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look for の訳について

28ニャンコヴィッチ★:2009/11/17(火) 12:49:11 ID:???0
110さんへ

>誤解を招いているような気がします。

これは、私が誤解している、という意味でしょうか。
もしそうなら、110さんがそれ以降に書かれているイメージは理解してます。

[東京](^o^)-------------->[London]  I'm going to go to London.

私は、こんな↑絵も描いてますよね。[London]に繋がってます。
繰り返しますが、私が言いたいのは「to」「for」のイメージの違いとして、「到達していない/している」に重点を置くと、ただ混乱を招くだけだと言うことです。

大西先生が、もし、「ハートで感じる英文法」のP48で、『to』の例として、「I went to London.」でなく「I'm going to go to London.」を使われていたら、「toはロンドンに到着していますね」とは書けませんよね。
110さんなら、その場合、「toは、イメージの上では、ロンドンに到着していますね」と書かれるのでしょうか。
そうすると、それを読んだ人は、「「イメージの上での到着地」=「目的地」。「I left for London.」の「London」って「目的地」。それなら、どうして『for』じゃだめなの?」ってなことになると思いませんか?
要は『for』も「到達」のイメージと無縁ではないということです。

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算数Kさんへ

>「B時『まで』働いた」、「B時『まで』働こう」や「B地点『まで』行った」、「B地点『まで』行くつもり」に共通する
『まで』のイメージは「Bに矢印がタッチ」、「Bに『到達』」で問題ないと思います。
(終点Bが含まれるか含まれないかは日本語でも英語でも微妙な問題で、文脈によります。)
『到達』という言葉がしっくりこないなら『目的』と言い替えても結構です。
しかし、「Bに至る道がある程度見えている」では「B『まで』」の説明にはならないのではないかと思います。

私も、『to』に『まで』が含まれる、とは思っています。、
それで、『まで』に限定してみても、算数Kさんが挙げられたどの例(↓)でも「それに至る道がある程度見えて」いませんか?

>「B時『まで』働いた」、「B時『まで』働こう」や「B地点『まで』行った」、「B地点『まで』行くつもり」

それに、完全に『to』=『まで』なら話は簡単ですが、

His house looks to the East.(彼の家は東向きだ.)

この場合↑は、『to』=『まで』=「Bに『到達』」でしょうか?
(家の正面から東へ伸びる線はみえると思いませんか?)
算数Kさんは「終点Bが含まれるか含まれないかは日本語でも英語でも微妙な問題で、文脈によります。」とおっしゃってますが、「終点(到達点)を含まないけど到達している」とはいったいどんなイメージでしょうか。
私は、上で110さんに『for』について言ったこととあわせて、こういう『到達』を使うことによる混乱は避けるべきだ、と言っているのです。

>文の現実性や時制を捨象し『まで』のみを抽出して説明するのが「文法」なのですから、説明が現実性や時制に左右されたら「文法」になりません。

これにはまったく同意できません。
(それに、「終点Bが含まれるか含まれないかは日本語でも英語でも微妙な問題で、文脈によります。」という算数Kさん自身の発言にも矛盾してます)
現実性に左右されるのは、「文法」のほうです。
日本語でも、英語でも。
法律で窃盗が犯罪とされたから、人は物を盗まれたら怒るようになったのではありません。
楽譜が考案されてから、人は演奏できたり歌えるようになったのではありません。
元素記号や化学反応式を適当に考案したら、それにあわせて現実に新しい元素が出現したり新しい化学反応が起こるのではありません。
まず、現実ありき。
「ハートで感じる」とは、「常に「現実性」即する。「現実性」から遊離しちゃだめ」ってことではないでしょうか。


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