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レス数が900を超えています。1000を超えると投稿できなくなるよ。

科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

2diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:54:28 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板での書き込み、その2です。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19860 投稿日:2018年 4月 4日(水)05時50分30秒 目に見える努力です 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19839 投稿日:2018年 4月 1日(日)16時58分40秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken P2に話を移そうと思いましたが、まだP1が決着しないようです。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19837 投稿日:2018年 4月 1日(日)13時03分37秒 哲学、特に科学哲学について 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19836 投稿日:2018年 4月 1日(日)12時56分19秒 同志、アシモフ・ファン 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19830 投稿日:2018年 4月 1日(日)01時20分55秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken 哲学とは非常に特殊な思考法を要求されるのではと、私には思えてなりません
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19819 投稿日:2018年 3月31日(土)13時51分58秒 RE:半科学・・・ 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19758 投稿日:2018年 3月28日(水)07時34分41秒 半科学・・・ 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19746 投稿日:2018年 3月27日(火)06時26分7秒 「半科学」なんてどうよ 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19717 投稿日:2018年 3月25日(日)21時37分30秒 議論を楽しみにしつつ 投稿者:GB 観測によって確認できる事実に基づいて、現在は直接観測できない生命の歴史についての知を組み立てていく進化学のような科学は、どういう位置づけになるのでしょうか
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19716 投稿日:2018年 3月25日(日)20時24分7秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken 基本フレームだけは明らかにしておこうと思います。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19714 投稿日:2018年 3月25日(日)18時04分31秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19710 投稿日:2018年 3月25日(日)08時36分47秒 言い忘れました 投稿者:Ken これらはブラックホールの「内部」ではなく「存在」の検証に利用されるものではないでしょうか
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19701 投稿日:2018年 3月24日(土)18時04分3秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken 繰り返しますが、ブラックホールの内部を論じるのは、検証可能といえるのでしょうか
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19693 投稿日:2018年 3月24日(土)13時51分33秒 見えない世界を外挿する 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19692 投稿日:2018年 3月24日(土)13時46分36秒 黒き盾の向こう側 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19670 投稿日:2018年 3月22日(木)07時28分28秒 diamonds8888xさん 投稿者:ken そうです。問題は内部です。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19668 投稿日:2018年 3月22日(木)05時22分10秒 内部ですか? 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19657 投稿日:2018年 3月21日(水)21時34分15秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken 原子の存在が認識されたのは、私の大好きな歴史の話です
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19601 投稿日:2018年 3月20日(火)06時19分59秒 Kenさん、申し訳ない 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19454 投稿日:2018年 3月11日(日)20時55分56秒 Kenさんにどうしても言っておきたいこと 投稿者:GB まずダーウィニズムに対するこの無理解を解消しておかないと、話が混乱してしまうと思います
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19453 投稿日:2018年 3月11日(日)19時17分56秒 ゲジゲジさんありがとうございます 投稿者:サンクスメール
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19452 投稿日:2018年 3月11日(日)18時44分55秒 ちょっとそれは違う 投稿者:ゲジゲジ お2人の主張される理論は全く違いますよ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19450 投稿日:2018年 3月11日(日)16時31分18秒 えらい違い 投稿者:サンクスメール Kenさんの投稿と神タレさんの投稿とはかなりのレベルさがあるように思います。一度同じ理論を持つお二人の議論をお願い出来ますか。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19449 投稿日:2018年 3月11日(日)14時05分0秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken 私たちの本題である科学論すなわち科学と疑似科学の違いの話を始めるにあたり、まずは私から先の投稿で、4つの質問をさせていただきました。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19213 投稿日:2018年 3月 3日(土)06時22分21秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x すぐに答えられるところだけ、答えておきます
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19212 投稿日:2018年 3月 2日(金)23時11分45秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken 疑似科学の定義ですが、diamonds8888xさんの考えに従うと、アプローチの誤ったものである、ということですね

3diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:56:03 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板での書き込み、その3です。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19971 投稿日:2018年 4月15日(日)07時26分59秒 第3掲示板に行きましょう 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19970 投稿日:2018年 4月15日(日)02時04分11秒 Kenさん、diamonds8888xさん 投稿者:ミケ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19969 投稿日:2018年 4月14日(土)23時44分32秒 ちなみに 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19968 投稿日:2018年 4月14日(土)23時25分46秒 続き 投稿者: Know thyself
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19967 投稿日:2018年 4月14日(土)23時03分21秒 哲学的議論 投稿者: Know thyself
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19965 投稿日:2018年 4月14日(土)18時41分4秒 疑似科学は科学ではないが、科学でないものが疑似科学とは限らない 投稿者:ミケ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19964 投稿日:2018年 4月14日(土)17時23分15秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19960 投稿日:2018年 4月14日(土)08時13分29秒 天動説と地動説-2 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19959 投稿日:2018年 4月14日(土)08時07分47秒 またメタな話ですが 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19947 投稿日:2018年 4月10日(火)21時14分9秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken まずは、私がdiamonds8888xさんの考えを正しく把握しているかをチェックしていただけますか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19939 投稿日:2018年 4月 9日(月)06時02分18秒 天動説と地動説 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19938 投稿日:2018年 4月 9日(月)05時56分23秒 キジも鳴かずば?! 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19937 投稿日:2018年 4月 8日(日)20時52分49秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken とりあえず1点だけお答えします。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19936 投稿日:2018年 4月 8日(日)19時12分46秒 疑似科学とは? 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19935 投稿日:2018年 4月 8日(日)19時09分32秒 ではP1の議論だけ続けましょう 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19906 投稿日:2018年 4月 7日(土)13時55分39秒 diamonds8888xさん(長文失礼します) 投稿者:Ken

4diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:58:19 ID:JpDvA4vM
第1掲示板での書き込み、ここ1週間のものです。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/20043 投稿日:2018年 4月20日(金)22時42分10秒 Kenさん 投稿者:ミケ 疑似科学に当てはまるかどうかを過剰に気にしすぎではないでしょうか。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20034 投稿日:2018年 4月20日(金)07時45分34秒 Kenさん パート2 投稿者: Know thyself
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20033 投稿日:2018年 4月20日(金)07時37分35秒 Kenさん ぱあと……パート1 投稿者: Know thyself
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20030 投稿日:2018年 4月20日(金)01時03分45秒 Know thyselfさん 投稿者:Ken 私は、ブラックホールの内と外の境界が事象の地平線かと思っておりました。そうではないとすると境界はどこにあるのですか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20029 投稿日:2018年 4月19日(木)23時52分1秒 リスクというより、 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20028 投稿日:2018年 4月19日(木)23時32分34秒 反証不可能性 投稿者: Know thyself 理論が、反証可能な形で提示されているかどうか、ですけどね。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20027 投稿日:2018年 4月19日(木)23時18分2秒 Kenさん 投稿者: Know thyself 質量を測定できるということは、内部を含めたブラックホールそのものの情報です
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20026 投稿日:2018年 4月19日(木)22時44分9秒 ID 投稿者:GB なぜ今、できないんですか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20025 投稿日:2018年 4月19日(木)22時19分4秒 ミケさん 投稿者:Ken そういうことであれば、いずれ具体例をもってIDを論ずるときに判定されるでしょう。ただし、そこへいたるまでの段階で「疑似科学である」という結論が出ていないことが前提ですが。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/200234 投稿日:2018年 4月19日(木)22時03分22秒 根本的な誤解では 投稿者:GB 科学の方法に基づいた検証の結果、進化論は正しいとされているわけで、ID論も同じ条件のもとで検討される必要があるでしょう。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20023 投稿日:2018年 4月19日(木)21時39分39秒 Know thyselfさん 投稿者:Ken 進化論で検証した科学論で進化論を検証すると、論理のループに陥る危険がありますから。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20014 投稿日:2018年 4月19日(木)07時25分45秒 Kenさん 投稿者: Know thyself 私がブラックホールについて主張したかったことは、検証できるか否かももちろん大切ですが、存在しているのであれば検証価値がある、といったことです。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20012 投稿日:2018年 4月19日(木)02時49分23秒 私の疑似科学についての考え方について 投稿者:ミケ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/20007 投稿日:2018年 4月18日(水)19時26分37秒 いまのうちに 投稿者:Ken diamonds8888xさんに第3掲示板の準備をしていただいている時間を利用して、ミケさんとKnow thyselfさんからのコメントに回答してみます。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19984 投稿日:2018年 4月16日(月)01時04分24秒 ゲジゲジさん 投稿者: Know thyself
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19983 投稿日:2018年 4月16日(月)00時40分27秒 Kenさん 投稿者: Know thyself
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19979 投稿日:2018年 4月15日(日)22時42分56秒 科学 投稿者:GB 神のテストは信念の中の合理性というだけで、近代以降のサイエンスとは関わりがありません。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19978 投稿日:2018年 4月15日(日)22時01分48秒 科学手法発達史 投稿者:Ken
[//6609.teacup.com/natrom/bbs/19977 投稿日:2018年 4月15日(日)21時43分5秒 マルチで行きます 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19976 投稿日:2018年 4月15日(日)15時51分19秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19974 投稿日:2018年 4月15日(日)14時10分0秒 腑に落ちたので、これだけは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19973 投稿日:2018年 4月15日(日)14時07分56秒 Kenさんに 投稿者:diamonds8888x

5diamonds8888x:2018/04/21(土) 07:44:58 ID:JpDvA4vM
御存知の人も多いでしょうが、リンク先リストをコピーしてエクセルにペーストし、頭を付ければ、エクセルファイルから直接飛べるようになります。

ご参考までに。

6Ken:2018/04/21(土) 20:56:54 ID:.cl7fHsU
こちらでの議論ですが、どこからを継承すればよいのかと考えてみましたが、私たちの間では、4月14日に私が投稿した以下のものが最終ではないでしょうか? ここから続けてゆくのはどうでしょうか?

****************************************

なんだか、予想もしなかった方向に話が進んでいるように思えます。

>科学と疑似科学の境界は不明瞭になる、ということだと思います。両者の境界を言葉ではっきり定義することはできない

はっきり定義できない境界で、どうやって

「仮説Aはまっとうな科学」
「仮説Bは疑似科学」

そんな議論が成り立つのでしょうか?

>現実問題としては個別の根拠を判定していくしかなく

個別もなにも、境界を定義できないのなら、たった1つの仮説も判定できないではありませんか。

もしくは、これはグレーゾーンがあると言われているので、グレーゾーンではない明確な科学や疑似科学もあるということでしょうか?

もしそうなら、グレーゾーンと明確な領域の境界はどのように定義されるのでしょうか?

