[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
2570
:
a hope
:2013/08/16(金) 08:25:20 ID:edEDolt2
>>2569
訂正
真理に目覚めてきた証拠ではない思います。→真理に目覚めてきた証拠ではない【かと】思います。
2571
:
復興G
:2013/08/16(金) 13:32:52 ID:AB6RqYXc
>>2568
のつづきです。
ある誌友会で、「Voice」 の8月号に竹田恒泰氏が
『「国体の護持」を達成した日本国憲法』
という論文を発表しておられるが、それについてどう思いますか、という質問を受けました。私はその時まだその論文を読んでいなかったので、さっそく「voice」 8月号を買って読みました。
竹田氏の論文は前記「終戦のエンペラー」の映画の内容と一致あるいは関連するので、その小見出しと論点の要約を挙げますと
(1)ポツダム宣言を受諾した目的は何か
昭和20年8月10日午前0時から始まった御前会議で、わが国の政府と統帥部の首脳は「ポツダム宣言を受諾するか否か」究極の政治判断を迫られていた。同宣言を受諾すれば、日本は建国以来、初めて外国の軍隊に占領されることになる。そして、もし受諾しなければ、本土決戦に突入することになる。
このとき、東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣はポツダム宣言を受諾すべきと主張、これに対して阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣は本土決戦を主張した。
しかし、双方ともめざすものは同じ「国体の護持」ということであった。
数時間に及ぶ議論の末に議場に諮ったところ、三対三で完全に意見が二分してしまった。
ここで議長を務める鈴木貫太郎総理は、
「誠にもって畏れ多い極みではありますが、陛下の思召(おぼしめし)をお伺いし、聖慮をもって、本会議の決定と致したいと存じます」
と述べたのだ。御前会議は国家の最高意思決定機関であり、天皇が自ら直接その決定を下すなど、わが国の憲政史上、一度の先例もないことだった。
このとき、昭和天皇は次のような御言葉を発せられた。
「自分は、外務大臣の案に賛成する」
これでポツダム宣言の受諾が決定した。
(2)日本はほんとうに無条件降伏したのか?
それは「否」である。
ポツダム宣言の一部を抜粋して示すと
「第五項 吾等の条件は左の如し。吾等は右条件より離脱することなかるべし。右に代る条件存在せず。吾等は遅延を認むるを得ず」
として、ここから下の項目に、連合国の条件が記されている。ポツダム宣言は“有条件”だったことがわかる。
ではその条件とは?
第七項には同宣言の目的を達成するために連合国が日本を占領することが明記されているが、重要なのは、一定の条件を満たしたら占領軍は撤退する旨が次のように書かれている。
「第十二項 前記諸目的が達成せられ、且(かつ)日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ、平和的傾向を有し、且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、連合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし」
そして、その一定の条件とは次のようなものだった。
「第十項(抜粋) 日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論、宗教及思想の自由並(ならび)に基本的人権の尊重は確立せらるべし」
つまり、日本が民主主義的傾向を復活させ、言論の自由、宗教の自由、思想の自由を確立し、基本的人権を尊重する国になり、平和的傾向をもつ責任ある政府が樹立されたなら、連合国は占領軍を撤収させるという約束事が書かれているのである。
ポツダム宣言は連合国と日本国の双方に権利と義務を盛り込んだ条約であって、なにも一方的に日本が義務だけを負うものではない。日本が無条件で降伏をした事実は存在しないのである。
ではなぜ「無条件降伏」と理解されるようになったのだろう。それは、同宣言第十三項に、連合国が日本政府に日本軍の無条件降伏を宣言するように要求する内容が含まれていることが原因だと思われる。しかし、ここでいう「無条件降伏」とは軍の降伏を意味し、国の降伏が無条件であることを意味しない。つまり、明け渡したのは軍であって、けっして国ではないのだ。
<つづく>
2572
:
復興G
:2013/08/16(金) 15:09:43 ID:AB6RqYXc
>>2571
のつづきです。
(3)天皇の地位をめぐり議論沸騰
ポツダム宣言受諾を決定した8月10日の御前会議の直後、日本の外務省は連合国に対して同宣言を受諾する旨を次のように打電し、降伏することを意思表明した。
「条件中には天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの諒解の下に、帝国政府は右宣言を受諾す」
ところが、米国のバーンズ国務長官からの返答があったのは8月12日午前0時45分で、その内容は、天皇の地位を保障するとも保障しないとも取れるような曖昧な内容だった。
これにより、重臣たちのあいだで議論が蒸し返された。連合国は日本政府の確認については一言も答えず、日本の統治権はGHQの下に置かれると述べただけだった。阿南陸軍大臣も、これでは天皇の地位は保障されないと考え、「国体護持の保障がないかぎり徹底抗戦すべき」と、ポツダム宣言拒絶を主張した。
そして8月14日午前11時、再び御前会議が開かれた。またもや議論が紛糾したが、最後は2回目の御聖断により、終戦が決定することになった。
この日のうちに「終戦詔書」が起草されて、内閣総理大臣以下全閣僚の署名が揃った。そして翌日の8月15日、玉音放送により、日本がポツダム宣言を受諾し、戦争を終結させることが全国民に伝達されたのだった。
(4)天皇を元首と記した「マッカーサー・ノート」
その後、マッカーサー元帥は昭和天皇との会見を通じて、天皇と国民が一体であるという、まさに日本の国体をみてしまった。
天皇をなくしたら日本は大混乱に陥り、数百年にわたって復讐の戦争が繰り広げられると考えた元帥は、それからというもの、本国政府の意思に反して、天皇を処刑せずに、皇室を存続させる方針を定めた。
昭和21年2月3日、マッカーサー元帥はGHQが憲法草案を起草することを決断した。それは、2月26日に極東委員会が活動を開始することが原因だったとみられている。極東委員会とは、連合国11ヵ国の代表によって組織された日本の占領統治に関する最高の権限を有する機関で、これが活動を開始すると、GHQの権限が大きく制約されることになる。
極東委員会には、ソ連とオーストラリアのように、皇室を存続させることに強く反発する国が入っていて、天皇の戦争責任の問題も活発に議論されていた。そのため、極東委員会が活動を開始する前に、GHQ主導で憲法改正の流れをつくらなければ、皇室を存続させられないとの判断があったと思われる。
憲法草案起草の責任者となるホイットニー民政局長に示した「日本の憲法改正に際して守るべき三原則」(通称「マッカーサー・ノート」)には、憲法草案に盛り込む必須三原則が書かれている。
「一、天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
二、国権の発動たる戦争は、廃止する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
三、日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと」
日本国憲法には第一条から第八条にかけて天皇に関することが書かれることになるが、それはマッカーサー・ノートの第一項が基礎となっていることがわかる。他方、日本国憲法第九条の「戦争の放棄」は、マッカーサー・ノートの第二項が基礎になっている。元帥が示した三原則に基づいてGHQ草案が作成され、それに基づいて日本政府案が作成され、それを枢密院と帝国議会で議論して成立したのが「日本国憲法」である。
占領を経ても皇室が存続したことに喜びを感じる半面、戦争放棄が憲法に盛り込まれたことは、日本の手足を縛るものであって、痛恨の極みである。日本国憲法は勝者である連合国が、敗者である日本に押し付けたものであることは歴史の事実であり、誇りある日本人としてはけっして承服できるものではない。
しかし現在、日本国憲法はその問題点ばかり指摘される向きがあるが、当時の日本人が切望していた「国体の護持」を実現させたものであることも事実である。物事には光と影があり、日本国憲法にも影の部分だけでなく、光の部分があることを忘れてはいけない。
国体が護持されたことは、数少ないながらも日本国憲法の光輝く部分である。皇室の存続は日本人の総意だった。わが国は敗戦の憂き目を経ても、「君民共治」の日本の国体を護持することができたのである。
<つづく>
2573
:
復興G
:2013/08/16(金) 15:27:04 ID:AB6RqYXc
<つづき>
(6)日本国憲法の成立により主権者は変更したか
主権者の変更の有無を考えるうえで、まずは主権の定義を確定しておかなくてはならない。
宮沢俊義博士のいう「国民主権を問題とする場合の主権とは、国家の政治のあり方を最終的にきめる力をいう」(宮沢俊義『憲法の原理』岩波書店、1967年)が主権の定義として広く用いられ、定着している。
「国家の政治のあり方を最終的にきめる力」が天皇にあれば天皇主権、国民にあれば国民主権ということになろう。
なお前掲書には「君主主権は国民主権と両立せず、一方の是認は、論理必然的に、他方の否認を意味」し、「天皇主権は国民主権と原理的に両立しない」のであって、「前者より後者への推移は、政治の根本原理の変革と見るべきものである」とも記されている。
では、旧憲法から新憲法への移行により、「国家の政治のあり方を最終的にきめる力」が天皇から国民に移ったとほんとうにいえるだろうか。少なくとも憲法の条文を比較してみても、天皇の法的権限は旧新憲法問で根本的な変化はなく、主権が天皇から国民に移ったことを明示する条文はみられない。
日本は古来「天皇不親政の原則」といって、天皇はごく一部の例外を除き、政治の意思決定に直接関与してこなかった。事実、明治維新から現在までのあいだに、天皇が国策を直接決定したのは、それこそ昭和20年8月10日の「終戦の御聖断」しか例がない。また、武家政権の時代は朝廷が政治を決定する立場になく、また平安時代以前も、摂関政治と院政、または豪族の政治が基本とされ、やはり天皇が直接国策を決定する立場になかった。
権力者たる国民(関白・幕府・議会など)が国策を決定し、これを天皇が裁可・承認・追認などをすることで、国事が遂行されてきたことは、歴史を通して変わらない日本の意思決定の仕組みであり、この点に関して旧新憲法間でも差異はない。
また、大日本帝国憲法下における確立された慣行によれば、政府と統帥部が決定した国策について、天皇はこれを却下する権能をもたなかった。これは、現在でも同様であろう。
具体例を挙げてみよう。たとえぱ立法権は主権の重要な権能の一つである。もし日本が米国のような完全なる国民主権国家なら、主権者だけの力で法律を完成させられなければおかしい。たしかに米国は国民単独で法律を完成させることができる。
ところが、日本の場合、国民は議会で法案を議決するところまでしかできない。そこから先は天皇の仕事になる。
法律を公布するのは天皇の国事行為であることは日本国憲法第七条が示すところだ。法律をつくるのは国民だが、そこに息を吹き込むのは天皇、ということになる。したがって、日本は米国と違い、国民単独でも天皇単独でも法律一つ、完成させることができない。
では、国民単独でも天皇単独でも主権を行使できないなら、わが国において、いったい誰が主権者なのだろう。答えは「君民一体」。つまり、天皇と国民が一体となった姿こそが、わが国の主権者の姿であると考えなくてはならない。天皇と国民が一体となったときに、初めて主権が発動するという意味である。そして、このことも旧新憲法間で違いはない。
宮沢博士は、天皇主権と国民主権は両立しないと主張していたが、それを両立させてきたのが日本の歴史である。
中国や欧州では「君」と「民」は対立概念だった。他方、日本では「君」と「民」、つまり天皇と国民が対立関係に入ったことは、これまで一度も例がない。また、そのような国は日本以外に存在しないのだ。よって、欧州の法学の概念で理解しようとしても、日本の統治を理解することはできないだろう。
主権には権威と権力の側面があり、日本は米国と異なり、主権の権威の側面を天皇が、また主権の権力の側面を国民が担ってきた。また「君民共治」が日本の国体であることは繰り返し述べてきたところであり、「君民一体」と「君民共治」は日本の国体の表裏を成すものといえよう。
