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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
1
:
り
:2025/10/11(土) 16:41:29 ID:xSAuVLWc0
私はこのサイトの存在は知ってるけど願望実現?系に特化したサイトだと思ってました。
久しぶりになぜかのぞいたら、真理系のスレもあったので、真理探求に興味ある人もいるのでは?と勝手に理解してスレ立ててみました。
この手のサイトのルールに疎いので、見当違いor邪魔だったらスルーしてください。
私も昔、願望実現、潜在意識、などの流れから、
じゃあ真理とはなんなんだ?と悟り系に流れて探求してきた者です。かなり地獄も味わいましたw
一応こんな自己紹介です。
ある程度放置してみて、レスつかなかったら、消えますw
446
:
り改め りょうせい
:2025/11/30(日) 12:32:17 ID:6HBHTTIc0
>>439
おっしゃる通りです。
ある意味、本当に真理探求の直接的な知識が開き始めるのは、まさにその地点からかもしれません。
エゴが自分の、(ある意味で)愚かさを、
直視し外側の責任にしてきた構造を見抜き、
「これは夢のドラマを本気で信じ込んでいただけだった」と理解する。
そこに至ること自体が恩寵であり、祝福であり、そして厳しい浄化のプロセスに耐え抜いた者だけの気づきです。
447
:
幸せな名無しさん
:2025/11/30(日) 23:21:36 ID:FdQYoOu20
最近こちらのスレッドを読むのが楽しいです!りょうせいさん、皆さん、ありがとうございます。
今私は、その時その時の自分(個)に最適なものが用意されているという感覚が強いです。
このような掲示板の書き込みに興味を持ったり、書き込みをしたりすることも。何かしらに後押しされている感覚がずっとあります。
全てが恩寵なのだと少しでも感じられると、エゴで嫌がっていたあれやこれやをも微笑ましく見守る視点が、微かかもしれないが確実にあると感じます。
特に質問があるわけではないのですが、今のこの感覚をこのスレッドに書き留めておきたくなりました。
448
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 06:08:27 ID:0krOS45w0
>>440
詳しくありがとうございます、真理系の勉強にもなりますね
結局これに方法も関係もないんだけど色々ある中からやりたいことやるしかないって感じでしょうかね
やってることと言えば自己観察(思考観察?)とか瞑想の時間を設けるですかね
あとエゴとエゴ以外って何だろうと考えるとか 本当の私とは何かと考えるとか
書いてある中だとアドヴァイタが近そうですね
あとここでりょうせいさん(真の)の文を読んだりやり取りすることにも期待感があるかも
449
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 10:27:22 ID:bP0USNok0
>>424
>レッスンが始まる
ええ、試されます。疑いが強まり全部否定していた時も、頭の片隅では試されてるのかという理解はありました。
なんだかんだで今はかなり楽になっています。ただ他のことで誤魔化した部分もあるのか深層では残ってるようで、夢の中で出てくることがある。
実現させないといけないことかもしれません。これに関しては自分から動く気はさらさらなくて、起きてほしいような起きてほしくないような、起こるんなら起こるんでしょ、というスタンスです。
そうは言っても、真の私はそんなあれこれに縛られてはいない、問題など始めからない。
しかしストンと落ちて定まることはない。で、原因は?となってループにはまる。そこで祈りが起こる。
こんな感じです。
>>440
の話、私も統合か交互タイプですね。
最初に直接知識と強いバクティが起こり、しだいにバクティは弱くなっていきました。
でも智慧の道(直接知識)も最後は明け渡し(バクティ、「それ」を想い全託する、祈る)で最終決着する予感がある。
知識も明け渡しも、その他瞑想などどんな修練も「それ」の目前で終わる時は同じことになっている。
ただ静かに在る時は、知識も明け渡しも瞑想も祈りも全部同じです。
同じではあるが、最後は辿ってきた道自体が超えられない壁になる。
ラーマクリシュナはバクティでは決着せず、最後は識別を授からなければならなかった。
一つの道だけではいけないと思いますが、どうなんでしょうか?
最後に道からジャンプして離れる瞬間は語れない領域の恩寵ですかね。
>>438
>>439
は両方とも私です。
カルマの話の流れで段階の違う過去の記憶が出てきたようで、書いてしまいました。なんかキャラも少し変わってます。
混乱状態の間に失った知識や気づきが、書くことによって戻ってくるようです。それが良いのか悪いのか、書いた直後は後悔しました。
先ほどの話のように、得た知識気づきの記憶を失うのは祝福なのでしょうか?
p.s.
しかし、もう完全に願望実現の話とは離れてしまいました。
探求の道に入ろうとしている方にはぶっ飛びすぎていて、変な人が訳分からんこと言ってると思うでしょう。
なんか不思議で面白そうくらいに思ってもらえるとありがたい。
450
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 15:01:35 ID:rOulcmJI0
>>443
ありがとうございます。
>「根深い想念や、潜在的な傾向」をしっかり見ていくテーマ
↑そう思います。沢山の観念が貼り付いていて身動きが取れません。
絵と言っても、そんなすごいものを目指しているわけではなく(そもそもすごいものなんて描けない)
ちょっとしたもの、何かそれが描いてあるとホッと和むような、そんな感じの
楽しく気軽に描けて、絵に楽しい気持ちを込められて、見た人が少しだけホッとしたり
和んでくれたりしたら嬉しいなあ、というその程度のものです。ただ肝心の「楽しく描く」が
出来なくて、気持ちも乗らなくて、抜け殻みたいなものしか出来なくて、それが嫌で
今は描くのをストップしている状態です。
大きな私には輪郭がない。愛にも輪郭はない。個の私には輪郭がある。
個の輪郭=エゴのような気がしました。なので輪郭を消して大きな私に触れてみたら
個の私の中に大きな私が入ってくるような感覚になりました。
>>440
に書かれていた、2. 明け渡しタイプの中の
>「私を燃やしてください」みたいな陶酔
>純愛型タイプの道
↑これ良いですね〜!強く惹かれます。大きな私くんor大きな私ちゃんに
メロメロになって溶かされたいです。あなたはコーヒー私はミルク、溶けあうふたり
って頭沸いてるじゃないですかー!?コーヒー飲むなら沸かすのはお湯だっ!笑
451
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 15:35:58 ID:dqO9v4aA0
カルマの質問をした者です。
こういう探究を始め、また深めると、知ったわたしが出てきてしまいます。
心のどこかで無意識のうちに他人を見下してしまってるんじゃないかって感じるんです。「そうじゃないよ〜」とか思ってる瞬間に気づいて自己嫌悪というか。。
分離していることに気づいて都度修正していくようにしているのですが、こういう時はどうすればよいでしょうか?
452
:
幸せな名無しさん
:2025/12/01(月) 19:32:59 ID:oFQTBAsY0
>>451
あなたの言う探求が心理観察(エゴによるエゴの観察)であれば、エゴが付いて回るのも分離感も当然です。
しかし心理観察は真理探求のための大切な土台になる。
これをやり切ろうとするなら非常にきつく苦しい。私はそうでした。
エゴの世界の苛烈さを味わい尽くした子供時代、20代での苦しい心理観察は、大きな宝となった。
エゴの構造を徹底して見破れば、「私」の正体を突き止める真理探求に入ってから楽に進歩するし、得られる恩寵も大きい。
分離感で苦しむほどやり切ったのなら、真理探求に入る準備が整ったということだと思います。
エゴの中身を調べるのではなく、「私」という感覚は一体何なのかを突き止めることです
私はあなたのような状態から真理探求に入るまでの間は、3年ほど好きなことやって思いっきり楽しみましたね。
それでエネルギーが充電されてから自然と真理探求に入った。まずは真理系の本を読むことと瞑想でしたね。
苦しみながらじゃなく、ワクワクしながらでしたよ。
焦燥感で何をすればと悩まず、ひとまずボケーっとして楽になり、したいことが出てくればなんでもいいと思います。
453
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 00:34:54 ID:Y9lz6.oM0
悟りを得た者は因果やカルマがわかるとか?
実際りょうせいさんは相当な洞察力を持ってそれらを語っているように思えます
>>451
>>分離していることに気づいて都度修正していくようにしているのですが
それでいいんですよ。435の人かな?情報の価値って「恐れ」なんですよ
ニュースで可愛い動物のニュースしか流れなくなったら困るじゃないですかw
454
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 02:04:59 ID:ErSnlWAY0
りょうせいさんに質問です。
どうしても許せないこと、受け入れられないことにはどう向き合えば良いでしょうか。
例えば、親のこと。
こんな親の下で生まれたくなかったと思います。
憎んでいます。何十年も、感じきっても消えません。
455
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 15:51:57 ID:yfC47Eig0
>>452
お返事ありがとうございます。
他者を否定するような声が出てきたら気づいて観察に入る感じです。
自己顕示欲のようなものがまだあるようでそれにいつも足を引っ張られるような気がします。
エゴの中身を調べるのではなく、私という感覚は一体何なのか
とてもいいヒントになりました。
ワクワクしながら。とりあえず力を抜いて楽になろうと思います。ありがとうございます!
456
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 15:55:04 ID:yfC47Eig0
>>453
お返事ありがとうございます。
はい、435です!
ニュースで可愛い動物のニュースばかりが流れることを無意識に希望していたようです笑
はぁ〜。何かを恐れているのかな。。
でも、それでいいんですよと言っていただき嬉しかったです(^^)
457
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:18:20 ID:nQcRHfoo0
>>447
ありがとうございます。お気持ち嬉しいです。
>今私は、その時その時の自分(個)に最適なものが用意されているという感覚が強いです。
→ まさしくその通りですね。
>このような掲示板の書き込みに興味を持ったり、書き込みをしたりすることも。何かしらに後押しされている感覚がずっとあります。
→ はい。それは、あなたの内側で準備が水面下で進んでいたからです。悟り・覚醒・目覚めの方向へ心が開かれていないと、そもそもその「後押しのような気配」は生じません。すでに内部のプロセスが動き始めていた証拠です。
>全てが恩寵なのだと少しでも感じられると、エゴで嫌がっていたあれやこれやをも微笑ましく見守る視点が、微かかもしれないが確実にあると感じます。
→ そうですね。恩寵は、世界やすべての存在を常に世話しています。もちろん、恩寵は人格的な存在ではありません。感謝した分だけ見返りをくれるわけでもなく、反抗したからといって見捨てるようなこともありません。
これはつまり、真のあなたの本質が「完全に無条件である」ということです。
そこには条件づけや損得の概念が最初から存在していません。
この無条件性というものは、条件づけが当たり前の私たち個の視点や世界の一般常識からすると、全員が「まさか!!ありえない!!」と、驚愕するほど異質なものです。笑
そして私たち(エゴ側)が「恩寵という流れが常に働いている」という事実を理解し始めると、それだけでエゴの持つ原初的な罪悪感・恐れ・思い込みが少しずつ溶けていきます。
そのとき、内側では少しずつ次のような変化が起きてきます。
・重さや深刻さがゆるんでいく
・世界や人生への不信が薄まる
・過去のわだかまりが少しずつ癒えていく
・真理探求への誤解や抵抗が弱まる
・また、真理を知ることは破滅の道ではなく、自由への道なのかもしれないと感じ始める
その結果、一見地獄にしか見えなかったものの背景に、ずっと天国の下地が流れていたのだと分かり始めます。もちろんこれらはゆっくりと時間をかけて消化されていきます。
恩寵の存在を知り、それを信頼し、理解が深まっていくにつれ、あなたの内側では、ポジティブ/ネガティブを超えた意味でのあらゆるものとの和解が、ゆっくりと静かに進んでいきます。
>「楽しい!」
→あなたのその感覚。これがなにより大切です。実のところ真理探求者たちは、なぜ探求してるかというと・・
超絶大変なときもあるけど、その何倍も理屈を超えて「楽しい」からなんですよ。笑
魂の喜びというか、深いところで整合性がとれるというか、言葉にできないスッキリ感、聖なる陶酔、不思議なエクスタシーのようなものが水面下で流れるわけです。笑(もちろん、怪しくない安全なやつね)
あなたの中で起きている変化は、とても自然で正しい方向ですよ。ぜひその方向の流れに乗っていってくださいね。
458
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:27:09 ID:nQcRHfoo0
>>448
良かったです。あくまで参考程度で大丈夫ですよ。私も、宗教や哲学を体系的に研究してきたわけではなく、あくまで「自分の探求に役立つもの」だけを拾ってきただけです。
だから、みなさんに「世界の宗教や哲学を全部学びましょう」と言いたいわけではありません。むしろ大事なのは、
・人類史の中で、確かに真理探求者はずっと存在してきた
・実現者たちも実在した
・「探求と実現」は絵空事や妄想ではなく、リアルに起こる出来事である
という事実なんです。
そして、一見真逆に見えるアプローチでも、最終地点ではすべて統合されること。
個の気質によって向き不向きがあって当然で、向いてないことに落ち込む必要はまったくないということ。そして、最終的には、なんであれ、すべてはただ起こります。笑
>結局これに方法も関係もないんだけど色々ある中からやりたいことやるしかないって感じでしょうかね…
→ まず、瞑想ができる方は、瞑想のルートで純粋意識を直接知る流れで全然OKです。
瞑想って、気質的に向いてなければ、そもそも「瞑想しよう」という発想すら人生で起きません。
瞑想のやり方・重視する点・流れの組み立てなどは、掲示板ではさすがに説明しにくいですが、いつかタイミングが揃って、希望される方が多ければ「純粋意識に直接触れる瞑想法」はどこかでお伝えします。それも、また起こるなら起こるでしょう。
それと「瞑想」と一言でいっても、明け渡しと同様に種類がめちゃくちゃ多いんです。
・悟り目的の瞑想(私がやってきたタイプ)
・潜在傾向・カルマの浄化
・感情や心の癒し(ヒーリング系)
・願望実現系(恋愛・富・人間関係修復)
・インナーチャイルド系
・チャクラ開発
・健康・集中力アップ
・ダイエット目的の瞑想。
ほんと幅広い。笑
>あとエゴとエゴ以外って何だろうと考えるとか 本当の私とは何かと考えるとか
→ その思索そのものがとても大事です。
思考や考察は、真理探求では無駄どころか、むしろ必須の土台になります。頭の理解が、いずれ直接理解へ発展していくので。
>書いてある中だとアドヴァイタが近そうですね
→ アドヴァイタは完全なる「ド直球の悟り系」です。そのぶん、思想も深淵で、体系も広大です。最初は「頭での理解」からゆっくり馴染んでいく形になるかとおもいます。
ただ、最初は聞きなれない用語だらけで難解に感じるはずです。笑
特に日本人には馴染みが薄い単語が続きます。
(インド哲学・ヒンドゥー系は、とにかく奥が深いので)
少し触れてみて、吸収するかどうかは、何か響くものがあればで構いません。ハートにどう響くか?そこの感覚的な相性の部分を大切にしてください。
また、仏教から禅が派生したように、アドヴァイタから「非二元」が派生しています。
非二元で混乱した経験がある人ほど、アドヴァイタに触れると、非二元の位置づけや全体図が見えてくるかもしれません。
>あとここでりょうせいさん(真の)の文を読んだりやり取りすることにも期待感があるかも
→ そうだといいなと私も思います。笑
私も何十年も探求しましたが、探求の前半期は「グルやガイドと接触する前の準備期間」だったように思います。
私は独覚(ひとりで完成するタイプ)ではなかったので、グルやガイドの背中押しや伝達や恩寵がなければ、到底無理でした。
感謝や愛、魂としての命の恩人・・
あらゆる言葉を総動員しても足りないほどですが、同時に、全部ひとつの中の運動にすぎないのです。 運動とはいえ、奇跡的な美しい運動ですが。
459
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:29:56 ID:nQcRHfoo0
>>449
(二回にわけます)
神々から試される、と聞くと恐ろしく聞こえるかもしれませんが、
私の言っている「神々」とは、人格を持つ存在ではなく、五つの元素的エネルギー(意識の五つの動き)を象徴的に神々と呼んでいるという意味です。つまり構図としては、五元素の運動・法則(=意識のダイナミクス)そのものをあなたが超えていくという話です。
だからこそ、霊的な実現を見守り、支え、背中を押す神々(エネルギー)恩寵、あるいは歴代の真理実現者たちの加護が大切になるわけです。マントラや祈りはその加護(=恩寵の働き)をスムーズに受け取りやすくします。
>なんだかんだで今はかなり楽になっています。
→ 良かった。
どの段階でも、DNAの螺旋のように、一段登ると必ず「作用と反作用」が起きます。プロセスは常に螺旋状に進みます。昨日理解が深まったのに、今日は疑念モード。これは反動ではありますが、進んだからこそ起きている「祝福の揺り戻し」です。落ち込む必要は本来ありません。あなたのいうように、表面的に落ち込むけど、実相としては大丈夫。YES、まさにそのとおり。
>ただ他のことで誤魔化した部分もあるのか深層では残ってるようで、夢の中で出てくることがある。
→ これは「エゴの同一化の残り滓たちが燃えている」と捉えてください。潜在的傾向が意識のスープで煮込まれ、成仏していくプロセスです。夢の方が、起きている時よりも微細で根深い想念をあらわにするので。
>実現させないといけないことかもしれません。これに関しては自分から動く気はさらさらなくて、起きてほしいような起きてほしくないような、起こるんなら起こるんでしょ、というスタンスです。
→ 今はそのスタンスがベストです。
意識の安定が予定の地点まで進めば、
個の人生テーマに関しての願いはただ自然に満たされるか、あるいは「もうどちらでもいい」という本当の意味で自由な地点に落ち着きます。
>真の私はそんなあれこれに縛られてはいない、問題など始めからない。しかしストンと落ちて定まることはない。で、原因は?となってループにはまる。そこで祈りが起こる。
→ それは時空を超える準備運動です。
時空の縛りが溶け、複数の視点を切り替えられるようになりつつあります。
これは、純粋意識の安定が深まる過程で
サードアイ(象徴としての洞察の中心)が目覚めだす運動でもあるため。そして、
そこからだんだんと、純粋意識 → 全体意識へ自然に流れていきます。
>私も統合か交互タイプですね
→ そうですね。大正解。
>ただ静かに在る時は、知識も明け渡しも瞑想も祈りも全部同じです。
→ YES。愛が極まれば自由になり、自由が極まれば愛になる。最終的にはすべてのアプローチが一つへ収束します。
>最後は辿ってきた道自体が超えられない壁になる。
→ そのとおりです。純粋意識を深める段階までは努力・熱意と比例しますが、
最後の探求者の終わりは時空を超越する領域から、因果を超えて訪れます。
ただし逆説的に、そこまで強烈に探求できている時点で、
・すでに絶対のギリギリの領域から吸引されている
・世界側の加護(恩寵)が働いている
だからこそ、「その熱量を燃やせていることが可能である」とも言えます。
また、だからこそ成熟した果実のように、ある瞬間に、ただ枝から落ちるのです。
460
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:33:06 ID:nQcRHfoo0
>>449
>ラーマクリシュナの件
→( ※これはあくまでも私の個人的な見方です。ご興味ない方は読み飛ばしてください)
ラーマクリシュナがバクティだけで決着しなかった理由の一つは、初期段階で彼は、「二元を残したままカーリーを見たい」という願いがあったためです。
ただしこれは決して彼の欠けではなく、
彼の生まれ持った使命(世界の霊性計画の一部)として起きたことでもあります。
当時のインドではバクティが衰退し、
霊性が唯物論に浸食されていた時代でした。
そのタイミングで彼が現れ、その人生物語そのものが「バクティ復活・またインドの霊的な再建の装置」として働きました。(もちろん、彼だけじゃなく弟子も関わってますが)
彼は、
・文字通り命がけで、寝食も惜しんでカーリー女神を求め続け
・あるタイミングでカーリーが目の前に実際に現れました→ 物語を霊訓的に読み解くなら、この時点で彼のエゴは完全消滅。また、純粋意識・全体意識に安定と見るのが自然です。
・のちに不二一元論の師に出会い、即座に「絶対」へジャンプ
・それだけではなく軽々と多宗教のアプローチから実現を統合
この物語の流れは圧倒的です。
これは普通の探求者の動きではあり得ません。
なので、彼は絶対意識のギリギリの地点から現れた、まるで遊戯(リーラ)的な、「それ」の化身のような存在と見るのが自然でしょう。それもたった150年ほど前のつい最近の話です。笑
つまり、
・バクティ一本で実現は可能
・智慧の道一本でも可能
・混合型も可能
あなたのいう通り、頂点付近では全部同じ性質に撹拌(かくはん)され収束される構造になります。
ラーマクシュナはあえて世界に対して、また未来に対しての霊訓の波としてそのような物語のプロセスを恩寵が起こしたわけです。
>最後に道からジャンプして離れる瞬間は語れない領域の恩寵ですかね。
→ YES。恩寵も純粋意識も非人格ですが、ある種の方向性のようなものを持っています。
しかし、ジャンプ、超越の、その領域は言葉や概念では全く表現できません。一切が成立しない領域です。あなたにジャンプが起きたら、
真理探求に関する全ての動きは自然に完全に消滅していきます。
>
>>438
>>439
は両方とも私です。
カルマの話の流れで段階の違う過去の記憶が出てきたようで、書いてしまいました。なんかキャラも少し変わってます。
→どうぞどうぞ。
キャラ変オッケーです。笑
>先ほどの話のように、得た知識気づきの記憶を失うのは祝福なのでしょうか?
