になりそうでした。
なんとか合唱練習会場へたどりついて、冷たいお茶を飲み、讃美歌を歌っていたら、ものすごく感動が湧いてきて、涙が出てきました。
熱心なクリスチャンだった私の祖母が、喜んで、霊界から天降って来たような気がしました。
讃美歌ばかり約1時間ほど歌って、休憩に入った時、雷が鳴って、一時大雨が降りました。
しかし帰る頃には雨はやんで、涼しくなっていました。
雷は、「神なり」だと思いました。
合唱、いや合掌でした。
ユタカさん
私も、「異常気象はCO2による地球温暖化のせい」などというかがくしゃたたちの説は、眉唾物だと思っています。
そんなこと、信じていません。
他人のいうことでなく、自分を信じなくては・・・・内なる神を信じなくては。
パソコン、もうじき使えるようになりますよ。きっと。
祈って、待ってます。
2547
:
ユタカ
:2013/08/13(火) 17:49:46 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
皆様のお祈りのお蔭で少しづつ8に慣れてきました、どうもお騒がせしました、ごめんなさい。 これは慣れていく以外方法がないと悟りました。。。
もうすぐ誌友会ですね。次はどのような形で進行していくのでしょうか、楽しみです。
ユタカの『生命の實相』の第4巻の扉には楠本先生のご揮毫で 「 万 事 好 転 」とあります。
このWEB誌友会にご参加の方の運命が「万事好転」することと信じます。 ユタカの近況ですが、最近は復興G様の榎本先生の謹写されておられる文章が理解出来るようになってきました、本当にすごい事が書いてあって、素晴らしいです、あのご本を読めば、大騒動など「無い」事かも知れません。いや、「ない」んでしょう・・・
と観じていいような気もしてしまいましたが、みなさんはどうですか?
最近、復興Gさまが美代先生の終講の言葉をご紹介下さって解説してくださった時にユタカは反発した意見を書き込みましたが、
今は違います。 美代先生と復興Gさまのご意見を素直に受け入れられるように変化しました。
美代先生の終講のことばを再掲します。続く+
2548
:
ユタカ
:2013/08/13(火) 18:39:43 ID:R1D4Jmeg
ヤッター!! 投稿出来た!! 上記8からの投稿成功!
二葉美代先生の終講のことば (再掲)
前文略) さて、この勉強会は戦後の乱れた日本を何とかして昔の愛国一本に澄みっ切った心の国にもどしたいと、谷口雅春先生の燃える様な愛国の書
古事記と現代の預言・限りなく日本を愛す・人のいのち国のいのち・美しき日本の再建
等々をテキストに致しまして世界の光明化
日本国實相顕現を標望して始めたものでございます。 世界に比類なき真理国家日本を本当に知ること、
これが大切と、天地初初(アメツチハジメ)の真理よりしっかりと学んで参りました。
しかし 此のたび”限りなく日本を愛する”ご本の中に 新しい人生をつくり出す基礎は過去を捨てる諸君の能力にある。
敗戦の日本なし、 実相の日本のみ独在す
真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。
実相をのみを愛し実相のみを観てゆけばよいのである。
さらに弟子像には人類光明化運動も愛国運動も暗黒を認めた上でそれを消すための運動ではないのである。
暗は本来ない現象は本来ない 唯 光明があるだけ現象の日本なし実相の日本のみ実在す 真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。
とございましたが、 ダメになった日本をよくしようと始まった私たちは間違っていました。 はじめから実相独在の日本しかなかったのです。
それをしっかり観じられる私たちでなければなりません。 でも私一人が観じてもどうなるものではないと仰いますか?
