したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

look for の訳について

1kuribonguu★:2009/11/12(木) 09:18:04 ID:???0
いつもお世話になっております。
いつもすみません。分からないことがあるので教えて頂けると嬉しいです。
それはlook forの訳なんですが、lookにforが組み合わさると「探す」という
イメージしかないのでしょうか?
具体的に言うと「彼は窓を見た」という場合
「He looked at the window.」になるかと思うのですが
彼は窓の方を見たという場合
「He looked for the window.」
とはならないんでしょうか?
「For」のイメージが向かう方向って感じだとすれば和訳とはピッタリ来る感じが
あるのですが・・・。「For」は使えないということでいいのでしょうか?
お分かりになる方、ご教示戴ければと思います。宜しくお願い致します。

27kuribonguu★:2009/11/16(月) 08:40:08 ID:???0
110さん、算数Kさん、そして皆様本当に有難う御座います。
一緒に考えて戴いたり、悩んで戴いたり、コメントを戴いたりと
皆さんの真剣に回答を下さる姿にすごく嬉しく思いました。
最初は「for」って方向のイメージ(あくまでも私の中でのという意味です)だけど、なんで「look」と組み合わさると「探す」になっちゃうんだろうという素朴なものでした。
しかし、話が進んで来ると「at」が出てきたり「to」が出てきたりして
更に「to me」と「for me」の使い分けの難しさなども分かり、あぁ自分だけじゃないんだということが分かり嬉しく思いました。
正直、これで「for」について自分で語れるほど分かったわけではありませんが、少なくともなぜ「for」なのかは理解が深まりました。
大西先生も「前置詞は難しいよ」って仰ってましたが確かに難しいけどそのイメージを解明していくのはとても楽しいですね♪
前置詞を理解しながらうまく使えるようになって英語をマスターしたいと思います。

28ニャンコヴィッチ★:2009/11/17(火) 12:49:11 ID:???0
110さんへ

>誤解を招いているような気がします。

これは、私が誤解している、という意味でしょうか。
もしそうなら、110さんがそれ以降に書かれているイメージは理解してます。

[東京](^o^)-------------->[London]  I'm going to go to London.

私は、こんな↑絵も描いてますよね。[London]に繋がってます。
繰り返しますが、私が言いたいのは「to」「for」のイメージの違いとして、「到達していない/している」に重点を置くと、ただ混乱を招くだけだと言うことです。

大西先生が、もし、「ハートで感じる英文法」のP48で、『to』の例として、「I went to London.」でなく「I'm going to go to London.」を使われていたら、「toはロンドンに到着していますね」とは書けませんよね。
110さんなら、その場合、「toは、イメージの上では、ロンドンに到着していますね」と書かれるのでしょうか。
そうすると、それを読んだ人は、「「イメージの上での到着地」=「目的地」。「I left for London.」の「London」って「目的地」。それなら、どうして『for』じゃだめなの?」ってなことになると思いませんか?
要は『for』も「到達」のイメージと無縁ではないということです。

-------------
算数Kさんへ

>「B時『まで』働いた」、「B時『まで』働こう」や「B地点『まで』行った」、「B地点『まで』行くつもり」に共通する
『まで』のイメージは「Bに矢印がタッチ」、「Bに『到達』」で問題ないと思います。
(終点Bが含まれるか含まれないかは日本語でも英語でも微妙な問題で、文脈によります。)
『到達』という言葉がしっくりこないなら『目的』と言い替えても結構です。
しかし、「Bに至る道がある程度見えている」では「B『まで』」の説明にはならないのではないかと思います。

私も、『to』に『まで』が含まれる、とは思っています。、
それで、『まで』に限定してみても、算数Kさんが挙げられたどの例(↓)でも「それに至る道がある程度見えて」いませんか?

>「B時『まで』働いた」、「B時『まで』働こう」や「B地点『まで』行った」、「B地点『まで』行くつもり」

それに、完全に『to』=『まで』なら話は簡単ですが、

His house looks to the East.(彼の家は東向きだ.)

この場合↑は、『to』=『まで』=「Bに『到達』」でしょうか?
(家の正面から東へ伸びる線はみえると思いませんか?)
算数Kさんは「終点Bが含まれるか含まれないかは日本語でも英語でも微妙な問題で、文脈によります。」とおっしゃってますが、「終点(到達点)を含まないけど到達している」とはいったいどんなイメージでしょうか。
私は、上で110さんに『for』について言ったこととあわせて、こういう『到達』を使うことによる混乱は避けるべきだ、と言っているのです。

>文の現実性や時制を捨象し『まで』のみを抽出して説明するのが「文法」なのですから、説明が現実性や時制に左右されたら「文法」になりません。

これにはまったく同意できません。
(それに、「終点Bが含まれるか含まれないかは日本語でも英語でも微妙な問題で、文脈によります。」という算数Kさん自身の発言にも矛盾してます)
現実性に左右されるのは、「文法」のほうです。
日本語でも、英語でも。
法律で窃盗が犯罪とされたから、人は物を盗まれたら怒るようになったのではありません。
楽譜が考案されてから、人は演奏できたり歌えるようになったのではありません。
元素記号や化学反応式を適当に考案したら、それにあわせて現実に新しい元素が出現したり新しい化学反応が起こるのではありません。
まず、現実ありき。
「ハートで感じる」とは、「常に「現実性」即する。「現実性」から遊離しちゃだめ」ってことではないでしょうか。

29ニャンコヴィッチ★:2009/11/17(火) 18:00:47 ID:???0
算数Kさんへ

先の私の発言の…

>現実性に左右されるのは、「文法」のほうです。…

これ以下は無視してください。勘違いしてました。
(仕事中にコソコソしてたもので)、すいません。

30110★:2009/11/17(火) 18:28:46 ID:???0
>>28 ニャンコビッチ さん

[現在地](^o^)-------------->[London]
は私の書いている内容とは違いますよ。
これではあくまで"go to London"という一般的なもわっとした内容を図示
している事になるでしょう。僕の中でははっきりではなくこの図がかなりぼやけていますが。
そーゆーことくらいの一般的です。
Londonにgoからtoできちんと矢印が到達しないとロンドンに行くと言う一般的な事にはならないでしょう。
そもそもイメージが全く変わってきますし・・。
>>25に書いてあるのはgoing toのtoです。

His house looks to the East.
簡単ですね。比喩的な表現ですが、彼の家は東を向いてきちんとその方向の風景などを見てるんです。
だからtoですね。放たれた矢印は確実にthe Eastを指し示し到達しています。
彼の家の東側は見晴らしが良さそうですね。

toは矢印が対象にきちんとタッチして到達する。指し示したりする。
forは気持ち、意識のようなものが対象に向かって行く感じ。対象物にはタッチしない。到達していない。
ある範囲を選択したり限定したりする。
簡単に言えばこんな違いだと思いますけど。

言っていることはイメージ上の矢印のような物が到達しているかしていないかで
現実の物や人が到達、非到達の事実に基づいて判断なんて話はしていないと言うことです。

31算数K★:2009/11/17(火) 21:19:14 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>28>>29。どうやら、私の説明不足のせいで、混乱させてしまったようですね。舌足らずですみません。私の意図が伝わらなかったと思われる3箇所について補足説明させていただきたいと思います。

◎まず、『まで』は『to』とかぶる部分が大きいので、「文法」とは何かということについて、たとえとして説明しやすいと思って取り上げただけです。あくまで『to』自体の説明ではなく微妙にズレますので、くれぐれも同一視しないようにお願いします。

◎私は、『まで』は「終点(到達点)を含まないけど到達している」>>28と言いたかったのではなく、『まで』の「文法」説明と実際の意味に分けて考えると、『まで』の「文法」説明は矢印が終点に『タッチ』もしくは『到達』でOK、『まで』の実際の意味に終点が含まれるかどうかは文脈によるので「文法」としては語れない、ということです。以前にも http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2006/06/post_120.html を引用して書き込んだことですが、例えば「金曜まで」「to Friday」と言うとき、どちらも「文法」説明としては「矢印が終点に『タッチ』」ですが、意味の上では、日本語では金曜を含む文脈が多いのに対し英語では Friday を含まない文脈が多いので、個別の文脈の意味による終点の包含性は一般の「文法」としては語れないということなのです。「文法」として語れる一般とそうでない個別を分けて考えると当たり前のことですが、両者を分けないと確かに矛盾してしまいますね。

◎私が使った「現実性」とは、あくまで個別の文の意味において現実に『到達』したかどうかということであって、言葉という現象の「現実性」のことではありません。「文法」とは言葉という現象の法則ですから、言葉の「現実性」に即することは当然です;しかし同時に、「文法」とは言葉の法則ですから、個別の文の意味に左右される説明であってはならず、一般に当てはまる説明でなければならないわけです。したがって、「〜に至る道がある程度見えている」>>24は少なくとも私には一般論としての説明とは思われず、「文法」の説明としてはどうかと疑問に思ったという次第です。例えば、 http://www.englishforums.com/English/DifferenceBetweenToAndFor/ccmkc/post.htm の「TO VERBS」「FOR VERBS」などをながめて、意味上の「現実性」でなく法則としての一般性を抽出しようとすれば、「終点をピタッと指し示す TO」「話題の点から終点に意識が向かうだけの FOR」というコントラストが感じられ、『到達する/しない』も「文法」説明としては(用語選択として適切かどうかは措くとして)悪くないと思っていただけるのではないかと考えます。そういうコントラストを際立たせたかったからこそ大西先生は過去の文を例文にしたのだと推察します。・・・いかがでしょうか?