→ はい。それは「記憶そのもの」ではなく
「私の」というラベルが消える現象です。
必要な記憶は残り、不要なものは透明になり、
誰のものでもない記憶になっていきます。
これは記憶に苦しめられていた私からの解放・祝福です。
>しかし、もう完全に願望実現の話とは離れてしまいました。探求の道に入ろうとしている方にはぶっ飛びすぎていて、変な人が訳分からんこと言ってると思うでしょう。
→ そのとおりです。笑
突然スレが削除されてもまったくおかしくありません。笑
しかし、これらの流れもまた、最適にただ起きています!
461
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:37:41 ID:nQcRHfoo0
>>450
>そう思います。沢山の観念が貼り付いていて身動きが取れません。
→ アニメ鑑賞が癒しの瞑想になっていて、
絵と向き合うことは今は厳しく感じるかもしれないけど、実はとても大切な通り道になっている気がします。
>絵と言っても、そんなすごいものを目指しているわけではなく〜
→ それで十分すぎるほど良いと思いますよ。
あなたの中で自然に起こる描きたいという衝動は、個の私より前にある大きな私から生まれているものです。
それに対して、
・自分を小さく見積もる
・比較してしまう
・自分を卑下する
こういったマインドが出てきたら、一度ぜんぶ大きな私に捧げてみてください。判断しているのは個の私であって、衝動の源はもっと奥にありますから。
そして、ゆっくりでいいので
・行為は起こるものか?
・個の私がコントロールしているのか?
という根本の部分も、少しずつ見ていくと良いですよ。
>ただ肝心の「楽しく描く」が
出来なくて、気持ちも乗らなくて、抜け殻みたいなものしか出来なくて、それが嫌で
今は描くのをストップしている状態です。
→ よく分かります。
真理探求も、創作も、願望実現も、どれも同じで時空という制限の中ではゆっくり進むしかありません。
始める → 続ける → 少し変化
また
始める → 続ける → 少し変化
この地味な繰り返し以外の道はないんですよね。
だからこそ、私たち個は定期的に癒しや、励ましが必要になります。恩寵の流れは常に最適に動くけれど、世界側はのんびりしている。
真の呪いとは、この「のろい」ことである。
と冗談めかして言いたくなるほど!笑
しかし、それでも、ある時、飛躍は起きるのです。
そういえば、あなたの近くに弁財天を祀っている神社やお寺はありませんか?
もしあれば、一度お参りして、絵にまつわる全部を捧げてみてください。悩みも迷いも、正直に全部渡してしまう形で。
>大きな私には輪郭がない。愛にも輪郭はない。個の私には輪郭がある。個の輪郭=エゴのような気がしました。なので輪郭を消して大きな私に触れてみたら個の私の中に大きな私が入ってくるような感覚になりました。
→ その理解、いいですね。輪郭があるからこそ、思考も物語も人生も区別や比較も成り立つ。そして輪郭が少しふわっとする時、大きな私の方が前景に出てきやすくなります。
>純愛型タイプの道
>これ良いですね〜!強く惹かれます。
→ いいですね。大きな私くんは、あなたが悩んでも動けなくても落ち込んでも、何をしても一切変わらずにただそこにいます。表向きは二元に見えても、本質的にはあなたと大きな私くんはひとつ。
千と千尋の、「千尋とハク」のような関係です。
もしあなたが真実の意味での愛に惹かれるなら、
愛は喜びや平和や癒しや明るさだけでなく、
大きな悲しみや寂しさや失敗さえも含んでいることを少しずつ知っていくといいです。
大いなる悲しみは、大いなる慈しみにつながります。だから、あなたに今起きていることに無駄はなく、意味がないものもないんです。
462
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:42:21 ID:nQcRHfoo0
>>451
探究をしていく中で「他人を見下してしまう感じ」が出てくるのは、正直に言うと、ほとんどの探究者に一度は起こる現象なので、まずそこまで自分を責めなくて大丈夫です。
なぜかというと、探究が進むというのは、
エゴの暗雲だらけの空に、少しずつ光が差してくるような流れだからです。
当然、探究者にとっては進歩を望み、退化を恐れるものです。
そして今の世界全体を見れば、
探究して目覚めの方向へ向かう人よりも、
「そっちには向かわないようにしている人」「まったく興味がない人」の方が圧倒的に多いですよね。笑
その中で、あなたの中には
・「ちゃんと目覚めの方向に進みたい」
・「無明のままではいたくない」
という志がすでにあります。
すると、エゴに眠っている人や、あまりにも無自覚に生きている人を見たとき、反面教師のような形で、
(ああはなりたくないな・・)
という気持ちが自然に立ち上がります。
それが「見下し」のような形で心に出てくることがある、というだけのことです。
相対的なレベルで見れば、たしかに段階の違いは確実にあります。
だから、
・直接本人に「見下し」をぶつけて攻撃すれば当然トラブル。
・心の内側で一瞬そう感じる → 正直、そこまで問題ではない。
という区別で見て大丈夫です。
それと、他人への見下しや嫌悪の感覚の中には、
「過去の自分」への嫌悪や恥ずかしさが含まれている場合も多いです。つまり、その人の中に「昔の自分」を見てしまうから、
余計にモヤっとする、というパターンですね。
その残りかすがまだ心に残っているからこそ、
似たものを外側に見たときに反応してしまう、という側面もあります。
いずれにせよ、最終的に、真のあなたがはっきりしてくると、
・段階やレベル
・他人の未熟さ
・自分の過去の愚かさ
こういったものは全部「一つの大きな運動の中の表面的な物語」にしか見えなくなっていきます。
なので結論としては、
・見下しが起きても「うわ、ダメだ・・」と過剰に責めない
・「ああ、こういう心の動きも今ここでただ起きてるだけなんだな」と眺める
・必要以上にストーリーに乗らない
これで十分です。
もしこれが何年も何十年も続き、
四六時中「見下しと自己嫌悪」に囚われ続けてしまうなら、そのときはもう少し深くテーマとして扱う必要が出てきますが、
今あなたが書いてくれた感じなら自然な通過点として起きている現象の範囲内だと思いますよ。
463
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:52:12 ID:nQcRHfoo0
>>453
横入りすみません。笑
>悟った者が因果やカルマを「理解している」?
→これは、「私や/あなた」という分離構造そのものが薄れていくことで、出来事や流れを全体として見る視点が自然に開けてくる、という方が正確です。
真相としては、個の私(りょうせい)という分離した夢の中のキャラとしての主体が特別な理解を得ているわけではありません。
「本当の私=本当のあなた」という境界のない領域の中で、ただこのやり取りそのものが自然に動いているだけです。
ただ、相対的に見るなら、探求者が「私は在る」「純粋意識」へ安定して深まるほど、
純粋意識と全体意識、さらにそれすら超えた領域の境界には、たしかに叡智と呼べる光のようなものがあります。
個が努力して洞察を得るというよりも、
個が透明になっている瞬間に、その光がただ通り抜ける。そういうニュアンスのほうが本質に近いでしょう。
本来、「それ」を正確に伝えるなら沈黙、
つまり「その立場としてただ在る」ことが最も適切です。しかし沈黙では会話が成立しないので、沈黙のすぐ手前の領域から言葉が自然に生まれてくるわけです。
世界という相対の視点で見れば、
この叡智はたしかに特別で不可思議に見えるでしょう。けれど、私自身の立場からは個の私は完全に気づかれる側にあります。
だから、個の私も、世界も、個のあなたも、
すべては「真のあなた」の中でゆらめくひとつの流れです。
ここに現れている個としての私たちは、
ただ「それ」のさまざまな元素的な運動、エネルギーの働きであり、それの表現にすぎません。
なので、個としてのりょうせいに特別な力があると思わないでください。笑
私が恩寵を扱っているのではなく、
恩寵が個の私を扱い、動かし、この会話すら起こしているだけです。そしてこの恩寵の働きは、あなたにもまったく同じように流れています。
探求が深まるにつれ、この「誰のものでもない叡智」は、個のあなたが成長するという意味ではなく、個が静まった分だけ、また同一化が消えた分だけ、自然に流れ込んでくるようになります。それは「個の私が得るもの」というより、ただ真のあなたの側が前面に現れてくるだけのことです。
必要なときには、必要な分だけ、静かにやってきて、自然に働き始めます。これも真理における、不思議でとても楽しい側面ですね。
464
:
り改め りょうせい
:2025/12/02(火) 21:59:16 ID:nQcRHfoo0
>>454
まず最初にはっきり言っておきます。
許せないなら、許せないままでいいんです。
無理に許す必要はどこにもありません。
親や身内のテーマは「個の私の物語」の根源的な層なので、扱いが難しく、深い痛みが出るのは自然です。
意識が身体と名前と同一化して最初に出会う存在が親なので、ここで大きく揺れるのは当然です。
そして大前提として知っておいてほしいことがあります。
「許そうとする」「受け入れようとする」という行為は、個の努力だけでは完全には達成できないということです。
なぜなら、個の私がどれほど努力しても、真のあなたである
・愛そのもの
・自由そのもの
・無条件そのもの
・平和そのもの
・許しそのもの
・豊かさそのもの
・完璧そのもの
といった本質そのものの領域には完全一致できないからです。
もし個が完全に本質と一致してしまえば、その瞬間、個の私はどこにも見つからなくなる。
つまり、心やマインドや精神は、本質そのものにはなりきれない構造を持っています。
だから、あなたが完璧に許せないのは当たり前で、努力不足でも弱さでもありません。
むしろ、「許せないまま」のほうが「動きとしての個」の正しい構造でもあります。
ただし、真理探求が進み、本当の私の側に立場がゆっくり移っていくと、見え方が少しずつ変わってきます。
・許せても許せなくても、どちらも意識の中のひとつの動きだった
・ひどいことをした人もされた人も、真相としては自然発生した記憶の中の動きだった
・加害でも被害でもなく、その状況ではそれ以外が起きようのなかった必然の流れだった
・また、短期的には痛みでも、長期的には個が物語そのものを超える動機になることがある
・真理実現した瞬間、黒だらけのオセロが全部白に変わるように、意味が反転する場合がある
こうした視点は探求が深まるほど自然に開いていくものです。
※ただし、この視点を早取りして現実の傷を雑に扱うのは絶対に避けてください。
(探求者が非常に落ちやすい罠です)
なので結論としては、
・絶対的視点では物語は夢のように存在していない
・相対的視点では、親を許せなくてOK。ただし個の私の心の傷は丁寧に扱い癒す必要がある
この二段構造で向き合うのが最も正しいです。
相対的な側では、
・加害者を反面教師として見る
・「自分はこうはならないようにしよう」と方向性を決める
・同時に行為は自然発生的に起こるというパラドックスを理解していく。これが成熟した探求です。
たとえば親について。
>こんな親の下で生まれたくなかった。憎んでいる。何十年も感じきっても消えない。
こういう場合、まず知っておいてほしいのは、
「感情そのものをどうにかする」というより、もっと深いレベル、身体感覚の微細なエネルギーに硬直や詰まりが起きている、ということです。
だからこそ、これは感情論よりも、
時間をかけて「体感的に」解放されていく必要がある領域なんです。
意識そのもので在る、というのは、
この身体感覚にも気づいている領域のことを指します。
だから個のあなたは、
・許せないままでいい
・癒えていなくていい
・どう扱えばいいかわからないままでいい
この「そのまま」の状態でいる方が、実はずっと早く癒えていきます。
なぜかというと、個がコントロールしようとしないことで、真理側(恩寵)が扱える余地・余白が残るからです。
逆に、個が必死に許そう、感じきろう、解決しようとすると、その余白はすぐに潰れてしまう。
私たちの心の奥には、多くの「傷ついた記憶」や「痛みを抱えた私たち」が地下に住んでいます。
それらを癒せる方法はただ一つ。
個の私が何かするのではなく、
本当の私の立場から気づいてあげること。
その気づきの光(純粋意識)を静かに当て続けること。つまり、本来のあなたとしてただ在ること。
これが超絶シンプルでありながら、
純粋意識であるあなたが、心や想念、物語たちにしてあげられる最も優しい行為です。
そうして少しずつ同一化がほどけ、
それらは浄化され、至福・平和・安心としての本来のあなたへ還っていきます。
深い意味での癒しやヒーリング。これもまた、真理探求者にとって見逃しがちな、とても大切な側面です。
465
:
幸せな名無しさん
:2025/12/02(火) 22:14:50 ID:yfC47Eig0
>>462
りょうせいさん、ありがとうございます。
的確かつ解答が優しく丁寧で言葉が出ませんでした。
まず、そこまで責めなくてもよいとのことで大変安心いたしました。わたしの中では自分がよっぽど偉いとでも思ってるのか!と自分が気持ち悪くなる瞬間があり、これさえなくなれば!と思うことがありましたが、四六時中囚われているわけではありません。
わたしも独学と自分の感性でだけで真理探究を続けていますが、やはり限界があり立ち止まることが何度もあります。
前の方の書き込みでグルやガイドの背中押し、と書かれていましたが、どうしたらそういう方の手助けが得れますか?
466
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 11:26:44 ID:7HC/qxrg0
意識としての自分がただあるだけ。
世界としての現実がただ起こっているだけ。
であれば、
自分=世界が腑に落ちない。
467
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 11:32:03 ID:7HC/qxrg0
全く関連性がないじゃないか。
何が起ころうとも意識は傷つかないように。
468
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 12:47:06 ID:HMF.9dYw0
>>464
詳しいお答えありがとうございます。
大変明快で、わかりやすいです。
特に
>>本当の私の立場から気づいてあげること。
その気づきの光(純粋意識)を静かに当て続けること。つまり、本来のあなたとしてただ在ること。
というのが、ミソなのかなと思いました。
私は今、許せないということに加えて、孤独感と無気力にも悩んでいます。
これらも同じように、「孤独を感じているのだな」「何もしたくないんだな」と本当の自分が気づいてあげ続ければ良いのでしょうか。
469
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 14:24:47 ID:F1WUmA6M0
>>463
なるほど、月並みな表現ですが詳細な解説ありがとうございます。
>>465
>>グルやガイドの背中押し
横だけど少しだけ「天は自ら助くる者を助く」です。ガイドは常に自分(あなた)の中にある。
あと潜在意識研究もされているクスリエの丸山修寛先生が「ループ」という簡易なメソッドを開発しているのでお勧めです。この人もここでは全然話題にされないなw
470
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 14:44:31 ID:aozQqEfI0
>>397
ありがとうございます。夢について更にお尋ねしたいのですが
夢は死後の世界や生前の世界と繋がっていますか?故人(家族)が出てきた夢で
白くて何もない広い場所の向こうにその人がいて、私は大声で呼びながら追いかけるが
その人は階段を降りて行ってしまった。私が白い場所の端までたどり着くと
故人の降りて行ったはずの階段がない。故人は下の浜辺を歩いている。私は大声で
私もそっちに行く!と叫んだら、ものすごく恐い顔で睨まれたので
ああ私はそこへ行ってはいけないんだと思い、元来た道を戻った所で目が覚めました。
(ちなみに故人の眠る墓地は海の近くにあります。)
故人の降りた階段があの世へ繋がる道だとしたら、私の前に出現しなかった理由となるし
そちらへ行きたいという思いを故人は恐い顔で睨む事で拒否した。もし満面の笑みだったら
階段無くても飛び降りた可能性はあると思います。そうしたらどうなっていたのか…。
ものすごく疲れていた時期に見た夢だったとは思います。
別の夢で、同じく何もない広大な場所だけど、その場所の床は透明で
地上3階位の高さで下界が見渡せて、それは私達が暮らしているこの世界で
みんな日々の暮らしを楽しそうに頑張っていて、その会話も表情も全部聞こえて見えて
ああ温かいな、そしてそれが見渡せる、上のこの何もない場所(暑くも寒くもなく
空腹もなくトイレも必要なく)でこうしているのも心地良いなと思っていたけど
ふと「あれ私なんでここに居るの?私が居るべきは下界の方じゃない?大変だ!」
おーいおーい助けてくれ、そっちに行かせてー!と叫んで透明な床を叩いても
その場所からは下界は見渡せるけど、下界からこっちの事は見えないんだったわー
やばいまずい、なにか向こうへ戻れる方法はと探したら、排水溝みたいな穴があったので
走って行ったらそこに吸い込まれて、シュルシュルシュル…ポンッ!と下界へ降りて来れて
そこで目が覚めました。
この夢の「下界の様子が全て解るけど、下界からは上は見えない何もない場所」は
何だか実際に存在しているように思えて、もしかしたら
生まれてくる前に居た場所なのではないか?と思ってみたり。排水溝は産道?