谷口雅春先生は 一人が悟れば世界が悟る と仰せになっていらっしゃいます。
全世界は一つの生命の展開です。 自分が宇宙の中心でありそしてすべてなのですね。
まだまだ 学ばねばならぬことが山程ありますが、残念です。どうぞ皆様今後ともしっかりと実相独在の日本を観じ続けて下さいませ。 合掌
日の本の 天壌無窮の 弥栄を
いのちをかけて 護れ 継ぐ人
この時、私は復興G様に美代先生は運動をがむしゃらにやった後のベッドで書いた言葉と反発しましたが、
今は美代先生が悟って私達に残して下さった言葉として今はそのまま素直に受け入れます。 復興G様、あの時は反発してすみませんでした。せっかく美代先生の大事な御言葉ですからそのまま素直に頂きます。
ありがとうございました。 WEB版でのことなのでここに書きました。 (過去を引きずって、いました。)
終わり・・・
2549
:
a hope
:2013/08/13(火) 20:28:47 ID:edEDolt2
(a hopeの自主勉強)
――第4巻p25からp26まで一部抜粋――
<<その生命の実相を悟れば病気が治る――否、神の子たる人間生命の本来相には病気はないのですから、病気が治るも治らぬもない、ただ病気が本来の「無」を暴露するのでありますが、こうして生命の本来相を悟れば同時に薬剤も不要になるのであります。だから、神の子たる人間生命の本来相を悟ることが第一原因で、この第一原因から病気が治るという結果も顕われれば、薬をやめるという結果も生ずるので、病気が治るということと、薬をやめるということはともに結果であって薬をやめたということが病気を治す原因になるんではないのであります。したがってこれを禅家の筆法をもってすれば、「薬を服むという効果は!」ときかれても「曰く無所得」であると同時に、「薬をやめる効果は!」ときかれても「曰く無所得」と答えるほかはありません・・・・(略)>>
――p31からp32まで一部抜粋――
<<先日ある人が修行に来られた。「宇宙のいっさいのものは神様のお造りになったものでありますから、薬も神様のお造りになったものでそれを用いることはさしつかえないではありませんか」といわれた。わたしはその時言下に「人間は神の子ですから何を用いてもさしつかえありません。なにものを用いてもさしつかえありません。なにものを用いようともわれわれを害することはできない。いわんや医薬を服んだぐらいでわれわれの生命が害されるなどということは断じてない。ただ自己の生命を害するのは自分の心であります。・・・(中略)
『無明(まよい)』をもって『無明』を制し、毒をもって毒を制しようとするのが薬物療法で、人間は霊性なる神の子なりと悟らず、人間を肉体という物質的存在だと思っているものには物質的薬剤も一時的効果はあります。人間をば霊性なる神の子なりと信じている人には、薬が要らなくなるのです。しかしまた薬が要らぬとがんばる必要もなくなる。薬などはその人の実相生命にプラスもマイナスもしえないことがわかるからです」と答えたことがあります。・・・(略)>>
(a hope所感)
この「第2章 真理はなんじを自由ならしめん」 にはものすごく大切なことが書かれていると思いました。
特に、病気の方には必読箇所なのではないでしょうか・・・。
わたしの聖典にはほとんどの文章に色とりどりの線が引かれています。
「無所得」とは、頭注によると、「所得(利益)がない、したがってそれに執着することもない。」とあります。
「薬を服す」も「薬をやめる」も無所得なんですね!
わたしは、自分の父が何年も前から持病で医者にかかっていて、毎日たくさんの薬を服しているのに不安を感じていましたが、
この数ページをじっくり拝読して、父が薬をたくさん服していることが気にならなくなりました。
むしろ、今まで父が薬をやめられないことに関してわたしが不安に感じていたこと、
つまり「そんなにたくさんの薬を服んでいても効果などあるわけがない。反対に後あと副作用があるのではないか・・・」
という思いが「逆念」となってしまっていたかもしれないと感じました。
周りが薬をやめさせる努力をしなくても、父が「人間神の子」をさとれば、『無明』であり無所得である薬をしぜんにやめていくのですよね。
これは、他の依存症状を起こすような違法薬物やたばこやアルコールにも関しても同じことが言えるのではないかと思いました。
「物質なし」 「肉体なし」 「病なし」 「人間は神の子である」 生長の家の真理は本当にすごいですね!!