7diamonds8888x:2018/04/26(木) 04:01:27 ID:V97bymbU
 議論の総括をしてみます。当初は私も視野が狭くて、それとおもしろさも手伝って3原則にとらわれ過ぎたかも知れません。現時点では、実際的な判別としてはミケさんの述べたことが一番適切な見解だと考えています。
 [//6609.teacup.com/natrom/bbs/20043]
 >疑似科学という評価を避けようと、疑似科学の定義にこだわるより〜以下略


 まず「疑似科学(的仮説)」の指す範囲については「提唱者の意図にはかかわらず、科学的方法に基づいていない(仮説)」という点で、Kenさんに歩み寄ってもらっています。ただ仮説自体は同じでも、それを仮説としてではなく「確立したもの」「絶対間違いないもの」として扱う態度が「疑似科学(的態度)」との指摘もミケさんからあり、私も同意します。
 [//6609.teacup.com/natrom/bbs/20012]


 すると個別的に科学的か否かということを判定することになるのですが、Kenさんはその際の判定基準として「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」と考えているようで、それにはちょっと同意しかねます。

 疑似科学判定基準としてテーマになっている「P1:根拠を探そうとしないこと」というのは表現が抽象的過ぎるきらいがありますが、「対立仮説の難点を示すだけで、自説の根拠を探そうとしないこと」という意味を強く含んでいると私は解釈しています。

 そもそも広い意味で「いかなる根拠も探そうとしない、示そうとしない」というなら仮説としての意味などないと思いますから、広く解釈すればP1は当然すぎると私には思えますので、提唱者がなんらかの根拠だと思うものはあるはずだと思います。例えば「世界に秩序があるのは設計者が存在する証拠だ」とか。ただその根拠が現代の科学的方法論から見ればちっとも根拠になっていない、という事例が色々とあります。

 実行可能性はともかくなんらかの根拠を示すことは必要なはずで、広く解釈したP1は当たり前のことではないでしょうか。問題は個別に検討した時に、示された根拠の妥当性が科学的なものかどうかという判別ではないかと思います。

 Kenさんは「天動説vs地動説」と「光の粒子説vs波動説」を事例に挙げましたが、これらの場合は対立仮説のどちらも相応の科学的根拠を持っていたがゆえに長らく好ライバルとして両立していたのだと私は考えています。詳細はまた別コメントにします。

 ID論の場合はそうではないと考えられます。これもまた別コメントにします。

8diamonds8888x:2018/04/26(木) 04:02:52 ID:V97bymbU
 Kenさんは「天動説vs地動説」と「光の粒子説vs波動説」を事例に挙げましたが、これらの場合は対立仮説のどちらも相応の科学的根拠を持っていたがゆえに長らく好ライバルとして両立していたのだと私は考えています。「天動説vs地動説」に関しては、この考えの一部を示したつもりです。
  [//6609.teacup.com/natrom/bbs/19939]
  [//6609.teacup.com/natrom/bbs/19960]

 ID論の場合は私自身は詳しく検討していませんが、「現代のスタンダードな批判に耐えるほどの科学的根拠は示そうとしていない」というのが大部分の進化学専門家の見解のように思えます。個人的見解としては、最低限でも、デザイナーが進化に干渉した手段やメカニズムを提案しなければ「検証できる仮説」にはならないと考えます。これに対して「天動説vs地動説」と「光の粒子説vs波動説」の事例ではどちらの説も、デザイナーのような特殊な存在を仮定したりはしていません。2つの事例の論理構造的違いといえば次のようなものでしょう。
  「天動説vs地動説」 完全な排他関係。ただし「見方により(観測者により)異なる」場合も可能。
  「光の粒子説vs波動説」 第3の場合も可能。粒子でも波でもない何かの存在は否定できない。

 「天動説vs地動説」の場合では、「地動説だけが根拠を示せなかった」という解釈は不当です。地動説が当時は示せなかった根拠は、実は結果次第で天動説の根拠にもなったはずのものです。両説は完全に排他的ですから当然なのですが、他方を決定的に否定できる根拠を示せばそれは一方の決定的な勝利となります。にもかかわらず、天動説側でも地動説を決定的に否定できる根拠を示せなかったのです。

9diamonds8888x:2018/04/26(木) 04:09:38 ID:V97bymbU
 ID論の根拠に関してですが。

 要するに現代の科学では、なんらの観測的根拠もなく「神・デザイナー・宇宙人等の干渉」などという仮定をいきなり持ち出すことは科学的根拠として認めていないのです。これらを仮定するならばそれ相応の観測事実を示してほしいというのが大多数の科学者の見解でしょう。むろん科学哲学的な話をすれば、次のような論理もあり得ます。

>私には、この2つも根拠の無いことを主張する点では同じに思えます。
>
>なぜ神の存在は疑うべきでないといえるのか?
>なぜ神やデザイナーは人間よりも複雑といえるのか?

 ゆえに私は科学哲学的な話の中では「Excellent question 」だと申しました。むろん私は現代の科学の立場を支持していますが、それをこのような基本的レベルで説明するのは非常に手間のかかることです。もしもKenさんがお望みならば、それをする用意はあります。

10diamonds8888x:2018/04/26(木) 04:14:48 ID:V97bymbU
>>6

 黒と白の間には灰色の領域がありますが、それは連続的に変化しており明確な境界はありません。さりながら、黒と白を区別することはできますし、それが必要なこともあります。それだけのことです。


【SOS】
 第3掲示板ではコメントにレスができて、どのコメントへのレスかが表示されるようになっていたはずなのですが、レスの方法を忘れてしまいました。知っている方、御教示ください。

11ゲジゲジ:2018/04/27(金) 22:38:12 ID:9BM6LFsI
ヨコから失礼します。
diamonds8888xが挙げられた第1掲示板の過去投稿へのリンクにないのですが、Know thyself様がこちらの議論にも大いに参考になりそうな投稿をされています。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19603 神って誰さん 投稿者: Know thyself 投稿日:2018年 3月20日(火)06時29分14秒

 >厳密には、可能性は"ある""ない"の2つしかあり得ません。
 >確率が80%であれば、可能性は"ある"となり、確率が1%でもあれば、可能性は"ある"となります。
 >確率が0%であれば、可能性は"ない"となります。
 >一方蓋然性(もっともらしさ)は、"高い""低い"の2つになります。
 >(略)
 >哲学や科学では、可能性ではなく蓋然性での表現となります。
 >(略)
 >その説を推したいのであれば、肯定的な証拠や具体的な理論を提唱し、
 >その蓋然性を高めなければなりません。


私の意見としては、疑似科学か否かというのは態度の問題だと思います。
仮説の蓋然性が低いのに、定説と同等の蓋然性があるかのように装ったら、それは疑似科学でしょう。

第1掲示板で話題になっている「ABO式血液型による性格診断」ですが、
「(科学的には明らかになっていないけれど)血液型が性格に影響する事はあると思う」
と言っているうちは疑似科学ではないと思います。勿論、科学でもなく単なる「思い」です。
でも
「血液型は性格に影響する(断定)」と主張しながら、十分な蓋然性を担保できるだけの科学的根拠を提示できなかったら、それは疑似科学でしょう。

「(科学的には明らかになっていないけれど)『ありがとう』という言葉の波動が水の分子に影響して奇麗な結晶を作る事はあり得ると思う」
と言っているうちは「思い」ですから疑似科学ではないと思います。

12ミケ:2018/04/27(金) 22:40:20 ID:hmI6xcyU
>>10
>レスの方法
半角の「>」二つ+番号です。

13diamonds8888x:2018/04/28(土) 07:36:19 ID:V97bymbU
>>12 ミケさん、ありがとうございました。

14diamonds8888x:2018/04/28(土) 07:50:18 ID:V97bymbU
>>7  疑似科学だとか非科学的とかに関連する議論には人の態度に関する部分もあって紛らわしそうなので、ちょっと整理してみます。ここでは何らかの定説に対立す新説が提唱された場合に限って考えます。そして科学的真理を追究するという目的の場では一種のルールが要請されます。ルールといっても、誤りを犯さないようにするための方法というものもあれば、証拠のねつ造はいけないといった一般倫理に近いものもあります。出典を示せ、というような訓練を受けていないと意識されにくいルールなどもあります。

 この場合、自説を証明しようとする際のルールと、他説を批判する際のルールというものがあります。

 【自説を証明しようとする際のルール】
   A1.自説の根拠を明示すべし  まとめるとこれに尽きそうです。

  ・ただ、それが根拠になりうるか否かという点で議論は生じるでしょう
    (排他的2説の場合を除き、対立仮説の難点は根拠とはいえない、など)
  ・着想の段階では何をきっかけに思いつこうといいのですが、他者に説明したり公表する際にそれを根拠とするのは科学的態度ではありません。「夢の中で思いついた」とか「聖書・物語・冗談から思いついた」といったことは裏話として述べればいいのです。

 【他説を批判する際のルール】
   B1,事実と論理に基づいて批判せよ (実質的に「根拠を明示すべし」と同じです)
   B2.権力や社会的影響力で封殺してはいけない 言論の自由の原則です
   B3.主張者の人格攻撃をしてはいけない


 B2の悪しき例としては旧ソ連のルイセンコ説がありますね。それに比べればB3は遥かに悪影響は少ないけれど、互いに感情的になって科学的議論の妨げになるという悪影響があります。


 さて過去の発言から見てKenさんは、米国における創造論やID論に対する定説側科学者達の態度がB2違反ではないかと思って批判しているようです。しかしそれは誤解でしょう。創造論やID論も自由に自説を発表することは決して妨げられていないはずだし、だからこそ公開の議論の対象になっているのです。ID論に限らず、疑似科学と見なす人の多い他の説にしても、すくなくとも自由主義諸国の中では自由な公表は妨げられていないはずです。

 米国で裁判にまでなっている公教育の場は、未だ評価が確定していない多様な説が入り乱れることを許す、科学的真理を追究するという目的の場、とは違いますから、そこで何を教えるべきかという話は、学問の自由とは異なる話です。

 むろん私も、どんなトンデモでも新説の自由な公表を妨げることには大反対です。むしろ色々と公表して楽しませてほしい(^_^)


 注意すべき点は、激しく厳しい批判をB2と勘違いしないでくださいね、ということでしょうか。激しく厳しい批判は当然のこととして、【自説を証明しようとする際のルール】に従って誠実に打ち返すべきです。激しく間違っている批判は、どこが間違いかをキチンと指摘すればよい。

15diamonds8888x:2018/04/28(土) 08:16:47 ID:V97bymbU
 黒き盾の向こう側の話は私のブログに書きました。本番のブラックホールの話はまだですが、観測不能な領域の外挿による推測という事への見解は黒き盾の向こう側[beyond the Schwarzschild] -2-[//blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/9efa41527ad7bea341a93b923036ea31]に書きました。また、この記事からリンクした外挿の世界[//blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/f7788fc3ca3d95b405428d268e71e55e1]にももっと詳しく書いていました。

> 実のところ「地平線の内側で得た情報をその外側に外挿」しても良いか否かも反証は不可能です。にもかかわらず、こういう外挿についてはエリスは妥当だと考えますし、私も妥当だろうなと考えます。なぜでしょう?

