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look for の訳について

60算数K★:2009/12/03(木) 09:24:45 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>53

「文法」と「実例」に分けて考えると、私が「文法」に重心を置いて話をしているのに対し、ニャンコヴィッチさんは「実例」に重心を置いて話をされているように思われます。(違ったらごめんなさい。)あえて単純化すると、私が「「文法」としては『到達』もOK」、ニャンコヴィッチさんが「「実例」から見ると『到達』は不適切」という感じの構図です。やり取りの齟齬を解消するためには、私は>>31のように「文法とは何か」という話を繰り返さなくてはなりません。(もう「消化」>>36されたと思ったのですが…。)

「文法」などの理論の用語と日常語の違い。ニャンコヴィッチさんもお好きな、かのファインマンも学生時代に物理学では日常語を変な意味で使うと思っていたそうです。例えば物理学でいう『仕事』。(こういう違いを示唆するつもりで、>>52では「文法用語に(物理用語の『力』のように)こだわらなければ」と書きました。)滑らかで水平な床の上を100キロの荷物を100m?動かしたときの『仕事』は物理学的には0(「滑らか」なので『力』が要らないと解釈される)ですが、日常語的な「仕事」をしないのに『仕事』というのは違和感があるかもしれません。例えば数学でいう『傾き』。水平な床の『傾き』は数学的には0ですが、日常語的な「傾き」がないのに『傾き』というのは違和感があるかもしれません。しかし、『仕事』にしろ『傾き』にしろ、二重括弧の理論の用語は一重括弧の日常語からの違和感をよそに、理論の内部では一貫性、整合性、簡潔性があり問題は全くありません。

大西先生も「文法」について説明するとき consistency に気を遣っているそうです。有名な「不定詞は『漠然』、動名詞は『躍動感』」にしても、実際には違いがほとんどない場合がありますが、 consistency に気を遣い微妙なニュアンスにも「不定詞は『漠然』、動名詞は『躍動感』」という違いがあると説明されます。日常語的な「漠然」と「躍動感」の違いがほとんどない実例があるという理由から「不適切」ということにはならず、「文法」の内部では consistency から『漠然』と『躍動感』で「OK」なのです。

私は「「文法」用語としては『到達』もOK」、実例には日常語の「到達」とは微妙に異なる場合もあることを考慮し臨機応変に対応すればよい、と考えます。ニャンコヴィッチさんも、物理学用語の『仕事』を日常語の「仕事」と切り離して理解するように、「文法」用語としての『到達』を日常語の「到達」と切り離して理解されれば、私の考えにも「ある程度」同意してくださるのではないかと思っています。(両者の抽象的/具体的という違いが「学習者の「混乱を招く」かもしれないことについては同意し」ています、最初>>26から私は。)そして、もし『到達』に代わる用語をご提案されるなら、「文法」としての一貫性、整合性、簡潔性を考慮していただけませんか。「ハートで感じる英文法会話編スペシャル」で Chris 先生が大西先生との会話で「前置詞の to も不定詞の to も『指す』で同じ」と説明されていたように。


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