32ヨシカワ★:2009/11/17(火) 21:32:39 ID:???0
いやぁ、このスレッド、面白いですね。こんなふうに、単語ひとつのイメージをめぐって、お互いの「感覚」を出しあっていた、昔の掲示板の雰囲気を思い出します。きっと、大西先生も、口をはさみたくてウズウズしていると思いますよ(笑)。

>ニャンコヴィッチさん

>ただ、やっぱり私は「to」「for」のイメージの違いとして、
>for:「到達していない」、
>to「到達している」(「toはロンドンに到着していますね」のような)
>、の区別は適切ではないと考えてます。

えーと。皆さんの書いていることをずっと読んでいると、必ずしも「for: 到達していない / to:到達している」の対比にはなっていないと思うんですけど。

■おいすさんの「感覚」[書き込み:No.14]
to:到達点を意識
for:向かう対象の範囲を限定
■算数Kさんの「感覚」[書き込み:No.21]
to:ハッキリした対象▲に到達。▲を指し示す感じ
for:ハッキリした対象▲に向かうだけ。▲以外でないと方向を限定。

お二人の「感覚」に共通していることは、toは「対象への到達」を意識しているけれど、forは「対象に向かう」意識があるだけで「到達」にはフォーカスしていない(到達したかどうかは問題にしていない)というわけですよね。私の「感覚」も、おいすさん、算数Kさんと、だいたい同じ感触です。

『ハートで感じる英文法』の書籍版はもっていないのでP48を参照できないのですが、『英単語イメージハンドブック』(P168)の「TO」の項目にも、He left for London.(彼はロンドンに向けて出発した)/He went to London.(彼はロンドンに行った)という例文があり、次のような説明が載っています。
-------------------------------------------
「向かう」だけのforに比べ、toは「到達」までを含んでいます。……
to は到達点を指し示すだけの単語。その単純さがこの前置詞の広範な使用を支えています。……
-------------------------------------------
大西先生も、toとforのイメージの違いを「到達している/到達していない」という区別で語っているわけではありませんね。両方とも「向かう」だけど、toは「到達」を含んでいるんですよ(あるいは、到達点を指し示しているんですよ)、と言っているだけだと思います。

『ハートで感じる英文法』に下のような「絵」があるとすると、その「絵」の意味する所は…
-------------------------------------------
He went to London. なら「ロンドンに到達した」と言ってるわけだけど、
He left for London. なら「ロンドンに向かった」と言っているだけで、
「到達したかどうかは分からない(「到達」については話題にしていない)」。
-------------------------------------------
ということなのではないでしょうか。

             (^o^)
to : Lo(^o^) <-------- +

             (^o^)
for : Lo   <------- +

33ヨシカワ★:2009/11/17(火) 22:04:39 ID:???0
あ。算数Kさん。おひさしぶりです。書き込み、先を越されました(笑)。

このスレッドの流れを見ていると、「toは、到達点までを含む」というのは、何となく混乱を生みやすい表現のような感じがしますね。私は、toはあくまで「→」としてイメージするようにしているので、「到達点を指し示している」という説明が一番しっくりきます。
I went to London. と言えば、「(過去における)到達点を指し示している」わけだから、当然、「Londonに到達している」。I'm going to go to London.と言えば「(未来における)到達点を指し示している」わけで、「現実(現時点)」にはまだ到達していなくても何の問題(?)もない。まぁ、そんなふうな感じに理解しています。

34算数K★:2009/11/18(水) 08:17:40 ID:???0
ヨシカワさん。おひさしぶりです。

「到達点を指し示している」、いいですね。そう、到達点自体を含むか含まないかは微妙なんですよね。
>>31の2番目の◎を書いた時点で探し出せていなかった私の書き込みとは、
「何番目の駅」http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8450/1176447098/
でした。やっと見つかりました。ご参考までに・・・。

35ヨシカワ★:2009/11/18(水) 15:20:53 ID:???0
>算数Kさん

過去ログ、興味深く読みました。

>到達点自体を含むか含まないかは微妙なんですよね。

算数KさんNo.31で書かれているように、日本語の「まで」も、「到達点を含む」かどうかは文脈次第ですよね。たとえば、同じ「金曜日まで」でも…。

1. 作業は、「金曜日まで」に終わらせてください。
2. 作業期間は、「金曜日まで」とさせてください。

1.は「金曜日を含まず」(金曜日には仕上がっていなければだめ)、2.は「金曜日を含む」(金曜日も作業できる)というのが、私の「感覚」なのですが、こういう言い方をすると、人によって取り方がブレることが多いので、仕事でよく揉めたりします(笑)。

36ニャンコヴィッチ★:2009/11/19(木) 12:32:43 ID:???0
>[現在地](^o^)-------------->[London]
>は私の書いている内容とは違いますよ。
>これではあくまで"go to London"という一般的なもわっとした内容を図示
>している事になるでしょう。僕の中でははっきりではなくこの図がかなりぼやけていますが。
>そーゆーことくらいの一般的です。
>Londonにgoからtoできちんと矢印が到達しないとロンドンに行くと言う一般的な事にはならないでしょう。
>そもそもイメージが全く変わってきますし・・。
>>>25に書いてあるのはgoing toのtoです。

I'm going to go to London.の going の後の『to』の話なんですか?
今、みんなで論じてるのは London の前の『to』です。

>His house looks to the East.
>簡単ですね。比喩的な表現ですが、彼の家は東を向いてきちんとその方向の風景などを見てるんです。
>だからtoですね。放たれた矢印は確実にthe Eastを指し示し到達しています。

まず「到達」ありきで、それに合わせてイメージを作るのは、確かに簡単ですね。
私が算数Kさんに聞きたかったのは、「His house looks to the East.」の場合、一般的に(特にネイティヴは)はたして「矢印が仮想の到達点(東)に到達する」という「到達」を含んだイメージをするんでしょうか、ということです。
繰り返しますが、少なくとも私(日本人ですが)のイメージは、家の正面から仮想の線が東に伸びるというものです。
その線がどこに到達しているか、なんてことはイメージしていません。

>言っていることはイメージ上の矢印のような物が到達しているかしていないかで
>現実の物や人が到達、非到達の事実に基づいて判断なんて話はしていないと言うことです。

皆さんがそう考えていることは十分承知していますよ。
それで、私は、その「イメージ上の矢印のような物が到達しているかしていないか」について…

>大西先生が、もし、「ハートで感じる英文法」のP48で、『to』の例として、「I went to London.」でなく「I'm going to go to London.」を使われていたら、「toはロンドンに到着していますね」とは書けませんよね。
>110さんなら、その場合、「toは、イメージの上では、ロンドンに到着していますね」と書かれるはずですよね。
>そうすると、それを読んだ人は、「「イメージの上での到着地」=「目的地」。「I left for London.」の「London」って「目的地」。それなら、どうして『for』じゃだめなの?」ってなことになると思いませんか?

…という具合に混乱しませんか?、と言っているんです。

110さん、私の発言に対してコメントをいただけるのはありがたいのですが、コメントをいただけるなら、(私も、算数Kさんの「現実性」に対する早とちりがあったので、偉そうなことは言えませんが)
私が何について、何を言っているのか、まずは読んでからにしていただけないでしょうか。
私も何度も同じ話を繰り返したくありませんし、前にも進められませんので、よろしくお願いします。

---
算数Kさん、
いただいたコメントは消化中です。(また仕事が忙しくなってきまして…)

37ニャンコヴィッチ★:2009/11/19(木) 12:58:06 ID:???0
先の書き込みは110さん宛てです。書き忘れました。すいません。

38110★:2009/11/19(木) 18:39:41 ID:???0
>>36
ニャンコビッチさん、こんばんわ。
書かれるはずも何も、そんな内容の文章は書いていないですし・・というか書きません。
それが前提の疑問内容ですから、僕はその文章の意味がよくわからないんですが。
ですから前提となる僕なりのtoのイメージを書いてご説明しているのです・・。

そもそもtoの説明に"I'm going to go to London."を持ってくれば私が書いているような
もっとその他の文法事項イメージを考慮したイメージの足し算を行わなければならないので
大西先生もそんな英文をいきなりtoの理解を深めるための例文として持ってくるようなことはしないでしょう。
going toのtoもto Londonのtoも同じtoです。
そしてtoだけではなく文法のイメージをきちんと理解していないと英文の正しい
理解はできないのではないですか?全ての足し算となるからです。
go to Londonは原形であり、一般的な事柄という意味を持ちます。
漠然とした一般的な事柄であるから現実に到達、非到達なんて話を論じること自体変です。
ただの、"ロンドンに行く、とゆーーこと"ですよ。この文、ロンドンに実際に行ったんですか?
イメージは>>30に書いてあるとおり、ただのtoです。
私の中ではその2つは全く同じイメージです。なんで分ける必用があるのでしょうか。
イメージから意味が生成される。それだけのことかと思います。
生成された文の意味から到達、非到達があやふやだからイメージの到達と言う表現を避けるべき、
到達しているかは微妙。なんだか話が変であると感じています。
到達したイメージがなければその意味は生じないかもしれませんね。
イメージ上のtoは確実に対象にタッチし、到達し指し示していると感じています。
to Fridayに関しても難しいことはないでしょう。
指し示している対象がFriday(0:00〜23:59)という幅のある期間であるからそこから生成される
意味に前日中?金曜日中?という疑問が生じているだけかと思います。
といいますかそうなるのは当然である曖昧表現のイメージであると考えています。
日本語でも同じですね。
His house looks to the East.
これも同じで、彼の家は目を向けています、東の方角、風景情景に到達し指し示し、見ています。
到達しているからこそその目に浮かんでいる風景を見ています。
東を向けばその風景が目に飛び込んできます。それが到達のイメージであると感じています。
lookはただの目を向ける動作ですからね。