このような理由により、帝国憲法から日本国憲法への変更に伴い、主権者の変更は実際に起きていないのであるから、国体が変更したと結論することはできない。したがって、仮に憲法改正に限界があったとしても、帝国憲法から日本国憲法への変更は、その限界の範囲内であったことになる。
<つづく>
2574
:
復興G
:2013/08/16(金) 15:34:00 ID:AB6RqYXc
順番を間違えました。
>>2572
のつづきです。
>>2573
の前になります。
(5)「国体は破壊された」と騒ぎ立てる戦後の憲法学者
ところが、戦後の憲法学者たちは「終戦によって国体は破壊された」と主張し続けて、現在に至る。憲法学界では、日本国憲法が有効である論理として「八月革命説」が支持され、現在では通説となっている。「八月革命説」は法学部の卒業生であれば、憲法か法学の授業で必ず耳にしたことがあるはずだ。いったいどのような論理であるか説明を試みる。
第一に、憲法には改正の限界があると述べる。たとえば主権の所在など、国の根本原理を変更することはできないと主張される。
第二に、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更は、天皇主権から国民主権に変更する内容を含んでいるから、憲法改正の限界を超えるものであって、法的に説明がつかないものであるという。
そして第三に、日本国憲法の成立は法的に説明がつかないのであるから、法的な意味における革命が起きたと考えよう。
これが「八月革命説」の考え方である。つまり、わが国がポツダム宣言を受諾した昭和20年8月、ある種の法的な革命が起きたとし、日本国憲法は革命憲法としてのみ有効たりうるというのだ。この説は宮沢俊義博士によって論理立てられたもので、現在では憲法学者のほとんどが支持する支配的な通説になっている。
終戦時に実際の革命が起きていないことは誰でも知るところだが、ここで、日本国憲法が成立するまでの手続きの流れを確認しておきたい。
内閣はGHQ草案に基づいて草案づくりに着手し、昭和21年4月17日に内閣草案を完成させた。次に、内閣草案は枢密院に送られて可決され、6月20日には「帝国憲法改正案」として勅書をもって第九〇回帝国議会に提出された。8月24日に衆議院は原案に若干の修正を加えて可決し、貴族院に送付。貴族院は10月6日、原案にさらに若干の修正を加えて可決。次に、衆議院が貴族院で加えられた修正に同意して帝国議会での審議が終了した。そして改正案は再び枢密院の審議に付され、帝国議会での修正に同意して、すべての審議が終了した。そのうえで、10月29日に昭和天皇の裁可を経て、11月3日に「日本国憲法」として公布され、昭和22年5月3日に施行されたのである。
このように、日本国憲法は、憲法と法令の規定に従って、枢密院と帝国議会で議論が尽くされ、大日本帝国憲法を改正することで、日本国憲法が成立したことがわかる。
ところで、保守の一部で支持されている憲法無効論も、この八月革命説と論理は同じである。憲法無効論の論理は八月革命説とほとんど一致していて、「第三」だけが異なり「だから無効と考えよう」としている。憲法無効説と八月革命説は、結論の一行が異なるだけで、その前提となる論理はまったく同じなのだ。いずれの説も、憲法が変更したことで、国体は破壊されたと結論するものである。
では、はたして日本国憲法の成立で「君民共治」の国体は破壊されたのだろうか。否である。大日本帝国憲法から日本国憲法への変更によっても、「君民共治」の日本の国体は変更せず、いまに残されていると考える。天皇の法的地位は、憲法の変更によってもほとんど変化していないばかりか、本質的な部分については完全に新憲法に継承されているからだ。
ここで「八月革命説」を順に検証してみよう。まず、第一の憲法の改正に限界があるか否かの問題については、百年以上のあいだ世界の憲法学界で論争が続いていて、いまだに解決の目処が立っていない。つまり、改正に限界があるという説自体が、世界の憲法学界では二つある有力説の一つにすぎないのだ。「八月革命説」は、このような未確定なことを大前提としているのであって、それだけで不安定な説であるといえる。もし憲法改正に限界がないとの立場に立てば、そもそも「八月革命説」など成立しえない。
それでは、百歩譲って、仮に憲法の改正に限界があるとして、第二の論点に進むことにする。ここでは、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更が、憲法改正の限界を超えるか否かが論点となる。おそらくこの点こそが、国体が護持されたか否かの主戦場となろう。具体的には、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更は、主権者の変更を伴うかどうかの議論に集約される。
<つづく>
2575
:
復興G
:2013/08/16(金) 15:45:21 ID:AB6RqYXc
<つづき>
(7)日本国憲法が無効なら世界中の憲法が無効に
「八月革命説」では、帝国憲法から日本国憲法への移行は法的説明がつかないことを理由に「八月に法的意味の革命が起きた」と主張する。「法的意味の革命」とはいったい何か。
簡単に説明するなら「法的意味の革命」とは、旧憲法と新憲法のあいだに法的連続性がないことを意味するだけのことである。「八月革命説」に立てば、帝国憲法と日本国憲法のあいだには法的連続性がなく、ゆえに「革命」が起きたと考える。
つまり「八月革命説」はほんとうの意味の革命が起きたことを意味するものではない。憲法改正に限界があり、その限界を超えた改正が行なわれた場合、新憲法は法的に説明がつかないものとなるため、革命憲法であることにして、その憲法を有効と考えるのが「八月革命説」の主張である。
これまで述べてきた理由により「八月革命説」は妥当ではない。大日本帝国憲法の改正規定に基づいて改正されたのが日本国憲法であり、大日本帝国憲法と日本国憲法は法的連続性がある。そして、この考え方は「八月革命説」に対して「改正憲法説」と呼ばれている。
もし、「八月革命説」が妥当するなら、旧新憲法間に法的連続性がなく、日本国憲法成立によって国体は変更されたことになり、国家としての連続性も否定される。また昭和天皇が初代天皇であるということになってしまう。「改正憲法説」を採ることによってのみ、日本はポツダム宣言を受諾することによって、最終的には国体を護持することができたといえるのである。
「国体の護持」こそが、ポツダム宣言受諾の目的だった。日本は敗戦により、誇りを踏みにじられ、歴史を否定され、ありとあらゆるものを失ったが、「国体の護持」だけは、日本人が最後に死守したものだったのではないか。国体が守られてこそ、いまの日本は日本たりえる。そして、このことは政府と統帥部の幹部だけの望みではない。特攻隊員たちや、硫黄島・沖縄をはじめとする最前線で命を絶っていった兵士たちの望みもまた、同じだったはずである。
ここで「憲法無効説(押しつけ憲法論)」について付言しておきたい。「憲法無効説」はその論理が「八月革命説」と同じなので、同じ根拠で否定される。そのため、ここでは「無効」の部分について検討しておく。
「憲法無効説」は、帝国憲法から日本国憲法への改正の手続きが違法であると説く。そして、違法であるがゆえに、日本国憲法は無効であるとする。もっともな論理にみえるが、次のような理由で完全に否定される。
たしかに、違法な手続きで成立した法律は無効であることに異論はない。違法な手続きを経た契約が無効であることも同様である。しかし、それは法律や契約についていえることであって、憲法に関しては別である。憲法については、いかなる手続き上の瑕疵(かし)や違法性があったとしても、憲法自体を無効とする法理は存在しない。
なぜなら、いま世界に存在している憲法のほとんどは違法な手続きに基づいて成立したものであって、そもそも憲法は戦争や革命や動乱のなかで、短期間のうちに書き上げられるものだからである。およそ、合法的に成立した憲法などほとんどないといってよい。安定した社会で平穏裏に合法的に成立した憲法といえば、明治二十二年に発布された大日本帝国憲法くらいではあるまいか。
もし憲法成立の手続きに瑕疵や違法性があることを理由に、その憲法が無効であるとしたら、およそ世界中の憲法のほとんどは無効になってしまう。アメリカ合衆国憲法、中華人民共和国憲法、フランス共和国憲法然りである。
したがって、仮に日本国憲法が、占領軍が違法な手段で押しつけた憲法であっても、たった七日間で書き上げられたものであっても、それが憲法無効の理由にはならない。
憲法は存在している時点で、すでに憲法として有効なのである。
<つづく>
2576
:
復興G
:2013/08/16(金) 16:27:50 ID:AB6RqYXc
<つづき>
(8)九条の呪縛と日本の可能性
そもそも、当時の政府と統帥部の首脳は、憲法の改正を望んでいなかった。にもかかわらず、連合国は占領中に、三つ目の原爆投下までちらつかせて、日本に憲法を変えさせたのであるから、日本人としてはけっして納得のできるものではない。
しかも、前文や第九条をはじめ、問題のある条文が多く、日本国憲法こそが「戦後レジーム」の正体ともいえよう。連合国が日本占領の目的とした「精神的武装解除(精神的に骨抜きにすること)」は、憲法改正によってその基礎を固めたのである。憲法の改正なくして戦後レジームからの脱却はありえない。
帝国憲法から日本国憲法へ切り替わったことによっても、天皇の法的な地位に本質的な変化はなく、天皇と国民が一体となった「君民一体」こそが、わが国の主権者の姿であることに何ら変化はない。にもかかわらず「国民主権」という言葉が独り歩きし、さも憲法の変更と同時に日本の国体が変わり、天皇と国民の関係が本質的に変化したかのような空気が蔓延しているのは確かである。
その結果、学校教育の現場では「天皇は主権者の地位を国民に明け渡し、いまは象徴になった」などと、まったく見当違いなことを教えている。これも連合国による精神的呪縛の一つというべきであろう。
日本人が日本をしっかりと理解することは、日本の将来にとって重要なことだと思う。憲法について国民的議論を積み上げ、日本の統治のかたちについて再認識をしなくてはいけない時期にきているのではないか。国体に関する議論を経ることで、日本人は確実に日本人としてのアイデンティティーを再確認し、日本人であることの誇りを取り戻すことができるのではないかと思う。
これまで日本人は憲法を議論しようとしなかった。憲法改正を口にするだけで「軍国主義」などと罵られる状況だった。しかし、空気は完全に変わった。いまや、憲法改正を正論として語れる時代になったのだ。
しかし、憲法改正の議論は、押しつけられた憲法を木っ端微塵に粉砕するような態度で臨むべきではない。屈辱的な「押しつけ憲法」であったとしても、そこには日本人が死守した条文があることを忘れてはい.けない。日本国憲法に一定の敬意を払いつつ、必要な箇所を粛々と改正していく態度こそ、あるべき伝統を重んじる日本人の姿勢ではなかろうか。
日本人が自らの頭で考えて、自らの手によって憲法を改正していった先には、前途洋々たる未来が開けていると思うのだ。そのためには、日本国憲法第九条の改正が不可欠であろう。国防は国の基礎である。現代日本人を支配している自虐史観が取り払われ、日本が精神的・物質的に自立した国になったとき、日本はほんとうの輝きを取り戻すであろう。
第九条の呪縛は物理的・精神的の両面にわたっている。九条によって日本は戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権ももたない国になった。自衛隊は九条が保持を禁止する「戦力」には該当せず、軍隊ではないことになっている。しかも「専守防衛」を徹底することになっているため、近隣諸国から国際法に違反する挑発行動を受けても、絶対に自衛隊の側から攻撃をすることがない。とくに中国はそのことを熟知していると思われ、本来なら攻撃されてもおかしくないような挑発をわざと仕掛けてくる。
(後略)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以上、長々と竹田恒泰氏の日本「国体と憲法」論を紹介してまいりました。
テキストから外れて長くなって、ごめんなさい。
上記竹田氏の憲法論は谷口雅春先生の憲法論(帝国憲法に復元改正よ)とも違いますが、日本の国体は戦前も戦後も 「君民共治」 で変わっていない。今も、主権は 「君民一体」 の姿にある、というのは、ユニークな観点の独創性ある国体論・憲法論だと思われ、共感するところあり、考えさせられました。皆様、どう思われるでしょうか。
<つづきます>
2577
:
名無顔無し
:2013/08/16(金) 18:44:48 ID:???