2つの夢に共通するのは、こちらとあちらが分かれている事と
こちらに戻って目が覚めた事です。
夢と、この世とあの世の関係、もし有りましたら教えて頂きたいです。
471
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 16:20:07 ID:V7iwTYGg0
>>469
丸山修寛先生!カタカムナのお話会に一度参加したことあります。でもループというメソッドは初めて知ったので、詳細調べてみます。
いつもありがとうございます。
472
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 22:20:52 ID:vl8HuJR60
>>459
有難うございます。
最初「神々」の文字を見た時に瞬発的に人格神を連想しました。
ちょっと考えたのですが、若い頃自然(Nature)に畏敬の念を抱き学んでいた私の在り方は、アニミズム信仰に近かったと思います。
それが癖として定着してるようです。
「レッスン」の意味は、心の様々な階層、要素を直視する出来事が起こり導かれる。
試され失敗したら落とされるわけではない。こういうことですね。
私はこのままで上手くいってるとのことで、良かったです。
>それは時空を超える準備運動です。
これは分かるような分からないようなです。
全体意識が時空を超えるのはなんとなく把握できますが、ループを体験することとの関連は、ピンときませんでした。
>絶対のギリギリの領域から吸引されている
これは感じます。「それ」「絶対意識」から誘われている感覚は初期からありました。とても特別なことだと思っています。
あともう一歩という感覚がずっとあるんですよね。でも個としての一切合切が忘却の彼方へ消え去るその瞬間の遠いこと…。
レッスンの度にエゴが思いっきり抵抗しますから。苦笑
>>460
ラーマクリシュナのプロセスに対する見解、大変興味深く読みました。
彼ほどの大聖者のことを通常の探求プロセスの枠組みで捉えるのは間違いでした。
彼の出現は、霊性衰退の流れの中で起きた逆らえない真理への回帰の必然の流れだったんでしょう。
彼の役割としてバクティの復活だけでなく、他の道の進み方をも示した一面があるわけですか。
それ以外にも様々な教えが彼の人生に詰め込まれてたんですね。見事な見解だと思います。
でもどうしても、一つの道だけでも可能というのが納得できません。
全ての覚者は、表に出して言わないだけでバクティ(ひたすら「それ」を想う)は共通して持ち合わせていたと思うんです。
最後のジャンプの瞬間は、やはり謎としか言えないですよね。
>「私の」というラベルが消える現象です。
記憶を失ったのではなく「私の」が消えたから深くに仕舞われて不要な時は表に出ないだけなんですね。
めっちゃ納得しました。
このスレが削除されないことを願いつつも、深遠な話をしたい気持ちは抑えられませんでした。やっちまったなと思ってます。笑
473
:
幸せな名無しさん
:2025/12/03(水) 23:28:14 ID:ojZsCjLo0
現在ナマコ中です。
昨日スーパー銭湯に行きました。
もう、何も掴めない感覚になってきて、欠乏感もそこから抜け出すことも、泡がぶくぶくと湧いては消えていきます。
こちらの書き込みもちゃんと読めないレベルになっていますが、かろうじて読んでみました。
やはり興味はあります。
ナマコのわたしは今後どうなっていくのでしょう??。。。。。
474
:
幸せな名無しさん
:2025/12/04(木) 00:27:38 ID:PJbluI/Y0
りょうせいさん、はじめて書き込みをさせていただきます。
>いつかタイミングが揃って、希望される方が多ければ「純粋意識に直接触れる瞑想法」はどこかでお伝えします。それも、また起こるなら起こるでしょう。
機会がございましたら、是非ともお願いしたいです。
瞑想は苦手だったのですが、数日前から寝る前に30分間くらい、瞑想をするようにしています。
自分なりに真理探究をしてきているのですが、今自分がどのようなところなのかもわからなくて、
もっとどうしていったら良いのかを知りたくて、私も、グルやガイドの背中押し、手助けをいただきたいという思いになってきました。
475
:
幸せな名無しさん
:2025/12/04(木) 10:16:28 ID:da08Yvro0
>>472
です。
真理、霊性系の書物には、心を脱ぎ捨てる、エゴが纏ったものを捨てる、忘れ去る、執着を捨てる、なんて表現が頻繁にされます。
誰かと話していても、こういう表現をする人が多い。というか殆んどです。
実際は「私は個である」という錯覚が消え、個が持っていたものへの執着がなくなるだけなんですよね。
あなたが以前に言われた「外部からの知識を忘れ」る必要はこうしたことですね。
「エゴが抵抗する」は錯覚でした。レッスンのときに起こる出来事に抵抗している(主体としてのエゴがある)のではなく、好き嫌いの反応が起こっているのをただ気づいているだけでした。
寝ていて、ウトウトから覚めそうになる時に「あっ!」ストンと気づきました。
ところで
>>473
さんは
>>450
さんでしょうか?
その方へアドバイスする力は全然なく、私の見立てが正しければなんですが、すごく深く貴重、でも本人としてはパニックだよなと思うしかできません。
大きな私(純粋意識のある側面)に安住すると、個として生きている世界を把握するのが困難で「どうしよう、なんかやばい」となる。
もう少し浅く短く私もそんなふうになったことあります。
個人(小さな私)のことが気になりだしたら、小さな私にまた戻るんじゃないかな。
りょうせいさんの視点、どんなアドバイスするのか興味が尽きません。
476
:
幸せな名無しさん
:2025/12/04(木) 12:47:15 ID:cSMiFNn.0
>>475
450ですが473さんとは別人です。現在、個の私は、大きな私LOVE状態で
これは恋かしら!?と実践が楽しくて仕方ありません。笑
大きな私モードと小さな私モードはスイッチ切り替えしている感じです。
常時大きな私モードだと日常生活がまずい気がしまして…。
本当は心地いいので大きいモードのままでいたいです。
絵については 私「なぜ描けないの〜」 心「描かないからじゃない?紙もペンも有るよ」
と、ど正論が返ってきて、エゴの私は地面に埋まりたいから綾部くん穴掘って(独り言)
エゴが隠れたがっている?混乱?していて、りょうせいさんから素晴らしい返信を
頂いているのに、書いて消してばかりでまだレスが出来ていない状態です。(すみません)
ナマコ状態、なってみたいです。ちょっと憧れています。
477
:
幸せな名無しさん
:2025/12/04(木) 17:49:45 ID:Vgi0HtbM0
今日もナマコです(473です)
12月、ほぼなんの予定も入っていないので、年内心置きなくナマコです。これも宇宙の采配でしょうか?
ナマコでいることを否定する全ての思考の外にいます。
ナマコでいることが宇宙の愛と調和しています。。。。。
478
:
幸せな名無しさん
:2025/12/04(木) 18:28:29 ID:cSMiFNn.0
>>461
色々アドバイス下さり有難う御座います。自転車で行ける距離に
小さい弁天社のある神社が有りましたので参拝して来ましたが
伝えたい思いが「楽しく描けますように」しか出て来ませんでした。
本当は、本当にこれだけなんだと思います。
>>476
でエゴの私は地面に埋まりたいと思った後「埋めるものなんて何もないよ、幻だから」と
キャラクターの音声付きで心が返答して来ました。ところで、この、私に返事をくれる
心(無意識さん・潜在意識さん)=大きな私、だと思っていたのですが、もしかして別物ですか?
大きな私は本来静かなもののようですが、心さんはけっこう饒舌です。
千尋とハク!良いですね〜!解りやすく例えて下さり有難う御座います。
世界側はのんびり動く、何だか解ります。「ししおどし」みたいだなと思ったり。
水が溜まっていく間は全然動かないけど、突然カコン!と動く
止まっているように見えても何かが動き続けているのかもしれないなと思いました。
そういえば過去も、どんどん描ける時期と、あまり描けない時期の繰り返しだった気がしました。
・自分を小さく見積もる・比較してしまう・自分を卑下する
とっても心当たりがあります笑 でも大きな私に渡したらスーッと溶けちゃいそうです。
幻だから。んん、もしかしたら探求さえも幻なのかも…!?えっ、そんな…!?
>大いなる悲しみは、大いなる慈しみにつながります。
↑そう思います。ネガティブに光が当たり癒されると光のシャワーみたいになりました。
自分は明け渡し型だと思うのですが、その中でも日によって
今日は大きな私に抱かれる感じで、今日は小さな私を丸投げで、今日は愛で、みたいに
その時の気分で日替わり定食みたいな実践の楽しみ方をしています。
あと大きな私モードでずっといると、心地良いけどボーっとしてしまって危ないので
(もしかしてこれがナマコ状態?)
エゴを起こして通常の個の私にモード切替しています。
本当はなるべく大きいモードでいた方が良いのでしょうか?
479
:
幸せな名無しさん
:2025/12/04(木) 22:02:50 ID:2Q6Vw4SA0
もう本当に無理です
こんなのカルマでもなんでもない
私に押し付けたまま何食わぬ顔で黙らせ続けるクソを殺したいです
虐待による感情の押し殺しが原因だったのに
クソはまともな頭を取り戻して感情に苦しんでる私をバカにし続けます
こんな奴を善人扱いして世界が狂ってたなんて本当に耐えられない
480
:
り改め りょうせい
:2025/12/04(木) 22:40:56 ID:FSAW6a120
>>465
それは良かったです。こちらこそ。
まず最初に、質問の核心である「グルやガイドの手助けはどうしたら得られるのか?」に答えます。
結論として、グルやガイドは、あなたの準備が整ったタイミングに合わせて必ず現れます。
そして実は今この瞬間も、形を変えて常に現れています。その前提で続きを話します。
まず、独学はとても大事な準備期間です。
独学や自分の感性だけで探究していく時間は、覚悟が固まり、自分の願望が本当に真理実現なのかが見え、受け取る耳、真理に心を開くことが育つ時期でもあります。
私も独学が長かったからこそ、いざグルに出会った時にちゃんと吸収できました。
独学ゼロだと、せっかくグルが目の前に来ても「よく分からないままスルー」してしまうことは普通にあります。
そして、独学の期間でもグルはすでにいます。
グルとは、人間の姿かどうかに限らず、あなたを「目覚める方向へ押し進める働き」のこと。
本や映画、友人の一言、自然、仕事、人間関係など、あなたを前へ押すものは全部グルです。
大枠では人生そのものが、もう後押ししているということです。
では、人間のグルはどういう存在か?
これはシンプルに螺旋の上昇プロセスを大幅に短縮させてくれる存在です。独学だと、勘違いに気づかないまま数年単位で回り続けることも珍しくありません。
ただし、人間のグルの真の役割や本質は「あなたの内側のグルを目覚めさせ、その場所へ送り届けること」です。
外側のグルはその架け橋役です。
最終的に実現を完成させるのは、内なるグル=本当のあなたです。
外側のグルがしているのは、
あなたが抱えた錯覚や勘違い、根深い催眠との同一化を優しく、また時に厳しく伝えたり指摘して外す手助け役です。
では、いつ出会えるのか?
これがあなたの一番知りたいところだと思います。
その答えは、準備とタイミングが揃った時。
その時は必ず来ます。
逆に準備が整っていなければ、たとえ大聖者があなたの前に現れ、真理伝達されても、吸収できません。準備ができていれば受け取れるし、準備がなければスルーするし、もっと眠っている場合は抵抗・敵視するかもしれない。
そういうことです。
あなたが真の私を少しずつ思い出し、「内なるグルに委ねる」という流れが起これば、外側のグルは自然に現れます。表面上は、人間グルによって質問が解消されたり、エゴの仕組みを観察したり、真偽を照らし合わせたり、沈黙の伝達で深まったり一緒に瞑想や祈りや歌を捧げたりとか。
いろいろ物語的に起こったとしても、実際にはすべて内側のグルがあなたを吸収していくプロセスが外側に映っているだけです。
もちろん、それを理解した上で、人間グルに憧れるならそのままで大丈夫です。それもまた自然なことです。意識は戯れ・触れ合い・共鳴のリーラを愛しますし、真理の話を分かち合うのは純粋に楽しいですからね。
私自身も、出会うまでは本当に長かったです。
あの人も違う、この人も違うの繰り返しで、結局はずっと独学の日々でした。限界だった時、ある聖地で何日も祈りました。
「もう自分の力では無理です。どうかグルを与えてください」と。
そこからしばらくして、突然流れが変わり、探究は一気に進みました。完全な導きでした。
そして超越が起きた瞬間、「私とグル」「悟る私」という物語自体が消え、最後にグルに感謝を伝えました。そういう流れです。
だから結論としては、グルに出会えるかどうかは、準備とタイミングが揃う時に必ず起こる。
そしてその準備期間こそが、今の独学の時間そのものです。
さらに言えば、同時にグルはすでに二十四時間、形を変えて働いています。だから無理に探す必要はありません。必要な時に、必要な形で現れます。やはりその流れも、最適です。
481
:
り改め りょうせい
:2025/12/04(木) 22:46:36 ID:FSAW6a120
>>466
自分=世界は、まず、考え方でも思想でもありません。自分=個という催眠が残っているかぎり、どうしても「自分(主体)が世界(対象)を見る」という構造のままになります。
この立場では、自分=世界は絶対に腑に落ちません。
主体と対象という催眠が解けたとき、
ただ、境界のない自分だけがあらわになります。
そしてその自分とは、個の私ではありません。
在るとして、自分=世界を、在るという表現そのものによって示されています。
個ではない自分として、その中に世界が起こっているのであり、その時はじめて、自分=世界が自然な当然の姿として、
その立場であるがゆえに、直接的に理解されるのです。
482
:
り改め りょうせい
:2025/12/04(木) 22:51:59 ID:FSAW6a120
>>468
>本来の私としてただ在ること。
というのが、ミソなのかなと思いました。
→はい。まさにそこがミソです。
>孤独感や無気力にも悩んでいます。
これらも「孤独を感じているんだな」「何もしたくないんだな」と、本当の自分が気づいてあげればいいのでしょうか?
→まず、本当のあなたは孤独も無気力も、過去の傷も知りません。
ただ、内側では「軽い動き」「重い動き」が生まれ、それがただ駆け巡っています。
エゴとは、その動きに名前を貼りつけ、「これは私だ」と所有して城を作る仕組みです。
モヤモヤに「孤独」「無気力」という名前がついたのも、その働きです。
良い悪いではなく、この二元の世界は本来こうして成立しています。
(音楽に無数のジャンルがあるように)
ただし、エゴはどこを探しても見つからない蜃気楼のようなものでもあります。
ですから私はあなたに、「孤独や無気力と戦いましょう!光で倒しましょう!」とは言いません。
なぜなら、真のあなたはエゴがどうであれ、
ずっとただ在り、気づき続けているからです。
気づきの仕事は、もう完璧に成されています。
では、「個」としてのあなたは何をすればいいのか?浄化や癒しの時に相対的にできることは、とてもシンプル。
・疲れたらよく休む
・無理せず、心身を労わる
・必要なら周囲の助けを求める
・祈り・マントラ・アファなど、無理のない範囲で委ねる動きを持つ
そして今あなたに起きているのは、確かにきつい浄化です。個が本当の私に向き始めると、奥に沈んでいたものが浮上し、抵抗したり暴れたりすることはよくあります。その苦しさは私もよく知っています。
浄化にできる最善のことは、ただ一つ。
「起こしておく」ことです。
浄化とは、恩寵があなたを風呂場に連れて行き、服を脱がせ、髪や身体をゴシゴシ洗っているようなものです。古いエネルギーの洗礼が必要だからです。
個にできるのは、それに抵抗せず任せておくことだけです。祈りも言葉も、自然に湧くなら起こせばいいし、つらすぎる時はしなくても構いません。
三日で終わる浄化も、エゴがいつまでも抵抗すると三年かかることがあります。
風呂場から逃げようとするほど延長されます。
そうならないよう願っています。
洗い終われば、恩寵はあなたを外に出し、服を着せ、髪を乾かしてくれます。
個のあなたは
「ああ、ひどいことをされていたわけじゃなかったんだ。ただ、信頼して任せればよかったんだ。ありがとう。おやすみ」
と感じ、安心して眠ればいい。
その頃には、「″私の″孤独」「″私の″無気力」はただ一時的に現れた重いバイブレーションのように見え始め、
風・雨・曇り空のように通り過ぎていきます。
心が作り上げていた物語性は自然に抜け、
あれほど大きな問題に見えたものの深刻さは、ゆっくりと静まっていくかもしれません。
それが静まりきった場所こそ、本当のあなたの場です。
483
:
り改め りょうせい
:2025/12/04(木) 23:18:56 ID:FSAW6a120
>>470
ありがとうございます。
どちらの夢も、あなたにとって相当インパクトのある内容だったのが伝わってきます。
まず前提として、死後そのものの細かい話は、この掲示板の性質上あまり深くは踏み込めません。
そして、このスレは「真理探求とは何か?」から始まり、「では、どう実現していくのか〜」という方向の流れに入ってきています。さらに、基本的に私は、死後やカルマを気にする必要はない領域として探求者に案内することが多いです。
ただ、ここまで具体的に質問が出ている以上、大枠だけお伝えしますね。
>「下界の様子が全て解るけど、下界からは上は見えない何もない場所」
>これは、何だか実際に存在しているように思えて、もしかしたら生まれてくる前に居た場所なのではないか?