 現代の科学では宇宙の一様性や均一性の仮定が妥当なものと考えられていますし、Kenさんもそうだと思います。でもそのような考えが確立されたのも確かに歴史的に古いことではありません。

 そもそも科学的に妥当な方法とされている枚挙的帰納法にしても、まだ見ぬ部分も見た部分と同様だろうという一様性の仮定に基づいているわけです。ブラックホールの内部以外にも検証不可能だけれども推測の正しさは評価されるようなことはいくらでもあります。何人かの人が指摘した過去の事実もそのひとつだし、他人の心なども一例です。そして、最も正確な推測が可能と考えられるニュートン力学による運動予測にしても、この世の全ての事例を検証できることはありません。

16Ken:2018/05/02(水) 23:47:15 ID:D2dZPptk
長距離移動の転居をしたため、しばらく書き込みができませんでした。
diamonds8888xさんからいくつかの指摘をいただきましたが、最も大切と考える点についてコメントさせていただきます。10への返信です。(>>10

まっとうな科学と疑似科学の間にグレーゾーンがあり、それは連続的に変化して明確な境界はないというのであれば、そこには定量的、数値的評価があるべきではないでしょうか。

アジモフは人種(というより人間の区分)をやりたいなら、肌の色のような連続的に変化して境界がないものではなく、血液型のように明確な区分がある特徴を用いるべきだと述べました。とはいえ、先天的な肌の色で人間集団を区分することも可能です。ただし、科学としてそれを行うなら、メラニンという化合物が皮下組織中に単位体積あたりどれだけ存在するか、といった具体的な数値にする必要があるでしょう。

どのようなものであれ「連続的に変化する」判定基準なら、数値で表現されるはずなのです。具体的な単位を設定し算定方法を決めねばなりません。科学と疑似科学を分ける基準も例外ではないはずです。

私自身はそんな数値化が可能とは思いませんでしたし、科学と疑似科学の判定は質的、定性的なものであると考えて議論を進めてきました。

もしも連続的すなわち量的なものであるというなら、具体的な数値として表すべきではないでしょうか。

17diamonds8888x:2018/05/05(土) 08:49:01 ID:3RRM.9Rw
>>16 定量的、数値的評価があるにこしたことはありませんが、それが難しいこともありますし、とりあえず定性的ですむこともあります。
 定性的だから不連続ということはありません。好き>どちらかといえば好き>どちらでもない>どちらかといえば嫌い>嫌い、とかいう順番は、定性的だけれど境界が曖昧でしょ。

18Ken:2018/05/05(土) 12:49:16 ID:D2dZPptk
>>17
diamonds8888xさんは、科学か疑似科学かによって、教育の場に持ち込むことを認めるか排除するかを決めるというご意見ですから、この判定はどれだけ厳密にやってもやりすぎることはないと思われます。複数段階があることと曖昧さは別物ですし、複数段階を認めても曖昧さは許されないはずです。

たとえば、

1.科学
2.どちらかといえば科学
3.どちらでもない
4.どちらかといえば疑似科学
5.疑似科学

という5段階があるとして、1と2を区別するのはどのような条件であるか、2と3は?といったことが問題になるはずです。

これまでは、科学と疑似科学の2段階だと思っていたので、両者を分ける条件としてP1〜P3、L1〜L3が提唱されました。段階数が増えるのなら、判別条件が複数セット必要ということで、基本原理は同じではないでしょうか?

また学校教育の場に持ち込むことを認めるのはどこまでなのかも問題になります。1しか認めないのか、2も含めるのかといったものです。

いかがでしょうか?

19名無しさん:2018/05/09(水) 20:35:29 ID:LdKhejdU
>>18 許されないと言ってもできないことは仕方ありません。世の中はそんなことばかりです。
 あと補足しますが、違いが1次元空間上に表現できるものとは思っていません。むしろ複数のパラメーターによる多次元空間で、科学に該当する範囲がある、というイメージが正しいと思います。

20Ken:2018/05/11(金) 20:01:10 ID:u4ZOJOl6
>>19

第1掲示板でも言いましたが、こちらでもお断りしておきます。

申し訳ありませんが、私(Ken)には複数の方と同時並行で議論をする能力がありません。

場合によってはそれをやることもありますが、diamonds8888xさんとの意見交換は細心の注意を払ってやっているつもりなので、第三者からのコメントに回答をしていると、私の注意力が散ってしまうリスクがあるのです。

これは純粋に私の能力の問題です。

もちろん公開の掲示板ですから、どなたがコメントをされるのもご自由ですが、すくなくともdiamonds8888xさんとの議論が続いている間は、私からの回答ができないことをご了承ください。

21diamonds8888x:2018/05/12(土) 05:43:17 ID:LdKhejdU
>>20 Kenさん、ごめんなさい。19は私の発言です。名前を入れるのを失念してしまいました。誠に申し訳ありません。

 ついでに補足します。第1掲示板で何人かの人の発言にあった「科学的正しさは蓋然性で判断される」との趣旨の考え方は御理解いただけているでしょうか? 1か0かではない、ということです。蓋然性(probability)とは確からしさと言えばよいでしょう。数値化を試みることはできますが、厳密には難しいでしょう。

22Ken:2018/05/13(日) 09:17:30 ID:u4ZOJOl6
>>21
diamonds8888xさん

私が知るprobabilityの日本語訳は「確率」だけです。その定義からして、数値化できなければ意味のないものではないかと思われます。

「科学的正しさはprobabilityで判断される」

この1文だけをとりだせば、それなりの真理を表すかもしれません。ですが今の場合、問題になるのは「法」ではないでしょうか?

私たちが論じてきた科学と疑似科学の判別は、科学に携わる個々人が自己の行動を律するという意味もあるでしょうが、それ以上に教育現場やシンポジウムのような「社会」の行動を律するという意味が強かったはずです。とりわけ、公教育の場で教えることを社会がコントロールするべきと主張されるdiamonds8888xさんの考えに従えば、そうなるはずなのです。

そうなると、どうしても曖昧さの存在を許すことはできません。例えば学校で何を教えるかで意見が対立したとき、話し合って合意にいたるには、全員が容認する共通の判定基準が土台になるからです。そのような共通の判定基準とはつまり「法」であり、個々人の主観や恣意を排除するために、最大限の明確さで記述されるべきではないでしょうか? そうでなければ、どうやって反対意見を説得もしくは論破するのでしょうか?

純粋に科学的な判定基準としても、定量的な数値化は難しい、かといって定性的な区別(1か0か)でもないという、そんな判定基準がありえるでしょうか?

そんな判定基準しかもてないのなら、科学と疑似科学を論じることがそもそも無意味であり、ひいては、地動説であれ、ブラックホールの内部であれ、IDであれ、血液型性格診断であれ、学校やシンポジウムの場にもちこむことを、自由放任にする以外の選択肢がないではないかと、私には思われます。

23diamonds8888x:2018/05/19(土) 06:00:41 ID:LdKhejdU
>>22
>私が知るprobabilityの日本語訳は「確率」だけです。

 ひとまず英和辞書を引いてください。そもそも数学上の定量化された「確率」という概念自体が半定性的な「確からしさ」という概念から産まれたものです。西欧語では"probability"に当たる語がそのまま使われたのですが、日本語ではたぶん明治の先人たちが熟慮して訳語を創ったのでしょう。詳しくはKenさんのお好きな科学史を調べればわかるでしょう。

>この1文だけをとりだせば、それなりの真理を表すかもしれません。ですが今の場合、問題になるのは「法」ではないでしょうか?

 その話はいったん置かれたつもりでしたが、まあ再考してみましょう。科学的に何かを知ろうとする際と、知ったことを使って何かを(例えば公教育の内容を)決断しようとする際とは別の話になります。前者の結果は明確な境界のないことがほとんどですが、後者ではそこになんらかの境界を決めなくてはなりません。それは科学ではなく、いわゆる政治的決断というものです。

 例えば環境規制や食品中の化学物質規制を決めることを考えてみるとよいでしょう。例えば致死量という比較的単純な評価値でさえも明確なひとつの値にはなりません。どれだけの量で死ぬ確率がどれくらいかは個体にもより他様々な条件にもより異なります。そこで「十分に安全なだけの許容範囲」を取って規制値を決めたというのが多くの国々での法規制です。

 例えば小学生に公的に教える内容を決めるとき、彼らの平均能力や教師の負担を考えても、そうそう多種類の理論を教えるというわけにもいきません。では取捨選択をどうするかと考えたときに、現時点で最も確からしい理論を優先し、「十分に確からしい許容範囲」を取って、「現時点では確からしさに欠ける理論」は捨てるのが妥当というものでしょう。

 教えられる者にとっての「難易度」というのも数値的に示しにくい量ですが、教育では考慮せざるをえません。曖昧な量とはいえ、小学生に微積分や量子力学を教えようとは誰も思わないのではないでしょうか? 「灰色領域があったとしても黒と白の区別はつけられる」と過去に言いましたが、まさにその一例です。


 以上のように、「世の中、そんなことばかりです」

24Ken:2018/05/19(土) 15:05:00 ID:u4ZOJOl6
>>23
diamonds8888xさん

>前者の結果は明確な境界のないことがほとんどですが、後者ではそこになんらかの境界を決めなくてはなりません。それは科学ではなく、いわゆる政治的決断というものです。

そのように言われるのなら、政治的決断をしてでも、科学と疑似科学の境界を明らかにしていただかねばなりません。

私たちの間の大前提を思い出してください。

私(Ken)にとっての疑似科学とは意図的なペテンであり、それ以外はどのように仮説を構築するのも、それを教えるのも教わるのも自由で、当人が自己責任をとればよいと考えているのです。

でもdiamonds8888xさんの考えはそうではないはずです。疑似科学とペテンは無関係で、正しい手順を踏むことなく構築された仮説はそれだけで疑似科学となり、そのような仮説を提唱する人物には、

「こんなこともわからんのか、ボケ」

という言葉で論難してもよいというご意見です。そして今回の議論では、疑似科学についてはdiamonds8888xさんの定義に従うことで合意をしました。そうなると私からは2つの要求があります。

なによりも科学と疑似科学を区別する基準を明らかにしていただかねばなりません。疑似科学に関するdiamonds8888xさんの定義に従う以上は、その判定基準を明らかにする責任はdiamonds8888xさんにあります。

もう1つは、判定基準を後から提唱するのは反則だということです。例えば、私が自分のID論を展開したあとで、それを疑似科学と判定する基準がそのとき初めて明らかにされるのでは困ります。判定基準はあらかじめ明らかにしておき、仮説が出たとき、その基準にのみ準拠して、科学・疑似科学の判定がなされるべきです。

以上の理由により、個人の主観や恣意が介在しえない明確な判定基準は、どうあっても設定していただかねばなりません。たとえdiamonds8888xさんの内部では曖昧と思われていても、曖昧ではない基準を出していただかねば、議論が先へ進まないのです。