護憲派というのも一種の宗教なのではないかと思えてくる。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との前文の一節は周辺諸国の現実をみれば絵空事に過ぎないと分かるはずだが、護憲派の方々は9条も含め、この憲法の精神を守っていれば日本の安全が確保されると「信じて」いるのである。護憲派の論者は、自覚的であるかどうかは別として、国民に対して現行憲法への批判を許さない「信仰」をうながしているように思えてならない。
この「宗教」の面白い(実は深刻な)ところは、戦争というものは日本人が起こすものだという“日本人性悪説”に基づいていることだ。9条でもって日本人の手足をしばっておけば、平和は保たれると信じられている。逆に9条を改正したりすれば、日本の軍隊は海外に出て行って戦争を起こしかねない、「戦争ができる国にするのか」と心配されている。一方で中国が尖閣諸島をどれほど脅かしても、北朝鮮が核・ミサイル開発を進めようとも、「信者」たちは見て見ぬふりをする。日本が善良なる周辺諸国を刺激さえしなければ、日本の平和は守られることになっているのであり、冷静に考えれば失笑を禁じえない。
2578
:
a hope
:2013/08/16(金) 20:24:05 ID:edEDolt2
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<<第16回web誌友会予告>>
日時 8月16日(金)21:30から
8月17日(土)23:00まで
テキスト 『生命の實相』第4巻
第1章〜第4章 p.91 まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
みなさま こんばんは。
もう少ししましたら、準備祈願の祈りをさせていただきます。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
復興Gさま
大変興味深い竹田恒泰氏の『「国体の護持」を達成した日本国憲法』
をご謹写くださりありがとうございます。
ところで、とても初歩的な質問で恥ずかしいのですが、この文章のタイトルにもなっている「国体の護持」と、
「鎮護国家」との関係を教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
2579
:
a hope
:2013/08/16(金) 20:54:13 ID:edEDolt2
第16回WEB誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
2580
:
a hope
:2013/08/16(金) 21:02:17 ID:edEDolt2
続きまして、聖経「続真理の吟唱」より、『愛の絶対価値を高揚する祈り』を謹写させていただきます。
『愛の絶対価値を高揚する祈り』
今ここにわれは生きているのである。
″生きている″とは何と神秘なることであろうか。
わたしが生きているということは、決して物質の機械がここに動いているということではないのである。
考える力が生きているということである。
愛する力が生きているということである。
知る力が生きていることである。
よろずのものと調和し、調和せざるものを排出し、矛盾を克服し、混乱を鎮定し、
更に一層大なる価値を生み出す不思議なる力が生きているということである。
私は今、この不思議なる偉大なる力を尊敬し礼拝するのである。
私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
この神秘力を私は″神″として讃えるのである。
それは物質の光がなくとも見ることが出来る力である。
それは電灯も、何の灯明(とうみょう)もない胃腸の中で、食物として摂取した色々の成分を、
分類し、選択し、必要なものを吸収し、不必要なものを外に送り出すところの、それは見ずして見る力であるのである。
私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
物質の力は、物質的法則と、化学式に従って機械的に動いて行くに過ぎないが、
この神秘力は、物理化学の法則を利用しながら進んで行くが、自由意思を備えていて、
法則をのり越えて、新たなる独得の個性ある価値を創造する力である。
それは他の人とは異なる個性ある血液型をつくる力であり、個性ある指紋をつくる力であり、
個性ある指紋をつくる力であり、一点一画を描いても、その″点″にも″線″にも個性を示す不思議な力であるのである。
単なる物質は個性のない類型をつくるが、生命は単なる類型をつくることは決してないのである。
人間は絶対者の個性的表現であるから、よく似た顔をしているようだが、
悉(ことごと)く個性の異なる顔貌(がんぼう)を備えているのである。
一本の樹木の単純な葉ですらも、一枚一枚個性の異なる葉脈をその葉の上に描くのでる。
それは類型がないから、他に似たものによって代換えすることが出来ない。
その一つが減ずることは、かけ換えのない絶対価値が一つ減ることになるのである。
生命の神秘、不可思議なる価値は、そのかけ換えのない絶対なる創造力に存するのである。
その一つすらも減ずることは絶対価値が減ずることに成るのであるが、
絶対価値は、絶対であるが故に減ずることも滅(めっ)することもあり得ないのである。
減じたり、滅したりするものは、すべて相対価値のあるものばかりである。
貯金として貯えられたる貨幣の価値は、相対価値であるが故に、物価との相対的比較上減って行くのである。
しかし人間が誰かを″愛″したという″愛″は絶対的価値であるが故に、
その″愛″は永遠に滅することも減ずることもないのである。
日本の国民が国家を愛して国家を護るために戦った。
その″戦い″という行為は、相手があり相対的なものであるから、
立場立場の異なる人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、
その″戦い″という相対的行為の奥にあるところの日本国民が天皇を愛し大日本帝国を愛した
というその純忠なる″愛″の価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、
肉体という相対的存在が滅びても、永遠にその″愛″の価値が滅することはないのである。
純粋な愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に、それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。
感謝 合掌。
2581
:
トキ
:2013/08/16(金) 21:20:45 ID:Zvz5EuUc
復興G様、今回も誌友会でのご指導、よろしくお願い申し上げます。
また、皆様のご参加もお待ち申し上げます。
合掌 ありがとうございます
2582
:
復興G
:2013/08/16(金) 21:27:46 ID:AB6RqYXc
a hope さま
素晴らしい祈り
『愛の絶対価値を高揚する祈り』 の言葉、ありがとうございます。
皆々さま
どうぞよろしくお願いいたします。
ユタカさま
PCの具合、どうでしょうか?
2583
:
復興G
:2013/08/16(金) 21:29:05 ID:AB6RqYXc
トキ様
お世話になります。
どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
2584
:
ユタカ
:2013/08/16(金) 21:42:07 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
旧PCの前にいます、熱くて火を噴きそうですが、大丈夫です。
今から、復興Gさまを読ませていただきます。 a hopeさま、真理の吟唱の謹写をありがとうございます。
そして、すみませんが、明日は9時から17時まで奉仕作業で出かけてきます。
2585
:
rei
:2013/08/16(金) 21:56:30 ID:ZIftZ1jM
合掌
ありがとうございます。
「学ぶ会」の全国大会でゲスト講師としていらしていた竹田恒泰氏の
講演をお聞きして、素晴らしいと思いました。
全国で講演していらっしゃるのを知って、
追っかけました。
憲法のお話は本当に新しい視点を与えてくれ、感心しました。
大日本帝国憲法の復元を主張する人達の心情はとてもよくわかるが、
と言われ、それでも、そのままを復元するのには無理があることを、
諄々と説明されて、私にもとてもよくわかりました。
30歳を少し出たぐらいのお若い方なのに、すごいなあと思いました。
「君民一体」「君民共治」の話の時には、ものすごく感動しました。
谷口雅春先生の本を読んでるのかなあと思ったほどでした。
国を愛する心の深い方だと思いました。
復興Gさま
紹介下さりありがとうございました。
2586
:
復興G
:2013/08/16(金) 21:59:55 ID:AB6RqYXc
>>2578
:a hopeさま
>>「国体の護持」と、
「鎮護国家」との関係を教えていただけないでしょうか?<<
よい質問を、ありがとうございます。
「国体の護持」 というのは、前に2.26事件について勉強した時に、戦前の 「国体明徴運動」 というのを学んだことがありましたが、このたびは特に「ポツダム宣言」受諾の時に問題視されたこととして、天皇中心・君民一体の日本の国柄、国のあり方を護ることを指していますね。
「鎮護国家」 というのは、鎌倉時代に蒙古の襲来などがあり、仏教と国家が結びついて 「鎮護国家」 の祈りがなされたこと、日蓮も 「立正安国論」 で 「鎮護国家」 を言っている、などが思い浮かびますが、
私たちにとっては、総本山が 「鎮護国家 龍宮住吉本宮」 となっていること。
しかし、今は、その 「鎮護国家」 が祭祀の重点から外されて、「世界平和」 のみになっていることが、それでよいのか、これが大きな課題であると思います。
今年の総本山 龍宮住吉本宮秋季大祭に向けての 「世界平和実現のための特別誓願」 という 「誓願券」 用紙が送られてまいりました。
誓願文に 「鎮護国家」 という言葉はなく、
「私は神・自然・人間の大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します」
というのを、横書きで書くようになっています。
私は、書く気が起きなくて――
今年は出すことをやめようかと思っているところです。
その理由は、真の、究極の世界平和は、 「鎮護国家」 によってはじめて達成できるものだと信じているからです。
2587
:
トキ
:2013/08/16(金) 22:11:53 ID:Zvz5EuUc
>>2586
鎮護国家特別誓願は、昔は、『天皇国日本」も文言があったと記憶していますが、最近のものは『天皇国」
が消えていたみたいです。私の友人の友人は、それを憤り、下書きの文章を無視して「天皇国日本」という文言の
入った昔の文字を請願券に書いて、「これでよければ提出するが、駄目なら出さないよ」と教化部の職員に
見せて提出していたと聞きました。ちなみに、教化部の職員は受け取ったそうです。
ただ、それは、その人が古い幹部だから通ったので、他の人が同じ事をして、通るかは不明です。
大事なのは、信徒が『鎮護国家」の意味を正しく認識する事だと思います。
今、本部の人でも勉強していない人が多いので、説明が出来ません。教区になるともっとです。
その意味で、今回の誌友会は大事だと感じています。
2588
:
復興G
:2013/08/16(金) 22:20:21 ID:AB6RqYXc
今回のテキスト『生命の實相』第4巻p.53〜 には、次のようにありました。
≪日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。
日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。
国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。
この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。≫
谷口雅宣総裁は、「多様性の中に神を見る祈り」 の中に次のように示されています。
≪ 生物は単細胞生物から発して多細胞生物へと進化し、菌類や植物や動物が出現して、さらに多様化、複雑化が進んでいるのである。しかも、それらがすべて生物圏全体の調和と安定に支えられながら、自らも生物界の調和と安定を目指し、また自ら調和と安定を担っている。これらはすべて、神の無限性が有限を通して現象界に展開する姿である。
人類も単一の種でありながら、多様な種族、民族、国家へと分化、発展しつつあるのである。人間はみな神の子であるから、現象世界に現れれば複数の個性となり、多様な民族となり、互いの調和を求めて努力するのである。唯一絶対にして無限の神があるから、現象界には必ず複雑化、多様化、調和への動きが現れるのである。このことを深く知れば、「神の子」としての人間の生き方も、おのずから神の自己表現の展開に倣うことになる。≫
―――世界の国々も「多様性」を発揮して調和への動きが現れる。ならば、日本は日本の個性を発揮することによって、「神の無限性が有限を通して現象界に展開する」ことになるので、「鎮護国家」を外すことは国の多様性を否定することになるのではないか。雅宣先生の祈りからしても、「鎮護国家」はそのまま大切にすべきだと私は思うのですが・・・・
2589
:
復興G
:2013/08/16(金) 22:32:00 ID:AB6RqYXc
reiさま、ユタカさま、トキ様
ご投稿ありがとうございます。
「天皇国日本」 ――これは、天皇が主権者で国民を支配する国という意味でないことは明らかですよね。
日本は、「君民一体」の国。一度も「天皇が国民を支配する」、「うしはく」 ということはなかった。
天皇は「しろしめす」(「知り給う」の尊敬語)、民の声を「きこしめす」ので、皇室の御紋章は「きく(菊)」になっていると言われます。
それは、観世音菩薩が世の人々の心のひびき(世音)を観じ給う(聴き給う)お姿であります。
2590
:
a hope
:2013/08/16(金) 22:36:34 ID:edEDolt2
>>2586
復興Gさま
<<「鎮護国家」 というのは、鎌倉時代に蒙古の襲来などがあり、仏教と国家が結びついて 「鎮護国家」 の祈りがなされたこと、日蓮も 「立正安国論」 で 「鎮護国家」 を言っている、などが思い浮かびますが、
私たちにとっては、総本山が 「鎮護国家 龍宮住吉本宮」 となっていること。>>
また、トキさまが
>>2587
で
<<鎮護国家特別誓願は、昔は、『天皇国日本」も文言があったと記憶していますが、最近のものは『天皇国」
が消えていたみたいです。>>
とおっしゃっていますが、それでは生長の家の「鎮護国家」とは、本来は、「天皇国日本の国体」つまり言い換えれば、<<天皇中心・君民一体の日本の国柄、国のあり方を護ること>>をお祈りすることだったのでしょうか?
あちこちの生長の家の掲示板で「鎮護国家」外しが話題に上がっていますが、正直に白状しますと、
わたしはよく意味が分からないのです。
まあ、言葉の意味だけなら理解できますが、生長の家が誓願文に 「鎮護国家」と書くことがいったい何を意味しているのかが分からなかったのです。
だって、自分の住んでいる国の平和を願うのは当たり前ですからね。
すみませんが、もう少し、詳しく教えていただけないでしょうか?
