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look for の訳について

31算数K★:2009/11/17(火) 21:19:14 ID:???0
ニャンコヴィッチさん>>28>>29。どうやら、私の説明不足のせいで、混乱させてしまったようですね。舌足らずですみません。私の意図が伝わらなかったと思われる3箇所について補足説明させていただきたいと思います。

◎まず、『まで』は『to』とかぶる部分が大きいので、「文法」とは何かということについて、たとえとして説明しやすいと思って取り上げただけです。あくまで『to』自体の説明ではなく微妙にズレますので、くれぐれも同一視しないようにお願いします。

◎私は、『まで』は「終点(到達点)を含まないけど到達している」>>28と言いたかったのではなく、『まで』の「文法」説明と実際の意味に分けて考えると、『まで』の「文法」説明は矢印が終点に『タッチ』もしくは『到達』でOK、『まで』の実際の意味に終点が含まれるかどうかは文脈によるので「文法」としては語れない、ということです。以前にも http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2006/06/post_120.html を引用して書き込んだことですが、例えば「金曜まで」「to Friday」と言うとき、どちらも「文法」説明としては「矢印が終点に『タッチ』」ですが、意味の上では、日本語では金曜を含む文脈が多いのに対し英語では Friday を含まない文脈が多いので、個別の文脈の意味による終点の包含性は一般の「文法」としては語れないということなのです。「文法」として語れる一般とそうでない個別を分けて考えると当たり前のことですが、両者を分けないと確かに矛盾してしまいますね。

◎私が使った「現実性」とは、あくまで個別の文の意味において現実に『到達』したかどうかということであって、言葉という現象の「現実性」のことではありません。「文法」とは言葉という現象の法則ですから、言葉の「現実性」に即することは当然です;しかし同時に、「文法」とは言葉の法則ですから、個別の文の意味に左右される説明であってはならず、一般に当てはまる説明でなければならないわけです。したがって、「〜に至る道がある程度見えている」>>24は少なくとも私には一般論としての説明とは思われず、「文法」の説明としてはどうかと疑問に思ったという次第です。例えば、 http://www.englishforums.com/English/DifferenceBetweenToAndFor/ccmkc/post.htm の「TO VERBS」「FOR VERBS」などをながめて、意味上の「現実性」でなく法則としての一般性を抽出しようとすれば、「終点をピタッと指し示す TO」「話題の点から終点に意識が向かうだけの FOR」というコントラストが感じられ、『到達する/しない』も「文法」説明としては(用語選択として適切かどうかは措くとして)悪くないと思っていただけるのではないかと考えます。そういうコントラストを際立たせたかったからこそ大西先生は過去の文を例文にしたのだと推察します。・・・いかがでしょうか?


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