→これはお見事。いい線いってます。
私がよく言う「それ」は、時空を超えた領域です。個の目線から見ると「何もない」としか言いようがないので、そう表現したくなる気持ちはわかります。
でも実際は、もっと深淵です。
あなたの夢には共通して、
・こちらとあちらの境界
・あちら側からこちら側へ戻る動き
が描かれていますね。
では、これを潜在意識の構造に寄せて説明してみます。
起きて体験しているこの物質世界が「顕在意識」よく言われる氷山の一角です。
夢の世界は「潜在意識」や「集合意識の海」
この層では、日常より想念の構造がゆるみ、
微細になり、深層のものが浮き上がりやすくなります。瞑想者が瞑想中に触れるのも、この領域です。
そして、想念が完全に静まった領域が「純粋意識(私は在る)」です。
あなたの夢に出てきた「何もない透明な場所」「下界が見えるが、下界からは見えない場所」は、意識のレイヤー間の境界を象徴(メタファー)しているように読めます。
(排水溝が産道という直感も、比喩として素晴らしい)
そして、ざっくり言ってしまえば、
本当は全部つながっているけど、層(レイヤー)が違うだけです。
この世、あの世、夢、なんであっても、
意識が映し出す映画の、世界観やジャンルの違いのようなものです。
アクション、ロマンス、コメディ、SF、ミュージカル。
ジャンルや質や世界観は違っても、
「映画」は「映画」ですよね。
それと同じで、
真の私からすべてが生み出されている
という一点に立つと、夢とこの世の境界も自然と見えてきます。
484
:
り改め りょうせい
:2025/12/04(木) 23:27:37 ID:FSAW6a120
>>472
>自然(Nature)に畏敬の念を抱き学んでいた私の在り方は、アニミズム信仰に近かったと思います。それが癖として定着してるようです。
→恩寵の最適さは、まさにこのように現れます。純粋意識が深まり、広がっていく過程で、あなたのアニミズム的な感性はとても活かされます。動物、植物、石、山、水。あらゆる自然物や現象の根底には純粋意識が宿っていて、「真のあなた」はどこにでも在るからです。
>「レッスン」の意味は、心の様々な階層、要素を直視する出来事が起こり導かれる。試され失敗したら落とされるわけではない。こういうことですね。私はこのままで上手くいってるとのことで、良かったです。
→はい。その理解で正しいです。誤解がほどけて良かった。恩寵の流れは常に最適です。
>それは時空を超える準備運動です。これは分かるような分からないようなです。
→すみません、ここは私の説明不足でした。
「時空を超える」というのはSF的なタイムリープではなく、「時間・距離・場所という概念」の構造が自然とゆるみ、巻き込まれなくなっていくこと、つまり純粋意識が安定することを意味していました。
>絶対のギリギリの領域から吸引されている
これは感じます。「それ」「絶対意識」から誘われている感覚は初期からありました。とても特別なことだと思っています。あともう一歩という感覚がずっとあるんですよね。でも個としての一切合切が忘却の彼方へ消え去るその瞬間の遠いこと…。
→たしかに特別でもあるのですが、同時に理にかなっているとも言えます。
あなたが扉を何度も何度も叩いてきたから、扉の内側からの吸引が強く起きている。
焦りや焦燥、不安、落ち着きがないエネルギーが出てくるなら、それもそのまま純粋意識に捧げていきましょう。
>レッスンの度にエゴが思いっきり抵抗しますから。苦笑
→475で「エゴが抵抗しているのは錯覚だった」と気づいておられたので、ここは何も言うことはありません。笑 そのストンという腑に落ち方、とても良いですね。
>ラーマクリシュナのプロセスに対する見解、大変興味深く読みました。
→あくまで私の見解ですが、そう言ってもらえて嬉しいです。彼のような存在の純粋な探求姿勢は、私たちにとって大きな励ましと栄養になりますね。
>でもどうしても、一つの道だけでも可能というのが納得できません。全ての覚者は、表に出して言わないだけでバクティ(ひたすら「それ」を想う)は共通して持ち合わせていたと思うんです。
→これはこう理解してみてください。
北へまっすぐ進めば、いつの日か南に出る。
南へまっすぐ進めば、いつか北に出る。
智慧の道が深まれば、自然とバクティが現れます。バクティが深まれば、智慧が現れてきます。
三角形の左(智慧)・真ん中(交互)・右(バクティ)のどこから登っても、頂点は同じ。
だから、どの道に惹かれても大丈夫です。
>最後のジャンプの瞬間は、やはり謎としか言えないですよね。
→最後のジャンプは、謎でもあり、そしてこれもまた、実は理にかなっているとも言えます。
意識は「愛」そのものです。
意識は自分自身を愛し、存在し続けたい。
しかし最後のジャンプでは、
意識がその愛ゆえに、純粋意識さえも手放し、「それ」に捧げる。
だから、エゴが純粋意識に捧げる構造と、
純粋意識が「絶対・超越」のそれへ捧げる構造がそっくりになる。
つまり、これは謎のままであると同時に、
全宇宙規模の壮大なラブストーリー(合一ストーリー)でもあるわけです。
>このスレが削除されないことを願いつつも、深遠な話をしたい気持ちは抑えられませんでした。やっちまったなと思ってます。笑
→ですね。笑 しかし、深遠な話をすること自体、個にとっても大きな癒しになるんです。
なぜなら、このテーマはあなたという全存在のすべてを肯定する話だから。
もちろん、理解が深まるにつれてエゴのぶり返しが一時的に起きることもある。
でも、それを差し引いてもこうした話が起こることは本当に素晴らしいです。まさに恩寵。
485
:
り改め りょうせい
:2025/12/04(木) 23:32:41 ID:FSAW6a120
>>473
>>477
読んでくれてありがとうございます。
スーパー銭湯いいですねー。
>もう、何も掴めない感覚になってきて、欠乏感もそこから抜け出すことも、泡がぶくぶくと湧いては消えていきます。
→はい、それが意識であるあなたの自然な在り方です。あなたの中であらゆる感覚が、文字通り泡のようにぶくぶくと湧いては消えていきます。
>やはり興味はあります。
→興味がおありならぜひ探求を続けてください。また、あらゆる疑念が消え、確信的に明らかになるまで、それは続くでしょう。
>ナマコのわたしは今後どうなっていくのでしょう??
→あなたの興味が真理実現なら、プロセスは最適に進行していきます。
>12月、ほぼなんの予定も入っていないので、年内心置きなくナマコです。これも宇宙の采配でしょうか?
→予定や、宇宙の采配を気にするナマコは、まだ真のナマコとは言えませんね。笑
>ナマコでいることを否定する全ての思考の外にいます。
ナマコでいることが宇宙の愛と調和しています
→それでは真理探求ではなく、
強迫観念的に「ナマコ」を目指す探求w
になってしまいます。
そもそも「ナマコ」って誰が言ったんだっけ?
あぁ、過去の私のレスか。笑
マジレスすると、ナマコ問題は気にしなくて大丈夫です!
486
:
り改め りょうせい
:2025/12/05(金) 00:43:10 ID:wU9L9Wjs0
>>474
はじめまして。
書き込みありがとうございます。
>「純粋意識に直接触れる瞑想法」
>機会がございましたら、是非ともお願いしたいです。
わかりました。準備はゆっくりですが進んでいます。起こる時には、必ず最適な形で起こります。
>瞑想は苦手だったのですが、数日前から寝る前に30分間くらい、瞑想をするようにしています。
いいですね。寝る前に30分というのは、本当に素晴らしいです。瞑想は「時間より質」と言われますが、30分に入れる時点で資質は十分あります。
ちなみに私の「純粋意識に直接触れる瞑想法」は、姿勢やルールに縛られない、とてもシンプルなものです。
>自分なりに真理探究をしてきているのですが、今自分がどのようなところなのかもわからなくて、もっとどうしていったら良いのかを知りたくて、私も、グルやガイドの背中押し、手助けをいただきたいという思いになってきました。
わかります。多くの探求者が、まさにその地点で一度立ち止まります。
私が最初に探求者に対してお手伝いできるのは、まず、「個の物語の同一化をほどく段階」 です。
もちろん掲示板では深く詳細にはできませんが、イメージとしては教会の「告白」に少し似ています。
ただし、罪を語るという意味ではありません。
ずっと心の奥で握りしめてきたものを、
安全な場所にそっと置いてみる時間です。
そして、なぜそれが起きたのか?の答えを伝えるというより、何が起きていたかを、構造として少しずつ理解し、同一化を解いていきます。
この段階が開き始めると、潜在的なクセがゆるみ、恩寵の働きが浄化プロセスを短縮してくれる。ある種「エゴの抵抗を出し抜いて通り抜ける」ような作用が起こります。
すると、こちらが(あなたが)頑張って掴まなくても、純粋意識のほうが自然と前に出てくるようになります。(掲示板という限界はありますが、すでにここでもそれと似たような流れは起きています)
ここを踏まえないと、瞑想をいざ始め、純粋意識に触れたとしても、すぐにエゴが激しくぶり返し、なかなか安定して進みませんから。
そこから先の流れは、とてもシンプルです
・純粋意識に直接触れる瞑想法
・瞑想と日常の両方で純粋意識が安定していく
・内なるグルが自然と動き始める
・質疑応答を通して理解が深まる
・必要なタイミングで必要な気づきが起こる
つまり、停滞していた物語との同一化がほどけた分だけ、恩寵や内なるグルか働きやすくなるわけです。
あと、ここからは私自身の個人的な話ですが。もし、本格的に私がガイドとして複数の方と向き合うとなると、いまのように「空いた時間に少しだけ」というゆるい形では不可能になります。なぜなら、エゴのぶり返しが起きた瞬間にスムーズにフォローできないと、探求が止まったり新たな混乱に繋がることも可能性としてあるからです。
そのため、対応する相手方の数が増えたら、
私(りょうせい)の生活サイクル、今の仕事、環境、場づくりこういったものを整えたり、必要ならば大きく変える必要があります。
今は、掲示板で最低限の形で言葉を届けながら、ゆっくり、サイト制作準備などをしている段階ですが、のろのろと悠長にしている場合ではなくなってしまいます。笑
というわけで、瞑想伝授に関しては
焦らず、どうか少しだけ待っていてください。
タイミングが揃った時には、自然と流れがつながるでしょうから。
その時には、探求者の段階に合わせた瞑想や、
日常での取り組み方や物語をほどくセッションなどなどこういったものを、もっとスムーズにお渡しできるようになるでしょう(なるといいんですが笑)
掲示板だと、どうしてもラグが出てしまいますからね。もちろん、これらの話は、探求のスイッチが押されていない方に無理に勧めるつもりは一切ありません。
そんな感じです。また、気になることがあれば、お気軽に書いてくださいね。
487
:
り改め りょうせい
:2025/12/05(金) 01:11:29 ID:wU9L9Wjs0
>>478
>自転車で行ける距離に
小さい弁天社のある神社が有りましたので参拝して来ましたが
伝えたい思いが「楽しく描けますように」しか出て来ませんでした。
本当は、本当にこれだけなんだと思います。
→お、いいですね。お疲れさまでした。
「楽しく描けますように」
それで十分です。とても良い参拝になったと思いますよ。
それは、やがて「楽しく描こうとしている私」さえ忘れて、ただ描く境地へと自然に流れていくための大切なプロセスです。
>この、私に返事をくれる
心(無意識さん・潜在意識さん)=大きな私、だと思っていたのですが、もしかして別物ですか?大きな私は本来静かなもののようですが、心さんはけっこう饒舌です。
→はい、その気づきは鋭いですよ。
大きな私は「直接性」として、小さな私のほうへ伝達しています。
ただ、それを受け取る小さな私の側で「音声」「キャラ」「言葉」として表現されるんです。
つまり、
・大きな私は静かで、ただ在る
・心が饒舌なのは、小さな私の翻訳
ここに矛盾はまったくありません。
>千尋とハク!良いですね〜!解りやすく例えて下さり有難う御座います。
→良かったらお時間あるとき、
「千と千尋」を真理目線でもういちど観直してみてください。きっと、以前とはまったく違う映画に見えると思います。
>でも大きな私に渡したらスーッと溶れちゃいそうです。幻だから。
>んん、もしかしたら探求さえも幻なのかも…!?えっ、そんな…!?
→YES YES。
ただ焦らず、ゆっくり消化していきましょうね。
個の私たちは、根深い幻を溶かすために、まず「探求という幻」を使います。
だから探求も道具なんです。
仏陀の「イカダのたとえ」がありますよね。
川を渡るためには必要だけど、渡り終えたら背負って歩く必要はない。という話。
探求も同じで、必要な間は使うし、要らなくなったら自然と手放されます。
>今日は大きな私に抱かれる感じで、今日は小さな私を丸投げで、今日は愛で、みたいに
その時の気分で日替わり定食みたいな実践の楽しみ方をしています。
→その楽しみ方がとても大事です。
楽しむことは、恩寵がもっとも働きやすい状態を作ります。
浄化も、ぶり返しも、揺れも、楽しめるならそれだけで探求は大安心の冒険になります。
>あと大きな私モードでずっといると、心地良いけどボーっとしてしまって危ないので
(もしかしてこれがナマコ状態?)
エゴを起こして通常の個の私にモード切替しています。本当はなるべく大きいモードでいた方が良いのでしょうか?
→ナマコはあくまで比喩なので気にしなくて大丈夫。探求者によっても全然違いますし、それに終盤のほうの話なので今は気にしなくていいです。
大きな私モードで心地よいけどボーッとするのは、あなたが「私は在る」を体感的に思い出しているサインです。ただし、外では危ないので
部屋で安全なとき、寝る前、5分だけでも起こるなら、そのまま起こるに任せてあげてください。どちらが良い悪いではなく、
大きいモードと小さいモードを行き来しながら、
自然に統合が進んでいきます。ゆっくりと、そして、楽しむ気持ちをどうぞ大切に。
488
:
り改め りょうせい
:2025/12/05(金) 01:15:13 ID:wU9L9Wjs0
>>479
まず、今あなたが書いてくれたことは、
真理探求の話、または、潜在意識的にどうとか、合ってるとか、反している、とか心が未熟だからという話ではなく、それらは一切置いておいて、これはもうただ単に限界まで追い詰められた心の悲鳴です。まずそこを責めないでください。
>もう本当に無理です
>こんなのカルマでもなんでもない
>私に押し付けたまま何食わぬ顔で黙らせ続けるクソを殺したいです
→カルマの話は完全に置いておきましょう。
今必要なのは 構造の理解ではなく、あなたの心が安全に呼吸できる時間です。
ここまでの怒りになるのは、その相手が「あなたの感情を封じ続けた歴史」があるからです。
怒りそのものは異常ではない。
むしろずっと押し殺されていた分、今やっと表に出てきているだけです。
>虐待による感情の押し殺しが原因だったのに
>クソはまともな頭を取り戻して、感情に苦しんでる私をバカにし続けます
→これはあなたが悪いのではなく、
本来向き合われるべきだった感情が、長い年月の後にようやく外に出始めた状態です。
あなたの反応は正しい。
歪んでいるのはあなたではなく、あなたに押しつけてきた外側の構造のほうです。
>こんな奴を善人扱いして世界が狂ってたなんて本当に耐えられない
→これは、世界に対する「正しさの裏切られ感」です。長い間、自分だけが傷を押しつけられ、加害側が平然と生きているように見える。
このアンバランスは誰だって壊れます。
そして次に大切なのはここです。
まず「安全」を確保することが最優先
もし現実的に離れられる手段があるなら、
それを第一に考えてください。
怒りや苦しみの生々しい環境に居続けると、
心がさらに削られてしまいます。
無理に悟り的な話や視点に立つ必要は一切ありません。そんな段階ではないし、そこを目指さなくていい。真理探求や精神世界の言葉で感情を否定してはいけない。
怒りが出るのは正常。
殺意が湧くのも正常。
それは「実際に行動する」という意味ではなく、
心が自分を守ろうとする自然反応です。
それをカルマや、悟ってないから。メソッドを正しく理解してないから。などの理由で押しつぶすと、余計に苦しくなります。
感情は敵ではなく「凍っていた痛みの解凍」です。これは精神的・霊的な観点でも同じで、
怒り=あなたの中で凍っていた痛みが、やっと声を出し始めただけです。
それが悪いわけがない。
いまの段階での私が出せる方向性はただひとつ。
自分の味方の立場に戻ること。
「それ以外はしなくていい」です。
あなたの苦しみは、あなたのせいではありません。
489
:
幸せな名無しさん
:2025/12/05(金) 04:10:37 ID:utv4KIjE0
>>488
ありがとうございます
離れる方向に進めてたのに味方のフリしてた人にも裏切られて
元々私のものではないおかしいものを抱えさせられてたので
感情が出ることが本当の回復なのも理解したうえで
虐待の事実も脳機能の抑え込みの仕組みも全て伝えても
何話そうがクソは増々調子に乗ってトラウマ増やしてくるので、全く解消も回復もできないどころか増幅して悪化の一途で潜在意識を浄化とか味方を引き寄せるとかもできなくて
せめてここでまともな方に丁寧に返答いただけて一息つけました
490
:
幸せな名無しさん
:2025/12/05(金) 07:53:25 ID:GWRCY6QA0
>>485
473です。ナマコというのは、比喩であって目指してはいませんよ^^
ご心配なく。。。
お返事ありがとうございました。。。。。
491
:
り改め りょうせい
:2025/12/05(金) 08:18:05 ID:LFgD67lY0
>>489
読ませていただきました。
あなたが今どれほどしんどい状況にいるのか、その重さは文面から十分に伝わってきます。
一息つけたと言っていただけたなら、まずはそれだけでも良かったです。
ただ、あなたの抱えている問題は、
あなたが悪いわけでも、努力不足でも、カルマや潜在意識の問題でもなく、
「一人で抱えるには重すぎるもの」 です。
そして残念ながら、鳥が空を飛び、魚が水を泳ぐように、虐待する人は虐待し、裏切る人は裏切るという動きをしてしまうことがあります。
これは、トラックがこちらへ猛スピードで向かってきている状況に近いです。
必要なのは、止まるよう説得することでも、
潜在意識で何とかしようとすることでもなく、
「まず離れること」
自分の身を守ることです。
そして、こういう時に大切なのは
「完璧な味方を引き寄せよう」とすることではなく、味方の人数を増やすこと。専門的な場のサポートは「逃げ」でも「弱さ」でもありません。
あなたの味方をもう一人増やす選択 です。
ここは掲示板で、しかも真理探求が中心の場所です。また、私が扱える範囲はあくまで
「過去にトラックにぶつかった古傷が時々痛む」というレベルまでです。
今まさにトラックが迫ってきている状況だとしたら、完全に私の手を超えています。
「危ない!逃げて」と叫ぶことくらいです。
そして掲示板という多くの人が読む場所では、
個人の具体的な過去を深く追う形では続けられません。
ただ、真理探求の観点からお伝えできる大切なことがひとつあります。
どんな状況でも「自分の味方の立場に戻り続ける」こと。
自分だけは、何があっても、
自分の味方に戻るという姿勢を、
「深いところで」忘れないこと。
これはあなたの人生を守る上でも、
真理探求という意味でも、そしてあなたの見ている世界の質を変えていく上でも、とても大切な指針になります。
あなたが、毒気のない安全な場所で、きちんと話を受け止めてもらえる方向へ進めること。そして適切な恩寵や、実際的なサポートとつながれることを心から願っています。
492
:
り改め りょうせい
:2025/12/05(金) 08:38:46 ID:LFgD67lY0
>>490
今あなたがどんな状態か、どんなプロセスか、
文面からは正確には掴みきれませんが、
もし今は「概念に触れる/理解する」こと自体が難しいほど、意識に煮込まれ、
個のプログラム全体が脱力して力が出ない状態でしたら、まずは回復して、言葉が扱えるようになったタイミングで、また気軽に書いてください。
私から一つだけ言えるのは、
どのプロセスも、その渦中では分からなくて当然で、終わってみて初めて 「あれは最適だった」と見える類のものだということです。
それとひとつだけ補足させてください。
私が以前使った「ナマコ」という比喩は、
あくまで 私自身の、ある特定の段階を説明するための比喩で、現象名でも段階名でもありません。
なので、あなたの現在の状態と、私が当時体験していた状態が、同じナマコという言葉を使っていても一致しているとは限りません。
同じ単語でも、内実が違えばまったく意味が変わってしまうので、そこはどうか誤解のないようにお願いします。
書ける状態になったときに、
あなたが今どんな体験をしているのか、
もう少し具体的に共有していただければ、こちらも適切にお答えできると思います。
493
:
幸せな名無しさん
:2025/12/05(金) 10:58:37 ID:9P/aQ4Mg0
>>480
いつもわかりやすいご返答ありがとうございます。
結論として、グルやガイドは、あなたの準備が整ったタイミングに合わせて必ず現れます。
そして実は今この瞬間も、形を変えて常に現れています。
↑そうでしたそうでした!