2591
:
ユタカ
:2013/08/16(金) 22:49:39 ID:R1D4Jmeg
竹田さんの主権は「君民共治」の発想は生長の家でおしえて頂いたものとよく似ていて
なるほど!と思えました。竹田さんの独自の光明思想を読ませて頂いて、目からウロコが落ちた気がしました
。
今日本の学校長の机上には赤旗新聞が乗っていますし、大東亜戦争で負けたから、今だにアメリカはじめ、シナ、朝鮮からいじめられ続けている日本が現状です、若者は正規雇用からあぶれている人が多いし、昨日か一昨日のテレビで、日本に不利な条件を日本国民をごまかすように政治家にしむけて日本を自分たちのやりたい放題にしてあ、思い出した、第5福竜丸だった。乗組員には何の保障もしないよう仕向けた、自分たちを正当化して。
戦争に負けるということはこういうことかと、くやしい思いです。 主権が天皇にあろうが、なかろうが、外国からの不当な圧力を排除するにはそれはあまり関係ないのかも? とにかくうるさい内政干渉を排除したいというのが、本音。
安倍総理が靖国にいくなら中国側から会談は中止するとか、人の足元をすくうようなことばかり・・・
日本も国土がせまいから???? いいなり以外に道はないのだろうか???・
生命の實相は第4章の「愛の神による運命の修正」 の所が興味を引きました。
顕在意識では悪事を行ってもそれほど反省しないけど、潜在意識がそれを許さなく自己を破壊の方へ導く力があるなどの説明やそれを超越する方法などを更に詳しくもっともっと知りたいと興味深く読ませていただきました。
2592
:
ユタカ
:2013/08/16(金) 22:52:34 ID:R1D4Jmeg
すみません、投稿が遅くて、皆さんと話題がずれています。。。
2593
:
復興G
:2013/08/16(金) 22:55:13 ID:AB6RqYXc
日本の使命について、谷口雅春先生は 『光明道中記』 に、次のようにお示し下さっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一月二十三日 寒菊競(きそ)い開く日
十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするが日本の使命である。(『秘められたる神示―神示講義〈秘の巻〉』「久遠天上理想国実現の神示」)
全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。
理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。
全世界は天皇に於て一宇(ひとつのいえ)である。万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用に過ぎない。天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、真理の中には病気不幸は存在しないが故に、病気不幸が消えるのは当然のことである。病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。省みて真理に載(の)るものは幸である。
○
一月二十五日 光明充満する日
「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と実に朗々とした声で祝詞が響いて来る。朝の空気を動かし、霧を動かし、「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が天地を動かす、実に荘厳だ。それを古代日本人は知っていた。常に古代日本人は「大宇宙に神遍在す」と誦(とな)え念じ、邪気を祓(はら)っていたのである。
神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。吾々はそれを生長の家と名附けた。「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。
私の家が生長の家ではない。大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2594
:
ユタカ
:2013/08/16(金) 23:02:47 ID:R1D4Jmeg
外国にこれだけコケにされていて、何が「世界平和だ!」 と思いました。
そのような事を言える立場にあるの・?日本は・・・?
シナ、朝鮮、アメリカから虐待を受けているとしか思えない・・・
2595
:
復興G
:2013/08/16(金) 23:13:41 ID:AB6RqYXc
>>2590
:a hopeさま。
>>生長の家が誓願文に 「鎮護国家」と書くことがいったい何を意味しているのかが分からなかったのです。だって、自分の住んでいる国の平和を願うのは当たり前ですからね。
すみませんが、もう少し、詳しく教えていただけないでしょうか? <<
――
>>2593
に謹写しましたように、
「全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。」
その日本の使命を果たすことによって初めて、「全世界動乱の因を断つ」ことができる。
それが、イエス・キリストの祈り「みこころの天に成るがごとく地にも成らせ給え」の実現であり、釈迦が金波羅華の華を拈って示した中心帰一の浄土を実現することになる。
そういう使命を持った国が日本であるから、その日本を護ることが、「究極の世界平和」実現、神意実現への道である。それが、「鎮護国家」の意義であると、私は信じています。
2596
:
復興G
:2013/08/16(金) 23:20:40 ID:AB6RqYXc
>>2594
:ユタカさま
そうですね。今の日本の置かれている状態は……残念ながら……。
ユタカさんは、全心火の玉のような愛国者なのですね。
ありがとうございます。
2597
:
復興G
:2013/08/16(金) 23:28:57 ID:AB6RqYXc
しかし、ユタカさま、日本は使命のある国であり、護国の英霊も護って下さっていますから、
たとえ今暗雲が漂っているようでも、必ずその使命は実現できるようになっていると、私は信じていますよ。
2598
:
ユタカ
:2013/08/16(金) 23:44:18 ID:R1D4Jmeg
>>
しかし、ユタカさま、日本は使命のある国であり、護国の英霊も護って下さっていますから、
たとえ今暗雲が漂っているようでも、必ずその使命は実現できるようになっていると、私は信じていますよ。
復興G様、そうでした!!!
そのために出龍宮住吉本宮が建設されたのでしたか?(確認)
2599
:
復興G
:2013/08/16(金) 23:47:14 ID:AB6RqYXc
ユタカさま
そうなのですね。
だから、「鎮護国家」 を祭祀の重点から外すということは間違いだと思いますね。
2600
:
復興G
:2013/08/16(金) 23:53:51 ID:AB6RqYXc
では、もう12時近くになりました。私は眠くなったので、今日はおやすみし、
世界平和の祈りをして、また明日お目にかかりたいと思います。
みなさま、おやすみなさい。
2601
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 00:05:26 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
おやすみなさい。。ありがとうございました・・・明日はユタカは夜見に来ます。
2602
:
a hope
:2013/08/17(土) 00:17:25 ID:edEDolt2
>>2593
>>2595
復興Gさま
<<全世界を宇(いえ)と為す神武天皇のの理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。>>
という、「八紘為宇」については、何度か、過去のweb誌友会でお勉強させていただいてきました。
それは、大和精神にもつながりますね。
その神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理念を現象世界に実現するようにお祈りすることが、生長の家の鎮護国家の誓願の意義ということになるのですね。
それを、雅宣先生が外してしまわれて、
<<「私は神・自然・人間の大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します」>>
とされたというわけですか・・・。
やっと理解しました。ありがとうございます。
わたしは、この新しい誓願文に、本来あるべき「鎮護国家」がないこともおかしいと思いますが、
「神・自然・人間の大調和」という所にすごい違和感を覚えます。
わたしは実相の「自然」というのは神や人間含めた天地一切のものを意味すると思うのですが、
わざわざ、神・自然・人間と分けられて表現されているのは、雅宣先生が、現象の「自然物」や「人間」をイメージされてこの誓願文をつくらたと感じてしまうからです。
「わたしは天地一切のものとの大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します」とされた方がずっと生長の家らしいのにと思います。
復興Gさまも、ユタカさまもおやすみになったようなので、わたしも今夜はもうやすみたいと思います。
それでは、みなさま、おやすみなさい。
2603
:
復興G
:2013/08/17(土) 00:53:13 ID:AB6RqYXc
>>2602
:a hopeさま。
寝ようかと思いましたが、また起きてしまいました。
>>わたしは、この新しい誓願文に、本来あるべき「鎮護国家」がないこともおかしいと思いますが、「神・自然・人間の大調和」という所にすごい違和感を覚えます。
わたしは実相の「自然」というのは神や人間を含めた天地一切のものを意味すると思うのですが、わざわざ、神・自然・人間と分けられて表現されているのは、雅宣先生が、現象の「自然物」や「人間」をイメージされてこの誓願文をつくらたと感じてしまうからです。<<
私も、その通りだと思います。すべては 「一つ」 であり、完全に大調和しているのが実相だと思います。
2604
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 05:31:53 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
神・自然・人間の大調和なんたら・・・ というのは、一般信徒(ユタカの所属の総連)に本当に意味がよくわからない?????違和感があって
まなさん勝手に神・自然という字の上に 筆ペンで日本国実相顕現・鎮護国家 と自分の書きたいように書いて下書きの通りに書いている人は少ないです。
教化部から文句がきたら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう。
それが教団の間違いを是正していく道だし、教団内にいる我々の使命の一つのような気もします・。
2605
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 05:33:17 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
神・自然・人間の大調和なんたら・・・ というのは、一般信徒(ユタカの所属の総連)に本当に意味がよくわからない?????違和感があって
まなさん勝手に神・自然という字の上に 筆ペンで日本国実相顕現・鎮護国家 と自分の書きたいように書いて下書きの通りに書いている人は少ないです。
教化部から文句がきたら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう。
それが教団の間違いを是正していく道だし、教団内にいる我々の使命の一つのような気もします・。
2606
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 05:34:35 ID:R1D4Jmeg
今朝は8を使ったのですみません
2607
:
復興G
:2013/08/17(土) 08:51:39 ID:AB6RqYXc
ユタカさん、えらい!
私は、「横書き」 ということにも、とても抵抗を感じます。
「日本語の文字と文は、 『天』 と 『地』 を持つ世界を写しとる一つの表現として、
天(上)から地(下)に向かって垂直に書かれる。」
それが日本語の文化だ、と書家の石川九楊氏は 『縦に書け!』 という本に書かれています。
天地を貫く大生命と一体になって祈りの言葉を書くには、縦書きがふさわしい。
石川九楊氏は、「横書きが日本人を壊している」 と言っています。
横書き文化を持つ西洋人のためには横書き用紙をつくってもよいが、日本人のためには
ぜひ 「縦書き」 用紙を用意して頂かなくては、私は書く気になれません。
2608
:
復興G
:2013/08/17(土) 09:26:22 ID:AB6RqYXc
私は、誓願券の横罫を無視して、縦書きで 次のように書きましょう。
私は宇宙浄化
君民一体の
天皇国日本
実相顕現
八紘一宇の
世界平和を
誓願致します
2609
:
トキ
:2013/08/17(土) 09:38:01 ID:vniWpnlU
おはようございます。
私の個人的な意見ですが、世界平和も大事なので、現在の教団がそれを祭こと自体には反対はしません。
ただ、『森のオフィス」にそういう施設なり神社を作り、そこで、毎日、拝めばよいかと思います。総本山
の祭祀の対象を変えるのは間違いだと思います。
しかし、教団としての決定は既に出てしまいました。すると、信徒の一人一人が、どう祈ればよいか?
それはとても大事な課題かと思います。
本日の誌友会で、その指針が得られるよう、学びたいと思います。
2610
:
a hope
:2013/08/17(土) 09:46:51 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。
>>2603
復興Gさま
わたしの意見にご賛同くださりありがとうございます。
まことの「生長の家」の教えは「現象なし」です。
だから、方便として現象の出来事を説明することがあっても、
つねに「唯神実相」の立場(見解)から、本来ない現象人間の心の影として説明されていますよね。
一方、「雅宣先生の教え」は
>>2588
で復興Gさまがご紹介された『多様性の中に神を見る祈り』を拝読しても感じますが、
すべて「現象あり」の立場(見解)から、実相世界(神の存在)を説明されてしまっていると思うのです。
そんなところが、雅宣先生の教えが魂に響かない理由だとわたしは感じています。
>>2604
>>2605
ユタカさま
ユタカさまが windows8と格闘されている様子が目に浮かぶようです。
わたしが想像するユタカさまは、若い愛国男子ですが・・・(笑)
<<教化部から文句がきたら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう。
それが教団の間違いを是正していく道だし、教団内にいる我々の使命の一つのような気もします・。>>
すごい気合ですね!!
全国の教団内にいる信徒のみなさんが、ご自分の心(まことの信仰心)に正直に行動なされば教団は善い方に向かうかもしれませんね。
ユタカさまや復興Gさまやトキさまのような方が教団に残られているのはとても心強いです。
今日は、わたしも午後から仕事に行きます。
午前中も色々忙しいので、なかなか書き込みできませんが、また夜、戻ります。
2611
:
復興G
:2013/08/17(土) 09:55:47 ID:AB6RqYXc
トキ様、a hope さま
ありがとうございます。
谷口雅宣総裁は、昨年11月22日、総本山における「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」の挨拶で、次のように述べられたと、「唐松模様」に書かれています。
>> 「君民一体地上天国成就(燈)」 については、第1番目の名前と一見似ているようでありますが、「君民一体」 という言葉を重視すれば、それは必ずしも 「天皇と国民」 だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に 「支配者と国民」 の関係を述べていると思われます。その場合、支配者と国民の間に 「意思の齟齬がない」 こと、さらには 「感情的な対立もない」 ということが 「一体」 の意味ですから、それが“神意”であるということです。<<
と。
しかし、「支配者と国民」 ではなく 「君民一体」 が名実共に 「国体」 として2000年以上も続いてきた国が、日本のほかにあるのでしょうか?
