そもそもtoの説明に"I'm going to go to London."を持ってくれば私が書いているような
もっとその他の文法事項イメージを考慮したイメージの足し算を行わなければならないので
大西先生もそんな英文をいきなりtoの理解を深めるための例文として持ってくるようなことはしないでしょう。
going toのtoもto Londonのtoも同じtoです。
そしてtoだけではなく文法のイメージをきちんと理解していないと英文の正しい
理解はできないのではないですか?全ての足し算となるからです。
go to Londonは原形であり、一般的な事柄という意味を持ちます。
漠然とした一般的な事柄であるから現実に到達、非到達なんて話を論じること自体変です。
ただの、"ロンドンに行く、とゆーーこと"ですよ。この文、ロンドンに実際に行ったんですか?
イメージは>>30に書いてあるとおり、ただのtoです。
私の中ではその2つは全く同じイメージです。なんで分ける必用があるのでしょうか。
イメージから意味が生成される。それだけのことかと思います。
生成された文の意味から到達、非到達があやふやだからイメージの到達と言う表現を避けるべき、
到達しているかは微妙。なんだか話が変であると感じています。
到達したイメージがなければその意味は生じないかもしれませんね。
イメージ上のtoは確実に対象にタッチし、到達し指し示していると感じています。
to Fridayに関しても難しいことはないでしょう。
指し示している対象がFriday(0:00〜23:59)という幅のある期間であるからそこから生成される
意味に前日中?金曜日中?という疑問が生じているだけかと思います。
といいますかそうなるのは当然である曖昧表現のイメージであると考えています。
日本語でも同じですね。
His house looks to the East.
これも同じで、彼の家は目を向けています、東の方角、風景情景に到達し指し示し、見ています。
到達しているからこそその目に浮かんでいる風景を見ています。
東を向けばその風景が目に飛び込んできます。それが到達のイメージであると感じています。
lookはただの目を向ける動作ですからね。