私から提案をさせていただけるのなら、「致死量」の例にならい「十分に安全なだけの許容範囲」を取ってみられてはいかがでしょうか? これこれの条件を満たしていればまっとうな科学であって疑似科学ではないという基準を。

そのようにして科学・疑似科学の判定基準を決めたら、その基準に従う限りは、どんな仮説がどんな根拠で出されようとも、疑似科学と言われては困ります。また、その基準で疑似科学と判定されるものは、どれだけ世間で権威をもって通用していることであっても、疑似科学と主張されるべきです。

疑似科学の判定条件として、これまでと同じP1〜P3を使うのか、それとも変更するのかは、diamonds8888xさんが決めていただけますでしょうか。

25diamonds8888x:2018/05/21(月) 05:50:36 ID:LdKhejdU
>>24
 今回の設問の背景には戸惑う点がありますのでそこをまず確認させてください。
 なお、設問内容自体は理解しているつもりです。
 (私の感覚と少しずれた部分があって何とも言えませんが、それは今回の背景確認の後ということで)

 Kenさんがこの掲示板で議論し主張しようとしたことは、大きくは次の2点だと思っていました。カッコ内は私の付け加えですが、正しい補足になっていると思います。

1.ID論は現代進化論(ひとまずダーウィン進化論でもいいけど)と同等に探究されてもよいくらいの根拠が理論である。
2.ID論自体の(科学的)正しさはひまず置いて、ID論を公教育で教えることを妨げるのは(倫理的に)正しくない。


 実はKenさんの主張したいことの本命は2の方だった、ということですね?
 そもそもID論の内容自体にはあまり立ち入るつもりはなかった、ということはありますか?

 さらに1についても実は、
 ・ID論が現代進化論と「同等」と考えているわけではなく、現代進化論では説明しがたい現象があり、
 ・ その説明理論のひとつにID論がなりうると考える。
 ・ その説明理論としてはID論が最有力であると考える。
ということだった、ということだったのでしょうか?


 で、本命の2については具体的には、米国で現代進化論を信じる主流の科学者たちがID論者たちに(行った/行っている)仕打ちを非難している、ということで間違いありませんか?


蛇足) 用語はその場で定義して使えば議論の妨げにはなりませんが、多くの人がどう使うかについては、以下の記載が実態を示していると思うのですが、いかがですか? それでも御自分の使い方(定義)の方が「正しい」?と感じますか?
  疑似科学 => wikipedia
  probability => 英和辞書(普通に詳しいもの)

 まあここは人それぞれの嗜好ですから干渉はしませんが。

26Know thyself:2018/05/21(月) 06:58:09 ID:DsaeXNwY
>>25
diamonds8888xさん

Kenさんが以前、私宛に投稿された一部を参考程度に引用します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>ID論の根拠として「観測される進化の中には自然選択では説明ができないものがある」という主張が行われます。これに対して、

>1.自然選択を否定してもIDの肯定にはならない
>2.自然選択を否定するというが、その具体例は自然選択で説明できるもので、否定になってない

>という反論が寄せられました。どちらも論理的には筋が通っていますが、2つが同時に寄せられると私には対応ができません。どうしても順序を踏み、まず1をクリアしてから2を論ずる必要があります。今回、私がIDの具体例と考える事例を出していないのは、それは2の論点で、1をクリアしないと論じる意味がないからなのです。そして1つまり自然選択の否定をIDの根拠にするというのが疑似科学とされた最大の理由なので、私にとって疑似科学の定義を明らかにしておくのは、1をクリアするためにどうしても必要なのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「1をクリアしなければ2を論ずる意味がない」
のあたりで、単純にIDを肯定(進化論を否定することによって)したいのだと私は解釈してました。

もちろんKenさん本人に訊いたほうがはるかに確かですので、あくまで参考程度です。

27Ken:2018/05/21(月) 23:19:56 ID:u4ZOJOl6
率直に言うと、今の段階でID論を語るのは避けたい気持が私にはあります。なぜなら、いずれID論を語るための環境設定として科学と疑似科学の違いを明らかにしようとしているわけだから、ここでID論の話をすると、

〜ID論で検証した疑似科学論でID論を検証する〜

ことになります。そういうことが絶対にできないわけではないでしょうが、注意をしないと、原因と結果、前提と帰結が混乱し、特定の結論に帰結したいがゆえに前提を調節するような事態が、人間の精神活動ではしばしば発生します。


>2.ID論自体の(科学的)正しさはひまず置いて、ID論を公教育で教えることを妨げるのは(倫理的に)正しくない。
>実はKenさんの主張したいことの本命は2の方だった、ということですね?

私がいま訴えていることを繰り返させてください。

〜ある理論が疑似科学と主張するのなら、主張する人には説明責任が生じる〜

例えばdiamonds8888xさんは、今の世に実在するいくつかの理論は疑似科学すなわち正しい科学手法に拠らないものと主張されますが、それならどういう基準にもとづきそう判定するのか説明する責任が生じます。その判定基準は誤解・主観・恣意を極力排除した明確で厳密なものであるべきです。

diamonds8888xさんほどの見識を持つ方にこのようなことを言うのは苦しいのですが、判定基準を明らかにしてくださいという私への回答の中に、「半科学」「曖昧」「世の中はそんなことばかり」という表現が入ることを、私が受け入れがたい理由はそこにあります。

これをID論と教育の関係に適用すると、

〜ID論がどういう基準で疑似科学となるのか曖昧にしたままで、教えることを妨げるのは倫理的に正しくない〜

ということになろうかと思います。


>そもそもID論の内容自体にはあまり立ち入るつもりはなかった、ということはありますか?

冒頭で述べたように、科学と疑似科学の判定基準をあきらかにしようとしている段階では、ID論には立ち入りたくない気持があります。むろんいずれはIDの話をしたいのですが。


>・ID論が現代進化論と「同等」と考えているわけではなく、現代進化論では説明しがたい現象があり、
>・ その説明理論のひとつにID論がなりうると考える。
>・ その説明理論としてはID論が最有力であると考える。

「最有力」かどうかはともかく、IDが説明理論のひとつになりうると私が考えているのはそのとおりです。


>本命の2については具体的には、米国で現代進化論を信じる主流の科学者たちがID論者たちに(行った/行っている)仕打ちを非難している、ということで間違いありませんか?

以前にドーキンスがガーディアン紙に寄稿した文章を紹介しましたが、ID論を批判するといって語り始めながら、いつのまにか神が万物を作った創造論の批判にすりかえるようなやり方は読者を愚弄するもので、ドーキンスへの私の評価は急降下しました。

とはいえ、私の一番の関心は、私自身のID論がどのように評価されるかにあります。

これは余談ですが、7年前に私が本サイトに参加したときも今と同様の主張を同様の筆致で発言しましたが、一部の人には最後まで疑似科学と決め付けられました。それもshinok30さんのように論理的な批判を加えるならまだしも、憎悪むき出しの罵倒、誹謗、揶揄連発で私の人格を攻撃し、私を説得・論破するのではなく沈黙させようとする人々がいたことは、当時の投稿を見れば分かるはずです。

ダーウィンから1世紀半も経つと、ダーウィンを攻撃した当時の創造論者とそっくりの連中がダーウィニストの中に現れるのだから、これも歴史が繰り返す1つの例というべきでしょうか。

28ミケ:2018/05/22(火) 19:12:12 ID:hmI6xcyU
>>27
Kenさん
当事者のKenさんが希望する限り、基本的にはここでの口出しはしないつもりです。
ただ、ここだけは教えてください。

>7年前に私が本サイトに参加したときも今と同様の主張を同様の筆致で発言しましたが、一部の人には最後まで疑似科学と決め付けられました。
>それもshinok30さんのように論理的な批判を加えるならまだしも、憎悪むき出しの罵倒、誹謗、揶揄連発で私の人格を攻撃し、私を説得・論破するのではなく沈黙させようとする人々がいたことは、当時の投稿を見れば分かるはずです。

7年前のKenさんの主張とは、
ID論争 投稿者:Ken 投稿日:2011年 2月 2日(水)20時36分50秒
ttp://6609.teacup.com/natrom/bbs/12425
に端を発するものかと思います。

私は当時この掲示板を離れていたのですが、今私が見たところ、見落としもあるかもしれませんが、
根拠なしに最初から最後まで疑似科学と決め付けた人は見当たらず、
憎悪むき出しの罵倒、誹謗、揶揄連発でKenさんの人格を攻撃した投稿も見当たりませんでした。

少なくとも、科学的な議論を行うこの掲示板において
まともに議論に応じずに誹謗中傷と人格攻撃に終始したというレッテルは
これ以上ない非難の言葉だと思います。
相手がまともに議論しておらず誹謗中傷に終始していたと主張するのならば、
そう主張するあなたに説明責任が生じるのでは?

それなしに「ダーウィンを攻撃した当時の創造論者とそっくりの連中」などと断じるのは
それこそ揶揄・誹謗中傷にあたるのではないかと思います。
科学/疑似科学以前の問題です。
相手の理論を疑似科学と決めつけるのよりもひどいことです。

過去の議論を読みましたが、
Kenさんの主張を終始認めなかった方もいましたが、
その方たちは根拠なく否定していたのではなく、常に根拠を示していたように思います。
よってたかって否定され続けたのを敵意や憎悪のように勘違いしてしまったのではありませんか?