今のわたしにとっては、りょうせいさんであり、大好きなラーマクリシュナであり、自然であり、本でした。また気づかせていただきありがとうございます。
準備とタイミングが揃えば必ず起こる。
↑
ほんまにそうやと思います。
夫やこどもを置いてまたインドへ修行旅に出ようとしていました。外に求めすぎですね。笑
再び内に入ります。
去年、ぜーんぶが本当であり夢やったんや!
と気づいて楽になったはずやのに、久しぶりに掲示板を覗いてみたらりょうせいさんがいらっしゃって、なんかまた前の感じになってる自分が出てきていました。
でもその流れも、最適なんですよね(^^)
494
:
り改め りょうせい
:2025/12/05(金) 12:49:36 ID:wU9L9Wjs0
>>493
お役に立てて良かったです。
そう捉えると、本当にすべてがガイドに見えてくる瞬間がシンプルに増えますよね。
表面的には同じ変わり映えしない日常だけどその奥に、存在という、静かに広がっている平安や気配に、ふっと気づける機会がどんどん増えていくかもしれませんね。
>そうでしたそうでした!
はい、笑 まさにこれです。
個の私たちはふと気を抜くと、この偉大なマーヤにコロッと忘れさせられますから。笑
私の言葉も、しつこいくらい同じ内容が何度も何度も繰り返されるのは、ある意味でそのため、自然な起こりなんです。
>夫やこどもを置いてまたインドへ修行旅に出ようとしていました。
>外に求めすぎですね。再び内に入ります。
いや、その探求意欲自体は、とても美しいものです!笑
ただ、それが起こるなら最適に起こるし、起こらないなら起こらない。
どちらにしても、流れは自然と「 内へ」と向かっていきます。あなたの中には、すでにその方向性が芽生えていますね。
>久しぶりに掲示板を覗いたら、また前の感じになってる自分が出てきていました。
>でもその流れも、最適なんですよね(^^)
はい、その流れも最適です。
以前のあなたの重要な気づきの土台は、そのまま静かにちゃんと作用し続けています。
そして、よく「探求の完全な終わり」と呼ばれる表現がありますね?
それは実際には個の私が「そこに到着する」類のものではありません。
PCで例えるなら、
自分でシャットダウンにカーソルを合わせて電源を切る。感じではなく、
ただ普通に淡々と作業をしていたら、
ふと、どこかで電源コードがスッと抜けていた。
まるで、そんな突然の静けさです。
その瞬間、「切った人、切られたPC、作業していた私」
そのすべてが、ひとつの画面に映る夢のようだったと分かります。もちろん、それを理解するのは、当然、個では決してありません。
それは非個人的な叡智そのものなのです。
(これに関してのイメージは、ラーマクリシュナが、探求者としてカーリーを悟る前と、カーリーが現れてからのその後の彼の終わった変貌っぷりを注目して読んでみてください)
だからこそ、本当は、待つ必要も、掴もうとする必要もありません。
あなたが今している、ただ内へ向かうという修練のような、一見単純で地味な動きが、
コードが抜ける 「 」そのものに溶ける準備を、静かに整えています。
これは個のあなた自身も、外からも、まったく分からないほどの、静かな神秘の働きです。
なので、どうぞ、そのまま「内に入る」を続けてあげてくださいね。
何も急ぐ必要はありませんからね。
どの瞬間も、そのまま最適な流れの一部です♪
495
:
幸せな名無しさん
:2025/12/05(金) 13:35:56 ID:9P/aQ4Mg0
>>494
ありがとうございます(^^)
個の私たちはふと気を抜くと、この偉大なマーヤにコロッと忘れさせられますから。笑
↑ほんまにこれで笑
子育てや日々の色んな問題と言われているものの中に入り込んでは、はっ!また!!と気づいて戻るの繰り返しです。
昔、達人さんと言われる方のスレを見させていただいていた時、一度認識の変更をするともう元には戻れないと書いてらして、去年の一瞥体験や大きな気づきがあって笑い転げていたあれは違ったのか、なんで何度も戻ってしまうー?笑なんて思ってたんです。
でもそんなわたしが思考してる範囲内ではわからない、感覚のようなお話ですものね。
りょうせいさん、わたしきっとまた戻って迷ってしまうのでまた質問させてください^^;
たくさんの気づきをありがとうございました。
今夜はラーマクリシュナの本を読み返してみます!
496
:
幸せな名無しさん
:2025/12/05(金) 19:26:05 ID:GWRCY6QA0
考えるな。。。感じろ。。。
by ナマコ
497
:
幸せな名無しさん
:2025/12/05(金) 20:47:43 ID:6qGRW29A0
個⇔世界で、意識がそれを内包しているって感じかな。
では意識から生まれた個や世界を変更することは可能なんでしょうか。それとも全く関連性はないんでしょうか。
現実は無視、などと言いますが。。。
498
:
幸せな名無しさん
:2025/12/05(金) 21:20:18 ID:S/nuoCV60
>>486
お忙しい中、お返事を頂きまして、ありがとうございます。たいへん嬉しく思います。ご丁寧にありがとうございます。
>何が起きていたかを、構造として少しずつ理解し、同一化を解いていきます。
「構造」とは、出来事や嫌いな人に対して、いつも同じような不快な捉え方をしてしまい、その記憶が、度々頭に出てきて、またそのような状況が起こり、その度に、不快な思考や感情でいっぱいになってしまう、ということの繰り返しなのですが、このことが、「心=世界」であり、「構造」ということでしょうか。
そして「個の物語の同一化」とは、この不快な思考や感情にのめりこんでいるものが、自分である、と思ってしまっているところから、観察をしている側に意識にずらすこと、これが「同一化を解く」、ということでしょうか。
不快な思考も雑念も静まって、「純粋意識のほうが自然と前に出てくるようになる」そのようになりたいです。
>タイミングが揃った時には、自然と流れがつながるでしょうから。
承知いたしました。ご無理のないような形で、ゆっくりと進んで整っていかれると良いですね。
こちら、中間あたりのところで、まだまだ読ませていただいていないところが、たくさんありますので、これからじっくりと読ませていただいて、理解を深めていきたいと思っています。
貴重なお話を、いつもありがとうございます。
499
:
幸せな名無しさん
:2025/12/05(金) 21:32:58 ID:FqYGaqYI0
ご質問させてください。初めて書き込みさせていただきます。
独学で潜在意識やスピリチュアル的な学びをしてきました。
実家は母が毒親という感じでした。
心理的虐待から自尊心が低くなり、苦しくなった時にガイドから『許し』の大切さを教えられました。
今私の最愛の夫は、学生時代の同級生であり、当時は私は彼に傷つけられた事がありました。成長してから再会し、彼は過去を謝罪して私を必ず幸せにすると約束してくれたので、私も彼を許して結婚し、子供にも恵まれました。
私は彼のことが大好きなので、学生時代の彼はなぜ私を傷つける行動をしたのか?気になって時々昔の話をするのですが、その度彼は激しく苦しみます。
私が過去の話をせずに、今の幸福を噛み締めてくれれば救われた気持ちになる、とも言っていました。
『彼を許す』とは彼との過去も完全に忘れ去って、話にも出さないことなのでしょうか?
私は彼の過去も理解して癒せたら…と考えたのですが、忘れて話に出さないほうが、真理としても『許し』『幸福』に近いのでしょうか?
500
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 01:18:48 ID:FHk044pc0
>>476
別人でしたか。失礼しました。
何かの拍子に大きな私から戻れなくなってしまったのかと思いました。
普通だと恩寵が働いてやばいと思った瞬間に戻るものなんですが、大きな私に惹き込まれすぎたかなと思いました。笑
霊性生活と日常生活のバランスが悪いと、深い領域に入り込んだ時にどちらにも正しく納まらず自力ではどうにもならない状態になることがあるようです。
真理探求の世界では、そんな人を時折見かけます。
まあ、あなたは違うので大丈夫ですね。余計なお世話でした、すみません。
501
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 01:19:31 ID:FHk044pc0
>>484
>あらゆる自然物や現象の根底には純粋意識が宿っていて、「真のあなた」はどこにでも在るからです。
自然の中にいて、普通なら恐怖を覚える状況でも、それを楽しむくらいの余裕を感じることがありました。
敬い信じれば、それ以上のことが返ってくる。腹を立てれば大抵は沈黙してしまい、お仕置きは思い出したように時々あるだけ。
そうやって人知を超えたものを信じるようなっていったと思います。
〜「時空を超える」について〜
子供の時、空間の概念が消えた意識状態になることが度々ありました。今までは、そんなこともあったと気にすることはありませんでした。
今回、時空を超えるテーマが出てきたため、新たな疑問として浮かび上がってきました。
頻繁に起こったことなので、プロセスのどこかで統合されるもののように思えてきました。
これまでに時間の概念が消える体験はありません。
ループの体験が私にとっては未知である時間の概念に関わる出来事であれば、それと合わせて純粋意識への安定に寄与するものなのかと思いました。
>あなたが扉を何度も何度も叩いてきたから〜
あまり自覚がありません。笑
振り返ってみれば、自然に探求していて(探求が起こっていて)やってる感はそんなにありませんでした。
心理分析でエゴの実態を暴く過程はきつかったけど、真理探求はわりと楽しく楽に進んできました。
頑張らない力が抜けたエゴ抜きの真っ直ぐな探求になっていたから、扉のあちらが引っ張ってくる?
純粋意識への安定に向かうあたりからエゴが強く出始めました。おかげでエゴは錯覚であることの一段上の気づきが起こりました。
〜「どの道でも可能か?」について〜
バクティだけの人を見ていると、識別がなく折角与えられた貴重な恩寵をみすみす見逃してたりします。
智慧だけの人(実際にそうなのか確かめようがありませんが)は苦しそうで、正しく歩んでるのかと思えます。
そんなことから、一つだけではいけないのではと思い込んでいたようです。よく考えたら、どのプロセスも一進一退、どこで何が必要かは人それぞれ。
あと、覚醒した人が皆バクティも智慧も必要と説いていたのを間違って解釈してたのかもしれません。
智慧はバクティに行き着くし、バクティも智慧に行き着きます。
一つの道でもOKなのか。ありがとうございました。
最後のジャンプのところでの「愛」の話は、今の私には深遠すぎます。笑
「それ」を想って身近に感じた。「私」という壁があって、それでも充分だった。
あの時は充分だったが今はどうなんだろう、くらいのノリで眺めておきます。笑
あー、新しい気づきや知識が起こっても、古い気づきと知識の記憶はどんどん薄らいでいく。「私の」が消えているのか?
502
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 11:24:06 ID:bL8/62M60
>>487
いつもありがとうございます。
千と千尋、題名自体が既に、私と本当の私みたいですね!主題歌のいつも何度でもを久々に聴いたのですが
大きな自分を想う事、エゴとの別れ、真の自分に還って歩み出す、そんな印象を受けました。
>要らなくなったら自然と手放されます
↑実は正直、絵に対してこれを望んでいる所も有りました。でもやっぱり手放せなかった。
「ただ描く境地へと自然に流れていく」今迄もそうでした。又待ってみようと思います。
逆に動けない時はそれが恩寵で、そのタイミングではないのかも、と思いました。
手放す、でふと思ったのですが、私は整理整頓が苦手で、物が捨てられません。
次の人に渡すと思えば処分出来るので以前は郵送買取をよく利用していました。
物だらけなのは一部屋だけですがグッズ類を段ボールに入れては積み上げて
段ボールトーテンポール状態です。レシートや書類も溜めがちです。部屋の倉庫化。
心に聞くの大嶋さんも片付けの本を出されていましたが、効いた人も多々居るようですが
これに関しては、私には全く効果なしでした。
片付けを始めると強烈な眠気に襲われてしまうのも片付けが進まない理由の1つです。
これはやはり潜在意識に何か詰まりが有るのでしょうか?
大きな私さんと無意識さんはやはり同一だったのですね!教えて下さりありがとうございます。
色々聞いて遊んでみました。
私「大きな私大好き!と言いながらも個の私がツンデレな態度を取ったらどうする?」
心「してたじゃないか」私「んん?自責とか?」心「そうそう」へーそうなんだ。
自責は本当は大きな私大好きなのに気付かず個が個を責め続けているから確かにそうかもしれない。
私「大きな私はトイレの時も傍に居るの?」心「見てないから大丈夫」
えー!?絶妙な返しが来て笑ってしまった。常時傍に居るのを解ったうえで聞いたのに。笑
就寝前よりも起床時に大きな私を感じます。
あぁ眠っている間今まで完全にふたりはひとつ状態だったのに〜!起きるのが悲しいです。笑
私は在る、これはまるで木々や草花や石のようだと思いました。それらは「私は在る」として
堂々とただ存在している。枝を折られても花を摘まれても怒ったりしない。ただ在る。
雨風にも抵抗せず完全に流れに身を任せている。
大きな私モードは安全な時・安全な場所で、にします。
ボーっとして表情が緩んで私自身が危ない人になっちゃう。笑
必ずマスクをするようにしています。大きな私に気付いて以降、日常でも時折、多分変な笑いが出てると思う。笑
予知夢や過去に見た2つの夢への返答もありがとうございました。
産道=圧縮と解放でしょうか?次の段階に行く前に圧縮が起き、解放されて新しい世界が開ける。
植物の種の発芽、花が咲く時、人間の命が生まれる時、そして探求における大きな気付きも。
もしかして万物全ては圧縮と解放の繰り返しなのかも?と思いました。
503
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 12:32:14 ID:fJ9ftVPQ0
「プロセス進行のための停滞」という概念おかげで今までどうにも理解できなかった事が全て腑に落ちました
どうも今、物理的に救われると霊的成長とのバランスが悪くなる?らしい
このスレを見ていなければ気付くのが遅れたか分からなかったかもしれませんね
504
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 15:01:00 ID:bL8/62M60
>>500
>普通だと恩寵が働いてやばいと思った瞬間に戻る
↑そうなのですね!これも恩寵に任せていれば良かったのですね。
何だか不安なので個の私モードを保っておかなくては…と思っていました。
>霊性生活と日常生活のバランス
↑やっぱりバランスが大切なのですね。大きな私に惹かれながらも
時々、探求は幻だからやらなくてもいっか〜♪みたいになります。
恩寵がのめりこみ過ぎないように調整してくれていたのかもしれません。
気にかけて下さって、レス頂けて嬉しかったです。ありがとうございました。
505
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 16:30:37 ID:bL8/62M60
あっ探求をやめるわけではないです、のめり込み過ぎずに楽しく続けます。笑
506
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 18:18:58 ID:Y0rMioGg0
何回かりょうせいさんにコメントをいただいて、そのなかで最大の贈り物は「私は在る」です。
「私を在る」を静かに想う・感じるということが、よく起こるようになりました。
感謝
507
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 19:39:25 ID:HYxrQ/Vw0
>>504
りょうせいさんに正しく導いてもらった方がいいので、500は真に受けなくていいです。
誤解されるとまずいので、もう少しだけ詳しく説明しておきます。
日常の精神生活の不足を補おうとして霊性の世界に逃げる人がいます。
そうなると身動きが取れない状態に追い込まれて、なかには錯乱して手に負えなくなる人もいます。
誰しもこの世界の日常はつらい面があるけど、逃げずにちゃんと向き合ってれば大丈夫なので普通は気にしなくていいことです。
私が言ったバランスはこの意味です。
日常からの逃避になっていないかだけ気をつけて、探求を続けるといいと思います。
まあ、逃げてもいいんだけど満たされたら小さな私にしっかり向き合う。この繰り返しでいいんじゃないですかね。
それから、本当にやばいとなるまで追い込むと実際に傷つくこともあるかもしれません。
不安というのがどのレベルのことか分からないのでなんとも言えないけど、小さな私にとって危険なら避けないとですね。
あと、探求が幻というより探求する個人が幻(錯覚)です。小さな私が幻だったと気づくまで探求は続きます。
508
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 21:51:30 ID:bL8/62M60
>>507
ありがとうございます。実は幼少期から宗教(神道)に触れていて(祖父母の代からの信仰)
おかげは和賀心にあり(神はわが心の中にある。わが心でわが身を救い助けよ)という教えのもので
私はあまり熱心な信者ではないのですが、神様や祈りはずっと身近に感じていました。
潜在意識の事を知り、自責がおさまり、物事のタイミングが良くなったり
小さな幸運がよく起きるようになりました。
逃避というよりは、自ら不足に向かって突っ込んでいく様な事は止めようと思いました。
不安というのは、潜在意識や探求を知らない人からすると、今の私の脳内は
「頭おかしい」状態だと思うので、うっかり日常で変な言動をしなければ良いんだけど…
という感じのものです。
小さな私が幻、これは自己観察や思考停止メソッドを実践していた時に
「思考は私じゃなかった」と気付きましたが、思考のない静寂が退屈過ぎて何度も挫折。
探求は思考が使えるぞワーイ!と遊んでいるような感じです。笑
509
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 22:53:59 ID:bL8/62M60
あっ肝心な部分が抜けている…
大きな私LOVE状態は、ある意味、遊びのような感じで
日常は潜在意識にお任せで物事のタイミングが自然と整っていく感じなので
個の私は以前と比べるとかなりゆる〜い気持ちで生きている感じです。
探求が逃避にならないように気を付けていきたいと思います。ありがとうございました!