私の中では何も疑問が起こらないのですが。。混乱もないです。
そもそも発話する上でforとはイメージが違いますから。

39ヨシカワ★:2009/11/19(木) 18:57:25 ID:???0
>みなさん

toは「到達」を含む(指し示す)かどうかということについて、参考になるかなというページがありました。

「日向清人のビジネス英語雑記帳」
http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2005/09/for_learning_ho.html

Randolph Quirkらの、A Comprehensive Grammar of the English Language (Longman)に出ている例文として以下の4文が示され、「 (1)と(3)でのtoは、目的地に着くことが前提になっている点、forと違うと言うのです」とあります。

-------------------------------------
(1) He left to London.
(2) He left for London.

(3) Is this the train to London?
(4) Is this the train for London?
-------------------------------------

大西先生の例文の場合は動詞(went と left)が異なりましたが、この比較の場合、違いはtoとforだけなので、その違いがよりすっきりとイメージできるかもしれません。
また、レファレンスを示しながら、いろいろな角度から話を進めておられるので、自分のもっているイメージをいったん「括弧」にいれて、客観的に捉え直してみるために役立つ資料になるかと思います。

よかったら、みなさん、一度読んでみてくださいね。

40110★:2009/11/19(木) 19:41:36 ID:???0
>>36
ニャンコビッチ さん

ああ、forについてのイメージについて書いておきます。
forのイメージは自分の胸の前からふわふわした気持ちのような物が対象に
フワーっと向かうような感じだと思います。あくまで例ですけども。
その向かう方向や範囲に限定したりするんです。
ですからエンドポイントも含まれてないし、タッチもしないし、到達もしません。

41110★:2009/11/19(木) 20:23:36 ID:???0
>>39
ヨシカワさん こんばんわ。
最初の方からイロイロ見直していたら1時間くらい時間が過ぎていたようです。(汗)
リンク先の内容早速簡単にですが拝見させていただきました。
後でもうちょっとじっくり読んでみますね。

Robin is good to Dale.
これはRobin is goodの向かう対象としてDaleをきちんとタッチして
指し示している、結構普通の文章でしょうか。
単にタッチして指し示しているんですね。
Robin is good for Dale.
これはDaleに対して向かってますから、
>>40に書いてあるようなイメージだと思います。
もちろん向かうのは気持ちだけではなくて、実際の行為だとか、
イロイロ示唆されますね。読んでみてなるほどと納得しました。

(1) He left to London.
(2) He left for London.
(3) Is this the train to London?
(4) Is this the train for London?

この4文に関しても自分の中のtoとforのイメージと照らし合わせて
特に矛盾点など問題もない感じですね。

42ニャンコヴィッチ★:2009/11/21(土) 16:45:20 ID:???0
110さん

> そしてtoだけではなく文法のイメージをきちんと理解していないと英文の正しい理解はできないのではないですか?全ての足し算となるからです。

> 生成された文の意味から到達、非到達があやふやだからイメージの到達と言う表現を避けるべき、到達しているかは微妙。なんだか話が変であると感じています。

「足し算」して「生成された文」で「正しい理解」をするべきだ。
「足し算」して「生成された文」の意味を考えるのは変だ。
私はいったいどうしたらよいのでしょうか。

到達:ある状態・目的に行きつくこと(大辞泉)

私は、「toは確実に対象にタッチし、到達し指し示している」をいろんな時制に置いてみて、特に未来時制において混乱が生じることを示したつもりです。
と、いうことは、『to』の本質は(イメージ上のものであれ)「到達」ではない、ということです。
本当に『to』の本質が「到達」なら、どんな時制や文脈においても、混乱や齟齬を生じないはずです。

> 大西先生が、もし、「ハートで感じる英文法」のP48で、『to』の例として、
>「I went to London.」でなく「I'm going to go to London.」を使われていたら、
>「toはロンドンに到着していますね」とは書けませんよね。
> 110さんなら、その場合、「toは、イメージの上では、ロンドンに到着していますね」と書かれるはずですよね。
> そうすると、それを読んだ人は、「「イメージの上での到着地」=「目的地」。「I left for London.」の「London」って「目的地」。それなら、どうして『for』じゃだめなの?」ってなことになると思いませんか?

> 書かれるはずも何も、そんな内容の文章は書いていないですし・・というか書きません。

それでは、仮に110さんが、『to』を『for』は同じものとみなしている人から
「「I'm going to go to London.」の(Londonの前の)『to』を『for』に替えても意味は同じなのではないですか?」
と聞かれたらどう説明されますか?
お手数ですが、教えていただけないでしょうか?よろしくお願いします。

> His house looks to the East.
> これも同じで、彼の家は目を向けています、東の方角、風景情景に到達し指し示し、見ています。
> 到達しているからこそその目に浮かんでいる風景を見ています。
> 東を向けばその風景が目に飛び込んできます。それが到達のイメージであると感じています。

またまたまた繰り返しますが、私が聞きたかったのは110さんの「到達のイメージ」ではなく、一般的に(特にネイティヴは)「His house looks to the East.」はたして「矢印が仮想の到達点(東)に到達する」という「到達」を含んだイメージをするんでしょうか、ということだったのですが。

では、110さんは
Look to the right, now to the left, look down, left, O.K. . . . look at me . . . Good.
(おいすさんからの例です)
と聞けば、「視線が右の風景にブスリ。視線が左の風景にブスリ。…」というような「到達」までを含んだイメージをされてるわけですね。

43ニャンコヴィッチ★:2009/11/21(土) 16:54:13 ID:???0
110さん、ヨシカワさん

ヨシカワさんが紹介してくれたページ(ヨシカワさん、ありがとうございます)の
---
例えば、forの根底には、ear-markingつまり「一定の用途を念頭に置きながら、取り分けておくこと」という意味があるので、forの目的語とされるものは、何らかの形で何かを受け取っている、あるいは何かがたどり着く先というニュアンスを見てとれるといった趣旨の説明を展開してくれるのです。対するtoの方はどうかと言えば、単にAとBとの結びつきを示すにとどまるとしています。
---

◎「forの目的語とされるものは、何らかの形で何かを受け取っている、あるいは何かがたどり着く先というニュアンスを見てとれる」
110さん、私が何度も何度も混乱すると言っているのは、この『for』の「何かがたどり着く先というニュアンス」と、110さんが『to』の本質とする「イメージ上の到達」が識別しにくい、ということです。

◎「toの方はどうかと言えば、単にAとBとの結びつきを示すにとどまる」
私の先の発言、
「「to」:(listen to の場合のように)目的に繋がっている。あるいは、そこに至る道がある程度見えている。」
と同じですよね。

---
もう一つ、forとtoのニュアンスの違いを知る上で格好の例があるのでご紹介します。…
(12) He left to London.
(13) He left for London.

(14) Is this the train to London?
(15) Is this the train for London?

ここでの (12)と(14)でのtoは、目的地に着くことが前提になっている点、forと違うと言うのです。なるほど、こういった視点で考えると、toは上でも申しあげたとおり、AからBへという線上の移動というイメージがあり、そこから、終点にたどりつくのは当然ということなのでしょう。これに対して、forは ear-markingが本質だという視点から考えると、上の(13)は、いろいろな目的地があり得る中、ロンドンがearmarkされたと言え、また、 (15)も様々な目的地に向けて種々ありうる電車の中で特にロンドン行きがearmarkされたと言えます。このことから、両者を通じて、earmark されたよと言っているにとどまり、目的地に到着するか否かはこのforの守備範囲の外であることもわかろうというものです。
---

◎ここではたしかに、「toは、目的地に着くことが前提になっている点、forと違う」とありますが、それはあくまで「toは…AからBへという線上の移動というイメージがあり、そこから、終点にたどりつくのは当然」というだけの話です。
『to』のイメージの本質は、あくまで「AからBへという線上の移動」であって、「到着」はそれに必然的に付随するものに過ぎないということです。

◎「目的地に到着するか否かはこのforの守備範囲の外であることもわかろうというものです。」
というのは、『for』のイメージ=「到達していない」ということではありません。
あくまで「到着するか否か」は意識していないということです。
これも、私の先に発言、
「「for」:目的は決まっているものの、そこに至る道が未知数、あるいは(I left for London.の場合のように)その道にあまり関心が向けられていない。」
と同じです。