たとえばJA50さんの発言などは、
Kenさんにとっては不快になるであろう厳しい表現ですが、
人格攻撃ではなくて普通に科学的に正当な要求ですし
(「ではないでしょうか」と「思う」だけではなく具体的な根拠を語れ等)
参考
ttp://6609.teacup.com/natrom/bbs/12430

まさ海苔さんは
>「進化論は言うまでもなく絶対正しい。創造論やID論は言うまでもなくトンデモだ」・・というトンデモに対してはkenさんの「進化論は仮説である。ID論も仮説である。」という発言を後押ししますよ。
とおっしゃっており、
さらに続けて
>でもこの板の常連さんたちは...
とおっしゃっています。
参考
ttp://6609.teacup.com/natrom/bbs/12581

もし、根拠なしに最初から最後まで疑似科学と決め付けた人がいたら、
まさ海苔さんの発言は、こうはならないのではないでしょうか。

ということで具体的に、誰のどの発言がそれに当たるのか教えてください。
本当は罵倒でないものをKenさんが誤解していたというのであれば解くことができるかもしれませんし
仮に記憶違い等、故意でないとしても何かしらの訂正をしていただきたいところです。

29Ken:2018/05/22(火) 19:41:48 ID:u4ZOJOl6
ミケさん、

私自身は7年前、えらく攻撃的な発言を、すくなくとも私がその人たちに向けて発した言葉よりも攻撃的な言葉を投げられた印象を持ちましたが、これは私の主観であり、客観的にみてそれらが誹謗中傷と呼ぶにあたいするかは別の問題ですね。

よって、この部分は撤回させていただきます。失礼しました。

ただし「ダーウィンを攻撃した当時の創造論者とそっくりの連中」には、ガーディアン紙に寄稿したリチャード・ドーキンスが含まれます。むしろこちらの方がかつての創造論者と同じことをやっているように思われます。

www.theguardian.com/science/2005/sep/01/schools.research

30GB:2018/05/22(火) 22:32:35 ID:LSOxP3o2
>憎悪むき出しの罵倒、誹謗、揶揄連発で私の人格を攻撃し、私を説得・論破するのではなく沈黙させようとする人々がいたことは、当時の投稿を見れば分かるはずです。

ここまで言っておいて、いとも簡単に撤回するんですね。当時その場にいた人間の一人として、呆れました。

老婆心ながら、ドーキンスに対する(主観的な)誹謗中傷も、撤回したほうがいいですよ。

31ミケ:2018/05/22(火) 23:05:19 ID:hmI6xcyU
私はその場にいなかったのでとりあえず撤回は了解しました。
腰を折ってすみませんでした。

>ただし「ダーウィンを攻撃した当時の創造論者とそっくりの連中」には、ガーディアン紙に寄稿したリチャード・ドーキンスが含まれます。

ドーキンスは宗教憎しというか
ときたま宗教そのものを否定する傾向があるような印象を持っていますが、
ただ、少なくともその記事は別に普通のことを言っているだけのような…。

当時の議論にもあるようですし、ここで述べてしまうのは避けます。

32名無しさん:2018/05/25(金) 07:46:31 ID:UkeDPV/.
愛欲を独占する淫らな石プレミアムは知っていますか?

33diamonds8888x:2018/05/26(土) 10:01:36 ID:2RTJzBpM
>>27
 近頃多忙で応答が遅くなりがちですが御理解願います。
 で、不十分な返信ですが、残りはまた次にしますので。
 (実のところ[>>27]は色々な論点を含んでいて、背景まで含めた理解になかなか時間がかかります。)

>私がいま訴えていることを繰り返させてください。

 いまひとつわかりにくかったのですが、一応、2のID論を公教育で教えること云々ではなくて、1の「ID論は〜根拠のある理論である。」を議論することが本命と理解しました。
 でしたら、22でのような発言や「政治的決断をしてでも、」とかの紛らわしい発言は、ちょっと控えていただきたい。横道にそれますから。

 私の見解では、[>>25]での1と2では少し違う議論になりますから。

34diamonds8888x:2018/05/26(土) 10:02:33 ID:2RTJzBpM
>>29 【蛇足的な】粗暴なる発言についての対応
 「罵倒、誹謗、揶揄」の混じった反対意見に立腹する気持ちは理解できます。が、自分の理解を深めるための議論を望むならば、そういう余分な飾り物は無視して発言の中にある事実だけに注目するのがお得ですよ。あまり良い例えではありませんが、中高生が「理科の先生が気に食わないから理科を勉強する気になれない」などと言って拗ねて、学びの機会を手放すようなものです。
 むろん「罵倒、誹謗、揶揄」と取れるような発言をする側にはマナーの問題がありますが、そこをつつきすぎるのも時間の無駄というものです。それに特に自分には常識的なことを相手が理解してない時には、(例えば理解の遅い子供に教えるときとか)、「こんなこともわからんのか、ボケ」ぐらいは言いたくなる気持ちはKenさんにも御経験はありませんか?
 ドーキンスVS創造論者の対決では相手は子供じゃないのでマナーは必要でしょうけど、「罵倒、誹謗、揶揄」表現を使ってるのは創造論者やID論者側も同じだと思いますよ。確認してはいないので絶対そうとは言いませんが、種々の「相対性理論間違ってる」「ダーウィン間違ってる」系の論者の言葉ではアインシュタインやダーウィンを結構「罵倒、誹謗、揶揄」してるし、人格攻撃まがいの表現も見られたと思います。ほめられたことではありませんが、ありふれてはいるので、いちいち反応しすぎて本質の議論に入らないのは損だと私は思います。

35Ken:2018/05/26(土) 14:19:36 ID:u4ZOJOl6
>>33

>いまひとつわかりにくかったのですが、一応、2のID論を公教育で教えること云々ではなくて、1の「ID論は〜根拠のある理論である。」を議論することが本命と理解しました。

書き方には工夫をしているつもりなのですが、やはりまだ分かりにくいようで申し訳ありません。

究極的な本命はたしかにID論の根拠ですが、現時点はそうではありません。

今は、いずれIDを議論するための環境作りとして、科学と疑似科学の判別を問題にしています。そして先の投稿で書いたように、この段階ではID論の話はできるだけ避けるのがよいと考えます。もちろん必要があればIDの話も出すとは思いますが。

また、先の投稿で言いたかったのは、ID論に限らず、ある仮説が疑似科学であるという理由で普及(教育を含む)を妨げるのであれば、前提条件として疑似科学とはなにかを厳密明確に定義すべきだろうということでした。

このとき、もしも疑似科学の定義が曖昧で厳密にできないのなら、選択肢は2つあります。

1.化学物質や放射線の致死量を設定するように、政治的決断をしてでも、明確な基準を定める
2.公教育のカリキュラムを決めるような社会的な場に、科学・疑似科学の問題を持ち込まない

なお、diamonds8888xさんとの間では無用の心配かもしれませんが、念には念を入れ、「根拠がないこと」と「疑似科学」の間に、誤解の余地がない区別をしておこうと思います。

シュリーマンの例が一番わかりやすいでしょう。彼が神話に魅了されてトロイ遺跡を探し始めたときには、トロイの実在を示す根拠はなかったのだから、彼が唱えたのは根拠のない仮説でした。一方で、現実の大地を掘り返して遺跡を探すのは、科学的探究として真っ当なやりかたです。

したがって、遺跡発見前の段階でシュリーマンの仮説には根拠がなかったけれども、だからといって疑似科学ではなかったということになろうかと思います。

>>34

「罵倒、誹謗、揶揄」については、そういう意図で私に向けて発言した人がいたという気持は変わりません。とはいえ、事情は疑似科学と同じで、罵倒や誹謗を客観的にどのように定義するのかを明らかにしてからでないと、私自身がそういうことを言うのは無責任です。そこを反省したので撤回をさせていただきました。

ドーキンスについては、彼の表現自体も攻撃的ですが、それよりも論点の構築に欺瞞が見受けられます。要するに、ID論を批判するといいながら実際には創造論の批判をしているのです。

あるいはドーキンスはID論と創造論は同じものと認識しているのかもしれません。それにしても、神が万物を作ったという創造論と進化の中に人為的なものがあるというID論を同じだというなら、そのことから論証するべきではありませんか。

ところが紹介した彼の寄稿では、ID論と創造論は同じものという1文を入れて片付けてしまい、それ以後はひたすら創造論を批判する内容を述べながら、ID論を批判していると言うのです。

なによりおかしいのは、ドーキンスの文章では、ID論者は進化そのものを認めていないように読めることです。進化すなわち地球史の中で生物が変化してきたことを認めるID論と認めない創造論には大きな相違があるのに。

36diamonds8888x:2018/05/27(日) 08:29:49 ID:2RTJzBpM
 では[>>35]の3つの論点について答えます。

・示されたドーキンスの主張への批判は理解しました。この点にコメントする準備は今はありません。
  最大の理由は私が、「創造論とは一線を画していて進化自体は認めているID論」なるものの本家というか、正式な解説を読んだことがないからです。そして現時点では我々の議論のテーマでもありませんよね?


・公教育の内容の決定について
  少なくとも日本ではすでに政治的決断がなされ、専門学会などから「間違ってる」とクレームされるような内容は載せないことになっていると思いますが? ここで「化学物質や放射線の致死量を設定するように」というのが「数値でしめす」ことを意味するおつもりでしたら、それは無理なことはおわかりでしょう?

  ちなみに学会の見解というか定説が変ればそれにつれて教科書も変わります。また現行教科書の内容が学問的に不備があると判断した科学者による批判や提言もなされてきています。学問自体の内容と同様に、日々、改善への努力はなされているということですね。
   Rf.1) 現代教育調査班『こんなに変わった教科書の新常識』青春出版社(2018/02/01)
   Rf.2) 河合敦『もうすぐ変わる日本史の教科書』河出書房(2017/10/01)

  提言してきた人達から見ると「すでに定説では間違いとされることがまだ教えられている。遅い!」という思いもあるようですが、個人的には【この場合の政治的決断は】私の仕事じゃないし、みなさん頑張ってと応援するだけです。Kenさんの主張だと、こういう仕組み自体も批判しているということですよね? それと「天動説も平等に教えてもいい」とも聞こえたりするのですが、それはさすがにありませんか?


 文字数制限があるようなので、3つ目の論点は別信にします。

37diamonds8888x:2018/05/27(日) 08:31:15 ID:2RTJzBpM
[>>35]の3つ目の論点についてです。
・ID論を議論するための環境作りとしての、科学と疑似科学の判別
 過去にも書いたことなので、少しくどい繰り返しになるかも知れませんが。

 まず私自身は議論の中で「〇〇は疑似科学だ」という表現を使うつもりはありません。「そこの論理は間違い」「それは科学的方法ではない」とは言うかも知れません。他の人が「〇〇は疑似科学だ」と表現した場合は、文脈から次のいずれかだと判断します。
   ・【主張が】科学的に間違っている。
   ・【主張する人が】科学的に間違った方法論を使っている。
    (学問上不誠実である、ともいう。が、一般的な犯罪的とか不道徳とかいう意味ではない。)

 Kenさんの不満が「非科学的という代わりに疑似科学というのは表現が強すぎる」という点だけなら、定義に同意した点と、私は使いません、という点だけでOKではないかとも思いますが、そうではないのですね? どうにも、定義に同意したにもかかわらず私から見るとローカルな定義に引きずられた御意見が感じられて困惑するのです。まあこれは「感じられる」だけなので私の方の受け取りだけかも知れませんが。


 で、「P1:根拠を探そうとしないこと」についてです。

 文面だけなら別に問題ないのでは? しかし具体的に示されたものが「根拠」となるのかどうかが議論になるのが常です。ですので、ここは具体的な議論にしかならないように思います。だからこそKenさんも説得材料としてシュリーマンや天動説と地動説との論争や光の粒子説と波動説との論争などの具体例を出して議論しなくてはならなかったのでしょう?