竹田恒泰氏の論文のように、単なる精神論だけでなく、法学的に言っても、「主権在民」 でもなければ 「主権在君主」 でもなく 「君民一体」 のすがたにあり続けてきたのが、日本であります。
そのことが、はからずも、奇しくも、1945年日本がポツダム宣言受諾・降伏というときに劇的なドラマとして展開し、「終戦のエンペラー」 というハリウッド映画になって多くの観客を集め、米日をはじめ全世界の人々の潜在意識にまで深く感銘を与えている。
そうして、「君民一体・八紘一宇」 の日本のこころ、大和魂こそが世界平和をもたらすという真実が次第に世界に浸透し、「神の国」 の地上顕現へと神様のドラマが展開して行きつつあるのではないでしょうか。
2612
:
トキ
:2013/08/17(土) 11:40:23 ID:vniWpnlU
私の個人的な感想ですが、谷口雅宣先生は、生長の家からいわゆる『右翼」的なイメージを払拭し、誰でもが信仰できる教団へ変えたい、という
願望があるような気がします。ある部分では共鳴できる部分もあったのですが、鎮護国家の意義を変えたり、聖経から『新経本」へと変えるに至って
は、おかしいと感じています。これは、失礼ですが、総裁御自身が、鎮護国家の意義を誤解されておられるのではないかと危惧しています。
確かに、いわゆる右翼や新右翼と言われる人達の主張には、私も賛成できない部分がありますが、誤解は誤解で解けばよいのであり、正しい鎮護
国家のあり方を信徒が理解したら、それで何も弊害がないと思っています。
2613
:
あさひ
:2013/08/17(土) 16:23:02 ID:/3nxKE2Q
復興G様
テキストの
距離を超越して愛するとは、まず手の届くところにある近き者を 「本当」 に愛するということになるのであります。
真理に随(したが)うとは、最も自然な生活のできる人が、最も真理に近い歪(ゆが)みのない生活をしているわけであります
という所が心に残りました。 合掌
2614
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 16:45:18 ID:R1D4Jmeg
ユタカ奉仕作業から帰宅ました。
復興Gさま
請願券の記載例をありがとうございます! 私も縦書きで似たように書かせていただきますね。
同じにしますとご迷惑がかかるといけませんので。。。
>2611 の雅宣総裁のお陰で復興Gさまにいろいろな事を何度も繰り返し、潜在意識にたたみこめるまで教えていただけるので、
本当に雅宣総裁先生には、心より感謝します。 聖経も雅宣総裁のお陰で、何より大事なお経だと、心に沁みるほど分かりました。
私は、雅宣先生に感謝しています。
2615
:
神の子さん
:2013/08/17(土) 18:01:37 ID:R1D4Jmeg
ユタカの心が動いた復興Gさまのご文章を再度張ります。 ユタカの運命を変えた大事な言葉です。
>>復興Gさま
組織と信仰」――実は、私も「組織」というのが苦手で、今までやってきました。果たして「組織」と「信仰」は両立するのか? という疑問を感じながらやってきました。
しかし、「信仰」は個人のものでありながら同時に個人のものではない。
内面的には個人のものであるけれども、実際生活に於いては、『生命の實相』第3巻の巻頭にありましたように、
≪一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。
われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折れるかもしれないのである。
しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけるのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいはない。これが「生長の家」の生活である。≫
――そういう意味では、信仰生活は個人のものではない。全体の生命とひとつになって、全体とともに生きる生活でなければならない。
「個即全」というのが神の国のすがたであり、それを現実の国のすがた――国体として顕してきたのが日本ではなかったのか。
今、「組織と信仰」と言えば、教団に属している人は教団の組織運動と生活、ということを思い浮かべるでしょう。
しかし、その教団が本来の「一」なる神から離れておかしくなっているのではないかというので、“こちらこそ本流”と名乗る別派が幾つも生まれているのが現状です。
ですから、「組織と信仰」と言っても、人によって感じ方は様々であると思います。
「組織運動と信仰生活」と言えば、ややテーマが具体的に受けとりやすくなるかな――とも思いますが。
神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。
その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。
では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。
――そういう意味を含んだ「組織運動と信仰生活」というのをテーマにしたらいかがでしょうか。とても、とても大きな課題になると思いますが――。
2616
:
神の子さん
:2013/08/17(土) 18:11:22 ID:R1D4Jmeg
>>神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。
その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。
では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。
@ ユタカのあくまでも個人の意見は、自分自身は教団に戻り、雅宣総裁の實相に感謝すること。そこから始めて、鎮護国家請願券問題では正面から教化部と向き合う運動をする。ということです。
なぜか、突然これを発表したくなりました。。。
2617
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 18:13:24 ID:R1D4Jmeg
ユタカはそれなので教団に復帰しました。。。
2618
:
復興G
:2013/08/17(土) 18:36:19 ID:AB6RqYXc
>>2613
:あさひ様
ありがとうございます。
ユタカさま
お帰りなさい。おつかれさまでした。ありがとうございます。
>>2615
もユタカさんですよね。
復興Gのログをよく保存していて貼って下さって、ありがとうございました。私もあらためて考えさせられました。
今、生長の家信徒われら如何に信仰生活と組織運動をして行くべきか、難しい公案を出されている。
そうした中で、榎本恵吾先生の 「神癒の展開としての人類光明化運動」 というのは、今、公案に答えを出すために、「これしかない」 と用意されていたもののようにも思われます。
2619
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 18:52:37 ID:R1D4Jmeg
復興G様
>2615 ユタカです。
榎本先生のご文章は本当にスゴイですね、實相だけを観て、一瞬一瞬のあらゆる現象を断ち切って
それでいて、普通に現象を生活している。 そのように私なりに感じて、私の中で何かがドンドン変わっていっています。
實相を榎本先生のように深いところで理解?できれば、鬼に金棒で、何も困ることはないのでしょうね。。。
『WEB誌友会』 万歳!! っと大声で叫びます!! <<最初に創造してくれた訊け管理人万歳!!。有難うございます>>
復興Gさま始め、ありとあらゆる皆様、有難うございます!!
2620
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 18:57:31 ID:R1D4Jmeg
あくまでも、ユタカ個人の意見ですから、
もっと良い読み方をされている方、違う意見の方、発表してくださいね。
2621
:
復興G
:2013/08/17(土) 19:12:27 ID:AENtSm/U
「教区会員板」 に、SAKURAさまが 「生高連の歌」 の歌詞を一部掲示して下さっていますね。ここにも貼らせて頂きます。
■□ 【 生長の家高校生連盟の歌 】 谷口雅春著
一、日出ずるくに たぐいなき
六合を兼ね 連邦の
みやこをひらき 八紘は
兄弟なりと 宣言し
神武建国 三千年
二、この国日本 高ひかる
やまとの国に 生を享け
大和の理想の 実現に
精神せんと 溌溂の
わかきいのち 高校生
■ (三)(四)(五)(六)…中略
七、こころあかるく 身を清く
悦びを宣べ 世を照らし
光輪卍字 十字架の
万強帰一の 旗のもと
平和の真理を 宣べんかな
平和の真理を 宣べんかな
(上記、一部抜粋)
2622
:
復興G
:2013/08/17(土) 19:45:12 ID:AB6RqYXc
上記
>>2621
SAKURAさまが教区会員板に掲示して下さった「生長の家高校生連盟の歌」 の歌詞には、日本の理想・生長の家の使命が簡潔に、実によく宣べられていますね。
七番の歌詞の4行目には一つ誤植がありましたが……
<「万強帰一」 → 「万教帰一」>
この歌の意味をよく解るように次代を担う青少年たちに伝えて行くことに力を注げば、青年会も燃えて発展するし、生長の家が日本のため、世界平和の為に貢献する、本来の使命を果たせると思うのですが……
2623
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 20:21:32 ID:R1D4Jmeg
はっと気づきました。 そうですか、伝道ということですね。。。
まず、信徒の自分の子弟に伝えるということですかね? 練成会ですね!!
そうだ、そうだ、練成会ですね。。 今でも少し日本のことを教えていますが、
この練成会にこの歌のように、やさしくもっと深く解説する日本の使命を盛り込めたらいいですね。
SAKURAさん、教区版でのご参加を有難うございます。SAKURAさんこそは信者さまですね。。
2624
:
復興G
:2013/08/17(土) 21:33:13 ID:AB6RqYXc
生長の家の生き方は、未来のために「今」を手段にするような生活ではない。
「今」 の中にすべてがある。「今」 をよろこぶ生活、「今」 を本当に生きる生活。未来に目的があるのではなく、「今」 に目的を置く、「今」 を生ききる生活。
「天地(あめつち)のはじめは今をはじめとする理(ことわり)あり」
その 「はじめ」 は、「はじめ」 「終わり」 を超越した、「絶対のはじめ」 「絶対なるはじめ」 ということ。
時間も空間もまだ現れていない、「未発の中」 なる 「はじめ」 即ち 「一」 なるところである。
おのれを無にして、カラッポの、消え切りの、澄み切りに還ったとき、自ずからそこに還るのである。
そこから、次のような自覚が生まれてくるのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『日々読誦三十章経』より
六日の経言(のりごと)
人生に主となる言葉
吾れは今、吾が本性が神とまったく同体であることを悟ったのである。吾れは神が渾(すべ)てであり、従って神以外に何物も此の世に存在しないことを知ったのである。
神は渾ての渾てである。だから吾れが苟(いやしく)も存在する限り神と吾れとは一体なのである。吾れは存在する、それ故に吾れは神と一体なのである。神と一体なるが故に、吾れは神の本性よりその善きもの一切を賦(わか)ち与えられているのである。
神の有(も)ち給う総(すべて)の物を吾れも亦有つのである。此の深き悦びに吾が心はわなないているのである。吾が心は深き聖悦に満たされているのである。神は全能である。それ故に吾れも亦全能なのである。吾れは凡てを知る智慧によって導かれているが故に、吾れも亦全智なのである。神は疲れたまうことなく、倦み給うことなきが故に、吾れは決して失敗も疲労もないのである。
吾れは神が必ず吾が力を新たならしめ給う事を信ずる。吾れは神に吾自身をうちまかす。それ故に金剛囲山(こんごういせん)の動かざるが加く、吾が心も不動である。
吾れはいま他の人たちの偏見や非難や時代の伝統から全然自由である。吾れはいま自分自身の判断と自分自身の標準とをもつのである。
吾れは人間である。人間は神の子である。されば吾れは人生の主である。吾れは他の人々に人間は斯くあるべきだとは言葉では語らない。吾れは吾が生活を以って人間は斯くあると行じ示すのである。
吾れはいま、自分の全意識の解放を得て歓喜勇躍の感に堪えない。自己が神の属性を賦(わか)ちもつと云うことが歓びでなくて何であらうぞ!
吾れは永遠である。吾れは本性に於て神とは分ちがたきものである。吾れは真理である。吾れは生命である。吾れは智慧である。吾が実相は完全であり、神は完全である。それ故に吾れは此の完全さを日毎日毎に発揮するのである。
吾れは生ける神の子である。吾れ今此の真理に目覚めしめ給いしことを感謝し奉るのである。
2625
:
復興G
:2013/08/17(土) 21:51:14 ID:AB6RqYXc
「神癒の展開としての人類光明化運動」 五十一より
≪ 「生長の家人類光明化運動」 のどこにも人間力は要らないのである。
自分というものはどこにも存在しないのである。自分はどこにも要らないのである。自分の要らない運動を聖なる運動といい、神なる運動というのである。
運動と自分との分裂ということは有り得ないことである。運動が神であり、自分というものは無いからである。
「神と偕(とも)に生くる」 とは、神のみが渾ての渾てであって、自分というものは無いということなのである。
「無一物中無尽蔵(むいちぶつちゅうむじんぞう)」 とは、自分が無いということである。 「無一物」 の一物とは自分のことなのである。≫
伝道とは、自分が相手に伝えるのではなく、自分が自分に伝えるのである。
自分を空にしたとき、神は全ての渾てすから、すべては神であり、すべては自分であるのです。
――そう思いました。
2626
:
a hope
:2013/08/17(土) 22:38:34 ID:edEDolt2
みなさま こんばんは
みなさまのご投稿はまだしっかり拝見していませんが、閉会時間が近づいたので思うことを述べさせていただきます。
今回のweb誌友会の開会前に、復興Gさまが問題提起として掲載されたテキスト内容、
「郷土愛と祖国愛」「神の道と人の道」は、現在の分裂した「生長の家」にとってとても大切なことが書かれていると思いました。
<<「手近かにいる兄弟を愛しないで、眼に見えない神をどうして愛することができよう?」 とキリストも反問しているのであります。>>
どう考えても「生長の家」の総裁が、ご兄弟と和解されていないのはおかしいです。
確かに雅宣先生は、本流からの全てのご批判に反論せず、静観されているように見えますが、
それがまことの静観であれば、相手と自分は本来一つであるわけですから、本流側の批判は治まって消えるはずです。
それが、そうならないのは、雅宣先生のお心も穏やかでない証拠だと思います。
<<われわれが親子となり、兄弟となり、血縁のつながる近親者となってこの世に生を受けてきているということは、決して偶然ではない。それは深き因縁あることであり、神がまず最初の隣人として、それらの人々を最も愛し最もよく世話をするように、われらの最も近くにそれらの人々を置き給うたのであります。>>
「兄弟を愛すること」=「神を愛すること」
ご兄弟と和解されていないということは、神とも和解されていないということになってしまいます。
わたしは、雅宣先生はじめ谷口家御親戚のみなさまの、一日もはやい和解をお祈りします。
そうすることが「生長の家」の大調和への大きな一歩になるのだと思います。
ところで、もう30分ほどで、第16回web誌友会の閉会時間となります。
ユタカさま
閉会のお祈りの言葉は大丈夫そうですか?