44110★:2009/11/21(土) 19:16:33 ID:???0
>>42
>>43 ニャンコビッチさん。

まず原形のイメージを理解できていないようですね。
何回も書いて解説をしているのですが・・。
to不定詞の項目で漠然としたもわっとと解説がなされたと思いますが、
あれがまさしくtoによってタッチして指し示されている原形という形のイメージです。
原形に関しては英文法絶対基礎力の後半に解説がなされています。
指し示している対象が原形であるからこそ>>38に書いてあるような意味になるのです。
to自体は矢印が到達しタッチし、指し示していることに変わりありません。

文法事項、単語の各イメージは個別のイメージです、
ただしそれらのイメージは文章内で上記のようなイメージ同士の可算が起こります。
そして最終的な意味が生まれます。
それを理解しないことには話が前に進みませんし、ご自分の中で生じた歪みを埋めようと
元の個別のイメージを歪ませる結果にもなると感じます。

> そしてtoだけではなく文法のイメージをきちんと理解していないと英文の正しい理解はできないのではないですか?全ての足し算となるからです。
> 生成された文の意味から到達、非到達があやふやだからイメージの到達と言う表現を避けるべき、到達しているかは微妙。なんだか話が変であると感じています。
ようはこういうことです。

>「足し算」して「生成された文」で「正しい理解」をするべきだ。
>「足し算」して「生成された文」の意味を考えるのは変だ。
間違ってもこんな変な意味の日本語文章は書いていません。

I'm going to go for London.
変文ですね・・。何が変って、ロンドンに行くつもりなんでしょ?向けて出発するつもりなの?
しかも日本語訳以上に変なのはforのイメージが問題なんですが・・。
なんでエンドポイントが含まれていない、矢印の到達していない向かうforを使う必用があるんでしょうか。
イメージ上の矢印が到達していませんから向かうことは理解できてもその地に着くかどうかなんて全く不明です。
I'm going to go to London.ならきちんと到着地としてロンドンがタッチして指し示されていますから、
ロンドンに出発して行くつもりですね。
混乱するんですか?
私の中ではtoとforは全く別のイメージであり、綴りも違う別の単語です。
図示すれば2つとも矢印のような物で表現することができ、イメージ上の矢印のような物の到達、非到達は事実の内の1つです。
解説の際にその部分が説明のためにわかりやすい場合はピックアップする事がありますが、
何もイメージが到達非到達のみで完全に二分されているような書き方はしていないはずですが。

Look to the right.
私はネイティブスピーカーではないので学んで自分なりに体得しているイメージ、体感しか解りません。
これも同じ事書くことになるんですが、lookは目を向けるという単なる動作です。
to the rightだからこそ右側をきちんと目を向けて、見ているんですよ。目に映像が入ってきてます。
実際やってみてください。その感覚がこの場合のlook toであり図示すれば到達し、タッチし指し示しているあの矢印です。

45ニャンコヴィッチ★:2009/11/22(日) 10:10:39 ID:???0
110さん

> そしてtoだけではなく文法のイメージをきちんと理解していないと英文の正しい理解はできないのではないですか?全ての足し算となるからです。
> 生成された文の意味から到達、非到達があやふやだからイメージの到達と言う表現を避けるべき、到達しているかは微妙。なんだか話が変であると感じています。

>>「足し算」して「生成された文」で「正しい理解」をするべきだ。
>>「足し算」して「生成された文」の意味を考えるのは変だ。
>間違ってもこんな変な意味の日本語文章は書いていません。

御自分で気づかれてらっしゃらないので、そういう矛盾した変なことを要求してますよ、と、分かりやすくしました。

---
>私の中ではtoとforは全く別のイメージであり、綴りも違う別の単語です。
>図示すれば2つとも矢印のような物で表現することができ、イメージ上の矢印のような物の到達、非到達は事実の内の1つです。
>解説の際にその部分が説明のためにわかりやすい場合はピックアップする事がありますが、
>何もイメージが到達非到達のみで完全に二分されているような書き方はしていないはずですが。

「イメージが到達非到達のみで完全に二分されているような書き方はして」います。
これ↓、110さん自身の発言です。

30:
>toは矢印が対象にきちんとタッチして到達する。指し示したりする。
>forは気持ち、意識のようなものが対象に向かって行く感じ。対象物にはタッチしない。到達していない。

---
>これも同じ事書くことになるんですが、lookは目を向けるという単なる動作です。
>to the rightだからこそ右側をきちんと目を向けて、見ているんですよ。目に映像が入ってきてます。
>実際やってみてください。その感覚がこの場合のlook toであり図示すれば到達し、タッチし指し示しているあの矢印です。

110さん、世界中の人が、110さんの『to』=「到達している」ありきのイメージにあわせて『to』を使っているのではありませんよ。
ヨシカワさんの紹介してくださったページをちゃんと読まれましたか?
実際に使われている色々な文の中で『to』と『for』がどう使われてるか、それを分析して、どの文の意味においても混乱や齟齬のおきない『to』や『for』の本質を抽出していますよ。

110さんが、そういう分析をまったくなさらないで、"110さんの"『to』のイメージと、そのイメージありきの文の解釈をただただ繰り返されるのでしたら("110さんの"イメージと解釈はよーくわかりましたから)、以後、私宛のコメントはご遠慮ください。

46110★:2009/11/22(日) 21:19:20 ID:???0
>>45 ニャンコビッチさん こんばんわ。

一回書いた長文が消えてしまいました。。。。
書き直した内容を投稿します。

ご自分が矛盾点だと指摘していた
>「toは確実に対象にタッチし、到達し指し示している」をいろんな時制に置いてみて、特に未来時制において混乱が生じることを示したつもりです
を私のイメージ論で綺麗に説明したつもりですが・・。ご理解いただけないようですね。
といいますか、スルーされていますので読まれたのか読まれてないのかそれすら不明なのが実際ですが。
>>「足し算」して「生成された文」で「正しい理解」をするべきだ。
>>「足し算」して「生成された文」の意味を考えるのは変だ。
しかもご自分の決めつけによるすり替え意見をまた蒸し返してますね・・。
ニャンコビッチさんは相手の文章の内容理解より、ご自分の中での都合の良い意見のすり替え、
決めつけが強い傾向があります。その点注意したほうがよろしいかと思いますよ。

>toは矢印が対象にきちんとタッチして到達する。指し示したりする。
>forは気持ち、意識のようなものが対象に向かって行く感じ。対象物にはタッチしない。到達していない。
簡単に1行で解説したこのイメージですら到達、非到達、2値のみの意味ではありません。

>110さん、世界中の人が、110さんの『to』=「到達している」ありきのイメージにあわせて『to』を使っているのではありませんよ。
世界中の人とはおおざっぱな対象ですが、具体例を示されてはどうですか?

>>45の書き込みからはご自分の矛盾点としてあげた内容は論破されたので
すり替え、決めつけ意見から私の意見をただ批判されているようにしか感じません。
言いたいことは一言「あなたは間違っている」ですよね?
私の文章も読んで理解していないと感じました。
このままでは議論継続はどう考えても不可能でしょう。

47110★:2009/11/22(日) 21:55:45 ID:???0
イメージの足し算についてもうちょっと書いてみます。
わかりやすいのは、句動詞のような物でしょうか?
look at, look for, get up, get out, etc...
lookは目を向けるという動作、そのイメージにat、点というイメージが加わって
点としてイメージされる対象に目を向けるという意味が生まれますね。
forという対象にタッチしてない、到達していない、自分の中の気持ちのような物がそのタッチしてない
対象に向かって行く、つまり求めてというイメージと足し合わされば探すという意味が生まれます。

toは目的地のようなかなりはっきりした対象だけではなく、
動詞原形のような具体的ではない、一般的と言えるもわっとしたイメージや
またはその中でまた別の対象をタッチして指し示すこともできますし、
Fridayのような幅のある期間のようなイメージもタッチして、矢印が到達して指し示すことができます。
結果生まれた意味に現実としての到達がまるでされていないような、
到達点がアバウトなような意味が生まれますね。
toのイメージと足しあわす元になったイメージが上記ですから当たり前のことなんです。
この事についてはもう既に詳しく書いてご説明申し上げたかと思います。
でこの生まれた意味から足し算する前の元のtoのイメージが到達していない、
到達しているかは微妙などの考え方が出てくるのに私は違和感があると申し上げているのです。

48110★:2009/11/22(日) 23:48:59 ID:???0
>>43 ニャンコビッチ さん。

>『to』のイメージの本質は、あくまで「AからBへという線上の移動」であって、
>「到着」はそれに必然的に付随するものに過ぎないということです。
とありますが、本当に移動のほうですか?本質は?
I left to London.
leftは現在いる場所から出ていく、立ち去るそう言ったイメージですね。
そしてtoでLondonがタッチして指し示されています。
矢印がエンドポイントに到達しタッチして指し示しています。
ですから出発してロンドンに着いたという意味になるでしょう。
この場合は移動と言っても問題なさそうですが、
I danced to the music.
I prefer London to New York.
さらにはto不定詞
My boss is hard to please.
これは移動でしょうか?全て指し示しているだけではないですか?
矢印が到達し、エンドポイントを指し示している感覚です。

>「目的地に到着するか否かはこのforの守備範囲の外であることもわかろうというものです。」
>というのは、『for』のイメージ=「到達していない」ということではありません。
>あくまで「到着するか否か」は意識していないということです。

私は前にも書きましたがforのイメージは向かう気持ちのような物、意識のような物など(あくまで例です)が対象に向かう。

その方向や範囲を限定したりします。ですのでエンドポイントも含まれてないし、タッチもしないし、到達もしません。
I left for London.
forのイメージにはエンドポイントが含まれていませんしタッチもしていません、到達もしていませんね。
Londonへ向かったと言う意味ですが現実に着いたかどうか?
forのイメージでは向かった方は解ってもその先が到達してタッチしていないので
着いたかどうかなんて不明という意味になりますね。
ニャンコビッチさんは到達のイメージ=意味として現実に到着、
到達していないイメージ=現実に到着していないという考えにこだわっていませんか?