 具体的事例を離れて、それがあれば全てに適用できる判別法を見出すのは極めて困難かと思いますが?
 とはいえ、例えば帰納法とか仮説演繹法とか「科学的に妥当な方法」というものは見出されていますし、「アドホックな論法」「反証不可能な理論」のように非科学的方法の代名詞みたいなものも見出されていますから、いくつかの一般的判定法というものも存在はします。まあここでも反証不可能か可能かについての食い違いは起き得ますが。


 で、最後にシュリーマンの例についての私の見解です。

>「根拠がないこと」と「疑似科学」の間に、誤解の余地がない区別をしておこうと思います。

>シュリーマンの例が一番わかりやすいでしょう。彼が神話に魅了されてトロイ遺跡を探し始めたときには、トロイの実在を示す根拠はなかったのだから、彼が唱えたのは根拠のない仮説でした。一方で、現実の大地を掘り返して遺跡を探すのは、科学的探究として真っ当なやりかたです。

>したがって、遺跡発見前の段階でシュリーマンの仮説には根拠がなかったけれども、だからといって疑似科学ではなかったということになろうかと思います。

 歴史や考古学の分野では神話や伝説伝承は(弱いなりにも)根拠とできると思います。それは歪められていても何らかの歴史的事実を含んでいる可能性はあるからです。ゆえに神話などの成立過程などを調べる学問も成立しています。その根拠があったからこそ、シュリーマンは闇雲に発掘するのではなく、発掘場所を絞ることができたはずです。

 これは「太陽神アポロは大地神ガイアよりも神格が高いから中央に鎮座するはず(、ゆえに地球は太陽の周りを回るはず)」という理論とはまったく理論構造が違います。

 後者では確認されていない言明でひとつの理論を組み立てていますが、シュリーマンは確認するための手段のひとつとして、やや弱い根拠を利用しているだけです。根拠なしに「トロイの神話は歴史的事実だ」と主張したわけではないでしょう?

 念をおしておくと、「トロイが実在した」ということを確認するには発掘に乗り出すことが必要で、発掘場所などを推定するための根拠として神話から当たりをつけることは、決定的ではなくとも根拠のひとつには数えられます。しかし神話だけを根拠として「トロイが実在した」ということが決定的な事実だと主張すれば、それは間違いとされます。シュリーマン自身も神話だけでは決定的根拠ではないと思ったからこそ発掘に乗り出したのでしょう。

38diamonds8888x:2018/05/27(日) 08:34:20 ID:2RTJzBpM
>>37 への補足

 歴史的事実を知るための根拠にはなりうるが決定的とは言えない、というのは実は、神話伝説のみならず他の歴史的記録も同様です。記録されたものが事実そのものであるとは言えないからです。そこを互いに比較や物的証拠や自然科学的事実などと組み合わせて、事実を推定するのです。新約聖書も旧約聖書も日本書紀も神話も含みますが、歴史的事実を知るための根拠のひとつにもなります。ひとつの歴史的記録から様々な仮説を産むことはできますし、それは決して非科学的方法ではありません。とはいえ、他の根拠も合わせれば、生まれた仮説の間には強弱はできてきます。

 例えば旧約聖書にはソドムとゴモラの記述があります。ここからいくつかの仮説が作れるでしょう。

1.神が実在して、ある都市を滅ぼした。
2.人類ではない知的存在が、ある都市を滅ぼした。
3.人類のひとつの集団が、ある都市を滅ぼした。
4.自然災害が、ある都市を滅ぼした。
5.他の理由(経済的衰退、自然環境悪化など)により、ある都市が放棄された。
6.ソドムとゴモラの記述は完全な創作

 現代の自然科学的常識などに照らしただけでも、各説の確からしさは同等ではありませんよね?


 神話と呼ばれる記録と他の記録との違いは、前者では明らかに現代の自然科学的常識に反するので事実ではないと判定できる記述が多いことでしょう。他の記録の場合も例えば「自分たちが追いやった以前の支配者のことは悪く描く記録が多い」などはもう常識ですからね。

39Ken:2018/05/28(月) 23:44:39 ID:u4ZOJOl6
私の説明がつたないせいか、どうしても行き違いを生じるようです。

>具体的事例を離れて、それがあれば全てに適用できる判別法を見出すのは極めて困難かと思いますが?

この点に異議を唱えているのではありません。正しい方法に拠っているかで科学と疑似科学を判別しようというdiamonds8888xさんご自身がこのように言われるのなら、反対する理由は私にはないのです。

問題はその次です。

私は、

〜普遍的な判定基準を設定できないのなら、個別の具体事例を判定するべきではない〜

と主張しています。

科学と疑似科学を判別する基準を決め、それに社会的な影響力をもたせる(例えば疑似科学を教育の場から排除する)ということは、私たちの社会を律する法を決めることです。そして法の制定と執行には守るべき順序があります。

1.法を制定する
2.法を周知させる
3.法を執行する

この順序でなければなりません。それなのに、法(科学と疑似科学の判定基準)を決めておかずに、いきなり個別の具体事例を判定するのでは、1と2を省略して3をやることになります。これは近代社会における禁じ手のはずなのです。

何よりも、このやり方では問題をすりかえるだけで解決になりません。科学と疑似科学の判定を法律で行えないから人間に判定させようという発想と思われますが、その判定をやらせる人をどうやって選ぶのでしょうか? 多数決つまり判定者は全人類で、選挙で多くの得票を得た仮説を正しいとするのでしょうか?

diamonds8888xさんの考えはそうではないでしょう。「学会」という言葉をよく使われますが、要するに有識者というか、正しい判断を行える人間の集団に判定をさせようという主旨かと思われます。でも、正しい判断を行える人間を選ぶ基準があるということは、正しい判断の基準があることですから、その基準を法として制定できるはずです。

ひっくり返して言えば、正しい判断基準を制定できないのなら、正しい判断を行う人間を選ぶこともできないことになり、よって個別の事案(ID論であれ血液型性格診断であれ)が科学か疑似科学かを判定することもできなくなるはずです。

くり返しになりますが、選択肢は2つしかありません。

1.科学と疑似科学の普遍的な判定基準を決める
2.科学と疑似科学の区別を行わない

このどちらかです。2は、何でもありの無法状態に見えるかもしれませんが、やむをえません。

40ゲジゲジ:2018/05/29(火) 01:29:17 ID:.vTob6Ag
ヨコからすみません。

diamonds8888x様は
「公教育で疑似科学を教えてはいけない」とは仰っていないのではないですか?
diamonds8888x様の主張は
「公教育で定説以外の説を定説と同等の説として教えてはいけない」
ではないですか?

勿論、疑似科学であれば定説であるはずはないので、公教育で疑似科学を教えてはいけない事にはなりますが。
ただ、公教育で教えるべきか否かを政治的に判断するポイントと、科学か疑似科学かを判定するポイントとは別の様な気がするのですが。

まぁ、議論の参考までに。
お返事は不要です。

41diamonds8888x:2018/06/01(金) 06:09:28 ID:06MAtVqM
>>39 確かに食い違いがあるようで、2つの可能性で書いてみますが。

1.どうしてもKenさんは、ある理論の科学的正しさを判定する行為とある理論の政治的取り扱い(公教育に取り入れるか否かなど)とを混同しているようにしか見えません。具体的に日本でどうしているのか見てましょうか。まあ大抵の国々でも同じだと思いますが。

  普遍的な判定基準:科学的に正しくないものは取り入れない。
  判定方法:専門家を含む判定者集団(日本なら教科書審議会とか)にゆだねる

 ということで、具体的には個々に判定して、これは入れない、入れる、とか毎年判定するわけですね。で、「科学的に正しいか否か」の判断は、現時点の学会の定説として確からしさが極めて高いものを採用するわけです。もっとも確からしさというのも学問分野によっても異なっていて、歴史などは物理化学に比べると定説がひっくり返る可能性も高いわけですね。経験的事実として。

 さて「ある理論の科学的正しさを判定する行為」というのは、例えば学会内での論争など、上記「政治的取り扱い」以前のものですね。我々の掲示板での議論もそうです。この場合は、そもそもの「政治的取り扱い」に使うための判定基準を議論しているのであって、具体的な判定はまだなされていないのです。

2.どうも基本法則というか、何かを判定するための万物理論みたいなものへの幻想にとらわれているようにお見受けしてしまうのですが?

> 〜普遍的な判定基準を設定できないのなら、個別の具体事例を判定するべきではない〜

 普遍的なというなら「科学的に正しくないものは取り入れない」とか「P1:根拠を探そうとしないこと」とかでいいのでは? 具体的事例に当てはめる際には食い違いが生じますが、それこそ「やむをえません」。食い違いが生じず議論の必要がないような「普遍的な判定基準」なんて、まずありえないと思いますよ。だからこそ、具体的な事例で議論して判定する必要があるのです。逆説的に言えば、だからこそ専門家が失業しない!

 大抵の法律だって具体的に当てはめるときには食い違いがでて、法廷での論争になりますよね。しかたないから最終的には裁判官の判断にゆだねるというルールにしているのです。

 また誤解されないように念押ししますが、「科学的に正しくないものは取り入れない」とか「P1:根拠を探そうとしないこと」という例は、判定基準のひとつであって全てではありませんよ。公教育への取り入れの場合だと難易度なども考慮されますしね。

42diamonds8888x:2018/06/02(土) 08:07:10 ID:06MAtVqM
>>41 そもそもの始まりである、この掲示板における「疑似科学呼ばわり事件??」についてです。

1) ID論は疑似科学です 投稿者:shinok30 投稿日:2011年 2月27日(日)21時15分10秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12676
2) 疑似科学考への考察 投稿者:wadja 投稿日:2011年 2月27日(日)18時47分31秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12673
3) ID論を疑似科学呼ばわりする理由 投稿者:shinok30 投稿日:2011年 2月27日(日)18時45分3秒//6609.teacup.com/natrom/bbs/12672
4) 疑似科学考 投稿者:Ken 投稿日:2011年 2月27日(日)14時49分16秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12668
5) 理論は中立、人は・・・ 投稿者:diamonds8888x 投稿日:2011年 2月20日(日)07時25分41秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12598
6) 疑似科学の条件 投稿者:shinok30 投稿日:2011年 2月20日(日)04時46分13秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12597

 ここでのKenさんの不満は次のような点だと思われます。

・疑似科学呼ばわりはひどい。 これはKenさんが「疑似科学とは詐欺の類を指す言葉で、人格攻撃にも等しい言葉だ」と思った点が大きいように思えますが、shinok30さんも私を含めた他の人達も「疑似科学とは科学的に正しくない方法を使うこと」と解釈していたことは、既にKenさんにも御理解いただけたと思います。むろん現代の定説をひっくり返そうと試みるならば科学の専門家として扱われるのは当然で、それが科学的に正しくない方法を使うというのは【科学のプロの世界内では】許しがたい罪とも言えます。とはいえプロといえども勘違いはするものですが、基本的なミスを指摘されてもわからないのは未熟と非難されても仕方ないでしょう。