復興Gさま
今回も素晴らしいご指導をありがとうございます。
これから、じっくり読み返してお勉強させていただきます。
2627
:
復興G
:2013/08/17(土) 22:48:16 ID:AB6RqYXc
さて、この第16回web誌友会はあと1時間以内で一応終了となります。
今まで、当面の課題として 「特別誓願券」 のことに話題が集中していましたが、テキストは
『生命の實相』 第4巻 第1章〜第4章まで
ですから、その全体をしっかり学んで、新しい気持で出発できるようにいたしましょう。
第1章は 「人間は肉体ではない話」。
「自由自在の霊性こそ人間自身の本来の面目である」
「われらの本来の面目は、神本来の面目である」
ということ。
第2章は 「真理はなんじを自由ならしめん」
生長の家では、生命の自由を得るためには、生命が松葉杖として頼っていたところのすべての物質的治療法を捨てて 「生命よ、ひとりで立て!」 という。
しかし、「捨てる」 ことに引っかかってもならない。
捨てることが病気を治す原因になるのではない。神の子たる人間生命の本来相を悟ることが第一原因。そこから病気が治るという結果も現れれば薬をやめるという結果も生ずるのである。一切の人間的工夫を否定してしまったところに、本然の自由自在な神の子たる生命が残る。一切を捨てて一切を得る道が生長の家。
第3章は 「祖国愛は神の道」。
第4章は、「愛の神による運命の修正」。
ここでは、最初に
○野心とは「我」を通すことであって、愛とは「我」を殺すことにある。我を殺したときに一層大きな我が生きてくる。ナポレオンの偉業が滅びたのは、それは「我」を通す偉大さであったからである。キリストが死んでかえって限りなく生きたのは、神意に従う偉大さをもっていたからである。人間すべからく神に従う偉大さをもたねばならぬ。(「智慧の言葉」)
とあり、そして
われわれの運命は 「フト思いつく」 ということからほとんどその幸不幸が決する。それは業の流転によって生ずるが、結局は自分の心の奥底の問題であり、自分の運命は自分が作ることになる
ということが、実例を挙げてしっかりと説かれているのであります。
2628
:
閲覧者A
:2013/08/17(土) 23:01:40 ID:???
合掌ありがとうございます。
発言できませんでしたが、大変よい勉強をさせて頂きました。
ありがとうございました。合掌。
2629
:
復興G
:2013/08/17(土) 23:06:36 ID:AB6RqYXc
私たち人間は神の子、神と同体であり、偉大なる人生の主であります。
一切は自己の責任であります。
「吾れは神の本性よりその善きもの一切を賦(わか)ち与えられているのである。
神の有(も)ち給う総(すべて)の物を吾れも亦有つのである。此の深き悦びに吾が心はわなないているのである。」 (『日々読誦三十章経』より)
そして、
「吾れはいま他の人たちの偏見や非難や時代の伝統から全然自由である。吾れはいま自分自身の判断と自分自身の標準とをもつのである。
吾れは人間である。人間は神の子である。されば吾れは人生の主である。」 (同上)
でありますから、私は特別誓願券の誓願文においても、自分自身の判断、自分自身の標準、自分自身の責任において、真に誓願したい言葉を、しっかりと書いて出したいと思いました。
それは、このweb誌友会でトキ様、ユタカさまなどのご発言からヒントをいただいて、そういう決意ができたことですので、感謝いたします。
ありがとうございます。
2631
:
トキ
:2013/08/17(土) 23:11:35 ID:vniWpnlU
復興G様、素晴らしいご指導を賜り、ありがとうございます。
多くの信徒の指針となっていると感じます。
本日は、先に失礼をします。心から感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
2632
:
a hope
:2013/08/17(土) 23:14:49 ID:edEDolt2
閉会の時間が過ぎましたので、閉会の祈りをさせていただきます。
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、
すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
今回も素晴らしい学びをさせていただけたことに心から感謝します。
合掌。
2633
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 23:16:26 ID:/B6zFSOc
時間も過ぎましたので、ここで一旦閉会をさせて頂いてよろしいでしょうか?
2634
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 23:18:28 ID:R1D4Jmeg
あ、ありがとうございます。
a hopeさま 有難うございました。 開いた時はなかったので、ありがとうございました。
2635
:
復興G
:2013/08/17(土) 23:36:21 ID:AB6RqYXc
ありがとうございました。
みなさま、おやすみなさい。
2636
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 23:44:41 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
結語はスゴイ迫力でした。 トキ様もきっと素晴らしい解答を得られる事でしょう。
私もとても勉強になりました。ありがとうございます。
トキ様、a hopeさま、閲覧者Aさま、SAKURAさま、ご参加の皆様、有難うございました。
2637
:
ユタカ
:2013/08/17(土) 23:50:16 ID:R1D4Jmeg
2633 のユタカのIDが同じ環境にいながら
違う表示をするのはなぜなんだろう?? なんかが変・・・・???
2638
:
ユタカ
:2013/08/19(月) 08:50:35 ID:R1D4Jmeg
ちょっとユタカが簡単に作ってみました。もっと上手に作れる人いたらドンドン作ってね。 第4巻のページを書いているのでその前後から考えて解いてください。他の聖典からではなく今回のテキスト範囲からでお願いします。
次の問いに答えよう。
問1 第4巻 P、4〜6
マグダレーナが「汝の罪許された」といわれたゆえんは何か?
問2 P、10前後
神癒の霊派の受信機になれない時とはどのような時か?
問3 P、11前後
生長の家の懺悔とは?
問4 P、14
真の霊的更生とは?
問5 P、15
ニセ者の自分と本物の自分の分離とはどういう状態をいうのか?
問6 P、18
生長の家の治療法とは?
問7 P、19
我々の肉体を形成するものは何か?
問8 P19
皆さんは生命の實相を知った神癒医師ですが、神癒医師の務めとは何かを書いて下さい。
第2章
問1 P、24〜
倶てい和尚から指を切られた小僧の話を読んで、生長の家教団の状態を見ると「甘露の法雨」「生命の實相」を失った現状をどのように考えられるか?
以上 終わり。
自分なりに答えを出してください。
2639
:
きのゆり
:2013/08/19(月) 11:21:00 ID:.QY5jUA6
2638:ユタカさん
ポイントついた いい質問を、書いて下さってありがとうございます。
こんなふうに、突然質問されたら、私なんか、すぐには答えが出てきません。
もう一度「生命の實相」のここのところを、読み直さなければ、と思いますから、
ありがたいです。
web誌友会参考文献板に、毎朝、1つ、復興G様が、謹写してくださいます
ご文章も、毎日、たのしみに拝読させていただいております。ありがとうございます。
2640
:
ユタカ
:2013/08/19(月) 12:08:44 ID:R1D4Jmeg
きのゆりさん、ありがとうございます。
きのゆりさんも問題を作ってみてください。 ユタカも解いてみたいので・・・
ありがとうございます。
2641
:
きのゆり
:2013/08/19(月) 14:34:57 ID:.QY5jUA6
ユタカさん
お返事を、
ここへ書き込んだつもりでしたが、本流対策室に書き込みました。
2642
:
a hope
:2013/08/19(月) 16:13:28 ID:Hev0anJY
>>2638
ユタカさま
素晴らしアイデアですね!
わたしは講師試験というのがどんなものなのか知りませんが、
講師試験の問題ってこんな風に出題されるのでしょうか?
ただ、聖典を拝読するだけではなくて、このような質問に自分の言葉で答えてみると、
より教えが良く身に付くのではないかと思います。
また、きのゆりさま(志恩さまですよね?)が戻られてとてもうれしいです。
やはり、この掲示板には志恩さまがいてくださらないと寂しいです。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、わたしもユタカさまの質問の答えを考えながら、今回のweb誌友会範囲の復習をしてみます。
感謝 合掌。
2644
:
ユタカ
:2013/08/19(月) 19:15:38 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
褒めてくれて有難うございます。 講師試験はユタカのときは、国際平和運動とはどういう運動ですか?3つの中から選びなさい。
1.戦争によって世界平和を作る、2・・
あと、ちょっと忘れたけど・・・ため息がでるほど。。ばかばかしい問題だったような覚えがあります。。。
余白にいたずら書きして提出したのに合格しちゃった。。そして合格してから通信教育されるんだけど、その後の問題がもっとバカっぽい内容だった。。。
年間何人受験とかノルマがあったのか知らないけど、受けてって頼まれて受けたよ。
a hopeさまも問題出してね。
2645
:
神の子さん
:2013/08/19(月) 22:40:38 ID:???
ああ、そんな試験だったらここに出入りしているSAKURAさんでも
受かるかもね〜(爆笑)
2646
:
きのゆり
:2013/08/20(火) 02:15:03 ID:.QY5jUA6
a hopeさん
a hopeさんは、お若くいらっしゃいますのに、よく勉強されてますね。
ユタカさんの問い1に出てくるマグダレーダは、娼婦でしたけれど、
同義語では、売春婦、遊女ですが、
イエスキリストの時代は、貧しい時代でしたから、貧困のために、性的サービスを提供することに
より、金銭を得ていた女性が多かったんだろうな、と答えとは、別のことを考えていました。
娼婦は、最古の女性の職業だったそうですが、男性の最古の職業は、庭師だそうですよ。
思えば、マグダリーダは、自分のやっていることに強い罪悪感を持っていたから、激しく懺悔して、
改心して、救われたのでしょうね。
それにひきかえ、
どんな悪行を続けていても、本人に、全く罪悪感のない人間は、救われようも、救いようもないように
思われます。
2647
:
a hope
:2013/08/20(火) 08:24:27 ID:edEDolt2
>>2644
ユタカさま
ユタカさまは、講師資格をお持ちなのですね!
生長の家の講師試験は、すべて三択問題なのですか?