49ニャンコヴィッチ★:2009/11/23(月) 09:44:32 ID:???0
> 私宛のコメントはご遠慮ください。

110さんとやりとりしていると私が酷いことを書きそうで、こうお願いしたんですが。
まだ、私の「間違い」に対して何か言いたいなら、私個人宛でなく「ニャンコヴィッチはこんな間違ったことを言ってる」と皆に発信する形にしてくれませんか。
110さんに反論するだけ時間の無駄ですので、なにも言いませんから。

ただ、ひとつだけ、

>>110さん、世界中の人が、110さんの『to』=「到達している」ありきのイメージにあわせて『to』を使っているのではありませんよ。
>世界中の人とはおおざっぱな対象ですが、具体例を示されてはどうですか?

現実は110さんの勝手な解釈どおりに動いてるのではない、もっと言えば、何事につけ、110さんを中心に世界が回ってるのではない、と意味なんですけど。

50ニャンコヴィッチ★:2009/11/23(月) 11:58:11 ID:???0
kuribonguuさん

今頃でなんですが、私が横から割ってはいって、なんかゴタゴタしてしまってごめんなさい。

『for』のイメージは、ヨシカワさんの紹介してくださったページ
http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2005/09/for_learning_ho.html
で、『to』のイメージと対比させることで、本当にハッキリと浮き彫りにされていますね。

本当に申し訳ありませんでした。

51kuribonguu★:2009/11/23(月) 18:54:30 ID:???0
ニャンコヴィッチさん
いえいえ、とんでもないです。
わざわざコメントを戴き恐縮しております。
途中から私が入るレベルの話でなくなってきたのでROMに徹しており
失礼致しました。
「to」と「for」は本当に私には使い分けが難しいなぁと思いました。
でも、このように考えたりイメージを思い描いたりする楽しさを感じたのも大西先生やこの掲示板の方に出会えたからだと思います。
また、素朴な疑問を伺ってしまうかも知れませんがニャンコヴィッチさんをはじめ皆様、今後とも宜しくお願い致します。

52算数K★:2009/11/28(土) 15:28:19 ID:???0
ニャンコヴィッチさん

「目的に繋がっている。あるいは、そこに至る道がある程度見えている」>>43では「to」のイメージとしては弱いのではないかと思います。 COBUILD English Usage に次のような説明があります: you do not use `to' to indicate the general direction in which someone or something is moving. You do not say, for example, `The boat was drifting to the shore'. You say `The boat was drifting towards the shore'. この例の場合、「そのまま流されていくと岸『に至る道がある程度見えてい』」たけれども、「to」は使えないということですね。単に「目的に繋がっている」だけでよいのではないでしょうか?

ヨシカワさんご紹介のページの「toの方はどうかと言えば、単にAとBとの結びつきを示すにとどまる」>>39も、「A と B との結びつきを、B に重心をおいて、示す」と解釈したいですね。この B に重心をおいた「結びつき」を A から B への「矢印→」と見なせば「矢印→の終点を示す」となりますし、「矢印→」を「動き」と解釈すれば「到達点を指し示す」となります。文法用語に(物理用語の『力』のように)こだわらなければ、>>26でも書いたように、 to の直後の B は『目的』でも『終点』でも『到達点』でもOK、と考えます。したがって、「矢印/動き」+「終点/到達点」を(実際にそうしたかどうかは問わない)文法説明として『到達』としても問題ないと私は思うわけです。もちろん、ニャンコヴィッチさんの『到達』という説明に対する違和感は私なりに理解しているつもりですよ。

「His house looks to the East.」の場合>>36も、私は『到達』でよいと考えます。 to the East なら、「家の正面から仮想の線が東に伸びる」という感じではなく、方位磁針が北を指すように「家の向きが(方位として)東を指す」ような感じに思えるからです。ただ、ネイティブに聞けば、文法学者でもない限り、「この to は toward(s) と同じ」と答えるでしょう。そのくらい「指し示す」感じが弱く toward(s) との違いがない例文ではないでしょうか。 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8450/1254827423/7 にも書いたように、 to と toward(s) のイメージの違いも、他の語句とのコンビネーションによってニュアンス程度の差しかないこともあるということでしょう。

53ニャンコヴィッチ★:2009/11/29(日) 11:27:46 ID:???0
---
「目的に繋がっている。あるいは、そこに至る道がある程度見えている」>>43では「to」のイメージとしては弱いのではないかと思います。 COBUILD English Usage に次のような説明があります: you do not use `to' to indicate the general direction in which someone or something is moving. You do not say, for example, `The boat was drifting to the shore'. You say `The boat was drifting towards the shore'. この例の場合、「そのまま流されていくと岸『に至る道がある程度見えてい』」たけれども、「to」は使えないということですね。単に「目的に繋がっている」だけでよいのではないでしょうか?
---

`The boat was drifting (to/towards?) the shore'.
この状況は、それこそ「general direction」な状況であって、
岸のどこにthe boatが着くかまでをある程度計算している状況、つまり「岸に至る道がある程度見えてい」る状況だとは思えません。
算数Kさんがこのボートに乗っていらしたら、the boat から the shore まで、「general」では"ない"線(道)が引けるでしょうか?
それ故に you do not use `to'なんだと思います。

それに、「そこに至る道がある程度見えている」は、「目的に繋がっている。」を別の表現で言い換えたまでで、私は「そこに至る道がある程度見えている」=「目的に繋がっている。」のつもりです。

---
「His house looks to the East.」の場合>>36も、私は『到達』でよいと考えます。 to the East なら、「家の正面から仮想の線が東に伸びる」という感じではなく、方位磁針が北を指すように「家の向きが(方位として)東を指す」ような感じに思えるからです。ただ、ネイティブに聞けば、文法学者でもない限り、「この to は toward(s) と同じ」と答えるでしょう。そのくらい「指し示す」感じが弱く toward(s) との違いがない例文ではないでしょうか。
---

「His house looks to the East.」
私もこの場合、「この to は toward(s) と同じ」と思っています。
だからこそ、私は110さんに、この場合の「to」に『到達』のイメージがあるか?と繰り返し問うていたわけです。(110さんは、眼科で Look to the right. と言われたら、視線が左の風景に『到達』する、つまり、いちいち左の風景を意識したイメージのようですが。)
それで、算数Kにもお尋ねしますが、「家の向きが(方位として)東を指す」に、実際のところ、『到達』のイメージをハートに感じますか?

---
ヨシカワさんご紹介のページの「toの方はどうかと言えば、単にAとBとの結びつきを示すにとどまる」>>39も、「A と B との結びつきを、B に重心をおいて、示す」と解釈したいですね。この B に重心をおいた「結びつき」を A から B への「矢印→」と見なせば「矢印→の終点を示す」となりますし、「矢印→」を「動き」と解釈すれば「到達点を指し示す」となります。文法用語に(物理用語の『力』のように)こだわらなければ、>>26でも書いたように、 to の直後の B は『目的』でも『終点』でも『到達点』でもOK、と考えます。したがって、「矢印/動き」+「終点/到達点」を(実際にそうしたかどうかは問わない)文法説明として『到達』としても問題ないと私は思うわけです。もちろん、ニャンコヴィッチさんの『到達』という説明に対する違和感は私なりに理解しているつもりですよ。
---

(もう何度繰り返したか分かりませんが)私は、
1.「to」には『到達』のイメージは"ない"
、といっているのではありません!
2.「to」自体の「文法説明」の際に『到達』を含めると「問題」がある
、といっているのでもありません!