・根拠がないから、探さないから、と言って「排除」することは不当である。
  shinok30さんを含めて掲示板の人達は「排除」なんてしようとはしていませんし、できもしません。「検証」を、科学的に妥当な方法による「検証」を求めているだけです。それはトーキンスはじめ米国の普通の科学者だって同じで、議論自体の排除なんて誰も考えてはいないでしょう。「同じ間違いを性懲りもなく繰り返してウザイな」くらいは思うでしょうけど。
  もちろん「公教育からの排除」は(米国の)正統派科学者たちの主張するところですが、これは政治的判断も含むことで、科学としての議論の場からの排除とは別の話です。

  失礼ながらKenさんには、「激しい議論」と「不当な攻撃」を混同して必要以上に過敏になる傾向があるように感じられます。

・仮説Aの欠点の指摘だけでも、その対立仮説Bの根拠になるはずだ。
  これは科学の方法論上の議論であり、今まさに私とKenさんとで議論しようとしているテーマだと理解しています。


 なおshinok30さんが批判しているのは「shinok30さんの知っているID論やID論者たち」、つまり米国の本家ID論者であり、この批判に反論するなら「米国の本家ID論者たち」の主張や行動を具体的に挙げて、shinok30さんの理解の誤りを指摘しなくてはなりません。Kenさん自身の発想や「本家ID論者はこう考えているだろう」という想像を持ち出すのは反論にならないでしょう。


 もしも私の勘違いがあったり、示していない過去発言の提示が必要であれば、指摘してください。

43Ken:2018/06/02(土) 11:13:44 ID:u4ZOJOl6
私が何よりも気にするのは、ID論も他の科学理論と同じ基準で評価されているのかということです。むしろ「IDは疑似科学」という結論が最初にあり、それを論証するために他とは異なるダブルスタンダードが使われていないかという懸念をもっているのです。

例えば、7年前にも寄せられた批判の中に「進化への干渉があったと主張しながら、干渉者が何者なのか提唱できないではないか」というものがあります。

なるほど、干渉者の正体や干渉の具体方法を特定できるのとできないのとでは、ID論の信頼性が異なるでしょう。これらを特定できてないことは今のID論の弱点にちがいありません。でも仮説に弱点があることと、その仮説が正しい科学的アプローチではない「疑似科学」であることは意味が異なります。

干渉者や干渉方法を特定できないからIDがまともな科学ではないというなら、「光は波」と主張しながら、二百年もの間「媒質」つまり振動の実体を特定できなかった、かつての光波動説もまともな科学理論ではなかったことになりませんか?「エーテル」などは正体不明の媒質に与えた仮称で、正体不明の知的干渉者を「エーテル星人」と呼ぶのと変わりません。

重要なことは「干渉者を特定できない」とID論を批判する人たちが、光波動説のような科学史上の例を認識しており、ID論とはどこが異なるのか、なぜ一方は疑似科学で他方はまともな科学なのか、説明できていたのかということです。私から見ると「干渉者を特定できない」という批判がくり返し寄せられる中で、史上の例とはどこが異なるのかという説明がなかったことは、非常にいぶかしいのです。

私が光波動説の例を出した後では、光波動説とIDはどこが異なるかという説明が一応なされました。その説明の妥当性はさておき、自分たちが行う批判の根幹にこれほど関わる問題を他人から指摘されるまで論じないのはおかしいではありませんか。批判をする人たちは、その批判が妥当なものか真剣に検証をしていたのでしょうか。むしろ、IDは疑似科学という結論が先にあり、「干渉者を特定できない」という理由などはあとから思いついたということはありませんか?


仮説の「根拠」に関する議論の推移も、私には納得がゆきません。根拠とは当初は観測可能な物証を意味していたと思います。ところがブラックホールの内部はどうなるのかという問題提議をしたら、それまでの議論にはなかった「外挿」という概念が現れ、観測ができなくてもかまわないという説明がなされました。でも、こういう外挿の概念は本当にはじめから科学・疑似科学の判定基準に含まれており、ホーキングなどはそれに則ってブラックホールの内部を考察したのでしょうか? むしろ真相は反対で、ホーキングたちの理論が現れたとき、彼ほど名声が確立した人物を疑似科学者とは呼べないから、あとからルールが変更されたということはありませんか?


あるいは私のこのような疑念は杞憂なのかもしれません。しかし杞憂であることを明確にする最善の方法は、ことの初めからルール(この場合は科学疑似科学の判定基準)を明らかにしておき、議論の途中でルールを変更しないことです。個別の具体事例をその都度判定するのは結構ですが、判定基準そのものは最初に決めておくべきでしょう。

diamonds8888xさんは、ある科学理論の正しさは学会等での論争を通して判定される、つまり学会に属する人たちは、それ以外の人々よりも優れた判定能力があることを当然の前提とされています。でも学会に所属すること自体が正しさの証明にならないことは、ヒトラー時代には人種論が、スターリン時代にはルイセンコ説が、それぞれの学会を支配した歴史を見ればあきらかです。

日本も例外ではありません。山中教授は偉大な科学者ですが、この人が管理する研究所にすらデータを捏造する研究員はいるのです。学者は豊富な知識を持っていますが、対象となる諸問題の利害関係者であることもしばしばであり、無条件に信頼をすることはできません。

だからこそ、ルールは初めに決めておくべきです。学会の判断がおおむね信頼されるのは、あらかじめ合意されているルールを知っているという期待があるからで、ルールから独立した判断をするからではないでしょう。弁護士への信頼が既存の法律を知っていることにあるのと同じで、弁護士が法律を作ることを求められてはいません。

むしろ三権分立を科学の世界にも適用して、正しい科学の基準を決める人(立法)、研究を行う人(行政)、そして成果が基準に則っているかを判定する人(司法)が分かれていることこそ理想ではないでしょうか。そんなことが実現する可能性は当面はないのでしょうけど、ともあれ、

〜科学と疑似科学の判定基準は初めに明らかにしておき、議論の途中では変更しない〜

という点だけでも、私たちの間で合意できませんでしょうか?

44ミケ:2018/06/02(土) 16:24:55 ID:hmI6xcyU
スターリン時代にルイセンコ説は学界を支配してませんよ?

ルイセンコ事件は
ID論を教育に滑り込ませようとしている連中と同じように、
本来であれば科学界から相手にされないような仮説を
(それが事実であれば嬉しいと思っている)政治家に働きかけて
都合の悪い科学的仮説を支持する人を追放した事件なわけで、

まさにルイセンコ事件は
今のID論と同じ、学界の外からの働きかけで間違った方向へ向かった実例というわけです。
ヒトラーも同じ。
ID論も学界の外から変なことを言えば同じ結果になるでしょう。

科学が政治の圧力で捻じ曲げられた歴史を
科学界が間違ったかのように捻じ曲げて解釈するのは
さすがにどうかと思うのでつい書き込んでしまいました。

横槍ついでに教科書の話。
進化論が科学の教科書に載ってID論が科学の教科書に載らないのは
疑似科学だからではなく、それを積極的に支持する証拠を提出した科学論文がないからです。

科学的に検証されていない仮説が科学の教科書に載らないのは当然で
そうであるのにそれを科学の教科書に載せろと言えば科学の権威を借りようとしている疑似科学に他なりません。ペテンのたぐいです。
仮にID論そのものが科学的に検証する価値のある仮説であろうとも
つまりID論自体が科学的仮説たりえたとしても
検証されていない段階で「検証された側」と同等の扱いを求めるのならペテン師です。
iPS細胞とSTAP細胞を同列に扱えと言うようなものです。

科学の教科書に載せてほしいのならば、
疑似科学の定義がどうこう言う前に、まずはID論を支持する学術論文を探してみてください。

仮に200年前に光の波動がどうのこうのというのが物理学の教科書に載っていたとして、
それをもって「200年前は非科学でも載っていたんだから載せろ」というのは合理的ではありません。
「200年前は間違っていたんだね。」で終わりです。
間違いを繰り返す正当性にはなりません。(そもそも間違って教科書に載っていたという確証もないですが)

45GB:2018/06/02(土) 20:52:30 ID:LSOxP3o2
またまたヨコからですみませんが

第一掲示板でdiaさんが挙げていた「読んで欲しい科学哲学の本」の中に、戸田山和久『科学哲学の冒険』があります。
この本の中で戸田山先生がふれている線引きについてのことば(抜粋、要約)。

「科学の長い歴史は、あとになって間違いだと分かった主張であふれている。間違いの有無は科学であるかどうかの区別とはさしあたって関係ない。
大事なのは間違った科学が、それでも科学なのはなぜなのか、ということ。
疑似科学に問題があるとしたら、それは、疑似科学は多くの場合間違うことができないというところにある」
(ポパーの反証主義を踏まえて)
「科学は仮説を反証する試みだから、そこで立てられる仮説は、どういう結果が出たらそれが間違いということになるのかがはっきりしているものでなくてはならない。」
「仮説が間違えることのできる仕組みを備えていない『科学』は、実は科学じゃない。」
(P81〜83)

さて、インテリジェントデザイナー論という仮説は、デザイナーの存在すら不分明な状況の中で、いったいどのように反証したらいいのでしょうか。

46ミケ:2018/06/02(土) 21:02:41 ID:hmI6xcyU
……と、
1対1のためにココに誘導したのは自分なのに
またも書き込んでしまいました。大変申し訳ありません。

今後はこのスレッドに書き込むのは控えます。
備忘録スレッドには書くかもしれませんが。

47GB:2018/06/02(土) 21:33:01 ID:LSOxP3o2
あー、1対1のスレッドでしたね、私は今後書き込みません。すみませんでした。

48diamonds8888x:2018/06/03(日) 08:02:28 ID:06MAtVqM
>>43 なるほど御懸念の内容がかなり具体的にわかりました。自覚はないかも知れませんが、まさに科学哲学の領域に踏み込んでいるんですよ。なぜ科学哲学などという学問があるのかと言えば、科学に対する見方や科学的に正しいとはいかなることなのかという考え方がに様々なものがあるからです。その中で何が妥当で何が妥当ではないかということを知ろうとすることこそ科学哲学の苦闘の歴史なのです。

 すこしずつ解きほぐそうと思いますので、少し気を長くして、できれば視野を広く持ってお付き合いください。今回は全体的に一部だけ(なんちゅう表現なんだ!?)。

・「IDは疑似科学」という結論が最初にあり、それを論証するために他とは異なるダブルスタンダードが使われていないか〜

  まともな批判者ならそんなことはありません。例えば本掲示板でなら、ダブルスタンダードな論法がでればそこで具体的に誰かに指摘されるでしょう。Kenさんも、もしある議論がダブルスタンダードたど思えば、それを具体的に指摘すればよいことです。もちろんそれがKenさんの判定ミスだったと指摘されることもあります。それが「議論している状態」です。

  で、ダブルスタンダードではないかと今回指摘された4つの例については、別発言で改めてコメントします。

・学会についてのコメントや提案は、「社会の中の科学・科学者」というテーマで、「科学的な正しさ」の議論とは別のテーマになります。この2つは目的、というか前提というか、土俵が違います。コメントは試みますが、2種類のテーマの違いについては考えてみてください。