2550
:
a hope
:2013/08/13(火) 20:29:32 ID:edEDolt2
ユタカさま
素晴らしい「二葉美代先生の終講のことばを再掲してくださりありがとうございます。
<<真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。
実相をのみを愛し実相のみを観てゆけばよいのである。
さらに弟子像には人類光明化運動も愛国運動も暗黒を認めた上でそれを消すための運動ではないのである。
暗は本来ない現象は本来ない 唯 光明があるだけ現象の日本なし実相の日本のみ実在す 真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。>>
本当ですね。そういう心から起こる運動こそが、生長の家の人類光明化運動なのですね!
そして、わたしも、復興Gさま謹写の榎本恵吾先生の御文章から毎日新たな気づきや感動をいただいています。
常に、実相礼拝の心を忘れずに毎日を過ごしたいです。
ところで、わたしは、明日早朝より家族旅行に出かけます。
ですが金曜日には戻りますので、またいつものようにa hopeが、web誌友会の1時間前になりましたら、準備祈願の祈りを担当させていただきたいと思います。
皆さま、どうぞ今回もよろしくお願いいたします。
2551
:
復興G
:2013/08/13(火) 20:31:50 ID:AB6RqYXc
>>2548
:ユタカさま
ヤッター!! 投稿出来た!!
おめでとうございます!
また、すばらしい心境が開けたご投稿、感動して涙が出ました!
ありがとうございます!
私も、負けないようにがんばります!
2552
:
復興G
:2013/08/13(火) 20:47:38 ID:AB6RqYXc
a hope さま
ありがとうございます!
a hope さまの進境もすばらしいですね! こうして、手を携えて心境がひらけ高まることこそが、最高のよろこびですね!
またweb誌友会のお世話、ありがとうございます!
よろしくお願いします!
2553
:
a hope
:2013/08/13(火) 20:48:28 ID:edEDolt2
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<<第16回web誌友会予告>>
日時 8月16日(金)21:30から
8月17日(土)23:00まで
テキスト 『生命の實相』第4巻
第1章〜第4章 p.91 まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2554
:
トキ
:2013/08/14(水) 16:33:33 ID:kNbUEEgk
このweb誌友会の時期は閲覧者様の数が増えます。それだけ皆様が期待しているのでしょう。
私も個人的に楽しみにしております。
よろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
2555
:
復興G
:2013/08/14(水) 20:06:27 ID:AB6RqYXc
トキ様
お世話になります。よろしくお願い申し上げます。
合掌
2557
:
ユタカ
:2013/08/15(木) 21:23:13 ID:R1D4Jmeg
トキ様
WEB誌友会を楽しみにしていているのですか、今度お世話役もやってね。
誌友会の時、閲覧者がふえるのですか!? ふ〜ん。。。見てるなら参加すればいいのにね、、雅宣総裁でも歓迎するよ、参加してね、磯部さん、もどうぞ。
うのはなさんはどうかな?
2558
:
トキ
:2013/08/15(木) 21:32:12 ID:NU0Bwiho
>>2557
いいですね。イソベさん、ご覧になるだけではなくて、ぜひ、ご参加下さい。ニセ理事長から
ご案内申し上げます。
2559
:
ユタカ
:2013/08/15(木) 21:42:38 ID:R1D4Jmeg
やっぱりおかしい・・
連続投稿できなくて消えた、トキさん、復興Gさま、a hopeさま、るんるんさまにあてた投稿が画面に出ないのですが、管理人さんの見えるところには届いていますか?