私は…
A.先の「His house looks to the East.」の場合のように『到達』に「重心」が置かれない場合があるし、
B.ヨシカワさんの紹介してくださったページに「forの目的語とされるものは、…あるいは何かがたどり着く先というニュアンスを見てとれる」とあるように、「for」"にも"「何かがたどり着く先(=到達先、ですよね)」という「ニュアンス」がある
…ので、
「to」と「for」の"違い"を、(私が先に引用した、大西先生が「ハートで感じる英文法」でされている説明のように)『到達』のイメージを使って説明するのは、適切ではない、
と言っているのです。

ご理解いただけたでしょうか。

54ニャンコヴィッチ★:2009/11/29(日) 11:31:28 ID:???0
私のコメント(53)は、算数Kさん宛でした。すいません。

55110★:2009/12/01(火) 11:33:31 ID:???0
算数Kさん、ニャンコヴィッチさん、他皆様おはようございます。

The boat was drifting.
ボートは漂流している最中であった、ですね。
過去進行形ですから始まりから終わりに動的に向かっている最中です。
その説明に"to the shore"は無理ですね。
過去の動作、動きの説明にto+名詞が使われるとその目的地に
到達しているような感じがします。
ですが、この文は過去進行形・・、なんとも相性が悪いです。。

ニャンコビッチさんの持論である"そこに至る道がある程度見えている"は僕としてはtowardsのイメージが強いです。
The boat was drifting towards the shore.
そのボートは岸に向かって(の方向に)漂流している最中であった。
The boat was drifting for the shore.
そのボートは岸を求めて漂流している最中であった。
とも表現できますね。

そこに至る道がある程度見えている=目的に繋がっている感覚がある
という事でしょうか?
現実として目的に繋がっているの意味では前文と矛盾します。


後半部分の内容です。
Look to the right.
右を見なさい。
Look towards the right.
右の方向に目を向けなさい。
日本語に訳してもこれだけの違いがありますね。
まずlookは単なる目を向ける動作であるという事です・・。
"Look to the right."ならはっきりしっかり右を見ろって事ですね。
"Look towards the right."なら右の方向に目を向けろと言う事で
実際に見るか見ないか?そんなことまでの意味は含んでいませんね。
まぁ目を向けた結果として実際に見ることは多いかもしれませんが、
それは文法的なお話とは違いますよね。

とりあえず消えると困るのでここで一回投稿します。

56ニャンコヴィッチ★:2009/12/01(火) 12:31:09 ID:???0
110さん
私宛にするな、って言いませんでしたっけ?

>The boat was drifting for the shore.
>そのボートは岸を求めて漂流している最中であった。
>とも表現できますね。

「ボート」が「岸を求めて漂流」?
「漂流」の意味を調べなさい。

57110★:2009/12/01(火) 12:52:04 ID:???0
そこに至る道がある程度見えている=目的にある程度繋がっている感覚がある
なら矛盾もなくほぼイコールでしょう。

>A.先の「His house looks to the East.」の場合のように『到達』に「重心」が置かれない場合がある
>>55に示したとおり文法的にはtoとtowardsは違うでしょう。
もちろん結果としてこの場合、家と言う動かない物ですから
His house looks towards the East.
目を向けている結果としてそっちの方向を見ていることにもなるでしょうが、
文内容自体にはそんな内容まで含んでいるわけではないでしょう。
それに見晴らしが良さそうな感覚もこの文からはしてきません。
この例文の場合もtoのイメージは対象にタッチして到達して指し示していると思いますけどね。
といいますかtoの持つ基本イメージがいちいち文脈によって変わっていては文法的に成り立ちません。

>B.ヨシカワさんの紹介してくださったページに「forの目的語とされるものは、
>…あるいは何かがたどり着く先というニュアンスを見てとれる」とあるように、
>「for」"にも"「何かがたどり着く先(=到達先、ですよね)」という「ニュアンス」がある
あと日本語の話なんですが、"到達先というニュアンスを見て取れる"と"到達"は違います。
イメージの話ですが単純な事で"向かう"からこそ"到達先というニュアンスを見て取れる"のです。
日向さんの意見ではforの持つイメージを対象側から眺めてみた意見を述べているにすぎないと感じます。
大西先生の言われる到達と言う言葉はtoの基本イメージ、感覚、体感を一言の日本語で簡潔に表現しているだけでしょう。
そもそも「to」と「for」の"違い"に到達という表現を使うか使わないかは状況により変わりますから、何とも言えませんね。
到達と言えるだけで、他にも表現はイロイロできますから。
あくまで感覚、イメージを表現すると日本語で到達という表現、とは言えると言うことだけです。

58110★:2009/12/01(火) 12:53:49 ID:???0
>>56
あなた、何様ですか・・?

59110★:2009/12/01(火) 13:08:31 ID:???0
>>55
The boat was drifting for the shore.
ああ、適当に作った英文ですが変ですね。失礼しました。

60算数K★:2009/12/03(木) 09:24:45 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>53

「文法」と「実例」に分けて考えると、私が「文法」に重心を置いて話をしているのに対し、ニャンコヴィッチさんは「実例」に重心を置いて話をされているように思われます。(違ったらごめんなさい。)あえて単純化すると、私が「「文法」としては『到達』もOK」、ニャンコヴィッチさんが「「実例」から見ると『到達』は不適切」という感じの構図です。やり取りの齟齬を解消するためには、私は>>31のように「文法とは何か」という話を繰り返さなくてはなりません。(もう「消化」>>36されたと思ったのですが…。)

「文法」などの理論の用語と日常語の違い。ニャンコヴィッチさんもお好きな、かのファインマンも学生時代に物理学では日常語を変な意味で使うと思っていたそうです。例えば物理学でいう『仕事』。(こういう違いを示唆するつもりで、>>52では「文法用語に(物理用語の『力』のように)こだわらなければ」と書きました。)滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を100m?動かしたときの『仕事』は物理学的には0(「滑らか」なので『力』が要らないと解釈される)ですが、日常語的な「仕事」をしないのに『仕事』というのは違和感があるかもしれません。例えば数学でいう『傾き』。水平な床の『傾き』は数学的には0ですが、日常語的な「傾き」がないのに『傾き』というのは違和感があるかもしれません。しかし、『仕事』にしろ『傾き』にしろ、二重括弧の理論の用語は一重括弧の日常語からの違和感をよそに、理論の内部では一貫性、整合性、簡潔性があり問題は全くありません。

大西先生も「文法」について説明するとき consistency に気を遣っているそうです。有名な「不定詞は『漠然』、動名詞は『躍動感』」にしても、実際には違いがほとんどない場合がありますが、 consistency に気を遣い微妙なニュアンスにも「不定詞は『漠然』、動名詞は『躍動感』」という違いがあると説明されます。日常語的な「漠然」と「躍動感」の違いがほとんどない実例があるという理由から「不適切」ということにはならず、「文法」の内部では consistency から『漠然』と『躍動感』で「OK」なのです。

私は「「文法」用語としては『到達』もOK」、実例には日常語の「到達」とは微妙に異なる場合もあることを考慮し臨機応変に対応すればよい、と考えます。ニャンコヴィッチさんも、物理学用語の『仕事』を日常語の「仕事」と切り離して理解するように、「文法」用語としての『到達』を日常語の「到達」と切り離して理解されれば、私の考えにも「ある程度」同意してくださるのではないかと思っています。(両者の抽象的/具体的という違いが「学習者の「混乱を招く」かもしれないことについては同意し」ています、最初>>26から私は。)そして、もし『到達』に代わる用語をご提案されるなら、「文法」としての一貫性、整合性、簡潔性を考慮していただけませんか。「ハートで感じる英文法会話編スペシャル」で Chris 先生が大西先生との会話で「前置詞の to も不定詞の to も『指す』で同じ」と説明されていたように。

61ニャンコヴィッチ★:2009/12/03(木) 12:45:32 ID:???0
「文法とはなにか」についての算数Kさんの考えは理解しているつもりです。
ですが、同意はしていません。
これについては週末にコメントさせてください。(今、チョー忙しくって。申し訳ありません)

本筋には関係ありませんが、
-------------------
例えば物理学でいう『仕事』。滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を100m?動かしたときの『仕事』は物理学的には0(「滑らか」なので『力』が要らないと解釈される)
-------------------

この場合、『仕事』は物理学的にも0ではありません。

62ニャンコヴィッチ★:2009/12/03(木) 12:56:15 ID:???0
先のコメントは算数Kさん宛てです。(何度もすいません)

63算数K★:2009/12/03(木) 13:23:39 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>61

「文法とはなにか」についてのコメントは、どうぞごゆっくり。

「滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を100メートル動かしたときの『仕事』は物理学的には0」です。これは中学の理科の先生でもうっかりしてしまう有名な問題なのですが、ご存知ありませんでしたか?あくまで「滑らかで水平な床の上を」移動させるのです。『仕事』=『力』×『距離』ですが、『力』はベクトルであって移動させる方向成分のみが『仕事』に寄与します。この問題の場合、100キログラム重の『力』(『重力』)は移動させる方向と直交する下向きであって、移動させる水平方向の成分は0です。よって、荷物を水平方向に動かす『力』も0とされます(無限小量は無視されます)。したがって、この問題の場合、「『仕事』は物理学的には0」になります。カーリングで摩擦が全くない理想的な状況を思い浮かべていただければよいかと思います。(このように、物理学でも何でも、「理論」と「実際」を双方向的に翻訳しながらでないとうまく学習できないと思います。)

64ニャンコヴィッチ★:2009/12/03(木) 18:14:34 ID:???0
算数Kさんへ

ざっと考えても、押した物体が移動する、つまり運動エネルギーを持つ、ということは『仕事』をされたということです。
すなわち、押した人は『仕事』をしたということです。

>『仕事』=『力』×『距離』ですが、『力』はベクトルであって移動させる方向成分のみが『仕事』に寄与します。この問題の場合、100キログラム重の『力』(『重力』)は移動させる方向と直交する下向きであって、移動させる水平方向の成分は0です。

この『力』は押した人の力であって、物体の進行方向と同じ。
0ではありません。

65算数K★:2009/12/03(木) 22:00:46 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>64

物理学や数学(や一般に理論)は、「ざっと考え」るとすぐに「うっかり」>>63しがちですから、ご注意くださいね。

「この『力』は押した人の力であって、物体の進行方向と同じ。0ではありません。」とおっしゃるなら、その『力』はどのくらいですか?(ヒント:私なら極端な場合を考えます;すなわち、もうすでに荷物が動いている状況をです;そういう場合、『力』はどのくらい必要ですか?)