それにしても、ユタカさまがばかばかしい問題と思われる内容なのですね。
それはとてもショックですね。
宇治の盂蘭盆供養大祭も、今年も参加者が激減したようですし、早く「本来の生長の家の教え」に戻さないと、
教団は本当に破産してしまいますね。
>>2646
きのゆりさま
<<マグダリーダは、自分のやっていることに強い罪悪感を持っていたから、激しく懺悔して、
改心して、救われたのでしょうね。>>
↑わたしもそう思います。
「生長の家の教え」は「本来、罪なし」ですが、心に罪悪感を持つからこそ、
その「罪なし」の真理が本当に理解できるのではないかとわたしは思っています。
罪の意識を感じなければ「赦される」ということもないような気がします。
ただ、実相世界においては、わたしたちは「救われずみ」というのも事実なのですよね・・・。
「小懺悔」というのが、自分の心の罪悪感を表出させて懺悔することで、
「大懺悔」というのが、「罪なし」の真理(神の子の自覚)を悟ることなのだとわたしは理解しています。
その大真理を悟る(「大懺悔」する)ために、わたしたちは「生命の實相」をお勉強したり神想観をするのだと思います。
間違っていたら、ご指導をお願いいたします。
2648
:
きのゆり
:2013/08/20(火) 09:04:06 ID:.QY5jUA6
a hopeさま
a hopeさまのおっしゃった「小懺悔」「大懺悔」の通りだと、私も思っています。
それから、私は、指導する立場の人間ではないです。よろしくお願いします。
2649
:
復興G
:2013/08/20(火) 10:10:57 ID:AB6RqYXc
>>2638
:ユタカさん
よい試験問題、公案を出して下さってありがとう。
私も、よい勉強になります。
>>問8 P19〜
皆さんは生命の實相を知った神癒医師(メタ・フィジッシャン)ですが、神癒医師の務めとは何かを書いて下さい。<<
その回答となるテキストのご文章に蛍光ペンで傍線を引きました。その部分を謹写させて頂きます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
肉体人間は「生命」の造った自働人形
われわれは今まであまりに五官の働きに信頼をおきすぎて、生命の実相をみることを拒んでいたのであります。物質を見て霊を見ず、影を見て生命を見ず、肉を見て本当の人間を見なかった。(中略)
けれども眼に見えない不思議な力が内から働くとき、脳髄細胞でも心臓の細胞でも肺臓の細胞でも、その内から働く無形の力が造り上げるのであります。この無形の内から働く力は、どの物質分子をどういうふうに有機的に化合させて、どういうふうに配列したら脳髄細胞に造りあげることができるかということを知っており、それをちゃんと脳髄細胞に作りあげて、物を考える物質(脳髄)というものを作りあげたのであります。この「無形の内から働く力」こそわれわれの「生命」であり、われわれの本当の心なのであります。(中略)
この内から働く無形の力こそ「本当の自分」(生命)なのであります。この「生命」は肉体を超越して存在し、われわれの肉体がこの世にあらわれるまでにすでに存在していて、肉体を設計し創作したところの霊妙不可思議なる存在でありまして、この霊妙不可思議な生命力こそ「本当の自分」であって、われわれが今まで「われわれ自身」だと思っていたところのこの肉体は、この霊妙不可思議なる「本当の自分」の設計になる自働人形(ロボット)にすぎないのであります――言い換えますと、「本当の自分」が想念を起こした――その想念の反影がわれわれの肉体なのであります。(中略)
だから、脳髄という肉体人間(ロボット)の頭で、どうしたらこの肉体は治るだろうかと思い煩うにはおよばないのであります。それは人造人間(ロボット)の頭で人造人間(ロボット)をいかに修繕しようかと思いわずらう必要がないようなものであります。人造人間(ロボット)に故障が起こったら人造人間(ロボット)を製作した技師が一等その修繕がうまいのでありますから、この技師に修繕のことを委ねるがよいのであります。
この技師がわれわれ自身の「生命」でありまして、これが「本当の自分」である。「人間考え」「人間知恵」というものは人造人間の機構から発する作用で、いくぶんは「本当の自分」の考えを反映してはいますが実に不完全なものであります。医学的知識というものは要するに脳髄をこしらえたわれわれの「本当の生命」すなわち「本当の自分」から出る神知ではないのでありまして、拵えられた人造人間(ロボット)の脳髄から出る不完全な知識でありますから、内部から働く生命の自然療能の神秘的知恵に及ばないこと万々なのであります。
肉体人間(ロボット)は人間の模型ではありますが、「真の人間」ではないのであります。われわれは「真の人間」を視つめなければならない。この「真の人間」を見いだし、その「真の人間」の実相を視つめますとき、それが「神の子」であり、いな「神」そのものの流れであって、その中に無限の供給がある、無限の生命の供給もあれば、無限の知恵の供給もある、無限の愛の供給もある――なくてはならぬいっさいのものの供給がそのうちにあるということが解るのであります。
これを患者に解らせてあげるのは神癒医者(メタフィジッシャン)のつとめなのであります。すなわち神癒医者(メタフィジッシャン)というものは、人間を人造人間(ロボット)の境地から真の人間の境地にまで、高く上げる聖業を営むものでありまして、人造人間の故障の要所を外から繕(つくろ)う役目をするのではないのであります。(中略)
みなさんが病人に対せられる時には真理を話して人間を治すことに主眼をおかれたいのです。(以上)
2650
:
復興G
:2013/08/20(火) 11:12:19 ID:AB6RqYXc
さて、
>>2638
:ユタカさん出題の
>>第2章
問1 P、24〜
倶てい和尚から指を切られた小僧の話を読んで、生長の家教団の状態を見ると「甘露の法雨」「生命の實相」を失った現状をどのように考えられるか?<<
――まず、その「倶胝竪指(ぐていじゅし)」とは、ということについて、テキスト 『生命の實相』 第4巻p.24 第2章冒頭のご文章を謹写いたします。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『無門関』第三の公案に「倶胝竪指(ぐていじゅし)」という条がある。金華山の住持倶胝和尚はいかなる参門者があって何事を問おうとも、ただ一本の指を竪(た)てて示すのであった。その指を見ても悟るものもあれば悟らずして去るものもあったであろう。形を見るだけで真生命を見ない者は悟ることはできないのである。
小僧某、一日外にありて人に問われて答うるに倶胝和尚をまねて一本の指を立てて示した。
小僧某はこのとき倶胝和尚の形をまねたにすぎないのであって、なにゆえ倶胝和尚が指を立てるかその真生命には触れていないのであった。
和尚これを聞いて小僧の立てた指を切り去った。小僧は痛いので悲鳴をあげて逃げようとする。この時倶胝すかさず小僧の名を呼んだ。小僧は和尚がなにをいうのかと思って振り向くと倶胝は例によって指を立てて示した。それを見た瞬間その小僧は大悟(さと)った。
なにを小僧は悟ったか――それを知るものはその人もまた大悟(さと)ることができるであろう。
小僧は自分に立てるべき指のある間は形にとらわれて真生命を見なかった。が、今自分が指を切り去られたとき立てるべき指がない。しかも師の和尚はかくのごとく立てよと指を示しているのである。無い指をどうして立てるか ここに禅の真生命がある、立てるべき指は形の指ではなかったのである。
指があって立つような指なら指が無くなったときには立たなくなるであろう。本当に立つ指は指が無くなっても、なにがなくなっても立つ指でなければならぬ。和尚が示したのはなにが無くとも束縛されない自由自在の「生命の指」であったのだ。
これが無いと困るとか、あれが無いと困るとかいう者は「生命」の実相を知らない者なのだ。なにが無くとも少しも困らないのが、われらの「生命」の実相であるのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――さあ、ユタカさんがおっしゃるように、今
>>生長の家教団の状態を見ると 「甘露の法雨」 「生命の實相」 を失った現状<<
は、「小僧が倶胝和尚に指を切られたような状態」 と見ることができるでしょう。
それは、教団にとってそうであると同時に、教団を離れている信徒にとっても、頼るべき総裁・教団が頼れなくなっているということは、「小僧が倶胝和尚に指を切られたような状態」 と言えるのではないでしょうか。
<< 小僧は自分に立てるべき指のある間は形にとらわれて真生命を見なかった。が、今自分が指を切り去られたとき立てるべき指がない。しかも師の和尚はかくのごとく立てよと指を示しているのである。無い指をどうして立てるか ここに禅の真生命がある、立てるべき指は形の指ではなかったのである。
指があって立つような指なら指が無くなったときには立たなくなるであろう。本当に立つ指は指が無くなっても、なにがなくなっても立つ指でなければならぬ。和尚が示したのはなにが無くとも束縛されない自由自在の 「生命の指」 であったのだ。
これが無いと困るとか、あれが無いと困るとかいう者は 「生命」 の実相を知らない者なのだ。なにが無くとも少しも困らないのが、われらの 「生命」 の実相であるのだ。>>
――今こそ、信徒みんながこの 「生命」 の実相をつかんで立たなくてはならない時であると思います。
<< 「光明化運動」 は単なる、實相をこの世に写し出す、影を生み出す運動ではないのである。光明すなわち實在それ自体の自己展開、価値創造として存在するのである。
實在であることは、神であることであり、それ自体で不滅の久遠の自己展開そのものであるということであり、 「光明化運動」 は久遠不滅の自己展開それ自体である “生きもの” であるということなのである。
斯くの如き、生長、創造それ自体であるものを光明というのである。 「光明化運動」 がみずから 「光明化運動」 を実現するのである。自分というものはどこにも要らないのである。>>
――と記されている榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 は、現在の公案にたいする素晴らしいヒントを与えてくれていると思います。
2651
:
きのゆり(志恩)
:2013/08/20(火) 11:57:32 ID:.QY5jUA6
復興Gさま
以前、初心者様が、総裁を代弁されるような語り口で、「宗教」「神想観」についてを
語っておられる書き込みがございますので、再掲させて頂きます。
初心者様は、「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、
神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗
の結果が宗教であり、神想観なのですよ。」と、言われました。
このお言葉と、その後の総裁のなさることは、連動しているなあと、最近、私は思っております。
^^^^^^^^^^^^^^^^^
トーキングスティックボード
699 :初心者:2011/11/09(水) 08:52:28 ID:hogyfr1M
(前略)
志恩様
わたくしは、自分が雅春先生より上だとはいちども発言したことがありません。
わたくしは、人を救うことはできません。救おうとも考えておりません。真理と
救済を切り離す。それがわたくしのやり方です。真理と救済とを結びつけている
かぎり、これはうまくいかない。そのように結論したからであります。
さらに志恩様は、わたくしが天皇を否定しているだとか、『古事記』が嫌いだとか
といっておられますが、そのような発言をしたことは、いちどもありません。わたくし
がいっていないことを、志恩様は勝手に決めつけられて、それを根拠にわたくしを
非難しておられるようにも感じられるのでありますが、今回の雅春先生よりも自分の
ほうが上だとわたくしが考えているという言及もふくめて、再考していただきますこと
を要望いたします。
それと、わたくしの「悟り」について言語化せよといっておられますが、それをひと言で
いえば、神へとつづく無限次元の空間が見えたということであります。しかしその
ことはそれほど重要なことではなく、それによって生じた特別な感覚があり、それが
永続的に持続しているということのほうが、よほどわたくしにとりましては重要なこと
であります。この感覚をお持ちの方ならおわかりでしょう。これがあれば、ほかはなに
もいらない。これはそんな感覚でもありますよね。
それと、神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、
神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗
の結果が宗教であり、神想観なのですよ。
右脳意識状態というのがおわかりですか?完全ともいえる宇宙との一体感。これが
右脳意識であります。必要とあらば、神との一体感と置き換えることも可能でありま
しょう。この一体感は、圧倒的な感情として体験されます。これが人類のほんらい
あるべき姿ではないでしょうか。ことさらに神想観という方法によらずとも、宇宙との
一体感が当たり前のごとく感じられる。これがほんらいのあるべき姿なのではない
ですか。それができなくなったために、人類は、神や宇宙との一体感を得るために、
瞑想や神想観という方法にたよらざるを得なくなったのではないですか。
ちがいますか。
あるがままの宇宙との一体感。それがあれば、宗教も神想観も、人類は必要とする
ことがなかったでありましょう。左脳意識の発達により、あるがままの宇宙との
一体感が崩壊し、それをおぎなう手段として、宗教や神想観という手段が編み出さ
れたのではありませんか。もしそうであれば、宗教も、そして神想観も、人類の
失敗をおぎなう手段であるということになるような気がいたします。
つづく
2652
:
きのゆり(志恩)
:2013/08/20(火) 11:59:55 ID:.QY5jUA6
つづき
トーキングスティックボード
701 :初心者:2011/11/09(水) 09:00:03 ID:hogyfr1M
それと、以前、復興Gさまも、ラカンの思想は百年もたてばあぶくのごとく消え去る
といわれました。
そして今回、志恩様も、わたくしの例えは、数十年もすれば
使いものにならなくなるといわれました。
まずラカンについては、人類が言葉を
もちいるかぎり、その思想が消え去ることはありません。ラカンの思想とは、
言葉についての思想であり、この問題は、千年以上も前から語られておりますが、
いまだ人類は、その解決の糸口さえ見いだせてはおりません。
しかも雅春先生は、この問題にかんして、おそらくひと言も言及しておられません。
わたくしが、雅春先生の教えに疑問をもつとすれば、生長の家が、言葉によって
真理を宣布しようとする団体でありながら、言葉の問題についてひと言も言及して
おられないということであります。うまく避けられた。そのような印象さえあります。
「スパイ」という言葉がなければスパイを見ることはできません。これと同様に、
「実相」という言葉がなければ、実相を観ることも、観じることもできないので
あります。言葉と、その言葉が指し示す対象は同時に生起します。実相が
まずあって、それに「実相」という言葉がつけられたのではありません。「実相」という
言葉と、この言葉が指し示めした実相は、同時に生起したのであります。少なくとも
わたくしは、このように考えるのであります。
これにより、実相とは、言葉の効果ではないのか、との疑問が出てまいります。
この疑問に、雅春先生は、答えておられない。ただのいちどとして向き合っても
おられないのです。いまだ解決されていない重大な問題を、雅春先生は避けて
とおられた。わたくしはこのように考えているのであります。
ラカンの思想があぶくのごとく消え去ることはありません。たとえ消えたと見えても、
ちがう形で生き残ります。なぜなら、ラカンの思想とは、人類が、そして雅春先生で
さえも解決しえなかった、言語それじたいの問題への言及だからであります。
ラカンは、誠実にその問題と向き合ったのです。。雅春先生は、なぜかしら向き
合われなかった。誠実に向き合ったラカンの思想があぶくのごとく消え去り、なぜか
しら向き合われなかった雅春先生の思想が永遠に輝きを放ちつづけると考える
のは、はたして正しいことなのでありましょうか。わたくしは、雅春先生が、言語の問題
に向き合われなかったことに、重大な疑惑を抱いております。
それとわたくしの例えが数十年先には消え去ると、志恩様はいっておられますが、
これはどのような根拠にもとづく推論なのでありましょう。ひも理論があと数十年で
解消される。そういう意味なのでありましょうか。数学的な記述としては、おそらく
ひも理論は、完全なものなのでありましょう。数学的に完全ともいえるひも理論が、
数十年で解消され、消え去るということが考えられるのでありましょうか。
それは絶対にないとはいえませんが、ひも理論に代わる理論としては、たとえば
ロジャー・ペンローズのツイスターと呼ばれる理論があるということを、わたくしは
存じております。こうした理論が、ひも理論に打ち勝つとすれば、それこそが、
役行者様のいっておられる弁証法的発展ということになるのでありましょう。
科学はこのようにして発展をつづけます。弁証法的発展を拒絶し、変われない
宗教と、弁証法を受け入れて変われる科学。いったいどちらが優れているので
ありましょう。数十年で変わるからといって高をくくっていると、いずれ宗教は、
さらに手痛い挫折を味あわされることになるのではありませんか。
それと志恩様は、「真理」という言葉を使って、それが完全無欠であるということを
述べておられますが、まずひとつは、「真理」という言葉をどういう意味で使って
おられるのか、それを問うてみたいとおもいます。
それと、「真理」にしても、「完全無欠」にしても、これは言葉であります。
このような言葉を易々と使われておられる
ことから、わたくしは、ラカンが直面した言語の問題に、志恩様が誠実に向き合われているとは、
とてもおもうことができないのであります。
いまいちど、言語について
深く考えていただきますことを希望いたします。
2653
:
きのゆり(志恩)
:2013/08/20(火) 12:43:00 ID:.QY5jUA6
「森のオフイス」は、宗教色を無くして、神想観行事も無くして...います。
他の宇治大祭の行事などは、生長の家総裁として、されてますけれどね。
そうしければ、生長の家の看板が使えないからじゃないでしょうか。
2654
:
神の子さん
:2013/08/20(火) 13:54:35 ID:AB6RqYXc
>>2651
:きのゆり(志恩)様
ありがとうございます。
「初心者」 さんがラカンの説を金科玉条のように宣べておられたようですが、それは生長の家ではなく、宗教でもない。「初心者」 さんがラカンを信奉されるのは勝手だけれども、それなら言語学者として学会でそれを述べられたらよろしい。
おそらく誰も相手にしてくれないでしょうが……。
私も、そんなもの、相手にしません。
ただ、初心者さんが
「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗の結果が宗教であり、神想観なのですよ。」
と言われているのは、
「人類は神想観の修行をしなければ救われない、というのは迷妄であって、生長の家はそんな教えではない」 ということなら、そうだと思います。
谷口雅春先生は神想観をすすめられたけれども、神想観をなさなければならない(神想観しなければ救われない)とはおっしゃっていない。人間は皆、既に救われ済みである、そのままで神のいのち、神そのものである、ただそのままのいのちをよろこべばよい! とお教え下さっています。それをよろこぶのが神想観であると。そのことを、またあらためて口をすっぱくして言い続けて来られたのが榎本先生です。
「救済」 とは、その、既に救われ済みの自分に気がついて、無条件に喜べる生活に入ることだと思います。
宗教がそういう 「救済」 をもたらさなかったら、存在の意味はありません。
もし、生長の家からそういう 「救済」 が消えたら、信徒はどんどん離れて、教団を維持することはできなくなるでしょう。現に、今の教団はそうなりつつあります。それは今後ますます加速し、衰滅に向かうでしょう。
初心者さんが、教団、総裁と関係があるかどうかは知りません。しかし、もし初心者さんの言われるような方向、つまり、
「わたくしは、人を救うことはできません。救おうとも考えておりません。真理と救済を切り離す。それがわたくしのやり方です。」
という道へ教団が導かれるなら、「与える者が与え返される」 というのが宇宙の法則、繁栄の法則ですから、信徒に何も与えなくなった教団は、自滅するしかないでしょう。
いくら机上の空論をふりまわしても、現に、教団はそうなりつつあるのですから、そのことに早く気がついてほしいです。
2655
:
神の子さん
:2013/08/20(火) 13:56:26 ID:AB6RqYXc
>>2654
は復興Gです。
なぜ「神の子さん」になったんだろう?