せっかく、書いたのに、、、消えた・・
2560
:
ユタカ
:2013/08/15(木) 22:24:27 ID:R1D4Jmeg
復興G様
何キロ歩かれましたか? 神の子無限力ですが、復興G様が心配です。
あと、明日の誌友会も心配です、ユタカは何もしていないので、空白で誰も来なかったらこの掲示版が空白になってしまいます・・・
a hopeさま
わかりました、ありがとうございます。 すみませんが、連続投稿ができたりできなかったりしています。
不安なので、終わりのお祈りが出てこなかった時はフォローをお願いしたいのですが・・・見ていてください。出ていないときはすみませんが、
a hope様のお祈りでお願いします。ごめんなさい、よろしくお願いします。
るんるんさま
初めまして、いまだに格闘しています、投稿がOKの時とどこかに消えてしまうときがあります。
書き込む をクリックすると前のは投稿できたのに、次のは、このページは表示できませんとでて、再接続すると全部消えてしまい、もう、やる気なくなってしまいます、それが長文だと・・・
さて、これは、投稿できるか?出来なかったら、もうイヤだーーーー!!
2561
:
神の子さん
:2013/08/15(木) 22:32:03 ID:fru8f.EI
ユタカ様
まず、メモ帳にでも下書きをしておいてから、コピー貼り付けされたらどうですか?
2562
:
トキ
:2013/08/15(木) 22:49:42 ID:NU0Bwiho
>>2559
これは一般論ですが、ネットでの通信はいつもスムーズに進行するとは限りません。いくつもの
クッションを通しているので、途中で消える事があります。特に夜間はインターネットを利用する人
が多いので、サーバーが情報を処理できずに、投稿が消える場合があります。これには、処方箋はあ
りません。下書きを保存するなど、自衛をするしかないのが実情です。
どうも、せっかく書いて下さった文章が消えてしまい、申し訳ありません。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2563
:
ユタカ
:2013/08/15(木) 23:19:47 ID:R1D4Jmeg
書き込む という 所を押しているのに、表示できません とか 接続できません とかの問題なので コピーの貼り付けとかの問題じゃないのですよ・・・
2564
:
復興G
:2013/08/15(木) 23:56:15 ID:AB6RqYXc
ユタカさん
今夜は出かけていて、遅く帰ってきました。
PCは、おちついてやれば大丈夫だと思いますよ。
>>2561
:神の子さんが、
>>まず、メモ帳にでも下書きをしておいてから、コピー貼り付けされたらどうですか? <<
と言ってくださったのは、下書きを保存してあれば書き込みに失敗してもまた再投稿できるから、成功するまで何回でもやってみることが可能で、
「全部消えてしまい、もう、やる気なくなってしまいます、それが長文だと・・・」
ということはない、と教えてくださったのだと思いますよ。
2565
:
復興G
:2013/08/16(金) 03:17:09 ID:AB6RqYXc
第16回web誌友会は、いよいよ今夜からですね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<<第16回web誌友会予告>>
日時 8月16日(金)21:30から
8月17日(土)23:00まで
テキスト 『生命の實相』第4巻
第1章〜第4章 p.91 まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そこで、プレ・誌友会と申しますか、問題提起を始めたいと思います。私の切実な疑問、課題がありますので、曳馬野さまなど教団の方からもぜひご教示を賜りたい――総裁から直接のご教示が頂ければ最高にありがたいことであると思っております。何卒よろしくお願い申し上げます。
さて、テキストの中で、私が特に注目しましたのは、「第3章 祖国愛は神の道」 の中でp.53〜55のところです。まずはテキストの当該部分を謹写掲示させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
郷土愛と祖国愛
郷土愛、さらにそれが大きくなっては祖国愛――それは超越的な汎世界的な立場からみまするならば、一個の執着の念だとも評されましょうが、さらにそれを深く考えますと日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。
日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。
国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。