66110★:2009/12/03(木) 23:07:15 ID:???0
>>63 算数Kさん こんばんわ。

この物体に働いている力は重力と垂直抗力のみですね。そう言う問題です。
算数Kさんのおっしゃるとおり摩擦係数0の水平な床を物体が
既に移動中であり、その物体のある地点から100mまでの動きを考えるのが普通かと思います。
力が変位と垂直ですからもちろんθ=90°、つまりはcos90°=0ですので
もちろん垂直抗力と重力がする仕事は0となりますね。

67ニャンコヴィッチ★:2009/12/04(金) 12:53:20 ID:???0
(皆さんへ、
なんか、物理の話になってきましたが、番外編ということでご了承いただけないでしょうか)

算数Kさんへ

>私なら極端な場合を考えます…もうすでに荷物が動いている状況をです

極端な場合で"ない"場合とはどういう状況ですか?


>「滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を100メートル動かしたときの『仕事』は物理学的には0」です。
>理科の先生でもうっかりしてしまう有名な問題なのですが、ご存知ありませんでしたか?
>あくまで「滑らかで水平な床の上を」移動させるのです。

これ↑で、「氷の上で、(誰か(あるいは山の斜面から滑ってきたなら重力)から「仕事」をされた)100kgの荷物が、算数Kさんの横をスーッと滑っていく」というような「極端な場合」も指しているつもりですか?
それで「理科の先生でもうっかりしてしまう」のは算数Kさんの責任ですよ。
「物理学や数学」の問題をちゃんと伝えない側に、人のことを「うっかり」などという資格はありません。

それとも、そもそも、「動かす」「移動さ"せる"」の意味をご存知ないのでしょうか?

68算数K★:2009/12/05(土) 07:59:01 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>67(皆さん、すみません。少なくとも私は「文法」の話に関連させているつもりですが、適当に読み飛ばしてください。)

私が「極端な場合」すなわち荷物がすでに「スーッと滑っていく」場合を考え たのは、あくまで問題の『仕事』が0であることを確認するために問題の条件を少し変えてしまう思考実験でした。問題の周辺も含めて考えるというのは物理学や数学ではよくある手法です。(話の流れ>>60から『動かす』に「動かす必要がない」場合も含めてしまうのは習い性かもしれませんね。)惑わすつもりはなかったのですが、説明不足でお気に障ったのならゴメンナサイ、悪しからず。(ちなみに、「理科の先 生でもうっかりしてしまう」というのは私が中学時代に直接この話をうかがった理科の先生ご自身の体験談でした。)

さて、もともとの問題の条件は「極端な場合で"ない"場合」すなわち荷物が止まっている場合と解釈するのが普通です。この場合、ニャンコヴィッチさんもおわかりかと思いますが、髪の毛1本が荷物に触れる『力』でも問題の『仕事』はできます。その1/10の『力』でも、1/100の『力』でも、1/1000の『力』でも、・・ ・、できます。どんなに小さい『力』よりも小さい『力』で問題の『仕事』ができるわけです。どんな正の量より小さい非負の量は数学的に0です。したがって>>63に書いた通り通常の(トンデモ系でない)物理学では「無限小量は無視され」「荷物を水平方向に動かす『力』も0」と解釈され、『仕事』も0になるというわけです。

この話を初めて聞いた人は(中学時代の私も含めて)、「無限小量」でも0ではないのではないか、などと思ってしまうようです。気持ちは(私も体験的 に)わかりますが、すると物理学の整合性に抵触してしまうのです。抵触してしまう物理現象は沢山ありますが、一例をあげれば電気回路のスイッチを切ったときの電流でしょうか。電流は極めて短い時間は流れ急激に0になります。 数学的に(数式の上で)は「急激に0に近くなるものの0になるのに無限の時間を要する」現象ですが、通常の物理学ではどんなに精密な電流計でも測定できなくなる時間(それでも極めて短い時間)で0になると解釈されます。この現象も、『仕事』0の問題も、0に収束する量の数学的な極限を物理学的に解釈しなければならない点は同じです。そういう点から見ると、『仕事』の問題で『仕事』が0だと認めるか否かは、電気回路のスイッチを切ったときの電流が0になることを認めるか否か、に相当します。『仕事』0を認めたくない人でも電流0は認めるのが普通(電流0も認めないトンデモ系の人はいるかもしれませんが)なので、同じタイプの現象なのに一方の0は認めず他方の0は認めることになってしまい、物理学の整合性に抵触するという次第です。

このように、物理学でも数学でも(まともな「文法」でも、と私は「文法」の話に関連させたいわけですが)、理論の整合性を保つことは理論的にも応用的にも生命線であると思います。学習者は、初めは納得しにくいことでも、理論全体の整合性を知るようになると納得しにくくも少しずつ理解していくものなのではないかと思います。(もっとも、全体の整合性に照らし合わせることが一般に大変であったり、最先端では研究者自身が学習者なので整合的に理解できないことが少なくなかったりということが少なくないことは付け加えておかなければならないでしょう。)

69ニャンコヴィッチ★:2009/12/05(土) 10:14:32 ID:???0
算数Kさんへ

---
>私が「極端な場合」すなわち荷物がすでに「スーッと滑っていく」場合を考え たのは、あくまで問題の『仕事』が0であることを確認するために問題の条件を少し変えてしまう思考実験でした。問題の周辺も含めて考えるというのは物理学や数学ではよくある手法です。(話の流れ>>60から『動かす』に「動かす必要がない」場合も含めてしまうのは習い性かもしれませんね。)惑わすつもりはなかったのですが、説明不足でお気に障ったのならゴメンナサイ、悪しからず。
---

確かに、「物理学や数学」では「極端な場合」も考えなければいけません。というか、説明できなければいけません。
ですが、算数Kさんの「極端な場合」は、
「滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を100メートル動かしたときの『仕事』は」
という設問に含めるには、かなり無理があります。

---
>さて、もともとの問題の条件は「極端な場合で"ない"場合」すなわち荷物が止まっている場合と解釈するのが普通です。この場合、ニャンコヴィッチさんもおわかりかと思いますが、髪の毛1本が荷物に触れる『力』でも問題の『仕事』はできます。その1/10の『力』でも、1/100の『力』でも、1/1000の『力』でも、・・・、できます。どんなに小さい『力』よりも小さい『力』で問題の『仕事』ができるわけです。どんな正の量より小さい非負の量は数学的に0です。したがって>>63に書いた通り通常の(トンデモ系でない)物理学では「無限小量は無視され」「荷物を水平方向に動かす『力』も0」と解釈され、『仕事』も0になるというわけです。
---

ちょっと、気になったのですが、
算数Kさんは、『仕事』=『力』×『距離』の(『力』はいいとして)『距離』は何の距離と考えてらっしゃいます?
つまり「滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を100メートル動かしたときの『仕事』は…」の「100メートル」とはなにを指してます?


=====
私は算数Kさんにはもう長い間色々お世話になってますし、ちゃんとした知識や考え方を持ってらしゃるので、尊敬してますし、それに人間的にも好きですよ。
でも、今回の件は、たとえ議論の本筋に関係なくても、いただけないです。
私の「お気に障った」とかそういう問題ではなく、

「滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を100メートル動かしたときの『仕事』は物理学的には0」

これ↑を見ただけで、
算数Kさんの「極端な場合」の「思考実験」ができない(この設問からは、できなくて当然ですが)学生さんや一般の方が、
「摩擦のない床の上では重いものを動かしても、物理学的な『仕事』は0なんだ」
と鵜呑みにしたら、確かに自分で考えたり、調べたりしない側にも責任がありますが、算数Kさんの責任でもあるんですよ。

算数Kさん、今一度確認させてください。
「滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を動かしたときの『仕事』は物理学的には0」
ではなく
「滑らかで水平な床の上でも100キロの荷物を動かしたときの『仕事』は物理学的には0ではない」
ですよね。

70算数K★:2009/12/05(土) 15:59:16 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>69

・確かに、「スーッと滑っていく」場合も「極端な場合」と表現してしまったのは、そういう場合も「極端な場合」に含めて考えてしまう私の「習い性」とはいえ、理解していただくには無理があったかもしれませんね。

・「100メートル」とは、問題設定の「滑らかで水平な床の上」で、荷物がはじめにあった地点から荷物を移動した地点までの水平距離が100メートル、というつもりでした。

・確認の件ですが、こういう表現ならよろしいでしょうか?「摩擦のない水平な床の上で、地点Aにあった100キロの荷物を、地点Aから100メートル離れた同じ床の上の地点Bに、重力のみに抗して動かしたとき、この荷物を動かすのに要した『仕事』は物理学的には0」。「ではない」は要りません。また、こう表現したら「極端な場合」を含めて考えた私のキモチがおわかりになるでしょうか?「摩擦のない水平な床の上で、地点Aにあった100キロの荷物が、地点Aから100メートル離れた同じ床の上の地点Bに、重力のみに抗して動いたとき、この荷物が受けた『仕事』は物理学的には0」。(当初>>60の意図は、日常的な感覚では「仕事」が0でないと思いがちだが物理学的には『仕事』が0であるような現象がある、ということでした。それさえ認めていただけたら十分だったのですが。。。)