2656
:
復興G
:2013/08/20(火) 13:58:43 ID:AB6RqYXc
何かが、リセットされてしまったみたいです。
2657
:
きのゆり(志恩)
:2013/08/20(火) 15:44:02 ID:.QY5jUA6
復興G様
ご返信、ありがとうございます。
以下の文は、ポステイングジョイに載っていたものですが...、
>>ージョイー
ケーちゃんさん2011/08/04 08:07
榎本一子先生が、主人は、神想観が大好きで、暇さえあれば、幽斎殿で神想観をしてましたと話しておられます。
私も、幽斎殿に行けば、榎本先生が一緒に座っていらっしゃると思ってしまいます。<<
このように、神想観が大好きな榎本先生が、雅春先生と同じく、「人類は神想観の修行をしなければ救われない、
というのは迷妄であって、生長の家はそんな教えではない」 と、おっしゃったのは、
例えば、われわれが、生長の家人意外の人たちと旅行へ行った場合、その旅行期間中は、神想観が出来ない場合がありますよね。
そういう場合は、臨機応変に考えて、しなくても大丈夫ですよ。
しなければならない という 心の縛りを解いて下さっているお言葉なのだと、私は、思っておりました。
つまり、「神想観をなさなければならない(神想観しなければ救われない)とはおっしゃっていない。
既に救われずみなのだから」という意味のことです。
それに対しまして、初心者さんが、あのとき、おっしゃった。
「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、
人類の失敗であると考えます。失敗の結果が宗教であり、神想観なのですよ。」
につきましては、榎本先生が、おっしゃったこととは、ニュアンスが異なると、私は思いました。
あの頃、初心者さまは、神想観については、否定的な発言をされてましたし。
宗教と神想観を、肯定しているけれど、それに、こころを縛られないように、、ということと
宗教と神想観を、やることになったことは、人類にとって失敗だったことと、
この2つの意味は、全然、意味が違うのではないでしょうか。
2658
:
きのゆり(志恩)
:2013/08/20(火) 15:53:26 ID:.QY5jUA6
別のジョイに、いい文章が載っていましたので、こちらも転載させて頂きます。
登録日:2012/07/07 15:12 登録者:ずんちゃんさん
宇治から届いていた『宝蔵』(宇治体験集)を、今朝読みました。
そして、同封されている「ネットワーク宝蔵」も。
すごいのすごいの
榎本一子先生のご文章が今朝は私の魂にしみこみました。
「宝蔵会員で良かった〜」
と、感動しきり。
「若い頃、生長の家の熱心な信徒だった父に(後に本部講師、(藤原敏之先生のこと))、
「生活の中で悦びが感じられないんだけどいつも喜んでいられるようになるにはどうしたらいいでしょう」と訊いたことがありました。
父は「悦びというのも感情だからそれも現象。
喜べても喜べなくてもどちらもナイのだからどうして味わえないのだろうかと引っかからなくてもいいね。
常に喜んでいる自分があることさえわかっていればいいね」とこともなげに言いました。
“生長の家の信徒たるものいつも喜んでいなくてはならない”と心まで縛っていた縛りが解けた想いがして楽になったことがありました。
「私は神の子、悦びそのものである!感謝そのものである!調和そのものである!幸福そのものである!」
現象の心に悦びが満ちていなくても、毎日少しずつでも心に唱えて実践していっているうちに、
本来の悦びが、感謝が心に満ちてきたことがありました。」(ネットワーク宝蔵第219号より抜粋)
喜べなくても、常に喜んでいる自分があることさえわかっていればいい。
榎本恵吾先生の、「実相が観れなくても、実相があることを喜んだらいい。」というお言葉を思い出しました。
2659
:
きのゆり(志恩)
:2013/08/20(火) 16:09:38 ID:.QY5jUA6
復興Gさま
名前欄に、お名前を、書き込むのを忘れた場合、自然と「神の子さん」と表示されると、
以前、トキ様がおっしゃってましたよ。それじゃないでしょうか。または、自然とリセット
することも、あるのでしょうか。私は、そういうことは、わからないのです。すみません。
2660
:
復興G
:2013/08/20(火) 16:43:06 ID:AB6RqYXc
きのゆり(志恩)様
もちろん、初心者さんが
「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。」
といわれるのは、神想観とは何か(なさなければならないというようなものではないこと)が全くわかっておられない、誤解、思い込みの迷妄ですね。私はそう思いますよ。
榎本先生が 「神想観大好き」 だったのは、「しなければならない」 ものではなく 「せずにはおれない」 ものだったということでしょう。
2662
:
ユタカ
:2013/08/20(火) 23:36:34 ID:R1D4Jmeg
最近の講習会で神想観をしているかは分かりません。
近隣教区の講習会にわざわざ行っても。午前中までにお弁当食べて帰るので。その後何をしているかは分かりません。閑散とした中で実習しているのかね??
ダレも知らないよね・・・そんなこと。
2663
:
ユタカ
:2013/08/20(火) 23:58:38 ID:R1D4Jmeg
バカなことを書きすぎました。 まじめなことも書きます。
生命を立てたら下記の祈りをして神さまと共に歩もう。
使命を生きる祈り
住吉大神(すみよしのおおかみ)
宇宙を浄め給う
宇宙浄めの天の使い
として生まれしが、
○○○○(氏名)なり。
神は○○○○に使命を授け給う
今日何を為すべきか教え給う
この神より教えられし使命を
実践することが、
○○○○の生き甲斐であります。
2665
:
復興G
:2013/08/21(水) 15:15:15 ID:AB6RqYXc
ユタカさまが >2661 に書かれていました、
>>復興G様、私の問いの解答とご解説をありがとうございます。 谷口雅春先生は本当に素晴らしいですね、何も無くても立つ生命、それが生命の実相ということと私は理解しました。<<
ということについてですが、谷口雅春先生は 『生活の智慧365章』 の163頁以下に、次のように書かれています。
≪ 幸福の鍵は何処にあるか
若(も)しあなたに 「どんな幸福の扉でも開く鍵があるのですが、あなたはそれを欲しくありませんか」 と言われるならば屹度(きっと)あなたは、「本当にそんなものがあるならば、それを得たいものだ」 と思われるでしょう。その鍵は決して金属でできているものでも、楠や檜の板で出来ているものではありません。そんな物質で出来ているものは結局はこわれるものであります。虫食い錆くさるものに幸福を求めてはならないと教えられました。
その鍵は “霊的なもの” で出来ているのです。そして他物にそれを求めても得られるものではなく、自分自身の内にその鍵があるのです。その鍵を 『生命の実相』 と呼ぶのです。それは必ずしも書籍の名前ではありません。『生命の實相』 の本はその鍵の在所(ありか)を示した本ですからそのように名づけたのです。
その鍵はすべての人が自己の内にもっている万人具有の鍵であります。人間の生命のうちには 「無限」 が宿っているのです。その無限に気がついたとき、その人はその鍵を発見したのです。自分自身の生命のうちに 「無限」 が宿っている、何という素晴しい事でしょう。≫
と。
幸福を開く鍵は、万人の生命の内にある。
「その鍵を 『生命の実相』 と呼ぶのです。それは必ずしも書籍の名前ではありません。『生命の實相』 の本はその鍵の在所(ありか)を示した本ですからそのように名づけたのです。」
というお教えなのですね。
『生命の實相』 の本に頼っているばかりでもいけない。『生命の實相』 に書いてある言葉を、悟っていないのに悟ったような顔をして真似して言っているだけでは、倶胝竪指の、小僧が立てた指みたいなことになってしまう。
『生命の實相』 の本がなくなっても立つ 「生命」 の実相を悟れ、と私たちには今、天の声が天降っているのでしょうか。
2666
:
復興G
:2013/08/21(水) 16:58:39 ID:AB6RqYXc
さて、谷口雅宣総裁は、私たち小僧の立てた指を切る役目をして下さっているように思えます。
ただ指を切る役目だけで、指を切っても立つ生命を示し教えてはくださらないのです。
だから多くの信徒が迷うほかない状態に追い込まれているのです。
そのうち生長の家教団は潰れて地上から一時的に姿を消すことがあるかも知れないと思います。
それでも、『生命の實相』 の本、そこに書かれた永遠の真理の言葉が地上から消えることはないでしょう。
イエス・キリストが
「天地は過ぎゆかん。されどわが言(コトバ)は過ぎゆくことなし。」
と言ったように。
そして、天上界にある生長の家本部は、永遠に 「過ぎゆくことなし」 で、潰れることはありません。
神の国の構図は必ず実現します。
神の国の構図は、中心帰一・万物調和の日本(ヒノモト)の理念そのものです。
私は、それを信じます。
2667
:
トキ
:2013/08/21(水) 19:14:30 ID:/56QLe72
>>2662
講習会では、現在も神想観のご指導の時間はあります。世界平和の祈りをしますね。
2669
:
あさひ
:2013/08/21(水) 19:51:29 ID:/3nxKE2Q
復興G様
新しい視点を教えられました。
すでに救われ済みの自分に感謝することでしょうか。
ありがとうございます。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板