 できればミケさんやGBさんのコメントについても考えてみれば参考になりますよ。GBさんの示された科学哲学本も読んでおいてもらえると助かるのですが。今まで知らなかった目から鱗のことが得られるかも知れませんよ。個人的判断ではありますが、Kenさんの抱える疑問の場合は、 ロビン・ダンバー(Robin Dunbar)『科学が嫌われる理由』が適しているようにも思えます。意外と読みやすいですし。

49diamonds8888x:2018/06/03(日) 08:19:38 ID:06MAtVqM
>>48 教科書への採用問題に関してはミケさんの説明[>>44]が簡明でわかりやすいかも知れませんね。「科学的仮説たりうる理論(でもまだ検証されていない)」と「検証済み理論」との違いですね。私のこれまでのコメントだとついつい「100%検証されることはない」という前提を双方が理解しているというつもりで書いてしまっていますから、かえってわかりにくくなっていたかも知れません。

50Ken:2018/06/03(日) 17:18:16 ID:ui3byeOA
もしよろしければ、私が最重要に位置づけている切り口で話をしていただけると助かります。

〜科学・疑似科学の判定基準は初めに明らかにし、議論の途中では変更しない〜

この点に同意いただけるのなら、私が挙げた個別事例を詳細に論じる必要は(私にとっては)ありません。

もしこの点での同意が得られず、判定基準自体が議論の中で変更される可能性があるのなら、なぜそれが正当な行為であるのかという話になるでしょう。

ただ、後者の場合には、本論であるID論を、私たちの間で論じることが可能だろうかと、私自身がその時点で再考するかもしれないことだけは、あらかじめ申し上げておくべきかと思います。

51diamonds8888x:2018/06/04(月) 05:10:45 ID:06MAtVqM
>>50
> 〜科学・疑似科学の判定基準は初めに明らかにし、議論の途中では変更しない〜

 ありていに言えば、これが無理難題であることを御理解いただこうとしているのですが、まあ長文のコメントが続くとややこしくなることも事実ですから、ふたつだけ確認させてください。

 1.私は疑似科学という言葉は使わないし、どんな理論であれ議論自体の「排除」はしません。それでもこのルールは必要ですか? [>>37]参照。

 2.「疑似科学とは、科学的に正しくない方法を使った理論、または原理的に科学的検証が不可能な理論を指す」ではいけませんか? [>>41]参照。

52Ken:2018/06/04(月) 19:14:48 ID:kxVV28RY
>1.私は疑似科学という言葉は使わないし、どんな理論であれ議論自体の「排除」はしません。それでもこのルールは必要ですか? [>>37]参照。

この点は目下の問題ではないと思います。

>2.「疑似科学とは、科学的に正しくない方法を使った理論、または原理的に科学的検証が不可能な理論を指す」ではいけませんか? [>>41]参照。

問題はこちらです。「科学的に正しくない」いう表現では曖昧すぎて、解釈の相違を生じたとき困ります。

例えば、地球史の中で起こった特定の進化は自然選択では説明できないからIDの可能性が強いという仮説が出されたとして、私のこれまでの体験では2種類の反論が出ることが予想されます。

1つは「そういう進化ならダーウィニズムで説明できる」というもので、これなら議論を進められます。

もう1つはドーキンスなどが言う「自然選択の不完全な部分を指摘してもIDの証明にはならない」というもの。つまり仮説の提唱者は科学的に正しくない方法を使っているという批判です。

でも考えてみてください。科学的に正しいか正しくないかを論ずるには、何をもって科学的に正しいとするか、つまり科学と疑似科学を判別する基準が合意されていることが前提ではありませんか。

diamonds8888xさんのような方が、ダーウィニズムの穴をついてIDを主張することなど議論の余地なく正しくないと考えておられることは承知しています。でも、それとは異なる見解を持つ人間もいるのです。このような両者が議論をするには「何をもって正しい科学とするか」を、事前に、厳密に、定義しておく必要があるのではないでしょうか?

私が訴えているのは、その点なのです。

53diamonds8888x:2018/06/05(火) 05:24:31 ID:06MAtVqM
>このような両者が議論をするには「何をもって正しい科学とするか」を、事前に、厳密に、定義しておく必要があるのではないでしょうか?

 それは違います。「どの理論がどの程度確からしいか」という点で見解の相違があるゆえに、「その理論の正しさ」といって拙ければ「その理論はどれくらい検証されたか」「その理論にはどれくらい難点があるか」について互いの見解をすり合わせていくのとように、そもそも「何をもって正しい科学とするか」という点でも見解の相違がありうるのですから、これも同じように議論の中ですり合わせていくしかないのです。

 そして、「何をもって正しい科学とするか」という点において異なる見解が【議論することそのものを排除される】ことはありません。少なくとも本掲示板のような自由な言論の場においては、です。

 現実に「自然選択の不完全な部分を指摘してもIDの証明にはならない」という論法は「科学的に正しくない方法」だとKenさんは考えていて、他の人はそうではありません。だとすれば、この点については、これから互いに議論していくしかないではありませんか?

 私はこれまで、このように「何をもって正しい科学とするか」というテーマについて議論を進めているつもりです。いきなり双方が合意できるルールができるとは思っていません。だから「最初に【さっさと】決めろ」というのは無理難題だと表現しました。


 「科学的に正しくない」いう表現が曖昧であることは十分承知しています。ではどの程度「厳密」であればよいのですか? それがあればどんな理論も科学的か否かを判定できるという意味ならは、そのような万能のルールはたぶんできませんよ?

 むろん「××とする方法は科学的ではない」「〇〇は科学的な方法といえる」という事例はいくつもありますし、その中にはまさしく定説として確立していると言えるものもあるでしょう[*注]。我々にできるのは、それらひとつひとつについて合意できるかいなか、合意できなければどうするか、という議論を進めることだけです。


[*注]ここでは学会というものはないので、科学的思考の訓練ができている人なら無意識にでも使う、くらいの意味になるでしょうか。よく考えれば、普通は正しいとわかること、とか。

54Ken:2018/06/06(水) 19:52:39 ID:kxVV28RY
>>53

>いきなり双方が合意できるルールができるとは思っていません。

そうであるなら、私との合意は保留し、diamonds8888xさんが正しいと思われるルールを提示していただけませんでしょうか?
もともと私たちが検証していたP1〜P3も、7年前にshinok30さんが御自身で正しいと考える判定基準として出されたものです。

私(Ken)自身は、科学に対するアプローチとして、ある方法は正しく別の方法は誤りと区別することに、反対する立場をとっており、疑似科学と呼ぶのは意図的なペテンに限定しようという本来の主張もそこから来ています。

今回の議論は、すべてdiamonds8888xさんの定義に基づくもの、すなわち科学へのアプローチには正しいものと正しくないものがあり、正しくないアプローチは、そのこと自体が排除の理由になるという前提から出発しています。

ですから、ここはdiamonds8888xさんに、あらためて正しい科学の判定基準を提示していただき、私が質問する形で、検証をしてみてはいかがでしょうか?

その場合に、私がやるであろう検証は、その判定基準が真に公平なものであるかに重点が置かれると思います。

例をあげれば、提示された判定基準を用いた結果、現在のID論も、16世紀の地動説も、17世紀の光波動説も、そして20世紀のブラックホール理論も、すべて「方法として正しくない」という結論がもしも得られたなら、その結論を受け入れねばなりません。その時になって、ブラックホール理論だけを正しいとするために、別の基準を持ち込むことはやるべきではありません。

いかがでしょうか?

55diamonds8888x:2018/06/08(金) 06:24:52 ID:06MAtVqM
>>54 そういうことならいくつかずつ提起していきましょう。それは私がメタな話として進めたかったこととも一致します。でも予備的に3つほど述べておきます。心にとめておいてくだされば幸いです。


・排除について
>正しくないアプローチは、そのこと自体が排除の理由になるという前提から出発しています。

 これは「排除」の意味するものが食い違っているのだと思いますが、私は一貫して「議論自体の」排除はしないし、少なくとも本掲示板では排除はなされていないと述べています。これは重要なので強く主張します。


・理論の検証と事実の検証
  (以下は私独自の考えですが、誰かが書いているかも知れませんし、普通に納得できると思います)
 正しいとか正しくないとか判定したり検証したりする対象には、主に理論と事実があります。理論の例は、落体の法則、万有引力の法則、子は親に似る法則など、多数の似たような事実に共通なことを述べたものです。これにより、未知の事実の予測や推測ができるのが理論です。その予測や推測が外れれば理論が間違っている可能性が高くなります。理論の検証とは概ね、未知の事実の予測や推測をして、その予測や推測が当たっているかどうかを検証するものになります。
 「事実とは観測すればいい」とだけ言うわけにもいかず、「事実の検証」と大上段に構えなくてはいけないのは、例えば歴史学や考古学や犯罪捜査などの場合です。過去の生物たちは実際に進化してきたのか、ビッグバンは本当にあったのか、大気中に毒性物質はどれくらいあるのか、太陽以外の恒星にも惑星はあるのか、宇宙の地平線の向こうにも星雲はあるのか、などですね。これらの事実は「直接の検証」が難しいので、間接的な観測事実から正しいとされている理論を総動員して「たぶん正しい」ことを推測していくことになります。

 【とりあえず、提起する基準は「理論の検証」を想定します。】


・基準の数?
 なるべく役立ちやすい具体的な形で提起するつもりですが、そうなるといくつになるかは不明です。
 基本的には、基準が満たされなければ非科学的、という形で提起しようと思いますが、時には別の形になるかも知れません。
 いずれにせよ、一度に何個も提起しても大変ですから、少しずつ提起します。


 では具体的には、次のコメントから。

56diamonds8888x:2018/06/08(金) 06:27:09 ID:06MAtVqM
>>55 ひとまず、次の2つです。

基準01. へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説のような形の理論は、科学的ではない。
[ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%82%B9]
[ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%94%E5%88%86%E5%89%8D%E4%BB%AE%E8%AA%AC]
 (「反証可能性のない理論は」だと範囲が曖昧でしょうから)

基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
  *)検証になる特殊な場合はある。
  *)理論Aの確からしさが向上する場合や向上の程度は、場合によるので複雑。

57Ken:2018/06/08(金) 19:43:04 ID:kxVV28RY
diamonds8888xさん、

判定基準の話を始めていただき、ありがとうございます。

すでにいくつか質問が頭にうかんでいますが、これらはその都度お尋ねするのがよいですか?
それともdiamonds8888xさんの話が結するのを待つほうがよろしいでしょうか?

私がdiamonds8888xさんの立場だったら、後者がよいと思うでしょうが。

58diamonds8888x:2018/06/09(土) 05:55:57 ID:zaYXOEow
>>57
 述べたように複数挙げていくつもりですし、各基準は基本的には独立していますから、個別にどんどんコメントをお願いします。さもないと、いつまでも議論が始まりません。


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