71算数K★:2009/12/05(土) 20:39:56 ID:???0
あっ!>>70↑の3番目の「・」ですが、「ただし、動かす[動く]前後で、この荷物の床に対する速度は変わらなかった(地点Aで静止なら地点Bでも静止)とする」としてください、念のため。どうも暗黙の了解を書くのに意識的になれず忘れてしまうようです。スミマセヌ。

72ニャンコヴィッチ★:2009/12/06(日) 15:50:27 ID:???0
算数Kさんへ

---
「摩擦のない水平な床の上で、地点Aにあった100キロの荷物を、地点Aから100メートル離れた同じ床の上の地点Bに、重力のみに抗して動かしたとき、この荷物を動かすのに要した『仕事』は物理学的には0」。「ではない」は要りません。また、こう表現したら「極端な場合」を含めて考えた私のキモチがおわかりになるでしょうか?「摩擦のない水平な床の上で、地点Aにあった100キロの荷物が、地点Aから100メートル離れた同じ床の上の地点Bに、重力のみに抗して動いたとき、この荷物が受けた『仕事』は物理学的には0」。

「ただし、動かす[動く]前後で、この荷物の床に対する速度は変わらなかった(地点Aで静止なら地点Bでも静止)とする」としてください、念のため。どうも暗黙の了解(※)を書くのに意識的になれず忘れてしまうようです。
---

「摩擦のない水平な床の上で、地点Aにあった100キロの荷物[を/が]、地点Aから離れた地点Bに[動かし/動いた]とき、この荷物[を/が][動かす/動く]のに要した『仕事』は物理学的には0である。ただし、地点Aと地点Bでの速度(0も含む)は同じ場合に限る」

確かに、これなら問題ありません。
が、これってかなり「限ら」れた場合であって、算数Kさんのいう「極端な場合」ではないんですか。
以前、
---
>さて、もともとの問題の条件は「極端な場合で"ない"場合」すなわち荷物が止まっている場合と解釈するのが普通です。この場合、髪の毛1本が荷物に触れる『力』でも問題の『仕事』はできます。その1/10の『力』でも、1/100の『力』でも・・・できます。どんなに小さい『力』よりも小さい『力』で問題の『仕事』ができるわけです。どんな正の量より小さい非負の量は数学的に0です。したがって>>63に書いた通り通常の(トンデモ系でない)物理学では「無限小量は無視され」「荷物を水平方向に動かす『力』も0」と解釈され、『仕事』も0になるというわけです。
---
と発言されてます。
「この場合、髪の毛1本…物理学では、無限小量は無視され、荷物を水平方向に動かす『力』も0と解釈され、『仕事』も0になるというわけです。」
というところでなにかを説明されているようですが、私にもわかるように、まずは「極端な場合で"ない"場合」を明確にして設定して頂けないでしょうか。

===
あるいは、そうではなく、

「摩擦のない水平な床の上で、地点Aにあった100キロの荷物を、地点Aから100メートル離れた同じ床の上の地点Bに、重力のみに抗して動かしたとき、この荷物を動かすのに要した『仕事』は物理学的には0」



「摩擦のない水平な床の上で、地点Aにあった100キロの荷物[を/が]、地点Aから離れた地点Bに[動かし/動いた]とき、この荷物[を/が][動かす/動く]のに要した『仕事』は物理学的には0である。ただし、地点Aと地点Bでの速度(0も含む)は同じ場合に限る」

と、イコールで、それが極端な場合も極端でない場合も含んでいるおつもりだったなら、算数Kさんの説明能力に問題があり、算数Kさんに

>これは中学の理科の先生でもうっかりしてしまう有名な問題なのですが、ご存知ありませんでしたか?

という資格はなかったということです。

(※)「動かす[動く]前後で…速度は変わらなかった」のような、結果が分枝してしまう(誤差が発生する、ではありません)条件設定は「暗黙の了解」とはいいません。
今回の件で「暗黙の了解」といえるのは「空気抵抗を無視する」といったようなことです。

73算数K★:2009/12/06(日) 18:56:46 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>72

・まず、「極端な場合」(>>65〜)について。もともと>>60の「滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を100m動かしたときの『仕事』は物理学的には0」は、「摩擦のない水平な床の上で、地点Aで静止していた100キロの荷物を、地点Aから100メートル離れた同じ床の上の地点Bに静止するように、重力のみに抗して動かしたとき、この荷物を動かすのに要した『仕事』は物理学的には0」というつもりでした。(それで、ニャンコヴィッチさんの「この場合、『仕事』は物理学的にも0ではありません。 」>>61というご発言はこの「普通」の解釈によるものと思ってしまったのですが、違ったのでしょうか?)それを私の「習い性」(>>68〜)で「地点Aと地点Bでの荷物の床に対する速度が同じ」場合に拡張して考え、同じ結果を生む様々な「動かし方」のうち「動かさない場合」を「極端な場合」としました。>>70>>71では様々な場合をまとめて書きましたが、すべてが「極端な場合」のつもりではありません。>>68の「極端な場合で"ない"場合」は「動かす場合」のうち最初の「地点Aと地点Bで荷物が床に対して静止する」場合に戻って説明しようとしました。

・次に、>>68の「髪の毛1本〜」は件の理科の先生にうかがった話を私なりにアレンジしたものですが、「『仕事』0」の説明としては次の段落と次の次の段落を言いたいがための私のミスリードでしたね、すみません。うかがった話は先生が研修か何かで仕入れて来られた説明だったと思いますが、おそらく「トータルの『仕事』が0」という高校生向けの説明が困難な中学生を対象に「『仕事』0」の説明を『力』×『距離』の「『力』0」の説明に落とし込もうというアイデアだったのではないかと思います。それで、私も拝借してしまったという次第です。

・最後に、書き込みに対してのご指摘なら構いませんが、たとえ仮定の上でも「説明能力に問題」や「資格はなかった」という能力や人格に対しての表現は、この掲示板にふさわしくないと思いますので、やめていただけませんか?私には当てはまるかもしれませんが、他の方がこの掲示板に書き込むのを控えてしまうことがないように。

74ニャンコヴィッチ★:2009/12/07(月) 12:58:48 ID:???0
算数Kさんへ

とりあえず…

>最後に、書き込みに対してのご指摘なら構いませんが、たとえ仮定の上でも「説明能力に問題」や「資格はなかった」という能力や人格に対しての表現は、この掲示板にふさわしくないと思いますので、やめていただけませんか?私には当てはまるかもしれませんが、他の方がこの掲示板に書き込むのを控えてしまうことがないように。

確かにそうです。ごめんなさい。やめます。
でも、

>これは中学の理科の先生でもうっかりしてしまう有名な問題なのですが、ご存知ありませんでしたか?

こんな発言は、たとえこの時点で算数Kさんに自分に落ち度はない自信があったとしても、すべきではありません。
算数Kさんにそのつもりがないのは、私なら重々承知ですが、傍からは人を小馬鹿にしているようにしか見えませんよ。
それに、私に対する謝罪は受けましたが、算数Kさんが書かれてすぐに、中学の理科の先生がこの発言を読んでいたとしたら、当然「「理科の先生でもうっかりしてしまう」というのは私が中学時代に直接この話をうかがった理科の先生ご自身の体験談でした。」など知る由もありませんから、「おいおい、中学の理科の先生なんて所詮…、ってことか?」と受け取られていたとしても仕方ないと思います。

(「仕事」については、例のごとく週末にコメントさせてください。)

75算数K★:2009/12/07(月) 13:53:34 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>74

・「とりあえず…」には、安心しました。

・「これは中学の理科の先生でもうっかりしてしまう有名な問題なのですが」という発言ですが、確かに「これは中学の理科の先生でもうっかりしてしまうことがある有名な問題だそうですが」などとすればよかったでしょうか。うかつでしたね。失礼しました。念のため付け加えたいと思いますが、ここで「うっかり」してしまうのは、0を0でないとしてしまうのではなく、重力の作用の方向を見ずに機械的に100×100キログラム重メートルとしてしまう単純ミスだそうです。しかも、これは中学生向けという意味で「有名な問題」なのではなく、中学の先生が教える際に戒めとすべきという意味で(中学生に解説することもある)「有名な問題」なのだそうです。

・「「仕事」については」は了解です。ごゆっくりどうぞ。>>73の1番目の段落の「?」こそ齟齬の原因だったような気がしています。(こういう齟齬は学生や同僚とのやり取りでは日常茶飯事ですが、すぐに「な〜んだ、それでは話が合わないはず」と解決しにくい掲示板では疑心暗鬼が増幅されがちですから、お互い気をつけたいものです。)

76ニャンコヴィッチ★:2009/12/09(水) 12:51:32 ID:???0
算数Kさん、

続きは新しいスレッド(番外編:物理のお「仕事」)でやり取りするようにしませんか。長々とすいません。

(管理人さん、皆さん、これも学習の一環として御容赦いただけないでしょうか?
もしも邪魔でしたらすぐに「掲示板」に移動しますので、おっしゃってください)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板