510
:
幸せな名無しさん
:2025/12/06(土) 23:36:04 ID:bL8/62M60
>>507
何度もごめんなさい、今意味が解りました(遅い!)
例えば、日常で嫌な事が有った時に、大きな私ちゃん抱っこして!みたいに
逃避する事の危険性ですよね。逆にその考えは無かったです、というか
ちょっと想像して怖くなりました。依存というか抜けられなくなりそう…。
大きな私にサポートしてもらって日常生活一緒に頑張るぞ!という感じなので
とりあえずは大丈夫かなと思いましたが、危険性について教えて下さり、有難う御座いました。
511
:
幸せな名無しさん
:2025/12/07(日) 00:58:28 ID:1OuukQwI0
>>508
>>509
>>510
そうでしたか。あなたの状態の詳細はこれまでのレスからでは掴めなくて、別の人の投稿と混同し、どうしたんだろうと思いました。
結局違う人だったので、あなたのことは大丈夫な人だと理解しましたよ。
実際日常に不満はないようだし。
ただ絵のことで悩んでるように見えたので、大きな私に逃避してる印象がありました。
なので、
>大きな私にサポートしてもらって日常生活一緒に頑張るぞ!
それでいいんですよ。エネルギーもらって日常に向き合えるんですから。
依存しすぎるのが危ないとわかったのなら、もう大丈夫!
時々甘えさせてもらって日常も探求も続けて、究極的には「大きな私」は優しく包んでくれる対象ではなくて「本当の私」だったと気づいていく。
私があんまり言うと混乱させてしまうかもしれないので、これくらいにしておきます。
お役にたてて良かったです。
512
:
幸せな名無しさん
:2025/12/07(日) 01:41:41 ID:YeefPwAU0
>>511
絵は諦められるなら諦めたかったけど今回も又諦めることを諦めました状態です。笑
確かに、探求に向かう事で自然と絵の事を忘れられるならそれも良いかもとは思いました。
描く時は「心に聞く」でアイデア提供してもらっているので二人三脚な感じです。
やっぱりまだ描けてはいないですが、自然と描きたくなるタイミングを待とうと思いました。
大きな私=本当の私、これはまだやっぱり抵抗があります。しばらくは大きな私に甘えていたい。
まだ個の私は消えたくないみたいです。ゆっくり実践を続けて行きます。
アドバイス下さり、ありがとうございました!
513
:
幸せな名無しさん
:2025/12/07(日) 03:05:26 ID:YeefPwAU0
あれ、何か大きな私が感じられなくなったし、心の声も聞こえなくなっちゃった
一時的なものなら良いんだけど…
514
:
幸せな名無しさん
:2025/12/07(日) 10:21:16 ID:5NAQdip20
>>513
早速次のステップに入ったか?猶予を与えない有無を言わせぬ厳しいところがとても恩寵っぽいです。
消えたのは「大きな私」の親心(恩寵)だと思います。
探求は「私」(エゴ)が剥がれていくプロセスなので「私」にとっては辛いんですよね。
本当に必要になったら現れてくれると思います。
わからないことはりょうせいさんが教えてくれるので安心ですね。
515
:
幸せな名無しさん
:2025/12/07(日) 11:30:21 ID:YeefPwAU0
>>514
ありがとうございます。手を伸ばせば届く距離に大きな私が居たのに居なくなっちゃって
何で!?と思っていたら後ろに居てそっと抱かれて「甘やかす事は出来ない」って言われて
至近距離から居なくなっちゃったんですよね。うわ〜ん寂しい!でもこれはもう私の方が
大きな私になって小さな私を抱っこするしかないんじゃない?小さい私ってどんな感じ?
あっ、ちいかわちゃんみたいな感じ?私あんなに健気でも可愛くもないけどちいちゃんお借りするね!
ちいかわちゃんヨシヨシ…って、ヤーッ!って討伐されたら終わりじゃない?終わるの?
よし分かった、こんがらがってきたから思考停止しよう!(←イマココ)
やっぱり親心だったんですね。大きな私にすがる事で絵を諦めようとしたのも
良くなかったのかもしれないなと思いました。あぁ〜。
516
:
幸せな名無しさん
:2025/12/07(日) 13:11:27 ID:YeefPwAU0
必要な時は手助けするけど過度に甘やかす事はしません、って事かも。
確かに。自分で歩けなくなっちゃうからね…。正しくは歩こうとしなくなる、かな。
しかも自分では無自覚のうちにじわじわとそうなりつつあったのが怖いところ。
517
:
幸せな名無しさん
:2025/12/07(日) 13:28:16 ID:YeefPwAU0
ふと、ジジの声が聞こえなくなって飛べなくなったキキ思い出した。
作中に絵描きのお姉さんも出てたね。スランプがどうのこうの言っていたような。
何で今これ思い出したんだろう?恩寵か、そうか〜。
連投失礼いたしました。
518
:
り改め りょうせい
:2025/12/07(日) 20:36:50 ID:SPXSav9M0
>>495
(2回に分けます)
>はっ!また!!と気づいて戻るの繰り返しです。
→いいですね。その「戻る → 気づく」の往復は、本来の自己へ定着していくうえで欠かせない動きです。深まりが進んでくると、日常では普通に巻き込まれているように見えても、その奥では 気づきとして在るという感覚が静かに育っていきます。
>昔、達人さんと言われる方のスレを見させていただいていた時、一度認識の変更をするともう元には戻れないと書いてらして、去年の一瞥体験や大きな気づきがあって笑い転げていたあれは違ったのか、なんで何度も戻ってしまうー?笑なんて思ってたんです。
でもそんなわたしが思考してる範囲内ではわからない、感覚のようなお話ですものね。
→ここからは、あなた個人に向けて、というより、このスレ全体に向けて構造説明するつもりで書きます。どうか気楽に読んでください。
(また、私はその達人の方の文脈を知らないので、その方を否定したいわけではありません)
「認識の変更」という言葉は、実は2つの意味があります。まず、潜在意識界隈で使われる「認識の変更」は、
・物の見え方
・感情の反応
・解釈
・気づきの質
など、個の人生をより良くするための調整を指しています。
現実を動かしたり、願望実現のための工夫として用いられるものですね。
これはこれで必要な段階であり、悪いものではありません。ただ方向性としては、あくまで 「個を強める側」 の働きなんですね。
一方、悟り探求、自己探求、真理探求の文脈で語られる同じ言葉は、まったく方向が違います。
・真の自己へ帰ることそのものが目的
・個がどう改善されるかは中心テーマではない
・個という前提そのものが溶けていく
こちらは 個という夢から目覚める動きです。
同じ「観察」「思考を見る」「明け渡す」
「手放す」「瞑想する」「在る」
「海と波の比喩」「映画の比喩」などの表現が使われていても、
・片方は「個を整えるため」
・片方は「個を超えるため」
構造は似ていても、方向性は真逆なんです。
では、この二つを同時に扱うと何が起きるのか?
悟りのメソッドを願望実現のために使うと、恩寵は必ずこう動きます。
「願望より先に、″個という前提″そのものをゆるめようとする」
これは罰でもお仕置きでも何でもなく、構造上きわめて自然な働きです。
その結果として、
・古い思考パターンが急に浮上する
・感情の揺れが強くなる
・浄化が加速する
・願望どころではなくなる
という、まるで逆走しているような現象が起きます。恩寵がお風呂に連れていき、シャワーで同一化を洗い流すというだけです。
なので、これは失敗ではありません。
むしろ必然なルートです。
ここから、多くの真理探求者のプロセスでも、
・浄化が激しく起こる人
・比較的楽に進む人
が分かれる理由にもつながります。
「願望実現したい力」と「真理へ向かう力」が同じくらい強いと、その間で摩擦(=浄化)が一気に噴き出すからなんです。
ですので私はいつも、
・願望実現を望むなら、素直にその道をまっすぐ進む
・真理探求が始まった人は、その道を歩く覚悟が必要
と線引きを強調しています。
混ぜると苦しくなりますが、どちらも尊重されるべき道です。これは願望実現がダメで真理探求は正しいと、いう話ではないので、そこは誤解のないようにお願いします。
519
:
り改め りょうせい
:2025/12/07(日) 20:38:01 ID:SPXSav9M0
>>495
続いて、話を戻します。
>一瞥体験や神秘体験をしても戻る理由
それは単純で、「認識が変わった」と言っている主体が、まだ「個の側にいる」ため です。
主体が変化側に立っている限り、主体そのものが揺れます。
ですから、
・揺れる
・戻る
・定着しない
これはすべて正常で、むしろ自然な流れです。
悟りを深めていくと、明らかになるのは、
「個がどう変わるか」ではなく
「個はそもそも私ではなかった」
という構造の暴露です。
一瞥体験は恩寵ですが、変化側の現象なので、それだけでは終わりではありません。
また、私が以前「シフトした」と書いた真意。
誤解を避けるために、またまた補足すると、
私が使った「シフト」という言葉は、潜在意識界隈の 「認識の変更」とは全く別物です。
あれは、
純粋意識・全体意識としての私から、さらに奥の絶対の側へ主体が自然に移った
という意味であって、
「個人(りょうせい)の認識がどう変わったか」という話ではありません。
なので、私の視点からは、
・個は全体の動きの一部でしかなく
・真の私は世界全体として在り
・そしてその世界でさえ、究極的には現実とは言えないという理解者なき、理解になります。
>もう元には戻れないとは何か?
→これは、夢にどれだけ熱中していても、朝、目が覚めた瞬間に「夢に戻ろう」という発想すら起きません。これが悟りで語られる 戻れないに近い感覚です。
ただしこれは、主体が純粋意識にしっかり落ち着いた後に自然と起きる変化であり、
そこまでは揺れが続くのは普通です。
あなたはまっすぐ真理へ進んでいます。そのモチベをぜひ大切に。ラーマクリシュナ読書体験ぜひ楽しんで下さい。またなにかあればどうぞ!
520
:
り改め りょうせい
:2025/12/07(日) 20:48:05 ID:SPXSav9M0
>>497
>個⇔世界で、意識がそれを内包しているって感じかな。
→個の視点から見るなら、その理解で問題ありません。ただ、意識そのものには形も境界もなく、掴もうとするとスッと抜け、離れようとすると逆に包まれるような、そんな曖昧でいながらも、決して揺らがない存在性質があります。
全宇宙を放出しながら、そのすべてとして在る
意識とは、本来そういう静かなシンプルな在り方なんです。
>では意識から生まれた個や世界を変更することは可能なんでしょうか。
→意識(あなた)は、意識自身の運動として世界を展開しています。個が「変えられた」「変えられない」と感じるのも、その運動の一部なんですね。
だから、起こるときは起こり、起こらないときは起こりません。
ただ、もしあなたの質問の意図が
「個として願望を持っていいのか?叶えていいのか?」ということであれば、私は迷わず YES と言います。友人や知人にも「やりたいことはやったほうがいいよ」としか基本的に言いません。
ここからは参考になるかわかりませんが、個としての私(りょうせい)の話をします。
(※これは、個の私のただのストーリーなのでご興味ない方は飛ばしてください)
まず、私が潜在意識に触れた理由というかキッカケは、願望実現が目的ではありませんでした。
もっと根源的で、説明のつかない体験がきっかけだったんです。
幼稚園の頃、自分しか知らないある特定の想念が、そのまま現実の形になって現れた出来事があったんです。
その衝撃が強すぎて、
「これはどういう仕組みなんだ?」
と知りたくなり、構造を追い始めました。
さらに父親からワンネスの話(木の例え)などを聞かされて育ったこともあり、
「世界とは何なのか?」「自分とは一体どこからきたのか?」「ただ存在しているだけでなんでこんなにも苦しいのか?」という問いが、子どもの頃からずっと消えなかったんです。笑
だから私は、願望を叶えるために潜在意識を研究したというより、はじめから意識の構造そのものに惹かれていました。
幼少期の私は本気でこう信じていました。
「今見えている前だけが存在で、背中側には何も存在していない」
親戚の人にそれを言ったら、当然ながら怪訝な顔をされましたし、笑
内心その反応はショックでした。
しかし、当時の私は世界とは本当にそういうものだと思っていたんです。
性格もかなり極端で、
納得できないルールは守らない
興味のあるテーマは何週間でも潜る
興味のないものは視界から消える
集中すると周囲の声が本当に聞こえなくなる
そんな子どもでした(ほぼ問題児です・・笑)
だから願望実現に関しても、
叶えるために努力するという感じではなく、
「強い衝動が抑えられず、想い続けていたら気づけば身体が動き、結果として叶っていた」
ただそれだけでした。
大人になっても欲望は人の何倍も強く、
比較的、願望は何度も叶いました。
そして誤解を恐れずに正直に言うと・・たとえ叶っても、途中から深いところで、面白くなくなり、新鮮さがなくなり、言いかえればそれでも心の底から満たされず、虚しくなっていきました。
これは、ある意味では個(エゴ)のただの想念であり、同時に恩寵の働きなのですが、そんな時期もありました。
(もちろん願望実現を否定するつもりはまったくありません)
ただ私の場合は、「もっと手前で感じ続けていたあの違和感の正体を知りたい」
そちらが、どうしても勝ってしまっただけなんです。
そこから、少しずつ願望よりも
世界の根本とは何か?という問いが前に出るようになり、ある日、個の人生の基盤を揺るがす出来事をきっかけに、
気がつくと真理探求の大きな流れに巻き込まれていました。これは努力でも意図でもなく、
ただ 起きるべき流れに押し出された 感覚です。
なので、潜在意識も、願望実現も、真理探求も、
どれも私の意思というより、
「流れのほうが私を連れていった」
というのが正確なんですね。
私が恩寵という言葉を何度も使うのは、
こんなに自我が強く勘違いも多かった個の私でも、恩寵は最適に運び続けてくれていた、
その感謝の感覚が確かにあるからです。
>現実は無視、などと言いますが。。。
→私の場合でいうと、現実を無視したというより、そもそも「これが現実だよ」という感覚自体があまり定着しなかったんです。
いわば、現実に対して迎合するふりだけしつつ、
本心では世界の枠組み自体を元々あまり信じていないタイプでした。
そんな性質が子供の頃からかなり強かったんだと思います。
だから大人になっても、結局は起こりに合わせて、やる必要のあることだけを、ただやる、
起こらせる。
その気質がそのまま個の私の基本性格になっていました。
なので、願望実現に関しての個の私の意見は、そんな感じになってしまいます。
521
:
り改め りょうせい
:2025/12/07(日) 20:52:18 ID:SPXSav9M0
>>498
そのように言っていただけて、私もとても嬉しいです。
>「構造」とは〜
>このことが「心=世界」であり「構造」ということでしょうか。
→ はい、その理解で大丈夫です。
ここで言う「構造」とは、意識内の運動・想念のパターン のことです。
同じ出来事や人に対して、いつも似た反応をしてしまう。記憶が何度も浮上し、そのたびに不快な感情になる。この繰り返される心理パターンこそが 心=世界 の働きであり、構造そのものです。
>「個の物語の同一化」とは、この不快な思考や感情にのめりこんでいるものが、自分である、と思ってしまっているところから、観察をしている側に意識にずらすこと、これが「同一化を解く」、ということでしょうか。
→ そうです。その理解で問題ありません。
ただし、ここには 個が努力でできる範囲の限界 があります。
理由は2つ。
1.個のマインドには「正しい方向に進んでいるか」が判断できない
観察を続けても揺れが大きくなる人は多いです。
2.観察を続けるうちに「観察者という新しい個」が確立してしまうことがある。ここが初期の落とし穴ですね。
だからこそ、真理探求におけるガイドやグルの役割は知識ではなく、方向の調整と在り方そのものを伝えることにあります。たとえるなら、
日本でアメリカの本を読み続けるより、実際にアメリカに住むほうが、理屈を超えて理解が早い。その感覚に近いかもしれません。
(本当はもっと霊的な意味合いがありますが、例として分かりやすいかと思います)
>純粋意識のほうが自然と前に出るようになりたい
→ そう言っていただけると、このスレを立てた意味も報われます。励ましのお言葉も、ありがとうございます。
今、私は合間をぬってサイト制作を進めていますが、掲示板では質問者ごとに角度を変えて答えているため、
・個の領域
・純粋意識の領域
・超越の領域
これらが自然に混ざりやすいんですね。
第三者の読み手が どの段階の方でも安全に理解できるように、
言葉を置く位置や深さを毎回微調整しています。
この「段階の調整」こそがもっとも時間を使う部分で、文章化にはどうしてもタイムラグが出ます。
一方、サイトでは内容を体系的に整理し、
誰が読んでも段階的に理解できるよう構築しているため、さらに時間を要しています。
Q&A形式なら筆は軽く進みますが、
真理探求は概念を並べても意味がなく、純粋意識という共通の土台がなければ
ただのマインドゲームになってしまうからです。
このスレでは自然な流れで言葉が出てきますが、文章として残す際には、
・どこを残すべきか
・どこを削るべきか
・さらに第三者の読み手の段階ごとの誤解を避ける配置になっているか
など慎重に調整しているため、どうしても手間がかかります。
私としても、実にもどかしく、笑
もっと滑らかにサクサクやり取りしたい思いがあります。
そこで、今後の場づくりについて少し書いておきます。
掲示板はあくまで全体向けの場なので、
個々の物語を丁寧にほぐしていくには、やはり限界があります。
純粋意識の概念的理解がある程度浸透した今、
次に必要になるのは、個の物語を扱うより繊細な場だからです。
そのため、もっと気軽で、もっと個別に深く話せる場所。いわば簡易的な相談のプラットフォームを準備しようと考えています。
言葉が起きる速さも深さも、やはり個別のほうが圧倒的に合うんですね。
また、文章のやり取りだけではなく、他の形式にも広げたい気持ちがあります。
掲示板では具体的な宣伝は控える必要がありますので、また流れが整ったタイミングで、静かに報告させていただきます。笑
522
:
り改め りょうせい
:2025/12/07(日) 21:01:31 ID:SPXSav9M0
>>499
はじめまして。書き込みありがとうございます。あなたのご質問、とても繊細で、そしてとても本質的なテーマです。
「許し」「過去」「癒し」これは、個の心だけで扱うと必ず苦しくなる領域なんですね。
なので私は、真理の視点 からお話しします。
まず大前提。
あなたの本当の立ち位置は、
個でもなく、行為者でもありません。
人生には季節があるように、
心にも世界にも気質の変化があります。
・荒々しい季節
・内側へ沈む季節
・優しさが自然にあふれる季節
・自尊心が揺らぐ季節
例えると。
まるで
戦国 → 江戸 → 明治 → 平成 → 令和
と時代が移り変わるように、その時その時で
「世界観」そのものが違うんです。
では、なぜ昔、彼はあなたを傷つけたのか?