この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。
神の道と人の道
神の道といいますが、人間は神の子でありますから、神の道とは人の道のほかにはないのであります。
われわれの父祖が遺愛の記念品は、たとい一個の盃であろうとも一片の手紙であろうともわれわれはそれに愛を感じる。いわんや、いく百代父祖が生命をかけた国土に対して愛を感じないことは自然でない。それが人として当然のことであり、人情であるのであります。
かくのごとき愛もただの執着にすぎないといって排斥することになるならば、一切の人間的な麗わしき人情を否定してしまうことになり、この世界を織りなしている「人間の心の美術」を無にしてしまうということになるので、それは人の道ではない――したがって神の道ではないのであります。
キリストでさえも「隣人を愛せよ」といったのでありまして、「まず遠人を愛せよ」とはいわなかったのであります。われわれは、まず手近かなものを愛することから始めなければならないのであります。隣人といったら他人のことであって、家族のことではないと思っていられたら大まちがいであります。われわれにとって最初の隣人とは家族でありますから、家族を本当に愛しないようなものは本当に神を愛するものではないのであります。
「手近かにいる兄弟を愛しないで、眼に見えない神をどうして愛することができよう?」 とキリストも反問しているのであります。
われわれが親子となり、兄弟となり、血縁のつながる近親者となってこの世に生を受けてきているということは、決して偶然ではない。それは深き因縁あることであり、神がまず最初の隣人として、それらの人々を最も愛し最もよく世話をするように、われらの最も近くにそれらの人々を置き給うたのであります。
むろん、われわれは距離の問題を超越して広く隣人を愛しなければならない。このことは真理であり、われわれはこの真理に従わねばならない。しかし、距離を超越して愛せよとは近くを捨ててまず遠くを愛せよということではないのであります。この点、誤解のないように願いたいのであります。
「近くを捨てる」 ということならば、もはや 「近く」 とか 「遠く」 とかいう距離にとらえられているということになるのでありまして、本当に距離を超越したことにならないのであります。われわれが真に距離を超越しえたときには、近くにかかわらず遠くにかかわらず、摂理によって自分に与えられた者を愛することができるのであります。
そうすると結局、距離を超越して愛するとは、まず手の届くところにある近き者を 「本当」 に愛するということになるのであります。真理に随(したが)うとは、最も自然な生活のできる人が、最も真理に近い歪(ゆが)みのない生活をしているわけであります。<謹写引用終わり>
2566
:
ユタカ
:2013/08/16(金) 06:38:40 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
終戦日で、昨日もP、53を読んで感動して、今朝も読んでいた所です!
祖国と一体の自分というのがウレシイ!!
2567
:
るん吉
:2013/08/16(金) 06:43:56 ID:fYlJIcas
ユタカさま
今、繋がってるみたいですね。よかった。
ちなみにwifiですか?
2568
:
復興G
:2013/08/16(金) 07:37:20 ID:AB6RqYXc
私は先日 「終戦のエンペラー」 という映画を見て来ました。
これは 「ハリウッド歴史映画の超大作」と宣伝されています。
この映画のクライマックスは、1945年(昭和20年)9月27日の、昭和天皇 マッカーサーご訪問です。
映画プロデューサー奈良橋陽子の祖父 関屋貞三郎は、1945年昭和天皇のマッカーサーご訪問、会見実現に向けて尽力した人物の一人(宮内次官だった)。その祖父から聞いていた終戦秘話をハリウッド映画にしたいと奔走し、実現した。
占領軍総司令官マッカーサーは、フェラーズ准将に、「開戦の真の責任者はだれか」 の調査を命じる。フェラーズは重要人物に次々と当たって尋問するが、明確な答えは出て来ない。遂にマッカーサーは、天皇に直接会見してその人物を確かめようということになった。
GHQ(占領軍総司令部)をご訪問になった天皇陛下は、マッカーサーの前に進み出て 「このたびの戦争の責任はすべて私一人にあります。他の誰にも責任はないから、処罰は私一人に限っていただきたい」 と申し出られる。
マッカーサーは感動して、「処罰ではなく、この国の再建のために協力しあいましょう」 という。
ここから、その後今に到るまでの日米親善協力の歴史が始まったのである、ということが、ハリウッド映画の大作として公開されることになったのです。