とても大事な話をします。
今の彼はあなたを深く愛し、謝罪し、苦しむ。
これは 「令和の彼の気質」が出ている時代の反応です。でも学生時代の彼は「戦国の気質」の中にいた。
つまりあなたが
「どうして昔あんなことができたの?」
と聞くのは、今の落ち着いた彼(=令和の気質)に向かって、昔の荒々しい彼(=戦国の気質)の行動を説明させている。という構造なんです。これ例えですが、本当にそうなんです。
今の彼と、昔の彼は、同じ人物でもまるで違う時代の気質を背負って生きていた。季節が違えば風の吹き方が変わるように、そのときの世界観・心の質・意識の気候がまったく違うわけです。
だから昔の行動を
「今の彼の基準」で説明するのは、
そもそも 構造的に無理がある んですね
そのため、彼はこう言うしかない。
「あの頃は、あの気質の中で生きていたんだ・・今とは本当に違うんだ・・ごめん・・」
これは人格の問題ではなく、世界の気質が変わったために、彼という潜在的傾向も変わっただけです。
・世界が冬なら、人の心も固くなる
・世界が春なら、心は自然と開く
彼の意識の運動(=世界の季節)が変化したから、彼の行動(=人生の天気)も変化した。
それだけのことなんです。
では「許し」とは何か?
ここが本題の核心です。
許しとは、個が頑張ってするものではありません。
許しとは、
・許す
・許せない
・思い出す
・傷ついた
・癒したい
これらの想念すべてを内包している
「意識そのものの性質」です。
個のあなたは許せないかもしれない。
痛みが出るのは自然です。でも真相としては、「許す/許せない」も含め、すべては意識の運動であり、誰も何も行為していない。
あなたも彼も、加害者でも被害者でもなく、
ひとつの意識の中で起きた波立ちにすぎない。
では、過去を話さないほうがいいのか?
ここは誤解の多いポイントです。
「話す/話さない」ではなく、
どの立場から話しているか が重要。
・癒したい
・分かり合いたい
・安心したい
これが 個の痛みの立場 から出ると、
あなたも彼も戦国の世界観に引き戻されます。
しかしあなたが一瞬でも
意識そのものの落ち着きに戻ると、言葉を使わなくても彼は癒されます。
あなたが 許しそのものの意識の場から触れると、彼も同じ静けさに戻っていく。
だから、「過去を忘れないと許しではないのですか?」という問いそのものが、実は誤解なんです。
許しとは過去を消すことではなく、個の痛みの立場から自由であること。あなたが真の立場に戻れば、その瞬間にもう癒しは起きています。
つまり、あなたも彼も、
ずっと意識の中で最適に運ばれています。
あなたが「許し」に戻ること。
それが、お二人にとって最大の癒しになります。もし何か引っかかるところがあれば
また遠慮なく聞いてくださいね。
523
:
り改め りょうせい
:2025/12/07(日) 21:06:10 ID:SPXSav9M0
>>501
>これまでに時間の概念が消える体験はありません。
→ 時間の概念とは「記憶」と「想念」の連続によって成立しています。
そして、その想念が現れる最初の点が
「私 ─想念」 です。
この「私─想念」が流れ出していく場
そして、常に背後で静かにあり続けている下地。それが 真のあなた(純粋意識) です。
以前あなたが私の感覚を探しましょうというニュアンスのことを誰かに向けて書いていましたよね。(たしか・・笑)
まさにその線で合っています。
そして、ひとつスルーしてしまっていたので触れておきます。
>真理、霊性系の書物には、心を脱ぎ捨てる、エゴが纏ったものを捨てる、忘れ去る、執着を捨てる、なんて表現が頻繁にされます。
誰かと話していても、こういう表現をする人が多い。というか殆んどです。
実際は「私は個である」という錯覚が消え、個が持っていたものへの執着がなくなるだけなんですよね。あなたが以前に言われた「外部からの知識を忘れ」る必要はこうしたことですね。
→ これ、まさしくそのとおりです。
「心を脱ぎ捨てる」「エゴを捨てる」とは
個が頑張って手放すという話ではありません。
本質的にはただ、「私は個である」という同一化、錯覚が薄れ、その錯覚が掴んでいたものが、結果的に勝手に落ちていく。それだけのことです。つまり、「すべては結果論」なんですね。個が「それ」になろうと色々「それ」の性質の真似をするんです。しかし、「それ」の性質を真似るのではなく、「それ」で在るべきなんです。これが「合一」「私は在る」の叡智です。
インド思想で言えばヴァーサナー(潜在的傾向)心の性癖との同一化が、静かにほどけていく。そのプロセスがエゴの解体 です。
智慧の道は、
純粋意識として徹底して在り続けることで、
同一化が勝手に消えていく。
バクティは、
個として純粋意識に対して、
徹底して私が同一化しているすべてのものを捧げ続けることで、最後に捧げている主体そのものが溶ける。
見ている角度が違うだけで、
どちらも本質的には同じ運動です。
>扉を何度も何度も叩いた自覚はあまりありません。笑
>真理探求はわりと楽しく楽に進んできました。
→ あなた自身の自覚がないだけで、
扉のノックは長く長く続いていたんです。笑
しかも楽しく楽に進めるタイプの人は本当に稀。それはあなたの努力でもあり、
ある意味では 真理探求に関する徳を積んでいたとも言える。だから扉のほうがあなたを引っ張ったんです。
>あー、新しい気づきや知識が起こっても、古い気づきと知識の記憶はどんどん薄らいでいく。「私の」が消えているのか?
はい。まさに「私の」が薄らいでいます。
純粋意識とは、「私が気づく」のではなく、
「存在そのものが=気づきである」
という状態です。だから、
・時間を超えて
・記憶を超えて
・個のストーリーを超えて
気づきは常に今この瞬間だけにあります。
個としての「私の知識」は薄れ、
気づきそのもののほうが前に出てくる。
あなたに今起きているのは、その自然な流れです。
524
:
り改め りょうせい
:2025/12/07(日) 21:12:19 ID:SPXSav9M0
>>502
>私は在る、これはまるで木々や草花や石のようだと思いました。それらは「私は在る」として
堂々とただ存在している。枝を折られても花を摘まれても怒ったりしない。ただ在る。
雨風にも抵抗せず完全に流れに身を任せている。
→ はい、まさにです。
そして、真実のところ、「あなたは二人ではなく、最初から一人です」
言いかえれば二人という演技をした、一なる者なのです。
たとえば、想念の中で気づきや、解釈、声を聞くなどの探求を日常で楽しめる範囲でされるのはまったく問題ありません。
ただし、マインドを使った考察というのは、思っている以上に大量のエネルギー を消費します。
ですから、必ず休みを入れながら、
日常の体感と静けさを中心に置いてくださいね。
疲れたら休みましょう。
疲れたらアニメや趣味を通して、癒しの回復をしていきましょうね。
そこが土台になるます。瞑想や明け渡しといった霊性の深いプロセスは、人生のタイミングや状況の準備が整ったときに、必要な分だけ自然に起こります。
こちら側から急かす必要はまったくありません。
焦ると、かえってマインドの領域に戻りやすくなるんですね。どうか、静けさを大切に。
それだけで十分に進んでいきますよ。
幸運をお祈りします。
525
:
り改め りょうせい
:2025/12/07(日) 21:15:24 ID:SPXSav9M0
>>503
何かしら参考になったのなら、本当に良かったです。
>どうも今、物理的に救われると霊的成長とのバランスが悪くなる?らしい
→なるほど、そのお話は、核心を突いているかもですね。笑
そもそも 物質(目に見える世界)と
霊性(目に見えない世界)は、いつも綱引きのように働いています。
エゴというのは物質側の性質を持っているので、
どうしても 目に見える救い・成果・安心 を欲しがります。一方、霊性の恩寵は、
個の私たちを 目に見えない本質のほうへ静かに引っ張ります。だからある段階に来ると、
「物質的に救われすぎると、霊的成長の流れから逸れてしまう」
という調整が、自然に起こることがあります。
それは罰ではなく、
その個の霊性側の成熟が進んできた証拠です。
恩寵は、個が本当に向かうべき方向へ進みやすいように、そっとバランスを取り続けています。
物質と霊性は対立しているわけではなく、
ただ、シンプルにどちらを今優先すべきかが変わるだけなんですね。
526
:
り改め りょうせい
:2025/12/07(日) 21:18:44 ID:SPXSav9M0
>>506
私にとっていちばん伝わってほしい、贈り物があるとしたら、それはまさに「私は在る」なので、そう言っていただけてとても嬉しいです。
>「私を在る」を静かに想う・感じるということが、よく起こるようになりました。
→ 素晴らしいですね。
その静かな想起が増えていくことが、自然と深まっていく流れです。
こちらこそ、感謝いたします。
527
:
幸せな名無しさん
:2025/12/07(日) 23:18:48 ID:YeefPwAU0
>>524
有難う御座います。個の私があまりにも寂しがるので大きな私が戻って来てふわっと包まれて
そのまま1時間半ほど眠らされました。大きな私に気付いて以降、日常が更にスムーズに
なっていたのですが、居なかった今日は微妙に不協和音な感じでした。
大きな私は斜め後ろに居る感じですが今は言葉は聞こえません。日常においても大きな私が
すぐ傍に居てくれると思うと心強いので無理して離れようとするのはやめることにします。
>二人という演技をした、一なる者
↑何となく二人羽織っぽいなぁと思っておりました。だから背中側に移動したのかも。
ところで探求の流れはどの位の割合で起こる事なのでしょうか。10人中何人位とか。
今の私の状態は探求というより「個を整えるため」の方になっている感じですかね。
余談ですが、なるます。でアーニャちゃん連想してちょっと和みました。(すみません)
528
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 01:37:36 ID:mXiXLstU0
>>521
> 掲示板はあくまで全体向けの場なので、
個々の物語を丁寧にほぐしていくには、やはり限界があります。
純粋意識の概念的理解がある程度浸透した今、
次に必要になるのは、個の物語を扱うより繊細な場だからです。
そのため、もっと気軽で、もっと個別に深く話せる場所。いわば簡易的な相談のプラットフォームを準備しようと考えています。
こういう場でためになることは、達人さんたちの言葉から伝わる意識の静寂であったり、エネルギーを感じとれることだと思います。
お願いもされずこういう場を作りお願いもされずプラットフォーム作成という流れは、最初からそういう意図で始められたのかな?と思ってしまいました。
お金もいただく流れでしょうか?
在り方という面ではそういう面も見てしまいます。
相手の個別のストーリーに入りこむよりかは、それが幻ですよとこの場で伝え続ける方が達人さんのスマートな在り方のように思えてしまいます。
529
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 04:11:15 ID:IIQQl0Zs0
全て恩寵なら、個の私はこの酷く辛い人生をただただ耐えていくしかないですか?
どんなメソッドをしても、自愛をしても、自分の内面は変わっても現実は全く変わりません。
恩寵からしたら全て完璧でも、私はもう耐えられそうにありません。耐えられなくて自分で命を絶っても、完璧ですか?何かをしたら現実が変わるということから抜けて、全て恩寵から起きるものだとしたら、私はこれからも死なない程度に苦しめられ続け、ただそれを耐えながら見ていることしかできません。恩寵がヨシというまでは。本当に辛くてもギブアップ出来ないし、私が望むものは何一つ与えてくれない。恩寵にとっての完璧を押し付けられて、個の自分はその与えられた人生をただ耐えることしかできない。もう何十年も耐えてきました。何も変わってないように見えて奥底では実は変わっているのかもしれないけど、何十年も苦しいです。辛いです。こんな人生しか与えてくれない恩寵なんて全部消えてしまえばいいのに。
530
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 07:35:44 ID:Omcwg4Hs0
>>522
りょうせいさん
ご回答頂けてとても嬉しいです。許しに対しての理解が深まりました。
私は思春期に母から自死を命令されたことがあり、その際に『個としての痛み』を超えた『意識のわたし』に視点が移りました。
心は穏やかになり、癒しもありました。
その状態で日々過ごし成長していくと、私から癒しを得るために、あえて嘘をついたり、婚約して子供を授かっても中絶を望んでくる男性などもいました。
その体験から、私は『意識のわたし』であることから降りて再び『個としての痛み』の視点に戻ったのでした。
痛みがあるからこそ、大切な存在を守れるのではないか?と当時は考えた為です。
もしかすると、そこにも誤解があったのかもしれません。常に『意識のわたし』であれば、痛みの解釈も、人生の見え方もまた変わるのかもしれませんね。
とても深く染み入るお話です。
勉強になりました。ありがとうございます。
531
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 13:53:41 ID:qlw9bJj60
>>524
527です。大きな私の感覚が掴めたかも知れません。過去に個の私が個の誰かを好きになるのではなく
大きな私が大きな相手に惹かれた事が有ったのを思い出しました。
↓ちなみにこの書き込みも私で、この事ですが個の事なので読まなくても大丈夫です。
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1610258414/453-454
しかし個の私からするとこれすごく嫌。個の相手の事は最初から一度も好きじゃないし。
でも大きな私はそうじゃなくて、純粋に大きな相手に惹かれて、大きな私目線の気持ちを思い出させてくれた。
もしかしてこの人ガイドさんだったんだろうか?個の私は「うげー」って退いてるけど。笑
昨日寂しがる個の私を抱きしめて眠らせたのは私。昔からピンチの時は必ず助けが入ると思っていたけど
助けるように調整したのも私。どういう方法を使ったのかは分からないけど。
しょんぼりする個の私をずっと見守っていたのも私。個の私が大きな私に気付いた後に
いっぱい話しかけたり抱きしめたりしたのも私。だって嬉しかったから。大きな私は個の私が大好きだから。
大きな私の純粋な気持ちが解った。心からやりたいと思った事は大きな私が望んでいる事なので
個が何度阻止しても無駄、何度でもその物事をやりたいなぁって気持ちにさせられる。
好きな物も同じ、大きな私が望んでいるから惹かれる。この視点でいれば個は無駄遣い減らせるかも。笑
気付きが有ったけど視点は個の私の方へ戻ったりすると思う。過去パニック発作の時に大きな私が助けてくれた時
一時的に大きな私視点になって個の私を眠らせてから個の私に戻った気がした。
大きな私視点を忘れそうになった時に、例の大きな相手の事を想うと、視点を思い出せたりするんですよね。
個の私からすると「ムキー!怒」なんですけどね。面白いなぁ。笑
532
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 15:13:48 ID:qlw9bJj60
しかし個の私の喜怒哀楽は普通に存在しています。感情が発生した事に気付いたら
大きな私視点になって「はーいよしよしヾ(・ω・`)」しています。
533
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 19:35:45 ID:/MbyHMbY0
>>482
すごく間が空いてしまってすみません、468です。
お返事ありがとうございました。
実は何度も読み返して、分からなくなって、少し放っておいてしまいました。せっかく沢山のお返事いただいていたのに、ごめんなさい。
ただ一つ、最近、変化がありました。
それは、とにかく、どんな感情、思考、行動が生まれても、否定しないでみようと思えるようになったことです。
実は最近、朝に目覚めた直後の絶望感が酷くて、⚫︎にたくなったりしていました。
その時、あまりに辛かったのですが、なぜか同時に「絶望してもいいんだよ」という思いも生まれました。
そしたら一瞬ですが、その絶望感から生じた胸の痛みが和らぎました。
それで、もう本当に⚫︎ぬなら、失うものはないんだから、全て認めて、それでいいよって言ってあげようと思いました。
思えば、親を許せないのは、いいよって言ってもらえていなかったからかもしれません。
それは悲しいことだけど、自分は、自分だけでもいいからいいよって言ってあげようと思えるようになりました。
534
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 20:16:37 ID:0flokZ9M0
>>521
ご回答いただきまして、ありがとうございます。
>個が努力でできる範囲の限界 があります
真理探求におけるガイドやグルの役割は知識ではなく、方向の調整と在り方そのものを伝えることにあります。
そうなのですね。確かに、自分で判断できないですし、観察者という新しい個が確立してしまいそうです。スムーズに同一化を解いていくために、ガイドやグルのご指導を受けることができると、やはり良いですね。
>日本でアメリカの本を読み続けるより、実際にアメリカに住むほうが、理屈を超えて理解が早い。その感覚に近いかもしれません。
とてもわかりやすかったです。ありがとうございます。
>第三者の読み手が どの段階の方でも安全に理解できるように、
言葉を置く位置や深さを毎回微調整しています。
>文章として残す際には、
・どこを残すべきか
・どこを削るべきか
・さらに第三者の読み手の段階ごとの誤解を避ける配置になっているか
など慎重に調整しているため、どうしても手間がかかります。
そのようでございましたか。ご配慮いただきありがとうございます。
こちらのスレで、わかりやすく、丁寧にご説明いただいている、その文章に惹きつけられ、大切なところをメモ取りながら、読ませていただいております。私の理解や気づきが少しずつ、深まってきているように思います。いつもありがとうございます。
>言葉が起きる速さも深さも、やはり個別のほうが圧倒的に合うんですね。
また、文章のやり取りだけではなく、他の形式にも広げたい気持ちがあります。
文章でのご相談も、他の形式にしましても、どのような感じになるのか、とても楽しみですね。流れが整いましたら、是非ともお知らせを頂きたいです。
535
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 20:52:41 ID:njeVzny60
りょうせいさんは真理探究をするべくして生まれてきたというか、生まれた時から特異な感じだったんですね
これは偏見かもしれませんが、悟り、真理のような方向へ行く人は
何か人生で大きなイベントがあって、みたいな人が多いように思います
私も正確には真理探究からはズレるのかもしれませんが、生まれた時から(なんなら生まれる前から?)