――日本人だけの映画制作だと ある種の固定観念に埋もれてしまう懸念があるけれど、アメリカ人は事実を徹底的に調べるし、お金をかけて描く。そこがハリウッド映画の良さ、 と言われる。日本で教師をしていた経験ある作家・脚本家のデヴィッド・クラスの台本で、イギリス出身のピーター・ウェーバー監督による、客観的な徹底調査の結果できたものである故に、国際性があります。
奈良橋陽子プロデューサーは言っています。
「今なお世界中で終わることにない争いの数々――。平和を願うものの一人として、世界が再び同じ過ちを起こさないてめに、何かできることはないか――常々そんな想いを抱いてきました。・・・・・些細な行き違いから始まる誤解や喧嘩。ひとりひとりがそれぞれ平和を願う立場を理解すれば、戦争はなくせる――。心から平和な未来を願うひとりの人間として、この映画を皆様にお届けします。」
と。
ピーター・ウェーバー監督の言葉に――
「本作に描かれる日米双方の人物たちの決意が、その後50年以上にわたる平和の礎を築いたのです。」
とある。
その中心ポイントは、己を無にして 「一切の責任は自分にある」 と仰せられた天皇陛下。そしてその天皇陛下の御心をわが心とし、己を無にして美しい日本を復興させたいと願った人物たちの決意であったと思われます。
<つづく>
2569
:
a hope
:2013/08/16(金) 08:09:15 ID:edEDolt2
復興Gさま ユタカさま トキさま るんるん(るん吉)さま みんさなさま
おはようございます。
昨晩遅く、家族旅行から帰ってきました。
今日は、気分を入れかえて、子どもたちと静かにお勉強をして過ごしたいです。
>>2565
復興Gさま謹写の後半部分
<<キリストでさえも「隣人を愛せよ」といったのでありまして、「まず遠人を愛せよ」とはいわなかったのであります。われわれは、まず手近かなものを愛することから始めなければならないのであります。隣人といったら他人のことであって、家族のことではないと思っていられたら大まちがいであります。われわれにとって最初の隣人とは家族でありますから、家族を本当に愛しないようなものは本当に神を愛するものではないのであります。・・・(中略)・・・
そうすると結局、距離を超越して愛するとは、まず手の届くところにある近き者を 「本当」 に愛するということになるのであります。真理に随(したが)うとは、最も自然な生活のできる人が、最も真理に近い歪(ゆが)みのない生活をしているわけであります。>>
ここは、わたしも赤線を引いてありました。
ですがユタカさまが感動されたという、前半部分(P53の部分)『郷土愛と祖国愛』には、
何の線も引いてありませんでしが、今朝、復興Gさまの謹写全文を拝読して前半部分にもとても感動しました。
それは、わたしがこの掲示板で「日本国の実相」や「愛国心」について今までお勉強させていただいてきて、
心境が変わってきた、というか、真理に目覚めてきた証拠ではない思います。
雅春先生は、
<<郷土愛、さらにそれが大きくなっては祖国愛――それは超越的な汎世界的な立場からみまするならば、一個の執着の念だとも評されましょうが、さらにそれを深く考えますと日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。
国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。
この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。>>
と、こんなにハッキリと、日本人としての「世界奉仕」「人類への貢献」のあり方とその理由をご教示されています。
これは「世界平和」を実現するための日本人としての取るべき態度ともいえますよね。
これは、時代が変わったからと言って、変えていっていい「真理」であるとはわたしとても思えませんが・・・
わたしも、是非、曳馬野さまなど教団の方からや、雅宣先生直接のご教示をいただきたいです。
>>2560
ユタカさま
>>a hopeさま
わかりました、ありがとうございます。 すみませんが、連続投稿ができたりできなかったりしています。
不安なので、終わりのお祈りが出てこなかった時はフォローをお願いしたいのですが・・・見ていてください。出ていないときはすみませんが、a hope様のお祈りでお願いします。ごめんなさい、よろしくお願いします。<<
了解しました。
後夜祭は続くとしても、始めと終わりはけじめをつけたいですものね。
明日は午後から仕事にいきますが、夜は戻りますので大丈夫です。
ユタカさま、無理のないようにご参加下さいね。
みなさま
今夜、お会い出来るのを楽しみにしています。
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