見えない力で筋書き、レールが決まってて、逸れたら死みたいな状況だったからやるしかなかった
これも生まれた時からというより、後から思えば全部決まってたなって感じでした
霊能者なんかも心底嫌だったとか、やりたくなかったけど無理だったとか、そういう人わりといますね
私はそこまで嫌々ではないけどライフワークとか(やらなくてもいいけど)やりたくてやってる、みたいにはならなかったですね
追い立てられて走らされている
536
:
り改め りょうせい
:2025/12/08(月) 23:03:55 ID:S.ZJTz/I0
>>528
ご意見ありがとうございます。
率直に感じたことを書いてくださるのは、
むしろありがたいです。
私はもともと、このスレを場づくりや有料化を計画して始めたわけではありません。
書いていく中で、掲示板だけでは届けにくい層がいると感じた、ただそれだけです。
サイト制作(ブログ記事)も同じで、全体向けの内容は無料で開きつつ、個別に深く扱う領域は、どこであっても有料にしています。
これは商売というより、質と責任を保つための線引きです。
>相手の個別のストーリーに入りこむよりかは、それが幻ですよとこの場で伝え続ける方が達人さんのスマートな在り方のように思えてしまいます。
これに関しては、個別のストーリーに入り込むというより、真理が働きやすいよう必要な部分だけを整える、という感覚でいます。
ここでは深入りしすぎず、全体が安全に読めるように意識しています。
コメント、ありがとうございました。
537
:
り改め りょうせい
:2025/12/08(月) 23:08:52 ID:S.ZJTz/I0
>>529
>全て恩寵なら個の私はこの酷く辛い人生をただただ耐えていくしかないですか?
→全てが恩寵かどうかは、個の視点からは見えません。だから今あなたが感じている苦しみ、悲しみ、怒り、抵抗、裏切られた感覚、逃げたい気持ち、それらは全部自然です。
恩寵という言葉は「全体の視点」であって、
個のあなたが理解して耐え続ける必要はありません。
私はこれまで、このスレで、(個の)あなたは苦しみそのものではないとお伝えしてきました。
これは、痛みに飲まれているように感じても、あなたが「それだけの存在」ではないという意味です。
まずは、朝起きて最初に感じるほんのわずかな呼吸の感触を大切にしてください。
もしメソッドや努力が苦しみの原因になっているなら、無理に続ける必要はありません。
あなたは「安心したい」と願っていいし、
何十年変わらなくても、自分を責める必要はありません。
そこから先にどう動くかは、あなたの内側から自然に起こります。
>どんなメソッドをしても、自愛をしても、自分の内面は変わっても現実は全く変わりません。
→現実が動くには時間が必要です。
だからこそ、人は支え合い励まし合える場所や、安心できるひとときを求めるのだと思います。
>恩寵からしたら完璧でも、私はもう耐えられそうにありません。耐えられなくて自分で命を絶っても完璧ですか?
→ここは真理よりも、あなたの身の安全が最優先です。心がそこまで追い詰められているなら、
まず必要なのは「安全」です。
逃げてもいいし、休んでもいいし、
助けを求めてもいいんです。
これは弱さではなく、生きようとする力です。
スピリチュアルや恩寵や真理の話は、心が少し落ち着いてからで十分です。
>私はこれからも死なない程度に苦しめられ続け、ただそれを耐えて見ているしかできません。
→まず、一度だけでもいいから、
深く息を吸ってください。
抵抗してもいい。
何もできない日があってもいい。
怒りや絶望や無気力があってもいい。
あなたが今、本当に必要としているのは
「耐えること」ではなく「自分を守ること」です。
苦しみにしがみつくエネルギーより、
安全へ向かうエネルギーの方がずっと軽いです。
>もう何十年も耐えてきました。奥底では変わっているのかもしれないけど。
→ここがあなたの文章の中で、最も真実に近い部分です。
変化は、静かに、見えないところで進んでいます。深い傷って、治っていく途中ほど見た目はずっと同じに見えます。
でも、表面がずっと変わらなくても内部では少しずつ再生が進んでいます。
ある日、傷が痛まなくなって初めて、「中ではずっと治っていたんだ」と分かる。
心も同じで、変化は外側より先に、
奥で起きます。あなたの内側でも確実に動きは起きています。
>何十年も苦しいです。辛いです。こんな人生しか与えてくれない恩寵なんて全部消えてほしい。
→あなたはこれほど長く、生き抜いてきた。
それだけで充分すぎるほど強いのです。
そして今の状態は永遠ではありません。
苦しみは必ず移り変わります。
さて、あらためて、いいですか?
もしメソッドが、苦しみになっているなら、
いったん全部やめて大丈夫です。
あなたは「ただ存在しているだけ」で十分です。
恩寵という言葉を使うなら、
それはあなたが安全へ向かう流れを邪魔しない静かな力という意味です。
恩寵は、あなたを追い詰める存在ではありません。
どうか今は、ご自分を責めず、
あなた自身の心身の安全だけを最優先にしてください。
あなたが少しでも安心の方向へ流れていけるように、その静かな力が働くことを願っています。
538
:
り改め りょうせい
:2025/12/08(月) 23:13:06 ID:S.ZJTz/I0
>>530
あなたの体験をこうして丁寧に言葉にしてくださったこと、その勇気にまず深く敬意を感じています。
思春期という、もっとも心が柔らかく傷つきやすい時期に母から「自死を命じられる」という出来事が起きたこと。それがあなたの世界にどれほど深い痕を残したのか、想像を超えるものがあります。
その瞬間に、個としての痛みを一気に超えて
「意識のわたし」に視点が移ったというのは、決して異常ではありません。
あれは、あなたを壊さないために心が発動させた、とても精妙な知性です。
そしてそこから、人として生きる場に戻るために「意識のわたし」から個の視点へ戻った。
これも間違いではなく、ごく自然な流れです。
「意識のわたし」にとどまることも、
個として痛みを感じて生きることも、
どちらかだけが正しいというものではありません。両方があなたの内側に共存して良いものです。
あなたが書いてくれた
「痛みがあるからこそ、大切な存在を守れるのではないか?」
という気づきも、その時確かに起こった大切な感覚だったと思います。
ただ、その時のあなたはもしかすると
「大切な誰かを守るために、自分を犠牲にする」という方向に理解してしまったのかもしれません。
でも本来、痛みが教えてくれるのは
・自分の境界
・自分の尊厳
・自分の安全
・自分の限界
これらを守る智慧(ちえ)です。
痛みは
「誰かのために生きなさい」
と命じるものではなく、「まずあなた自身を守りなさい」と静かに告げています。
あなたの痛みが癒えてくるほどに、
あなたは自然と、必要な相手に必要な形で温かさを分けられるようになります。
無理に与えようとしなくても、内側が満ちてくれば自然に滲み出るものだからです。
そして、「意識のわたし」とは
個を捨てることではなく、個をより丁寧に扱える視点でもあります。
個と意識。どちらもあなたの中に在って良いし、どちらかを排除する必要もありません。
あなたは、意識を失ったのではなく、
「人として生きる世界へ戻ってきた」のだと感じます。
そのプロセスはとても成熟した動きであり、あなたのこれまでの体験には一つの無駄もありません。
今回のメッセージも、また深くて大切な気づきに満ちています。こちらこそ、ありがとうございました。
539
:
り改め りょうせい
:2025/12/08(月) 23:19:01 ID:S.ZJTz/I0
>>531
>ところで探求の流れはどの位の割合で起こる事なのでしょうか。10人中何人位とか。
→探求。
これに関しては、どんな種類やジャンルの探求にしても、実は「全員」です。
個として生きること=探し求める運動だからです。形が違うだけで、誰もが何かしらの幸福、そして苦の終わりを探求しています。
>今の私の状態は探求というより「個を整えるため」の方になっている感じですかね。
→はい、それはとても大事です。
個がずっとモヤモヤし続けたままだと、どれだけ太陽が照らしていても雲がかかって見えません。なので、まずは「個を整えること」を優先して◎大丈夫です。
真理探求は、必要なときに必要な分だけ、自然に起こります。無理に方向づける必要はありません。
>しかし個の私からするとこれすごく嫌。個の相手の事は最初から一度も好きじゃないし。
でも大きな私はそうじゃなくて、純粋に大きな相手に惹かれて、大きな私目線の気持ちを思い出させてくれた。
もしかしてこの人ガイドさんだったんだろうか?個の私は「うげー」って退いてるけど。笑
→ まさにそういうこと。
個の私が大きな私のようにならなくていいんです。
例えばあなたが苦手な、
たとえば、虫にしましょう。
虫がいました。個のあなたは「うげー」でいいのです。
それは、自然発生的な思考や感情の起こりです。ただ大きな私からすれば、個のあなたもその虫も、同じ意識、存在、気づきの中の、
共通の「在るもの」ってお話です。
>余談ですが、なるます。でアーニャちゃん連想してちょっと和みました。(すみません)
→私も読み返して笑いました。
難解な真理探求の話がテーマだとはいえは、
たまにそういう軽さ、とても大事です。笑
>しかし個の私の喜怒哀楽は普通に存在しています。感情が発生した事に気付いたら大きな私視点になって「はーいよしよしヾ(・ω・`)」しています。
→ それでいいですよ。慌てない慌てない!
疲れたら休む。気分が沈んだら、またどこかリフレッシュできる場所に、おでけけしてきてください♪
540
:
り改め りょうせい
:2025/12/08(月) 23:25:14 ID:S.ZJTz/I0
>>533
お久しぶりです。
そして、ここまで率直に書いてくださって、本当にありがとうございます。
まず一つだけ伝えたいのは、今あなたが感じている絶望や苦しさは、何かが間違っているから、起きているわけではない、ということ。
これまで抱えてきた負荷が、素直にただ顔を出してきただけなんです。
その苦しさの中で「絶望してもいいんだよ」
という声がふっと現れたのは、とても大きな動きです。
>そしたら胸の痛みが少し和らぎました。
→それは、ごく自然な癒しの入り口です。
苦しみを無理に押し込めるのではなく、
「こう感じてしまう自分もいていい」
と認めた瞬間、心の防御がほんの少し下がります。
>親を許せないのは、いいよって言ってもらえていなかったからかもしれません。
→これは、とても深いところに触れています。
毒親育ちの方の多くは
「許せていない」のではなく
「一度も肯定されたことがない痛み」
のほうで苦しんでいるのだと思います。
あなたは今、自分に対して「いいよ」と言い始めている。これは大きな転換点です。
ここから、少し真理探求寄りの視点で話しますね。
親や家族の問題は、個の私にとって最も根が深い領域であり、
同時に、変容がもっとも起きやすい領域でもあります。
私(りょうせい)自身も、子どもの頃に
「ここは、まともな大人がいない世界なのか」
と感じた時期がありました。
ただ、ある時気づいたんです。
私にとっての「本当の親」や「本当の家」は、
外側の誰かではなく、意識としての私。つまり「本当の私」そのものだったと。
そこから私は、実の親のことを、
「意識の中に現れた役割のひとつ」
として見るようになり、その瞬間から、自分の内側にあった傷や境界が、少しずつゆっくりと回復し始めました。
もちろんこれは、親を美化しましょうとか、無理やり許しましょうという話ではありません。
外側の親を変えることではなく、
ただ、「自分の中心に、確かな支えがある」
と気づくことが、癒しを動かすのだと思っています。
あなたが今ふれている
「絶望もそのままでいい」
「どんな気持ちも否定しない」
「自分にいいよと言ってあげる」
この流れは、あなたの内側の「本当の私」に触れはじめているサインです。
それは誰かの教えを借りたのではなく、
あなた自身の中から自然に生まれてきた気づきです。
そしてこの気づきは、同じように苦しんでいる誰かにとって、確かな光になり得ます。
書いてくださったこと、そのままで価値があります。共有してくれて、ありがとうございました。
541
:
り改め りょうせい
:2025/12/08(月) 23:27:35 ID:S.ZJTz/I0
>>534
丁寧に読み進めてくださり、そしてメモまで取りながら深めている姿勢、とても嬉しく感じました。
あなたの中で起きている変化は、こちらが何かを与えたからではなく、もともと内側にあった理解が自然に開き始めているだけです。
真理の探求というのは、外や、押しつけられるものではなく、その人の内側の成熟が満ちたとき、勝手に動き出します。
今あなたが感じている静けさや理解は、その流れの一部です。これを私は恩寵と呼んでるだけです。
ここでの私の文章でのやり取りについて触れてくださった部分も、ありがたく受け取りました。
あなたは今、とても良いペースで進んでいます。
「もっと先へ行きたい」という感覚が生まれれば、あなたの気づきの深まりやタイミングは自然と向こうからやってきます。
そのときは静かに、そっとお伝えしますので、心配せず今のペースを大切にしてください。
こちらこそ、丁寧な受け取り方をしてくださってありがとうございます。
542
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 23:29:06 ID:phQ8HmBE0
>>523
時間は記憶及び先を思う思考が作る概念。以前こんなことを考えていたのに思い出さず、全然役に立ってませんでした。笑
意識がここにあることはすぐに気づけるので、空間の束縛は弱いようです。
時間は単なる概念で、記憶への固執は絶賛解体中、先のことを思う想念は起こるので、まだまだ束縛されてると言えます。
数年前から身体や記憶を失う恐怖が出てくること、ループの体験、合点がいきました。
全ての出来事は純粋意識に定着していく流れの中で起きたことだと理解しました。
私の興味は「心の形」から「心と世界の関係」「世界の形」へ、そこから最終的に「私という存在って何?」に移行して、真理探求が始まりました。
アドヴァイタは、それまでに私が体験を通して理解したことの答え合わせのようで楽しく読みました。
その中で最大の衝撃だったのが「真の私はエゴではなく神(創造主)である」
あまりに完璧すぎる回答に感動で打ち震え、直後にあった最初の数々の体験も衝撃的。
ようこそいらっしゃいと完全に誘われていました。
きつい期間も1年ほどあったけど、乗り越えれば楽しいことの方が多かった。
「意識としての私」を体験した後のドロドロが次々に噴出した期間は長くて、全体の振れ幅も考えると楽で楽しいばかりとは言えない。
ただ個人的には楽しく楽だった印象の方が強いです。
辛い体験ほど忘れてしまえる性分のようです。楽観的なんでしょう。笑
そして…今思うこと。
純粋意識であり尚且つ「それ」を想い涙したあの愛が起こったなら、そこから先に私が出る幕はありません。
ジャンプ、超越は起こるのか?
起こるという信念が探求の門をくぐった時に授けられました。だから、ここまでやってこれました。
一切を疑った時に一度失ったけど大丈夫です。
人生は壮大なラブストーリーとして最後の幕を閉じるのでしょうね。先日と違い、感覚的イメージで理解できました。
>私の感覚を探しましょうというニュアンスのことを誰かに向けて書いていた
どのあたりのレスでしょうか?書いたかもしれないけど思い出せません。
何か書いたとしても深い理解にまではなっておらず、在り方や行動とは矛盾したりしてます。そのことでしょうか?
確かにこの手の矛盾に陥ってることは多いです。
特に外から得た知識に頼ったり影響されると「そうしよう」「そうなろう」になりがちです。
意図があるため、ふりをするはめになり、葛藤が起こり矛盾を抱えたままになる。
エゴはとことん根深いですね、困ったもんです。ただ在ればいいだけなのに。笑
多くの人への対応に追われる中、毎回丁寧に返信していただき感謝しかありません。
543
:
幸せな名無しさん
:2025/12/08(月) 23:29:46 ID:mXiXLstU0
>>536
>サイト制作(ブログ記事)も同じで、全体向けの内容は無料で開きつつ、個別に深く扱う領域は、どこであっても有料にしています。
→なるほど、これまでも有料でされていた方だったのですね。
自分の場もあって有料でもされていた方があえてこちらのスレを立ち上げたのですね。
お仕事ではないとのこと、どれくらいされているのでしょうか?
544
:
り改め りょうせい
:2025/12/08(月) 23:38:08 ID:S.ZJTz/I0
>>535
>りょうせいさんは真理探究をするべくして生まれてきたというか、生まれた時から特異な感じだったんですね
→特異というと聞こえは良いですが、実際は周囲の大人からするとかなり扱いにくいタイプだったと思います。笑
>これは偏見かもしれませんが、悟り、真理のような方向へ行く人は
何か人生で大きなイベントがあって、みたいな人が多いように思います
→そうですね。方向性が変わるような出来事、大きく揺さぶられる経験、それをきっかけに流れが決まる人は多いと思います。
個の私からすれば(これは一例ですが)「ショック・喪失・崩壊・突然の停止」のようでも、後から見ると探求へ向かう強烈な着火剤になっていたりします。(もちろん、これらが起きなくても真理探求は起こり得ますが)
>私も正確には真理探究からはズレるのかもしれませんが、生まれた時から(なんなら生まれる前から?)見えない力で筋書き、レールが決まってて、逸れたら死みたいな状況だったからやるしかなかった。これも生まれた時からというより、後から思えば全部決まってたなって感じでした。
→この感覚、よく分かります。
渦中ではただ必死で、後から振り返ると
「ああ、全部ここに向かっていたのか」
と見えてくるタイプの流れですね。
>霊能者なんかも心底嫌だったとか、やりたくなかったけど無理だったとか、そういう人わりといますね
私はそこまで嫌々ではないけどライフワークとか(やらなくてもいいけど)やりたくてやってる、みたいにはならなかったですね
追い立てられて走らされている
→分かります。
「望む/望まない」と関係なく、そっちへ行くしかない流れに入る人っていますね。
この「追い立てられて走らされている」
という表現、めちゃくちゃ本質だと思います。笑
私も
・逃げようとすると逆に戻される
・止まると余計に苦しくなる
→結局そっちに進むしかなくなるという感じでした。
インドではこれをダルマ(法・定め)と呼ぶみたいで、「その人の人生が自然と向かう方向」のことだそうです。
だから
・好きでやってる
・やりたくなくてやってる
のどちらとも少し違って、流れがもうそこへ向いてしまっているから、腹を決めて歩くしかない。あなたの感覚も、そういった感じかもしれませんね。
まさに、「起こることは、起こる」というやつです。
545
:
幸せな名無しさん
:2025/12/09(火) 00:30:08 ID:GznryTDI0
>>526
りょうせいさんに「私は在る」をいただいてから、質問したいことが起こると「私は在る」に注意を向けることが起こって質問がなくなる、ということのくり返しになり質問自体が生じなくなっていきました。
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